バートランド・ラッセルのポータルサイト
シェアする
森恭三(日本のバートランド・ラッセル関係者)の発言 * 森恭三(もり・きょうぞう、1907-1984):戦後日本を代表するジャーナリストの一人で、朝日新聞の論説主幹をつとめた。

ラッセル協会会報_第4号

 私がバートランド・ラッセルと対談したのは、1957年の春である。その翌年の正月の朝日新聞紙上に掲載するのが目的で、速記のできる秘書をつれて出かけていった。ロンドンのテムズ北岸の、典型的な中産階級のつつましいフラットである。
 ・・・。そのときすでに85歳であったから、今日(1966年)では94歳という勘定である。その後、核兵器反対の街頭デモや座り込みの先頭に立ったくらいであるから、私との対談当時、こちらがびっくりするほど若々しい張りのある声でしゃべったのも当然のことであったろう。私の語学力ではメモもとれぬくらい早口ではないかと思って速記の用意をしていったのであるが、その必要もなかったほど、わかりやすい、静かでゆっくりした話しぶりであった。・・・。
(→ 詳細は、『ラッセル協会会報』第4号 p.1 参照)