三浦俊彦による書評

レナード・ムロディナウ『ユークリッドの窓』(NHK出版)

* 出典:『読売新聞』2003年7月27日掲載


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 直観に頼らない厳密な公理化。ユークリッドによるこの方法の発明は、人類最大の知的飛躍と言えるかもしれない。世界初の公理系が、算術でも論理学でもなく幾何学を扱ったのは歴史の偶然だろうが、続けてデカルトの座標幾何、ガウスの非ユークリッド幾何、アインシュタインの時空の幾何と、幾何学を辞書代わりに科学史を読みましょうという誘いは魅力的だ。
 素粒子標準理論に対立する「超ひも理論」を第五の飛躍と位置づける見方も面白い。確かにその「十一次元の物理」が正しければ、科学はますます幾何学語で語るべきものとなろう。
 ほどよい毒を帯びたユーモアも快調。ただ惜しいことに不正確な言葉遣いが散見される(例えば四十三頁のモンティ・ホール問題の説明は誤りです*注)が、学説紹介書ならぬ科学史入門書の面目を損なうほどではない。ヨーロッパの知による今日の世界制覇は、紀元前三世紀にすでに決まっていたんだな、としみじみ実感させる本だ。

注:「四十三頁のモンティ・ホール問題の説明」を引用しておきましょう。

  出場者はカーテンで隠された三つの台の前に立つ。ひとつの台には、車などの高価な品が隠されている。あとのふたつは残念賞だ。出場者が二番めの台を選んだとしよう。すると司会者は、残るふたつのうちどちらか一方のカーテンを開く。いま仮に三番めのカーテンを開いたとしよう。もし三番めが残念賞だったとすると、当たりは一番めの台か、競技者の選んだ二番めの台である。ここで司会者が出場者に、選択を変更するつもりはあるかと尋ねる。この場合なら、二番めから一番めに変えるわけである。あなたならどうするだろう? 直観的には、選択を変えようが変えまいが、チャンスに変わりはなさそうだ。情報量に変化がなければ、たしかにその通りである。しかしあなたは新たな情報を得ている。あなたがすでに選択を行っていることと、司会者がひとつのカーテンを開けたことだ。そして、すべての可能性を注意深く分析し、ベイズの定理という公式を用いると、選択を変更した方が当たる確率は大きくなることがわかるのである。数学という分野にはこんな例がたくさんある。直観は役に立たず、考え抜かれた論証だけが真実を明らかにするのだ。(引用終り)

  さて、この問題は、ユークリッドの創始した公理主義が、直観や実感を信じることをやめて、厳密な推論に人知をゆだねた結果、飛躍がもたらされたという史実をわかりやすく例証する具体例として使われています。つまり、ユークリッドの快挙を支持するきわめて重要な部分なのですね。そこで間違いを書いてしまっているのでは、本書にとってダメージ大きいと言わざるをえません。ほんとに良い本なのだが……。
 では、上の引用のどこが間違っているのか? つまりは、この問題の記述だと、「まさしく直観どおりに」選択を変えても変えなくても同じこと、ともに当たる確率は1/2になってしまうのです。困りましたね……。
 さてでは、なぜ1/2なのか? というより、著者が述べているとおり、「選択を変更した方が当たる確率は大きくなる」ようにするには、問題の記述はどのようでなければならなかったのでしょう? 考えてみてください。
 ――といっても、考えるのは面倒という人が大半でしょうから、答えだけ書いておきます。理由を考えてください。
 では答え――
 引用文中、Pの部分を、Qへと訂正すれば、「選択を変更した方が当たる確率は大きくなる」問題にすることができます。

★P すると司会者は、残るふたつのうちどちらか一方のカーテンを開く。いま仮に三番めのカーテンを開いたとしよう。もし三番めが残念賞だったとすると、

★Q すると司会者は、残るふたつのうち残念賞のある方のカーテンを開く。それが三番めのカーテンだとしよう。三番めが開かれて残念賞であることがわかるので、

 いかがですか? 違いはおわかりですよね。「ならば」と「なので」。論理的にきわめて大きな違いです。では、なぜ確率に違いが出るのか、理由をお考えください。ベイズの定理を使えば簡単ですが、律儀に場合分けをしても答えが出てきます。

 なお、ベイズの定理については拙論
 https://russell-j.com/miurat/guzen-u.htm
を、場合分けによる方法については拙著
 https://russell-j.com/miurat/paradox.htm
の041【3囚人問題】042【モンティ・ホール・ジレンマ】をご覧ください。

 要望があればですが、いずれ答えを全部書いてお目にかけますね。(こりゃパラドクス本の潜在的第3冊『心理パラドクス』の採用問題候補かな……)
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