バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 財政的見地から言えばこれは喜ぶべきことであったが,テレグラフ・ハウスから離れることは苦痛であった。高原と森と四方八方に眺望のきく塔の中の自分の部屋を私はとても愛していた。私はテレグラフ・ハウスを40年以上も前から知っており,兄(所有)の時代に徐々に(増築されて)大きくなっていくのを見守った。テレグラフ・ハウスは,継続性というものを象徴していた。継続性は,仕事は別にすれば,自分の生涯を通して,自分が望んだよりもはるかに少なかった(注:4度の結婚,転居,その他いろいろ)。
Although, for financial reasons, I had to be glad to be rid of Telegraph House, the parting was painful. I loved the downs and the woods and my tower room with its views in all four directions. I had known the place for forty years or more, and had watched it grow in my brother's day. It represented continuity, of which, apart from work, my life has had far less than I could have wished.
 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 5: Later Years of Telegraph House, 1968
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB25-070.HTM

 <寸言>
 死んだ兄が残したものであり、ラッセルが愛着を持っていたテレグラフ・ハウスをやむなく売却。子供の養育に必要なために購入したコーンウォールの田舎の別荘(写真の家)も、離婚に際してドーラに譲ったために、以後、1955年(ラッセル83才の時)に(最後に結婚した)Edith Finch と暮らすために北ウェールズのプラス・ペンリンの自宅を購入して住むまで、定住場所をもたない(もてない)ことになり、ラッセルは死ぬまで波乱万丈の人生を歩むことになる。