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森恭三「ラッセル卿の印象」
『ラッセル協会会報』n.16(1970年8月)pp.1-2.

*(故人)森恭三(1907-1984):笠信太郎とともに、戦後日本を代表するジャーナリストの一人で、朝日新聞論説主幹をつとめる。多年に渡り「朝日ジャーナル」の巻頭言を執筆。ラッセル協会設立発起人の一人
* 東京大学大学院情報学環・学際情報学府(旧:社会情報研究所所蔵)所蔵森恭三コレクション
*森恭三「ラッセルとの対談」


 わたくしは新聞記者として、ロンドンで一度ラッセル卿にインタビューをしたことがあります。それは一九五七年十二月のことでした。当時の時事問題について質問をしたわけですが、それにたいする卿のお答えが、現在なお非常に今日的意味をもっていることを痛感します。わたくしがお聞きしましたのは、科学の進歩にくらべて政治がたち遅れており、その結果、恐怖の均衝が破れて核戦争に進むかもしれないという恐れがあるので、その危険をなくするのにはどうしたらいいかという方策についてでありました。それにたいするラッセル卿の答えはこうでした−唯一の対策は、世界政府をつくってこれに武力を独占させることである。各国は、国内治安を維持する警察力は持たなければならないけれども、他国を攻めるに足る武力を持つことは許されない。
 世の多くの人は世界政府を夢だという。しかし紙の上の協定、たとえば軍縮協定といったようなもので平和を保つことができると考える方こそが夢なのではないか。水爆を保有する国が世界中に一つも無くなればそれが一番いいけれども、しかしそれを望むことは一種のユートピアであろうから、当面最も重要なことは水爆保有国を増やさないことである」と。そうして卿は、現実主義的なアプローチということを強調されました。このラッセル卿の考え方が、その後実際に国際政治の上に実現されて、核拡散防止条約というものになって現在にいたっているわけです。
 それから、さらに続いてイデオロギーの問題についての若干の応答がありました。卿はこう言われました−「イデオロギーの相違を問題にするのはいけない。共産主義になりたい国はそうすべきだし、共産主義を放棄したい国があれば、そうする自由をもつべきである。アメリカ人は、中世のキリスト教徒が回教徒を見てきたような眼で現在の共産主義というものを眺めている。
 資本主義にせよ、共産主義にせよ、自分の体制の秀れていることをいかに確信するからといって、そのために世界を破滅させることは愚かだ」と。わたくしが、ラッセル卿の平和運動を見て特に感じましたことは、このインタビューにおいても卿自身が申されたように、現実的なアプローチということ、すなわち理論とか理念とかいうものを空転させてはならないということと、それから、人間として最も重要なことは何かということを考える、すなわちそういう発想法であります。そして人間として最も重要なことは人類の生存ということであり、人間が幸福を追求することであると言われたことに感銘をうけました。そして、イデオロギーはそのための単なる手段にすぎない、すなわち第二義的なものであると指摘されたのであります。
 理論というものが大切なのは、それを皆が理解し得るからであります。一つの理論を理解することによって、共鳴者がふえる、そしてそれが一つの力になるということであります。ここから対話の必要性ということが起こってくるわけであります。特に体制に対する批判運動においては、説得する必要が大きいわけであります。ラッセル卿が為された仕事は、特にこの点において偉大であります。さらにわたくしがラッセル卿から深い感銘をうけましたのは、人間への愛情とモラルということであります。ラッセル卿はその生涯を一貫してこれをもってつらぬいて来られました。それにたいしてわたくしは、深い尊敬をはらわないでおられないのであります。
 このモラルということに関連して、今とくに痛感させられていることがあります。現在、ニューヨークのカルチュラル・センターで原爆展が開かれています。先年、東京はじめわが国の各地で朝日新聞主催の原爆展が開かれたことがありますが、それがアメリカで開かれるようわたくし達も努力してきました。それが現にアメリカで開かれたことに大きな意義があると考えます。カルチュラル・センターの館長や、世界連邦建設同盟の委員長であるノーマン・カズンス氏や、フレンド教会に属するクエーカー教徒の団体であるアメリカン・フレンド・サービスなどの熱心な尽力によって実現したものです。しかし、開催にいたるまでの内部事情を申しますと、最初われわれは広島や長崎の関係物件を送って展示するつもりでした。そこで交渉しましたところ、長崎市長は大賛成してくれましたが、広島市長は外務省の積極的な同意をとってほしいとのことでした。そこで外務省に交渉しましたが、消極的同意しか得られませんでした。そこで広島市長は腰をあげず結局のところ広島・長崎からの出展はお流れになりました。そこでやむを得ず、とりあえず朝日新聞が集め得た写真をもって展示会をやった次第です。しかし私たちはまだ望みを捨ててはおりません。今年は被爆後ちょうど二十五年に当る重要な年ですので、ぜひとも本格的な原爆展をニューヨークて開きたいと思っております。
 原爆の惨禍を世界に訴えるということは、日本が積極的にやるべき道義的義務であると思います。日本の原水禁運動は、これからという重要なときに分裂しました。それに、つまらない気がねをしたりしています。そうでなく、訴えるべきことはあくまでも訴えるべきだと思います。そういうモラルの必要ということを、ラッセル卿はわたくし達に教えてくれているのではないでしょうか。(当時・朝日新聞論説顧問・本協会会員・森恭三)