非個人的思考の発達と密接に並行して,非個人的な感情の発達があるが,後者は少くとも前者と等しく重要であり,また,当然,等しく哲学的な物の見方から結果するはずである(ought to)。我々の諸感覚と同様,我々の欲求も本来自己中心的である。我々の欲求の自己中心的な性格は,我々(人間の)倫理に干渉する。他の問題と同じく,この問題においても,目標とすべきものは,生活に必要欠くべからざる動物的能力(資質)を完全になくすことではなくて,それに一層広汎かつ一般的な,個人的環境との結びつきの少いあるものを,付加するすることである。
Closely parallel to the development of impersonal thought there is the development of impersonal feeling, which is at least equally important and which ought equally to result from a philosophical outlook. Our desires, like our senses, are primarily self-centered. The egocentric character of our desires interferes with our ethics. In the one case, as in the other, what is to be aimed at is not a complete absence of the animal equipment that is necessary for life but the addition to it of something wider, more general, and less bound up with personal circumstances.
出典: Bertrand Russell: A Philosophy of Our Time (1953)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1026_PfOT-040.HTM
<寸言>
知識は広いが感情が狭い人間は少なくない。経済中心で倫理(社会的倫理及び個人倫理)の重要性を(短期的利益追求のために)過小評価する人が為政者に多くなるとその社会はひどくなる(権力者に対して「忖度」はしても、弱者に対する「思いやり」に欠けている)。世界的にみても(トランプ)、国内に限定してみても(安倍総理及びその追従者)、その傾向が顕著である。さらに悪いのは、そうであるにもかかわらず、道徳的であることを偽装していることである。