やや年上の少年少女は,常に(子供の)野心に対する非常に効果的な刺激であり続け,また,もし(年上の者が)親切であるならば,(その少し年上の者が)困難に打ち勝った最近の思い出に基づいて,大人よりもうまくいろいろな困難を説明することもできる。 私は,(幼児期ではなく)大学時代(注:ケンブリッジ大学)においてさえ,自分より2,3歳年上の先輩から多くのことを学んだが,それは,重々しく尊敬すべきお歴々(注:signors イタリア語のシニュールからきている)からは学ぶことができなかったものであった。
A slightly older boy or girl remains always a very effective stimulus to ambition, and, if kind, can explain difficulties better than an adult, from the recent recollection of overcoming them. Even at the university I learnt much from people a few years senior to me which I could not have learnt from grave and reverend signors.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2: Education of character, chap. 10: Importance of Other Children
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE10-030.HTM
<寸言>
自分より(知力や体力において)格段に優れた人からのほうが子どもは多くを学べるようでいて、実際は、自分より少し優っている年上の子どもからのほうが、かえって学べることが多いということ。もちろん、すぐに追い越せるので、追い越した後は、次なるお手本を見習い、追い越すことになる。
世界的に著名で優れた人の側近なら多くのことを見習えそうであるが、逆に、近すぎて全体がみえず、誤解する人間(側近)が少なくない。「豚に真珠」,「猫に小判」という諺があるごとく・・・。