哲学において,倫理的中立性はこれまでめったに追求されず、またほとんど達成されてこなかった。人々は自分たちの望みを思い出し,それと関連させて諸哲学(=哲学者たち)を評価してきた。善悪の観念が世界を理解する鍵を与えてくれるにちがいないという信念は,個別科学の世界から追い出されると,哲学に避難所を求めるようになった。しかし,この最後の避難所からさえも,もしいつまでも哲学が'心地よい夢の集合'であってはならないと考えるならば,この信念は追い出されなければならない。
In philosophy, hitherto, ethical neutrality has been seldom sought and hardly ever achieved. Men have remembered their wishes, and have judged philosophies in relation to their wishes. Driven from the particular sciences, the belief that the notions of good and evil must afford a key to the understanding of the world has sought a refuge in philosophy. But even from this last refuge, if philosophy is not to remain a set of pleasing dreams, this belief must be driven forth.
出典:Our Knowledge of the External World, 1914, chap. 1
詳細情報:http://russell-j.com/R601.HTM
<寸言>
哲学はいろんな意味で使われており,立場によってまったく違う容貌をもっています。ここでは,あくまでも「理論」哲学のことを言っており,人生観や世界観や通俗哲学(経営の哲学とか,あらゆるものに冠せられる◯◯の哲学)や社会哲学等は対象外です。
日本でも理論哲学は育ってきていると思われますが,巷でよく売れている哲学の本の大部分は,理論哲学というよりも,独仏の観念論や倫理哲学や社会哲学といったものが大部分です。日本の書店はそういった本であふれているために,多くの人が哲学に対して間違ったイメージを持ってしまっていると思われますが,いかがでしょうか? また,英語圏では分析哲学が主流で,特に英米では哲学と言ったら分析哲学のことを指し,大学の哲学の教科書の7割くらいが分析哲学関係のものだそうですが,日本の哲学者や哲学好きな読者はどれだけそういった事実をご存知でしょうか?