三浦俊彦による書評

★黒武洋『そして粛清の扉を』(新潮社、2001年刊)




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 第1回ホラーサスペンス大賞受賞作である。すでにあちこちで、高見広春の『バトル・ロワイアル』と比較して言及されている小説だ。
 銃とナイフで武装した四十五歳の女性高校教師が、担任クラスを一人で占拠し、生徒二十九人を人質にして警察やマスコミに次々に要求を出す。のみならず人質を次々に殺してゆく。人質の生徒はみな殺人や強盗を含む凶悪犯罪を犯しながら露見していないという前歴ある不良ばかり。女教師は彼ら彼女らの罪状を詳細なデータに基づいて糾弾しながら、証拠なしでは罰することのできない法律に代わり、粛清を行なってゆくのである。
 少年法や被害者感情といった社会問題を中軸に据えつつ、犯人の女教師の真意は何か、全員を殺すつもりなのかといったミステリー要素を強調して、まことに緊迫したストーリーに仕上がった。警察対マスコミの確執、人質の親たちの対立や迷いなど、現場を取り巻く外部の描写も手が込んでいる。どっぷりのめり込んで読める第一級エンタテイメントの条件を完全に満たした小説と言えよう。
 しかし、この「のめり込める」というところが逆にくせものだと私は感じた。読者の心を奪うことを至上目的とするホラー小説とかサスペンス小説とかの本質を、本書は極端な形で提示しているように思われたのである。「ホラーサスペンス」の肩書どおり、サスペンス――先の見えない宙吊り状態――が本書の魅力の中核なので、結末の一部を暗示的にであれ紹介することは読書の興を削ぐことにもなろう。娯楽のために『そして粛清の扉を』を読みたい人には、以下の拙評より先に本書をお読みになった方がよいかもしれないことをお断りしておこう。
 読み終えてはじめて、すなわち宙吊り状態から解放され我に返ってみてはじめて気づくことだが、本書の描く世界には、いろいろ不可解なところがある。例えば、人質たちの所業に関し、一人では調べようもない膨大なデータを犯人が所持していることから、当然共犯者が外部にいることが察せられるが、この共犯者が報道陣に紛れて教室に招き入れられ、犯人の要求と声明を世に伝える。しかし犯人に不審行動を見咎められて撃たれてしまう。そのあと犯人は何度か、人質の逆襲により首を絞められたり腕を切られたりあわやの危機に陥るが、倒れたままの共犯者は傍観。この人物が共犯者であることは最後になって明らかになるのだが、むろん警察やマスコミなど周りの人間に知られてはならないことながら、人質しか見ていない教室内で、命にかかわるきわどい芝居を共犯者どうしの間で演じつづける必要は全くなかったはずだろう。もし必要があるとしたら、読者に対して――すなわち、物語の緊迫度を増すため――に他ならない。ここに、サスペンス小説特有の便宜主義を見て取ることができるだろう。
 著者は、「虚構世界」を創ってその中の事件進行に読者を繋ぎ止めようとする。この「捕捉の論理」は、「虚構世界内の論理」と必ずしも一致しない。瞬間瞬間の読者サービスが最優先されるメカニズムのもとでは、必然的に全体としての虚構世界のリアリティが犠牲となる。ただホラーサスペンスの読者は、読書中の昂揚感を第一に求める場合がほとんどだから、虚構世界の細かい矛盾に気づいたとしてもその種のいわば必要悪については予め納得済みで、たいてい穏便に黙認することとなるようだ。
 私は本書への苦情を述べているのではない。サスペンスやミステリーに共通の特性を、本書も、というよりとりわけ本書は、鮮やかな形で具体化している、と言いたいのである。サスペンス小説は、自律的な世界を形作る「フィクション」というより、あくまで読者に対して働きかける「現実内の装置」だ、ということを本書はつくづく思い知らせるのだ。サスペンスの美学原理は、純文学や歴史小説の原理とはやはり別物のようである。
 巻末にホラーサスペンス大賞の選考委員による選評が掲載されている。その中で宮部みゆきはこう述べる。「わたしは、この作品の底に流れる〝無垢の被害者側からの報復は、どんな過激な形をとったとしても許されるのではないか〟という問いかけに、うなずくことはできません。……(加害者への報いと被害感情への補償とは)別の事柄だと思うのです。……わたしは、作者がこの境界線を踏み越えているように感じました」。
 犯人が加害者への報復の正当性を主張していることはたしかだ。しかし、それがそのまま本書のメッセージになっているわけではないだろう。犯人の声明はあくまで、読者に対して動機を固め、過激な暴力描写を納得させるように作用する、サスペンスという娯楽装置の部品ではなかったろうか。こうした微妙な「装置性」を、選考委員までがリアルな「論理(メッセージ)」として読むべく促されたのだとしたら、そして実際著者のストーリーテリングがそこまでサスペンスの便宜主義を忘れさせるのに成功しているとしたら、本書がそれだけ精妙高度な娯楽装置であった証しと言えるだろう。

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