長谷川如是閑「最もイギリス人的な (バートランド・ラッセルのこと)」
* 出典:みすず書房版「バートランド・ラッセル著作集・月報」より(第5巻「権力」付録)
* 長谷川如是閑 (1875-1969)
* 松岡正剛「長谷川如是閑(著)『倫敦!倫敦?』(岩波文庫)について」
イギリスの学者で、古今を通じて最もイギリス人的なのは、バートランド・ラッセルだといっても言い過ぎではあるまい。彼は数学者であり、哲学者であり、社会学者であり、倫理学者等々であり、いわゆる八面六臂の千手観音式の学者だが、しかしそれらのどれ一つの「専門学者」でもない。それらの専門の一つ一つについてのラッセルの英知は、いわゆる専門学者に劣らないが、決して専門家のような口吻(こうふん)でものをいわないで、われわれの日常の会話の言葉で語るところが、いかにもイギリス人らしい。ドイツ学の流行った頃の日本人は、つまらないことを、むずかしい言葉のロジックで語ったが、イギリス人はその反対で、どんなむずかしいことでも、われわれの日常の言葉でひらたく話すのだが、その最も標本的なものがラッセルである。現代の知識の行き止まりまで自分の知識としてもっていながら、それを語るのに決して抽象的な知識として語らないで、必ずわれわれが日常見なれている平凡な事実をもって来て、われわれの日常の会話のような調子でそれを語る。大正頃から日本の学生が、わかり易い講義をする先生を、低級な先生といって、全くチンプンカンプンの講義をする先生を偉い先生というようになったが、ラッセルはそういう学生にいわせると、全く低級の先生である。ラッセルは、その頃の日本の学生に、偉い先生といわれた先生のように、自分にもわからないことを、わかったような顔でいったり書いたりする先生とは正反対の、先生らしくもない口のきき方をして、そうして現代人の言いうるかぎりの賢い言葉を語っているのである。
そうしてその最高の英知に立って語る言葉は、その知識の公式のような言葉ではなく、その公式を語る時さえ、専門の限界を超越して、甚だ専門的でない、普通人の、知、情、意の入れ混じった言葉で語る。たとえば、彼の専門である数学を語るのに「まるで美しい音楽のようだ」とか、「芸術そっくりだ」とかいうようなことを平気でいう。生理学者でも心理学者でもない普通人は、自分自身にある生理現象や心理現象を、「うれしくてぞくくぞくする」とか「恐ろしくてゾッとする」などと、心理学的でも生理学的でもない言い方をするが、ラッセルは、現代人の持ちうる最高の知識をその英知に総合しつつ、それをその「うれしくてぞくぞくする」式の言い方で語ることができるのである。しかもそれを哲学者らしく語る時でも、哲学式のロジックによるよりは、むしろわれわれの日常接している事実によって語ろうとつとめている。しかしそこにもラッセルらしい貴族的というか、殿様的というか、おっかぶせるように物をいう我がまま気味がある。ドイツ哲学式にロジックでおっかぶせるのではなく、イギリス式に事実でおっかぶせるのだが、殿様式のもののいいようでそれをいう。たとえば「原子爆弾の今の時代だと、若い者たちは、どうせ戦争で殺されるのだから、学問の勉強なんかつまらない、と考えるだろうし、若い女性は、いずれロシヤの兵隊に乱暴されて死ぬんだから面白おかしく暮そうと考えているだろうし、金持ちだって、どうせ不景気時代が来ればカラッケツになるんだから、賛沢三昧で暮せ、と思っている」とか、そんな言い方をする。それは、われわれの日常の会話の話しぶりで、誰れも彼もがそんなふうだというように聞えることを平気でいう。科学者であり、哲学者である彼が、科学的でも哲学的でもない、そんな言い方を平気でするところが、いかにもラッセルらしい。ラッセルの理論は、決してそんな独断に立っているのでないことは、彼の言葉の全体を聞けばすぐわかるし、どうしてそんな言い方をしなければならないかということも、納得出来る。人をして常識的にそういう言葉をいわしめる根拠は、今の世の中の客観的現実そのものに他ならないのである。
ラッセルを読むものは、事実を語る彼のおっかぶせるようないい方にとらわれないで、彼をしてそれをいわしめるものをつかまえなければならないのだが、誰れでも虚心に彼の言葉を聞けば、おのずとその客観性をつかむことができて、殿様式の言葉に納得がゆく。彼は貴族の家に生れて、我まま一杯に育ったので、若いころは血気にまかせて自分の行動や考え方に行き過ぎがあった、と老後にいっているが(松下注:これは、ラッセルが冗談で書いたものを、如是閑が文字通りにとって誤解したもの→長谷川如是閑「バートランド・ラッセルのこと」)、その老後の著書にも、殿様式のものの言い方はつづけられている。人間と社会にある大小さまざまの事実に対して、全く独自の見方と言い方をすることは、年とともに衰えないで、むしろますます盛んで、相も変らず厳しいことを、ほほ笑ましい言葉でいいつづけている。大は国家間の平和や闘争から、小は個人間の親しみやいがみ合いに至るまで、その論理を、ロジックで語らないで、生まの事実によって語る。哲学とは「観念」の学問ではなく、「現実」の学問である、というイギリス式の標本は、最もよくラッセルにおいて見られるといっても言いすぎではない。ラッセルの生活哲学によって代表されているイギリス式こそ、むしろ建国以来の日本文明のまことの姿を鏡の向こうに見せているようなものである。世界文明にふれた明治維新後の日本が、先ず米英文明を追いかけたのも、明治人がその現実を直観でつかんだおかげだった。明治十年代からの日本の軍部のドイツ化を手始めとして、日本国家全体のドイツ化は、この国民の直観に逆行した、日本の上層部の軍国主義化に伴った脱線で、大正、昭和の日本の指導層一般も、それに同調して観念主義の奴隷となったが、それにも拘らず国民の多数は、依然としてアングロ・サクソン文明を追いつづけて今日に及んでいる。それは、街の看板の外国語の悉くが英語であることを見てもわかる。私たち明治人は、その大正、昭和の日本のドイツ化時代にも、日本文明の進歩に具体的に貢献して来た商工社会の人々と同じく、アングロ・サクソン文明を追いつづけて来たので、戦後のアメリカ化も、大正昭和で中断された日本の歴史が正道にかえったので、他力による突変現象でも何でもない。ラッセルの紹介としては、いささか勝手な文句をいい過ぎたようだが、それもラッセルが読まれだしたような、今の日本の空気をうれしく思うあまりのごう(=外字)言である。(評論家)