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「それでもわたしはいまに九十五才をかぞえる……どういうんでしょうね――これは・・・。」といってニヤニヤして笑みをうかべる。皮肉屋の笑みがふと頬にうかぶ一瞬である。
「わたしが信ずるのは'真理の探求'である。哲学はもちろんのこと、宗教の使命も、科学の任務もそこにあると思っている。
今日の宗教界は、たがいに敵意をもやし、好戦的で、教団の経営企業に気をとられ、宣伝にうき身をやつす。経営維持のために入門者・信者の獲得に狂奔しなければならない……そこに堕落がはじまる。いまの宗教界には希望がもてない。また平和維持のための影響力にしても期待をもてるとは思えない。
科学者は真理のみに奉仕すべきであって、殺人、壊滅、戦争に奉仕すべきではない。真理に反する行為と政策を平然とすすめている政府に奉仕すべきではない。
ところが今日、科学者の大部分が政府のために働らき、そうすることによって生計をたてようとしているのではないか。そういう人たちが探求しているのは、口では真理の探求といいながら実際は「政府の真理」を探求しているにほかならない。
わたしが真の科学者と思うのは、わたしの偉大な親友ライナス・ポーリング博士だ。」
「平和の世界、安定した世界への道を開くものは、世界政府の構想である。世界政府は、国連の誤りをくりかえしてはならない。すなわち(大国の)拒否権をなくして、世界議会にしなければいけないし、超国際的な世界警察軍をもたなければならない。軍縮は全面的、徹底的でなければならないし、核兵器は撤廃すべきである。相互査察も事前予告なしの完全なものでなければならない。それらにたいするわたしの回答は、一九六一年に書いた『人類に未来はあるか』(Has Man a Future?)である。」
「世界政府への歩みも、平和の促進も、それを大きく阻害しているのが米国だ。
平和と、再建への誠意、解決を見出そうとする素朴な願いはどちらかというとソ連の方に見うけられる。
世界のどこで発生した問題を扱うにしても、それは人類生存の共通の広場でのことであるから、人類全体の良識と誠意が参与するかたちで処理されなければならない。すなわち国際会議であり、国連である。
自分が力をもっているからといってそれで片づけようとするのはいけない。
すべて暴力によって欲望をとげようとすることは許されない。
力づくで、領土をひろげ、資源をとり、相手を屈服させる、奴隷をつくる……これは許されない。自由諸国といいながら、後進民族の'自由'を侵害する……。これは'自由主義'といえない。(右イラスト出典:B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953.)
アメリカは、かつて'自由の国'として起ち上った。しかし今日、「自由主義はアメリカで死んでいる」
ヴェトナムで米国が行なっていることは、人道と自由と平和の原則にそむいている。だからこそ、人類の良心と文明の立場から吟味しなければならないのである。
いま米国がヴェトナムで行なっていると同じことが、米国の国土内で、その婦人や子供たちにたいして行なわれるとしたら、アメリカ人はいったいどう感ずるだろうか。」
「わたしは青年に学ぶことが多くなった。青年に頼る気持が強くなった。青年がわたしの希望だ。
青年には嘘がない。純真だ。利害の打算にわざわいされない。'生命がけ'で当ってくれる。
世界政府も、輝かしい文明も……人類の未来は青年のものだ。青年は生命そのものだ……生命の消滅は想像できない……青年は滅びない。」
![]() ラッセル協会会報_第8号 |