野田又夫「バートランド・ラッセル氏についての閑談」
* 出典:みすず書房版「バートランド・ラッセル著作集・月報」より(第3回配本付録)
* 野田又夫(1910~2004)は当時、京都大学教授で、バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人
あまり肩のこらない話をラッセルについて書いてほしいとの注文である。ほかの思想家ならばともかく、ラッセルについてならできるような気がして引きうけたが、うまくゆくかどうか。私などはラッセル・ファンの一人かも知れない。かれの書いた社会論や文明論や人生論は楽しんで読んでいる。頁ごとにおかしみがそえてあり、ヴォルテールの文章と同じく、陰影のない笑いを、重大な発言の間にさえも、用意しておいてくれるのが有難い。
ユーモアを解することが大人になることである、と、どこかにいわれていて、妙に感心した覚えがある。ユーモアを解するというのは自己と自己の状態を客観化しうるという意味であり、むずかしい事態にまきこまれたときにも一たん事を向うへつきはなして心の余裕をつくりうるということである。逆に、大げさなことばをいったり感傷的になったりするのは、子供じみたことだというのであろう。しかしそうかといって、ヴォルテールの場合も、いわんやラッセルの場合も、冷たい大人の態度だけがあるのではない。文章でも分るが、ラッセルが実に暖かい心の持主だということを、たびたび人からきいた。
アメリカのある大学で、記号論理を学びはじめた一学生が、どうも講義についてゆけなくなった。かれは自分の先生によりも、記号論理をつくったラッセルのほうに、ことの責任があると考え、そういう手紙をラッセルに書いた。するとラッセルはその学生の言い分はまことにもっともであるとみとめ、長い返事を書いて質問に一々親切に答えたそうである。しかしこの返事には、講師が当然教えている筈の初歩的なことも一々説明してあって、もしその学生が実際によく勉強していて分らなかったのなら、講師の講義の方がわるいというようなことにもなりかねないので、主任教授は学生にラッセルの手紙を公表せずにおくよう忠告した、という。
これはラッセルのような人の善意を、俗世間が時にはもてあます一例にもなる。
同じようなことをもう一つ。ある講演会でラッセルが話した後、聴衆からいろいろ質問がでたが、一人きわめて素朴な問いを出し、ほかの人々を微笑させた。「ラッセルは頭のはやい人だから例によってすぐ答えると思っていると」「かれは口ごもった」(He stammered)。そしてていねいにぽつりぽつりいったあげくに、「結局私はあなたの質問に充分には答えられない」とすまなさそうにいった由である。「人生果して如何」というような問いだったらしい。この話を私にしたハーツホーンさんは、ラッセルを論難する汎神論者であるが、「あのときはたいへん動かされた」としみじみいった。
たしかにラッセルの書く人生論や社会論には独特な魅力があり、かれみずからのことばでは「機智とユーモアにより思想の皮相性をおおいかくしてある。」そして暖かい思いやりもあらわれている。しかしそれは、かれのもっと学問的な仕事、論理学や認識論での仕事と、どんなふうに結びついているのであろうか。六年前ロンドン大学のある先生は、ラッセルの「近頃書くものはよくない」といい、ラッセルは前半生で価値のある仕事をしたがその後はジャーナリストのようになってしまった、と私に話した。果してそうだろうか、と私はうたがった。いちどラッセルを全体的に調べてみたいと思い立ったのはこのときだった。
論理哲学者としてのラッセルはまず数学の論理的分析を果した後、さらに科学の分析に向い、世界についての諸々の科学的展望をひとつの論理の世界として統一しようと努力した。そのときその論理的世界の個別的要素をどう選ぶかということでいろいろ考えた。感覚的所与をそういう要素にとったり、また物と心とに共通な要素としての「出来事」をとったりした。そして個別者とともにどういう普遍者をどれだけゆるすかも問題であった。しかしこのような仕事はどこまでも世界の論理的分析であって、その世界の中でいかに生きたらよいかとか、よく生きるために人間がその環境をいかに変えるべきかとかいう問いに、答えを与えるものではない。
論理的な哲学は「心のなぐさめ」を与えることはない。だから人生論や道徳論や政治論は、数学や物理学の論理的分析とは非常に違った次元で成り立つのであって、そこでゆるされる前提も、そこでとられる態度も別である。この違いはだれよりもラッセルその人によっていつも意識されている。
この二元性の意識がむしろラッセルの哲学の立場の特徴なのである。存在の知識と善への信仰とを一元的形而上学的につなぐことは拒んでいる。科学的知識をも生のための道具と考え、科学を倫理に、技術を介して連続させようとする、プラグマチズムにも反対する。宇宙と人間との間には、もっと深い割れ目が口をあけているのである。しかしそれでは、二つはいかなる意味でもつながっていないのであろうか。科学的世界認識とヒューマニズムの倫理とは相互独立にラッセルの中で共存しているだけなのであろうか。この問いはもちろん論理的な問いでなく、さしあたり心理的伝記的な問いであるかも知れぬ。しかしそれは私には相当大切に思われた。
一九〇三年に発表された有名な文章「自由人の信仰」が、上の問いに答えていたことに、私はこのころ気が付いた。そこでは宇宙における人間の地位をパスカルが見たように見ている。科学の示す宇宙は、永遠に沈黙せる宇宙であって、人間的意味や価値に全く無縁な外力の張りわたされた世界である。人間はいわば宇宙的孤独の状態で、外的運命とたたかっているのである。しかも人間の営みがすべてついには亡びる定めであることはほとんど確実である。人間が宇宙の舞台で演ずる劇は悲劇なのである。そしてラッセルはこの「共通の運命という固いきずな」の意識から、純粋な愛が生れる、と感じた。すべての人間は「同じ闇の中で同じ苦しみをもつ者」であり「同じ悲劇の演者」であって、ここから、あらゆる憎みを越えた愛が生れ出る。このことに気付いたときそれは一種の「宗教的回心」に似た経験であったとかれはいう。かれ自身、知的孤独の態度から愛の連帯感へとうつることがここではじめてできたのであろう。アナリストは悲劇感を介してモラリストになる。しかしそのためにアナリストであることをやめるわけではない。
その後のラッセルがこの「愛」の考えを極めて頑強にもち続けていることは、寧ろ驚くべきである。かれが真実なものと認める「愛」は「憎しみ」を含まぬ純な愛であって、その完全な形は現実の人間社会のどこにも見出されえぬものかも知れぬ。
しかしラッセルはそれをすべての問題の中心にすえているように思われる。例えばキリスト教はラッセルによってどう見られるか。キリスト教は愛を説いたが、その教えがやはり憎しみや不寛容や罪や地獄の考えと結びついているところがいけないという。これは社会制度として固定したキリスト教会のやったことに示されているばかりでない。イエスの説く愛もやはり悪への呪いとならんでいる。この点では、ひとしく悲劇的運命をうけとりながら何ものをも呪うことがなかったソクラテスのほうをラッセルは高い位置におくのである。
ラッセルが「私はなぜキリスト教徒でないか」をのべる議論と、「私はなぜ共産主義者でないか」を説くところとは原理において同じである。共産主義のよって立とうとする人類の連帯感も、やはり憎悪を、階級間の憎悪を、条件としているから、是認できないという。しかしもちろんだからといって資本主義社会をそのまま是認するのではない。ラッセルはいずれの側の政治権力に対しても遠慮する理由をもたないであろう。そして、最近の原子兵器の禁止運動に傾注されているかれの熱意を考えると、もう六十年近くも前にかれが心にとらえた人間の宇宙的悲劇的な連帯感を、原子力の技術的支配という新たな危険に面して、すべての人間の胸によびさまそうとしているのだと思われる。
もはや蛇足になるかと思うが、最近の哲学の流派に対するラッセルの反応も同じ点からうなずけるような気がする。例えぱ実証主義者は科学と倫理の二元性をつよく意識してはいるが、倫理と政治について傍観者的になりがちである。しかしラッセルは悲劇感のゆえに傍観者ではありえなかった。また常識をもととして日常言語の分析によって哲学の問題を解消しようとする最近の英国哲学者の傾向にも不満である。常識をこえて科学がひらき示す宇宙に直面する努力は哲学にはどこまでも必要だと考えるのである。
ラッセルは「自由人の信仰」において示したミルトンふうの荘重な文体をその後すてた、といっている。ひょっとすると、悲劇という文字も、愛という文字も、もうつかいたくない、というかも知れない。しかしかれも自任するとおり、精神は一貫しており、どういうことばでいわれようと、それは大切なことだと私には思われるのである。