(参考)天野正子『'つきあい'の戦後史-サークル・ネットワークの拓く地平』(pp.105-106)
・・・。
しかし、杉の子会(=サークル)の歴史は、それで終わったわけではない。「会」としての活動には終止符が打たれたが、その精神は少数のメンバーに引き継がれ、新しい展開をみせることになる。斉藤鶴子(1909~2001?)は、「社会主義国の核は平和のための武器」という考え方がしだいに勢いを得ていく会のなかで、「きれいな核などない」と主張したメンバーの一人である。その一方で、彼女は「核はいやだが、そうした政治問題にかかわるのはイヤ」としり込みする他のメンバーにも苛立ちをつのらせていた。思い余ってバートランド・ラッセルに手紙を書き、「あなたと同じ考えです」という返事をもらった斉藤は、日本でのラッセル平和財団の活動を支える中心的メンバーとなっていく。また、自分もメンバーである草の実会のなかに、平和問題研究グループを創設する。・・・。
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