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無料掲示板は一定の件数を越えると削除されていきます。そこで、古い書き込みは、電子掲示板の「過去ログ」としてここに掲載します。(新しい記事から古い記事の順番となっています。)
≠<1/2, 1/2>である」という情報は
測度Qでの表裏の確率を改訂するような情報ではありません。
一方で例えば
「表の方が出やすい」すなわち「P(表)>1/2である」という情報を得た場合や
「実はこの試行の前に1回投げていて、その時の結果は表だった」という情報を得た場合は
次に投げる(投げた)時の表裏のQでの(主観確率の)確率分布が一様分布でない分布になることは直観的にもわかるでしょう。
まさか「そのような場合も表、裏が一様分布になる」とか「確率分布は存在しない」とか言いませんよね?
(某掲示板で1度だけそういう主張を見たことがあるので若干心配ですが・・・)
一様でない分布になったということはつまり、一様分布から改訂されて別の分布になったということです。
具体的にどんな分布に改訂するのか計算する方法もあります。
そのような方法を認める(前提とする)なら、そもそもの話であった
何もわからない状態や「
≠<1/2, 1/2>である」ということだけわかった状態で
=<1/2,1/2>となる
ということも計算によって導出することができます。
ただし、この方法が適用できるのは
コインやサイコロのようにとり得る値の個数が有限個で、いくつなのか決まっている(分かっている)場合に限ります。
> かりに確率変数の値を無限個認めるとしたら、「一様分布ではないことだけは認めねばならない」ことになります。
> しかし、上と同じ理由で、「だからこそ一様分布」となるわけです。
コインの場合は一様分布であると導出できる方法があるので、Q(表),Q(裏)は一様分布だと認められるのです。
ただしその方法はとり得る値が無限個の場合では適用できず、そして無限個の場合に適用できて一様分布となるような方法は存在しません
(無限個が一様分布ということは原理的に不可能だから)。
従って
> 同じ理由で、「だからこそ一様分布」
とはならないのです。
いかなる設定でも
> わからない場合は「とりあえず」一様分布、とせざるをえません
とする根拠は何もありません。その方針が適用できるのは(根拠が有効なのは)
一様分布とできる設定だけなのです。
その方針・考え方は一様分布とすることができない設定(とり得る値が無限個の場合)においては何の参考にもなりません。
「わからないなら一様分布のはず」という考えに固執するのはやめましょう。
一様分布でない事前分布が存在するとしても何も問題ありません。
むしろ、本当の意味での未開封状態、つまり金額組無知状態の確率や期待値を考えるならば
事前確率分布が存在するという前提で考えなければなりませんから
「一様分布のはずなのに一様分布は不可能だから事前分布は存在しない」という考え方は、
未開封状態、すなわち金額組無知状態を考える上では不適切ということです。
Re: 2封筒問題について 投稿者:KOTA 投稿日:2015年 9月27日(日)10時57分58秒 返信・引用
> No.4163[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>その他情報ありましたら教えてください。
このようなサイトもあります。
http://westhawk.blog.fc2.com/blog-entry-67.html
二つの封筒問題について、ベイズの定理を用いて交換による利得の期待値を計算すると、
変更してもしなくても利得は変わらないと結んでいます。
Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月25日(金)01時19分31秒 返信・引用
> No.4162[元記事へ]
KOTAさんへのお返事です。
>
> 増減がかけ算の場合には期待値に相当するものは相乗平均で計算する、のようなことを述べていました。
> 太郎君の例の後半は厳密には未開封のパターンではないと思いますが、いずれにしても期待値の計算として相乗平均を持ち出している理由がわかりませんでした。
>
たしかにわかりませんねぇ。
後半の例は、まさに「金を先に与えてからコインを投げて倍額か半額」のバージョンですね。
これは文句なく交換するのが得ですが、相乗平均の期待値の計算では交換で増額平均ゼロでもいうのでしょうか。
増額25パーセントという理屈は覆せないはずですが……
あまりにも変ですから、
あるいは数学の人はそのあたり別のとらえ方をしてるんでしょうかね。2封筒問題の趣旨について。
まあ読んでみます。
その他情報ありましたら教えてください。
Re: 2封筒問題について 投稿者:KOTA 投稿日:2015年 9月24日(木)07時47分50秒 返信・引用
> No.4161[元記事へ]
φさんへのお返事です。
本屋で立ち読みしただけなのでうまく再現できないかもしれませんが以下のような話です。
太郎君が父親から2つの封筒を見せられ、
「一方の封筒には他方の封筒の倍のお金が入ってる。好きな方を取ってよい。」
と言われた。
太郎君は一方の封筒を開け、中から2千円を取り出した。
父親は、「今なら封筒を取り替えていいぞ。」と言った。
太郎君は期待値を計算し、25%増になると考えて封筒を交換した。
この段階で、父親は、また別の封筒を一つ取りだし、
「この封筒には、今お前が持っている未開封の封筒の中の金額の倍あるいは半額のお金が入っている。今なら交換してもいいぞ。」と言った。
太郎君は期待値を計算して25%増になると考えて封筒を交換した。
著者は、太郎君の計算が間違っているわけではないが、といいながらも、増減がかけ算の場合には期待値に相当するものは相乗平均で計算する、のようなことを述べていました。
太郎君の例の後半は厳密には未開封のパターンではないと思いますが、いずれにしても期待値の計算として相乗平均を持ち出している理由がわかりませんでした。
是非一度この本をお読みになっていただければと思います。
Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月24日(木)02時39分37秒 返信・引用
> No.4160[元記事へ]
KOTAさんへのお返事です。
>
> 交換によって倍になったり、1/2になったりするような場合は
> 期待値に相当するものは相乗平均(幾何平均)だそうです。
> 確かに相乗平均なら交換しても期待値?は変わらないですが。
>
それ、どういう文脈の話でしょう?
2封筒問題には関係ない話のように聞こえますが……
第1に、相加平均の期待値が開封バージョンと未開封バージョンで変わってしまうところが「パラドクス」とされるわけですから、相乗平均を持ち出してもパラドクスの解決には寄与しません。
第2に、現実の損得の問題に通用する「期待値」でないと使えないでしょう。たとえば、異論のないバージョンとして、まず金をもらい、
「そのまま取るか、それとも倍額or半額のコイン投げに挑戦するか」
といわれたなら、挑戦するのが得です。「相乗平均では損得なしだよ」といわれても、何度も続ければ差額が出るにきまってますから。……
↑これは「【交換によって】倍になったり、1/2になったりするような場合」の例ではないので、このバージョンの時は相加平均の期待値を使うんですかね?
ならば交換&開封バージョンとの違いを説明しなければなりません。
2封筒問題について 投稿者:KOTA 投稿日:2015年 9月23日(水)15時26分46秒 返信・引用
お世話になります。
2封筒問題の議論を楽しく見ています。
田中一之氏(東北大学大学院理学研究科数学専攻教授)の書いた
『チューリングと超(メタ)パズル』 東京大学出版会、2013年11月。ISBN 978-4-13-063901-9。
の165頁に2封筒問題が載っています。
未開封パターンも開封パターンも相乗平均で計算すれば交換の期待値は変わらないと書いてあります。
交換によって倍になったり、1/2になったりするような場合は
期待値に相当するものは相乗平均(幾何平均)だそうです。
確かに相乗平均なら交換しても期待値?は変わらないですが。
これって、正しいのでしょうか?
Re: もう十分でしょう 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月22日(火)03時06分31秒 返信・引用
> No.4157[元記事へ]
>φさんへのお返事です。
>
> 交換による増額率の期待値25%増という2封筒問題の構造は未開封から開封まで一貫して変わらないが、
> 交換前の金額が定まったことにより、未開封で増額の期待値ゼロだったのが開封で増額の期待値が増額率の期待値に一致する、ということになります。
>
ひとこと付け加えます。
期待値は、可能な試行すべての平均と言えるでしょう。(試行者は同一人物でなくてもよい)
すると、未開封バージョンでは、一方の封筒をとる人と他方の封筒をとる人が2人とも、〈可能な試行者〉となります。可能な試行は常にペアでなされるのです。
すると当然、交換のすべての可能的試行による増額の平均はゼロとなり、未開封バージョンの増額の期待値がゼロであることが証明できます。
他方、開封バージョンでは、一方の封筒をとる人と他方の封筒をとる人が2人とも可能な試行者となる、ということは不可能です。
なぜなら、その2人は開封して見る金額が必ず異なるからです。
開封してわかった金額を「データ」として尊重するのが開封バージョンですから、可能な試行者は、開封額を一定額に固定した場合の試行者のみから成るわけです。ペアの両者は同居できません。
換言すれば、可能的全試行者を同じゲームの可能的試行者に数えることはできないため、開封バージョンとは増額の平均値が異なります。
開封バージョンでは、可能的全試行者から、期待値計算に関与する試行者の偏った選択がなされたわけです。
どの額に固定されたとしても、その額での可能的試行者すべての平均は、交換によって25%増、となるはずです(確率分布に特別な条件を設けなければ)。
期待値は平均 30 完 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月21日(月)11時31分49秒 返信・引用
反論がないようですので、まとめて終らせていただきましょう。
「思考実験リアルゲーム」の第9章2封筒問題の誤りは、未開封のときに交換した場合としない場合の期待値が、3A/2となり同じだという計算にあります。
この計算は、少ない方の金額をAとした時の計算なので、交換の期待値を意味しません。
真実は、未開封のときも交換の期待値は、率、額ともに25%増しです。
どちらを取っても同じはずなのに、交換した方が25%増しだというのは変だと思う人は、交換しない場合も25%増しなので、双方を足すと50%増しとなり、双方を選択できるときの期待値になると考えれば理解しやすいのではないでしょうか。
そして、さらに大きな問題があります。
2封筒問題に「期待値」は使えないという問題です。
期待値というのは、その定義から、繰り返す場合に有効で、1回限りの事象には無効なのです。
真の2封筒問題の解決は、期待値を使えない、ということなのでした(^_^)
Re: もう十分でしょう 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月20日(日)17時45分3秒 返信・引用
> No.4156[元記事へ]
傍聴人さんへのお返事です。
>
> φさんの親切心には頭が下がりますが、もう終わりにしてはどうでしょうか。
> 要するに無視してください。
>
そうですね、そろそろ整理して、まともなコメントを待望しましょうか。
まず、
胴元がペアを選んだ時点で、総額が決定し、全可能世界は次の系列に整理されます。
(二種類のいずれかにプレイヤーがいる、という可能世界群の下位集合の集合です)
{(x1、x2)、(x2、x1)}
{(x2、x3)、(x3、x2)}
{(x3、x4)、(x4、x3)}
……
{(xi、xi+1)、(xi+1、xi)}
……
2封筒問題全体としてはもちろん総額は決まらないのですが、
胴元の決定はプレーヤーの選択より前なので、プレーヤーの選択の具体的場面に相対的に封筒ペアは決定しています。(総額が確定した可能世界群ペアの集合が2封筒問題の論理空間です)
だから、括弧付け替え計算主義者が持ち出した
{(x2、x3)、(x2、x1)}
一般に{(xi、xi+1)、(xi、xi-1)}
のような可能世界群のペアは具体的場面に対応していません。
どうしてもxi+1とxi-1を同居させたければ、
[{(xi-1、xi)、(xi、xi-1)}、{(xi、xi+1)、(xi+1、xi)}]
という形で考えることになります。
xi+1とxi-1との間の択一状況にはプレイヤーは決して置かれません。封筒内金額は常に対称的ですから。
言い換えれば、プレイヤーの選択によって、胴元がもともと違う総額を選んでいたような可能世界へ今さら移る可能性はないということですね。いま変化するのは「プレイヤーが大を選んだか、小を選んだか」であって、「胴元がいくらを選んだか」ではありません。
したがって、どの選択状況でも、交換による増額の期待値はゼロです。
次に、開封して1万円を見出すと、プレイヤーの居る可能世界群の範囲は当然狭まります。
どう狭まるかというと、段階を追って記すと、
{(x1、x2)、(x2、x1)}
{(x2、x3)、(x3、x2)}
{(x3、x4)、(x4、x3)}
……
というもともとの可能世界群の中から
{(5千、1万)、(1万、5千)}という可能世界群と
{(1万、2万)、(2万、1万)}という可能世界群だけが残り、
それ以外の可能世界群が脱落します。
しかも1万は第1項(交換前金額)とわかりましたから、残った2つの可能世界群の中の各2つ計4つの下位可能世界群から
(1万、5千)と(1万、2万)
だけが選び出されます。
直近の可能世界群が再編されたのです。
胴元が総額として3万を選んでいた事前確率と1万5千を選んでいた事前確率とは異なるかもしれませんが、全体の確率分布について何の手がかりもなかったので、そんな事前確率はもともと存在せず、この開封段階になって★初めて★その2つだけが候補だったことが判明し、1/2ずつが割り振られます。
↑なぜこれでよいかというと、「事前確率を決めるのは、決定可能な任意の時点でOK」だからです。
胴元が決める前の確率分布をベイズ計算に使わねばならない、と固執する人に対しては「いったいいつの?」と反問することができます。ビッグバンの瞬間のでしょうか?
いや、もちろん認識的に確率分布が決まった時のです。
確率分布が認識できるようになったのは、問題設定からして、開封した瞬間でしょう。その時に初めて事前確率兼事後確率が発生しました。
こうして、交換による増額の期待値は2500円です。
つまり、
交換による増額率の期待値25%増という2封筒問題の構造は未開封から開封まで一貫して変わらないが、
交換前の金額が定まったことにより、未開封で増額の期待値ゼロだったのが開封で増額の期待値が増額率の期待値に一致する、ということになります。
以上の論理にはTTTさんといえども反対できないでしょう。
もう十分でしょう 投稿者:傍聴人 投稿日:2015年 9月20日(日)12時25分0秒 返信・引用
> No.4154[元記事へ]
φさんへのお返事です。
こんにちは
世の中には、「仮定の話ができない人」がいます。
本人はいたって真面目なので、よけいに困るのですが。
このような人にいくらやさしく説いても時間の無駄です。
きりがありません。
最初は、奇天烈なボケとφさんの秀逸なツッコミのやりとりを楽しく見ていましたが、もう十分でしょう。
φさんの親切心には頭が下がりますが、もう終わりにしてはどうでしょうか。
要するに無視してください。
TTTさんが出番を待っていますよ。
書き込みのタイミングがつかめないので困っていると思います。
期待値は平均 29 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月20日(日)10時34分47秒 返信・引用
C→2C、2C→Cという定め方は、取った方がC、2Cと定まらないので交換の期待値が計算できません。
さらに、2封筒を両方開封するまで取った方がCか2Cか分らないという問題もあります。
この定義は、期待値としては適当ではなく、間違いのもとです。
> y → 2y と y → (1/2)*y と書くのは自由ですが、
> その場合は同時に 取らなかった方の金額をyと置いて
> 2y → y と (1/2)*y → y
>もぜひ採用してください。
> その書き方でも、増額率の期待値は25%増、増額の期待値はプラスマイナスゼロで、同じです。
2封筒のどちらを取っても、交換の期待値は25%増です。
これは率だけではなく、額においても25%増だということです。
率は25%増だけれども、額はプラスマイナスゼロだというのは矛盾ですよ。
2封筒問題では未開封のときも開封のときも、交換の期待値は、選択した方の25%増です。
これは、少ない方を基準にすれば50%増しであり、多い方を基準にすれば50%減であり、交換した方を基準にすれば増減なしです。
基準によって表現が変わるだけのことで、パラドックスもなにもありません。
未開封のときは、取った方の金額が分らないので、交換した方を基準に考えれば増減なしということになります。
Re: 期待値は平均 28 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月20日(日)05時02分57秒 返信・引用
> No.4153[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> じゃ取った方の金額をyとしましょう。
> C→2Cのときの期待値は、y → 2y
> 2C→Cのときの期待値は、y → (1/2)*y
>
> 「五分五分」ではないですよね。
>
増額率(の期待値)ならともかく、増額の絶対値(期待値)を求めるのに、変数をそのまま残してはいけませんよ。
何遍も繰り返しているのでそろそろ次の段階に進みたいのですが、
取った方の金額をyと置くことはできません。同じ文字には同時に同じ値しか代入できませんからね。
C→2Cのときと2C→Cのときではyの値に二倍の相違があるのですから。
Cと2Cをまとめて強引にyと書きたいなら書いてもいいですが、その場合は当然
y → 2y と y → (1/2)*y とでは、増額の絶対値はプラスマイナスゼロです。
(増額率の期待値は25%増ですけどね)
議論するほどのこともない理屈です。
y → 2y と y → (1/2)*y と書くのは自由ですが、
その場合は同時に 取らなかった方の金額をyと置いて
2y → y と (1/2)*y → y
もぜひ採用してください。
その書き方でも、増額率の期待値は25%増、増額の期待値はプラスマイナスゼロで、同じです。
>
> ちなみに、
> 期待値は、2y*(1/2)+(1/2)*y*(1/2)=(5/4)*y
> 増減は、(5/4)*y-y=(1/4)*y
>
> つまり、増減の期待値は25%増しになります。
>
↑ですからそれは増減のではなく増減率の期待値ですよ。
ちなみに、取ってない方をyと置けば、ハムさんの言う「増減の期待値」は25%減になってしまいます。
期待値は平均 28 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月19日(土)11時49分5秒 返信・引用
>(取った方、もう一方)が
>ア (C,2C)か(2C,C)かいずれか → 開封して1万円
> C=1万 または 2C=1万 つまり交換すれば獲得金額は
> 2C=2万円 または C=5千円
数学では、C×C=2C ですが、C=2C ですと? ( ̄Д ̄;)
その定義では、Cを使って期待値計算ができませんよ。
>未開封バージョンでは、 C→2C または 2C→C が五分五分ですから交換による増額の期待値はゼロ。
取った方が少ない場合と、取った方が多い場合で「五分五分」だとおっしゃっているのですか?
じゃ取った方の金額をyとしましょう。
C→2Cのときの期待値は、y → 2y
2C→Cのときの期待値は、y → (1/2)*y
「五分五分」ではないですよね。
ちなみに、
期待値は、2y*(1/2)+(1/2)*y*(1/2)=(5/4)*y
増減は、(5/4)*y-y=(1/4)*y
つまり、増減の期待値は25%増しになります。
Re: 期待値は平均 27 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月19日(土)03時46分8秒 返信・引用
> No.4151[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
> > 未開封では(取った方、もう一方)が(C,2C)か(2C,C)かいずれかですよ。(順序付きであることに注意)
>
> それは、(C,C/2)か(C/2,C)と定めることもでき、こう定めれば、Cは多い方の金額を意味します。
> (C,2C)と定めるということは、Cは少ない方の金額を意味するわけです。
>
> だから、少ない方をCと決めるのは、期待値計算としては適当ではないわけです。
> 先に、「3.期待値の計算間違い。」があると指摘したのは、この意味でした。
>
小さい方とか大きい方とかにこだわる理由が不明なので(Cが大だろうが小だろうが話は同じなので)、改めて整理しておきます。
(取った方、もう一方)が
ア (C,2C)か(2C,C)かいずれか → 開封して1万円
C=1万 または 2C=1万 つまり交換すれば獲得金額は
2C=2万円 または C=5千円
イ (C,C/2)か(C/2,C)かいずれか → 開封して1万円
C=1万 または C/2=1万 つまり交換すれば獲得金額は
C/2=5千円 または C=2万円
アとイは正確に同じことです。
>
> 少ない方をCと決めれば、期待値計算は、C*(1/2)+2C*(1/2)=C*(3/2) となりますので、少ない方Cの50%増しですね。
>
> 2封筒問題で、未開封のときに少ない方をCと定めたのならば、開封のときも少ない方を基準に期待値計算をしなければなりません。
>
すみませんが意味不明。
何度でも整理しますが、
未開封バージョンでは、 C→2C または 2C→C が五分五分ですから交換による増額の期待値はゼロ。
あるいは C/2→C または C→C/2 が五分五分ですから交換による増額の期待値はゼロ。
どちらの書き方をしても同じ。
開封バージョンでは、 1万→2万 または 1万→5千 が五分五分ですから交換による増額の期待値は25%。
「C=1万 または 2C=1万」「C/2=1万 または C=1万」どちらの書き方をしようが同じ。
期待値は平均 27 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月18日(金)11時52分47秒 返信・引用
> 未開封では(取った方、もう一方)が(C,2C)か(2C,C)かいずれかですよ。(順序付きであることに注意)
それは、(C,C/2)か(C/2,C)と定めることもでき、こう定めれば、Cは多い方の金額を意味します。
(C,2C)と定めるということは、Cは少ない方の金額を意味するわけです。
> 「少ない方の金額」は未知なのでそれを基準にしても意味ないでしょう。開封金額を基準にしなければ。
だから、少ない方をCと決めるのは、期待値計算としては適当ではないわけです。
先に、「3.期待値の計算間違い。」があると指摘したのは、この意味でした。
> いずれにせよ、
> 交換による増額率の期待値は未開封ver.開封ver.ともに25%増、
> 交換による増額の期待値は未開封でver.でゼロ%増、開封ver.で25%増、
> ですね。
少ない方をCと決めれば、期待値計算は、C*(1/2)+2C*(1/2)=C*(3/2) となりますので、少ない方Cの50%増しですね。
2封筒問題で、未開封のときに少ない方をCと定めたのならば、開封のときも少ない方を基準に期待値計算をしなければなりません。
Re: 期待値は平均 26 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月18日(金)03時09分23秒 返信・引用
> No.4149[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> それは、2封筒問題で「少ないほうの金額をCと定める」、ということですね。
> そうすると、
> 未開封のときの交換期待値は、(3/2)*C となりますね。
> 開封のときの交換期待値は、少ないほうの金額が10,000円のときは、(3/2)*10000 となりますね。
> 未開封と開封で何の差もないですね。
>
「少ないほうの金額が10,000円のとき」とは?
それが成り立つかどうかは両方開封するまでわかりませんね。
片方開封するだけですから、「少ないほうの金額」がいくらかなんてまだわかりません。
> > 開封してたとえば1万円発見すれば、新情報が加わりますから、問題が変わります。
> > ペアは(C,2C)か(2C,C)かいずれかでしたが、
> > (1万、2万)か(1万、5千)かいずれというふうに変化するでしょう。
>
> それは、「開封した方をCと定める」ことになります。
> 「少ないほうの金額をCと定める」ことと違いますよね。
>
え?
未開封では(取った方、もう一方)が(C,2C)か(2C,C)かいずれかですよ。(順序付きであることに注意)
開封して1万円ということは、C=2万 あるいは 2C=2万
「開封した方をCと定める」のではありません。未開封のときと同じく、開封金額はCまたは2Cのまま。それが2万と判明しただけです。
>
> 開封した方をCと定めれば、交換の期待値は、25%増しです。
> 少ないほうの金額をCと定めれば、交換の期待値は、(少ないほうの金額の)50%増しです。
>
「少ない方の金額」は未知なのでそれを基準にしても意味ないでしょう。開封金額を基準にしなければ。
いずれにせよ、
交換による増額率の期待値は未開封ver.開封ver.ともに25%増、
交換による増額の期待値は未開封でver.でゼロ%増、開封ver.で25%増、
ですね。
期待値は平均 26 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月17日(木)11時35分32秒 返信・引用
> 重要なのは、確率変数の値は二つしかないということです。
> 2封筒ゲームの仕組みからして、胴元が提供する金額は2種類だけですから当然です。
>
> だから、手もとの金額をCと置き、向こう側の封筒内の金額を2CまたはC/2とするような考えはダメということです。三つの未知数が登場してしまいますからね。
> 未知数は最大で二つ、それが確率変数の値になります。
それは、2封筒問題で「少ないほうの金額をCと定める」、ということですね。
そうすると、
未開封のときの交換期待値は、(3/2)*C となりますね。
開封のときの交換期待値は、少ないほうの金額が10,000円のときは、(3/2)*10000 となりますね。
未開封と開封で何の差もないですね。
> 開封してたとえば1万円発見すれば、新情報が加わりますから、問題が変わります。
> ペアは(C,2C)か(2C,C)かいずれかでしたが、
> (1万、2万)か(1万、5千)かいずれというふうに変化するでしょう。
それは、「開封した方をCと定める」ことになります。
「少ないほうの金額をCと定める」ことと違いますよね。
> 未開封バージョンの時と同じく、交換による増額率の期待値はプラス25パーセントで同じですが、
開封した方をCと定めれば、交換の期待値は、25%増しです。
少ないほうの金額をCと定めれば、交換の期待値は、(少ないほうの金額の)50%増しです。
基準点を変えれば、期待値が違うのはあたりまえのことですね。
Re: 期待値は平均 25 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月17日(木)03時30分12秒 返信・引用
> No.4147[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 交換して2Cになったときは、+C、交換してCになったときは、-C、だから増減はゼロだということですか?
> それならば、
> 交換して20,000円になったときは、+10,000円、交換して10,000円になったときは、-10,000円だから増減はゼロですね。
>
特定の値を入れてしまってはダメです。
未開封バージョンは、ペアになった二つがCと2Cだという関係構造しかわかっていません。
値がわかってしまってはゲームになりません。
重要なのは、確率変数の値は二つしかないということです。
2封筒ゲームの仕組みからして、胴元が提供する金額は2種類だけですから当然です。
だから、手もとの金額をCと置き、向こう側の封筒内の金額を2CまたはC/2とするような考えはダメということです。三つの未知数が登場してしまいますからね。
未知数は最大で二つ、それが確率変数の値になります。
>
> 未開封も開封も差がありません。
> パラドックスなど無いことになりますね。
>
開封してたとえば1万円発見すれば、新情報が加わりますから、問題が変わります。
ペアは(C,2C)か(2C,C)かいずれかでしたが、
(1万、2万)か(1万、5千)かいずれというふうに変化するでしょう。
当然です。ちなみに確率変数の値は2個のままです。
未開封バージョンの時と同じく、交換による増額率の期待値はプラス25パーセントで同じですが、
今度は元金の値が確定しているため、交換で得する場合と損する場合の元金に変化ありません。
よって、交換による増額の率だけでなく絶対値そのものの期待値がプラス25パーセントになるというわけです。
堂々たる期待値計算ですね。
期待値は平均 25 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月16日(水)12時41分1秒 返信・引用
> C、2Cいずれかを選んだプレイヤーの最初の金額は、交換して得をした場合は交換して損をした場合に比べ、もともと半分でした(当たり前ですね)。
> したがって、交換による増額率の期待値は+25%であるにもかかわらず、増額そのもの(絶対値)の期待値はゼロです。
交換して2Cになったときは、+C、交換してCになったときは、-C、だから増減はゼロだということですか?
それならば、
交換して20,000円になったときは、+10,000円、交換して10,000円になったときは、-10,000円だから増減はゼロですね。
未開封も開封も差がありません。
パラドックスなど無いことになりますね。
いずれにしろ、この計算は期待値ではありませんよ。
Re: 期待値は平均 24 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月16日(水)03時07分42秒 返信・引用
> No.4145[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 未開封バージョンでも、プレーヤーが選んだ封筒をAと決めれば、増額の期待値が25%増になることは、容易にお分かりになるはずです。
> あとは、「未知数の25%増」をどのように解釈するかという問題になります。
>
Aと勝手に決めても確率変数ですからね。値は二通りあります。
A=C、A=2Cの二通り。
合計金額3Cは胴元が知っていてもはや変化しませんから、
C、2Cいずれかを選んだプレイヤーの最初の金額は、交換して得をした場合は交換して損をした場合に比べ、もともと半分でした(当たり前ですね)。
したがって、交換による増額率の期待値は+25%であるにもかかわらず、増額そのもの(絶対値)の期待値はゼロです。
この部分は簡単な算数なので、議論には値しないでしょう。(問題設定を変えない限り)
学界でも議論の焦点となるのはもっぱら開封バージョンとの関係です。
増額率だけでなく増額の期待値も+25%になるのは開封バージョンなので。
期待値は平均 24 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月15日(火)11時42分40秒 返信・引用
>見えない中味金額をA円、B円と名づけ、先ほどAさんはA円の封筒を、BさんはB円の封筒を選んだが、さて、あなたがいま選んだ封筒はどちらでしょう。
この主催者はプレーヤーが選んだ封筒を知っているのですよね。
だから、交換した時の期待値は、プレーヤーが選んでいない方です。
そもそも、A,Bと名前を付けるのであれば、意味のあるつけ方をすべきです。
プレーヤーが選んだ封筒をAと決めても同じことですよね。
だから、交換の期待値はBです。
そして、A,Bを選ぶときの期待値は、(A+B)/2です。
こういう差が明らかになるようにA,Bを決めるべきです。
>未開封バージョンでは交換すると→ 増額率の期待値25%、増額の期待値ゼロ%(ゼロ円)。
> 開封バージョンでは交換すると→ 増額率の期待値25%、増額の期待値も25%。
>……というのがとりあえず正解ですね。
未開封バージョンでも、プレーヤーが選んだ封筒をAと決めれば、増額の期待値が25%増になることは、容易にお分かりになるはずです。
あとは、「未知数の25%増」をどのように解釈するかという問題になります。
Re: 期待値は平均 23 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月15日(火)02時28分3秒 返信・引用
> No.4143[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> > なんだかすっかりデタラメになってきちゃいましたね。
>
> 自分がA円かB円を選択して、交換するときの期待値は、自分がA円を持っている時はB円、B円を持っている時はA円に決っています。
>
一貫して未開封バージョンの話をしていますからお忘れなく。
↓ 9月12日(土)05時22分38秒
>
>見えない中味金額をA円、B円と名づけ、先ほどAさんはA円の封筒を、BさんはB円の封筒を選んだが、さて、あなたがいま選んだ封筒はどちらでしょう。
>
↑ http://8044.teacup.com/miurat/bbs/4137
未開封バージョンでは交換すると→ 増額率の期待値25%、増額の期待値ゼロ%(ゼロ円)。
開封バージョンでは交換すると→ 増額率の期待値25%、増額の期待値も25%。
……というのがとりあえず正解ですね。
期待値は平均 23 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月14日(月)11時27分2秒 返信・引用
> 「地球が自転を止める」とは、月に特定の面を向け続けるダンベル状態のことですか。
地球が自転を止めるころには、月は地球から離れていますので、地球の衛星ではなくなっているかもしれませんね。
ハム> 交換した時の期待値は、AかBのどちらか、でしょう。
ハム>(A+B)/2、と明らかに違いますよね。
> なんだかすっかりデタラメになってきちゃいましたね。
自分がA円かB円を選択して、交換するときの期待値は、自分がA円を持っている時はB円、B円を持っている時はA円に決っています。
> 各プレイヤーは一度限りですが、胴元は多くのプレイヤーに接していくとします。
これは主語が胴元なので、2封筒問題とは違う問題です。
多くのプレーヤーに2封筒問題をやらせるのならば、繰り返す場合と同様に期待値計算ができますよ。
Re: 期待値は平均 22 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月14日(月)04時00分30秒 返信・引用
> No.4141[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>
> 各プレイヤーは一度限りですが、胴元は多くのプレイヤーに接していくとします。
> 未開封バージョンで、プレイヤーが交換して獲得金額何%増になったかを胴元が記録していくとしましょう。
> 回数が増えれば増えるほど、平均はゼロパーセントに近づいていくはずです。
> それが各プレイヤー(各人一回限り)にとっての、交換の期待値です。
>
↑いま書いていて気付いたんですが、
差額の期待値とパーセントの期待値を混同気味でうっかりしていました。
増額そのものでなく増額率の期待値を計算すると、
数が増えれば増えるほど、平均はゼロパーセントではなく、プラス25パーセントに近づいていきますよね。
差額はゼロに近づきますが。(回数増とともに高額が出現してくるからゼロに近づかない、という人もいるでしょうが、能率的に常に2人のプレイヤーで交換ゲームをやれば絶対値は関係ないことがわかります)
未開封バージョンでも、交換による「増額率」の期待値は25%ですね。
ただし損得には反映しませんが。
Re: 期待値は平均 22 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月14日(月)03時32分53秒 返信・引用
> No.4140[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 地球も遠い将来、自転を止めますが、その時の動きは月と同じです。
> その時は、天文学会も進歩して、(自転のない)公転をしている、と解釈してほしいものです。
> そうしないと、私のようなオッカムの剃刀信者が苦しむことになります(^_^)
>
「地球が自転を止める」とは、月に特定の面を向け続けるダンベル状態のことですか。
その場合も、地球と月は現在と同じく共通重心の周りを公転しあうことになりますが、そのとき、〈地球と月から成るダンベル〉は自転していることになるでしょうね。ダンベルは自転しながら太陽の周りを公転するというわけです。
>
> 交換した時の期待値は、AかBのどちらか、でしょう。
> (A+B)/2、と明らかに違いますよね。
>
なんだかすっかりデタラメになってきちゃいましたね。
サイコロの出目の期待値も、1か2か3か4か5か6のどれか、というわけですか。
>
> 混乱するのがイヤなので、ちょっと整理させていただきます。
> 問題は3つあります。
>
整理するも何も、「期待値」の語義を無視した状態で整理はできませんよね。
ちなみに、
各プレイヤーは一度限りですが、胴元は多くのプレイヤーに接していくとします。
未開封バージョンで、プレイヤーが交換して獲得金額何%増になったかを胴元が記録していくとしましょう。
回数が増えれば増えるほど、平均はゼロパーセントに近づいていくはずです。
それが各プレイヤー(各人一回限り)にとっての、交換の期待値です。
期待値は平均 22 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月13日(日)09時30分26秒 返信・引用
> まあそうです。
> あと、自転軸がない場合は自転してないでしょう。地球の周りをまわる人工衛星の多くはそうかも。適当に動いていて規則的な回転の軸や方向が設定できないようなものは。
地球も遠い将来、自転を止めますが、その時の動きは月と同じです。
その時は、天文学会も進歩して、(自転のない)公転をしている、と解釈してほしいものです。
そうしないと、私のようなオッカムの剃刀信者が苦しむことになります(^_^)
> さて、どちらを選択しても「25%増」になるのか。
> (今手にしているのを手放して最初の選択に戻せばトイレ後のファイナルアンサーを覆したことになり一種の交換だし、ファイナルアンサーにとどまれば最初の選択から交換したことになる)
期待値の計算をすれば「25%増」になります。
「未知数の25%増」の解釈の問題ですね。
> A、Bのどちらを選んだかわからないため、期待値は(A+B)/2、交換した時の期待値も(A+B)/2 で、交換による増額の期待値は厳密にゼロです。
交換した時の期待値は、AかBのどちらか、でしょう。
(A+B)/2、と明らかに違いますよね。
混乱するのがイヤなので、ちょっと整理させていただきます。
問題は3つあります。
1.期待値は1回限りに使えない。
2.「A、Bを選択」と「A、Bを交換」は、同じではない。
3.期待値の計算間違い。
Re: 期待値は平均 21 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月13日(日)02時43分7秒 返信・引用
> No.4138[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> メリーゴーランドの馬は、自転のない公転をしている、というのは了解されるのですよね。
>
まあそうです。
あと、自転軸がない場合は自転してないでしょう。地球の周りをまわる人工衛星の多くはそうかも。適当に動いていて規則的な回転の軸や方向が設定できないようなものは。
>
> 常に選択した未開封の封筒の25%増ですから、どんどん増えるわけではありません。
>
一度選択したあと、トイレに行って、戻ってから再び封筒を手に取ったとします。
観察者に「さっきと違うのだね」と指摘されました。
同じ封筒だと勘違いして、別のを取ってしまったのです。
「どっちを選択したことにするのか、自分で決めていいよ」と言われました。
さて、どちらを選択しても「25%増」になるのか。
(今手にしているのを手放して最初の選択に戻せばトイレ後のファイナルアンサーを覆したことになり一種の交換だし、ファイナルアンサーにとどまれば最初の選択から交換したことになる)
>
> って、A円、B円のどちらかを選ぶ時の期待値は、A円、B円のどちらかを選んでから交換するときの期待値と違うのは明らかでしょう。
>
A、Bのどちらを選んだかわからないため、期待値は(A+B)/2、交換した時の期待値も(A+B)/2 で、交換による増額の期待値は厳密にゼロです。
>
> 誰にとっても、1兆円の確率1/5を目指して、1億円を賭けるようなことをするなということです。
>
そういう賭けをしてきたから文明が進歩してきたのでしょうけれどね。
期待値は平均 21 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月12日(土)18時50分47秒 返信・引用
> それは、公転と同期している場合は自転していないと定義する、と決めただけじゃないでしょうかね
メリーゴーランドの馬は、自転のない公転をしている、というのは了解されるのですよね。
> 専門外もいいところなので深入りしませんが。
実際に計測する必要などないのですよ。
思考実験で分ります。
> 常に交換した方が25%増なら、ぐるぐる回していけばどんどん増えていきますね。
常に選択した未開封の封筒の25%増ですから、どんどん増えるわけではありません。
> もっと抽象的には、
> 見えない中味金額をA円、B円と名づけ、先ほどAさんはA円の封筒を、BさんはB円の封筒を選んだが、さて、あなたがいま選んだ封筒はどちらでしょう。と問うても同じです。
この問題は、A円、B円のどちらを選んだか分りませんが、2封筒問題はA円、B円のどちらかを選んでいますから、同質ではないでしょう。
> どういう計算方法か教えていただけますか。
って、A円、B円のどちらかを選ぶ時の期待値は、A円、B円のどちらかを選んでから交換するときの期待値と違うのは明らかでしょう。
> ハムさんにとって1億円を1万日間使える身分は、1億円単独の効用の4倍未満の効用しかないというだけの話ですね。
誰にとっても、1兆円の確率1/5を目指して、1億円を賭けるようなことをするなということです。
Re: 期待値は平均 20 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月12日(土)05時22分38秒 返信・引用
> No.4136[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 月の1点に加速度計と速度計を置いて計測すれば、その数値は公転中一定ですが、観覧車のゴンドラの動きのときは、その数値が変化することは容易に分かります。
> これは、月が自転をしていないことを示す思考実験になります。
>
それは、公転と同期している場合は自転していないと定義する、と決めただけじゃないでしょうかね。
実際は、中心も半径も違うのだから同期していても別の回転ですよね。
あと、速度計や加速度計の商品説明をいくつかウェブで見たところ、回転運動の検出には適さないようなことが書いてありましたよ。重力によって攪乱されるからだそうです。
あくまで自転軸を基準とする運動を対象として、自転軸からの異なる隔たりにおける線速度を測るべきでしょう。
専門外もいいところなので深入りしませんが。
>
> 期待値の計算をすれば、常に交換した方が25%増しです。
> 永遠と増えていくことはありません。
>
常に交換した方が25%増なら、ぐるぐる回していけばどんどん増えていきますね。
>
> 2封筒問題をそのように置き換えることが間違いです。
> 選んだ封筒を交換するか否かという問題は、「プレーヤーA、Bのどちらが自分かわからない」という問題と同質ではありません。
>
同質です。
見分けの付かない封筒のうち一つをプレーヤーにいったん選ばせてから退室させ、
その部屋に別の2人A、Bを入れ、それぞれ別のを選ばせて持ってこさせ、「どちらがあなたと同じ選択をしたでしょう?」とプレーヤーに聞けばいいです。
自分はA、Bいずれかと同じなのだが、どちらかわかりません。
もっと抽象的には、
見えない中味金額をA円、B円と名づけ、先ほどAさんはA円の封筒を、BさんはB円の封筒を選んだが、さて、あなたがいま選んだ封筒はどちらでしょう。と問うても同じです。
>
> さらに、「プレーヤーA、Bのどちらが自分かわからない」場合の期待値の計算方法の問題があります。
> 期待値ではない計算をしていませんか?
>
どういう計算方法か教えていただけますか。
>
> ま、1億円よりも1兆円の方がいいに決っていますが、確率が4/5より1/5を選ばせるほどではないということでしょう。
>
ハムさんにとって1億円を1万日間使える身分は、1億円単独の効用の4倍未満の効用しかないというだけの話ですね。
期待値は平均 20 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月11日(金)12時10分2秒 返信・引用
> まあとにかく、公転の影響をいくつ持ち出しても自転の影響を否定はできないでしょう。
>
> 自転軸に沿って北極から中心を経て南極まで時計を並べ、赤道に沿って時計を並べ、それらの進み方を比べれば、公転による影響から自転による影響を分離して観測できるのではないですかね。
> まあ専門外だから深入りしませんが。
月の1点に加速度計と速度計を置いて計測すれば、その数値は公転中一定ですが、観覧車のゴンドラの動きのときは、その数値が変化することは容易に分かります。
これは、月が自転をしていないことを示す思考実験になります。
> いっぺん封筒を取ってから、開封せずに交換してください。そのとき、またもう一度交換するとまた25%増しになりますか?
> 延々と交換するとどんどん期待値が増していくなんてことは不可能ですよね。
期待値の計算をすれば、常に交換した方が25%増しです。
永遠と増えていくことはありません。
> 別々の封筒を取ったプレーヤーA、Bのどちらが自分かわからない、という状態が2封筒問題です。
> 自分がA、Bどちらであれ、期待値は2人の平均であり、交換しても同じことです。
2封筒問題をそのように置き換えることが間違いです。
選んだ封筒を交換するか否かという問題は、「プレーヤーA、Bのどちらが自分かわからない」という問題と同質ではありません。
さらに、「プレーヤーA、Bのどちらが自分かわからない」場合の期待値の計算方法の問題があります。
期待値ではない計算をしていませんか?
> 一度に1億円得たら堕落する人は多そうですが、1兆円だと堕落する必要もないでしょうね。
ネット情報ですが、当選金額の高い海外の宝くじ当選者は、毎日パーティー三昧、豪遊しまくり、気が付けば借金三昧というケースは多いそうですよ。
ま、1億円よりも1兆円の方がいいに決っていますが、確率が4/5より1/5を選ばせるほどではないということでしょう。
Re: 期待値は平均 19 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月11日(金)02時30分21秒 返信・引用
> No.4133[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
まあとにかく、公転の影響をいくつ持ち出しても自転の影響を否定はできないでしょう。
自転軸に沿って北極から中心を経て南極まで時計を並べ、赤道に沿って時計を並べ、それらの進み方を比べれば、公転による影響から自転による影響を分離して観測できるのではないですかね。
まあ専門外だから深入りしませんが。
>
> 未開封でも交換の期待値は、選択した封筒の25%増しですよ。
> だから、開封した場合と差がなく、パラドックスなどないのです。
>
未開封で交換して25%増しという話はもうとっくに済んでいるはずですけど。
いっぺん封筒を取ってから、開封せずに交換してください。そのとき、またもう一度交換するとまた25%増しになりますか?
延々と交換するとどんどん期待値が増していくなんてことは不可能ですよね。
別々の封筒を取ったプレーヤーA、Bのどちらが自分かわからない、という状態が2封筒問題です。
自分がA、Bどちらであれ、期待値は2人の平均であり、交換しても同じことです。
開封して対称性が破れると、その理屈が成り立たなくなる。
それだけの話です。
>
> 文化によって堕落も違うのでしょうが、1兆円もらっても堕落しない人というのは、ちょっと考えにくいですね。
> 仕事を止めて遊びほうけ、遊びにも飽きて相場でもやれば、たちまち破産してしまうでしょう。
> そうならないように、寄付など慈善事業に使うのがよさそうです。
>
一度に1億円得たら堕落する人は多そうですが、1兆円だと堕落する必要もないでしょうね。
そもそも一個人が一兆円持って相場をやる必要など感じないでしょう。つまり破産するのはかなり難しいですよ。
損得という感情を超越して、すごく性格良くなるんじゃないでしょうか。
期待値は平均 19 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月10日(木)14時36分21秒 返信・引用
> 月の赤道上空に静止衛星を置いて、直下に受信点があるとすれば、特殊相対性理論により、横ドップラー効果というのが予測されるらしいですよ。それも自転の証拠。
その横ドップラー効果は、公転中に変化しませんから、自転していないことを裏付けますね。
観覧車のゴンドラの動きのときは、横ドップラー効果は、公転中に変化しますので、自転を裏付けることになるでしょうね。
>未開封で交換の期待値ゼロだったのが、開封で交換の期待値25%はなぜか、という問題です。それでパズルとしては十分です。
未開封でも交換の期待値は、選択した封筒の25%増しですよ。
だから、開封した場合と差がなく、パラドックスなどないのです。
期待値というのは、繰り返す場合に有効なので、2封筒問題に適用できないのです。
それを無理やり適用するから、パラドックスモドキにもなるわけです。
> 「堕落」というのは怪しい概念ですね。
> べつに堕落してもいいのではありませんか。
> 信仰者から見れば、神に祈りを捧げない私はかなり堕落した人間でしょうが、べつにどうってことありません。私から見れば信仰にうつつを抜かしている人々こそ堕落していますし。
文化によって堕落も違うのでしょうが、1兆円もらっても堕落しない人というのは、ちょっと考えにくいですね。
仕事を止めて遊びほうけ、遊びにも飽きて相場でもやれば、たちまち破産してしまうでしょう。
そうならないように、寄付など慈善事業に使うのがよさそうです。
Re: 期待値は平均 18 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月10日(木)03時11分40秒 返信・引用
> No.4130[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 扁平は公転や地球の引力などの影響もうけるので、月の場合は自転の証拠にはなりませんし、コリオリの力も公転で働きますから、自転の証拠にはなりませんよ。
>
それはまた乱暴な意見ですね笑
複数の原因があるからといって、どんぶり勘定で個々の原因を消すことができはしませんよ。
自転と公転では中心も傾きも半径も違うので、遠心力やコリオリの力の現われは大いに異なるのではないでしょうか。
考えられる異種の影響をすべて合わせて、その差し引き総計の予測値を観測値と比べれば、一要因としてたしかに自転が働いている、と確認できることでしょう。
>
> ということは、観覧車のゴンドラのような動きが、自転していない月の動きだとおっしゃるわけですね。
> その場合、地球の引力に対して自転していることになりますよ。
>
地球の引力に対して自転? 自転とは軸の周りの動きのことですよね?
月の赤道上空に静止衛星を置いて、直下に受信点があるとすれば、特殊相対性理論により、横ドップラー効果というのが予測されるらしいですよ。それも自転の証拠。
さらには、
一般相対性理論により、月の低緯度地点にある時計の方が高緯度地点にある時計より進みが遅いことが実験で示されるはず。それも自転の証拠。
お好みなら、公転による相対論的効果も加えて計算してください。
公転が影響するからといって、自転の影響を無視したりすると、計算値と観測値とが決して合わないでしょう。
遠心力による扁平、コリオリの力、諸々の相対論的効果、その他、すべて総合すると「月が自転している」は否定できないんじゃないですかねえ。
>
> 2封筒問題の文脈なのですから、2封筒問題の「期待値」の話のはずです。
>
2封筒問題は、眠り姫問題にわざわざ姫を冠する等と同じく、印象深くするために損得の選択の設定になっていますが、
本質は効用ではなく金額の期待値の問題です。プレイヤーの欲望は関係ありません。
未開封で交換の期待値ゼロだったのが、開封で交換の期待値25%はなぜか、という問題です。それでパズルとしては十分です。
>
> 1兆円当った人は、働かなくなるので、労働の喜びが得られませんね。きっと堕落した人生を送ることでしょう。
>
「堕落」というのは怪しい概念ですね。
べつに堕落してもいいのではありませんか。
信仰者から見れば、神に祈りを捧げない私はかなり堕落した人間でしょうが、べつにどうってことありません。私から見れば信仰にうつつを抜かしている人々こそ堕落していますし。
期待値は平均 18 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 9日(水)13時06分53秒 返信・引用
> 扁平がある以上、無視できないでしょう。遠心力は働いていると言うべきでしょう。地球より自転が遅いのだから影響も小さいのは当たり前です。値が小さいから無視するというのは乱暴です。
> 月面上でジャイロスコープがコリオリの力を検出しなくなったとき、それが自転していない状態でしょうから、そのとき月が地球からどう見えるかをやはり計算すればいいのではないですかね。
扁平は公転や地球の引力などの影響もうけるので、月の場合は自転の証拠にはなりませんし、コリオリの力も公転で働きますから、自転の証拠にはなりませんよ。
> 宇宙空間にとどまる物体Aから月をたとえぱ北極側から見た場合、月の公転とは別にはっきり一回転が観測できるはずです。
> 月の公転とは月全体の位置の移動であり、
> 月の自転とは月の向きの変化です。
> Aから、月の公転を自動追尾する望遠鏡で北極を見た場合、見た人は、単に自転しているものと認識するでしょう。
> 自動追尾望遠鏡で見て自転しているように見えなければ、月は自転していないといえるのではないでしょうかね。よくわかりませんが。
ということは、観覧車のゴンドラのような動きが、自転していない月の動きだとおっしゃるわけですね。
その場合、地球の引力に対して自転していることになりますよ。
> 何の期待値かが問題ですね。
> たとえば庶民にとって、百兆円と千兆円とで十倍の差があるというのは、金銭欲の問題においては意味を為しませんね。
> 欲望や選好を問題にする文脈であれば、金額ではなく効用の期待値で論じるべきです。
> もちろん金額の期待値を論じる文脈もあるでしょうが。
2封筒問題の文脈なのですから、2封筒問題の「期待値」の話のはずです。
1億円が4/5のクジと1兆円が1/5のクジの話は、1回限りのときは期待値で選択しないということですね。
> 現実的な話をするならば、1億円を得て人はほんとに幸福になりますかね?
> 1億円というのは、郊外にちょっと広い土地プラス家を買おうと思ったら足りないくらいの額であり、使い方をあれこれ悩まねばならない額であって、むしろ煩わされて不幸になるんじゃないですかね?
> 1兆円ならまあ幸福になれるでしょう。毎日1億円無駄に使って百日ほど過ごして、だまされたとわかったとしても痛くもかゆくもないし。余裕しゃくしゃく、おおらかな人生を過ごせるでしょう。
> さらに一万倍の1京円あれば、個人の力で国際関係や地球環境を変えることができますね。
> まあ、1億円じゃ使い方が難しすぎて、よほど賢くないと以前より幸福になれはしませんよ。
それも分りませんよ。
1兆円当った人は、働かなくなるので、労働の喜びが得られませんね。きっと堕落した人生を送ることでしょう。
1億円ならば、郊外に小さな家を買って、労働にいそしみ、幸せな人生を送ることでしょう(^_^)
まあ、当らないより1億円当った方が幸せであることは確かでしょう。
そういう幸せな人を多く生み出す「1億円が4/5のクジ」を勧めるべきですね。
その方が恨まれることも少ないですしね。
Re: 期待値は平均 17 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 9日(水)06時33分22秒 返信・引用
> No.4127[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 緯度秤動は、月が1点を一定方向へ向けていることで説明できます。
> 扁平率も、月は地球の約1/3なので、無自転説に有利です。
> 月の動きは、自転を想定しなくても説明できるのです。
>
扁平がある以上、無視できないでしょう。遠心力は働いていると言うべきでしょう。地球より自転が遅いのだから影響も小さいのは当たり前です。値が小さいから無視するというのは乱暴です。
私は専門外なのでこのへんは調べてほしいですが、
宇宙空間にとどまる物体Aから月をたとえぱ北極側から見た場合、月の公転とは別にはっきり一回転が観測できるはずです。
月の公転とは月全体の位置の移動であり、
月の自転とは月の向きの変化です。
Aから、月の公転を自動追尾する望遠鏡で北極を見た場合、見た人は、単に自転しているものと認識するでしょう。
自動追尾望遠鏡で見て自転しているように見えなければ、月は自転していないといえるのではないでしょうかね。よくわかりませんが。
>
> なによりも、自転派は、月が自転を止めたときの動きを説明できないのが致命的ですね(^_^)
>
その動きは上記のとおりです。地球から見たときどう見えるかは計算してください。
あと、
月面上でジャイロスコープがコリオリの力を検出しなくなったとき、それが自転していない状態でしょうから、そのとき月が地球からどう見えるかをやはり計算すればいいのではないですかね。
これも私の専門外でかなりいい加減な意見かもしれないですから、調べてほしいですが。
>
> 期待値というのは、定義の決っている言葉です。
> その定義以外の意味で「期待値」というのは、それだけで間違っていることになりますよ。
>
何の期待値かが問題ですね。
たとえば庶民にとって、百兆円と千兆円とで十倍の差があるというのは、金銭欲の問題においては意味を為しませんね。
欲望や選好を問題にする文脈であれば、金額ではなく効用の期待値で論じるべきです。
もちろん金額の期待値を論じる文脈もあるでしょうが。
>
> そのクジの効果だけでいえば、1億円が4/5のクジのほうが1兆円が1/5のクジよりも最大多数の最大幸福だといえますよね。
>
現実的な話をするならば、1億円を得て人はほんとに幸福になりますかね?
1億円というのは、郊外にちょっと広い土地プラス家を買おうと思ったら足りないくらいの額であり、使い方をあれこれ悩まねばならない額であって、むしろ煩わされて不幸になるんじゃないですかね?
1兆円ならまあ幸福になれるでしょう。毎日1億円無駄に使って百日ほど過ごして、だまされたとわかったとしても痛くもかゆくもないし。余裕しゃくしゃく、おおらかな人生を過ごせるでしょう。
さらに一万倍の1京円あれば、個人の力で国際関係や地球環境を変えることができますね。
まあ、1億円じゃ使い方が難しすぎて、よほど賢くないと以前より幸福になれはしませんよ。
期待値は平均 17 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 8日(火)12時29分13秒 返信・引用
> 経度秤動だけでなく、緯度秤動も説明しなければなりませんし、なにより月の扁平の原因となっている遠心力も説明しなければなりません。
> これらすべてを〈個別に〉理屈づけることはできても、それではオッカムの剃刀に合格しません。
> 〈統一的に〉説明するには、月が自転していると考えるべきなのでしょう。
緯度秤動は、月が1点を一定方向へ向けていることで説明できます。
扁平率も、月は地球の約1/3なので、無自転説に有利です。
月の動きは、自転を想定しなくても説明できるのです。
ならば、余計な自転を排除するのが、「オッカムの剃刀」として正しいですよね。
なによりも、自転派は、月が自転を止めたときの動きを説明できないのが致命的ですね(^_^)
> 金額は効用に対応しますから、効用の期待値を考慮しているということです。
> 期待値を考慮しないとすれば、「当たらなければ無意味」という考慮だけとなるはずです。
期待値というのは、定義の決っている言葉です。
その定義以外の意味で「期待値」というのは、それだけで間違っていることになりますよ。
> 4人が一億円もらっても大したことはできませんが、一人でも一兆円を得たとき、その購買力が経済を活性化する可能性があります。財産は天下のめぐりものですからね。
> 金の代わりに、食料などで置き換えればわかりやすいでしょう。
> 四億より一兆の方がめぐりめぐってより多くに幸をもたらすことは目に見えています。
経済効果ならば、どちらがいいかは一概にいえません。
貧富の差の少ない日本のほうが、少数の大金持ちのいる産油国よりいいですしね。
そのクジの効果だけでいえば、1億円が4/5のクジのほうが1兆円が1/5のクジよりも最大多数の最大幸福だといえますよね。
Re: 期待値は平均 16 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 8日(火)06時19分24秒 返信・引用
> No.4124[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 秤動は、月が1点を一定方向へ向けていることと、公転面が楕円であることで説明できます。
>
経度秤動だけでなく、緯度秤動も説明しなければなりませんし、なにより月の扁平の原因となっている遠心力も説明しなければなりません。
四十億年にわたる自転軸の変化も含め、
これらすべてを〈個別に〉理屈づけることはできても、それではオッカムの剃刀に合格しません。
〈統一的に〉説明するには、月が自転していると考えるべきなのでしょう。
これは文学者に聞いてほしいですが、月の公転による遠心力と自転による遠心力は働き方がたぶん異なるはずです。月の扁平の原因は自転でしょう。
>
> 1回限りのときは、期待値ではなく、確率と金額を考慮しているわけです。
>
金額は効用に対応しますから、効用の期待値を考慮しているということです。
期待値を考慮しないとすれば、「当たらなければ無意味」という考慮だけとなるはずです。
>
> 1億円の確率が4/5のクジを勧めれば、4人を幸せにして、1人しか不幸にしませんが、
> 1兆円の確率が1/5のクジを勧めれば、1人しか幸せにならずに4人が不幸になります。
>
> 最大多数の最大幸福を目指すのが正しいのではないでしょうか。
>
4人が一億円もらっても大したことはできませんが、一人でも一兆円を得たとき、その購買力が経済を活性化する可能性があります。財産は天下のめぐりものですからね。
金の代わりに、食料などで置き換えればわかりやすいでしょう。
四億より一兆の方がめぐりめぐってより多くに幸をもたらすことは目に見えています。
期待値は平均 16 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 7日(月)16時24分40秒 返信・引用
> 月の自転軸は中にちゃんとあるでしょう。北極と南極もあるし。
> 月の自転軸は40億年でかなり傾きが変わったようで、だから昔は地球に違う面を見せていたようです。
> あと、秤動がありますね。
> 月の公転と自転は必ずしも同じスピードで同期してはいないため、そのズレが経度秤動となって観測されます。
> というような何やかんやを統一的に説明するには、月の自転の存在を認めないと無理でしょう。現象を個別に説明していたのでは、オッカムの剃刀に反してしまいます。
秤動は、月が1点を一定方向へ向けていることと、公転面が楕円であることで説明できます。
自転している派は、月が自転を止めたときに、どういう動きをするのか説明できないのではないですか?
それは、月が自転していないからです(^_^)
> 1回限りのときにも有効だからこそ、1億円60%、1兆円40%の賭けでハムさんは後者に賭ける気になるわけです。
> 1回限りでは期待値が無意味というのが本当なら、確率だけに従って選択するはずですからね。1億円51%、1兆円49%の賭けでも前者を選ぶはずですからね
1回限りのときは、期待値ではなく、確率と金額を考慮しているわけです。
1億円60%、1兆円40%のとき、私ならば後者を選ぶでしょうが、もちろん前者を選んでも良いと思います。
1億円の確率が4/5のクジを勧めれば、4人を幸せにして、1人しか不幸にしませんが、
1兆円の確率が1/5のクジを勧めれば、1人しか幸せにならずに4人が不幸になります。
最大多数の最大幸福を目指すのが正しいのではないでしょうか。
Re: 期待値は平均 15 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 7日(月)04時58分33秒 返信・引用
> No.4122[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 回転軸が物体の中にあれば、自転ですが、外にあれば公転です。
> メリーゴーランドの馬は、回転軸が馬の外にあるので、自転ではなく公転しているわけです。
> 月も同様です。
>
月の自転軸は中にちゃんとあるでしょう。北極と南極もあるし。
月の自転軸は40億年でかなり傾きが変わったようで、だから昔は地球に違う面を見せていたようです。
あと、秤動がありますね。
月の公転と自転は必ずしも同じスピードで同期してはいないため、そのズレが経度秤動となって観測されます。
というような何やかんやを統一的に説明するには、月の自転の存在を認めないと無理でしょう。現象を個別に説明していたのでは、オッカムの剃刀に反してしまいます。
>
> 経験上、4/10の割合というのは、5/10と大差がないと感じられるのです。3/10は明らかに差があると感じます。
> 統計学的にいうと、偏差の範囲ということでしょうか。
> 確率を重視しているということです。
>
いずれにしても、「一度限りのギャンブルでは期待値は無意味」というのは誤りでしたね。
>
> 期待値というのは繰り返す場合に有効なのです。
>
1回限りのときにも有効だからこそ、1億円60%、1兆円40%の賭けでハムさんは後者に賭ける気になるわけです。
1回限りでは期待値が無意味というのが本当なら、確率だけに従って選択するはずですからね。1億円51%、1兆円49%の賭けでも前者を選ぶはずですからね。
期待値は平均 15 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 6日(日)10時09分37秒 返信・引用
> 自転していると言うべきでしょうね。
> メリーゴーランドの馬の位置をずらして中心に近づけてみてください。
> 中心に位置したとき、ぐるぐる自転しているはずです。
> もし自転していなかったなら、中心に近づけても同じ方向を向いたままでしょう。
回転軸が物体の中にあれば、自転ですが、外にあれば公転です。
メリーゴーランドの馬は、回転軸が馬の外にあるので、自転ではなく公転しているわけです。
月も同様です。
> 6対4ならBを選ぶということは、ハムさんは実は期待値主義者だということですね。
> ハムさんには、1兆円が1億円の6/4以上7/3未満の効用を持つと感じられているということです。
経験上、4/10の割合というのは、5/10と大差がないと感じられるのです。3/10は明らかに差があると感じます。
統計学的にいうと、偏差の範囲ということでしょうか。
確率を重視しているということです。
> 私は8/2以上はあると思いますけれどね。
> 「1兆円が当たる確率2割」と「1億円が外れる確率2割」なら、ためらいなく前者を選びます。2割という確率はともに無視できませんからね。
本当によ~く考えていただきたいのです。
1億円をもらえる確率が4/5ですよ。これは普通、1億円もらえますよね。
その1億円を捨てて、1兆円の確率が1/5のクジを引くことが正しいとお思いですか?
まさに期待値の誤用ですよ。
期待値というのは繰り返す場合に有効なのです。
Re: 期待値は平均 14 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 6日(日)04時38分40秒 返信・引用
> No.4120[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> メリーゴーランドの馬は、自転していませんよね。月の運動は、メリーゴーランドの馬の運動と同じで、ただの公転なのです。それを、自転と公転の周期が同じだなどと余計なことだと思うのですがね。
>
自転していると言うべきでしょうね。
メリーゴーランドの馬の位置をずらして中心に近づけてみてください。
中心に位置したとき、ぐるぐる自転しているはずです。
もし自転していなかったなら、中心に近づけても同じ方向を向いたままでしょう。
>
> 5対5ならばB,6対4でもBですかね。7対3ならAを選びます。
>
それは変ですね。
一度限りの場合期待値が「無意味」というハムさんですから、6対4でも断乎Aを選ぶはずですが。
6対4ならBを選ぶということは、ハムさんは実は期待値主義者だということですね。
ハムさんには、1兆円が1億円の6/4以上7/3未満の効用を持つと感じられているということです。
(繰り返しますが、社会構造と人間心理は金額に比例した効用をもたらす仕組みになっていないので、金額でなく効用に期待値を適用すべき)
私は8/2以上はあると思いますけれどね。
「1兆円が当たる確率2割」と「1億円が外れる確率2割」なら、ためらいなく前者を選びます。2割という確率はともに無視できませんからね。
期待値は平均 14 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 5日(土)16時12分50秒 返信・引用
>「自転」という概念を天文学から消去できるなら話は別ですが、月に限っての説明ですから、「自転していない」が仮説の節約になっているとは言えません。
> 公転一週につき別の一回転をしていることは事実ですから、それを自転と呼ぶのは自然でしょう。
>「自転していない」というのはどんな動きをしていることになるのか曖昧なので、いずれにしても「自転と公転がいっしょなんですよ」と付け加える必要が出てしまいます。
メリーゴーランドの馬は、自転していませんよね。月の運動は、メリーゴーランドの馬の運動と同じで、ただの公転なのです。それを、自転と公転の周期が同じだなどと余計なことだと思うのですがね。
> 生涯にただ一度、次のようなくじを引きます。
>
> 選択肢A 1億円ゲット8本、1万円ゲット2本から成るくじ を1回1本だけ引く。
> 選択肢B 1万円ゲット8本、1兆円ゲット2本から成るくじ を1回1本だけ引く。
>
> どちらを選びますか?
> 私はBですが、ハムさんはAですよね。
> 8対2でなく、6対4でもAを選ぶのですよね? 期待値は無意味なのだから。
> これもアンケートをとってみるといいと思います。
> Aを選んで1万円になってしまった人は後悔するでしょうねえ。そういう後悔の可能性を承知しつつAを選ぶ人は、よほど度胸のある人だと思います。
Aはほぼ確実に1億円ゲットできるのに、その1億円を捨てて、ほぼ1万円が確実なBを選ぶ人というのはバクチ打ちでしょうか。おそらく、多くの人はAを選ぶと思いますよ。
Aを選んで1万円になったとしても、Bを選べばよかったとは思いませんね。
Bの方が夢がありますが、「生涯にただ一度」ならば堅実なAを選びます。
5対5ならばB,6対4でもBですかね。7対3ならAを選びます。
堅実に生きろ、バクチをするな、というのは倫理道徳としても正しいですよね(^_^)
Re: 期待値は平均 13 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 5日(土)04時21分31秒 返信・引用
> No.4118[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 「オッカムの剃刀」で考えるならば、月は自転していないと考えるべきです。月の運動を説明するのに、月は「(自転せず)公転している」といえばよく、「自転周期と公転周期が同じだ」という説明よりも楽です。
>
「自転」という概念を天文学から消去できるなら話は別ですが、月に限っての説明ですから、「自転していない」が仮説の節約になっているとは言えません。
公転一週につき別の一回転をしていることは事実ですから、それを自転と呼ぶのは自然でしょう。
「自転していない」というのはどんな動きをしていることになるのか曖昧なので、いずれにしても「自転と公転がいっしょなんですよ」と付け加える必要が出てしまいます。
>
> 正しさには、論理的な正しさと、倫理や道徳、常識的な正しさがあると思うわけです。
> 2封筒問題は期待値の御用だというのは、統計学的には正しい。
> さらに、実例などから常識的にも正しいことになるわけです。
>
期待値に倫理はさしあたり無関係です。
しかも、倫理というよりギャンブル嫌い(安定志向)のバイアスが合理的思考を曇らせるということがあるでしょう。
前回考えた諸可能性3つに、一つ付け加えておきましょう。
1回限りのギャンブルでは……
◆期待値は合理的決定にとって無意味。
◆人々は合理的でなくなることが多い。
◆人々の想像力に限界があって効用を正しく思い描けない。
★安定志向(未来予想の確実性志向)が現状維持へのバイアスをもたらす。(確率1の選択肢の方を過剰に好んでしまう)
そこで次のように設定を変えたらどうでしょう。一方の選択肢を、「1億円ゲットの確率1」ではなく、たとえば「1億円ゲットの確率8割」に変更するのです。
生涯にただ一度、次のようなくじを引きます。
選択肢A 1億円ゲット8本、1万円ゲット2本から成るくじ を1回1本だけ引く。
選択肢B 1万円ゲット8本、1兆円ゲット2本から成るくじ を1回1本だけ引く。
どちらを選びますか?
私はBですが、ハムさんはAですよね。
8対2でなく、6対4でもAを選ぶのですよね? 期待値は無意味なのだから。
これもアンケートをとってみるといいと思います。
Aを選んで1万円になってしまった人は後悔するでしょうねえ。そういう後悔の可能性を承知しつつAを選ぶ人は、よほど度胸のある人だと思います。
期待値は平均 13 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 4日(金)14時27分54秒 返信・引用
> 月の自転が現象として見えない理由と同じく、波の収縮が現象として見える理由は、量子力学と整合的な解釈としてはただ一つに決まります。
> 合意がないのは、もっぱら物理学者が「オッカムの剃刀」の真義を理解していないからでしょう。
「オッカムの剃刀」で考えるならば、月は自転していないと考えるべきです。月の運動を説明するのに、月は「(自転せず)公転している」といえばよく、「自転周期と公転周期が同じだ」という説明よりも楽です。
いずれにしろ、多世界解釈同様に、ただの説明に過ぎません。
説明ならば、ことさら合意が必要ではないということでしょうね。
> ですから、1兆円を狙う人もけっこういますって。
> 1億円でいいという人は、日常生活の惰性に囚われすぎて合理的思考のできなくなっている人でしょう。
> プレイヤーが全員、「自分は1回限り」と思って期待値を無視したら、胴元は笑いが止まりません。
多くの人は、一生をかけて家やマンションを買うのですよ。
その家を、確率1/2で1万円札にしてしまうような賭けをする必要がないのですよ。
失えば、二度とその家は買えないのですからね。
一般にギャンブルは、悪いことだとされているのはご存知ですよね。
> 「期待値という考えがない」からといって、期待値が選択において無意味であることにはなりません。
> 前者は経験的心理学、後者は規範的経済学ですから。
> 現実に人々が期待値計算に反した選択をするからといって、それが正しいとは限らないのです。
> 現実の行動傾向が常に正しいなら、差別や紛争を無くそうとする試みは無根拠ということになります。
正しさには、論理的な正しさと、倫理や道徳、常識的な正しさがあると思うわけです。
2封筒問題は期待値の御用だというのは、統計学的には正しい。
さらに、実例などから常識的にも正しいことになるわけです。
Re: 期待値は平均 12 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 3日(木)19時34分37秒 返信・引用
> No.4116[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 月の自転などは、以前は自転していない派が多かったようですが、現在では自転していると解釈が定まったようですね。
> こういう定まり方をしていないのが量子力学の解釈問題で、物理学会等で解釈の合意があるわけではないですよね。
>
月の自転が現象として見えない理由と同じく、波の収縮が現象として見える理由は、量子力学と整合的な解釈としてはただ一つに決まります。
合意がないのは、もっぱら物理学者が「オッカムの剃刀」の真義を理解していないからでしょう。
>
> 2封筒問題1万倍バージョンで、1万円を得た人が交換し、1億円を得た人は交換しないのは、期待値に従っていないからです。
>
ですから、1兆円を狙う人もけっこういますって。
ハムさんがそうしないとすれば、「1兆円の効用」をちゃんと想像できていないからではないでしょうか。
考えてもみましょう。
1億円じゃ人生変わりませんが、1兆円あれば、毎日1億円ずつ使っても三十年近くもつんですよ。
1億円はべつにいま放棄しても努力で実現可能範囲内だが、1兆円はこういうギャンブルでなければ実現不可能。
確率二分の一なら、1兆円を狙うでしょう。狙わなければ後悔します。
1億円でいいという人は、日常生活の惰性に囚われすぎて合理的思考のできなくなっている人でしょう。
プレイヤーが全員、「自分は1回限り」と思って期待値を無視したら、胴元は笑いが止まりません。
>
> 1万円を得た人が交換するのは、1億円になればラッキーだと思うからですし、
> 1億円を得た人が交換しないのは、1万円になってしまうのはイヤだと思うからですね。
> 期待値などという考えはないのです。
>
「期待値という考えがない」からといって、期待値が選択において無意味であることにはなりません。
前者は経験的心理学、後者は規範的経済学ですから。
以下の可能性が並立しています。
1回限りのギャンブルでは……
◆期待値は合理的決定にとって無意味。
◆人々は合理的でなくなることが多い。
◆人々の想像力に限界があって効用を正しく思い描けない。
後二者の場合、期待値に罪はありません。
現実に人々が期待値計算に反した選択をするからといって、それが正しいとは限らないのです。
現実の行動傾向が常に正しいなら、差別や紛争を無くそうとする試みは無根拠ということになります。
期待値は平均 12 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 2日(水)13時11分33秒 返信・引用
> コペンハーゲン解釈なるものは、世界像を欠いているので、「解釈」ではありません。ただの計算の便宜です。
> 同様に、実在しない収縮がなぜ観測されてしまうのかというメカニズムを、多世界解釈だけが量子力学と整合的に説明できるので、
> 地動説:周転円=多世界解釈:波の収縮=真なる理論:現象というわけです。
月の自転などは、以前は自転していない派が多かったようですが、現在では自転していると解釈が定まったようですね。
こういう定まり方をしていないのが量子力学の解釈問題で、物理学会等で解釈の合意があるわけではないですよね。
> 損得を考える(つまり欲求や動機を考える)場合、期待値の「値」というのは額面どおりの金額ではなく、社会的環境に条件付けられた効用です。つまり、効用の期待値(期待効用)を考えるべきです。
> 上の思考実験では、社会や家庭の仕組みからして、プレーヤーにとって1兆円が〈1億円の効用の2倍〉に程遠い効用しか持たないということに過ぎません。
> ちなみに、
> 庶民にとってであれ一生の間に有意義に使える金額の限度(効用の上限)は1億円をはるかに上回るでしょうから、
> 上の思考実験であっても、1億円をもう一方の封筒に交換する人は多いと思いますよ。
> 1億円じゃ現実に大した贅沢もできませんしね。持ち家の有無なんて幸福度に大した違いは生じません。
2封筒問題1万倍バージョンで、1万円を得た人が交換し、1億円を得た人は交換しないのは、期待値に従っていないからです。
1万円を得た人が交換するのは、1億円になればラッキーだと思うからですし、1億円を得た人が交換しないのは、1万円になってしまうのはイヤだと思うからですね。
期待値などという考えはないのです。
そしてそれが正しいわけで、統計学からも裏付けられます。
2封筒問題のパラドックスモドキというのは、期待値の誤用に原因があるわけです。
Re: 期待値は平均 11 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 1日(火)17時33分5秒 返信・引用
> No.4114[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 量子力学の解釈は、多世界解釈やコペンハーゲン解釈などいろいろあって決着していません。
> 解釈が多様であるということも、「実体」ではない証拠ではないでしょうか。
>
コペンハーゲン解釈なるものは、世界像を欠いているので、「解釈」ではありません。ただの計算の便宜です。
>
> 波束の収縮は、コペンハーゲン解釈ですよね。
> 多世界解釈は、並存する多世界を主観が一つを選択しているという解釈ではなかったですか。
>
波の収縮は、惑星の周転円と同じで、物理的世界に実在しないが観測の中だけに現われる現象ですね。
天動説では周転円は実在ですが、地動説では実在しません。
同様に、実在しない収縮がなぜ観測されてしまうのかというメカニズムを、多世界解釈だけが量子力学と整合的に説明できるので、
地動説:周転円=多世界解釈:波の収縮=真なる理論:現象
というわけです。
>
> つまり、このクジは確率主義者も期待値主義者にもそっぽを向かれてしまいます。
>
数字は適当にあてがってしまったので、
前設定を A、B 当たれば二千円獲得→三千円獲得 C 当たれば九千円獲得→一万円獲得 と変えておきましょう。
>
> 2封筒問題1万倍バージョンは、多数回やるならば交換した方が得ですので、「多数回のうちの一度」というつもりで、1億円の家を交換して1万円札にしてしまった人は、家族に泣かれ糾弾され離縁されてしまうでしょう。
>
また話が戻ってしまいましたが、
損得を考える(つまり欲求や動機を考える)場合、期待値の「値」というのは額面どおりの金額ではなく、社会的環境に条件付けられた効用です。つまり、効用の期待値(期待効用)を考えるべきです。
上の思考実験では、社会や家庭の仕組みからして、プレーヤーにとって1兆円が〈1億円の効用の2倍〉に程遠い効用しか持たないということに過ぎません。
ちなみに、
庶民にとってであれ一生の間に有意義に使える金額の限度(効用の上限)は1億円をはるかに上回るでしょうから、
上の思考実験であっても、1億円をもう一方の封筒に交換する人は多いと思いますよ。
1億円じゃ現実に大した贅沢もできませんしね。持ち家の有無なんて幸福度に大した違いは生じません。
期待値は平均 11 投稿者:ハム 投稿日:2015年 9月 1日(火)11時52分28秒 返信・引用
> 物理理論の解釈とは、理論の構文論がいかなる実在に対応しているかを定めることです。
量子力学の解釈は、多世界解釈やコペンハーゲン解釈などいろいろあって決着していません。
解釈が多様であるということも、「実体」ではない証拠ではないでしょうか。
> 波の収縮は至るところで報告されています。
> 地球の公転の証拠が周転円であるように、多世界の実在の証拠が波の収縮です。
波束の収縮は、コペンハーゲン解釈ですよね。
多世界解釈は、並存する多世界を主観が一つを選択しているという解釈ではなかったですか。
> ですから、本人の視点でゲームの同一性を認識できるとは限らないということです。
> A(費用千円、当たれば二千円獲得)、B(Aと同じ)、C(費用三千円、当たれば九千円獲得)の、それぞれ当選確率1/3のくじ引きを「一回だけ」やるつもりで、
> 確率主義者が「AとB」を買うとします。
AとBを買えば、2千円払って当っても2千円しかもらえないので、損をします。
> 期待値主義者は「Cだけ」を買います。
Cだけを買えば、3千円払って3回に1回当って9千円もらう時に限り損得なしですね。
つまり、このクジは確率主義者も期待値主義者にもそっぽを向かれてしまいます。
> 忘れたころ、二人はまたそのくじを同じ要領で買います。(くじの名前も主催者も場所も異なるので、実質上同じくじだとは認識せずに)
> それが生涯になんだかんだで結局何百回もあったとします。
> 本人は毎回一度限りのつもりで「思えば一度限りのギャンブルを何百種類もやったなあ」と思っています。
> 結局、確率主義者は、期待値主義者に比べて、かなり損をしているはずです。
> 「一度だけ」と思っていても、その判断は間違っていることが多いので(われわれは異なる装いの同種の経験を繰り返しているので)「多数回のうちの一度」というつもりで臨むのが正解ということになります。
2封筒問題1万倍バージョンは、多数回やるならば交換した方が得ですので、「多数回のうちの一度」というつもりで、1億円の家を交換して1万円札にしてしまった人は、家族に泣かれ糾弾され離縁されてしまうでしょう。
そんなことが正解のわけがないでしょう。
1回きりならば確率、多数回ならば期待値によって判断せよというのが統計学による正解です。
Re: 期待値は平均 10 投稿者:φ 投稿日:2015年 9月 1日(火)03時16分31秒 返信・引用
> No.4112[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> ブラックホールは、アインシュタインの重力場方程式から導き出されましたが、同様に多世界を導き出す実証された理論はないはずです。
> 解釈は、実在でも、実在の予測でもないことは、理解されるのですよね。
>
いや、ですから、量子力学そのものが多世界の記述なのですよ。マクロとミクロの理論的区別のない世界観のもとでの「重ね合わせ」とはそういうことですからね。
「解釈」という言葉で、文学作品の解釈のようなものを連想してはいけません。
物理理論の解釈とは、理論の構文論がいかなる実在に対応しているかを定めることです。
>
> それは初めて聞きました。
> 学会等で報告されているのですか?
>
波の収縮は至るところで報告されています。
地球の公転の証拠が周転円であるように、多世界の実在の証拠が波の収縮です。
>
> 初めてそのゲームをやれば、それが1回目です。
> もう1回やれば、それは2回目です。
> 簡単なことでしょう(^_^)
>
ですから、本人の視点でゲームの同一性を認識できるとは限らないということです。
A(費用千円、当たれば二千円獲得)、B(Aと同じ)、C(費用三千円、当たれば九千円獲得)の、それぞれ当選確率1/3のくじ引きを「一回だけ」やるつもりで、
確率主義者が「AとB」を買うとします。
期待値主義者は「Cだけ」を買います。
(確率主義者は、少ない出費で当たる確率は高いのだから「Cだけ」より「AとB」の方がよいと思っています)
忘れたころ、二人はまたそのくじを同じ要領で買います。(くじの名前も主催者も場所も異なるので、実質上同じくじだとは認識せずに)
それが生涯になんだかんだで結局何百回もあったとします。
本人は毎回一度限りのつもりで「思えば一度限りのギャンブルを何百種類もやったなあ」と思っています。
結局、確率主義者は、期待値主義者に比べて、かなり損をしているはずです。
「一度だけ」と思っていても、その判断は間違っていることが多いので(われわれは異なる装いの同種の経験を繰り返しているので)「多数回のうちの一度」というつもりで臨むのが正解ということになります。
期待値は平均 10 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月31日(月)12時14分39秒
> 理論的に予測はされていますよ。
> 現存の量子力学それ自体が多世界の記述であり、その実在の予測です。
ブラックホールは、アインシュタインの重力場方程式から導き出されましたが、同様に多世界を導き出す実証された理論はないはずです。
解釈は、実在でも、実在の予測でもないことは、理解されるのですよね。
> 候補も観測されていますよ。ブラックホールと同程度の間接的観測でよければ。
それは初めて聞きました。
学会等で報告されているのですか?
> なにをもって「一回きり」と判定する根拠とすべきかは難しく、「これは多数試行のうちの一つだ」という前提で望む方が賢明だったりするでしょう。
初めてそのゲームをやれば、それが1回目です。
もう1回やれば、それは2回目です。
簡単なことでしょう(^_^)
2封筒問題では、期待値が標準偏差の1/2内に出現する確率が1回目の時は0%です。
1回目の時は期待値に何の期待もできないということです。
これは統計学の結論ですね。
Re: TTTさんへの追伸2 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月31日(月)05時20分20秒
> No.4110[元記事へ]
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/4109に対し
「このように考えれば」以下は撤回します、と言いましたが、
撤回せずにやはりきちんと書きなおしてみましょう。
(あくまでhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/4106への補足です)
未確定(ゆえ非存在)を〈各確定の集合〉に置き換える方策として、
「各々の特定の仕方をした確率分布」ではなく、
「各々のペア決定(2封筒の合計金額)」を採用することにします。
プレーヤーの選択より前に合計金額が決まっているので、これが問題設定に従った考え方です。
「特定の合計金額の確率1、その他の合計金額の確率ゼロ」という具体的な各場合をすべて(概念的に)列挙するわけです。
換言すれば、確率変数の一つの値を確率1とするような偏った確率分布だけをすべて考えるということです。(実質、胴元の選択後の「プレーヤーにとっての事前確率」はそれらだけで十分ですから)
二つの封筒内の合計金額をXとする。各Xi=3xiについて個別に、交換の期待値を考える。
たとえば
■第1段階 胴元が金額ペアを決定。……合計金額X1=3x1であることだけは確定。他の場合は確率ゼロ
■第2段階 プレーヤーが封筒を選ぶ。……(x1、2x1)(2x1、x1)のいずれかであることだけは確定。他の場合は確率ゼロ
■第3段階 封筒を交換する。……(2x1、x1)(x1、2x1)のいずれかであることだけは確定。他の場合は確率ゼロ
これをすべてのiについて個別に想定する。
どの場合も、E[X]=Xi
つまり、それぞれE[X]が有限の値に確定する(トリビアルな意味で)。
交換による差額をHとして、どのXiについても、E[H]=0.
つまりE[H]=E[E[H|X]]=0
繰り返すと、事前確率分布はないので、各iについてP(Xi)を気にする必要はなし。Xiを確定したところから各々交換の期待値がゼロであることを確認すればよい。
これで、
>
> E[H]=E[E[H|X]]となるのはE[H]が存在する時
> すなわちE[X]が存在する時、その時のみです。
>
というTTTさんの主張を全面的に採り入れることができました。
よって、未開封バージョンでは「交換による差額の期待値はゼロ」が正解。
端的に「E[X]が存在しなくてもE[H]は存在しうる」と対称性原理で片づけるhttp://8044.teacup.com/miurat/bbs/4106の考え方の方が優れていると私は思いますが、
あくまでE[X]の存在性をE[H]にリンクさせるTTTさんに対しては、
E[X]を確定させた場合にばらして、各々の場合に交換の期待値を算出する今回の考え方の方が納得しやすいのではないでしょうか。
Re: TTTさんへの追伸2 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月30日(日)17時47分34秒
> No.4109[元記事へ]
訂正します。
E[X]が存在できない具体的な確率分布があるというのが
もともとのTTTさんの指摘でしたね。
それに対して私が「問題全体にもともとE[X]はない」と応じたのでした。
前回の「言い換え」は、
E[X]が存在できない確率分布の場合も含めて
「いかなる確率分布についても成立する解法で答えを出せ」に従っている、という趣旨でした。
前回の
「このように考えれば」
以下は撤回します。
上記の趣旨には変更ありません。
TTTさんへの追伸 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月30日(日)17時00分24秒
> No.4106[元記事へ]
φさんへのお返事です。
以下の私の記述ですが、
>
> 2封筒問題の素直な理解は次のようなものです。
> ■第1段階 胴元が金額ペアを決定。……{x、2x}であることだけは確定。ただしxの確率分布はナシ
> ■第2段階 プレーヤーが封筒を選ぶ。……(x、2x)(2x、x)のいずれかであることだけは確定。xの確率分布はナシ
> ■第3段階 封筒を交換する。……(2x、x)(x、2x)のいずれかであることだけは確定。xの確率分布はナシ
>
次のように言い換えてもよいと思われます。(「未確定ゆえ非存在」を「可能なあらゆる場合の集合」に置き換えるのは諸分野でなされている措置なので)
■第1段階 胴元が金額ペアを決定。……{x、2x}であることだけは確定。ただしxの確率分布は任意
■第2段階 プレーヤーが封筒を選ぶ。……(x、2x)(2x、x)のいずれかであることだけは確定。xの確率分布は任意
■第3段階 封筒を交換する。……(2x、x)(x、2x)のいずれかであることだけは確定。xの確率分布は任意
任意の確率分布で同じ答えを出すような解法があれば、それが正しい解法。
現に、問題設定の可能世界の分岐経緯に従って計算すれば、
Σpn((2Xn-Xn)/2+(Xn-2Xn)/2)=0
これはいかなる具体的な確率分布のもとでも成り立つ。
問題中に指定のない要因については、「任意の場合に成り立つ」と理解すべき。
2封筒問題の場合、「いかなる確率分布についても成立する解法で答えを出せ」が省略されていると見るべき。(これは暗黙の常識)
このように考えれば、各々の特定の仕方をした確率分布の場合に常にE[X]が存在できることになり、
>
> E[H]=E[E[H|X]]となるのはE[H]が存在する時
> すなわちE[X]が存在する時、その時のみです。
>
というTTTさんの主張を全面的に採り入れることができます。
いかなるE[X]の場合にも同じ答えを出す計算方法は一つだけですから(しかも案の定、可能世界の分岐経緯に合致した解釈に基づいている)、
それが「任意の確率分布について成立する解法で答えを出せ」という指示に従った解法です。
よって、未開封バージョンでは「交換による差額の期待値はゼロ」が正解。
Re: 期待値は平均 09 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月30日(日)16時17分7秒
> No.4107[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 理論的に存在が予測され、候補が観測されている天体と違い、多世界は予測も観測もされていないので「実体」ではないですね。
>
理論的に予測はされていますよ。
現存の量子力学それ自体が多世界の記述であり、その実在の予測です。
候補も観測されていますよ。ブラックホールと同程度の間接的観測でよければ。
>
> だから、1回きりのときは期待値は意味がないということですね。
> 2封筒問題では、期待値が標準偏差の1/2内に出現する確率は、1回目は0%、2回目は1/2%、3回目は3/4%、4回目は7/8%・・・となります。
> この場合、3回以上やる場合に、期待値が有効となるわけですね。
>
「一回きり」とはいっても、実は、同種のギャンブルを我々は何度も繰り返しているのではないでしょうか。
各々のギャンブルの場所、名前、時刻が大きく異なっているからといって、各々独立したギャンブルと見なせるとは限りません。
なにをもって「一回きり」と判定する根拠とすべきかは難しく、「これは多数試行のうちの一つだ」という前提で望む方が賢明だったりするでしょう。
1回きりのつもりでいたら、成り行きで何度もやる羽目になり、いつも「これが最後、だからやっぱり1回きり」と思いきや、気が付いたら何百回もやっていて、毎回期待値を無視したために結局損した、なんてこともありえます。
期待値は平均 09 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月29日(土)18時59分17秒
> 直接経験できないが間接的に経験できるので
> クオークやブラックホールと同程度の「実体」だということでよいのではないですか。多世界は。
理論的に存在が予測され、候補が観測されている天体と違い、多世界は予測も観測もされていないので「実体」ではないですね。
> 確率変数の値が一つしかない場合を除けば。
「確率変数の値が一つ」ならば、それは確率変数ではないですね。
> ただし、一回限りのギャンブルでも、前に述べたように必ず多世界の私たちが同時に同じ試行をしているわけですから、
> 「私」全員を平均すれば必ず期待値どおりになります。(多世界が無限個だとして)
> ただし分岐後は各々の私は結果ごとにまとめられてそれぞれ別人になりますから、平均しても意味ありませんけれどね。
だから、1回きりのときは期待値は意味がないということですね。
2封筒問題では、期待値が標準偏差の1/2内に出現する確率は、1回目は0%、2回目は1/2%、3回目は3/4%、4回目は7/8%・・・となります。
この場合、3回以上やる場合に、期待値が有効となるわけですね。
Re: 定義に基づく期待値 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月29日(土)04時14分9秒
> No.4103[元記事へ]
TTTさんへのお返事です。
>
> 確率変数のとり得る値が無限個なので事前分布を一様分布とすることは不可能なら
> 単に、事前分布は一様分布ではない(事前分布は一様分布でない分布である)というだけのことで
> つまり「未知なら一様分布とせよ」というやり方はこの場合には使えないというだけです。
>
↑これは正確な言い方ではありませんね。
正しくは、
事前分布は一様分布ではない、または、確率変数のとり得る値が実は有限個である
設定次第でどちらが真であるかが決まります。両方真であってもかまいません。
ところが、問題設定からして事前分布が全くわからない無知状態ですから、上の2命題について主観的には
「一様分布でない分布のうちいかなるものなのかわからない」
「確率変数のとり得る値がわからない」
という状態にあります。
主観確率の考えでは、わからない場合は「とりあえず」一様分布、とせざるをえませんが、
p.211注28 β「胴元によって選ばれる可能性のあった封筒ペアは、どれも選ばれる確率が等しい」により
可能性のあった封筒ペアは実は有限、と考えるのが現実的な対応でしょう。
実際に、選ばれたペアは一つだけですから、「最後まで候補が無限個並立している」というのは不可能だからです。胴元の知識の中では確率変数の範囲は収縮しており、プレイヤーもその事情を知っています。
いつまでも胴元の決定前の脳内状態を尊重する必要はない。つまり確率変数の値は有限個、ということだけがわかったのです。
したがって、
確率変数の値についての判断は、次の手掛かりが得られるまでペンディング、というのが最も現実的な対応となります。
次の手掛かりとは、封筒を開封して金額を見たときです。
その段階になって初めて、
「2種類のペアについて一様分布」という事前確率の判断が得られます。
2封筒問題は、ゲームの開始時には設定が不完全なため確率分布については何も言えず、開封したときに初めて確率分布が定められるという問題であることがわかるでしょう。
事前確率は開封バージョンになって初めて意味を持ちます。
事前確率がないところに事後確率が決まる、という言い方はTTTさんにとって違和感があるようですから、開封バージョンにおいて「事後確率」と言わず、「事前確率」と言うことにしましょう。
事前確率が開封時に初めて決まったのだと。
「そこに何かが一つあることだけがわかっています。それが生きたカブトムシである確率は?」
↑こんな問題に事前分布が存在すると思う方がどうかしているでしょう。
未開封バージョンはそういう問題に相当します。
開封バージョンは、たとえば次のような第二段階に相当します。
「そこに何かが一つあることだけがわかっていましたが、いま、それがサイコロであることがわかりました。平らに置かれています。6の目が上を向いている確率は?」
ここで初めて、確率分布が決まったわけです。
それ以前には「その何かがサイコロであった確率」なんて存在しませんでした。(ゼロでないというトリビアルな意味以外では)
>
> 「未知なら一様分布」が問題なく運用できる場合というのは
> 「一様分布とするのが尤もらしい候補がただ1つ存在する場合」だけです。
>
それは違いますね。たとえば、
「このコインは、いずれかの面が出やすくできています。いま投げたとき、オモテが出る確率は?」
この設定では、確率分布の可能な候補は(P(表)、P(裏))≠(1/2、1/2)というすべての場合です。
つまり、一様分布だけが除外され、他の無限個の候補が並立します。
では正解は?
もちろん、オモテが出る確率は1/2ですね。
極端な場合、すでに投げてしまったコインがオモテである確率も「1/2」です。結果が決定したからといって「1か0」と言うのは誤りです。
TTTさんが挙げた「例外」の中にこの例も含まれうるのでしょうが、
「一様分布とするのが尤もらしい候補がただ1つ存在するわけでない場合」どころか、
「一様分布でないとわかっている場合」にすら一様分布を当てはめねばならない。その種の事例はきわめて多く、そういう事例はもはや「例外」とは言えません。
封筒問題でも、
かりに確率変数の値を無限個認めるとしたら、「一様分布ではないことだけは認めねばならない」ことになります。
しかし、上と同じ理由で、「だからこそ一様分布」となるわけです。
もちろん無限個の確率変数に直接適用はできませんから、
「開封して確率変数の値の候補を絞ってから、一様分布を適用しよう」という条件付き適用となります。
条件付き適用という方策に何ら問題はありません。
事前分布は開封時に初めて決まるのですからね。
>
> 一応あらかじめ断っておきますが
> 2封筒問題の未開封状態において
> 金額の組{N,2N}のうち
> ・小さい方Nがはじめの封筒の金額である可能性;X=N,Y=2N
> ・大きい方2Nがはじめの封筒の金額である可能性;X=2N,Y=N
> これらに関して「未知だから一様分布」とすれば良い
> 候補がこれ1つということで、問題ないじゃないか
>
> という考えは駄目ですからね。
> それだけではXの事前分布(
> 正しい意味で未開封状態を考えたことになりません。
>
ですから、未開封状態では事前分布は存在しないのです。問題解決に支障ありません。
未開封問題は、対称性の原理で解くことができる問題であって、事前確率分布は全く関係ないのです。
TTTさんは私の「期待値」の用法に御不満のようですが、TTTさんの「事前分布」の方により問題がありそうですね。当該問題に無関係の概念に固執するのはやめましょう。
括弧付け替え計算のような誤りを指摘するときにのみ、「個々の試行では(問題全体としてでなく)原理的に事前分布がありうる」ことを自覚することが必要になるだけです。(たとえば『思考実験リアルゲーム』p.219~)
>
> 期待値の定義から
> E[H]=E[E[H|X]]となるのはE[H]が存在する時
> すなわちE[X]が存在する時、その時のみです。
>
これについてはすでに反例を認めていただいたと思いますけれど?
E[X]が存在しなくてもE[H]が存在する場合なんていくらでもあるし、それゆえE[H|X]など媒介せずともダイレクトにE[H]を求められる場合もあるでしょう。
一般に完全な対称性が成り立つ場合がそれに該当し、2封筒問題未開封バージョンが典型例です。
>
> 期待値の定義では
> 期待値は、ゲームの構造や可能世界の正しい分岐順序に従い計算しなければならない
> なんて定義はされていません。
>
応用問題への適用の心得一々を定義に書き込むことなどできるわけがありません。
問題設定(ゲーム)の構造に従うなんてのは数学以前の常識ですしね。
「問題の指示は正しく理解する」と期待値の定義に書かれてないのと同じです。
ゲームの構造は参加者の知識を決定します。2封筒問題は主観確率の問題ですから、「プレーヤーの知識(あるいは信念)のあり方」が確率計算(期待値計算)の仕方を制約します。
自分の属する可能世界がどのように分岐してきたかという知識は、確率判断の合理性に大いに影響するのです。
>
> 言い換えれば
> 期待値は、ゲームの構造や可能世界の分岐順序に依らずに計算される
> ということです。
> 期待値の定義では、"問題設定"、"ゲームの構造"、"論理空間"などによって定められているわけではなく
> とり得る値の集合{h1,h2,h3,…}で定められています。
> 期待値を考える上では、φさんの挙げるそれらの要素は無視できる
> というだけのことです。
>
問題設定を無視したがゆえに、数学者たちはモンティホール・ジレンマで失敗したのです。
登場人物の誰が何を知っているか、どのような意図と順序で選択がなされてきたかを問題設定ごとに考えなければ、正しい確率を求められません。
実際に、私が言うような可能世界のまとめ方で問題を解けば確実に期待値ゼロとなり、
括弧付け替え計算主義者やTTTさんの仕分けで問題を解けば期待値ナシとか不定とかになるわけで、
現に計算結果が異なるわけですから、「ゲームの構造や可能世界の分岐順序に依らずに計算される」は反証されています。
一人二役(可能なプレーヤーを両方受け持つ)で2封筒問題をやってみれば、各回ごとに獲得金額増は現実にゼロとなり、全体の期待値がゼロであることが確かめられます。
確認しておきましょう。
2封筒問題の素直な理解は次のようなものです。
■第1段階 胴元が金額ペアを決定。……{x、2x}であることだけは確定。ただしxの確率分布はナシ
■第2段階 プレーヤーが封筒を選ぶ。……(x、2x)(2x、x)のいずれかであることだけは確定。xの確率分布はナシ
■第3段階 封筒を交換する。……(2x、x)(x、2x)のいずれかであることだけは確定。xの確率分布はナシ
封筒の識別不可能性により、可能世界の集合に収縮は一切ナシ。
つまり第2段階と第3段階の区別はナシ。(交換を一度だけでなく任意の回数というふうに変更しても2封筒問題の構造に変更なし)
よって、交換による獲得差額の期待値はゼロ。全体集合が同じなので。
これはE[H]=E[E[H|X]]となるのはE[H]が存在する時のみ、という原理に違反していません。
■第4段階 プレーヤーが封筒を開封、2万円を見出す。……(2万、4万)(2万、1万)のいずれかであることに確定(可能世界の集合が収縮)。ここで初めてxの確率分布が成立。封筒選択はランダムなので一様分布。
これだけの話です。何のパラドクスもありません。
この自然な計算を拒んで、あえて未開封バージョンに期待値の適用を拒む動機はないのです。開封時に期待値が引き継がれるわけですから。
Re: 期待値は平均 08 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月29日(土)03時54分10秒
> No.4104[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 多世界解釈が優れていても、経験できませんので、「実体だぁ」などと安易にお叫びにならない方がよろしいかと(^_^)
>
直接経験できないが間接的に経験できるので
クオークやブラックホールと同程度の「実体」だということでよいのではないですか。多世界は。
>
> 1回きりの場合で、期待値通りになるような思考実験は無いですよね?
>
確率変数の値が一つしかない場合を除けば。
ただし、一回限りのギャンブルでも、前に述べたように必ず多世界の私たちが同時に同じ試行をしているわけですから、
「私」全員を平均すれば必ず期待値どおりになります。(多世界が無限個だとして)
ただし分岐後は各々の私は結果ごとにまとめられてそれぞれ別人になりますから、平均しても意味ありませんけれどね。
期待値は平均 08 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月27日(木)12時15分19秒
>解釈と称するものの中では、多世界解釈だけが解釈の名に値する、という話でした。
多世界解釈が優れていても、経験できませんので、「実体だぁ」などと安易にお叫びにならない方がよろしいかと(^_^)
>「当たったら1億円もらえて、外れたら1千万円払う」ならやめておくが
>「当たったら1億円もらえて、外れたら千円払う」ならやる、というわけですね、ハムさんは。
>期待効用が逓減しない範囲においては、1回限りの賭けにおいてもハムさんは期待値に従って判断しているわけです。
私は「期待効用が逓減」しているであろう「宝くじ」を買うことがあります。
それと同じことで、期待値によって判断しているわけではありません。
>一千万円以上でも期待金額と期待効用が主観的に比例するような金持ちであれば、迷わずやるでしょう。
金持ちほどケチなもので、分の悪い賭け事はしませんが、繰り返しこのゲームができるのであれば、やるでしょうね。
1回きりの場合で、期待値通りになるような思考実験は無いですよね?
定義に基づく期待値 投稿者:TTT 投稿日:2015年 8月27日(木)00時11分38秒
> No.4084[元記事へ]
> {+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}というグループ分けは、
> その恣意的な(ゲリマンダー的な)可能世界の仕分けBをやっているのです。ゲームの構造に対応していません。
> γは可能世界の正しい分岐順序に従った期待値計算であり、δは分岐の経緯を無視した誤った計算です。
期待値の定義では
期待値は、ゲームの構造や可能世界の正しい分岐順序に従い計算しなければならない
なんて定義はされていません。
言い換えれば
期待値は、ゲームの構造や可能世界の分岐順序に依らずに計算される
ということです。
「可能世界の正しい分岐順序に従いうべき」というのはφさんの勝手な自分ルールであり
期待値の定義に反した誤りであるというのが私の一貫した主張です。
いい加減、この誤りを認めるか
まともな反論、すなわち期待値の定義に沿った形での反論や説明をしてください。
> {+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}という書き方はよくありませんね。
> プレーヤーが存在している可能性のある可能世界群は
> {+(x1), +(x2), +(x3), …}
> {-(x1), -(x2), -(x3), …}
> の二種類ではありません。
{+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}は
2つのグループ(集合)に分ける意図等があったわけではありません。
これで1つの集合を表すものであり
{h1,h2,h3,…}と同一の集合ですから、φさんの指摘は全くナンセンスです。
{+(x1), +(x2), +(x3), …, -(x1), -(x2), -(x3), …}
といった感じで書こうとも思ったのですが、この書き方は数学的には問題があるので
∪を用いて書いただけです。
{±(x1), ±(x2), ±(x3), …}
{+(x1), -(x1), +(x2), -(x2), +(x3), -(x3), …}
{+(x1), -(x1) }∪{+(x2), -(x2) }∪{+(x3), -(x3) }∪…
等の書いても、同じ集合を意味するので本来は全く問題ないのですが
「+と-が交互に(セットになって)並んでいる」という間違った印象を与えやすいのでわざと避けました。
{h1,h2,h3,…}は集合ですから、集合内の順序やグループ分けは関係ありません。
h1,h2,h3,…という番号付けは単に利便性の為であって
異なる番号付けをしたり、どんなグループ分けをしても集合としては同じです。
("h_n"の具体的な定義を書いていないのはその為です)
期待値は集合{h1,h2,h3,…}によって定義されているのに
「期待値は特定の順序やグループ分けによって計算しなければならない」というのは間違いです。
このことが分かっているなら{±(x1), ±(x2), ±(x3), …}等の書き方でも何の問題もないのですが
案の上φさんはこの間違いを犯していますから、だからそういう書き方をしなかったのです。
> ∪で結びつければどうせ同じ全体集合になるのだから同じじゃないか、というのは問題設定を無視することになります。
φさんは期待値の定義を無視しないで下さい。
期待値の定義では、"問題設定"、"ゲームの構造"、"論理空間"などによって定められているわけではなく
とり得る値の集合{h1,h2,h3,…}で定められています。
期待値を考える上では、φさんの挙げるそれらの要素は無視できる
というだけのことです。
「正しい分岐順序に従い計算する値」を考えたいのなら
「期待値」とは別の概念として定義し、頑張って広めて下さい。
しかしおそらく、そんな別概念を作っても誰も相手にしないと思いますがね。
少なくても私は興味ありません。
「期待値」と銘打つから注目したのであって、
そんな「期待値モドキ」みたいな概念に
全くないとまでは言いませんが、大した意義があるとは思わないので。
現状は
「期待値」の威を借りてるだけなんですよね。
期待値で成立したことがその別概念でも成立するとは限らず、確かめ直す必要があるはずですが
期待値の名で偽ることで誤魔化し、期待値のもつ利便性をそのまま持っているかのように見せかけています。
φさんがその別概念の意義に自信があるというなら
こんな卑怯なやり方しなくてもいいのにと思うのですが・・・
定義に基づく期待値 投稿者:TTT 投稿日:2015年 8月27日(木)00時07分27秒
φさんへのお返事です。
> 『思考実験リアルゲーム』p.211の注28に述べた
> β「胴元によって選ばれる可能性のあった封筒ペア(ゲームGの場合、「金額」)は、どれも選ばれる確率が等しい」
> ということが(全くの無知無設定ゆえに)帰結するからです。
現実の問題ではなく論理の問題を考えているわけですから
「元によって選ばれる可能性のあった封筒ペア」が無限種類あると考えることもできます。
> 封筒ペアの選び方を無限種類と考える必要はない
とありますが、裏を返せば
無限種類でない(有限種類である)と考える必要もありません。
無限種類ある場合は難しいから
有限種類しかない場合にだけに限定してまず考えよう
ということなら良いのですが
有限の場合だけ考えて解決したからといって、完全解決したことにはならないのです。
> 決まらないまま(というか、決まってはいけないという設定のまま)、
> 「とにかく金額入りの封筒がここにあります」というのが2封筒問題です。(私の今回のゲームGもそうです)
> そういう場合、端的に、確率分布は存在しません。
これは考え方(前提)の違いですね。
ただしφさんの考える主観確率はかなり狭義的なものになってしまっています。
> 未設定だから主観確率の趣旨からして事前確率分布は一様分布とせよ。
> ところが可能な確率変数の値が無限個なので一様分布は不可能。だから事前確率は存在せず。
「未知なら一様分布とせよ」というやり方が有用なケースが多々ありことは認めますが
万能ではありません。
数学的に見れば単なる仮定でしかなく
常識でも特別なことでもなんでもないので、大前提とすべきことでもありません。
確率的に考えるということは
何かしら確率空間(つまり事前分布)が存在することを大前提として考えるということ。
確率変数のとり得る値が無限個なので事前分布を一様分布とすることは不可能なら
単に、事前分布は一様分布ではない(事前分布は一様分布でない分布である)というだけのことで
つまり「未知なら一様分布とせよ」というやり方はこの場合には使えないというだけです。
こういう考え方をしても何も問題ありません。
現代数学の確率論における確率とは
確率空間(簡単に言えば確率分布)の存在によって定義されるので、確率的に考える時に
「何らかの確率空間(事前分布)が存在を前提とする」というこの考え方のほうがむしろ正当性があり自然でしょう。
一方で
「未知なら一様分布とせよ」を大前提とし
一様分布が不可能なら事前分布は存在しない
というφさんの考え方は
「未知なら一様分布とせよ」を大前提とする正当性がありません。
古典的確率論における確率なら
何らかの一様分布の前提下で定義されますから
古い常識として「未知ならとにかく一様分布とせよ」というのがあったのかもしれませんが
可能な確率変数の値が無限個のような場合は
古典的確率論では扱えないので、そのような古い常識では封筒問題に通用しないというだけですね。
あるいは
「未知なら一様分布とせよ」というやり方が有用なケースが多々あること
を根拠に「未知ならとにかく一様分布とせよ」を大前提としているのかもしれませんが
それも正当性に欠けます。
先程も言ったように、このやり方は万能ではないからです。
「未知なら一様分布」が問題なく運用できる場合というのは
「一様分布とするのが尤もらしい候補がただ1つ存在する場合」だけです。
例外として、複数の候補(AとBとする)があったとしても
・Aに対して一様分布と仮定すれば、Bも一様分布になる場合
・さらにその逆も成立する場合
・Aに対して一様分布を仮定しても、Bの分布について一切定まらない場合(AとBが確率論的に独立であることが尤もらしい場合)
つまりAとBの両方にそれぞれ一様分布を仮定しても矛盾しない場合
に関しても問題なく運用することができます。
(1つ目に関してはより尤もらしい候補はAだと見なす、2つ目に関してはAとBは同等のものと見なす
3つ目に関してはAとBの同時分布を一様分布とすべきと見なすことができるので実際にはどれも真の例外というわけではありませんが)
一方で、円滑に運用できない場合というのもあって
例えば、この手の話でよく話題になったりもしますが
一様分布とするのが尤もらしい候補が2つ(AとB)以上あるのに
Aを一様分布とすればBが一様分布にならず、Bを一様分布とすればAが一様分布にならずという場合。
このような時は「どれに対して一様分布とすべきか」によって確率が一意に定まらなくなってしまいます。
そして
あまり話題にはなりませんが、運用できない場合というのは実は他にもあって
「候補がただ1つでない」かつ「候補が複数でもない」場合、すなわち
「一様分布とするのが尤もらしい候補が1つも存在しない場合」です。
確率論の定義から、上限のない一様分布は原理的不可能なので
とり得る値に上限のない確率変数は一様分布とする候補にはなり得ません。
その為に候補が1つも存在しないということが起こり得てしまいます。
一様分布とするのが尤もらしい候補が複数の場合には、何らかの方法によって1つ選ぶことで、何とか運用することも可能ですが
候補が0個の場合にはそれもできませんから運用のしようがありません。
「未知なら一様分布」が運用できる場合に、それ運用するというのは別に良いのですが
「未知なら一様分布」が運用できない場合の話で
運用できる場合の有用性を根拠として「未知なら一様分布」を大前提とすべき
というのはおかしいですよね。
「未知なら一様分布」を大前提とする考え方は
「一様分布とするのが尤もらしい候補がただ1つ存在する(あるいは1つ以上存在する)時のみ」に有用なことが多い考え方というだけで
候補が0個の問題(封筒問題の未開封状態における
には全く通用しないというだけです。
一応あらかじめ断っておきますが
2封筒問題の未開封状態において
金額の組{N,2N}のうち
・小さい方Nがはじめの封筒の金額である可能性;X=N,Y=2N
・大きい方2Nがはじめの封筒の金額である可能性;X=2N,Y=N
これらに関して「未知だから一様分布」とすれば良い
候補がこれ1つということで、問題ないじゃないか
という考えは駄目ですからね。
それだけではXの事前分布(
正しい意味で未開封状態を考えたことになりません。
φさんの考え方が正当性に欠ける怪しいものであるとはいえ
事前分布が存在するかしないかに関しては、「考え方の違い」と言うことはできるのですが
> E[H]もE[E[H|X]]もゼロです。
などは「考えの違い」では済まず、完全な誤りです。
事前分布が存在しないというφさんの考え方では
封筒問題の計算γや計算δ、E[X]やE[Y-X]、ゲームGのE[H]は意味のないものになってしまいます。
E[E[H|X]]こそがE[H]だ
なんてことにはなりません。
期待値の定義から
E[H]=E[E[H|X]]となるのはE[H]が存在する時
すなわちE[X]が存在する時、その時のみです。
E[X]は存在しないけど、E[E[H|X]]こそがE[X]なんだ!
というφさんの主張は、期待値の定義的には何の根拠もないのです。
> 期待値は、特定の値を持たないなら値として存在するとは言えず、「2封筒問題は問題として設定内に封筒内金額の期待値を持たない」
> つまり「期待値は存在しない」。
> これは言葉の誤用ではないでしょう。
論理の話で例えると
意味のある文章(命題)に対して、真であるとか偽であるとか考えることができるわけですが
意味を成してない出鱈目な文(文ですらなく"単なる言葉の羅列","文字の羅列"と言った方がいいのかもしれません)に対して
真偽を考えることができません。
出鱈目な文Aに対して「Aは真である」とか「Aは偽である」とは言えませんよね。
「Aという命題は偽である」という文BがあったからといってAが命題になってくれるわけではありません。
Aは命題ではないのだから、この文Bは誤り、命題という言葉の誤用と言えるでしょう。
これと同様で「事前分布が存在しない」という前提の下では"期待値"や"E[X]"といった文字列、記号列は意味を成していません。
「封筒内金額の期待値」等と書いたからといって、これが確率論で定義されている意味での期待値になってくれるわけではないのです。
意味を成していないので「存在する」とか「存在しない」といったことを考えたり言ったりすることはできません。
「封筒内金額の期待値は存在しない」という文は誤りで、期待値という言葉の誤用と言えます。
Re: 期待値は平均 07 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月26日(水)16時06分8秒
> No.4100[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 正しく予測する理論は経験できますが、解釈はなんの予測もしませんので、経験できません。
>
解釈が必要かどうか、有用かどうかはともかく、
解釈と称するものの中では、多世界解釈だけが解釈の名に値する、という話でした。
コペンハーゲン解釈は、なんの世界像にも基づいておらず、解釈ではありません。
>
> 当たったら1億円もらえるが、外れたら1千万円払う場合でもやりますか?
> 私はやりませんが、期待値主義者はやるのですか?
>
一千万円以上でも期待金額と期待効用が主観的に比例するような金持ちであれば、迷わずやるでしょう。
庶民にとっての「当たったら千円で外れたらマイナス百円」と同じ感覚で。
「期待値に従って判断するのが合理的」というのは、もちろん現実的に意味をなす期待値についての話ですから(当人の生活水準、経済状態、将来計画など)、主観的期待効用で期待値計算するべきです。
いずれにしても、当たる確率1/6の1回限りゲームで
「当たったら1億円もらえて、外れたら1千万円払う」ならやめておくが
「当たったら1億円もらえて、外れたら千円払う」ならやる、というわけですね、ハムさんは。
当たる確率はどちらも同じなのに。
ということは、やはりハムさんも期待値主義者です。
期待効用が逓減しない範囲においては、1回限りの賭けにおいてもハムさんは期待値に従って判断しているわけです。
「1回きりの時は期待値が無意味になるのです」というのは、やはり錯覚でしたね。……
期待値は平均 07 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月26日(水)12時06分26秒
>理論に忠実な多世界解釈のみが、「解釈」の名に値します。
正しく予測する理論は経験できますが、解釈はなんの予測もしませんので、経験できません。
> 「公正なサイコロを振って出る目を予想し、当たったら1億円もらえるが、外れたら千円払う」というゲームを一回だけやらないかと持ちかけられたとしましょう。
当たったら1億円もらえるが、外れたら1千万円払う場合でもやりますか?
私はやりませんが、期待値主義者はやるのですか?
Re: 期待値は平均 06 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月26日(水)00時25分20秒
> No.4098[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 関数は関数として理解すればよく、解釈は必須ではないはずです。
>
自然科学にとって解釈は必須ですが、
かりに必須でないとしても、「解釈」を自称する以上は理論に忠実な解釈であるべきですね。
理論に含まれていない要素を勝手に付け加える「解釈」はどれも失格です。
理論に忠実な多世界解釈のみが、「解釈」の名に値します。
>
> 「効用の期待値」というのは、金額に比例した効用が得られるということなのですよね。
> そうだとしても、1回きりの時に期待値を得ることはありませんから、1回きりの時は期待値が無意味になるのです。
>
一回限りの時は期待値よりも確率が優先される場合はあるにせよ、期待値が優先されることの方が圧倒的に多いでしょう。まして「無意味」と言うのは暴論です。
たとえば、
「公正なサイコロを振って出る目を予想し、当たったら1億円もらえるが、外れたら千円払う」というゲームを一回だけやらないかと持ちかけられたとしましょう。
私だったら迷わずこのゲームをやりますけれどね。
ハムさんはやらないのですよね。期待値は有利だが一回限りのゲームだから期待値は無意味であり、確率からいって当たりにくいと思われますから。
アンケート調査で意見聴取してみるといいと思います。
期待値は平均 06 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月25日(火)14時09分22秒
> 量子力学を信じるという条件の下では、理論を文字通りに認める多世界解釈だけが正しい解釈です。それ以外で満足できる人はどこか勘違いしているというべきでしょう。
関数は関数として理解すればよく、解釈は必須ではないはずです。
いずれにしろ、関数の経験は、解釈の経験ではないですね。
> 2封筒問題は、効用の期待値に関するバラドクスなので、金額がどうなろうとも金額に比例した効用が得られるという暗黙の仮定に依存しています。
>そうでなければ、「まあまあ満足できる金額の時には交換しない」という、主観的効用の閾値についての心理学問題にすぎなくなります。
心理を無視すればナンセンスということになりますが、「効用の期待値」なる考えに従っても同じことです。
> 一回限りで、開封して1億円が出たとき、交換と非交換では損得の確率は同じですが、損した時のマイナス効用が大きすぎるので、期待効用計算により、非交換が合理的となるわけです。
「効用の期待値」というのは、金額に比例した効用が得られるということなのですよね。
そうだとしても、1回きりの時に期待値を得ることはありませんから、1回きりの時は期待値が無意味になるのです。
>「平均を当てるゲーム」というのは、平均値そのものが唯一試行と多数試行とで正解が異なりますから、合理的選択が違ってくるのは当然です。
そうなのですよ。
期待値は平均なので、「唯一試行と多数試行とで正解が異な」ると考えられるわけです(^_^)
Re: 期待値は平均 05 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月24日(月)20時13分54秒
> No.4096[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 地動説は経験ではなく概念でしょう。
> 量子力学の多世界というのも、多世界解釈という概念であり、他にコペンハーゲン解釈などがあります。
>
つまり地動説と同程度には多世界解釈は信憑性があるというわけです。
コペンハーゲン解釈は、量子力学に含まれていないアドホックな仮説(波動関数の収縮、マクロとミクロの区別など)を持ち出している点で、哲学的に完全に失格です。
量子力学を信じるという条件の下では、理論を文字通りに認める多世界解釈だけが正しい解釈です。それ以外で満足できる人はどこか勘違いしているというべきでしょう。
>
> 「効用の期待値」?
> このゲームを複数回繰り返すのならば、1億円の時も交換すべきですね。
> 1回きりだから交換した方が得だといえないのです。
>
効用と金額は比例しませんからね(庶民にとって百兆円と千兆円が効用の上で区別できるとは思えません)。
2封筒問題は、効用の期待値に関するバラドクスなので、金額がどうなろうとも金額に比例した効用が得られるという暗黙の仮定に依存しています。
そうでなければ、「まあまあ満足できる金額の時には交換しない」という、主観的効用の閾値についての心理学問題にすぎなくなります。
常にプレーヤーの主観的効用の閾値内にとどめるため、開封して1億円を超えた場合はその百分の一に換算する、などというルールを設けてもよいかもしれません。
一万倍ではなく二倍設定のオリジナルバージョンでは閾値はあまり目立ちませんけれどね。
>
> このゲームを複数回繰り返すのならば、1億円の時も交換すべきですね。
> 1回きりだから交換した方が得だといえないのです。
>
唯一試行と反復試行では合理的選択が異なるというのは、その通りですね。『多宇宙と輪廻転生』の眠り姫の議論でも述べたとおりです。
だからといって、唯一試行において期待値が重要でなくなるなどということはありません。
一回限りで、開封して1億円が出たとき、交換と非交換では損得の確率は同じですが、損した時のマイナス効用が大きすぎるので、期待効用計算により、非交換が合理的となるわけです。
1億円と1兆円の区別に効用の差がない庶民であれば、反復試行で毎回交換しようがしまいが損得の違いはないでしょうね。
1万回試行するとして、
毎回非交換で、確実に1兆円獲得。毎回交換で、だいたい5千兆5千万円獲得。
どちらも損得ありませんよね。1億円を超えればどれも同じの庶民感覚、という設定のもとでは。
>
> サイコロの出目の平均を当てるゲームで、「1,2」、「3,4」、「5,6」のうちのどれかを当てる問題ならばどうでしょう。
> 期待値に従うならば、「3,4」に賭けるのが正解となりますが、1回目の時だけは、どれも確率1/3です。
>
「平均を当てるゲーム」というのは、平均値そのものが唯一試行と多数試行とで正解が異なりますから、合理的選択が違ってくるのは当然です。
「平均を当てるゲーム」は、何回試行できるのかによってそれぞれ別のゲームになると言うべきでしょうね。……
期待値は平均 05 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月24日(月)12時54分39秒
>18日から沖縄で研究会をしており、さっき帰ってきました。
φ先生もお年を召され、簡単に論破できるようになってしまったと思っていたのですが、っなわけないですよね(^_^)
>太陽の動きを見ることが「地球の自転を経験すること」であるように、
>波動関数の収縮を記録することは「私たちの環境が多世界であることを経験すること」なのです。
地動説は経験ではなく概念でしょう。
量子力学の多世界というのも、多世界解釈という概念であり、他にコペンハーゲン解釈などがあります。
>「1万円→1円 のリスクを怖れて 1万円→1億円 のチャンスを見送る」 のは愚か。逆は賢明。
>「1億円→1万円 のリスクを怖れて 1億円→1兆円 のチャンスを見送る」 のは賢明。逆は愚か。
>効用の期待値に従うということですね。
>確率主義では、↑の賢明と愚かの違いを説明できませんね。
「効用の期待値」?
このゲームを複数回繰り返すのならば、1億円の時も交換すべきですね。
1回きりだから交換した方が得だといえないのです。
>反復試行をした場合には期待値に従った選択が意味を持つ(損得の違いを生ずる)とハムさんは言いたいのですから、
>「出る目に近い予想をした者が勝ち」というゲームを持ち出すべきでしょう。
>そういうゲームなら、「3,4」に賭けるのが正解です。
>1回限りのゲームであっても、期待値から遠い「1,2」や「5,6」に賭ける人は非合理的です。
サイコロの出目の平均を当てるゲームで、「1,2」、「3,4」、「5,6」のうちのどれかを当てる問題ならばどうでしょう。
期待値に従うならば、「3,4」に賭けるのが正解となりますが、1回目の時だけは、どれも確率1/3です。
Re: 期待値は平均 04 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月23日(日)02時27分56秒
> No.4090[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
18日から沖縄で研究会をしており、さっき帰ってきました。
その間、この掲示板は読めず、失礼しました。
>
> 私たちは、多世界を経験することができません。私も経験したことがありません。そういうことを「実体だぁ!」などとあまり叫ばない方がいいと思います。
>
私たちは多世界を経験していますよ。科学者でない人にとっては間接的にですが。
すなわち、波動関数の収縮がそれです。
太陽の動きを見ることが「地球の自転を経験すること」であるように、
波動関数の収縮を記録することは「私たちの環境が多世界であることを経験すること」なのです。
>
> 1億円といえば土地付きの家が買えますが、その家が1万円札になるリスクに挑戦するのですか? 家族が泣きますよ。
>
ですから、何故そういう非対称が生ずるのですか?
「1万円→1円 のリスクを怖れて 1万円→1億円 のチャンスを見送る」 のは愚か。逆は賢明。
「1億円→1万円 のリスクを怖れて 1億円→1兆円 のチャンスを見送る」 のは賢明。逆は愚か。
確率だけが重要なら、愚かと賢明の差はなくなるはずです。
1/2なのに、なぜ愚かと賢明の絶対的差が生ずるのか。
期待効用に従うべきだからです。
1億円も1兆円も、庶民にとっては大差ないように感じられます。効用の違いが感じられないのです。
1億円と1万円 の効用の差は大きいので、1億円→1万円 のリスクを怖れて 1億円→1兆円 のチャンスを見送るのは賢明、となるのです。
効用の期待値に従うということですね。
確率主義では、↑の賢明と愚かの違いを説明できませんね。
>
> ハム>サイコロの出目が3以下か4以上かを当てる問題ならばどうでしょう。
> ハム>期待値が3.5であることを知っている期待値主義者は、4以上に賭けませんか?
>
> この問題の訂正版を考えました。
> サイコロの出目が「1,2」、「3,4」、「5,6」のうちのどれかを当てる問題です。
> 期待値が3.5であることを知っている期待値主義者は、喜々として「3,4」に賭けるでしょうが、確率はただの1/3です。
>
どの目が出るかを「当てなければならない」ゲームでは、なんべん繰り返しても期待値は関係ありません。つまりハムさんの趣旨とずれてしまいますね。
反復試行をした場合には期待値に従った選択が意味を持つ(損得の違いを生ずる)とハムさんは言いたいのですから、
「出る目に近い予想をした者が勝ち」というゲームを持ち出すべきでしょう。
そういうゲームなら、「3,4」に賭けるのが正解です。
1回限りのゲームであっても、期待値から遠い「1,2」や「5,6」に賭ける人は非合理的です。
期待値は平均 完 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月21日(金)12時21分24秒
まとめさせていただきます。
期待値というのは平均ですので、平均できる状況において意味があるわけです。
1回きりの事象は、事象の平均ができませんので、平均である期待値には期待できません。(^_^)
1回きりの事象は、期待値ではなく確率に従うのが正しい選択になります。
(なお、量子力学の多世界解釈が事実だとしても、各世界の平均値に収束するわけではないので同じことです。)
2封筒問題は、1回きりの事象にもかかわらず期待値に従おうとしたところがパラドックスの原因だったわけです。
期待値は平均 04 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月19日(水)12時10分38秒
ハム>サイコロの出目が3以下か4以上かを当てる問題ならばどうでしょう。
ハム>期待値が3.5であることを知っている期待値主義者は、4以上に賭けませんか?
この問題の訂正版を考えました。
サイコロの出目が「1,2」、「3,4」、「5,6」のうちのどれかを当てる問題です。
期待値が3.5であることを知っている期待値主義者は、喜々として「3,4」に賭けるでしょうが、確率はただの1/3です。
期待値は平均 03 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月18日(火)12時59分1秒
>どちらを取っても得なら、交換したあとまた交換、交換……ときりがありませんから。
だから、2封筒問題では、期待値ではなく確率に従うべきだと、申し上げるわけです。これから、明らかになるといいと思います。
>量子力学が文字通りに真なら、多世界は実体ですね。ただの概念ではありません。
量子力学が大嫌いだったアインシュタインが転生した世界では、きっと不確定性原理ではなく確定原理によって量子力学が記述されていることでしょう。
私たちは、多世界を経験することができません。私も経験したことがありません。そういうことを「実体だぁ!」などとあまり叫ばない方がいいと思います。
>1万円→1円 のリスクを怖れて、1万円→1億円 のチャンスを見送るというんですか?
1億円といえば土地付きの家が買えますが、その家が1万円札になるリスクに挑戦するのですか? 家族が泣きますよ。
>「1または2または3」「4または5または6」のどちらか一方だけに必ず賭けなければならないとします。
> (目の数の金額×1万円をもらえるとします)
その設定ならば数が多い方に賭けるに決っています。
サイコロの出目が3以下か4以上かを当てる問題ならばどうでしょう。
期待値が3.5であることを知っている期待値主義者は、4以上に賭けませんか?
Re: 期待値は平均 02 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月17日(月)15時59分27秒
> No.4087[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 未開封の時も開封の時も、交換してもしなくても相手より25%得です。
>
↑意味不明ですが……? 未開封のときは対称的でプラスマイナスゼロということですね。どちらを取っても得なら、交換したあとまた交換、交換……ときりがありませんから。
ちなみに、非対称の開封のときは、相手側が開封してこちらが未開封の場合は、交換すると損になります。
>
> 2.は、私も大好きな考え方なのですが、いかんせん実体がありません。事実ではなく概念だということですよね。
>
量子力学が文字通りに真なら、多世界は実体ですね。ただの概念ではありません。
>
> 3.「1万倍」だといえば交換したくなるかもしれませんが、「1万分の1」だといえば、あまり交換したくありません。
>
1万円→1円 のリスクを怖れて、1万円→1億円 のチャンスを見送るというんですか?
>
> こんなのはどうでしょう。サイコロの期待値は3.5なので、3より大きな数に賭けたとしても、勝つ確率は1/2です。
>
「1または2または3」「4または5または6」のどちらか一方だけに必ず賭けなければならないとします。
(目の数の金額×1万円をもらえるとします)
どちらも勝つ確率は1/2なので、どちらに賭けても同じことだ、というのは間違いです。
「1または2または3」に賭ければ期待値は1万円、
「4または5または6」に賭ければ期待値は2万5千円
後者に賭けるべきです。
「予想申告した目が出れば当たり」という場合は、どの目を予想申告しても勝率は同じ1/6ですが、迷わず6と予想申告すべきです。
一度限りの賭けでも、期待値の高い方に賭けるべきなのです。
期待値は平均 02 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月17日(月)14時44分6秒
1.は、「不思議」ではなく、未開封の時も開封の時も、交換してもしなくても相手より25%得です。これは「片方の2倍」という2封筒問題の設定が原因です。ある正の数の2倍と1/2を平均すればある数より大きくなるだけのことです。
2.は、私も大好きな考え方なのですが、いかんせん実体がありません。事実ではなく概念だということですよね。
3.「1万倍」だといえば交換したくなるかもしれませんが、「1万分の1」だといえば、あまり交換したくありません。
こんなのはどうでしょう。サイコロの期待値は3.5なので、3より大きな数に賭けたとしても、勝つ確率は1/2です。
Re: 期待値は平均 投稿者:φ 投稿日:2015年 8月17日(月)01時08分6秒
> No.4085[元記事へ]
ハムさんへのお返事です。
>
> 期待値というのはあくまでも平均です。このゲームを何回も繰り返すのならば交換した方が得なのですが、1回きりならば、期待値ではなく確率によって選択すべきだと思うのです。
> 確率によって選択するならば、得をする確率は1/2、損をする確率も1/2なので、私ならば交換しません。得たものを失うリスクが1/2というのは、リスクが大きすぎると感じるのです。
>
> 1回きりのゲームにおいて、期待値に沿った選択は正しくなく、確率に従うべきだと思うわけです。
>
1回限りの出来事については期待値のみならず、確率すら意味をなさない、という論者も多いですよね。
ハムさんは、一度限りのことについて、確率は意味をなすと考えるのですね。
さて、ハムさんの疑問について答えるとしたら、3つあると思うのです。
1. 2封筒問題を、損得ではなく、計算上の期待値の問題として考える。
未開封のときは交換による新たな獲得金額の比率の期待値はゼロなのに、開封したとたんにプラス25パーセントとなる「不思議」を説明しなければならない、という2封筒問題の趣旨は、ハムさんの疑問によって影響を受けません。あくまで計算のパラドクスの問題ですから。
2. シュレーディンガーの猫や量子自殺で見ていただいたように、我々は皆、自分がただ一人だと感じているが、実は、パラレルワールドに住む内面的に区別のつかない無数の人間の集合体です。
つまり、一度しか試行していないように見えても、実は同時に無数の試行(開封して判明した金額を共通とする同設定の無数の試行)をしていることになります。
3. 「1回きりのゲームにおいて、期待値に沿った選択は正しくなく、確率に従うべき」というのは一般に正しくありません。設定を変えて、一方が他方の1万倍だとしましょう。
開封して10万円だったら、ぜひ交換すべきでしょうね。10億円を目指さないという人はよほど特殊な状況にいるのでしょう。(ただちに10万円払わないと殺される、とか)
開封して10億円だったら交換すべきでない、というかもしれません。日常感覚ではそのとおりでしょうが、効用が金額に比例するという設定が2封筒問題ですから(心理でなく論理の問題なので)、プレーヤーとして金額に合わせた新たな立場を考えるべきです。
たとえば大企業や国家や国際連合など。
プレーヤーの論理的な再設定により、やはり交換が正解となるでしょう。国家が10億円ぽっち得ても何もできませんが、10兆円あればかなりの国際貢献ができるので。
というわけで、一般に期待値に従って選択すべきだ、というのは真です。
以上の三つのうち、3は1と同じことになりますけれどね。
期待値は平均 投稿者:ハム 投稿日:2015年 8月16日(日)19時00分12秒
こんにちは。
久々に先生の本「思考実験リアルゲーム」を読みました。今回も知的好奇心を大いに刺激されました。「抜き打ち試験のパラドクス」の解決はアッパレです。
読み進むうちに、「量子自殺」と「2封筒問題」に疑義が浮びました。
こちらでは、「2封筒問題」の書き込みが多いようなので、「2封筒問題」の疑義から呈させていただきます。
・2封筒問題の疑義
「開封バージョン」なるものにおいて、期待値が25%増になるので、交換した方が得になるとおっしゃっていますが、期待値をこのように使うのは良くないと思うのです。
期待値というのはあくまでも平均です。このゲームを何回も繰り返すのならば交換した方が得なのですが、1回きりならば、期待値ではなく確率によって選択すべきだと思うのです。
確率によって選択するならば、得をする確率は1/2、損をする確率も1/2なので、私ならば交換しません。得たものを失うリスクが1/2というのは、リスクが大きすぎると感じるのです。
1回きりのゲームにおいて、期待値に沿った選択は正しくなく、確率に従うべきだと思うわけです。
Re: 期待値の存在性 投稿者:φ 投稿日:2015年 7月27日(月)04時31分1秒
> No.4083[元記事へ]
TTTさんへのお返事です。
>
> 単純に
> 「期待値(期待値計算)が具体的に計算できない」と「期待値が存在しない(期待値計算が絶対収束しない)」
> を混同しているのしょうか。
> それとも
> 「Xに関する事前分布が分からない(情報が何も与えられていない)」と「事前分布が存在しない」を混同していて
> 「事前分布が存在しないから期待値も存在しない」と思っているのでしょうか。
>
期待値が発散するから存在しないということと、事前確率分布や期待値がわからない、ということはもちろん別のことでしょう。
2封筒問題においては、特定の事前確率分布や期待値を与えてしまうと問題が成り立たないという構造を持つので、単に「事前確率分布や期待値についての情報がない」というより、「特定の値や分布に定めてはいけないという指令が与えられている」と言うべきです。
期待値は、特定の値を持たないなら値として存在するとは言えず、「2封筒問題は問題として設定内に封筒内金額の期待値を持たない」つまり「期待値は存在しない」。
これは言葉の誤用ではないでしょう。
事前確率や期待値は、そのつど勝手に決めてイメージするのは自由ですが、問題の本質には関係ありません。2封筒問題では(ゲームGでも)事前確率は使わないのです。
2封筒問題は、事前確率や期待値がなくても、交換による金額変化の期待値を求めることができたり、開封という条件付けによって事後確率が発生し期待値が求められるという問題なのです。
>
> 事前分布は未知(あるいは未定)なだけで、存在はします。
> 確率の話をしているわけですから、「確率的に定まる(事前分布が存在する)」と考えるのが大前提でしょう。
>
事前確率分布は常に存在するとでもいうのでしょうか?
それは錯覚でしょう。
確率分布を与えるためには、母集団を限定しなければなりません。たとえば、封筒に金額を入れる(あるいは金額ペアを決める)胴元は男なのか女なのか、年齢、国籍はどうなのか、人間に限定するのかコンピュータプログラムも含むのか、キーボードの上を歩いた猫や風によって偶然印字される場合も含むのか、金額決定メカニズムのどの範囲までを問題設定として含むのかが決まっていないのです。
決まらないまま(というか、決まってはいけないという設定のまま)、「とにかく金額入りの封筒がここにあります」というのが2封筒問題です。(私の今回のゲームGもそうです)
そういう場合、端的に、確率分布は存在しません。
これは言葉の誤用ではないでしょう。
>
> もし「確率の話はしたくない」「事前分布は存在しない」と言い張るのであれば
> 「期待値E[X]やE[Y-X]が存在するのか否か」という話自体ができません
> (長々書いていた計算γや計算δなどの話も全て無意味になってしまいます)
> から、いずれにしろ「E[X]は存在しない」と言うことにはなりません。
>
問題全体として事前確率分布がないのだからE[X]は存在できないが、E[Y-X] はE[X]に依存せずに存在できるというのが2封筒問題およびゲームGです。
もちろん、事前確率分布がないからといってナンデモアリではありません。
『思考実験リアルゲーム』p.211の注28に述べたβ「胴元によって選ばれる可能性のあった封筒ペア(ゲームGの場合、「金額」)は、どれも選ばれる確率が等しい」ということが(全くの無知無設定ゆえに)帰結するからです。
母集団全体は未設定なので事前確率分布はないが、ゲームの進展により母集団が確定すれば(たとえば封筒内金額を見れば)、残った可能性に対して一様分布を当てはめればよいということですね。
換言すると、
「未設定だから主観確率の趣旨からして事前確率分布は一様分布とせよ。ところが可能な確率変数の値が無限個なので一様分布は不可能。だから事前確率は存在せず。しかし一方を開封すればペアが2種類に決定するので、事後確率分布は一様分布として決定できる」。
>
> Hのとり得る値の集合{h1,h2,h3,…}は
> {+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}という集合と同値で
> 期待値の定義より
> Hの期待値E[H]は
> 級数Σ{(h_k)×(P(H=h_k))}が絶対収束するならば、に存在し、その収束値となります。
>
{+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}という書き方はよくありませんね。
この書き方は、ゲームGの問題設定を無視しています。
ゲームGは「ある未知の金額入りの封筒をすでにもらっている」という設定です。
つまり、これからGをすることで変化する金額変化の値の集合で各可能世界群を表記するとして、
封筒を手にしているプレーヤーが存在している可能性のある可能世界群は
{+(x1), +(x2), +(x3), …}
{-(x1), -(x2), -(x3), …}
の二種類ではありません。
{+(x1), -(x1) }
{ (x2), -(x2) }
{(x3), -(x3) }
……
という無数の種類の可能世界群です。
胴元が金額を決めた時点は、コインの裏表が決まる時点よりも前なのですから。
つまりコイン投げをする直前、プレーヤーは
A「金額はすでに決まっていて勝ちか負けかが未定で重ね合わさっている」状態に居るのであって、
B「勝ちか負けかがすでに決まっていて金額が未定で重ね合わさっている」状態に居るのではありません。
∪で結びつければどうせ同じ全体集合になるのだから同じじゃないか、というのは問題設定を無視することになります。2封筒問題における括弧付け替え計算主義者と同じことになってしまいますね。
確率変数の値をグループ分けするとき、必ず、問題設定からして意味のある(原理的に同じ重みで重ね合わせになっている値どうしを組み合わせた)可能世界群ごとに分けなければなりません。重ね合わさっていない可能性どうしを勝手に重ね合わせるのは反則です。たとえば、遠い昔に分岐した世界どうしを組み合わせ、これから分岐するはずの世界どうしを引き離してしまうのは捏造です。
{+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}というグループ分けは、その恣意的な(ゲリマンダー的な)可能世界の仕分けBをやっているのです。ゲームの構造に対応していません。
論理空間(可能世界の集合)は到達可能関係による構造を持っています。胴元による金額決定と、コイン投げによる勝敗決定の順序に従ってください。
>
> 絶対収束するか判断する為には|H|の期待値計算を調べます。
> |H|のとり得る値の集合は
> {+(x1), +(x2), +(x3), …}で
> 各確率はp(n)なので
> 級数Σ{(x_n)×p(n)}が収束すれば、そのときに限り、E[H]が存在します。
>
{+(x1), +(x2), +(x3), …} という区分けは、コイン投げの直前に意味をなす可能世界群ではない(なぜか勝敗を勝手に決めたうえで封筒内金額の変化を許している)ので、この集合に依拠したTTTさんの説明は無効です。数字を並べ替えて恣意的に機械計算したにすぎず、ゲームの時間的進展(可能世界の分岐の歴史)に対応していません。
「コインを投げて、勝ちか負けかが決定し、プレーヤーもそれを認識した。では結果はどうなったか、読者の観点からの期待値を求めてください」という出題なら、{+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}というグループ分けが意味をなすかもしれませんが。
しかしそれはゲームGではありません。
ゲームGは、コイン投げ直前の、プレーヤー視点の期待値を問う設定のつもりなので。(2封筒問題もプレーヤー視点でしたから、自然な設定のはずです)
>
> 2封筒問題における計算γも
> X-Yの期待値計算ではなく
> E[X-Y|N]の期待値計算、つまりE[EX-Y|N]]を求める計算です。
> (ただしN=min{X,Y}という確率変数。つまり{X,Y}={N,2N}となるようなN)
>
> ちなみに
> 計算δはE[X-Y|X]の期待値計算、E[E[X-Y|X]]です。
>
そのとおりで、各段階を経て期待値を求めまたその期待値を順に求めてゆく、というのがゲーム全体の期待値を求める正しい方法になります。
γは可能世界の正しい分岐順序に従った期待値計算であり、δは分岐の経緯を無視した誤った計算です。
>
> 単にE[E[H|X]]を求めただけでは
> E[H]の存在性については何もいえません。
> (実際には既に示したようにE[X]が存在する場合に限り、E[H]も存在します)
>
金額がもう決められて、コイン投げの結果はまだ重ね合わさっているという当該状況では、対立する可能性は {+(xk), -(xk) } だけです。
これの期待値は、当該状況の可能世界群においては(つまり可能などのkについても)ゼロに決定しており、E[H]もE[E[H|X]]もゼロです。
期待値の存在性 投稿者:TTT 投稿日:2015年 7月25日(土)18時46分10秒
> No.4082[元記事へ]
φさんへのお返事です。
はじめに訂正というか補足
Xの期待値計算が絶対収束する「ならば」E[X]は存在する
というようなことを書きましたが、一応言っておくと
定義なのですから
この「ならば」は「⇒」という意味ではなく「⇔」の意味です。
つまりより厳密な言い方をするなら
Xの期待値計算が絶対収束する「ならば、そのときに限り」E[X]は存在する
となります。
「⇒」の意味だと勘違いして
絶対収束しない場合はE[X]の存在性について何も言えない
絶対収束しない場合も、E[X]は存在するかもしれない
等と考えるのは誤りですので注意してください。
> 「あり得る」どころか、
> ただ未開封の封筒が与えられて他に何の情報もないという2封筒問題未開封の一般的設定では、
> 封筒内金額そのものの期待値は存在しない、
> ということは、ここにおられた全員が認めていたと思いますが。
> 私も例外ではありません。
まずここから違います。
私は「存在しない(存在し得ない)」なんて言ってません。
私は
定義(|X|の期待値計算が収束するか発散するか)で、期待値E[X]が存在するのかどうか決める
と言っているのに、なぜ
> 「公式から判断する」という原理によれば、
> 始めにもらった封筒内金額をXとして、E[X]は存在せず、
なんてことになるのでしょうか?
|X|の期待値計算が発散すると示せるんですか?
それは無理ですよね。Xに関する確率分布が分からないので
|X|の期待値計算は収束するとも発散するとも断言できず、どちらの可能性もあります。
E[X]が存在する可能性、存在しない可能性のどちらもあります。
φさんが「E[X]は存在しない(存在し得ない)」という勘違いをしている
(しかもお互い認めてるという勘違いまでしている)のはなぜでしょう?
単純に
「期待値(期待値計算)が具体的に計算できない」と「期待値が存在しない(期待値計算が絶対収束しない)」
を混同しているのしょうか。
「2封筒問題未開封の一般的設定では、封筒内金額そのものの期待値は具体的に計算できない」
ということであれば私ももちろん認めていますが
「具体的に計算できない」と「期待値が存在しない(条件収束しない)」は全く意味が違います。
それとも
「Xに関する事前分布が分からない(情報が何も与えられていない)」と「事前分布が存在しない」を混同していて
「事前分布が存在しないから期待値も存在しない」と思っているのでしょうか。
事前分布は未知(あるいは未定)なだけで、存在はします。
確率の話をしているわけですから、「確率的に定まる(事前分布が存在する)」と考えるのが大前提でしょう。
もし「確率の話はしたくない」「事前分布は存在しない」と言い張るのであれば
「期待値E[X]やE[Y-X]が存在するのか否か」という話自体ができません
(長々書いていた計算γや計算δなどの話も全て無意味になってしまいます)
から、いずれにしろ「E[X]は存在しない」と言うことにはなりません。
> ゲームGをするときの利得の期待値
まず準備として確率空間を考えます。
標本空間Ωは
という要素からなる集合として表せ
確率測度Pは、x_nの分布p(n)を用いて
P(ω=
と表せます。
> ゲームGをするときの利得
> 〈Gをした場合にしない場合よりいくら得するか〉
これに対応する確率変数(Hとする)とは
ω=
> その封筒を返却して倍額入りの封筒をもらう
だから
-(x_n)+2(x_n)=+(x_n)
ω=
> 単に返却する
だから
-(x_n)
となるΩ上の実数値関数となります。
Hのとり得る値の集合{h1,h2,h3,…}は
{+(x1), +(x2), +(x3), …}∪{-(x1), -(x2), -(x3), …}という集合と同値で
期待値の定義より
Hの期待値E[H]は
級数Σ{(h_k)×(P(H=h_k))}が絶対収束するならば、に存在し、その収束値となります。
絶対収束するか判断する為には|H|の期待値計算を調べます。
|H|のとり得る値の集合は
{+(x1), +(x2), +(x3), …}で
各確率はp(n)なので
級数Σ{(x_n)×p(n)}が収束すれば、そのときに限り、E[H]が存在します。
ところで
|H|の期待値計算Σ{(x_n)×p(n)}は
Xの期待値計算でもあるので
E[X]が存在すれば、そのときに限りE[H]も存在する
と言えます。
定義に従い考えていけば
何も難しいことはない平凡な事例だと思うのですが。
> Σpn((2Xn-Xn)/2+(0-Xn)/2)=0
>
> ↑この計算は合っていますか?
> 合っていないとしたら、どこがダメですか。
この計算は定義と照合して考えると
Hの期待値計算ではなく
E[H|X]の期待値計算、つまりはE[E[H|X]]を求める計算です。
2封筒問題における計算γも
X-Yの期待値計算ではなく
E[X-Y|N]の期待値計算、つまりE[EX-Y|N]]を求める計算です。
(ただしN=min{X,Y}という確率変数。つまり{X,Y}={N,2N}となるようなN)
ちなみに
計算δはE[X-Y|X]の期待値計算、E[E[X-Y|X]]です。
補足
条件付期待値E[H|X=x]が存在するとき、その値はxによって変わりうるので
f(x)=E[H|X=x]となるような関数fを定義することができるのですが
この関数fを用いて表される確率変数f(X)をE[H|X]と書きます。
E[H|X]は確率変数なので、期待値を考えることができ
存在するならば、E[E[H|X]]と表されます。
期待値や条件付確率、条件付期待値の定義から導出される公式として
確率変数X,Yとして
E[X]が存在し、E[X|Y=y]が任意のyで存在するとき
E[E[X|Y]]も存在し、E[E[X|Y]]=E[X]となる
というのがあるので
E[H]が存在するのであれば
φさんの計算で求まるE[E[H|X]]はE[H]と同値となり
φさんの計算も間違いではありません。
しかし単にE[E[H|X]]を求めただけでは
E[H]の存在性については何もいえません。
(実際には既に示したようにE[X]が存在する場合に限り、E[H]も存在します)
E[E[H|X]]が存在して0になるからといって
E[H]も存在して0になると判断するのは間違いです。
E[H]が存在する時に適用できる公式を
E[H]が存在しない可能性もあるのに適用してしまったこと
(しかもそれにより「E[H]が存在する」と導出するという循環論法を犯してしまっていること)
がφさんの誤りです。
Re: (無題) 投稿者:φ 投稿日:2015年 7月13日(月)21時27分43秒
> No.4079[元記事へ]
TTTさんへのお返事です。
>
> その前に確認しますがφさんは
> 未開封バージョンで、封筒内金額の期待値が存在しない(有限の値ではない)ことも有り得る
> というのは認めるのですね?
>
「あり得る」どころか、ただ未開封の封筒が与えられて他に何の情報もないという2封筒問題未開封の一般的設定では、封筒内金額そのものの期待値は存在しない、ということは、ここにおられた全員が認めていたと思いますが。私も例外ではありません。
問題になるのは、交換したときの利得(獲得金額変化)であり、それを期待値で表現できるかどうかです。
>
>> 封筒の交換による獲得金額変化の期待値が存在しないと判断するための、
>> TTTさんの一般的原理を教えてください。
>>
> 当然のことですが、期待値の定義(あるいはその定義から導出される公式などの命題)から判断するしかありません。
>
> 級数Σ{(x_k)×(p_k)}が絶対収束するならば
> その収束値をXの期待値といいE[X]と表す.
>
> > ある未知の金額入りの封筒をもらったとして、その封筒を同額入りの封筒と交換した時
> というような場合、つまりY=Xの場合には
> 例えE[X],E[Y]が存在しなくとも
> Z=Y-Xのとり得る値は0だけ(当然その確率は1)なので
> {|0|×1}=0<∞
> よってE[Y-X]は存在し、E[Y-X]=0
> と言えるのです。
>
「期待値の定義(あるいはその定義から導出される公式などの命題)から判断する」が一般的原理ということですね。
それでは、ひとつ質問があります。
Z=Y-Xのとり得る値は0だけ ではない事例です。
「ある未知の金額入りの封筒をすでにもらっているとして、次に、〈①その封筒を返却して倍額入りの封筒をもらう、②単に返却する〉の一方を、フェアなコイン投げで決めるゲームGをする場合」
ゲームGをするときの利得の期待値です。
(〈Gをした場合にしない場合よりいくら得するか〉の期待値)
「公式から判断する」という原理によれば、
始めにもらった封筒内金額をXとして、E[X]は存在せず、
ゲームGをすれば利得の期待値は (2X-X)/2+(0-X)/2=0
正確には(以下2行は本当は不要ですが)
各Xn の確率pn の分布がどうであれ
Σpn((2Xn-Xn)/2+(0-Xn)/2)=0
↑この計算は合っていますか?
合っていないとしたら、どこがダメですか。
合っているとしたら、元の2封筒問題で同じ趣旨の計算をしてはなぜダメですか。
まずはこのことの説明をしていただかないと先へ進めない気がするので。
(無題) 投稿者:TTT 投稿日:2015年 7月12日(日)03時14分2秒
> TTTさんは括弧付け替え計算が誤りであることについては同意なのですね。ならば大筋で私は満足です。
残念ながら無限大論者に共感できないからといって、φさんの論に共感、同意できるというわけでもありません。
9章10章の確率の話の中でφさんの論に共感、同意できる部分は極わずか、ほとんどありませんでした。
指摘したいことが多過ぎて、書いてるとどこまででも長くなりそうなので
今回の投稿では以下の点にだけお答えします。
> 未開封バージョンで、「交換したときの得失の期待値はゼロ」というのは「期待値」という用語の誤用だというわけですか。
> その根拠は?
> 封筒内金額の期待値が存在しないから、というものでしょうか。
もちろん違います。
が、その前に確認しますがφさんは
未開封バージョンで、封筒内金額の期待値が存在しない(有限の値ではない)ことも有り得る
というのは認めるのですね?
計算γやδとやらでは
金額の各組の選ばれる確率を
…,f,g,h,i,…
としていたわけですが、この分布によっては
手元の金額Xや、もう一方の金額Yの期待値E[X],E[Y]は存在しないこともあり得るわけです。
同様に
> 交換したときの損得
> 交換したときの得失
つまりは
交換した時の増加量
Y-X
の期待値E[Y-X]も分布によっては存在しないこともあり得る
というだけのことです。
> 封筒の交換による獲得金額変化の期待値が存在しないと判断するための、TTTさんの一般的原理を教えてください。
当然のことですが、期待値の定義(あるいはその定義から導出される公式などの命題)から判断するしかありません。
☆期待値の定義
(離散型)確率変数Xの取り得る値の集合を
{x_1, x_2, x_3, …} (i≠j⇒x_i≠x_j)とし
X=x_k である確率P(X=x_k)=p_k、Σ{p_k}=1とすると
級数Σ{(x_k)×(p_k)}が絶対収束するならば
その収束値をXの期待値といいE[X]と表す.
これが(離散型の場合の)期待値の定義です。
「級数Σ{(x_k)×(p_k)}が絶対収束する」とは
「級数Σ{|(x_k×(p_k)|}が収束する」ということです。
p_k は確率なので常に|p_k|=p_k≧0ですから
「級数Σ{|x_k|×(p_k)}が収束する」とも換言できます。
また、このような級数は
収束しない場合は必ず+∞に発散する(振動したり、-∞に発散することはない)ので
収束することを便宜的に「Σ{|x_k|×(p_k)}<∞」と書くこともあります。
一般的なことではありませんが、この掲示板内などでは
Σ{(x_k)×(p_k)}のことを、
Xの期待値計算(またはE[X]の期待値計算)と呼んでいました。
Σ{|x_k|×(p_k)}とは、|X|の期待値計算のことですから
E[X]が存在する為の条件は、|X|の期待値計算が収束する(有限値になる)こと
と換言することもできますね。
簡易的に書かれたものには「絶対収束する場合に期待値が定義される」という条件が明記されてないことが多く
残念ながらwikipediaの「期待値」の離散型確率変数の期待値の定義にも書かれてはいませんが
連続型確率変数の定義のところにはある
Xが可積分である;∫|X(ω)|dP(ω)<∞ 場合に期待値が定義される
という部分がこれに相当し(∵可積分とは積分の絶対収束のこと)、
離散型の場合にも厳密には(定義がwell-definedである為には)必要になります。
さて
確率変数X,Yに対して
Y-Xというのも1つの確率変数(Zとする)とみなせますから
Y-Xの期待値というものも(存在するかどうか、存在する場合に値はいくつになるか)
考えることができるわけです。
E[Y-X]が存在するか否かを定義通りに求めるには
Z=Y-Xとして
Zのとり得る値{z1,z2,z3,…}と、各値に対応する確率{p1,p2,p3,…}を列挙し
Σ{|z_k|×(p_k)}が収束するか否かを調べればよいのです。
> ある未知の金額入りの封筒をもらったとして、その封筒を同額入りの封筒と交換した時
というような場合、つまりY=Xの場合には
例えE[X],E[Y]が存在しなくとも
Z=Y-Xのとり得る値は0だけ(当然その確率は1)なので
{|0|×1}=0<∞
よってE[Y-X]は存在し、E[Y-X]=0
と言えるのです。
封筒問題の設定の場合
簡単な場合として
とり得る金額が2^n (n=…,-2,-1,0,1,2,…) のみの場合
つまり
n=…,-2,-1,0,1,2,…で
で
Σ{p(n)}+Σ{q(n)}=1
という場合で考えます。
(とり得る金額として他の自然数や有理数、可算個の無理数なども含むような一般の場合でも
工夫すれば同様に計算できるので、この簡単な場合で示せばほぼ十分なのです)
この場合において
|Z|=2^n となる確率はp(n)+q(n)
なので
Σ{(2^n)×{p(n)+q(n)}}が収束するか否かを調べれば
E[Z]=E[Y-X]が存在するかどうかがわかります。
ところで、定義から
Xの期待値計算e[X]=Σ{(2^n)×{p(n)+q(n-1)}}
これを整理すると
e[X]=Σ{(2^n)×{p(n)+2q(n)}}.
同様に
e[Y]=Σ{(2^n)×{2p(n)+q(n)}}.
2式を合わせて3で割ると
{e[X]+e[Y]}/3=Σ{(2^n)×{p(n)+q(n)}}
となり、右辺が|Z|の期待値計算になりました。
E[X],E[Y]が存在しない(X,Yの期待値計算e[X],e[Y]が+∞に発散する)場合には
|Z|の期待値計算も+∞に発散するので
E[Z]=E[Y-X]は存在しない
と言うことができます。
ちなみにこの計算では
X,Yの確率分布に対称性があること
すなわちp(n)=q(n)である
という条件は用いていないので、X,Yの確率分布が対象でない場合
例えば、Xが選ばれた金額の組の内の低い方である確率は60%,高い方である確率は40%であるとする設定など
でも成立します。
今回はここまで。
以下、保留事項をメモしておきます。
> 私の「未開封バージョンの得失の期待値はゼロ」という推論プロセスのどこに誤りがあるのか
期待値の定義に沿わない、反してる部分が誤りになるのですが
具体的に指摘して説明していくと長くなりそうなので、次投稿にまわします。
期待値の定義を知ったことでφさん自身が誤りを自覚し、自説を一部でも撤回するなら
その分、私が指摘する労力が減って楽なのですが・・・。
> ではその「別のある仮定」「無条件でない場合」とはどういうものなのでしょうか
> 私の「迷走」なるものについての具体的ご指摘
これらは一方の封筒を開封した状態や封筒問題全体の話が関わってくるので
未開封状態に関して一段落つくまでは保留します。
Re: 『思考実験リアルゲーム』読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 6月26日(金)15時33分4秒
> No.4077[元記事へ]
TTTさんへのお返事です。
>
> 本の細かい批判に入る前にまずは2点だけ
>
「細かい批判」の方に期待させていただくとして、
とりあえず二つの点に簡単にお答えしておきます。
>
> 1点目
>
> > 無限大論者の立場では、「未開封バージョンで交換したときの損得の期待値が計算できない」
> > という初歩的ナンセンスに陥ってしまう
>
> 10章の最後で「思考実験で検証することができない例」として「学術用語の意味または定義に関わる主張」というのがありましたが
> これが正にそれで、「期待値」の定義上「(例え交換前後に対称性があっても)期待値が存在しない」ということはありますから
> ナンセンスでもなんでもありません。
>
開封バージョンには無限大が関わってきませんから、未開封バージョンのことを言っていますよね。
で、未開封バージョンで、「交換したときの得失の期待値はゼロ」というのは「期待値」という用語の誤用だというわけですか。
その根拠は?
封筒内金額の期待値が存在しないから、というものでしょうか。
もしそれが根拠なら、納得しがたいですね。
たとえば、ある未知の金額入りの封筒をもらったとして、その封筒を同額入りの封筒と交換した時に新たに得られる金額の期待値は?
ゼロですね。プラス未知の金額マイナス同じ金額で、ゼロです。対称性の原理により。
つまり、封筒内金額の期待値が存在しないからといって、「なにかと交換した場合(ほかに、返却した場合、等々)」の期待値が存在しないということはありませんね。
というわけで、「封筒内金額の期待値が存在しないから」というのは、その封筒についてある操作がなされた時の期待値が存在しないことの一般的な理由にはなりえません。
封筒の交換による獲得金額変化の期待値が存在しないと判断するための、TTTさんの一般的原理を教えてください。
あるいは、もしTTTさんがそう判断しないなら、私の「未開封バージョンの得失の期待値はゼロ」という推論プロセスのどこに誤りがあるのか、もっと明確にお願いします。
>
> 2点目。
>
> 本に出てくる無限大論者の考えに私が共感・理解できる部分はほとんどありませんでした。
>
それならいいんです。
しかし実際、括弧付け替え計算をする人がいたでしょう、この掲示板には。
TTTさんは括弧付け替え計算が誤りであることについては同意なのですね。ならば大筋で私は満足です。
>
> 確かに私は「期待値が存在しない(無限大になる)」というケースを紹介しましたが
> それは2封筒問題の話を発展していった時(つまり別のある仮定をした時)に導出される結論の1つとして言ったのであって
> 無条件に(元の問題の設定で)「期待値が存在しない(無限大になる)」とは言ってませんし
> それが2封筒問題の答えだとも言ってません。
>
> この掲示板では私以外にも期待値が存在しない(無限大になる)場合に関して書かれている方も居ましたが
> その方も基本的には私と同様の考えで
> 「無条件に元の問題で期待値が無限大になる」等とは言っていなかったはずです。
>
ではその「別のある仮定」「無条件でない場合」とはどういうものなのでしょうか。
あくまで2封筒問題の話をしたいので、あまり変則的な事例に変えてほしくはありませんが。
>
> 存在しない(存在が相当怪しい)無限大論者を長々と相手にしている点は
> 今回のφさんの迷走の大きな理由の1つだと思います。
>
ここで括弧付け替え計算をしていた人は明らかに無限大論者でしたよ。
私の「迷走」なるものについての具体的ご指摘を楽しみに待ってます。
『思考実験リアルゲーム』読みました 投稿者:TTT 投稿日:2015年 6月25日(木)19時59分31秒
お久しぶりです。
『思考実験リアルゲーム』読みました。
9章10章の確率の話を読んで
φさんの考え方は、確率論やベイズ確率の考え方とは異なる、逆行してる
と再認識しましたが、それだけではなく
今回はいつにも増して迷走してる印象を受けました。
今までのφさんの理論はまだ
単に「数学的、ベイズ的な考え方とは異なる別の考え方をしてる」という捉え方もできなくはなかったので
「(数学的、ベイズ的には間違いだけれど)一応、理論の筋は通っている」と思える部分もあったのですが
今回の本の内容は、φさんの理論の中で考えても、「捉え方」の問題では済まない部分、筋の通っていない部分が多くありました。
これでは
本を読んでも全く理解できなかったという人が居るのも無理ないでしょうね。
本の細かい批判に入る前にまずは2点だけ
1点目
> 無限大論者の立場では、「未開封バージョンで交換したときの損得の期待値が計算できない」
> という初歩的ナンセンスに陥ってしまう
10章の最後で「思考実験で検証することができない例」として「学術用語の意味または定義に関わる主張」というのがありましたが
これが正にそれで、「期待値」の定義上「(例え交換前後に対称性があっても)期待値が存在しない」ということはありますから
ナンセンスでもなんでもありません。
ただ10章最後で
> 「期待値」のそういう定義が不満なら、「本当は違う」と主張するのではなく、
> 「定義を変えよう」と提案すべきなのである。
などと書かれている部分がありますが、これには反対です。
期待値のように広く用いられている学術用語の定義を軽々しく変えるべきではありません。
そんなことをしても無用な混乱や悪用を招くだけです。
「本来の期待値の定義とは異なるが、こういう意味のものを期待値だと新しく定義しよう」
と提案するよりも
「こういう意味のものは、(期待値とは別概念として別の名前で)○○と呼ぼう」
と提案すべきでしょう。
「常識的に考えれば、対称性があるんだから交換したときの損得の期待値は0だ」
という主張は、期待値の定義からは、通りません。
「(期待値の定義を本来のものから変えて)そうなるものを期待値と呼ぶんだ~」と言うのではなく
期待値とは別の概念を作って「○○(期待値とは別の概念)が0になる」という主張の仕方をするか
"損得"の定義や"常識"の方を見直すべきです。
2点目。
本の中で"無限大論者"なる者が出てきますが、
私は無限大論者ではありません。
もしφさんが私のことを無限大論者だと思って、
私に反論するつもりで無限大論者に対する反論を書いているのであれば、相当酷い見当違いです。
悪質な藁人形論法と言えるでしょう。
私の主張は無限大論者の主張と部分的に似ている所もあるかもしれませんが
考え方は全然違います。
本に出てくる無限大論者の考えに私が共感・理解できる部分はほとんどありませんでした。
例えば、無限大論者の考えとして
> 封筒の中の金額はいくらでもありうる。
> だから、金額の可能性を列挙してゆくと無限大に発散し、期待値が求められない。
と書かれています(こう考える人がけっこう多いとまで書かれています)
が、この時点で私の考えとは全く異なるし
それどころか、こんなことを言ってる人を私は見たことがありません。
少なくともこの掲示板ではこのようなことを言っていた人居ませんでした。
確かに私は「期待値が存在しない(無限大になる)」というケースを紹介しましたが
それは2封筒問題の話を発展していった時(つまり別のある仮定をした時)に導出される結論の1つとして言ったのであって
無条件に(元の問題の設定で)「期待値が存在しない(無限大になる)」とは言ってませんし
それが2封筒問題の答えだとも言ってません。
この掲示板では私以外にも期待値が存在しない(無限大になる)場合に関して書かれている方も居ましたが
その方も基本的には私と同様の考えで
「無条件に元の問題で期待値が無限大になる」等とは言っていなかったはずです。
そもそも
「可能な金額がいくらでも大きくなり得るから、金額の期待値も無限大」
というのが明らかな誤りでしょう。
「可能な金額が無限個でいくらでも大きくなるけど、期待値は存在(有限)」ということもあります。
しかし
「期待値が存在しない場合」というのを知ってる人や
「金額の可能性が無限個にある場合」に着眼点をもつような人が
「金額の可能性が無限にあるなら期待値は無限大になる」という間違いを犯す
(しかも「そういう人がけっこう多い」)というのはどうも考えにくい。
逆に「金額の可能性が無限にある場合」や「金額の可能性が無限にある場合」を考えたこともないような人は
「金額の可能性が無限にあるなら期待値は無限大になる」と考えることもないでしょうから
この間違いを犯すこともないはずです。
無限大論者なる者は
知識がなければ犯しようがない間違いであり
知識があるならまず犯さない間違い
を犯している不自然な存在です。
本当は実在していない、φさんの創り出した藁人形
と考えた方がよほど尤もらしいでしょう。
存在しない(存在が相当怪しい)無限大論者を長々と相手にしている点は
今回のφさんの迷走の大きな理由の1つだと思います。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月17日(火)02時20分47秒
> No.4075[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
誤記のご指摘ありがとうございます。
『思考実験リアルゲーム』の第9章、第10章は、確かに難しいですよね。
私も百%正しいと確信できるか、と言われると、「まだ考察の余地があるかもしれない」と言わざるをえませんが、
「無限大論者」が間違っていることについては十分説明できたのではないかと思っています。
なによりも、無限大論者の立場では、「未開封バージョンで交換したときの損得の期待値が計算できない」という初歩的ナンセンスに陥ってしまうのが致命的です。
さて、
女にとってSEXは最終兵器のはずなのですが、まあかなり値崩れしていますね。
核兵器を使いかねない国のように、sexを簡単に使う(使いかねない)女は「男に媚びている」と周囲の女から白い目で見られる傾向はまだまだあるのですが、
「簡単に使うわけではなく、好きな人に使う(特定の男だけに媚びる)」場合にはむしろよいことだと女からも男からも見られていて、それがねぇ…………という話になるわけです。
男にとってSEXは……男自身にとってはとりあえず兵器でも何でもないですよね。むしろ自己目的的な娯楽というか。
だから(女と違って)目的を果たせなかったときの虚しさのようなものはないですよね。それ自体目的だから。
男にとって「女にとってのSEX」が重大なものであり続けていることは確かだとは思いますけれどね。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 2月15日(日)23時29分58秒
φさんへのお返事です。
少し前の投稿についてですが、
> そのレビューで言われている 「セックスは女の武器」 のトリッキーさは、世に誤って伝えられている感があります。
> レビュアーさんの言うとおり「女の武器を使うのではなく、「使わない」戦略」が重要なわけで。
> 核の抑止戦略と同じ。
> セックスは核兵器なんですね。女にとっては。
> (男にとっては?)
ここ(男にとっては?)が、難しいです。
核兵器と対称的な比喩が浮かびません。どんなものでしょうか……。
※たぶん、最後に軽く付言されたクイズと思いますが、もやもやが続いています。
ところで、『思考実験リアルゲーム』、先ほど読み終えました。とても楽しかったです。
私も集中的議論・散発的議論など繰り広げられたら(せめて一枚噛むとかできたら)楽しかろうと思いますが、正直、第10章はただ文字をなぞっていくような読みしかできませんでした。
場面設定を脳内維持するのが難しかったですね。敵役(?)の無限大論に丁寧に反駁するあたりから上の空になってしまった感じは否めません。
相手方の主張や動機を理解できないことと、単純に私の数学音痴(したがって確率音痴)により。
一方で、第3章から第8章は、とくに量子自殺・量子不死については、ちょっと興奮ですね。
賞金より生死や幸福を扱ったほうが舞台を脳内維持しやすいことなどあるのかもしれません。
さて、内容的批判ができないものの、いくつか誤記と思うものを見つけましたので、ご報告します。
1 第6章の扉(p. 127)の英語の箇所 "faking re[g]ults of thought experiments" とありますが re[g]ults は re[s]ults ではないでしょうか?
2 第6章(p. 130)第5段落『名指し[の]必然性』は、『名指し[と]必然性』
3 第7章の扉(p. 145)の名前の箇所 "Schrodinger[?] cat" は、"Schrodinger['s] cat" ※アキュートアクセントではなくアポストロフィに
Re: 二人の子供問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月11日(水)00時43分56秒
> No.4073[元記事へ]
Old Boyさんへのお返事です。
>
> "I have two children. One is a boy born on a Tuesday. What is the probability I have two boys?"
>
> これの答えも1/2なのですね? 1/3や13/27ではなく。
>
自分で言っているわけですから、「少なくともひとりは男の子ですか?」「はい」というパターンではありませんね。
ましてや「少なくともひとりは火曜日生まれの男の子ですか?」「はい」というパターンでもありませんね。
何曜日だろうが、たまたまひとりの男の子にあてはまる曜日を言ったわけで。
ふたりとも男の子である確率は、1/2です。
「火曜日生まれの男の子はいますか?」「います」という場合は、
ふたりとも男の子である確率は、13/27 です。
↑この理屈は、すでにご覧になったかもしれませんが、
『論理パラドクシカ』問10でわりと詳しく述べました。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:Old Boy 投稿日:2015年 2月10日(火)21時29分29秒
> No.4072[元記事へ]
φさんへのお返事です。
いやあ、人の話を聞いてぱっとそういう区別(計算)は難しいかと。
ちなみに
"I have two children. One is a boy born on a Tuesday. What is the probability I have two boys?"
これの答えも1/2なのですね? 1/3や13/27ではなく。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 8日(日)15時02分3秒
> No.4071[元記事へ]
Old Boyさんへのお返事です。
>
> "I have two children."
> と言ったときに。
> 男の子はいますか?と質問されて、
> "At least one is a boy."
> と答えれば「男の子2人である」確率は1/3。
>
> "I have two children."
> と言い、続けて(質問なしに自分から)
> "At least one is a boy."
> と答えれば「男の子2人である」確率は1/2。
>
> どちらも、確率を計算する情報としては極めて明確かもしれませんが
> 確率の計算法を区別することは凡人には不可能ですね。
>
前者をα、後者をβとして、
ともに、ベイズの定理にシコシコ当てはめれば、いちおう簡単と言えるのではないでしょうか。
P(A)……P(男男)=1/4
P(B)……P(男女)=1/4
P(C)……P(女男)=1/4
P(D)……P(女女)=1/4
P(E|A)=αでもβでも1
P(E|B)=αでは1 βでは1/2
P(E|C)=αでは1 βでは1/2
P(E|D)=αでもβでも0
P(A|E)=P(E|A)P(A)/(P(E|A)P(A)+P(E|B)P(B)+P(E|C)P(C)+P(E|D)P(D)=αでは1/3 βでは1/2
ちなみに、
さらに「本当ですか?」と聞いて「はい」と答えた場合は、ウソをつく確率をゼロとすれば(これはすべての発言に前提されている条件なので)、
P(G)……P(はい)=1
P(A|E&G)=P(A|E)
αでもβでも計算に影響ありません。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:Old Boy 投稿日:2015年 2月 8日(日)10時47分56秒
> No.4067[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ありがとうございました。
二人の子供問題というのはとても難しいですね。
"I have two children."
と言ったときに。
男の子はいますか?と質問されて、
"At least one is a boy."
と答えれば「男の子2人である」確率は1/3。
"I have two children."
と言い、続けて(質問なしに自分から)
"At least one is a boy."
と答えれば「男の子2人である」確率は1/2。
どちらも、確率を計算する情報としては極めて明確かもしれませんが
確率の計算法を区別することは凡人には不可能ですね。
Re: 『下半身の論理学』付録1周辺について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 8日(日)03時03分51秒
> No.4069[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> 図表A-1中の準恋愛主義の説明「誰もが恋愛する社会であるべし」と、「社会」という言葉を使われていた理由もわかりました。
>
個々人レベルの倫理と社会の規範との区別、意外と重要だと思うのですよ。
まさにテーマとした少子化や非婚化がそうですよね。
社会としては、「みなが結婚する社会にしよう」「みなが二人以上子を産む社会にしよう」
しかし、個人に対して
「結婚しろ」「子どもを産め」と義務づけるのは人権侵害でしょう。
結婚至上主義と準結婚至上主義の違いに相当します。結婚至上主義は、人権侵害なんですね。他方、準結婚至上主義は人権侵害とは言えない。自然に社会がそうなるように……という規範であって、個人レベルの義務へと降りてこないからです。
「準」がつくと、ゆるやかになるわけです。
Re: 『下半身の論理学』付録1周辺について 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 2月 7日(土)23時43分26秒
> No.4068[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>
> いや、そういうことではなく……
>
> 前者は、個々の人間ひとりひとりについて、□∃y(Lxy)が成り立つ、ということですから、個人倫理ということになります。
> 後者は、∀x∃y(Lxy) が義務、ということで、命題(事実)そのものに課せられた義務、つまり社会倫理ということになります。
> 後者は、結果として全員が恋愛している状態が実現していればOKなので、個々人にまで義務が及んでいる必要はありません。
> その意味で、後者の方が義務度が弱い、というわけです。
>
かなり間違ってましたね……。
「結果として実現していればOK」というところと、後述の「大まかな結果主義」というところで、「準」を冠していることの理解が進みました。
確かに、個々人に義務が及んでいなくても、たまたまであれなんであれ、結果実現というのはありうる話ですね。
> ただし、現実には生まれてこなかった〈可能な人間〉というものがいるなら、その人は、前者(恋愛至上主義)の場合、恋愛する義務はないことになります。つまり、別の可能世界では、恋愛しない人がいてもかまいません。現実に存在する人間についてしか義務が述べられていないので。
指摘されてみれば、あくまで、これは現実の人間(特に現実の女子への懸念)についての話ですもんね。
> 〈可能な人間〉に対してまで恋愛の義務を負わせるのは不必要な束縛なので、こちらは重視しなかった次第です。(よって、こちらの条件を満たしていても重要性の小さい条件をクリアしているということで「準」恋愛至上主義)。
>
> 社会の状態に関する大まかな結果主義が準恋愛至上主義、個々人にあてはめるキメ細かい倫理が恋愛至上主義、といった感じですね。
図表A-1中の準恋愛主義の説明「誰もが恋愛する社会であるべし」と、「社会」という言葉を使われていた理由もわかりました。
Re: 『下半身の論理学』付録1周辺について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 7日(土)21時09分15秒
> No.4066[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> ?A 恋愛至上主義と *準恋愛至上主義の違いがはじめわからなかったのです。これをどうにか理解したつもりなのです。
> ∀x□∃y(Lxy)と □∀x∃y(Lxy)
>
> 前者は「いつでもどこでも同じような恋愛の相手がいるべき」
> 後者は「恋愛の相手がいるべき──ですが、国や時代がちがえばそういう相手がみな同じ姿形にはなりっこないですね──いずれにせよ恋愛相手は、いるべき」
>
> ということで、後者が若干ゆるい設定なので「準」恋愛至上主義なのだと考えました。
>
いや、そういうことではなく……
前者は、個々の人間ひとりひとりについて、□∃y(Lxy)が成り立つ、ということですから、個人倫理ということになります。
後者は、∀x∃y(Lxy) が義務、ということで、命題(事実)そのものに課せられた義務、つまり社会倫理ということになります。
後者は、結果として全員が恋愛している状態が実現していればOKなので、個々人にまで義務が及んでいる必要はありません。
その意味で、後者の方が義務度が弱い、というわけです。
ただし、現実には生まれてこなかった〈可能な人間〉というものがいるなら、その人は、前者(恋愛至上主義)の場合、恋愛する義務はないことになります。つまり、別の可能世界では、恋愛しない人がいてもかまいません。現実に存在する人間についてしか義務が述べられていないので。
後者(準恋愛至上主義)の場合、現実には生まれてこなかった〈可能な人間〉が生まれているような可能世界でも、全員が恋愛していることが求められます(個々人の義務ではなく、社会への要請として)。
その意味で、後者の方が実現結果への制約は大きいと言えます。
〈可能な人間〉に対してまで恋愛の義務を負わせるのは不必要な束縛なので、こちらは重視しなかった次第です。(よって、こちらの条件を満たしていても重要性の小さい条件をクリアしているということで「準」恋愛至上主義)。
社会の状態に関する大まかな結果主義が準恋愛至上主義、個々人にあてはめるキメ細かい倫理が恋愛至上主義、といった感じですね。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 7日(土)20時30分4秒
> No.4065[元記事へ]
Old Boyさんへのお返事です。
> >>
> >> 男 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
> >> 男 女 の場合 最低一人は男だと言う・・1
> >> 女 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
> >> 女 女 の場合 最低一人は男だと言う・・0
> >>
> >> しゃべったのは、「最低一人は男だ」ということのみなので。
>
> >「最低一人は男ですか? はいいいえで答えてください」「はい、最低一人は男です」という受け答えならば、その通りです。
>
> それでは、
> "I have two children.
> At least one is a boy."
>
> としゃべった人に「本当ですか?」と問い
> 「本当です。」という答えが返ってきたら
> 二人の男の子を持つ確率が1/2から1/3に変化するのでしょうか?
>
変化しません。
「男の子」を主題とするパターンは、話者が決めてしまっていますから。
「本当ですか(最低一人は男ですか)?」は、質問者が決めた質問とは言えませんからね。単にもう一回同じ発言をしてもらったにすぎず、情報価値はありません。
Re: 『下半身の論理学』付録1周辺について 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 2月 7日(土)10時18分19秒
φさんへのお返事です。
>
> Lxy、Sxy、Mxyと書いた時点で二項関係のつもりです。
>
> なお、反射性が成り立つかどうかは、二項関係であることに影響はありません。反射性とは、たまたまx=y のとき真となるかどうかという、二項関係の性質の一つなので。
>
> (ちなみに、L、Sも、Mと同様、反射性を持たないと規定するのがシンプルでよさそうですね)
>
ありがとうございます、誤解していました。そして、規定しておくという方法があるんですね。
思えば数学の問題などで但し書きで規定することはふつうにあることでした。
> そうですね、ここ難しいです。
>
> 様相論理では一般に
> □(P→Q) → (□P→□Q) ですが、
> (□P→□Q) → □(P→Q) ではないので、
> 同値ではないですね。
□(P→Q)→(□P→□Q) は一般にはなりたつのですね。
P→□Q との違いを考えはじめようとすると……しばらく記号を見つめているだけになります。
> ただし、様相の意味が義務論理的なものなので、成り立つ定理が通常の様相論理とは違ってきます。
> なにしろ義務様相では
> □P → P とか P → ◇P とかいった、様相論理で当然成り立つ定理が成り立たないので……
>
なるほど。義務論理的ものはまた別の考え方があると。
様相論理を説明しているウェブサイトを参考に、一度納得しかけた箇所があったのですが、じつは理解の仕方が違うかもしれませんね。
?A 恋愛至上主義と *準恋愛至上主義の違いがはじめわからなかったのです。これをどうにか理解したつもりなのです。
∀x□∃y(Lxy)と □∀x∃y(Lxy)
前者は「いつでもどこでも同じような恋愛の相手がいるべき」
後者は「恋愛の相手がいるべき──ですが、国や時代がちがえばそういう相手がみな同じ姿形にはなりっこないですね──いずれにせよ恋愛相手は、いるべき」
ということで、後者が若干ゆるい設定なので「準」恋愛至上主義なのだと考えました。
> 『下半身の論理学』文献表の最後に挙げたウリクトの『規範と行動の論理学』が使えるかどうか、試してみる価値はあるかもしれません。
> とはいえ、現実の女子らへの親目線的懸念のモチーフからはどんどんズレていってしまいそうですが……
私のこの質問にも、思わぬところではまってる感がただよっているような……
Re: 二人の子供問題について 投稿者:Old Boy 投稿日:2015年 2月 7日(土)06時21分9秒
> No.4062[元記事へ]
φさんへのお返事です。
何度もありがとうございます。
>すると、「『最低一人は女である』と言わなかった」ことが新たに得られた立派な情報となります。
そこが今一つわからないところです。
>> 無作為に選ばれた一人が、突然あなたに向かって次のように言い出しました。
>> "I have two children.
>> At least one is a boy."
>> この人が二人の男の子を持つ確率はいくつですか?
>>
>> この場合は次の4つの場合に分けられると思うのですが。
>> (事前確率はすべて1/4なので省略します。)
>>
>> 男 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
>> 男 女 の場合 最低一人は男だと言う・・1
>> 女 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
>> 女 女 の場合 最低一人は男だと言う・・0
>>
>> しゃべったのは、「最低一人は男だ」ということのみなので。
>「最低一人は男ですか? はいいいえで答えてください」「はい、最低一人は男です」という受け答えならば、その通りです。
それでは、
"I have two children.
At least one is a boy."
としゃべった人に「本当ですか?」と問い
「本当です。」という答えが返ってきたら
二人の男の子を持つ確率が1/2から1/3に変化するのでしょうか?
Re: 『下半身の論理学』付録1周辺について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 7日(土)03時11分3秒
> No.4063[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> 本書中Lxy、Sxy、Mxyが二項関係だとは一言も述べられていなく、それどころか「ここだけで用いられる記号」とまで書いてあるのにもかかわらず、私がかってに二項関係っぽいと思い、なんとなく遊んでいるだけのような気がしてきたためです。この記号は、もともとそういう検証をされ得る対象とはならないものでしょうか。
>
Lxy、Sxy、Mxyと書いた時点で二項関係のつもりです。
なお、反射性が成り立つかどうかは、二項関係であることに影響はありません。反射性とは、たまたまx=y のとき真となるかどうかという、二項関係の性質の一つなので。
(ちなみに、L、Sも、Mと同様、反射性を持たないと規定するのがシンプルでよさそうですね)
>
> (2)図表A-1の「?6 純愛主義」∀x∀y□(Sxy→Lxy)などは、分配法則のように、
>
> ∀x∀y(□Sxy→□Lxy)と書いても同値でしょうか?
>
そうですね、ここ難しいです。
様相論理では一般に
□(P→Q) → (□P→□Q) ですが、
(□P→□Q) → □(P→Q) ではないので、
同値ではないですね。
ただし、様相の意味が義務論理的なものなので、成り立つ定理が通常の様相論理とは違ってきます。
なにしろ義務様相では
□P → P とか P → ◇P とかいった、様相論理で当然成り立つ定理が成り立たないので……
『下半身の論理学』文献表の最後に挙げたウリクトの『規範と行動の論理学』が使えるかどうか、試してみる価値はあるかもしれません。
とはいえ、現実の女子らへの親目線的懸念のモチーフからはどんどんズレていってしまいそうですが……
『下半身の論理学』付録1周辺について 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 2月 6日(金)23時47分7秒
『下半身の論理学』の付録1関連の記号について、質問があります。
(1)「ここだけで用いられる記号(述語定項)」のLxy、Sxy、Mxyといった書式から、なんとなく二項関係について検索していたのですが、この3つの記号については、それぞれ反射性、対称性、推移性、ユークリッド性が3つすべてに当てはまったり、部分的に当てはまったり、ぜんぜん当てはまらなかったりします。
※反射性についてはLxx(自愛?)とかSxx(自慰?)はあってもMxx(自婚??)は意味不明、とかそんな当てはめ方です。
そこでふと思ったのは、そもそもこのような検証は有意義な作業なのだろうか……、ということです。
本書中Lxy、Sxy、Mxyが二項関係だとは一言も述べられていなく、それどころか「ここだけで用いられる記号」とまで書いてあるのにもかかわらず、私がかってに二項関係っぽいと思い、なんとなく遊んでいるだけのような気がしてきたためです。この記号は、もともとそういう検証をされ得る対象とはならないものでしょうか。
見た目はよく似たような書式であるけれど、各性質が当てはまるかどうかは各記号が何を言っている記号かを点検しないといけない、ということに何か妙な感じを抱きました。(演算の際は、記号の意味するところなど無視してガンガン処理していけるのが記号のよさのはずなのに……? といった疑問です)
(2)図表A-1の「?6 純愛主義」∀x∀y□(Sxy→Lxy)などは、分配法則のように、
∀x∀y(□Sxy→□Lxy)と書いても同値でしょうか?
対偶をとってみると、
∀x∀y(~□Lxy→~□Sxy)
「xとyが恋人どうしであること が必要ではない ならば xとyに肉体関係があること は必要ではない」
→「《運命の恋人》ではない ならば セックスはしなくてもよい(セックスは義務ではない)(まあ、別にしてもいいですよ)」
→これは純愛主義の定義?
ということで、分配法則のようなものは使えないのかなと考えているところです。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 6日(金)23時38分46秒
> No.4061[元記事へ]
Old Boyさんへのお返事です。
>
> 自分から、(聞かれもせず)「最低一人は男である」と言った場合なのですが。
> この場合も「『最低一人は女である』と言わなかった」ことが新たに(同時に)得られた情報なのでしょうか?
>
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/4053で述べたように3-2)の設定はあいまいですが、3-1)よりはましです。
つまり、何らかの刺激によって話者が自分の子どものことを喋る気になり、「女子」でなく「男子」を思い浮かべて「少なくとも一人は男子」と言ったと解釈するのが自然でしょう。
第三者が「男子」を主題として問題に指定したのが3-1)、話者が自発的に「男子」を選んだのが3-2)というわけです。
たしかに3-2)の設定は不備です。
なので、「問題の趣旨をくみ取って」寛容に解釈してやるのがよいでしょう。
たとえば、http://8044.teacup.com/miurat/bbs/4055 で述べたように、話者は
「「最低一人は◎だと言う」という形の発言を必ずすることになっており、◎として「男」が選ばれた、というような設定です。(子どもが二人であることもわかっているとするのは当然です)
すると、「『最低一人は女である』と言わなかった」ことが新たに得られた立派な情報となります。
まあ確かに、
突然「最低一人は男である」と言った
というだけでは、不自然すぎて、余計な発話動機を勘ぐってしまいますから、問題としては成立しがたいですけれどね。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:Old Boy 投稿日:2015年 2月 6日(金)21時12分28秒
> No.4059[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> まとめると、
> 最低一人は男である ←・・・・・・・・・・・二つの場合に共通の「新たに得られた情報」
> 「最低一人は女」と答えなかった ←・・・・・・前者の場合にだけ「新たに得られた情報」
そうではなく、
自分から、(聞かれもせず)「最低一人は男である」と言った場合なのですが。
この場合も「『最低一人は女である』と言わなかった」ことが新たに(同時に)得られた情報なのでしょうか?
Re: 『下半身の論理学』電子書籍版の文字 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 6日(金)00時24分29秒
> No.4058[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
なるほど、端末によって違うんですね。
電子書籍も発展途上といったところでしょうか。
>
> アドホック日記2月4日の記事ですが、『のぞき学原論』も寄贈されていなかったんですね。
> アマゾンで出だしだけ立ち読みができて、たしかファインチューニングを説明しているところに惹かれ、そのまま購入ボタンを押したのでした。紙の本が自宅に届き、読み進めてみてびっくりしたのはいい思い出です。
>
寄贈を控えても、目ざとい学生が「先生あれヤバイですよ!」などと言ってくるんですけれどね。
『のぞき学原論』の主題は後半身だったので(原理的には)男女平等ネタゆえむしろ大丈夫だったかもしれませんが、
『下半身の論理学』は前半身なので、オーソドックスなぶん普通に白眼視されそうな気がした次第です。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 5日(木)23時48分41秒
> No.4057[元記事へ]
Old Boyさんへのお返事です。
>
> 可能性が確率計算にどのような関係があるのでしょうか?
> この問題では、得られた情報は「二人の子供がいる」と
> 「最低一人は男です」という言葉だけです。
> 「最低一人は女です」とは言わなかった。(「最低一人は女です」という情報はない。)
> 得られていない情報を確率計算に使用してよいのでしょうか?
>
> 事前確率に対し、新たに得られた情報だけを加味して計算することで事後確率が得られると思うのですが。
>
「新たに得られた情報」はあったのです。
「最低一人いる性別をひとつだけ答えてください」「男です」
↑
「女です」とは答えなかった、というのが「新たに得られた情報」です。
換言すれば、「最低一人は女」という答えが返ってこなかった、という事実が「新たに得られた情報」。
女の子がいない確率が、以前より高く見積もられることになるのです。
「最低一人は男ですか?」「はい」
の場合も、女の子がいない確率が以前より高くはなりましたが、「最低一人は女です」と答える可能性は始めからなかったので、その答えが返ってこなかったということに限って言えば「新たに得られた情報」とはなりません。
よって、「最低一人は女」という答えがなされなかった、という事実が、
(前者と後者とで結果的に共通の事実でありながら)
前者の場合は「新たに得られた情報」であり、後者の場合は「新たに得られた情報」ではないというわけです。
まとめると、
最低一人は男である ←・・・・・・・・・・・二つの場合に共通の「新たに得られた情報」
「最低一人は女」と答えなかった ←・・・・・・前者の場合にだけ「新たに得られた情報」
Re: 『下半身の論理学』電子書籍版の文字 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 2月 5日(木)22時41分2秒
φさんへのお返事です。
>
> 編集に問い合わせたところ、
> データ作成時に太字が反映されていることは確認できていたとのことです。
> ただし、PaperwhiteではなくKindle Fireという端末で見たとのこと。
> 再確認するとのことでした。
>
電子書籍のデータを完全に再現できる端末と、再現しきれない端末があるんですね。
手元にある端末で比べたところでは、次のようでした。
(1) (2) (3)
太字を再現する? ∀∃の表示は正しい? ~の表示は正しい?
電子書籍端末 「Kindle Paperwhite」 NO NO NO
Androidアプリ「Amazon Kindle」 NO YES NO
Windowsソフト「Kindle Software」 NO YES NO
そして;
電子書籍端末 「Kindle Fire」 YES ? ?
(1)や(2)については端末次第(&端末のソフトのバージョン次第?)のようで、
(3)についてはデータ作成時から横書き用の「~」を使っていない恐れが高そうですね。
> 書評の出にくい本ですが、ウェブ外でたぶん初めての書評が出ました。(北海道新聞1月25日)
> ↓
> ただし、ウェブからはあと数日で消えるようです。↓
> http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/new/5.html
ご紹介ありがとうございます。保存しました。
充実しているのに授業に使いづらかったり、女子の啓蒙のために書いたのに女子大に寄贈しづらかったり……。うーん。
アドホック日記2月4日の記事ですが、『のぞき学原論』も寄贈されていなかったんですね。
アマゾンで出だしだけ立ち読みができて、たしかファインチューニングを説明しているところに惹かれ、そのまま購入ボタンを押したのでした。紙の本が自宅に届き、読み進めてみてびっくりしたのはいい思い出です。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:Old Boy 投稿日:2015年 2月 5日(木)22時07分19秒
> No.4055[元記事へ]
φさんへのお返事です。
何度もありがとうございます。
ただ、何となく違和感があります。
> つまり、「最低一人は女です」と言う可能性もあった。
可能性が確率計算にどのような関係があるのでしょうか?
この問題では、得られた情報は「二人の子供がいる」と
「最低一人は男です」という言葉だけです。
「最低一人は女です」とは言わなかった。(「最低一人は女です」という情報はない。)
得られていない情報を確率計算に使用してよいのでしょうか?
事前確率に対し、新たに得られた情報だけを加味して計算することで事後確率が得られると思うのですが。
Re: 『下半身の論理学』電子書籍版の文字 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 5日(木)14時45分39秒
> No.4050[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> http://open.mixi.jp/user/29675278/diary/1936196074
> 「[…]学術用語が太字になっているのと同時に、実存的処女厨、啓蒙的処女厨、といった造語も同じ太字になっていて[…]」
>
> ということは、紙の本は太字になっているのですね。電子書籍では普通の字のままなのです。
> ※太字の付き方に吹いたというのを読んで、太字になっていないまま読んだ私はちょっとだけ(惜しい!)と思いました。
>
編集に問い合わせたところ、
データ作成時に太字が反映されていることは確認できていたとのことです。
ただし、PaperwhiteではなくKindle Fireという端末で見たとのこと。
再確認するとのことでした。
書評の出にくい本ですが、ウェブ外でたぶん初めての書評が出ました。(北海道新聞1月25日)
↓
ただし、ウェブからはあと数日で消えるようです。↓
http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/new/5.html
Re: 二人の子供問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 4日(水)21時42分32秒
> No.4054[元記事へ]
Old Boyさんへのお返事です。
>
> 無作為に選ばれた一人が、突然あなたに向かって次のように言い出しました。
> "I have two children.
> At least one is a boy."
> この人が二人の男の子を持つ確率はいくつですか?
>
> この場合は次の4つの場合に分けられると思うのですが。
> (事前確率はすべて1/4なので省略します。)
>
> 男 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
> 男 女 の場合 最低一人は男だと言う・・1
> 女 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
> 女 女 の場合 最低一人は男だと言う・・0
>
> しゃべったのは、「最低一人は男だ」ということのみなので。
>
「最低一人は男ですか? はいいいえで答えてください」「はい、最低一人は男です」という受け答えならば、その通りです。
しかし3-2)の問題設定では、聞かれもしないのに自分からいきなりそのセリフを言ったわけですね。
つまり、「最低一人は女です」と言う可能性もあった。
ところがそう言わずに「最低一人は男です」と言ったのですから、
男 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
男 女 の場合 最低一人は男だと言う・・1/2
女 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1/2
女 女 の場合 最低一人は男だと言う・・0
男男の確率は1/2です。
(ただし厳密に考えると、
「必ず「最低一人は◎だと言う」という形の発言をする」
という前提がないと3-2)は問いとして成り立ちませんね。自発的に発する言葉のバリエーションは無数で、「少なくとも一人」より「一人は……」「二人とも……」という言い方の方が自然ですから)
「最低一人いる性別を答えてください」「男です」
↑こういう設定にすれば、文句なく1/2です。
つまり、
「最低一人は男ですか?」「はい」 → 男男は1/3 ・・・・・・ 3-1)
「最低一人いる性別は?」「男」 → 男男は1/2 ・・・・・・ 3-2)
どちらも得られた情報は「最低一人は男」で同じですが、
情報の得られ方が異なるため、男男の確率が異なるのです。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:Old Boy 投稿日:2015年 2月 4日(水)20時45分30秒
> No.4053[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ご回答ありがとうございます。
ただ、私としては
3-2)のほうも疑問なのですが。
無作為に選ばれた一人が、突然あなたに向かって次のように言い出しました。
"I have two children.
At least one is a boy."
この人が二人の男の子を持つ確率はいくつですか?
この場合は次の4つの場合に分けられると思うのですが。
(事前確率はすべて1/4なので省略します。)
男 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
男 女 の場合 最低一人は男だと言う・・1
女 男 の場合 最低一人は男だと言う・・1
女 女 の場合 最低一人は男だと言う・・0
分子 = 1
分母 = 1+1+1
計算すると
確率 = 1/3 となるのではないでしょうか?
しゃべったのは、「最低一人は男だ」ということのみなので。
Re: 二人の子供問題について 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 4日(水)15時43分28秒
> No.4052[元記事へ]
Old Boyさんへのお返事です。
見たところ、http://www5.ocn.ne.jp/~kartec/Math/Monty3.htmの
3)二人の子供の問題 の記述はあいまいですね。
3-1)がまずいです。
>
> いろいろ聞き出すと次の事が解かりました。
> "The person has two children.
> At least one is a boy."
>
「At least one is a boy」とわかった経緯が書かれてありません。
場合分けしましょう。
■「わかり方」1
★むこうが最初に、男子校の学費がどうこうという話をしてきた。
「話者の頭に最初に浮かんだそのひとり」が第1子か第2子かによって、次のように場合分けされます。
1子 2子 もともとの確率 最初に男子の話になる確率
場合A 男 男 1/4 × 1
場合B 男 女 1/4 × 1/2
場合C 女 男 1/4 × 1/2
場合D 女 女 1/4 0
場合A、B、Cのうち場合Aの確率はいくらか、という問題ですから、正解は1/2です。
■「わかり方」2
★こちらが「男の子がいれば……」とぼやいたら、「うちはいますが……」となった。
その答えは第1子か第2子かいずれか一方が男であれば必ず成立するので、次のように場合分けされます。
1子 2子 もともとの確率 最初に男子の話になる確率
場合A 男 男 1/4 × 1
場合B 男 女 1/4 × 1
場合C 女 男 1/4 × 1
場合D 女 女 1/4 0
場合A、B、Cのうち場合Aの確率はいくらか、という問題ですから、正解は1/3です。
「わかり方2」が 3-1)第三者の目で事実を述べた問題文
で、
「わかり方1」が 3-2)喋った言葉として記載した問題文
ということなんでしょうね。
3-2)の
>
> 無作為に選ばれた一人が、突然あなたに向かって次のように言い出しました。
> "I have two children.
> At least one is a boy."
>
という設定は人工的というか非現実的すぎて解釈に苦しみますが、設問者の意図としては「むこうが自発的に、男子校の学費の話をしてきた」というようなことでしょう。これはまあ問題ありません。
他方、
3-1)はあいまいすぎてこのままではダメです。
設問者は「わかり方2」を想定しているのだと思われますが。
というわけで、
男の子があるという事実と、「男の子があると発言する」事との区別
という区別はそれだけでは意味をなしません。
「事実」がどうやってわかったのか、「発言」がなぜなされたかの特定が必要です。
問題設定は具体的にやってもらわないと困りますよね。……
二人の子供問題について 投稿者:Old Boy 投稿日:2015年 2月 4日(水)08時03分56秒
こんにちは
もう古典に属する問題かもしれませんが教えていただけると幸いです。
http://www5.ocn.ne.jp/~kartec/Math/Monty3.htm
問題文により答が変わるという一般論はわかるのですが、
男の子があるという事実と、「男の子があると発言する」事では確率の計算が異なるのでしょうか?
どうも違いが理解できません。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 3日(火)04時12分27秒
> No.4050[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> 特定主張の導出にも、何か魅力を感じますね。
> ともあれ、記号論理が本領発揮するところの概念の明確化からはじめようと思います。
>
「概念」には、処女とか非処女とかいう述語(性質)だけでなく、「反性愛主義」とか「超恋愛至上主義」とかいう、図表A-1にあるような「イデオロギー」も含まれますね。
イデオロギーを気質と考えれば「述語(性質)」に統一されますが……
>
> このブックレビューを読んでいて気づいたことがありました。
>
> http://open.mixi.jp/user/29675278/diary/1936196074
> 「[…]学術用語が太字になっているのと同時に、実存的処女厨、啓蒙的処女厨、といった造語も同じ太字になっていて[…]」
>
> ということは、紙の本は太字になっているのですね。電子書籍では普通の字のままなのです。
> ※太字の付き方に吹いたというのを読んで、太字になっていないまま読んだ私はちょっとだけ(惜しい!)と思いました。
>
なるほど、そういうこともあるのですか。
原稿でいくつかの単語をゴチックに指定しており、それがそのままゲラに反映されましたから、電子書籍でそれが出ないのはちょっと残念ですね……
あるいは端末の事情でしょうか。
そのレビューで言われている 「セックスは女の武器」 のトリッキーさは、世に誤って伝えられている感があります。
レビュアーさんの言うとおり「女の武器を使うのではなく、「使わない」戦略」が重要なわけで。
核の抑止戦略と同じ。
セックスは核兵器なんですね。女にとっては。
(男にとっては?)
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 2月 2日(月)21時56分13秒
φさんへのお返事です。
> 記号論理での特定主張の導出(推論)は難しいにしても、誤解防止のための「概念の明確化」(定義)には記号論理が大いに活躍できるだろうと感じています。
>
特定主張の導出にも、何か魅力を感じますね。
ともあれ、記号論理が本領発揮するところの概念の明確化からはじめようと思います。
表示のみならず、内容についてもきちんと批判的に読めるように──。
> 表示についてお気づきあればどんどんご指摘ください。
> 内容についての批判的ご指摘あれば、さらに歓迎です。
> 部分的なこと瑣末なことでもひっかかりあればぜひ。(いかにも瑣末なディテールに致命的な誤解が露出していたりするので)
──と書いたそばからまたもや表示サイドの指摘ですが……このブックレビューを読んでいて気づいたことがありました。
http://open.mixi.jp/user/29675278/diary/1936196074
「[…]学術用語が太字になっているのと同時に、実存的処女厨、啓蒙的処女厨、といった造語も同じ太字になっていて[…]」
ということは、紙の本は太字になっているのですね。電子書籍では普通の字のままなのです。
※太字の付き方に吹いたというのを読んで、太字になっていないまま読んだ私はちょっとだけ(惜しい!)と思いました。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 2月 2日(月)12時21分52秒
> No.4048[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> うっかりAのように読んでしまいますね。(BをみてもなおAのような読み間違いを犯しそうです)
>
大新聞と2ちゃんねるではどちらの方が信用できるかわかりきってるだろう、と安心していると、足もとをすくわれたりしますね。
>
> 付録1をおさらいし、やってみようと思います。
>
「処女」その他の概念の定義が食い違っているために無用の対立が起きている例が多すぎるようにも思われます。
記号論理での特定主張の導出(推論)は難しいにしても、誤解防止のための「概念の明確化」(定義)には記号論理が大いに活躍できるだろうと感じています。
否定記号についてご指摘ありがとうございました。
表示についてお気づきあればどんどんご指摘ください。
内容についての批判的ご指摘あれば、さらに歓迎です。
部分的なこと瑣末なことでもひっかかりあればぜひ。(いかにも瑣末なディテールに致命的な誤解が露出していたりするので)
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 2月 1日(日)18時32分53秒
φさんへのお返事です。
>
> 2ちゃんねるや知恵袋で非処女が叩かれているのを見て初めて認識を新たにし、不安になっている非処女がけっこう多いですね(怒るのではなく深刻に考え込んでいる非処女を私は複数知っています)。
> 最近の処女率上昇傾向は、ネットが啓蒙的に作用しているに違いありません。少し遅れて結婚率も上がってくるのではないでしょうか。
> (http://green.ap.teacup.com/miurat/4089.htmlに引用したAのように真逆に理解するマスコミの傾向は相変わらずでしょうが)
>
そうであってほしいです。
しかし上の記事は、うっかりAのように読んでしまいますね。(BをみてもなおAのような読み間違いを犯しそうです)
>
> 図表A-1の要領で、ミクロな具体的事例を批判的に解釈した記号表現を個別に関係づけてみれば、重要な洞察が生まれる気がしています。
> 男女非対称の挿入行為は結婚内に封じ込め、婚前・婚外では非挿入的性愛を解放する、的傾向が理想社会を帰結するなどと「証明」できれば面白いのですが―――(完全に結論先決めのバイアスがかかって哲学とは言い難くなりますが)―――
付録1をおさらいし、やってみようと思います。
おさらい中に気づいたことですが、またひとつ、電子書籍版特有と思われる(もしかしたら表示端末固有;Kindle Paperwhiteの)誤記がありました。
否定記号の「~」が縦書の「~」のままですね。
※縦書の場合は「S」のような形で正しいですが、これをこのまま横書きに流用しているので「谷─山」のような記号になっています。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 1月31日(土)18時05分32秒
> No.4046[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> 女にだらしない男をへこませるような呼称ってむずかしいですね。
> 「チャラ男」といわれてかえって得意になりそうな人も中にはいそうです。
>
男にとって素人女とのセックスは、本来金を払ってでも(かつ必ずしも好みの女相手でなくても)やりたいことをするわけですから、かりにバカにされたとしてもヘッチャラですね。
しかも本当にやりたいことをやっているのだからバカにするやつもいない。
私個人としてはチャラ男は絶滅してほしいと思っていますが(あとがき末尾近く; p.374)、バカにする気にはなれません。
対して簡単にセックスする女は、本来金をもらってやることをタダでやらせるわけですから、いかにも間抜けであると感じます(私の知るヤリマンたちはほぼ例外なく中絶を経験し、セックスが自傷行為同然になっています)。
違法行為をしているわけでない彼女らの生き方を否定してはいけませんが、どうしても嘲りの雰囲気が周囲に醸し出されることは確かで、、それに気づかぬ女は「悪」でないにしても「哀れ」だということを、もっと女自身が知るべきだと思うわけですが……
>
> やはり、後戻りできない人には辛い話ですね。
> 処女は入口の問題なのだとしても、この問題を深刻に考えはじめるのはむしろ、事後の場合が多そうです。
>
2ちゃんねるや知恵袋で非処女が叩かれているのを見て初めて認識を新たにし、不安になっている非処女がけっこう多いですね(怒るのではなく深刻に考え込んでいる非処女を私は複数知っています)。
最近の処女率上昇傾向は、ネットが啓蒙的に作用しているに違いありません。少し遅れて結婚率も上がってくるのではないでしょうか。
(http://green.ap.teacup.com/miurat/4089.htmlに引用したAのように真逆に理解するマスコミの傾向は相変わらずでしょうが)
>
> できれば図表A-1のような表現でも投稿してみたかったものですが、なかなか、ミクロなところにはまってしまって叶わずです。
>
図表A-1の要領で、ミクロな具体的事例を批判的に解釈した記号表現を個別に関係づけてみれば、重要な洞察が生まれる気がしています。
男女非対称の挿入行為は結婚内に封じ込め、婚前・婚外では非挿入的性愛を解放する、的傾向が理想社会を帰結するなどと「証明」できれば面白いのですが―――(完全に結論先決めのバイアスがかかって哲学とは言い難くなりますが)―――
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 1月30日(金)22時02分46秒
φさんへのお返事です。
>
> 「チャラ男」というのが最も軽蔑的な呼称でしょうかね。
女にだらしない男をへこませるような呼称ってむずかしいですね。
「チャラ男」といわれてかえって得意になりそうな人も中にはいそうです。
>
> しかし、非処女と結婚した男の幾人かとはやはり険悪になってしまいました。
> この本のせいで複数の非処女と絶交状態になりましたが、非処女と結婚した男たちとも(絶交ではないが)ちょいまずいことになった感じです。
> 男はこういうネタでは動じないものかと思っていたので、けっこう意外でした……。
> 「処女」というトピックに関しては、男も女なみに傷つきやすいということです。
>
やはり、後戻りできない人には辛い話ですね。
処女は入口の問題なのだとしても、この問題を深刻に考えはじめるのはむしろ、事後の場合が多そうです。
> だからまあ、
> 危険なミクロ分析は少し抑えて、
> 気に入っていただけた(?)図表A-1を洗練する形でマクロ分析に専念した方がよさそうかもしれません。
お気に入りです。
気分や雰囲気に終わらないところ、分析されて説明がつけられるところが好みなのかもしれません。
そんな憧れもあり、できれば図表A-1のような表現でも投稿してみたかったものですが、なかなか、ミクロなところにはまってしまって叶わずです。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 1月30日(金)05時00分42秒
> No.4044[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
「県境フェチ」というのは知りませんでしたが、性的な意味合いがない場合もどんどん「フェチ」を使う潮流がありますね。
「好きなものの話」ではフェチとはあまり言ってませんでしたが、「たけしのコマ大数学科」の解説者の中村亨は「自称アルキメデスフェチ」という設定でした。
たしかに「フェティシズム」にはもともと性的でない意味もあるわけですが。
>
> 「安い男」という表現をはじめて聞いたかもしれません。 (「給料が安い男」という表現ならば見聞きしたことありますが)
> 女が「高かったり」「安かったり」することは承知で、それは男も同様という考えですね。男は「稼ぐか」「稼がないか」のはずなのに。
>
「チャラ男」というのが最も軽蔑的な呼称でしょうかね。
チャラ男・チャラ女どうしでつるんでくれれば不本意な恋愛が激減するわけですが、明朗なチャラ男ほどあっけらかんと初物食いを狙ったりするところが厄介です。
さいわいチャラ男の中にも(第2章で北原みのりの本から引用したように)軽々しく処女を食うことには躊躇いを覚えるタイプが多いようではありますが。
>
> もし女が「ああ、男が話す言葉の裏を全部見抜けたなら……!」と願い、叶い、心のなかを覗けたとしても、当の男の頭のなかが自己欺瞞中だったり錯覚中だったりするとお手上げですね。
>
処女への肯定的評価を公言すると〈自分の経験値が低い証拠〉ととられるのではないかと警戒する男が少なからずいます。
『下半身の論理学』執筆中に幾人もの男の意識をじかに探ってみましたが、「結婚相手として処女にはこだわらない」的な返答をする独身男がけっこう多かったです。
ところが、こちらが「条件が同じなら私は当然、処女を望むけれどね」と言うと、「え、それでいいんだ」みたいな解放感+安堵感をみなぎらせて「ほんとはそうですよね」といった感じでほとんどの男が合流してくるのです。
しかし、非処女と結婚した男の幾人かとはやはり険悪になってしまいました。
この本のせいで複数の非処女と絶交状態になりましたが、非処女と結婚した男たちとも(絶交ではないが)ちょいまずいことになった感じです。
男はこういうネタでは動じないものかと思っていたので、けっこう意外でした……。
「処女」というトピックに関しては、男も女なみに傷つきやすいということです。
だからまあ、
危険なミクロ分析は少し抑えて、
気に入っていただけた(?)図表A-1を洗練する形でマクロ分析に専念した方がよさそうかもしれません。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 1月29日(木)21時21分42秒
φさんへのお返事です。
> 「亭主元気で留守がいい」は女の気持ちとして一般に真実なのでしょう。
>
そういえば、第1章にイクメン不人気傾向に関するお話がすでにありましたね。
> 〇〇フェチ、は安易かつ恣意的に量産できるトピックです。
> 「付き合ってればとりあえずセックス」という定型とは対極でありながら、同質の惰性に流されやすいトピックなんです。
>
○○フェチって、○○好きと変わらないんですねえ。
はじめ、「フェチ」は○○が人間由来成分を含んでいるときに好んで使われる表現なのだ、などと考えましたが、違いますね。
なぜなら「県境フェチ」などを説明できませんから。(県境を設定するにあたっては人間が絡みますけども)
……スカトロフェチとスカトロ好きは一緒ですかね。
なんとなくの話ですが、「私はスカトロフェチです」という表現には、何かプロフェッショナルな響き、その好みに関する制御可能性を感じられ、
一方で「スカトロ好き」という表現には、あからさまに物好きな、アマチュア的印象を受けます。ちょっと危なっかしい感じにも近いです。
> 「ヤリ目の男性って、ふと空しくなったりしないのでしょうか?……引っかかる女に対して「安い女」だの思っているのかな、と感じているのですが、逆に自分自身も「安い男」に成り下がってるという意識はないのかなぁ、と」
> などと、男性心理生理への無理解ぶりを典型的に露呈してくれていますね。
> 重宝なサンプルです。
「安い男」という表現をはじめて聞いたかもしれません。 (「給料が安い男」という表現ならば見聞きしたことありますが)
女が「高かったり」「安かったり」することは承知で、それは男も同様という考えですね。男は「稼ぐか」「稼がないか」のはずなのに。
> 男自身ですら誤解しているくらいだから(処女にはこだわらない、と頑として言い張る男はみな自己欺瞞か錯覚に陥っている、というのが私の(独断的?)信念です)まあ女が勘違いするのも無理ないわけですが……
もし女が「ああ、男が話す言葉の裏を全部見抜けたなら……!」と願い、叶い、心のなかを覗けたとしても、当の男の頭のなかが自己欺瞞中だったり錯覚中だったりするとお手上げですね。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 1月29日(木)05時04分16秒
> No.4042[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> そうすると、「イクメン」とか「男も子育てに参加を!」といったキャンペーンは、どういうひとたちが実施しているのでしょう。
>
イクメンぶりをアピールする男は結婚相談所でも人気最低であるようなことを山田昌弘が書いてましたし、女子大生に聞くと、あまり家にいなくていいから稼いでほしい、というのが本音のようです。
「亭主元気で留守がいい」は女の気持ちとして一般に真実なのでしょう。
>
> 三五館から予定されている〈フェチ論〉につながるのでしょうか。そういうことだったのですね、誤読してしまいました。
> (ちなみにタイトルのアンケート、私は『フェチの論理学』に1票です)
>
ただ、フェチ論はかなり難しいということがわかってきつつあります………
人志松本の〇〇な話の「好きなものの話」など観ていると、到底普遍性のなさそうなものを熱を込めて好き好き言い張ればそれだけで最低限のウケが保証されるんですね。
〇〇フェチ、は安易かつ恣意的に量産できるトピックです。
「付き合ってればとりあえずセックス」という定型とは対極でありながら、同質の惰性に流されやすいトピックなんです。
>
> ※その認識により、私はアナル処女といった表現をよく解しません。
> (そっちの穴に関する男性器被挿入履歴にはあまり興味がない)
> (もっとも《処女かつアナル非処女》というのは稀なことと思うので推定の材料として関心を示すことにはなりそうですが)
>
前半身より後半身に執着しがちな私にしても、アナル処女より通常の処女の方が大切だと考えます。
参考文献に挙げた『モンスターウーマン――「性」に翻弄される女たち』(宝島社新書)には、アナル挿入は提供しながら処女は守り続ける風俗嬢の話がありました。
《処女かつアナル非処女》は意外と希少種ではないかもしれません。
>
> (1)ヤリチン「入学」できず。
> (2)ヤリチン「入学」できず、「妻一筋」。
> (3)ヤリチン「入学」まではできた。
> (4)ヤリチン「卒業」まではできた。
> (5)ヤリチン「卒業」、「妻一筋」。←ベストアンサー氏
>
ヤリチン入学はヤリマン入学よりはるかにはるかに難しいですからねえ。
まず柄にもない選り好みを捨てるのが第一歩なんでしょうね。
ヤリチン卒業はヤリマン卒業よりこれまた難しい気がします。
男は幸か不幸か女と違って年齢を重ねてもモテうるという宿業のもとにあるので……
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8270670.htmlの質問者は、
「ヤリ目の男性って、ふと空しくなったりしないのでしょうか?……引っかかる女に対して「安い女」だの思っているのかな、と感じているのですが、逆に自分自身も「安い男」に成り下がってるという意識はないのかなぁ、と」
などと、男性心理生理への無理解ぶりを典型的に露呈してくれていますね。
重宝なサンプルです。
「愛のないセックスは男だって楽しくないはず」という思い込みが、些細な恋愛の駆け引きで処女喪失する女を大量生産しているのでしょう……
男にも確かに恋愛感情や一筋思考があるがゆえに、女はなおさら誤解するかですね。
男自身ですら誤解しているくらいだから(処女にはこだわらない、と頑として言い張る男はみな自己欺瞞か錯覚に陥っている、というのが私の(独断的?)信念です)まあ女が勘違いするのも無理ないわけですが……
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 1月28日(水)22時16分37秒
φさんへのお返事です。
> 子どもというのは、母親さえいれば幸福に育つような気がするのですが、どうなんでしょう。
> 父親なんて、しょせん家庭では疎外されるのでは?
> とくに娘は父親を嫌いますしね。
> シングルマザーたちに対し、(法的福祉的サポート以外に)「俺の子かも」と思っている多数の男たちが家庭外から各々適当な加減で支援する、という社会がたぶん一番安定するでしょう。
「男だって……!」という思いからか、反例を探してみたくなるところです。
しかし一般的にどうであるかを点検してみれば、きっとそのとおりなのでしょうね。
産むわけでもなく、産まれたあとお乳がでるわけでもなく。口や手を出さず肉ATMに徹しているのがおだやかだ──。
そうすると、「イクメン」とか「男も子育てに参加を!」といったキャンペーンは、どういうひとたちが実施しているのでしょう。
男ですかね。父親が疎外される理由として、従来の父親のスタイルが「非イクメン」「子育て不参加」であったことを指摘する男。
「父親にも、母親なみに子どもと接する時間が与えられれば、母親なみの子育てができ、子どもには対母親なみの態度でもってむかえられ、したがって肉ATMで終わることはない」と考える男。
この先の数十年は、イクメンがはたして疎外されずに済むかどうかを確かめられることになりますね。
もっとも、イクメンになることを許されるような立場にあるということは、ATM機能の方も相当高性能のはずですから、判定が難しそうです。
> あとがきの最後に記した「挿入以外の文化的な性愛」とは、具体的にはさまざまなフェチを念頭に置いていたのですが、性愛が多様化すれば、「本番の相手は配偶者に限る」という純潔主義が定着しうると思います。
>
三五館から予定されている〈フェチ論〉につながるのでしょうか。そういうことだったのですね、誤読してしまいました。
(ちなみにタイトルのアンケート、私は『フェチの論理学』に1票です)
挿入以外のフェチがあることを自覚できていないから、「とりあえず挿入」というメニューしか見当たらないのでしょうね。
田舎はやることが少なくてヤる、などといいますが、本当にやること少ないのか疑ってみると……。
> SMプレイ経験なしの非処女と、SMプレイ経験ありの処女だったら、普通の男はどっちをとりますかね。私は断然後者です。
> つまり『下半身の論理学』で禁欲の勧めを説いたつもりは全然なくて、
> 未婚のときはSMでもスカトロでも多様な性愛で愛を確かめ合えばいい、ただし挿入はするな(女が心底から挿入されたい性欲を持ち後悔しない自信がある場合を除く)、といった感じです。
>
そうですね、私も禁欲の勧めとまでは読み取りませんでしたが、挿入以外ならおおいに結構といった意味合いは読み逃していました。
なお、私も断然後者です。女性器への挿入と他の行為とは、まったく異なりますね。
※その認識により、私はアナル処女といった表現をよく解しません。
(そっちの穴に関する男性器被挿入履歴にはあまり興味がない)
(もっとも《処女かつアナル非処女》というのは稀なことと思うので推定の材料として関心を示すことにはなりそうですが)
> ちなみに、処女より非処女の方が非生殖的プレイに抵抗を示す傾向があるようです。
>
指入れ厳禁のヘルス嬢など、そこをしっかり徹底的にガードする代わり、他の方面にはいろいろと積極的なイメージがあります。
指名を取るために指(あるいはそれ以上)を許す女もいるなか、きちんと守りぬいている女には、客としては当然に残念だとしても、その態度を見せられた者としては嬉しい気持ちになります。(希少種の生存を確認したかのような気持ち)
> 私も4です。
> あとで、5と同列に並ぶ分岐レベルとして、5’もありかと考えました。
>
> 5’ ナマ(ゴムなし)のセックス相手として自分が初 を望む
>
> やはり4で変わらないとは思いますが。
>
5’が開設されたなら、5からそこに流れこむ人はいるように感じます。
私も微妙なところですし。
それは、対象の女が「ガード」の意味をどこに設定しているかによります。
ゴムを完璧なガード(もちろんそんなことはないのですが)と女自身が本気で信じているならば、あるいはレベル5’にまでずらせるかも……?
> 男は常に多数の女で「別個にクリア」したいと思いつつ、「安心できる究極の愛する女」を求めていることは確かですね。
> 私も、いちども結婚せずに今まで来ていますが、本音を言うと、恋愛や遊びのための駆け引きなんていい加減面倒だし、生活の第一義でもないので、理解し合えて安らげるただ一人の女を捕まえたいという気持ちはないわけではないですね。
> ↓ここを見ると、
> http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8270670.html
> ベストアンサー氏がNo.7~No.8で「ヤリチンだった自分が妻一筋に」を語っていますね。
> いい話です。
> 正直ちょっと憧れます。
>
いい話ですねえ。
ベストアンサー氏いいですね。たぶん生き方だってベストです。
「妻一筋だった自分がヤリチンに」がありえないだけに(∵ヤリチンに転向した途端ただちに「妻一筋ではなかった自分」に改定される)、可能なコースを全部たどった感のある氏に憧れます。
いみじくも氏はヤリチンを「卒業」したといっています。妻一筋を「卒業」はありえません。
世に「入学」すらできない男がいるなか、卒業できるものを卒業し、しかも「妻一筋」にゴールインです。
(1)ヤリチン「入学」できず。
(2)ヤリチン「入学」できず、「妻一筋」。
(3)ヤリチン「入学」まではできた。
(4)ヤリチン「卒業」まではできた。
(5)ヤリチン「卒業」、「妻一筋」。←ベストアンサー氏
> 浮気したくなくなるほどに愛しい女と暮らす生活、まあ大半の男は本心ではそれを望んでいるかもしれません。
> 現実にはそんな女に巡り会えそうもないので、次善の策として(諦めて)男は「別個にクリア」に走るのでしょう。
2◎の動きがすすむにつれ、浮気の愉しさ(? 未経験なのでわかりませんが)はなくなっていきそうですね。
法律の縛りがあるからこそ浮気はたのしいのに! という反発がありそうです。
> 男の進化論的本能も現代環境では「ジーンよりミーム」での分身作りに向かっていますし(第5章)。
「[…]どのようなミームが生物学的子孫を増やして栄えてゆくかは、あらかじめ予測することはできない[…]」のは、私としては救われるところです。
どんな弾が当たるものかわからないからこそ、頭やEQなどがべつに優れてはいないことをわかっていてもミーム(と自分が考えるもの)を発信してみようという気になれる、と思うからです。
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Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 1月28日(水)05時56分38秒
> No.4040[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> あまりに歳の離れた子どもだと一緒にスポーツなどで遊んであげられなくなる、というのも動機になりえますね。
> (思考の最中に「我が子」という単語が出てこない私自身には、あまり響いてこない動機ですが)
>
子どもというのは、母親さえいれば幸福に育つような気がするのですが、どうなんでしょう。
父親なんて、しょせん家庭では疎外されるのでは?
とくに娘は父親を嫌いますしね。
シングルマザーたちに対し、(法的福祉的サポート以外に)「俺の子かも」と思っている多数の男たちが家庭外から各々適当な加減で支援する、という社会がたぶん一番安定するでしょう。
>
> 性的なことは不特定物で済ませられますね。不特定「物」と書いたのはまさにものでも可能なので。
> 本の中にあった、原始的な挿入によらない文化的な性愛……たぶんこの方面へのあこがれが「よほどの動機」になるのかも、と思います。
>
あとがきの最後に記した「挿入以外の文化的な性愛」とは、具体的にはさまざまなフェチを念頭に置いていたのですが、性愛が多様化すれば、「本番の相手は配偶者に限る」という純潔主義が定着しうると思います。
SMプレイ経験なしの非処女と、SMプレイ経験ありの処女だったら、普通の男はどっちをとりますかね。私は断然後者です。
つまり『下半身の論理学』で禁欲の勧めを説いたつもりは全然なくて、
未婚のときはSMでもスカトロでも多様な性愛で愛を確かめ合えばいい、ただし挿入はするな(女が心底から挿入されたい性欲を持ち後悔しない自信がある場合を除く)、といった感じです。
ちなみに、処女より非処女の方が非生殖的プレイに抵抗を示す傾向があるようです。
>
> なるほど。初物スペクトル説(?)ですね。
> (ちなみにこのなかでは4です)
>
私も4です。
あとで、5と同列に並ぶ分岐レベルとして、5’もありかと考えました。
5’ ナマ(ゴムなし)のセックス相手として自分が初 を望む
やはり4で変わらないとは思いますが。
>
> アドホック日記で取り上げられていた http://open.mixi.jp/user/29675278/diary/1936196074 のレビュアの「あまり嬉しくありませんね(>_<)」について、
> 私は、嬉しくなく思う気持ちは理解できますし、かつ、私自身は別に嬉しくないことはない、という思いなのです。
> それどころか毎日、安心して暮らしていけそうな気までしてしまいます。
>
男は常に多数の女で「別個にクリア」したいと思いつつ、「安心できる究極の愛する女」を求めていることは確かですね。
私も、いちども結婚せずに今まで来ていますが、本音を言うと、恋愛や遊びのための駆け引きなんていい加減面倒だし、生活の第一義でもないので、理解し合えて安らげるただ一人の女を捕まえたいという気持ちはないわけではないですね。
↓ここを見ると、
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8270670.html
ベストアンサー氏がNo.7~No.8で「ヤリチンだった自分が妻一筋に」を語っていますね。
いい話です。
正直ちょっと憧れます。
>
> それでいて2◎にも「別個にクリア」のためには賛成なのです。
> しかし、これは、結婚でなくてもいいのかなと考えました。つまり、お店の利用ということですが。
>
浮気したくなくなるほどに愛しい女と暮らす生活、まあ大半の男は本心ではそれを望んでいるかもしれません。
現実にはそんな女に巡り会えそうもないので、次善の策として(諦めて)男は「別個にクリア」に走るのでしょう。
男の進化論的本能も現代環境では「ジーンよりミーム」での分身作りに向かっていますし(第5章)。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 1月27日(火)23時07分13秒
> No.4039[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> (ただし人さまざまで、私の知る独身男で、「彼女は経産婦だから」とか言ってセックスのチャンスを見送ったのがいましたが……)
帝王切開の痕があるとちょっと……という話を最近よみましたが、
ひょっとすると経産婦であることを決定づける情報だからなのかもしれませんね。
> ★から考えると(2)もあてはまりそうですね。
> しかし、付き合った女と深入りして、責任上結婚せねばならなくなった、などというとき、
> 相手女性が条件◆に程遠かったりしたら不本意ですよね。
>
> そういう万一の場合を考えると、
> ある程度力の入った恋愛においては、◆をすべてクリアできないまでも重要項目についてはクリアしている女を選ぼう。
> そこで(2)が否定され、(1)が成立するのでしょう。
★(=こだわらないタイプだ)と言っているのに(2)(=実はこだわりがない)をあっさり否定していたことに無自覚でした。
恋愛への力の入れようで、◆(=条件)については重要項目に絞るよう調整が入ると。(ミニマックス)
この場合の「力の入った恋愛」というのは、「他の異性との関係を制限される」という機会コストも惜しくないような恋愛、ということですね。
そして、そのような投資も構わないとするのは……結婚がちらつくからでしょうか。
> 理想が関わってくるのは女の結婚観であって、
> 男の場合は理想より、そもそも動機が生まれるかどうかなのでは。
ここは、はじめ「読んで理解でき、かつ、実感が伴っていない」という状態になりましたが、
おそらく◆と理想とを取り違えたからだと思います。
> 女にとって結婚は明らかにメリットがありそうですが、
> 男にとっては率直に言って結婚はとりわけメリットはないんですよね。
> 生殖的タイムリミットもないので「結婚しなきゃ」的プレッシャーも自覚もなく、よほどの動機づけが必要なわけです。
あまりに歳の離れた子どもだと一緒にスポーツなどで遊んであげられなくなる、というのも動機になりえますね。
(思考の最中に「我が子」という単語が出てこない私自身には、あまり響いてこない動機ですが)
> 「性行為の安定した相手を確保したい」は結婚の動機になりえますが、
> 結婚せずとも女が簡単にやらせてくれる社会では、その動機もありませんしね。
> 逆に夫婦間でのレイプも認定されるようになった人権社会では、性的には結婚のメリットは全くないと言えます。
性的なことは不特定物で済ませられますね。不特定「物」と書いたのはまさにものでも可能なので。
本の中にあった、原始的な挿入によらない文化的な性愛……たぶんこの方面へのあこがれが「よほどの動機」になるのかも、と思います。
> 初物趣味にもいろんな段階がありそうです。厳格な順に、
> 彼女にとって
> 1 付き合う相手として自分が初 を望む
> 2 キスを含む粘膜接触相手として自分が初 を望む
> 3 セックス(レイプを含む)相手として自分が初 を望む
> 4 自発的セックスの相手として自分が初 を望む
> 5 オルガスムを得た相手として自分が初 を望む
> ……
なるほど。初物スペクトル説(?)ですね。
(ちなみにこのなかでは4です)
> 「同時に成り立たない条件を別個にクリア」は重要ですね。
> 男の本音は2◎支持なのだと思います。
> 女の本音は1◎でしょう。
> 現在のフリーセックスの風潮は、1◎を捨てながら2◎を確立できないという中途半端な状況です。
> そこに処女厨問題が発生するわけですね。
いまの正直な思いなのですが、1◎を賛成と書いたのは、ここを読んだいまでも変わりませんね。
うーん、なぜなのでしょう……。
アドホック日記で取り上げられていた http://open.mixi.jp/user/29675278/diary/1936196074 のレビュアの「あまり嬉しくありませんね(>_<)」について、
私は、嬉しくなく思う気持ちは理解できますし、かつ、私自身は別に嬉しくないことはない、という思いなのです。
それどころか毎日、安心して暮らしていけそうな気までしてしまいます。
それでいて2◎にも「別個にクリア」のためには賛成なのです。
しかし、これは、結婚でなくてもいいのかなと考えました。つまり、お店の利用ということですが。
(ここでもまた「我が子」のことを視野に入れない私の考え方が出ているようです)
> 出産した病院で直ちに検査をする制度にすれば、その問題はクリアできるでしょう。
> 赤ちゃん取り違えも防げますから女にとってもメリットありです。
これは、確かにそうでした。そうすると3◎については完全に賛成です。
(ここではなぜか意識にのぼる「我が子」……)
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 1月27日(火)16時26分14秒
> No.4038[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
>
> 恋人に関しては気にしないタイプです。・・・★
> 恋人が配偶者に変身する見込みはない、という条件付きで……。
>
やはりそうですか。
恋愛と結婚は別ですよね。男にとっては。
(ただし人さまざまで、私の知る独身男で、「彼女は経産婦だから」とか言ってセックスのチャンスを見送ったのがいましたが……)
>
> 《独身主義かつ処女厨》という状態に不安定な感じを覚えるのは…
> 私が次のいずれかだから;
> (1)実は独身主義者ではない
> (2)実は処女にこだわりがない
>
★から考えると(2)もあてはまりそうですね。
しかし、付き合った女と深入りして、責任上結婚せねばならなくなった、などというとき、
相手女性が条件◆に程遠かったりしたら不本意ですよね。
そういう万一の場合を考えると、
ある程度力の入った恋愛においては、◆をすべてクリアできないまでも重要項目についてはクリアしている女を選ぼう。
そこで(2)が否定され、(1)が成立するのでしょう。
>
> そうすると《独身主義者かつ処女厨》というのは《やたら理想の高い処女厨》のこと…?
> 私はちょっと考え直したほうがよいのかもしれません。
>
理想が関わってくるのは女の結婚観であって、
男の場合は理想より、そもそも動機が生まれるかどうかなのでは。
女にとって結婚は明らかにメリットがありそうですが、
男にとっては率直に言って結婚はとりわけメリットはないんですよね。
生殖的タイムリミットもないので「結婚しなきゃ」的プレッシャーも自覚もなく、よほどの動機づけが必要なわけです。
「性行為の安定した相手を確保したい」は結婚の動機になりえますが、
結婚せずとも女が簡単にやらせてくれる社会では、その動機もありませんしね。
逆に夫婦間でのレイプも認定されるようになった人権社会では、性的には結婚のメリットは全くないと言えます。
>
> 自分の考え方を点検してみると、「我が子」とか「投資」といった単語が見当たりませんでした。
>
「投資」には「機会コスト」も含まれると考えれば、
「他の異性との関係を制限される」という機会コストは、「結婚における投資」のうち重要な要因ではないでしょうか。このコストは、女にとってより男にとってダメージが大きいですし。
>
> となると、『下半身の論理学』本文中の「初物趣味説」に重なりそうなところですが、★により、「初物趣味」にもなりきれていないようです。
>
初物趣味にもいろんな段階がありそうです。厳格な順に、
彼女にとって
1 付き合う相手として自分が初 を望む
2 キスを含む粘膜接触相手として自分が初 を望む
3 セックス(レイプを含む)相手として自分が初 を望む
4 自発的セックスの相手として自分が初 を望む
5 オルガスムを得た相手として自分が初 を望む
……
>
> > ともあれ
> > 1◎結婚まで純潔を守るべしという風潮を定着させる
> > 2◎結婚制度をゆるくして多夫多妻制にする
> > 3◎父子DNA鑑定を法的に義務づける
> > 少子化対策は
> > この3通りしかないというのが『下半身の論理学』の主張です。
>
> 1◎に賛成します。
> 2◎は《初回は初物厨》としては一瞬とまどいますが、◆のような条件を掲げる私としてはよろこぶべき制度なのかもしれません。(同時に成り立たない条件を別個にクリアできるかもしれないため)
>
「同時に成り立たない条件を別個にクリア」は重要ですね。
男の本音は2◎支持なのだと思います。
女の本音は1◎でしょう。
現在のフリーセックスの風潮は、1◎を捨てながら2◎を確立できないという中途半端な状況です。
そこに処女厨問題が発生するわけですね。
>
> 3◎は、賛成とともに、精度(鑑定の前後も含めた精度)が気になるところです。
> DNA鑑定自体は99.9999%の精度を誇っていたとしても、別な人のサンプルと取り違えていないか、とか、その鑑定書は本物なのか、とか。
>
出産した病院で直ちに検査をする制度にすれば、その問題はクリアできるでしょう。
赤ちゃん取り違えも防げますから女にとってもメリットありです。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 1月26日(月)23時33分57秒
φさんへのお返事です。
ご回答とお返事、ありがとうございます。
> 処女厨の多くは、結婚と関係ない恋愛においては相手女性が処女かどうかあまり気にならないものだと思うのですが、しゃもじさんはどうなんでしょう。
> 恋人にも処女を求めるタイプですか?
恋人に関しては気にしないタイプです。・・・★
恋人が配偶者に変身する見込みはない、という条件付きで……。
※恋人が配偶者になる見込みがないときにかぎり、比べられることはなんともない、
正確には、比べられることについては考えにもおよんでいない、といった感じです。
> 独身主義者なら、終生の投資が義務づけられないのだから(相手を変えるのは自由なのだから)処女にこだわる動機は薄いと思うのですが……
あらためて、なぜ独身主義者なのに処女にこだわりを持っているのかを考えてみました。
《独身主義かつ処女厨》という状態に不安定な感じを覚えるのは…
私が次のいずれかだから;
(1)実は独身主義者ではない
(2)実は処女にこだわりがない
(3)実は(1)かつ(2)だ
(1)はありそうだと思いました。
実現することのない厳しい条件や、同時に叶うことのない不可能な条件を設定していて、これがクリアされるならばぜひとも結婚したいし、心の底からよろこんで終生投資したい、いや、させてほしい。
でも、もともとクリアできるような設定になっていない。・・・◆
私が条件をゆるめないかぎり、私の外形は独身主義者とほとんど変わりなく、しまいには自分で自分自身を独身主義者と錯覚してきている……。
(2)はなさそうです。というのは(1)の条件の中には処女であることも含まれるため。
(3)は(2)がなさそうなので、なし、と。
そうすると《独身主義者かつ処女厨》というのは《やたら理想の高い処女厨》のこと…?
私はちょっと考え直したほうがよいのかもしれません。
> 現代日本のようにガッチリ一夫一妻の家族制度が確立されていると、
> 女〈確実な我が子を少数〉vs.男〈不確実な我が子を少数〉
> となってしまい、バランスが崩れ、終生投資を義務づけられる男の側に強迫神経症的処女厨衝動がくすぶり続けるわけですね。
現代の日本のような強固な結婚制度(レベル1)、
少しゆるめた結婚制度(レベル2)、
そして乱婚制(レベル3)
の各制度内に自分を置いて、《処女厨》度に変化が見られるか考えてみました。
どうも、レベル1~3にかかわらず、何かこだわりが残ります。
かつ、これを考えている間の自分の考え方を点検してみると、「我が子」とか「投資」といった単語が見当たりませんでした。
となると、『下半身の論理学』本文中の「初物趣味説」に重なりそうなところですが、★により、「初物趣味」にもなりきれていないようです。
当座の決着点は、「私は《「初回は初物で」趣味者》なのだろう」というところです。
振り返ると、ゲーム、本、車、建物賃貸借など、私は「初回の契約のみ」初物にものすごいこだわりを見せているのですが、そのあとは平気で中古品も選択肢に入れています。
「初回に一度でも初物メダルが獲得できれば、あとはこだわらない」といった考えなのだと思います。
> ともあれ
> 1◎結婚まで純潔を守るべしという風潮を定着させる
> 2◎結婚制度をゆるくして多夫多妻制にする
> 3◎父子DNA鑑定を法的に義務づける
> 少子化対策は
> この3通りしかないというのが『下半身の論理学』の主張です。
1◎に賛成します。
2◎は《初回は初物厨》としては一瞬とまどいますが、◆のような条件を掲げる私としてはよろこぶべき制度なのかもしれません。(同時に成り立たない条件を別個にクリアできるかもしれないため)
3◎は、賛成とともに、精度(鑑定の前後も含めた精度)が気になるところです。
DNA鑑定自体は99.9999%の精度を誇っていたとしても、別な人のサンプルと取り違えていないか、とか、その鑑定書は本物なのか、とか。
> 本当のフリーセックスのためには、セックスフリーの女の立場を尊重する(男に迎合しない女を支持する)風潮が必要なのですけれどね。
そうですね。
なぜかふと、「女は結局のところ、頭の良いのが最高だ」というフレーズを思い出しました。
性別年齢関係なく、大切なひとが何かに(自由の結果ではなく不自由の結果として、)迎合している状態、あるいは実際にそんなことはなくても、迎合するんじゃないかという予感だけで、とても不安になります。
長々と失礼しました。
Re: 『下半身の論理学』を読みました 投稿者:φ 投稿日:2015年 1月26日(月)03時12分28秒
> No.4035[元記事へ]
しゃもじさんへのお返事です。
いや、付録までみっちりお読みいただけたようで嬉しい限りです。
>
> 意外だった(自分の直感とずれた)のは、《?♀厨》を表現するには結婚制度が必要なことです。
>
結婚制度があっても、現代日本のように強固なものではなく離婚が簡単にできて婚外子を育てやすい乱婚社会であれば、処女厨は激減するでしょうね。
第3章の適応度説のところで述べたように(紙の本でpp.179-80)、
多夫多妻社会では、女〈確実な我が子を少数〉vs.男〈不確実な我が子を多数〉で釣り合いがとれるからです。
現代日本のようにガッチリ一夫一妻の家族制度が確立されていると、
女〈確実な我が子を少数〉vs.男〈不確実な我が子を少数〉
となってしまい、バランスが崩れ、終生投資を義務づけられる男の側に強迫神経症的処女厨衝動がくすぶり続けるわけですね。
>
> 「私は一生シングルでいるつもりで、かつ《?♀厨》である。
> このとき《?♀厨》の表現にはなぜ結婚制度を絡めないといけないのか…
> …あっ、そもそも結婚制度がなければ《シングル》という状態もないのか(あれ?)」
>
> などと読後も脳内でぐるぐるしているところです。
>
処女厨の多くは、結婚と関係ない恋愛においては相手女性が処女かどうかあまり気にならないものだと思うのですが、しゃもじさんはどうなんでしょう。
恋人にも処女を求めるタイプですか?
独身主義者なら、終生の投資が義務づけられないのだから(相手を変えるのは自由なのだから)処女にこだわる動機は薄いと思うのですが……
(2ちゃんねるなどでよく言われる「処女厨は比べられるのを嫌う非モテ」という思い込みが間違いであることは、恋愛では処女厨もとくに処女を求めはしないという事実から明らかです)
電子書籍の誤記のご指摘ありがとうございました。青土社に伝えておきます。
当該箇所、紙の本では誤記はありませんでした。
目次と章タイトルの表記を「×♀厨」としたのは、「処女」という言葉を出してしまうと、序章の問のネタバレになってしまうからでした。
ただ、今になってみると、ネタバレになってもわかりやすさの点から「処女厨」という言葉を明示すべきだったかなと思います。
ともあれ
1◎結婚まで純潔を守るべしという風潮を定着させる
2◎結婚制度をゆるくして多夫多妻制にする
3◎父子DNA鑑定を法的に義務づける
少子化対策は
この3通りしかないというのが『下半身の論理学』の主張です。
1に関しては、セックスに関してはマスコミが右も左もこぞって「自由化」派で、純潔主義など唱えようものなら売れなくなるから絶対に非処女を貶めるようなことは書きませんし、
かといって一夫一婦制に異を唱えるような「暴論」も出したがらない。
保守にも前衛にもなりきれない状態でいつまでも推移ですかね……
本当のフリーセックスのためには、セックスフリーの女の立場を尊重する(男に迎合しない女を支持する)風潮が必要なのですけれどね。
先の投稿の文字化けについて 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 1月25日(日)20時09分0秒
先の投稿ですが、肝心の表記が化けていたので、訂正します。
《?♀厨》というようにクエスチョンマークに化けているところについて、
クエスチョンマークは本来、「ばつ」「エックス」「加減乗除の乗」マークに準ずるものを表示させようと意図しました。(《X♀厨》)
『下半身の論理学』を読みました 投稿者:しゃもじ 投稿日:2015年 1月25日(日)20時01分9秒
『下半身の論理学』を読みました。ものすごく、面白かったです。
以下、感想と誤記のご報告と質問(と蛇足)です。
(感想)
《?♀厨》というテーマはかなり私秘的で、見てはいけないものを覗いているような楽しさがありました。
デリケートでドロっとしたイメージのある《?♀厨》が読み進めるごとに分析的に処理されていく感じが爽快で、
特に、図表A-1を見たときに絶頂を迎えた感があります。
意外だった(自分の直感とずれた)のは、《?♀厨》を表現するには結婚制度が必要なことです。
「私は一生シングルでいるつもりで、かつ《?♀厨》である。
このとき《?♀厨》の表現にはなぜ結婚制度を絡めないといけないのか…
…あっ、そもそも結婚制度がなければ《シングル》という状態もないのか(あれ?)」
などと読後も脳内でぐるぐるしているところです。
付録1におけるxの母集団が「もし同性だったら」「もし人間じゃなかったら」
「もし人間ファックスなどでできた人間だったら」「もし喪失時の記憶を喪失していたら」などと考えながら
二周目を読み進めていこうと思います。
(電子書籍の誤記について)
紙の書籍でなく電子書籍で購入したので、ページ数を示せないのですが、次は誤記ではないかと思いました。
(1)「OKWeb」→「OKWave」(端末で示される位置No. ではNo. 690)
(2)付録1中、「∀」および「∃」がすべて横書きされていない。
(3)付録1中、「∀x∀y(Sx&Sy→[x]=y&Mx)」(位置No. 5249)のうち、左記で[x]と囲ったxが横書きされていない。
(質問)
そのものズバリを書くのがためらわれたので(なぜか口にするのもつらいです)、
この投稿にあたっては、本に倣って《?♀厨》の表記を使いました。
ところが、振り返るとなぜ処女厨を《?♀厨》と表記するのかなと、素朴な疑問にとらわれました。
※……なぜAかと問うためにはまずAであることを示さないといけないのだろう思いますが、
本文ではタイトル以外に一切使われていない《?♀厨》の表記がきっと処女厨を示しているというのは、あくまで推定です。
(蛇足)
仲畑貴志の本が目の前の本棚に2冊あって、ふと目にとまりました。
ひとつは赤い色の装丁で、
『みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる(勝つ広告のぜんぶ)』という書名です。
もうひとつは青い色の装丁で、
『ホントのことを言うと、よく、しかられる(勝つコピーのぜんぶ)』という書名です。
なんだか、色と、タイトルと、今回読んだ『下半身の論理学』とが、関連しているように感じられました。
さらにはサブタイトルの「広告」がモテ戦略のように見えてきて、「コピー」が生殖のように見えてきたり……。
失礼いたしました。