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大竹勝「一つの提案」 - 日本バートランド・ラッセル協会の在り方・提言2

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)p.8-9.
* (故)大竹勝氏(1909~1993)は,シュラキュース大学英文科卒,Ph.D., 執筆当時,東京経済大学教授。日本翻訳家協会理事長。ラッセルの『宗教は必要か』の訳者。


ラッセル協会会報_第23号
の画像 昨年(1974年)の11月に,青山一丁目のポーラ・ビルの1階で英国図書展示会があって,ジョージ・アレン出版社(George Allen & Unwin)の代表と話し込む機会があった。「バートランド・ラッセルに続く著者は誰ですか」と3冊のラッセルの自伝を指さしながら質問すると「彼に代わる人は当分出て来そうもないですね,彼の深さと幅を持った人物は」という返事であった。

 ラッセルの学者としての深さと幅,そして人間として,最後まで持続した若々しい情熱。けだしこの3つの特徴をあわせ持つ人物を他に求めることは至難のことであろう。それでラッセル協会も哲学者,数学者,政治学者,文学者や,教育問題,婦人間題,わけても平和問題に関心のあるひとびとを網羅しているのは当然のことである。

 特殊な日本の事情からラッセルが大学入試問題によく出題されるというので『ラッセル入試問題集』などというものまで刊行されているようであるが,これは世界でも珍しいケースであろう。試験地獄のさなかで,受験生という悲愴な若者たちが,しばしラッセルの幾節かの文章について予備校の講師たち(息子に聞くと昔の先生たちとは教え方も大分ちがって,学問的に魅力のある先生がたが多いという)にこの哲学者の考え方の一端を紹介されているのである。不幸中の幸いとはそんなことを言うのであろう。

 日本ラッセル協会は,殆ど毎年のように朝日講堂で会長始め錚々たる各学界の代表的ラッセル研究家たちの講演を催しており,同じような講演会は関西でも催されていると聞く。理想社は近くイギリスでのラッセル生誕百年記念出版の翻訳(松下注:理想社刊の『社会主義ヒューマニズム-バートランド・ラッセル生誕百年祭記念論文集』)を刊行することになり,協会の主力がその翻訳に参画していると聞いている。
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 それで,これまでのラッセル協会の存在と講演会や会報などによるコミュニケーションは,それとして立派なものであった。しかし会合での雰囲気は,大部分が専門家で,少数のラッセル愛読者や少数の大学院でラッセル研究をしているような若者たちで成立しているために,いわば将軍たちの親睦会に少数の若い男女が加わっているといったような印象であった。

 数年前から(早大)牧野教授たちの発案で,若者たちに協会を開放して,懇談の場を作ろうということになり,わたしのような者まで「文学者としてのラッセル」をテーマとして十数名の参加者と話し合ったことを記憶している。わたしは英米文学が専門であるので,日本ペン・クラブ,日本英文学会,日本アメリカ文学会,日本翻訳家協会,日本比較文学会等々に所属して来たが,段々多忙になって出席のよくない会もあるが,それらの学会で行われている運営を観察した経験から言えることは40代前後のひとびとが,かなりの犠牲を払って会の計画を意欲的に推進している会が大体うまく行っているということである。そして40代前後の中堅が青年層に自分の情熱と抱負を伝えている会は活々としているということになる。
 そこで提案だが,会の構成だけをいくら立派に作りあげても,中にいる人が問題であるのだから,初めからあまり多くの分科会を作ってみても,若い会員が集まらなければ無駄になる。それでテーマを大体哲学,政治,文学(及び一般)の3っつくらいに区分して青年層の3グループを作り,その月例会のテーマによって当該グループが主体になり,他の2グループが参加するという形式を取る。もちろん会員が増加し研究活動が盛んになれば3グループ独自の月例会の開催も可能になるであろうが,それは遠い将来のことである。そこで肝心なことは40代前後の若々しい各グループのキャップを得ることであろう。さしずめ長老たちの弟子がそれに当たることになるであろう。そして1年1回,出来れば半年に1回,長老たちを加えてのディスカッションを行い意見の交換を行うことにする。すべての提案は誰がベルをつけるかという難点を持っているのであるが,誰がその40代前後の有能にして実行力のあるキャップを探し出すかである。<br> この2月に66歳になるわたしの提案は虫の好い話に聞こえるかも知れないが青年層との接触には40代前後が最適である。日本ラッセル協会の総会での各会員の発言は,これまで活発で,率直で,善意にみちたものであった。それ故,首脳部の懇望を待たず,自から名乗り出る人の可能性を期待してこの提案を結びたいと思う。