三浦俊彦による書評

★ ジョン・レスリー『世界の終焉』(松浦俊輔・訳、青土社)

* 出典:『論座』1999年2月号,pp.262-264.
* 「終末論法」を数学的に証明した倫理学書


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 「世紀末」だそうである。いや、もっと大きな終末、つまり「千年紀末」だそうである。コンピューター文明の大難関2000年問題ももう間近。冷戦は去ったとはいえ核保有国が増えて偶発核戦争の危険は逆に増し、原発事故の可能性も相変わらずで、放射性廃棄物の処理法も未解決。オゾンホールは拡大し続け、ダイオキシンと温暖化の脅威も去らず、熱帯林は破壊され続ける。男性の精子は減少し、遺伝子技術が次々に新しい病原体を作り出している。
 私たちが生きるこの20世紀末は、このようにかつてなかった多くの危険に満ちている。前世紀までは大隕石衝突のような何千万年に一度の災害か、「神の怒り」のようなフィクションでしか起こりえなかった人類絶滅が、史上初めて、科学的現実味を帯びてきたのだ。カナダの哲学者により96年に書かれた本書は、いま人類が直面する諸々の危険を活写し警告している。
 しかし本書の目的は、そうした「物理的危険」の検討にはとどまらず、人類が滅亡しそうだということを「数学的に」論証した〈終末論法〉を紹介することだ。人類滅亡近し、ということが「数学的に証明」できる? ばかな。そう思う人は、次の議論を吟味していただきたい。
 レスリーの喩え話から入ろう。大きな箱の中に、あなたの名前を書いたくじが一枚だけ入れられたとしよう。全部で何枚のくじが入っているかはわからない。さてあなたはくじを一枚ずつ引いてゆく。すると、三回目にあなたの名を書いたくじが出た。さて、箱の中には何枚くらいのくじが入れられていたのだろうか?
 何十万枚というくじが入っていたんだろう、と思う人はいないはずだ。なぜなら、「あなたの」くじが、何十万のうち三番目などという、異様に早い順番に引かれるというのは、確率的にありそうにないことだからである。せいぜい十枚程度のくじがあったのだろう、というのが健全な判断だ。
 同様の考察が、地球上に生きる「私たち」にもあてはまる。人類は今、さまざまな危険に直面しており、近く滅亡するか、危機を生き延びてあと何万年も繁栄するか、どちらかはわからない。ところで、20世紀は急激な人口増加の時代である。ここ五十年間で約二倍に増えている。およそ百万年前に人類が登場して以来、総人数のうち相当の数、10%程度が、西暦2000年付近に生きていると推定されるほどだという。ここでもし人類がさらに数十万年と繁栄し、銀河植民をし宇宙に生活の場を広げたりしたら、20世紀末に生きる私たちは、全人類のうち例外的に早い順番――最初の0.0001%などという――に属することになるだろう。くじ引きの場合で見たように、これは確率的にありそうにない。私たちの後に生きる人数が、私たちの前に生きていた人数よりも極端に多い、ということはないと考えるべきなのだ。よって、人類が長く存続する見込みは少ない。人口増加を考慮すると遅くとも22世紀くらいには滅亡して、「この私たち」が全人類中ありふれた順番に位置する具合になると予想される……。
 これが〈終末論法〉の大筋である。
 いかがだろうか。この論法、正しいと感じられるだろうか。「どこか変だ」「詭弁だ」と感じる人が大半ではなかろうか。たしかに終末論法は、原発事故の因果関係調査でもなければダイオキシンの毒性の計測とも関わりがない。物理的根拠に立った論ではなく、純粋に「論理的な」理屈なのである。そんな空虚な議論で、人類滅亡の見込みを評価できるなどとは信じがたい、と思われるのは当然だろう。正直なところ私も、終末論法にはどこか錯覚が含まれているのではと疑っている。
 しかし驚いたことに、この終末論法はそう簡単には論破できないのだ。著者は、終末論法に対して哲学者・数学者らが提出してきた反論を二十種類近くも列挙し、その一つ一つを潰してゆく。結局、終末論法の推論は論理的に正しいというのだ!
 ただしレスリーは、終末論法を「予言」として捉えているわけではない。終末論法をまじめに受け取れば、それまで思っていたよりも人類の危機がずっと深刻であるとわかるのだから、私たちはそれなりの覚悟をもって未来を切り開いていかねばならない、と論ずるのだ。それに関連して「人間の歴史を延ばすことは正しいのか」「善悪に客観的基準はあるか」といった根本的な問題も論じられており、二重三重に考えさせられる構成になっている。並の危機警告本をはるかに凌ぐ、知的実践の倫理学書と言えるだろう。
 ただし、一言苦情を申し立てずにはいられない。誤字誤植があまりにも多すぎるのだ。人類滅亡に間に合わせようと急いで翻訳・校正したのだろうか。終末論法が正しいとしても、人類が二・三年のうちに滅亡する可能性は小さいはずなのだから、もう少し丁寧な本作りをしてほしかった。それでも、訳文の質はともかく、人類全員に心から推薦したい本であることに変わりはない。それだけの内容を持った本である。

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