我が子を苦労して育てたことのある人の心には,おそらく,人命を尊重する気持ちがあるであろう。わが子のことで苦労すればするほど,より強い親としての愛情が湧いてくるのである。こうした苦労を避けている親の場合,親の本能は多少とも萎縮してきて,ただ(親としての)責任感として残っているにすぎない。
Respect for human life is likely to exist in any one who has taken trouble over his or her own children. It is the trouble we take over our children that elicits the stronger forms of parental affection; in those who avoid this trouble the parental instinct becomes more or less atrophied, and remains only as a sense of responsibility.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2: Education of character, chap. 6: Constructiveness.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE06-050.HTM
<寸言>
親が子どもをうまく躾れば,自分を尊重してもらうためには他人も尊重する必要があることに気づく。しかし、我儘ほうだいに育つとその必要がないので他人を尊重する気持ちが育たない。
安倍総理はおじいちゃん(故・岸総理)に甘やかされて育ったので、同じ二世や三世議員(特に麻生総理のようにおじいちゃんのいる政治家)の気持ちはよくわかるが、一般庶民の気持ちなど、頭で理解しようとしても実感できないので、すぐに忘れてしまい(=健忘症)、180度考えを変えても「新しい判断」(or「新しい決断」)をしたと言えば、それで世間で通ると思っている。それを許している国民も馬鹿だが・・・。