(知の先端の18人) 三浦俊彦「ソール・クリプキ」)

* 出典:『大航海』1999年6月号 pp.132-137.

 ソール・クリプキ(Saul A. Kripke, 1940~ )
 クリプキの代表作(邦訳)
・『名指しと必然性』(八木沢敬・野家啓一共訳: 産業図書、1985年)
・『ウィトゲンシュタインのパラドクス』(黒崎宏訳: 産業図書、1983年)
・「話し手の指示と意味論的指示」(『現代思想』1995年4月号所収)


様相論理学と可能世界

 二十世紀の全哲学者について、その思想内容の深遠さを分子に、思想表現の難解さを分母にとったいわば「思想的価値係数」を算出したならば、ソール・クリプキはまず間違いなく、第一位かその近辺にくるのではなかろうか。少なくとも英語圏に限ってみると、クリプキの論説のわかりやすさは群を抜いている。文章が流麗なだけでなく、論証過程も定理の証明さながら整然とし、いかなる飛躍も、無用の比喩も気取りも含まない。まっすぐ本筋を論じながらいつしか群小の枝問まで有機的構図にまとめ上げてしまっている達人芸。高校生の時にアメリカ数学会で「様相論理学の完全性証明」を発表し数理論理学の世界的権威になって以来、このユダヤ系アメリカ人が必然性を、固有名を、同一性を論ずる筆致の美しさに比肩しうる文章を書く一流の哲学者は現存しない。クワインにしてもデイヴイドソンにしてもパトナムにしても、クリプキの隙のない論証に比べるとその論述は些か荒っぽい印象すら受ける。クリプキ級の名文家としてただひとり故バートランド・ラッセルの名が思い浮かぶが、あのノーベル文学賞受賞者ですら、『名指しと必然性』と同レベルの専門的諸論文においては、遥かに難解で曖昧にもとれる論述をしばしば余儀なくされていたものである。
 独創的知見を超明断に連発するクリプキの奇跡は、もちろんその天才もさることながら、ミル~フレーゲ~ラッセル~ストローソン~クワインと続いた先達の言語哲学的苦闘の蓄積によって初めて開花したものである。英語圏哲学に独特の論争的風土が、二十世紀後半、クリプキの登壇の頃にちょうど、本格的に熟してきていたのだとも言えよう。クリプキの哲学的展開は、少なくとも四期に分けることができる。第一期はいうまでもなく、「可能世界意味論」を提案して様相論理学に画期的進歩を導入した最初期だ。彼の解釈モデルは「クリプキ・モデル」と呼ばれ、今日どの教科書でも標準的な枠組みとして採用されている。
 「必然性」「可能性」の論理を扱う様相論理学は、命題の値を「真」「偽」に限定する標準論理学を拡張したものである。標準論理では、真でない命題は偽、偽でない命題は真だから、真偽の関係は単純な相互否定として容易に形式化できる。これに対し「必然性」「可能性」は曖昧な概念だ。クリプキの構想は、この捉えがたい必然性と可能性を、真と偽に還元しようというものである。現実世界の他に無数の「可能世界」を想定し、「必然的に真」とは「あらゆる可能世界で真」、「可能的に真」とは「ある可能世界で真」と定義する(ちなみに「不可能」とは「あらゆる可能世界で偽」、「偶然」とは「ある可能世界では真、別の可能世界では偽」)。人や建物や星のような個体の性質についても、同じような定義が適用される。富士山の偶然的性質とは、富士山がある可能世界で持ち、別の可能世界では持たないような性質。富士山の必然的性質(本質)とは、富士山が存在するあらゆる可能世界において富士山が持つ性質のことである。可能世界というパラメーターにより、必然、可能、本質などという伝統的形而上学の質的概念を量的な区分に置き換え、相互の関係を数理化してしまう戦略だ。
 可能世界を使うこうした真理論は、古くはライプニッツ、二十世紀前半にもカルナップらに見られるが、クリプキの新しさは、可能世界どうしの間に「到達関係」を設定したことである。世界Aにとって世界Bが可能世界であるならば、AからBに到達関係があるという。AからBに到達関係がある場合、必ずBからAにも到達関係があるのかどうか。世界Aから到達関係にある世界Bから到達関係にある世界Cは、必ずAから到達関係にあるかどうか。等々、到達関係の幾何学をどのように設定するかによって、様相論理学のどの定理が成り立ち、どの定理が成り立たないかが決まるのだ。次の文を考えてみよう。
 (1)「Pが必然的であることが可能ならば、Pは真である」
 (2)「赤いものが存在することが可能ならば、赤いことが可能であるものが存在する」
 このような文が正しいのか、そもそも何を意味しているのかについて、人間の言語的直観で同意に至ることは困難だろう。しかし可能世界モデルを使えば、(1)(2)がいかなる条件下で成り立つかがはっきりする。(1)が成り立つのは、可能世界の間の到達関係が対称的である場合。(2)が成り立つのは、現実世界に存在しない可能的対象がどの可能世界にも出現してこない場合だ。この種のいかに複雑な文であれ、クリプキ・モデルによって真理条件を突きとめられる。一見言語遊戯とも見紛う紛糾文の背後にも、それぞれ明確な意味があるものなのである。論理学体系の種類と形而上学的前提との対応がこうして明瞭化されることにより、曖昧な直観に頼っていた従来の禅問答的形而上学は、一挙に時代遅れとなってしまった。「哲学も進歩する」ということを、クリプキは鮮烈に立証してみせたのである。
 このような数理モデルはその性格上、いずれは誰かによって発見された必然の流れであったとも言えよう。事実、クリプキとほぼ同時期に北欧のS.カンガーやJ.ヒンテイッカにより、能世界モデル理論が独立に発表されている。クリプキの本当の哲学的独創性は、可能世界論の応用に踏み出した「第二期」に始まるだろう。可能世界を認識論理学の形式化に応用したヒンテイッカとは対照的にクリプキは、認識論と形而上学との関係を解明する方向に歩を進めた。二〇代前半で基本的構想を完成、七二年に公表した『名指しと必然性』がその結晶である。

 固有名と同一性基準

 絶大な影響力を持ったその論文でクリプキは、「認識論的必然=性」(アプリオリ性)と形而上学的必然性の区別」「固定指示子」「指示の因果説」などを提唱した。第一のテーゼは、「ヘスペラス(宵の明星)」と「フォスフォラス(暁の明星)」のような、別個の固有名で名指される対象の同一性にかかわる。私たちがヘスペラスとフォスフォラスが同一の惑星(金星)であると知ったのは、天文学上の発見ゆえであり、偶然であった。よって、ヘスペラスとフォスフォラスが同一であるのは必然的ではない。アプリオリ性と存在論的必然性を同視する立場からは、そのような結論が導かれるだろう。しかしクリプキによれば、宵の西天に輝く星と暁の東天に輝く星が「たまたま」同一であったということは、同一性そのものが偶然に成り立つということではない。同一性は、対象とそれ自身との関係であり、必然的に成り立つ。ヘスペラスとフォスフォラスが同一である以上、両者は必然的に同一なのである。同じ考えが「虎」「熱」「水」「痛み」等の一般種名辞にも適用される。熱が分子運動であるという「理論的同一性」は、発見されたのは偶然だったが、存在論的には必然的な真理なのである。
 このことを可能世界論で解釈したとき、第二のテーゼが生まれる。「ヘスペラス」「フォスフォラス」「金星」のような固有名は、固定指示子、つまりあらゆる可能世界で同一の対象を指し示す指示句だというのだ。いっぽう「宵に西天に輝く惑星」「暁に東天に輝く惑星」のような記述句は、それぞれの可能世界においてその字面の性質を満たす対象を、それが何であれ、柔軟に指し示す。金星が暁の東天に輝き火星が宵の西天に輝く可能世界では、「暁に東天に輝く惑星」は「宵に西天に輝く惑星」と同一ではないだろう。しかし固有名は記述句と違って、いかなる性質をも媒介せず「直接に」対象を指し続ける。ヘスペラスはいつどこで輝こうが輝くまいが、惑星だろうが恒星だろうが依然としてヘスペラスかつフォスフォラスなのである。可能世界ごとに別個の対象を指しうるのかどうかという相違によって、記述句と固有名とを区別できるというわけだ。
 しかしここで問題が生ずる。どの可能世界においても同じ対象を指す、という場合、世界Aの中のある対象と世界Bの中のある対象とが「同じ」とは一体どういうことか。性質とは無関係に指示対象が決まるのであれば、いかにそっくりでも同じ物とは限らなくなるし、逆に似ても似つかぬ物どうしが実は同じ物であるかもしれない。すると「同一性の基準」はどうなってまうのか(「貫世界同定」の問題)。クリプキの立場は明快で、基準などなくてかまわない、というものである。
 同一性の基準がなければならない、と考えるのは、可能世界というものを、現実世界とは別個の領域、あたかも望遠鏡で覗けるような別世界としてイメージするせいである。可能世界とはそのようなものではない。概念整理のため便宜的に設けられた、抽象的な原始概念にすぎないのだ。「もし伊藤博文が力士になり横綱になっていたら」という反実仮想を考える場合、ある可能世界にいるある横綱が(現実世界の初代総理大臣とは全然違う生涯を送ったとしても)伊藤博文その人であると「約定」することができる。伊藤博文と同一であるためには、「あの伊藤博文と同一だ」と決められさえすればよい。可能世界とは経験的に発見されるものではなく、理論的約定の産物であることを弁えれば、「貫世界同定」の難問は消滅するのである。
 可能世界論者の中には、創始者のこうした割り切った立場に満足しない者もいる。クリプキ・モデルでは、現実世界は定義上、可能世界の集合の一メンバーだった。可能世界が約定される抽象物だとしたら、現実世界も抽象物ということになるのか? 『名指しと必然性』はきっぱりとこう言いきる――「『現実世界』は、我々を取り巻く膨大な散乱した対象と混同されてはならない。後者もまた『現実世界』と呼ばれうるかもしれないが、それは我々が問題とする対象ではない」。しかし「我々を取り巻く膨大な」色・音・質量の塊こそが「現実世界」だと認めずして哲学することはできまい。そしてこの具体的環境が可能世界の一つだというなら、他の可能世界も当然、同種の具体的環境ということになりはしないか。こうした疑問から、デイヴイド・ルイスをはじめとする多くの哲学者が、「可能世界とは何か」という形而上学的問題をめぐって論争してきた。量子論の多世界解釈と結びつけて論じようとする哲学者さえいる。
 クリプキ自身は、可能世界の形而上学にはコミットしていない。代理戦争をしもじもに任せたといったふうの超然たる姿勢を貫いている(紛糾した根源的存在論に立ち入らず、効率的な概念分析に専念しているという点では、クリプキ哲学の「明断さ」も多少割り引いて評価する必要があるかもしれない)。
 ただ、意味論的な貫世界同定には悩まないクリプキとて、語用論的には、つまり指示句の実際の運用上は、同一性基準が求められることを痛感していた。可能世界の中の何かがあの伊藤博文と同一だ、と固定指示子で定めるためには、「あの伊藤博文」がどれなのか、現実世界で同定できなければならないからだ。たとえば私がいま「伊藤博文は公爵だった」と言って真実を表わすためには、私が使う固有名「伊藤博文」が、以前の他人の発話や文字から成る因果連鎖に沿ってリレーされてきたものでなければならない。この連鎖は教科書や教師の声や昔の新聞や人々を経て共同体の中を遡ったあげく、ある一人の赤ん坊に対し親が命名している現場へと至るだろう(はじめは「博文」ではなく「十吉」か何かだったろうが、以後何度か改名して「伊藤博文」に至る名前の形の変も物理的連続性が辿れる限り問題ない)。「熱」「水」のような一般種名辞の場合は、最初のサンプルとそこで作られた科学理論が、命名と同じ、連鎖の出発点の役割を果たす。いずれにせよ起源を同定基準とするこの理論が、第三のテーゼ「指示の因果説」だ。指示の因果説は、従来の科学論や言語理論、対象論をさまざな形で一新する。たとえば「シャーロック・ホームズ」のような虚構の固有名について、第一期クリプキは「現実世界には在しないが、ある諸可能世界に存在する探偵」を指示すると言っていた。が、素朴かつ常識的なその直観を第二期では撤回,「シャーロック・ホームズ」の指示対象は「いかなる可能世界も存在しない」と述べるようになる。「あれと同一」と約定すべき「あれ」が現実世界のどこにも存在しないため、貫世界同定の起点となる手掛かりが欠けているのである。記述句「コナン・ドイルの小説に描かれた通りの、シャーロック・ホームという名の探偵」の指示対象なら無数の可能世界に存在するろうが、固有名「シャーロック・ホームズ」の指示対象は、現実に存在しないばかりか、端的に「不可能」だというのだ。虚構や神話の人物とは、「丸い四角」のようなマイノング的不可能対象(意味論的不可能者〕とはまた別のレベルの不可能対象(語用論的不可能者?)だったことが帰結するのである。

 指示理論を超えて

 以上のクリプキ的指示理論は、固有名に表象的内容を認めるフレーゲ、固有名を量化子と記述束へと文脈的にパラフレーズするラッセルに代表される今世紀の正統理論(指示の記述説)への根本的な挑戦であると一般に考えられている。だが、『話し手の指示と意味論的指示』(一九七七)で固有名から記述句へ主題を移した第三期クリプキは、一転してラッセル記述理論を擁護する側にまわった。記述内容とは無関係に目当ての対象を直接指示する「確定記述句の指示的用法」を指摘したキース・ドネランが、固有名のみならず確定記述についてもラッセルは間違っていたと論じたのに対してクリプキは、ドネランは意味論と語用論を混同しており、意味論としてのラッセル理論への反論には成功していない、と再反論したのである。これは指示の因果説陣営の内部分裂でもなければクリプキの「転向」でもない。もともとクリプキは「意味論的多義性」を嫌う傾向にあった。第一期以来一貫してフレーゲー=ストローソン流の多元的真理論は一顧だにせずラッセル流二値付値を採用したのも、ピュアな意味論への嗜好をラッセルと共有していたからであろう。そういえばたしかにラッセルの「論理的固有名」論は、指示の因果説の一バージョンと言えないこともない。クリプキは、気質的にも理論的にも、世間で評価されるより遥かにラッセルに近しい位置に立っているのである。クリプキ哲学が提起した宿題は多い。たとえば、同姓同名にかかわる指示の不確定性が私には気にかかる。D氏が「伊藤博文は酒豪だ」と言ったとき、彼が誰のことを指示しているのか、 直ちには決められないかもしれない。彼の「伊藤博文」という一語は明治期の政治家を起源とする因果線上にあるのか、昭和まれのプロ棋士を起源とする因果線上にあるのか。D氏が両者について聞き知っている場合、同姓同名の事実は二つの名前認識に影響を及ぼしているはずだから、当の固有名の「因果線」は二つの起源へと分岐遡行すると言わねばなるまい。しか固定指示子の指示対象は一つのはずである。そこで「正しい果線」がどちらなのかを決める基準は、D氏がどちらのつもりで「決意」して発話したか、に求められる。よって「決意」の内容を決めるのは何か、を物理主義的に(行動主義的にであれ経理論的にであれ)解決する必要が生ずる。それが解決できなれば、指示が因果によって定義されるのではなく、逆に因果が指示によって定義されねばならないのではないか、という疑惑が生じてくるだろう。
 かくして、『名指しと必然性』でも取り扱われた「痛み」と同列の、決意その他の「心の諸状態」の同定基準が論じられねならない。『ウイトゲンシュタインのパラドックス』(一九八二)「私的言語」論、「他人の心」論に接近したクリプキ第四期の展開の必然性はここにあると思われる。ただし第四期クリプキの議論は、第三期までの物理主義的スタンスとはだいぷ異なっおり、それまでの豊穣な創見をどのように再体系化できるのかは、率直なとこである。そして、第五期となるべき最近のクリプキの哲学的活躍はあまり耳にしない。アメリカ哲学界でも別格の存在であり、ほとんどカリスマ視されているクリプキには、学界の過大な注目と期待がかかっており、なまじ並の論文を発表することが許されなくなっているがゆえの沈黙であるとの話も聞くが、本当のところはどうなのだろう。欧米の哲学者七十七人の肖像写真を収めた写真集 Philosophers (zekda cheatle, 1995)に登場するクリプキには、独特のオーラがある。他の哲学者たちがみな厳粛に澄ましている中、クリプキだけは例外的にリラックスして両手を腰に当て、コミカルな哄笑の表情をみせているのだ(もう一人破顔の例外はD.M.アームストロング)。そう、クリプキの魅力は「構え」にもある。彼はいつも論文に「これは理論ではなくいまだ見取り図である」「これは実質的な主張ではなく方法論上の議論にすぎない」といった留保を付ける。この慎重さが、この上なく大胆かつ迫真的な著述内容との間に、奇妙に矛盾した風味を醸し出すのだ。むろん他の哲学者たちは、クリプキの託宣を「実質的な」「理論」として迎え、熱い議論を戦わせることになる。クリプキの誠実ながら人を食ったようなこの「構え」が、これからも永く哲学的土俵の地平線を画し続けることだろう。(了)