バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 私のケンブリッジ大学時代における最大の幸福は,会員の間では,ザ・ソサエティ(学会)という名で知られていた -この会のことを知っている外部の人たちは,使徒(会)(The Apostles)と呼んでいた- ある団体に結びついていた。使徒会は,小規模の討論会(討論を目的としたグループ)であり,平均して毎年1,2名ずつ入会しており,毎週土曜夜に会合をもっていた。使徒会は1820年以来存在しており,創設以来,ケンブリッジ大学の人間で,何らかの分野において知性に優れている人は,ほとんど会員になっていた。・・・我々はあらゆる種類の事柄を論じあった。もちろん疑いもなく未熟さはあったが,(会を離れた)後にはほとんど不可能な公平さと興味をもって議論を行った。

The greatest happiness of my time at Cambridge was connected with a body whom its members knew as 'The Society', but which outsiders if they knew of it, called 'The Apostles'. This was a small discussion society, containing one or two people from each year on the average, which met every Saturday night. It has existed since 1820, and has had as members most of the people of any intellectual eminence who have been at Cambridge since then. ... We discussed all manner of things, no doubt with a certain immaturity, but with a detachment and interest scarcely possible in later life.
 出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 3:Cambridge, 1967.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB13-250.HTM

 <寸言>
 この後に次の文章が続いている。

 例会は通常いつも深夜1時頃に終わった。そうして,そのあと私はいつも,1人か2人の他の会員とともに,ネヴィルズ・コートの回廊を行ったりきたり,数時間歩いたものである。我々は,たぶん,自分自身に対しかなり厳格であったように思う。なぜならば'知的誠実'という徳性は,自分たちが保持すべきもの(守るべきもの)であると考えていたからである。疑いもなく我々はこの徳(性)を,世間平均以上に,成就しており,そうして私は,ケンブリッジ大学の最良の知牲は,この点において顕著であり続けたと考えたい。私は第2学年の中頃にこの会の会員に選ばれた。だが,そのような会が存在することは全然知らなかったが,会員は皆すでに私と親しい間柄にあった。