もしも、一週に一度、被雇用者が雇用者の鼻をつまむことを許されるか、他の方法で雇用者のことをどう思っているかを示すことを許されるならば、被雇用者の神経の緊張は緩和されるだろう。しかし、自分もまた心配ごとをかかえている雇用者にとっては、これでは事態は改善されない。被雇用者が解雇を恐れているように、雇用者は破産を恐れている。
If once a week employees were allowed to pull the employer's nose and otherwise indicate what they thought of him, the nervous tension for them would be relieved, but for the employer, who also has his troubles, this would not mend matters. What the fear of dismissal is to the employee, the fear of bankruptcy is to the employer.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.5: Fatigue
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA15-010.HTM
<寸言>
心配の絶えない世の中ということですね。
支配・管理する者とされる者。されるよりした方がよいということで,「自由」競争で椅子取りゲームをすることになります。
身分制社会は嫌ですが,自由競争社会(機会均等は半分は嘘・偽善)は強い者がより有利な社会ですので理想的な社会ではありません。
理想的な社会などないと開き直るのも安易です。
多くの思想家が自由について論じています。サルトルもラッセルも両者とも同じタイトル『自由への道』(フランス語と英語の違いはあり)を書いており,ラッセルのものは昔,角川文庫ででていました。,名著復刊事業で再刊(あるいは新訳出版)ということになればよいのですが・・・。