三浦俊彦の時空-電子掲示板(過去ログ 2014年分)
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Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:φ 投稿日:2014年 8月20日(水)15時39分38秒 返信・引用
> No.4017[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> > 物理的メカニズムがあったから脳が巨大化したわけで、自然選択と矛盾はしないわけですが
>
> それだと、実際に固定している形質は、絶対に、自然選択と矛盾し得ない という考えになりますね?
> 進化論の自然選択説は、絶対の真理だと。
> たぶんφさんが、それを言うとは思わないので、言葉の綾だろうと思いますが。
>
いや、実現した形質はなんであれ自然選択説と矛盾しない、というのは、それでいいと思いますよ。
自然選択説は、トートロジーだからです。(正確には、物理法則を前提したときにはトートロジー)
自然選択は、結果論です。
どんな確率の低い種類のことでも、その種類に属する特定の形質が進化したのであれば、その形質が進化するのに有利な環境だったからでしょう。
実現したということは、物理的にそれが支持されたということです。当たり前ですね。
自然選択説が画期的なのは、トートロジーだからです。
つまり、トートロジカルでない何らかの定向進化の法則などない、という結果論に徹した洞察を提示したことが画期的だったんですね。
「生物進化はトートロジー(結果論)に基づいており、物理法則以外の生物学特有の経験法則は存在しない」ということです。
どんな形質が進化しようが、物理学的必然。
それを言い切ったから、自然選択説はすごいのだと思います。
>
> > そのメカニズムが成立する確率はかなり低く
>
> このメカニズムというのは自然選択の結果、脳の巨大化が固定するという全体のこと、ですね?
>
> ここで、有利不利から言うと当初巨大化した脳の持ち主が生き残り子孫を増やす確率はかなり低い、しかし、それがたまたま成り立ってしまったケースが観測選択されているのが地球、という理解でいいでしょうか?
> メリット・デメリットを考えると、当初はデメリットの方が大きかったであろう脳の巨大化が(ある場では)例外的に固定したのは、ゆらぎ、と表現していいのでしょうか?
>
脳の巨大化という【種類のこと】は、一般に、確率が低いですね。
エネルギー効率的に無駄ですから。出産も大変になるし。ふつう、勝ち残れません。
しかし、地球上ではそれがたまたま【特定の事例について】有利だったんですね。
それで起こってしまったわけです。
種類としてみれば低確率でも、「その特定の系統の脳の巨大化」は、特定の環境との相互作用がうまくいったのでしょう。
自然選択説に反していません。
自然選択説が反証されることはありませんから。物理学のもとでトートロジーなので。
Re: 悪法もまた法なり? 投稿者:φ 投稿日:2014年 8月20日(水)15時19分52秒 返信・引用
> No.4016[元記事へ]
riumさんへのお返事です。
出来が悪ければ悪いほどツッコミ入れながら笑って観る気になれる、というのがモンスター映画のいいところですね。
モンスター映画そのものが、映画としてトンデモな分野だからでしょう。
モンスター映画評は、たぶん一件2分もかけずに猛スピードで書き殴っているいい加減なレビューですが、記憶だけを頼りにした一瞬の表出にこそ現われる感想や洞察というものもあるのではないかと思ってます。
そんないい加減なメモなのに最近滞っているのは、
「ジャンル別」で始めてしまったのが枷になってるんですね。
つまり、「コンタクト系」「サイコパス系」「ニュルニュル系」等とタイトル付けて書いてるので、同系統の作品がある程度揃わないと書けなくなってるんですね。
ジャンルにかかわらず片っ端から書いていけばどんどん進むんですが、なまじ分類してしまったために、いろんなジャンルにまたがる映画多数が未レビューのまま溜まってきてしまい……
そのうちまた溜まった系統から書きますが、放置していた間に記憶薄れていてほとんどが「よく覚えてないが」的なメモになってしまうかもしれません。
まあ、時間が経っても覚得てることだけを手掛かりにした方がレビューとして的確なのかもしれませんが。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:kotob 投稿日:2014年 8月19日(火)11時54分59秒 返信・引用
> No.4013[元記事へ]
φさんへのお返事です。
考えてみると、死刑というのは「最も過酷な刑罰」ではないですね。死刑以上にきつい刑罰はあり得る。けれど人道上、採用されないのでしょう。
最過酷ではない、かつ、執行された後冤罪が判明した場合、いかなる方法をもっても取り返すことはできない。
死にたい(死刑になりたい)ので人を殺した、と犯人が発言する事例もあります。抑止力としても疑問。一方、仮に死刑以上に過酷な刑罰が採用された場合、それを受けたいから犯罪を犯すという事例は先ず生じないと思われます。(過酷さから逃れるために死にたい(死刑になりたい)のだから死刑以外の刑では彼らにとって意味が無い)
死刑というのは、あんまり合理的な刑罰ではないのではないでしょうか?
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:kotob 投稿日:2014年 8月19日(火)08時42分56秒 返信・引用
> No.4013[元記事へ]
φさんへのお返事です。
φ氏 > 死刑は冤罪の可能性さえ防止できれば何ら悪ではない
自分 >冤罪の完全な防止はできないと考えるので、取り返しのつかない「死刑」は適用すべきでない。
φ氏> 冤罪の完全な防止はできないというのは悲観的すぎる。完璧主義に陥ると、何もできなくなります。
自分> なにもできなくなる、ではなく「あってはならぬ重大犯罪に、本来あってはならぬ極刑」という最端の部分に限っては完ぺき主義でもいいのでは(従って、、その部分にはできないことがあっていい)
φ氏 > 私の考えでは、死刑の意義は、「あってはならぬ重大犯罪を完璧に防止すること」ではなく、
自分> > φさんの考えを完璧主義だと言っているのではなく、可謬主義を徹底して死刑は避けるべきという自分の感覚。
φ氏 > かりに完璧主義をとったとしても、どう見ても死刑相当という場合があると思われます。
冤罪の完全な防止はできないと自分が考える理由は二回書きましたが、それについて具体的な反論は得ていません。
> いろいろありますね。禁煙と指定されてなければ喫煙自由と思い込んでる輩とか、
> 南京事件等侵略問題と慰安婦問題をごっちゃにしてる輩とか、
> あまりに多い「ゴム付けて」と彼氏に嫌われるのが怖くて言えない女とか。
冤罪の完全な防止はできないので、取り返しのつかない死刑は適用すべきでないという輩とかw
慰安婦問題は朝日の訂正もあってまた騒ぎになってるようです。
> 物理的メカニズムがあったから脳が巨大化したわけで、自然選択と矛盾はしないわけですが
それだと、実際に固定している形質は、絶対に、自然選択と矛盾し得ない という考えになりますね?
進化論の自然選択説は、絶対の真理だと。
たぶんφさんが、それを言うとは思わないので、言葉の綾だろうと思いますが。
> そのメカニズムが成立する確率はかなり低く
このメカニズムというのは自然選択の結果、脳の巨大化が固定するという全体のこと、ですね?
ここで、有利不利から言うと当初巨大化した脳の持ち主が生き残り子孫を増やす確率はかなり低い、しかし、それがたまたま成り立ってしまったケースが観測選択されているのが地球、という理解でいいでしょうか?
メリット・デメリットを考えると、当初はデメリットの方が大きかったであろう脳の巨大化が(ある場では)例外的に固定したのは、ゆらぎ、と表現していいのでしょうか?
Re: 悪法もまた法なり? 投稿者:rium 投稿日:2014年 8月17日(日)03時30分14秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
ありがとうございます。笹井氏が亡くなったことに小保方さんも責任を感じているようで、精神的に追い詰められていると聞きます。なによりネット上では、「笹井氏が自殺したのはお前のせいだ」だの「人殺し」だのと、小保方氏を非難する人が多いです(ネット上での非難なんか話半分に聞いておけばいいのかもしれませんが……)。このタイミングで自殺したことで、一番被害が大きいのは小保方氏ではないかなという気がしました。私も、小保方さんをかばい続けた笹井さんが、「世間の批判に耐えかねて自殺した」とか「STAP細胞は嘘なので自殺した」などとは考えにくいですが、一般人は、そう解釈してしまいそうです。
話が変わりますが、先生の映画レビューを読んでみたら大変面白かったです。某前田氏の「超映画批評」なんかよりずっとおもしろいです。
モンスター映画どころか映画自体ほとんど見ないので、映画の内容は全然わからないのですが、なんか映画を鑑賞しているときの先生の気持ちが痛いほど伝わってきます(特に、「海底大戦争」とか「ネズラ」とか駄作のレビューが(笑))。ある意味、あらすじを解説されるより、映画の内容やできばえが生々しく伝わってきます。
あまりの駄作に出演している俳優さんたちは、演技をしている最中に「何バカなことをやってるんだろ俺……」とか我に返ってむなしくならないのでしょうかね。それとも役者魂で、どんな作品であれ自分が出演した作品には愛着がわくものなのでしょうか……。
何はともあれ、先生のレビューをモンスター映画と言わず、いろいろ読んでみたくなります。
Re: 悪法もまた法なり? 投稿者:φ 投稿日:2014年 8月16日(土)16時06分13秒 返信・引用
> No.4014[元記事へ]
riumさんへのお返事です。
イスラム圏での「強姦された女性の方が罰せられる」というのは、おそらく、何らかの条件が付いているのでしょうね。
私はまったくその方面は知識がないのですが、いずれにせよ、
法律の中での判断と、法律そのものについての倫理的判断とが衝突するときは、当然、後者が優先されるべきだと思われます。ただし、判断の主体が異なるときには、議論が必要になるでしょうが。
>
> 正義感が強い裁判官なんかが現れて、法を破って少女を無罪放免にしたら、
>
> それも「悪」になってしまうのでしょうか。と気になりました。ご教示お願いします。
>
「超法規的措置」というのがありますが、法律にかかわらず行政が柔軟に対処するというものですね。
司法の中で法が破られた場合は、たぶん、行政がそれを追認するという形で超法規的措置がなされるのでしょうね。よくわかりませんが。
倫理学的に言えば、「規則功利主義の原則を行為功利主義で調節する」ような場合でしょう。
特定の行為について、法に従うことがあまりに有害であることが明白である場合、功利主義の初期の精神に立ち返って、行為功利主義的に超法規的措置をとることは正当化されそうです。
ただし、その種の事態が確率的に起こりやすいことがわかれば、法を変えなければなりませんけどね。超法規的措置を何度も行なうのは規則功利主義にも行為功利主義にも反するでしょうから。
笹井氏の自殺は不可解ですね。
学者というものは、物事を冷静に見る訓練ができているので、逆上したり狼狽したりすることはあまりないと思われます。
だから、絶望してとかプレッシャーに耐えかねてとかいうよりは、いずれこれこれのことを喋らねばならなくなりそうだ、そうするとまずいことになる、というような、功利的な判断で自殺したのだと思いますが。
なので、笹井氏の自殺によって、闇に葬られた事実が少なからず存在するものと私は思っています。
悪法もまた法なり? 投稿者:rium 投稿日:2014年 8月14日(木)02時14分51秒 返信・引用
前に、「規則を守らなくていい」という概念は矛盾するという話が出ましたが、どう考えても間違っている(と思われる)規則・法律でも守らなければならないのでしょうか。
たとえば、イスラム教圏のような、強姦された女性のほうが罰せられる(中には強姦された上に、むち打ち刑を科せられて亡くなった少女もいましたが)というような、悪法も守らなければならないのでしょうか。もしそんな中で、正義感が強い裁判官なんかが現れて、法を破って少女を無罪放免にしたら、それも「悪」になってしまうのでしょうか。と気になりました。ご教示お願いします。
ところで話は変わりますが、笹井氏の自殺について、どう思われますか? ネット上ではいろいろな意見が飛び交っていますが。
「自殺によって、さまざまな期待・約束・契約が断絶される」とおっしゃっていましたが、彼の場合には、立場が立場なので断絶された期待などがかなり大きかったように思います。このSTAP細胞の件にはあまり詳しくありませんが……。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:φ 投稿日:2014年 8月13日(水)04時35分48秒 返信・引用
> No.4012[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> 念のためですが、φさんの考えを完璧主義だと言ってないですよ。本来あるべきでない刑罰なら、それを科す対象の判断は完璧主義でいいのではないかという自分の感覚を書きました。
>
かりに完璧主義をとったとしても、どう見ても死刑相当という場合があると思われます。
>
> 理解しての行動ではなく、たまたま生じた形質(傾向)でいいという- 自然選択を分かってないということですか?
> もしそうならば、読み続ける価値があるか迷うと言われるのも分かる気がしますが、
>
進化心理学が性行動の性差などを説明するさいに、一夫一婦的あるいは一夫多妻的な争奪戦の歴史を必要としている、とこの本は想定しています。そして、狩猟採集段階では人類は多夫多妻の乱婚だったということ、平等かつ協力的な平和社会だったことを指摘して、人類は利己的な本能を持つというのは誤りで、「配偶者の獲得競争」などなかった、等々と通説批判を展開します。
p.270くらいまで読んだところでは、「個人同士の利己的な戦い」の想定が進化心理学の通説にとって必要であるかのように、わら人形を設定し、それを批判して通説批判としているようです。
和気藹々と暮らしていても、自ずと性選択はなされるというのに、それが理解されていないようで。
いちおうフェアな評価のために最後まで読んでみますが。
>
> 本に限らず、こういうことが通用するのか? とか、逆に、この話が何故通じないんだろう? とか、そういうことはφさんにとって多いということはないですか? あるいは子供の頃から。 もう慣れておられるかと思いましたが・・。(これは以前から聞いてみたかったので、この機会に)
>
いろいろありますね。禁煙と指定されてなければ喫煙自由と思い込んでる輩とか、
南京事件等侵略問題と慰安婦問題をごっちゃにしてる輩とか、
あまりに多い「ゴム付けて」と彼氏に嫌われるのが怖くて言えない女とか。
>
>
> 進化論について、かなり以前に、人類の脳容量の巨大化は有利不利による自然選択では説明できず、人間原理を取り入れた説明が最新の考えかただと、伺いましたが、現在もその事情は変わっていないでしょうか? (これはあくまで自分の知識のための質問です。)
>
学界ではどうか知りませんが、私自身は、人間原理に頼るしかないと思っていますが。
もちろん、物理的メカニズムがあったから脳が巨大化したわけで、自然選択と矛盾はしないわけですが、そのメカニズムが成立する確率はかなり低く、それが成り立ってしまったという意味で、地球は例外的な自然選択の舞台だった、それが観測選択されている、ということです。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:kotob 投稿日:2014年 8月12日(火)15時21分11秒 返信・引用
> No.4011[元記事へ]
φさんへのお返事です。
(先週投稿したつもりだったのですが・・反映していませんでした。遅くなりすいません。)
> > 「あってはならぬこと」に対して 本来あってはならない刑を用意する という趣旨でしたでしょう。
> > そこだけは、完璧を求めていいのではないかと思えるのですが。
> >
>
> 私の考えでは、死刑の意義は、「あってはならぬ重大犯罪を完璧に防止すること」ではなく、
念のためですが、φさんの考えを完璧主義だと言ってないですよ。本来あるべきでない刑罰なら、それを科す対象の判断は完璧主義でいいのではないかという自分の感覚を書きました。
> 「あってはならぬ重大犯罪を、あってはならぬものとして論理的に位置づけること」だと思うのです。
> それは国家の意思表明ですね。
それは分かります。最初からそういうお話でした。なので、自分の、実際に極刑を科せるかどうか(可謬主義を取るとき)というのは、ちょっと違う話かとは思いました。
現段階で死刑賛成論に転向はしませんが、今後それを考える場合は、φさんの書かれたことも押さえて考えてみます。
> 通説が前提する「父性への専心」を批判する際に、「人類の祖先は、性行為で子どもができることを理解していたとでもいうのか?」といった具合。著者たちは、進化論をちゃんと理解しているのか疑わしいです。
理解しての行動ではなく、たまたま生じた形質(傾向)でいいという- 自然選択を分かってないということですか?
もしそうならば、読み続ける価値があるか迷うと言われるのも分かる気がしますが、
ただφさんの場合は、他の人の「考え違い」も仕事に活かせたりするでしょう? 自分ら素人の場合は、イライラするだけで益は全くないですから。
> こんなレベルがベストセラーなんですかねぇ。
本に限らず、こういうことが通用するのか? とか、逆に、この話が何故通じないんだろう? とか、そういうことはφさんにとって多いということはないですか? あるいは子供の頃から。 もう慣れておられるかと思いましたが・・。(これは以前から聞いてみたかったので、この機会に)
進化論について、かなり以前に、人類の脳容量の巨大化は有利不利による自然選択では説明できず、人間原理を取り入れた説明が最新の考えかただと、伺いましたが、現在もその事情は変わっていないでしょうか? (これはあくまで自分の知識のための質問です。)
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:φ 投稿日:2014年 8月 5日(火)18時49分56秒 返信・引用
> No.4010[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> 「あってはならぬこと」に対して 本来あってはならない刑を用意する という趣旨でしたでしょう。
> そこだけは、完璧を求めていいのではないかと思えるのですが。
>
私の考えでは、死刑の意義は、「あってはならぬ重大犯罪を完璧に防止すること」ではなく、
単に、
「あってはならぬ重大犯罪を、あってはならぬものとして論理的に位置づけること」だと思うのです。
つまりそれ自体は完璧主義ではなく、ただの「社会体制の意思表明」みたいな感じです。
何百人殺した犯人であろうが通常犯罪に対しては死刑をやらない国でも、内乱罪とか外患誘致罪とかには(犯人が一人も殺めていなくても)死刑を残しているというのは結構ありますよね。
それは国家の意思表明ですね。
>
> ただ、今思うのは、
> 前回投稿時の自分の考えは、一見間違いが無いように見えるケースにも、冤罪の場合【も】あり得る。
> ということまでで、
> 「絶対間違いようの無いケースが存在しない」 ということでは、ないかもしれない。
> そういうケースが存在する可能性があるなら、そこにだけは極刑を用意しておく、ということはありなのか・・
>
冤罪もありうる、ということから、冤罪でありえない場合が存在しない、ということにはなりませんね。
ありうる冤罪を防止すれば、冤罪でありえない場合が残る、とは言えると思う次第です。
ところで完璧主義についてですが、
話変わるのですが
『性の進化論』という新刊、ベストセラーだというしアマゾンのレビューがいいので昨日読み始めたんですが、
なんともまあトンデモ本の気配です。
進化心理学の通説をとにかく批判するんですが、
口調が感情的なのは翻訳の問題かもしれないにしても、
とにかく進化心理学の通説が「すべてを説明すること、ができていない」という理由で叩いています。典型的な完璧主義的わら人形論法。
いや、もっとひどい。
通説が前提する「父性への専心」を批判する際に、「人類の祖先は、性行為で子どもができることを理解していたとでもいうのか?」といった具合。著者たちは、進化論をちゃんと理解しているのか疑わしいです。
こんなレベルがベストセラーなんですかねぇ。
読み続けるべきかどうか迷っているところです。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:kotob 投稿日:2014年 8月 5日(火)00時32分47秒 返信・引用
> No.4009[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>冤罪の「完全な防止」ができない、というのは、悲観的すぎませんか。
>犯人について異論の余地のない証拠がある場合は、いくらでも起こりうるでしょう。
これは、その刑が妥当だという判断の誤りを、完全に避けることができるかどうか、という意味でした。
精神鑑定で責任能力なしとされた場合、刑には処されないと思いますが、この鑑定の基準や精度が変わり、以前の判断が誤りだったとなる可能性とか。
(そもそも責任無能力で無罪、という考え方に反対の人もいるでしょうが)
他に、実際には情状酌量に値する理由があったのだが、捜査で掴むことができず、本人もそれを言う気が無い など。
>完璧主義に陥ると、何もできなくなります。
「あってはならぬこと」に対して 本来あってはならない刑を用意する という趣旨でしたでしょう。
そこだけは、完璧を求めていいのではないかと思えるのですが。
>極刑については、異論の余地のあるケースと、ないケースを識別することが司法の最大の役目ということになります。
その識別を完璧にできるかどうか、と。
実際には、司法は完璧に事実を証明するものではなく、異論の余地の無い立論ができれば良い ということのようです(最近読んだ本によると)
そうすると、その時点で社会に有無を言わせぬ結論を出せればそれでいいので、上記のような、その時点で分かっていないことは無いに等しいのかもしれませんが・・・。
けれども、
死という取り返しの付かない刑についても、それでいいのか、ということと、また人間の判断の不完全性の方が自分は気になります。
ただ、今思うのは、
前回投稿時の自分の考えは、一見間違いが無いように見えるケースにも、冤罪の場合【も】あり得る。
ということまでで、
「絶対間違いようの無いケースが存在しない」 ということでは、ないかもしれない。
そういうケースが存在する可能性があるなら、そこにだけは極刑を用意しておく、ということはありなのか・・
と、φさんの返事を見て、思いましたが・・・
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:φ 投稿日:2014年 7月31日(木)00時39分40秒 返信・引用
> No.4008[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> その、冤罪の可能性を完全に防止すること が人間にはできない
> と考えるので、自分は死刑には反対と思っています。
> Q「死刑」が「本来為されてはならぬこと」だというφさんの考えは、自分の中の死刑反対論をさらに補強しました。
>
冤罪の「完全な防止」ができない、というのは、悲観的すぎませんか。
犯人について異論の余地のない証拠がある場合は、いくらでも起こりうるでしょう。
完璧主義に陥ると、何もできなくなります。
極刑については、異論の余地のあるケースと、ないケースを識別することが司法の最大の役目ということになります。
目撃証言多数で犯人が明らかな誘拐殺人事件、現行犯逮捕の大量殺人事件、利害関係と凶器がはっきりしている連続保険金殺人などは、どう考えても死刑が妥当です。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:kotob 投稿日:2014年 7月30日(水)12時03分4秒 返信・引用
> No.4005[元記事へ]
φさんへのお返事です。
横から失礼します。
「絶対に許されないこと」「倫理的に為してはならぬこと」
は、社会によって異なりますか?
> 死刑は冤罪の可能性さえ防止できれば何ら悪ではないと思うのですよ
その、冤罪の可能性を完全に防止すること が人間にはできない
と考えるので、自分は死刑には反対と思っています。
Q「死刑」が「本来為されてはならぬこと」だというφさんの考えは、自分の中の死刑反対論をさらに補強しました。
動機の誤解や精神鑑定の間違い(有責性)、を含め、人間という限界のある生き物には、冤罪の完全な防止はあり得ないと思われ、取り返しの付かない「死刑」は、まずい というのが自分の考えていることです。
抜き打ちテスト問題の件で、返事ありがとうございました。長く返事していなくてすいません。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:tosy 投稿日:2014年 7月30日(水)09時48分47秒 返信・引用
> No.4005[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> tosyさんへのお返事です。
> 胎児や乳幼児にとっては致命的じゃないですかね。
ここに関しては、同意です。
前の投稿のときに、この観点を見落としていました。
死刑についてもご見解ありがとうございました。
横やりすみません 投稿者:rium 投稿日:2014年 7月30日(水)02時14分22秒 返信・引用
> P→Qという決まりがあり、Qが「死刑」という本来為されてはならぬことであるとき、P→QかつPゆえにQ、つまりQが強制執行されることによって、その前提であるPが「あってはならぬこと」だったと確認されるわけです。
素晴らしい。名言です。ちょうどいま、卒論で死刑のことを書いているので、大変参考になりました。
すみません、ただの感想です。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:φ 投稿日:2014年 7月30日(水)00時21分57秒 返信・引用
> No.4004[元記事へ]
tosyさんへのお返事です。
>
> 私の判断では、
> 悪質度で、
> 死刑>タバコ
> です。
> 確たる論拠はありませんが、
> タバコで人の命を奪うことはおそらくないだろうと思います。
>
胎児や乳幼児にとっては致命的じゃないですかね。
子どもを作る可能性のある男女は、喫煙禁止にすべきだと思います。飲酒もですが、とくに喫煙は子どもが産まれた後も影響するので、より害は大きいでしょうね。
>
> φさんの、
> タバコ>死刑
> について理解を深めたいので、ご返信頂けると幸いです。
>
私は、死刑は冤罪の可能性さえ防止できれば何ら悪ではないと思うのですよ。
むしろ、凶悪犯罪については、「絶対に許されない」という社会の決意を示すことが必要で、そのために「死刑」という外道な罰が設定されていると言えるでしょう。
倫理的可能世界において、倫理的に為してはならぬことが(万一)なされた場合、やはり本来為されてはならぬことを課すことによって、「倫理的に為してはならぬことがなされた」と確認することが秩序維持のために必要です。
つまり、
P→Qという決まりがあり、Qが「死刑」という本来為されてはならぬことであるとき、P→QかつPゆえにQ、つまりQが強制執行されることによって、その前提であるPが「あってはならぬこと」だったと確認されるわけです。
「あってもよいこと」からQが帰結しないようになっていさえすれば。
P→Qという定めがないと、Pが許されざることだったのかどうかがわかりません。
死刑は、成立条件があらかじめ明示されていますから、それを承知で前提を犯す者がいれば、死刑の実行は何ら人権侵害ではないでしょう。単なる契約の履行です。
他方、タバコは、成立条件が明示されないまま様々な環境で個々に実行されてしまいますからね。
かりに禁煙と書いてないからといって、人が気分良く寿司を食っているときにそばでタバコを吸うやつがいたら、倫理的に悪でしょう?
「線香禁止」と書いてなくても、寿司屋で線香を焚いてはいけません。
「体操禁止」と書いてなくても、寿司屋でラジオ体操してはいけません。
ならば、タバコだってダメです。
煙が全く出ないタイプであれば、かまいませんが。(ただし妊娠中はいかんでしょうね)
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:tosy 投稿日:2014年 7月29日(火)17時04分42秒 返信・引用
> No.3997[元記事へ]
横から、連投失礼します。
φさんへのお返事です。
> riumさんへのお返事です。
>
> > 先生は以前から、「ドラッグや売春、死刑よりも、タバコや自殺のほうがはるかに悪質」とおっしゃっていますが、なぜでしょうか?
> 今の判断では、
> 悪質度の高い順に
> タバコ>ドラッグ>自殺>死刑>売春 かな。
> タバコは、煙が洩れないようにすべて本人が吸い込む方式があれば、ドラッグの中でも悪質度の低い方に入るかな。
私の判断では、
悪質度で、
死刑>タバコ
です。
確たる論拠はありませんが、
タバコで人の命を奪うことはおそらくないだろうと思います。
死刑は強制的に人の命を奪います。こちらは世の中では賛否両論でしょう。
(ちなみに、私は今は吸う人です。)
φさんの、
タバコ>死刑
について理解を深めたいので、ご返信頂けると幸いです。
ダーウィニズム 投稿者:tosy 投稿日:2014年 7月29日(火)16時44分31秒 返信・引用
φさん、お久しぶりです。
先日、生物学者の池田清彦さんの著書を読んでいたら、
ダーウィニズムがどうも気に食わない、といったようなことが書いてありました。
(著書名や正確な文章は思い出せません、すみません。)
一度、φさんと池田さんの対決がみてみたいです。
本心で。
どこかで実現することはないのでしょうか?
つまらない投稿だったらすみません。
Re: (無題) 投稿者:φ 投稿日:2014年 7月23日(水)02時49分28秒 返信・引用
> No.4001[元記事へ]
kさんへのお返事です。
>
> 失敗が死に直結するスポーツほど、テクニックが必要でしょう。だからこそ根性が評価されるわけで、この類のスポーツでのドラッグ使用(服用)が、身体、精神のどちらか又は両方に影響を与える場合、本来評価されるはずのテクニックが評価されない事に、選手も観客も不満に思うはずです。
>
ちょっと「?」です。
ドラッグ使用が影響することでテクニックが評価されない、とは?
ドラッグによって選手のテクニックが不自然に高まる、という意味でしょうか。
ふつうそれはありえないのでは。
ドラッグは、筋力や瞬発力を高めることはあっても、各種目独自のテクニックを高めることはありえないでしょう。テクニックには修練が必要であり、修練を積まない者にテクニックを発揮させるドラッグはありません。
>
> ただ、テスト対策で塾に通うのかカンニングをするのか、これとどう違うのでしょうか。
>
全然違うでしょう。
アメリカの学生は、試験に臨むにあたって、抗うつ剤や抗不安薬などで集中力を高めることをよくするらしいですね。
メンタルヘルスに問題のない人があの種の薬を摂取すると、頭がクリアになるらしいので。
むろん、勉強してないやつはいくら頭がクリアになってもいい点数はとれません。
努力せずに高得点をもくろむカンニングとは違います。
ドラッグでいいプレイをするには、もとの努力が必要なのです。
>
> 決められた枠組みの中でドラッグの使用が認められたとしても、選手の倫理観が追いつくには
> 多少時間が掛かりそうですね。
> そうでもないか。
>
ドラッグが悪だと思っているスポーツ選手なんていないと思いますけれどね……
修練して得た技術を確実に引き出すための手段ですから。
レクリエーションではなく命を削ってスポーツに打ち込んでいるほどの人は、ドラッグの力を借りてでも素晴らしいプレイを実現したいと思うはずです。……
Re: (無題) 投稿者:k 投稿日:2014年 7月21日(月)01時28分19秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
> 他方、レクリエーションスポーツならぬ競技、つまりオリンピック競技などのちゃんとした(?)スポーツは、ただの度胸試しではなく、テクニックがなければいいプレイはできませんね。
失敗が死に直結するスポーツほど、テクニックが必要でしょう。だからこそ根性が評価されるわけで、この類のスポーツでのドラッグ使用(服用)が、身体、精神のどちらか又は両方に影響を与える場合、本来評価されるはずのテクニックが評価されない事に、選手も観客も不満に思うはずです。
> スポーツはすでに、選手、コーチ、トレーナー、医師、道具(シューズやグローブなど)が一体となったテクノロジーの産物になっています。そこからドラッグだけを閉め出すのは全く意味がありません。
確かに個人では限界があります。
周りのサポートが能力を引き出すわけですね。
ただ、テスト対策で塾に通うのかカンニングをするのか、これとどう違うのでしょうか。
> レクリエーションならぬ競技スポーツなんて誰もがやるものではなく、ほんの一握りの、その道を選んだ人が行なうもので、日常生活とは区別されているので、一般市民を対象とした脱法ドラッグや麻薬の規制のような問題とは縁がないはずです。
決められた枠組みの中でドラッグの使用が認められたとしても、選手の倫理観が追いつくには
多少時間が掛かりそうですね。
そうでもないか。
Re: (無題) 投稿者:φ 投稿日:2014年 7月20日(日)13時56分27秒 返信・引用
> No.3999[元記事へ]
kさんへのお返事です。
なるほど、度胸を試すタイプのスポーツでは、精神変容を起こさせるドラッグは趣旨に反しますね。
そもそも、ああいう個人的なレクリエーションに自我を麻痺させて臨もうとする人はあまりいないでしょう。楽しみが減ってやる意味がなくなるので。
他方、レクリエーションスポーツならぬ競技、つまりオリンピック競技などのちゃんとした(?)スポーツは、ただの度胸試しではなく、テクニックがなければいいプレイはできませんね。
やみくもにドラッグを摂取すれば早く走れたり遠くまで飛べたりうまく着地できたりパンチやキックの命中率が上がったりするわけではありません。
スポーツはすでに、選手、コーチ、トレーナー、医師、道具(シューズやグローブなど)が一体となったテクノロジーの産物になっています。そこからドラッグだけを閉め出すのは全く意味がありません。
医師の適切な判断のもと、選手の体質や種目の性質との関係で微調整された処方が必要となります。
レクリエーションならぬ競技スポーツなんて誰もがやるものではなく、ほんの一握りの、その道を選んだ人が行なうもので、日常生活とは区別されているので、一般市民を対象とした脱法ドラッグや麻薬の規制のような問題とは縁がないはずです。
ドラッグの力で前代未聞の光景がいろんな種目で見られたら素晴らしいと思います。
(無題) 投稿者:k 投稿日:2014年 7月19日(土)23時28分37秒 返信・引用
身体機能を高めるドラッグならまだしも、例えばベースジャンプのような危険なスポーツで、ドラッグでハイになって飛んでも面白くないと思うんです。
過激なスポーツにおいて、勇気が評価される部分は大きいでしょうから。
Re: ドラッグと自殺の悪質性:追記 投稿者:φ 投稿日:2014年 7月16日(水)15時28分30秒 返信・引用
> No.3997[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>
> 今の判断では、
> 悪質度の高い順に
> タバコ>ドラッグ>自殺>死刑>売春 かな。
>
そういえばドラッグについては、スポーツでのドーピングは大いに結構、と書いたことがあります。
ドラッグの力で傑作を生み出している芸術家や科学者は少なくありませんが、その業績が否定されることはありません。
ドーピングが自由になったら、スポーツのもたらすスペクタクルは今とは比べものにならないでしょうね。
日常での漫然たる使用ではなく、管理された枠組みでの合目的的な使用なら、ドラッグは善ではないでしょうか。
人間が馬と競走して勝つ光景とか、見てみたいと思います。
Re: ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:φ 投稿日:2014年 7月16日(水)03時09分29秒 返信・引用
> No.3996[元記事へ]
riumさんへのお返事です。
>
> 私が「老人と海」に感動した理由を書いたら、他人に「そんなんで感動するなんておかしい」と全否定されたので
>
「Xに感動するのは誤りである」が成り立つようなXが存在することは確かでしょうが、
「文脈YにおいてXに感動するのは誤りである」という2項述語になるでしょうね。
「あらゆる文脈においてXに感動するのは誤りである」ようなXは存在しないでしょうね。
>
> 先生は以前から、「ドラッグや売春、死刑よりも、タバコや自殺のほうがはるかに悪質」とおっしゃっていますが、なぜでしょうか?
>
そうでしたか? どこでそうした趣旨のことを言ったか書いたか忘れましたが、
今の判断では、
悪質度の高い順に
タバコ>ドラッグ>自殺>死刑>売春 かな。
ドラッグは種類によって違うし、自殺は理由によって違うわけですから、十把一絡げにはできないのですが。
タバコは、煙が洩れないようにすべて本人が吸い込む方式があれば、ドラッグの中でも悪質度の低い方に入るかな。
>
> 私のような無知な素人の感覚では、ドラッグが一番悪質(交通事故など、他人を巻き込む事件が起こるから)で、自殺は(自分しか死なないから)悪質性が低いというイメージがあるのですが。多分、一般人はこんな感覚だと思います。
>
交通事故に関して言えば、私は、不必要な自家用車が多すぎるのがイカンと思っているのですが。
あと、高齢者、心身疾患のある人、睡眠不足の人の運転など。
ドラッグだけが突出して交通事故を起こしやすいわけではないと思うので。
自殺は、死ぬのは本人だけですが、それによって人間関係が断絶させられいろいろな約束、契約、期待、などが消滅することで多くの人が迷惑します。
親友や恋人にいきなり自殺されたら、誰だって怒りを感じると思いますよ。他殺の場合と同じく。
自分の命なんだから自分の自由、ってわけにはいきませんね。
少なくとも、世の親は、子どもに売春されるのより自殺される方がはるかに迷惑でしょう。
ドラッグと自殺の悪質性 投稿者:rium 投稿日:2014年 7月15日(火)00時33分41秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
愚問に答えてくださってありがとうございます。
私が「老人と海」に感動した理由を書いたら、他人に「そんなんで感動するなんておかしい」と全否定されたので私には文学が理解できないんだろうなと思っていました。
話が変わりますが、ほかにもお聞きしたいことがあります。
先生は以前から、「ドラッグや売春、死刑よりも、タバコや自殺のほうがはるかに悪質」とおっしゃっていますが、なぜでしょうか?
私のような無知な素人の感覚では、ドラッグが一番悪質(交通事故など、他人を巻き込む事件が起こるから)で、自殺は(自分しか死なないから)悪質性が低いというイメージがあるのですが。多分、一般人はこんな感覚だと思います。
立て続けに質問してすみません。暇なときにでもお願いします。
Re: 小説の魅力 投稿者:φ 投稿日:2014年 7月13日(日)01時34分49秒 返信・引用
> No.3992[元記事へ]
riumさんへのお返事です。
小説のテーマが
「老人が帰った後に村人から再評価され、長年忘れられていた『尊敬』を取り戻したことだ」
ということはありえないでしょうね。
テーマというからには一般化された抽象的な命題であるべきで、
「老人が」とか「村人から」のような特殊的キャラクターを含むことはありませんから。
小説の魅力が……
ということであれば、曖昧というより、自由、という感じがしますね。
魅力というのは個人に相対的な質でしょうから、「誰にとっての魅力か」を特定しないことには、何でも言えてしまいそうです。
「大多数の読者にとっての魅力」ということであれば、客観的に決まるでしょうが、
『老人と海』のその意味での客観的魅力は・・・・・・
実際どうであるかを知るにはアンケート調査が必要。
どうである【べき】かは、さあ……描写内容やストーリーより、文体的な事柄になるのではないでしょうか。大半の文学作品の魅力というのは。
訂正 投稿者:rium 投稿日:2014年 7月 9日(水)22時41分0秒 返信・引用
すみません、「小説の魅力」というと曖昧ですね。「小説のテーマ」といったほうがいいかもしれません。
小説の魅力 投稿者:rium 投稿日:2014年 7月 9日(水)19時30分5秒 返信・引用
先生は小説も書かれているのでしたね。文学にもお詳しいのでしょうか。
お聞きしたいのですが、小説の「魅力」というのはどうやったらわかるんでしょうか?
前に、ネット上で「老人と海の魅力は、老人が帰った後に村人から再評価され、長年忘れられていた『尊敬』を取り戻したことだ」というような感想を書いたところ、「いや違う。お前は老人と海の魅力を何もわかってない。村人の再評価なんかどうでもいい。老人と海の魅力はこれなんだ」と、長々と説教されてしまいました。
それを見て、やはり私には文学のセンスがないのかな……と思いました。
私の経験上、哲学の先生はなぜか文学にも精通しているので、文学に興味があるにはあるのですが。
Re: 詐欺師からの手紙 投稿者:φ 投稿日:2014年 6月17日(火)02時08分6秒 返信・引用
> No.3988[元記事へ]
竹田聖司さんへのお返事です。
>
> さてこういう文章の場合、作者は誰になるんでしょう?一人で書いています。
> それはあなたにとってはおとぎ話です。しかしあなたにとってはノンフィクションです。手紙が届いたという前提なら、当てはまりませんか?
>
うーん申し訳ない。
何とコメントしていいのかわかりません。
なにか、新しい言語実験だというわけでしょうか……
とはいっても……
率直に感想を申し上げるのが礼儀ですよね。
新しさがわからない、と。
ともあれ、何かコメントが思いついたら書くことにしますね。
“犯人はこれを読んでいるあなた” の方は、どこかにアップロードしてあるのなら、リンクを張っていただければ幸いです。
Re: なぜ根拠は延べなければならないのか 投稿者:rium 投稿日:2014年 6月13日(金)17時28分4秒 返信・引用
φさんへのお返事です。
三浦先生、どうもありがとうございます。とてもうまい返しですね。目から鱗です。
やはり、非理性的な相手に対しては、相手のレベルに合わせて反論したほうがよさそうです。
詐欺師からの手紙 投稿者:竹田聖司 投稿日:2014年 6月13日(金)08時51分11秒 返信・引用
これはわたし一人で書きました。
ある王国がありました。そこに天才詐欺師がやって来ました。
彼は口調こそ丁寧ですが、サギの世界では知らぬ者がいない、という存在でした。
ある日、天才詐欺師は王国の財宝を狙い、身分を偽ってその王国の姫に近づきました。
やがて二人は道ならぬ恋をしました。立場はちがいますが、二人は本気で恋をしました。
少なくとも詐欺師は姫のことを深く思いました。愛してしまいました。
当初の計画通り、詐欺師はやがて王国の財宝を盗み出します。
足がつく前に逃げ出さなければなりません。
二度とこの国には来ないつもりです。
詐欺師は迷いました。
姫に自分は詐欺師であると真実を告げ、その場を去った方がいいのか。
それとも何も言わずに去った方がいいのか。
とりあえず落ち着かないので、詐欺師は自白する手紙を書き始めました。
姫に渡すとしたら、それを読んだあなたはだまされていたという真実を知ることになります。
王国の財宝を盗まれ、しかも盗んだ犯人は詐欺師本人だった、ということ。
でもこれは言う必要があるのか。本気で愛した女性に、さらに要らぬ追い討ちをかけるのか。
やっぱり知らせないほうがいいのか。つまり自分が本気で愛した女性をだましたまま生きるのか。
詐欺師は判断できずにいます。
詐欺師は自白する手紙を書き進めています。読んだら姫はどう思うんだろう。
とりあえず、ことばや文法がおかしくないか、調べながら書いています。丁寧に入念に書きました。
こんな真剣な告白なのにミスがあったら恥ずかしい。誰でもそう思います。
見たところ間違いはなさそうです。大丈夫そうです。これなら読んで分からないことはないです。
よし、おわり。やっと書き終わりました。意外と、手紙の最後の方まで来てしまいました。念のため
もう一度最初から読み返してみます。慎重です。詐欺師はここで、手紙を読み始めます。(冒頭へ)
すいません自己解決できずにいます。
A4一枚分の自作です。本当はもう一篇あるのですが18pと長く、出版社はどこも相手にしてくれないので、いじけています。
リドルが増え、究極の推理小説といわれる“犯人はこれを読んでいるあなた”、にも一部成功しました。誰も読んでくれませんが。
話が飛びました。
さてこういう文章の場合、作者は誰になるんでしょう?一人で書いています。
それはあなたにとってはおとぎ話です。しかしあなたにとってはノンフィクションです。手紙が届いたという前提なら、当てはまりませんか?
Re: なぜ根拠は延べなければならないのか 投稿者:φ 投稿日:2014年 6月12日(木)15時40分27秒 返信・引用
> No.3985[元記事へ]
riumさんへのお返事です。
>
> 「根拠を述べなくてもいいと仮定すると、『根拠を述べなければならない』という主張も
> 根拠を述べずに主張することができてしまう。『根拠を述べなくてもいい』と
> 『根拠を述べなければならない』が導き出された。ゆえに、根拠は延べなければならないのである」
>
「何についての根拠か」(どの主張についてもなのか、特定の主張についてなのか、等々)が曖昧なので、上記のような反論はあまり効果がないでしょうね。
「この主張については根拠は要らないんだ」
「根拠は必要だということは認めるが、疑うやつが調べるべきなのだ」
等々、さまざまな応手が可能なので。
「この主張については根拠は要らないんだ」という応手を誰もがいつでも用いる権利があるとすれば(この応手が使える主張と使えない主張の線引き基準がないとすれば)、こちらも(たとえば)次のように言うことができるでしょう。
「おっしゃるとおり自分で調べてみましたよ。そしたら全く逆のことが言われていました。肉を一定量以上食わないと人間は健康に生きられない。ベジタリアンになって健康を害した人はいても、健康になった人などいない、と。これが学問的な定説だそうです」
↑動物性蛋白は必要、という言説の方が多数派なのだから、これはそう乱暴な主張でもありませんね。
(他にも、相手の元の主張と両立しない主張なら何でもいいでしょう)。
むこうが「そんなのウソだ」と言っても、同じ断定を繰り返せばいい。
「調べた結果がそうだったのだから」と。
どこで調べたんだ、と言われたら、「なんでわざわざ俺が出典(根拠)を述べないといけないんだ。人に聞いてばかりいないで、少しは自分で調べろよ」と返せばいいでしょう。
まあ、私ならそうするという一例にすぎませんけれどね。
<>(無題) 投稿者:竹田聖司 投稿日:2014年 6月12日(木)12時54分24秒 返信・引用
すみません。自己解決しました。
お目汚し失礼しました。
なぜ根拠は延べなければならないのか 投稿者:rium 投稿日:2014年 6月11日(水)21時45分13秒 返信・引用
お久しぶりです。お聞きしたいことがあって書き込みました。
以前、「ベジタリアン」について議論していた時のことですが、相手が「肉は無くても人間は健康に生きられる。ベジタリアンになって健康になった人はいても、健康を害した人などいない」と主張してきたので、私は「その根拠を提示してください」とお願いしました。そしたら、「なんでわざわざ俺が根拠なんか述べないといけないんだ。人に聞いてばかりいないで、少しは自分で調べろよ」と返され、あっけにとられて何も言い返せませんでした。
そこで、なぜ根拠を述べなければならないのか自分なりに考えてみたのですが、次のような論証はあっているでしょうか? お手数でなければ検討をお願いします。
「根拠を述べなくてもいいと仮定すると、『根拠を述べなければならない』という主張も根拠を述べずに主張することができてしまう。『根拠を述べなくてもいい』と『根拠を述べなければならない』が導き出された。ゆえに、根拠は延べなければならないのである」
しかし、仮にこの論証が正しいとしても、上記のような「なんでわざわざ俺が根拠なんか述べないといけないんだ。自分で調べろよ」などと言うような、非理性的な人間に対して、「根拠を述べなければならないと仮定すると云々」などという論証を見せたところで話が通じるとは思えません。
何か有効な反論はないものでしょうか。
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:φ 投稿日:2014年 6月 4日(水)14時20分57秒 返信・引用
> No.3983[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
kotobさんが述べているとおりです。
修正する必要のない完璧な観察ですね。
>
> ならば、先生は抜き打ちテストをできる。
>
> そして、この最後の結論は、『テストが必ずある』を意味しないので、ループは生じない。
>
の部分が大切で、
『思考実験リアルゲーム』ではそこを明確に強調する度合が足りなかったかもしれません。
「きょう抜き打ち試験をする」
も、成立します。
文字通りに取ると矛盾しているのだから、生徒は、「きょう必ず試験がある」と確信できないからです。「試験がありうる」と確信するのが精一杯です。
>
> もしも仮に「テストが無い」と生徒が結論できる日にだけ、抜き打ちができる。
> という設定ならば、先生は抜き打ちをできないことになるでしょうか。
>
できませんね。
しかし、生徒が我々と同様↑この結論↑に至ったのならば、どの日もテストがないと生徒は確信できるのでは?
……いや、できませんね。推論のループが起こるので。
したがって、生徒は常に半信半疑であり、先生はテストができません。
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:kotob 投稿日:2014年 6月 3日(火)22時01分15秒 返信・引用
> No.3977[元記事へ]
φさんへのお返事です。
横から失礼します。
生徒も先生も徹底的に理屈で考えるという前提で、
生徒が仮に、『月曜日しか試験はできないはずだ』と結論する場合、
しかし生徒がそう結論することは先生にも分かるので、抜き打ちにならないので月曜に試験はできない と先生は考える。
しかし、そのことは生徒にも分かり「試験はないな」と考える。
しかしそれならば、抜き打ちができることになる。
しかし それは生徒にも読めるので・・・・
と、ループしてしまうので、結局、生徒が「この日テストがある」と理屈で結論することはできない。
ならば、先生は抜き打ちテストをできる。
そして、この最後の結論は、『テストが必ずある』を意味しないので、ループは生じない。
という風に考えました。どうでしょうか・・。
その場合は、二日以上なくても
「今日試験をやるよ。必ず抜き打ちでね。」
と先生が言った場合も、成立するのではないでしょうか。
最初、「抜き打ちできるなら、試験をやるよ。」と条件付きになるかな と思いましたが、
上の言い方でもいけるかな と思い直しました。
ただ 上のことは、生徒が「テストがある」と結論できる日にだけ抜き打ちができない、という設定の場合で、
もしも仮に「テストが無い」と生徒が結論できる日にだけ、抜き打ちができる。
という設定ならば、先生は抜き打ちをできないことになるでしょうか。
Re: 素人の質問 投稿者:φ 投稿日:2014年 5月22日(木)23時18分6秒 返信・引用
> No.3979[元記事へ]
竹田聖司さんへのお返事です。
公開の掲示板なので、「部外」と「部内」の区別はありませんが……
何でも書き込んでいただいてけっこうです。
素人の質問 投稿者:竹田聖司 投稿日:2014年 5月22日(木)15時32分8秒 返信・引用
あのすいません。まったくの部外者です。
論理学の質問があるのですが、ここでも受け付けていただけますか?
ダメならどこへいったらいいですか?
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:φ 投稿日:2014年 5月 1日(木)02時00分1秒 返信・引用
> No.3975[元記事へ]
傍聴人さんへのお返事です。
> ニュートンでは、最後にスマリヤンの話が出てきます。
> ゲーデルの不完全性定理を応用して
> この問題では、
> 回答A(抜き打ちテストができないという考え方は正しい)
> 回答B(教師の意思を論理的に知る方法はない。)
> のどちらが正しいかを決定することが不可能な構造になっていることを示した。
> と結んでいます。
>
> これって本当なんでしょうか?
>
さあ、スマリヤンの議論を読んでないのでわかりませんが、
それって結局、「BでないならA」それ以上の絞り込み情報はナシ、ということですかね。
つまり、実施日が合理的にわかるならば抜き打ちテストはできない、というだけのことですね。
なんだか、もともとの教師の言葉そのままですね。
「どちらが正しいかを決定することが不可能な構造になっていることを示した」
とは何をやったのか知りませんが、
大袈裟な証明は必要なく、単に、教師の言明の含意「実施できる∧抜き打ちで」=「~A∧B」が不可能であるということから、A∨~Bが導けるだけで、それ以上の情報は得られない、というだけの話なのでは。
だから生徒は、Aつまり「実施できない」と~Bつまり「予測できた日に実施」とのいずれが真かわからない。つまり~Bが真であるという確信を持てない。
よって、金曜になっても、「今日必ず試験がある」とは確信できないわけです。よって、試験は実施できます。(以上は、『思考実験リアルゲーム』で述べたのと同趣旨です)
スクリブン、クワイン、スマリヤン、私、4者は同じ理屈を別の言葉で述べているだけでしょうね。
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:傍聴人 投稿日:2014年 4月30日(水)21時30分5秒 返信・引用
> No.3974[元記事へ]
φさんへのお返事です。
>スクリブンとクワインの解決が正しいということで問題ないでしょう。
>二人とも同じことを述べています。
うーん、同じことではないような気がしますが。
それはともかく、ニュートンでは、最後にスマリヤンの話が出てきます。
ゲーデルの不完全性定理を応用して
この問題では、
回答A(抜き打ちテストができないという考え方は正しい)
回答B(教師の意思を論理的に知る方法はない。)
のどちらが正しいかを決定することが不可能な構造になっていることを示した。
と結んでいます。
これって本当なんでしょうか?
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月30日(水)18時12分31秒 返信・引用
> No.3965[元記事へ]
傍聴人さんへのお返事です。
>
> ニュートン 別冊 2014年4月15日発行
> 思考の迷宮-奥深き逆説の世界
> 絵解きパラドックス
> 30~35頁にも同じ問題が載っています。
>
> この問題はいまだ決定的な解決には至っていないとのことです。
>
> ニュートンの解説に対しコメントがいただければ幸いです。
>
スクリブンとクワインの解決が正しいということで問題ないでしょう。
二人とも同じことを述べています。
抜き打ち試験のパラドクスは、未解決ではないはずですよ。
解法によって述べ方の工夫が違うだけで、「生徒は正しく知ることはできない。だから試験はできる」ということで問題なしです。(「だから試験は確実にある」ではなく、「だから試験はできる」であるところがポイントです)。
Re: 2封筒問題への疑問 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月28日(月)06時00分29秒 返信・引用
> No.3972[元記事へ]
スターダストさんへのお返事です。
胴元が確率分布を【無作為に】選ぶとは限らない、ということも考えると、ベンフォードの法則は全く出番がなくなくなりそうですが……
胴元のペア選択の確率分布がわからない設定では、開封しても、P(高額、低額)=P(低額、高額)を変化させる情報が追加されておらず、P(高額、低額)=P(低額、高額)のままで計算すると、交換が得になるでしょう。
胴元のペア選択の確率分布がわかっている場合は、もちろん、開封によって情報が追加されますね。
ただし、
>
> 例えば、Gは 1/xに比例する確率密度で決められたとするならば、封筒を交換してもしなくても期待値に差は出ません。
>
封筒内金額の最小値が知られていないのであれば、やはり交換が期待値25%増になりますよね。
最小値が知られていて、開封して見た値が最小値でないとわかったならば、交換で期待値増減ありませんが。
Re: 2封筒問題への疑問 投稿者:スターダスト 投稿日:2014年 4月28日(月)01時59分32秒 返信・引用
> No.3971[元記事へ]
φさんへのお返事です。
φさん> 「この金額が高額の方である確率が低額の方である確率の2倍である」と証明できれば、《封筒交換すれば1倍が期待できる》と言えますが、ベンフォードの法則によってそんなことが証明できるんでしょうか?
すでに申し上げましたが私にはその道筋はみつかりません。私見では、おそらく誰にも出来ていません。
ベンフォードの法則の派手なみてくれには関係はありません。(数値の上位ひとけたの分布が、たとえば1の割合が多いことなど、開封済みバージョンにおける封筒問題で期待値をダイレクトに計算することには何の役にも立ちません。)
ベンフォードの法則が成り立つ統計集団であるか否かだけを問題にしたのです。
ホストがふたつの封筒にいれた金額の合計Gをどのように決定したのか、この情報が仮にゲストに知らされたならば、ゲストが封筒を交換すべきかしないでおくべきかについてゲストはより信頼度の高い計算ができます。
例えば、Gは 1/xに比例する確率密度で決められたとするならば、封筒を交換してもしなくても期待値に差は出ません。
また例えば、Gは ある特定の有限な範囲の一様分布で決められたとして、その情報が細かくゲストに知らされたなら、また意思決定の状況は違ってくるでしょう。
ところが、ゲストにとってホストがいかなる分布からGを用意するのかわからないわけです。
そこでGについてはありとあらゆる分布がありうるとし、そこからひとつ分布を無作為に選択してさらにランダムに数値を決めたときに何が言えるかを考察したわけです。
その考察の結果、以上の【無作為な分布から無作為な選択】としてホストが資金を用意したならば、(1万円と2万円のペア) と (2万円と4万円のペア) とが同様に確からしいとは一概には言えない、むしろ否定的に考える必要がある、とご報告いたしました。
その違いがあることだけのため、ベンフォードの法則が成り立つ集団なのか否かについてお示ししたのです。
Re: 2封筒問題への疑問 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月27日(日)22時53分24秒 返信・引用
> No.3969[元記事へ]
スターダストさんへのお返事です。
>
> 未開封の条件において、Gのとりえる値として、自然数のうち3の倍数を考えるならば、
> これらのどれが実際の値になるかは、同様に確からしい、完全な無知が理由である」となさるはずです。
> 同様に確からしいとする思考から、【開封後】に手もとの金額をみたときに、
> Gのとりえる値をふたつに絞り混み、等確率で発生しているはずだと判断しているわけです。
>
↑これは違いますね。
胴元の選択の確率分布について、無差別原理を適用したわけではありません。
つまり、あらゆるGの確率(ペア選択の確率)が等しいという前提は必要ありません。
目前の二つの封筒のうち、たまたま手に取った方が高額か低額か、確率は1/2という常識を使ったにすぎません。この常識も無差別原理の一例ではありますが、未開封の場合、ベンフォードの法則は関係ありませんね。(ベンフォードの法則については、別途、勉強しようと思いますが)
開封したとき、その1/2という答えに修正を施す新たな理由が発生していないことによって、「交換が25%得」という結論を導いているわけです。
「Gのとりえる値をふたつに絞りこんだ」わけではありません。
「この金額が高額の方である確率が低額の方である確率の2倍である」と証明できれば、《封筒交換すれば1倍が期待できる》と言えますが、ベンフォードの法則によってそんなことが証明できるんでしょうか?
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月27日(日)22時15分55秒 返信・引用
> No.3965[元記事へ]
傍聴人さんへのお返事です。
>
> ただ、この問題で「わかる」という言葉の意味は「予期できる」と同じであるとしてもよいように思います。
>
違います。
「抜き打ち試験パラドクス」は、どの文献を見ても「理屈によってわかる」というのが条件とされていて、「当てずっぽうや勘違いによってたまたま当てる」というのは「わかる」のうちに入りません。主観的に予期するだけでは、「わかる」には入りません。
合理的理屈がなくてよいなら生徒が主観的に何を予期するかは偶然であり、教師にわかるわけがないので、抜き打ち試験など実施できようがないのは当たり前です。
生徒が分担してそれぞれの日に予期担当を貼り付ければ、簡単に試験を阻止できてしまいます。
抜き打ち試験パラドクスは、そんなつまらない問題ではありませんね。
>
> 生徒はちゃんと論理的に予期したのですから、偶然にわかったというのは言い過ぎではないでしょうか?
>
なぜ火、水、木、金のどれかではなく、実施されないのでもなく、月でなければならないのか、を論理的に予期できているというのは間違いです。論理的というのは生徒の勘違いでしょう。
>
> ニュートンの解説に対しコメントがいただければ幸いです。
>
読んでみます。
Re: 2封筒問題への疑問 投稿者:スターダスト 投稿日:2014年 4月27日(日)17時18分48秒 返信・引用
さてゲストにとっては、ホスト側のgの分布は判りません。
従いまして、ありとあらゆる分布を想定し、そこからひとつ無作為に分布を選ぶ必要に迫られます。 どの分布を使ったのかについては、《同様に確からしい》と考えるわけです。
別の表現をします。 おのおのの分布から無作為に選ばれた数値を集めた集団を用意し、さらにそこから無作為に取り出されたひとつの数値が、ホストの用意した資金であると考えるのです。
標語的に言えば、「無作為の分布から無作為の選択」となります。
ゲストとしては3*gの分布としては上のように、分布を想定することが良いでしょう。状況については無知なのですから。
ところで。確率分布を繰り返しランダムに選び、その選んだ分布からランダムに数値を選べば、得られる数値の集合はベンフォードの法則に従うことが、数学的に知られています。
ゲストが想定する3*gの分布も、ベンフォードの法則に従うこととなります。
それに対して、9万円も4万5千円も3万円も1万5千円も同じように確からしいとする分布の想定では、この分布はベンフォードの法則に従わないことになっています。 自然数全体に対して「同様に確からしい」分布はベンフォードの法則に従わないことが簡単な検算でわかります。
まとめますと、ホストが用意したお金が「無作為の分布から無作為の選択」されたものならば、いわゆる、開封バージョンで《封筒交換すれば1.25倍が期待できる》とは、言えそうにありません。
では何倍なのか?それについては、この投稿では全く考えが及ばないところです。
個人的には一倍になると予想しますが、筋立てが思い浮かびません。
Re: 2封筒問題への疑問 投稿者:スターダスト 投稿日:2014年 4月27日(日)16時27分19秒 返信・引用
前提A> 未開封の条件において、Gのとりえる値として、自然数のうち3の倍数を考えるならば、これらのどれが実際の値になるかは、同様に確からしい、完全な無知が理由である」となさるはずです。
前投稿では上のように述べました。この考えが前提になり開封バージョンの2封筒問題にとりくんでいたわけです。
しかしながら、(ここからがやっと本題なのですが)前提Aが成立していないとみられる微症がございます。
以後、Gの分布について考える替わりに、それを3で割った値gの分布、すなわち自然数の分布について考えていきます。gは、2封筒のうち金額の小さいほうの値の集まりでもあります。gの分布についてなにかわかればGの分布についてもなにかわかることでしょう。
今のところ、φさんのお考えに従うならば、gからひとつ自然数aが得られることと別な自然数bが得られることとは、『同様に確からしい』はずなのですが、そうとは限らない、ということを、これから書いていきたいと思います。
まことに非常識なはなしですが…
2封筒問題で封筒やお金を用意する人をホスト、悩みつつ封筒を選択する人をゲストと呼びます。
ホストが用意するお金3*gは、ホストが用意可能な金額の分布から無作為に選ばれるとしましょう。
(私なら最大3万円くらいの懐ぐあいから、しかるべく恥ずかしくない金額を選びそうですが…無作為になっていません。ここではそうした人間味を抜きにして考えます。)
たとえばホストは、とあるガウス分布にしたがって無作為に封筒用資金を用意するかもしれません。
あるいは、ある下限と上限とを決めておいて、一様分布とし、そこから無作為に封筒用資金を決めるかもしれません。
あるいはホストには固い決意があり、12万円の一点張りの分布から無作為に12万円を封筒用資金として用意するかもしれません。
大事なのはホストにとっては既知の所与の分布からの無作為です。
つづく
2封筒問題への疑問 投稿者:スターダスト 投稿日:2014年 4月27日(日)15時40分35秒 返信・引用
φさんが仰るに、
===引用開始
開封バージョンでは、対称性の原理が破れます。
手もとの金額が1万円なら、
(選んだ方、もう一方)は、(1万、2万)が確率1/2、(1万、5千)が確率1/2ですから、
交換すると期待値は12500で、25%の得。
これが正解です。
それぞれ1/2とするのは、もはや金額が決まってペアの可能性が二つに限定され、無限大が関わらなくなっているので、完全な無知を1/2と置いただけです。まったく問題ありません。
===引用終了
ということでした。
「等確率の原理(すなわち、わからないのだから、半々としておこう)」を用いて、「完全な無知を1/2と置いた」となさったことと思います。
さて、選んだ方の封筒と、もう一方の封筒の合計金額をGと名付けます。
例えば開封後に手もとの金額が1万円なら、Gの値は3万円か1万5千円かのどちらかでした。「完全な無知を1/2と置いた」とする等確率の原理を使えばGの値が3万円である確率とGの値が1万5千円である確率とは等しそうに見えます。
開封後にGの値はふたつの可能性しか残らないわけですが、これらの可能性が、完全な無知を理由に、確率1/2づつである、すなわち、確率の問題でよく言われるところの「同様に確からしい」と見なしたこととなります。
さて、未開封についても考えておきます。Gの値について、未開封の条件において、φさんのお立場では、「Gの値が3万円であることとGの値が1万5千円であることは同様に確からしい、完全な無知が理由であり等確率の原理の適用でもある」 となさっていることでしょう。もっといえば、「Gの値が9万円であることとGの値が4万5千円であることは同様に確からしい、完全な無知が理由であり等確率の原理の適用でもある」はずですし、さらには、「Gの値が3万円であることとGの値が1万5千円であることとGの値が9万円であることとGの値が4万5千円であることは同様に確からしい、完全な無知が理由であり等確率の原理の適用でもある」となさっているはずです。
未開封の条件において、Gのとりえる値として、自然数のうち3の倍数を考えるならば、これらのどれが実際の値になるかは、同様に確からしい、完全な無知が理由である」となさるはずです。
この同様に確からしいとする思考から、【開封後】に手もとの金額をみたときに、Gのとりえる値をふたつに絞り混み、等確率で発生しているはずだと判断しているわけです。
(つづく)
STAP細胞騒動の裏 投稿者:basara 投稿日:2014年 4月26日(土)17時56分9秒 返信・引用
クローン人間の倫理
(STAP細胞騒動の裏を考える、IPS細胞は本物か?)
science-basara.com/column/clone-2/
STAP細胞@理研騒動の概要
science-basara.com/column/stap/
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:傍聴人 投稿日:2014年 4月26日(土)17時21分45秒 返信・引用
> No.3963[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ご回答ありがとうございます。
ただ、この問題で「わかる」という言葉の意味は「予期できる」と同じであるとしてもよいように思います。
生徒はちゃんと論理的に予期したのですから、偶然にわかったというのは言い過ぎではないでしょうか?
なお
ニュートン 別冊 2014年4月15日発行
思考の迷宮-奥深き逆説の世界
絵解きパラドックス
30~35頁にも同じ問題が載っています。
この問題はいまだ決定的な解決には至っていないとのことです。
ニュートンの解説に対しコメントがいただければ幸いです。
Re: 抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月25日(金)00時09分42秒 返信・引用
> No.3962[元記事へ]
傍聴人さんへのお返事です。
>
> *1 教師は月曜日にさっそく試験実施を宣言した。←ここ大事
> *2 「えーーっ」生徒は抗議した。「きょうは試験できないはずですよ!」
>
> この問題で、生徒が
> 「はい、きょう試験が実施されることは予期していました。」
> と答え、そう予期した理由を説明したらどうなりますか?
>
たしかに、問題設定を最初に1、2のようにする必要はありませんね。
ただ、最初はそれがわかりやすいので。
生徒が論理を説明する、という設定。
それはp.41~で考えた設定と同じです。
そのとき、生徒は「月曜日が試験日だ」と「わかって」いたのでしょうか?
わかっていたのだとすると、
p.36の条件A、Bのうち、教師はAを優先し、Bは破ったことになります。
AをBより優先することが、どうして生徒にわかったのでしょう。その説明が必要です。
生徒はちゃんと説明できないはずです。
つまり、生徒は「わかって」いなかったのです。
試験を実施してよいのです。生徒が「予想どおり」という反応であっても、その「予想」はただの予想であって偶然当たったにすぎず、「わかった」上での予想ではないのですから。
↑この解説は、ちょっと込み入っていますね。
だから、最初は解説が簡単な*2設定にした次第です。
抜き打ち試験のパラドックス 投稿者:傍聴人 投稿日:2014年 4月24日(木)21時39分51秒 返信・引用
こんにちは
『思考実験リアルゲーム』(二見書房)をアマゾンで買って読みました。
アマゾンだとクリックした翌朝に本が届くんですね。すごいものです。
で、本題です。
今までのφさんの本と違って、テーマ毎に深く掘り下げているので面白いけど読むのがかなり疲れます。
でも、第2章の「抜き打ち試験のパラドックス」を除いて納得できることばかりでした。
「抜き打ち試験のパラドックス」だけはどうも納得できません。
34~35頁に設定が載ってます。
*1 教師は月曜日にさっそく試験実施を宣言した。←ここ大事
*2 「えーーっ」生徒は抗議した。「きょうは試験できないはずですよ!」
気になるのは、*2です。
φさんのクラスの生徒は皆そう答えるのでしょうか?
この設定(*2)自体に違和感を覚えます。
この問題で、生徒が
「はい、きょう試験が実施されることは予期していました。」
と答え、そう予期した理由を説明したらどうなりますか?
φさんが教師だったらどうしますか?
Re: 命題定項とは? 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月20日(日)17時11分14秒 返信・引用
> No.3960[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
>
> よく分かりません。命題定項とは真、偽のことだと思ってました。
>
> 数学だと、「5」は定数、「x」は変数という二段構えですが、
>
数学では、
変数はx、y、z……
未知数はx、y、z……かa、b、c……、
定数a、b、c……、
具体的な数字としての定数
という四段構えじゃないですかね?
命題変項が変数、命題定項は未知数と定数a、b、c……に相当しますね。命題が数字。
真理値の確定している矛盾命題とトートロジーの二つを表す文字だけを「命題定項」と呼び、真理値のわからない他の命題を表す文字は「命題変項」と呼ぶ、という取り決めに従っている教科書もありますが、
命題論理の段階で「命題変項」という語を安易に使うと、述語論理で量化の対象となる命題変項が出てきたとき、混乱します。
命題論理では、命題変項という言葉は使わないのがよいと思います。
「日本の首都は東京である」は命題ですね。
それをPで置き換えれば、Pは決まった命題を表しており、任意ではありませんから、命題定項です。
矛盾命題とトートロジー以外でも、どの命題を表しているのかが決まっている文字は、命題定項でしょう。
ただ、挙例に用いる命題のように、特定の命題に限定する必然性がなく、どんな命題で代用してもよいような場合は、文字にしたとき、本当にどんな命題でもよくなります。
それは「命題型」です。
だから、さらに別の言い方でこう言ってもいいでしょう。
命題論理の段階では、「命題変項」でなく「命題型」という呼び名の方がいいだろう。
存在量化子、全称量化子で束縛されうる場合にだけ、「命題変項」と呼ぶべきである。
なお、
「命題型」という呼び名を命題論理に限定せよという意味ではありません。
「命題型」を述語論理で使うぶんにはかまわないと思います。
∃xFx は命題型である、と言うなど。
私はaを愛する は命題型である、と言うなど。
(↑これらの表現はどう見ても命題変項ではありませんね?)
>
> 論理だと、「真偽」が定数、「P」は変数、では具体的命題はその中間にあるのか、という感じです。というか具体的な命題ですら変数でしかないんじゃないかと思うのですよ、真偽を定数とするとですね。
>
普通の語法では、「どの命題を表すかが決まっている表現」が命題定項ですから、「可能世界から真偽への関数」が決まりさえすれば、命題は決定されます。
つまり、普通の意味での命題(「日本の首都は東京である」などの文表現)は、真偽が(可能世界が)決まらなくても、命題としては決まっていますから、命題定項ですね。
命題定項とは? 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 4月20日(日)16時03分37秒 返信・引用
> No.3958[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 変項、定項という対語ではなく、こう言えば混乱は避けられます。
> 「「私はいまPを疑っている」のPは、命題定項なので決まった命題を表わすのだが、明記してないので命題型として理解しといてください」と。
よく分かりません。命題定項とは真、偽のことだと思ってました。
数学だと、「5」は定数、「x」は変数という二段構えですが、
論理だと、「真偽」が定数、「P」は変数、では具体的命題はその中間にあるのか、という感じです。というか具体的な命題ですら変数でしかないんじゃないかと思うのですよ、真偽を定数とするとですね。
Re: 命題型 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 4月20日(日)15時36分55秒 返信・引用
> No.3956[元記事へ]
> p.24をご覧いただけるとわかりますが、命題型は、P∨Q とか、P⊃Q といった形をとることもできます。
それを考えることをしませんでした。
命題型とは、普通に言うと、命題変数と論理式を足したものという感じでしょうか。
Re: 命題型 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月20日(日)15時04分17秒 返信・引用
> No.3956[元記事へ]
>
> とりあえず、以上の第一点、命題型の方が表現が多様である(命題の構造を表わすことができる)、という違いとしてお考えください。
>
命題変項と命題型の違いを、命題型が命題の構造を表さない1文字のときについて一言追加しましょう。
『論理サバイバル』073「定項のパラドクス」に見たように、
論理体系の中で使われる命題定項は、論理体系の外から見れば命題変項です。
具体的な文として書かれていない以上、どんな命題でもよいので。
それを「命題変項」と呼ぶと、混乱します。「だって命題定項なんでしょ?」と。
「意味論的には命題定項だが、語用論的には命題変項」とか言ってもわかりづらい。
変項、定項という対語ではなく、こう言えば混乱は避けられます。
「「私はいまPを疑っている」のPは、命題定項なので決まった命題を表わすのだが、明記してないので命題型として理解しといてください」と。
以上、表現面(構文論的側面)、メタ論理的側面、実用面、の少なくとも三つの観点から、命題変項と命題型とは別ものです。
Re: 命題型 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月20日(日)00時28分46秒 返信・引用
> No.3953[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
> φさんへのお返事です。
>
> 『論理学入門』を入手しましたが、この命題型というのは命題変項と違わないように思います。
>
>
> 命題型とは命題変項ではないのですか?
>
p.24をご覧いただけるとわかりますが、命題型は、P∨Q とか、P⊃Q といった形をとることもできます。
p.44もご覧ください。「前提」「結論」「定理」のような、複雑な形をしたものが命題型でありえます。
つまり、内部構造を表現することもできます。∃xFx とか、命題型ですね。
P∨Q や ∃xFxは、命題変項ではありません。
命題変項は、内部構造までは表現しません。
Pとか、Qとか、Xとか、Yとか、常に1文字で表現します。
1文字で表現する命題型もありますが、命題型は1文字に限定されはしません。
「命題変項は常に1文字で表わす」という決まり(個体変項も述語変項も、変項はすべて1文字。定項も同じ)が、「論理変項は論理体系内の意味論的・構文論的装置」ということを示しています。
ガッチリと定められた表現単位です。
対して、命題型は、論理体系に言及するときに用いられる語用論的概念と言えますね。何文字分をいっしょにまとめてもかまいません。便宜的であり、自由です。
(p.73下の方もご覧ください。現在の文脈の問題意識からはわかりにくいかもしれませんが)
とりあえず、以上の第一点、命題型の方が表現が多様である(命題の構造を表わすことができる)、という違いとしてお考えください。
Re: STAP現象という仮説。 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月19日(土)22時20分18秒 返信・引用
> No.3951[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> φ さんの期待された(自分もですが)、論文は不正だがSTAP細胞は真だ、というどんでんがえしの可能性も、無いわけではなさそうな・・。
>
たしかに。
ただし、あれ以来判明したことを総合すると、
どうも理論的裏付けのある細胞とは言えず、一種の職人芸で「たまたま発見された」代物めいていますね。
本当にSTAP細胞があったとして、「そぅれ見ろ」となる可能性はありますが、
そうなると、「結果さえ正しければ言ったもんがち。手続きや証明はどうでもいい」という、反科学的風潮が助長されるような気もします。
そうなると科学はおしまいですね。
科学的方法を守るとすれば、結果としてSTAP細胞があったとしても、あくまで「あの論文は業績として認めず」という方が正しい気もします。
まあ、詳しいことは論文そのものを読んでみないと何とも言えませんが(読んでも私の生物学の知識では判定できないと思いますが)。
Re: 命題型 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 4月19日(土)22時14分4秒 返信・引用
> No.3950[元記事へ]
φさんへのお返事です。
有り難うございます。『論理学入門』を入手しましたが、この命題型というのは命題変項と違わないように思います。
http://russell-j.com/miurat/murikai-logic.pdf
上には
「23■『ブッダ論理学』を好意的に読もうとしている読者にすら伝わらない混乱した叙述が全般になされている。たとえば、命題定項と、命題型と、命題変項との区別ができていない。【曖昧な記述】。」
とありますが、命題型とは命題変項ではないのですか?
Re: こんばんは (STAP細胞の件) 投稿者:kotob 投稿日:2014年 4月18日(金)14時38分11秒 返信・引用
> No.3942[元記事へ]
φさんへのお返事です。
ずっと以前のものです、すいません。
> 小保方氏の悪意の捏造または悪意なき思いこみだったとしたら、確率は元に戻るでしょうね。
> 単純な写真の取り違えやケアレスミスの重なりがああいうことになったなら、確率はちょっと増えているのでは。
そうですね。ここを何故読んでいなかったのか・・自分の考えていることに概ね同意いただけていて喜べたのに。
小保方氏の今の主張は、存在するのは事実で、それを分かりやすく示すために手を加えてしまった(意図的)のと、ミスでの取り違えとがあった。ということみたいですね。
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以上は、新着順41番目から60番目までの記事です。
Re: こんばんは (STAP細胞の件) 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月12日(水)01時45分20秒 返信・引用
> No.3925[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> けっこう名のある哲学者までが、小保方氏が捏造したという前提でツイッターで、はしゃいでいたので(はしゃぐというのは、自分の主観になりますが)、上記の疑問を返信したところ、
> 「なにも知らないで批判しない方が良い」という返事でした。
>
具体的にはどんなはしゃぎ方なんでしょうか。
今回の話題に関係ない人身攻撃は当然控えるべきですが(そういうのもあるようですが)、
今回の捏造疑惑そのものについてなら、いくらでも私見を述べてよいのでは?
自由な意見表明がネットの存在意義なので。
無責任な批判も多数あるとは思いますが、ネットの言説のほとんどが無責任であることくらい、ネット民は先刻承知だと思います。
「推定無罪」というのはまあ、正式な処分の話であって、
正式な権限を持たない人の発言は、最大限自由でかまわないと思いますが。
専門外の外野の発言に専門筋の調査が影響を受けるとも思えないので。
マスコミの当初の持ち上げぶりが一転意外な展開となったわけですが、
私としては、もう一回どんでん返しが起こって、いま小保方叩きに狂喜している人々が「ぎゃふん」となるのを見たいと思っていますが、
なんだか、
博士論文の大量コピペというのはちょっと致命的のようですね。
それが本当なら、博士号剥奪、解雇となるべきでしょう。
STAP細胞の信憑性はそれとはまた別の話ですが。
こんばんは (STAP細胞の件) 投稿者:kotob 投稿日:2014年 3月11日(火)23時31分19秒 返信・引用
φさんのご意見を聞かせていただきたいことがあって来ました。
現在 STAP細胞が捏造だったのではないかという件で、ツイッター上で学者の人たちまでが盛り上がっているのですが、
法律問題で「推定無罪」というのがありますよね。はっきり罪が確定するまでは無罪同等に扱うべきだという。
自分としては、仮にいかに疑わしい現状でも、しかるべき機関や人物による検証がまだ結論を出していなくて、ご本人が白状したというわけでも無い以上、捏造をやった という前提で騒ぐことが良いのか疑問に思い、しかるべき検証が終わるまで部外者は静観していいのではないかと思うのですが・・。
ところが、けっこう名のある哲学者までが、小保方氏が捏造したという前提でツイッターで、はしゃいでいたので(はしゃぐというのは、自分の主観になりますが)、上記の疑問を返信したところ、
「なにも知らないで批判しない方が良い」という返事でした。
「推定無罪」なんて発想は、裁判上の話で、一般の掲示板やツイッターでの話題に類推する必要はないのでしょうか?
で、そういうことは人文系の知識人の間では常識ということなのでしょうか?
φさんは、どうお考えでしょうか?
Re: 『偏態パズル』 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月11日(火)14時44分21秒 返信・引用
> No.3923[元記事へ]
とりさんへのお返事です。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は観てません。DVD出たら買うつもりですが。
映画については私、当初モンスター映画専門でしたが、
『メランコリア』とか『ムカデ人間2』とか、このごろは非モンスター映画(あるいは極広義のモンスター映画)の方に本物傑作の点在を感じるようになっています。
『偏態パズル』ご観賞ありがとうございます。
ウェブ小説の利点を生かして、つまり紙の本と違って市場的配慮を(ほとんど)しなくていいという特性を生かして、好き勝手を書かせてもらってます。
完成途上の原稿の途中の箇所を毎回ピンポイントで推敲しながら半ランダムに発表していく、というやり方なので、
物語の順序がジグソーパズルになっており、読みづらくなっているのは済まなく思いますが、
とにかくやりたいようにやってしまっているので。
回が進むにつされて、読みやすくはなっていくと思います(少なくとも文体は)。
そしてだんだん全貌がお判りいただけてゆくかと。
今後ともご賞味いただければ幸いです。
『偏態パズル』 投稿者:とり 投稿日:2014年 3月10日(月)10時52分35秒 返信・引用
> No.3921[元記事へ]
おはようございます。
雪景色な新潟市です。
『偏態パズル』第4回まで拝読させていただきました。珠玉ですなぁ、あはは。
風味爽快ニシテ健脳ノ効アリ。
スパンキング・計らずも覗けちゃった・巫女・・・、あたりが私分野かも。
先生、映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」はご覧になりましたか?。
株屋軍隊映画で、エグイ&クールで、出来がいい。
主人公がSMコールガールにはまっちゃったのが許せず、ワイフさん離婚で去るのですが、、
その情事のシーンが短い。カットしちゃった映像が「どんなだろう?見たいわ」と思ったですよ。
これから、先生の作品をゆっくりと拝読していきたい所存でありまする。
史上最大の侵略 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月 9日(日)15時34分49秒 返信・引用
大英帝国を支配したのは産業資本家ではなく、資産をもつジェントルマンだった。彼らは国内では紳士的だったが、植民地では「残酷で獰猛なやり方で支配した」とブリュアは書いている。
イギリス人が紳士的なのは、長い伝統の中でコモンローが成立しているからだが、植民地にはコモンローが通用しないので、ジェントルマン出身の官僚がインドに派遣されて直接支配した。当初の東インド会社による支配は1857年のインド大反乱を鎮圧したあと、本国の直轄統治に改められ、イギリス人は軍事力を使ってインドを搾取した。
それは従来いわれてきたように、イギリスの産業資本家が支配したのではない。インドの第一次産品はイギリスに輸出されたが、それを上回るインフラ投資がインドに対して行なわれ、インドの所得収支は貿易黒字を大幅に上回る赤字だった。この海外投資で潤ったのは、イギリスの産業資本家ではなく金融資本家だった。
この投資による支配構造を維持するため、インドの産業は徹底的に規制されたので、インド資本の企業は育たなかった。インドの綿製品がイギリスの製品と競合しないように、綿花を栽培する農夫の指は切断された。輸送インフラで国内経済が統合できないように、各州ごとに鉄道の幅を変えてインド経済を分断し、カースト制度を固定して大反乱の再来を防いだ。
(・・・)
20世紀になってイギリスをまねて東アジアを支配しようとしたのが日本だった
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51890202.html
Re: 「慰安婦」は「公娼」だったか? 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 6日(木)21時31分32秒 返信・引用
> No.3920[元記事へ]
とりさんへのお返事です。
>
> 「ツボを完璧把握した女装男性が、究極昇天の手コキを兵隊さんに」ってコンセプトな、ニューハーフ慰安士も考えたのですが、、、
>
兵隊たちが「目覚めて」しまってはマズイですからね。
同性愛が広まると軍隊の戦闘能力は確実に低下しますので。
兵士の戦闘能力のメンテナンスが慰安婦の第一の存在意義ですが、
慰安所に1回行くと兵士の月給の1/3ほどが飛んだそうで、
手コキ基本、挿入特別料金とすれば、月に何遍もスッキリすることができ、軍の戦力も向上したと思います。
コミケは一度だけ行ってみたことがありますが、人波の中を泳いだ記憶しかありませんね……
女性20万人拉致とか書かれた慰安婦像や石碑が一つ残らず撤去されることを私も願っています。(証拠が出てきたら改めて建てればいいでしょうが)
Re: 「慰安婦」は「公娼」だったか? 投稿者:とり 投稿日:2014年 3月 6日(木)15時26分34秒 返信・引用
> No.3919[元記事へ]
φさんへのお返事です。
『偏態パズル』(第16回)
http://gold-fish-press.com/archives/16191
感服いたしました。 風味爽快ニシテ健脳ノ効アリ!。おもしろ~。
「ツボを完璧把握した女装男性が、究極昇天の手コキを兵隊さんに」ってコンセプトな、ニューハーフ慰安士も考えたのですが、、、
職場が圧倒的に男性ばっかりなので、需要は少ないかもですね・・・。
私は表現者ではないのですが、成人向けエロマンガ販売で、コミックマーケット他に数回参加しました。
エロフェチ文化の芳醇さは好きなのですが、自分が実生活でやるかというと、とってもメンドクサイです。
『偏態パズル』最初から拝読させていただきますね。
どうも、ありがとうございました。
Re: 「慰安婦」は「公娼」だったか? 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 6日(木)05時10分43秒 返信・引用
> No.3918[元記事へ]
とりさんへのお返事です。
慰安婦問題の濡れ衣を晴らすには、
南京事件や重慶爆撃の件で日本の政治家は、内閣が替わるたびに土下座するくらいが必要だと思います。
戦争でもない「事変」で無目的に何万人も殺害したのだから当然です。
そのくらいやって、慰安婦については譲らず検証を主張すれば、少しは信じてもらえるでしょう。
熟女フェチ専門の風俗店なら、ソープよりヘルスやSMクラブの方が稼げるのでは……?
あるいは性感マッサージ。
池袋北口の「きたぐち指圧」とか、人気です。
慰安婦は、やはり、「挿入」があったことが陰惨なイメージを醸しているんですよね。
日本はもともとフェチ大国だし、兵士はほとんどが童貞だったのだから、あえて本番専用の売春婦をあてがう必要はなかったのです。
ほとんどの兵士が
「天皇陛下万歳」ではなく「お母さん!」
と叫んで死んでいったというのが本当なら、
むしろ熟女の風俗嬢をそろえて、
挿入ではなく手コキで性欲解消させるべきではなかったでしょうか。
手コキなら会話の余裕もあるし、病気の心配もないし、後世にも明るく語り継がれたでしょうし。
というような趣旨も含めて、
↓橋本発言の頃、ウェブ連載小説でこういうのを書きましたっけ。↓
pdf版 http://gold-fish-press.com/archives/16172
テキスト版 http://gold-fish-press.com/archives/16191
・・・・・・
Re: 「慰安婦」は「公娼」だったか? 投稿者:とり 投稿日:2014年 3月 6日(木)03時30分40秒 返信・引用
> No.3914[元記事へ]
φさんへのお返事です。
こんばんは。
わたくし、50歳になった時、ソープランドの客引きのお兄さんに「50歳になりましたが、万が一の時に雇ってもらえますか?」って質問しました。
「どうそ、何時でも面接に来てくださいね」とのことでした。
娘が一歳の時に夫が病死し、シングルマザーとして暮らしてきました。
遺産があったし仕事もあったし大事件がなかったので、売春せずに、生きてこれました。でもね、する覚悟はありました。
> 本当に反省すべき点を反省し、瑣末な事柄については安易な弾劾を控えるのが、大日本帝国批判の正しいやり方だと思われます。
> 南京をめぐるトンデモ言説が絶えない原因の一つは、安易な慰安婦制度弾劾言説にあると私は考えているのですが……
先生の、今回のご発言の論旨は、そうですもんね。
私は、韓国があちこちに慰安婦像を建立したり、あったことはいいけど真偽不明なことまで国際宣伝するのを、なんとかくい止める方策はないか?、と、困惑しているのです。
2/11に「第二2次安倍政権と南北朝鮮との関係を展望する」という吉澤文寿さんの勉強会に参加しました。
朝鮮現代史、日朝関係史専攻の準教授さんです。
日本政府、がんばってほしいもんですわ。
Re: 毎日新聞の嘘 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 5日(水)22時03分21秒 返信・引用
> No.3916[元記事へ]
φさんへのお返事です。
「戦争そのものが、殺し合いなのに?」
に一つ補足的お答えをしておくと、
「日中戦争」は、1941年12月までは、日本政府は「戦争」とは認めていませんでした。
だから宣戦布告もないままの南京事件でした。
Re: 毎日新聞の嘘 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 5日(水)21時58分21秒 返信・引用
> No.3915[元記事へ]
やよいさんへのお返事です。
>
> リアルタイムで露呈していたんですか?
> 戦争そのものが、殺し合いなのに?
>
戦闘が完全に終息して、混乱が収まり、日本軍に対するゲリラの脅威もなくなった後に虐殺が続いたことが問題で、
欧米では大々的に報道されていました。それを否定するとしたら笑われます。
日本人は情報遮断されていたので、「東京裁判で初めて言い出すのはおかしい」などと思った人がいたそうですが。
当時の海外の新聞記事や、欧米人の証言をいくらでもあたってください。
たとえば、『『ニューヨーク・タイムズ』が見た第二次世界大戦』(原書房)とか。
>
> 70年以上も前の人たちが間違っていたのは誰にもわかることですが、その時代に政府に反逆して戦争に行かないことが倫理的だということですか?
>
いや、現在の靖国派(未だに特攻隊などの大日本帝国の価値観を肯定する人々)のことを私は言っています。
>
> > 「大日本帝国は女性を20万人以上誘拐した」という文言を彫った石碑がアメリカにいくつも建っている現状が何故生じたかというと、
> > 南京大虐殺のような明白な事実を否定する日本人が多いからです。日本人の否定はもはや信用されないのです。
>
> 無関係と思います。
> 在米韓国人の数の勝利のようです。
> http://www.j-cast.com/2013/11/07188388.html?p=2
>
勝利の理由ではなく、そもそも反日化の理由です。
韓国にとっては、日本の再軍備とか、軍国主義化が本心から脅威です。
日本の懐古的保守化傾向を、アメリカの力で食い止めてほしいと思うのは当然でしょう。
南京大虐殺を否定するなど、韓国人や中国人の気持ちを考えたら論外ですよ。
日本人は歴史を知らぬ愚か者なのか、ではまた無茶を、いうことも脅威なのです。
慰安婦問題については、自分たちが間違っていると韓国人もわかってるんだと思いますよ。
自信がないから証言の検証に反対する。
自信があれば、検証は歓迎のはずです。「強制連行はなかった派」を黙らせられますからね。
少なくとも韓国政府はわかっているでしょう。
しかし侵略戦争を反省しない日本に対しては、可能なあらゆる国際的バッシングのタネを逃したくないのですね。政府も、民間人も。
Re: 毎日新聞の嘘 投稿者:やよい 投稿日:2014年 3月 5日(水)21時15分45秒 返信・引用
> No.3903[元記事へ]
ヤフー掲示板の方に、イストランさんのリンクがありましたので、おじゃまします。
> 世界中にリアルタイムで露呈していた大虐殺を今さら「やってません」的トンデモ言説がひしめく国は、歴史的事実の認識も出来ない愚かな国か、罪を感じない邪悪な国か、どちらかだということになります。倫理矮国ですね。
リアルタイムで露呈していたんですか?
戦争そのものが、殺し合いなのに?
確かに大本営発表では、敵軍○万やっつけたとかいう発表はあったかも知れませんが。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-255.html
ここには
>その真相というのは、山田少将はこの大量の捕虜の処置に窮し、
ついに意を決して揚子江の中洲に釈放することにし、
護送して目的地近くについたとき、暴動が起き、捕虜約1000が射殺され、
日本側将兵も死傷したというのである。
地元紙の福島民友新聞社も多数参戦者の証言を集めて
『郷土部隊戦記』を発刊。
その中で暴動――射殺説を明確にした。
そして、これはそのまま自衛隊戦史室編集の『支那事変陸軍作戦(1)』
にも掲載されている。<
と書いてあります。
この後が問題。
★ところが、59年8月7日「毎日新聞」は
「元陸軍伍長、スケッチで証言、南京捕虜1万余人虐殺」という大見出しで、
第65連隊の伍長であったK氏が多数の捕虜を揚子江岸に連行して
1万3千5百人を皆殺しにしたという証言を発表した。★
◆毎日は、9月27日「記者の目」と題し、
「匿名の中傷、卑劣だ」という記事の中で、
栗原氏の「大虐殺否定」の真意を小さく報じたが、
しかしその大げさな記事の力点は、
K氏に対する非難は怪しからんというのであって、
記者の誤った報道に対する反省も謝罪のカケラも見られなかった。◆
ここで13.5倍にした毎日新聞の責任は大きいと思います。
> そう思われてもかまわないよという態度が靖国史観ですから、まさに自虐的じゃありませんか。
> ほんとの倫理大国を目指している非靖国派の日本人にとっては迷惑な話です。
靖国にB級戦犯として祭られている松井大将が1000人の死体を見て泣いたとしても、私は不思議には思いません。
それから非靖国派が倫理的というのは、どういう意味ですか?
70年以上も前の人たちが間違っていたのは誰にもわかることですが、その時代に政府に反逆して戦争に行かないことが倫理的だということですか?
> 「大日本帝国は女性を20万人以上誘拐した」という文言を彫った石碑がアメリカにいくつも建っている現状が何故生じたかというと、
> 南京大虐殺のような明白な事実を否定する日本人が多いからです。日本人の否定はもはや信用されないのです。
無関係と思います。
在米韓国人の数の勝利のようです。
http://www.j-cast.com/2013/11/07188388.html?p=2
Re: 「慰安婦」は「公娼」だったか? 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 5日(水)20時52分17秒 返信・引用
とりさんへのお返事です。
>
>
> 先生、下記Q&A、ご一読ください。 お願いします。
>
> 『 0-2 「慰安婦」は「公娼」だったか? 』
> http://fightforjustice.info/?page_id=2431
>
>
↑ そこに書かれてあることは、だいたい真実だと私は思いますが、
どうも根本的に解釈が異なります。
従軍記者も従軍カメラマンも従軍医師も従軍看護婦も従軍運転手も従軍画家も従軍僧侶も、まあほとんどすべての職業の人が、自らの意に反して戦争に協力させられていました。
軍から直接依頼されたり、会社など所属組織からの命令だったり、形態はさまざまですが、断る自由はありませんでしたね。
志願した人もいれば、強制的に行かされた人もいた、という点では、兵士もいかなる職業人も同様です。
慰安婦だけが特別ではありません。
むろん、「看護婦の仕事だ」とか騙して同意させたのは違法ですが、
金額を聞いた時点で、だいたいどんな仕事かは見当が付いたはずです。看護婦と慰安婦では報酬の額が一桁違いますから。
新聞の慰安婦募集広告にも、金額は明示されていました。
「騙された」というのは、本人に責任がある場合が多いでしょう。もともと経済的なモチベーションが切実だった人が、うすうすわかっていながら同意した、というのがほとんどだと思われます。
戦争が終わって何十年も経ってから「やっぱりあのときは……」というのはよくないですね。
元慰安婦への謝罪や補償は、対価が未払いの人、または明らかに強制拉致された人、に限定するべきでしょう。だからこそ、「証言の検証」が必要になってきます。
公娼そのものが悲惨な性奴隷だったのだ、とも書かれていますが、それはたとえ事実であったとしても、慰安婦問題には関係ありませんね。戦争特有の問題として慰安婦問題があるはずなので。
それに、そもそも合法的な職業を、ことさらに悲惨だ悲惨だと貶めるのは、職業差別もいいところです。自らの天職だと思ってやっている娼妓もたくさんいたはずです。(現代の、自由意思による風俗嬢の多さを見てもそれはわかるでしょう)
結局、慰安婦問題とは、他の職業はともかく売春だけは強制がなくても償え、という、裏返した職業差別なんでしょうね。
「実際には彼女たちは死んでも靖国神社には入れてもらえず、生きて帰って来ることができても「慰安婦」だった過去がわかると世間からさげすまれ、苦難の戦後を送らざるを得ませんでした。」
という一文が、根本的な誤解を示しています。
矛先を向ける方向が間違ってるんですね……
批判されるべきは、売春婦を戦争協力に駆り出した軍ではなく(その点は他の職業と同じ扱いなのだから)、セックスワーカーを差別する一般社会の風潮の方だ、ということになります。
ちなみに、慰安婦も靖国神社に祀られている人はけっこういるようです。激戦地では軍属に組み込まれた場合があったので。ただし、全員、従軍看護婦という名目になっているようですが(世間の偏見に配慮して)。
慰安婦などという、教科書に載せるに値しない瑣末な事柄にヒステリックになっているから、南京虐殺のような大問題についても「おまえらは捏造している」と疑われてしまうのですね。
慰安婦問題を瑣末というと「おい!」と言われそうですが、
ならば「従軍看護婦問題」「従軍カメラマン問題」……その他全部平等に教科書に書け、ということになってしまいます。
そんな記述、教科書の体をなしませんね。職業ごとに特別な専門研究があればいいだけです。
従軍カメラマンなんか、戦闘部隊より先に上陸して海側を撮影する、なんてとんでもなく危険なことさせられてましたからね。死亡率も兵士以上だったり。慰安婦を載せるなら、それより先にカメラマンをねぎらうべきでしょう。
本当に反省すべき点を反省し、瑣末な事柄については安易な弾劾を控えるのが、大日本帝国批判の正しいやり方だと思われます。
南京をめぐるトンデモ言説が絶えない原因の一つは、安易な慰安婦制度弾劾言説にあると私は考えているのですが……
「慰安婦」は「公娼」だったか? 投稿者:とり 投稿日:2014年 3月 5日(水)03時06分39秒 返信・引用
φ先生、はじめまして。新潟市在住 とり と もうします。仮名ですみません。
7年前になりますが、県立大学で論理学を半年間特別受講しました。
述語論理まではいかずに、基本の基本ですが、みっちり実習し、得難い学習でした。
ところで、
φ先生の三つの★、同感です。
軍事は、神浦元彰さんサイトを拝読しています。
http://www.kamiura.com/index.html
> たぶん私がixtlanさんに同意できるトピックを見つけるとしたら、慰安婦ですか。
> 日本軍の慰安婦制度は、世界中に誤解されている残念な事例ですね。
> 慰安婦は決して「性奴隷」ではなく、高給の保証された風俗産業であったことが理解されていない。
> 強制連行を証言している朝鮮人元慰安婦らは、悪気はないのでしょうが、おそらく、民間業者の虚言甘言による詐欺や、親に売られたトラウマを、日本軍や官憲の仕業であると過誤記憶を形成しているものと思われます。
> とくに、慰安婦を軍が虐待するということは、兵士の効率的な慰安のためには逆効果で、ありえないと考えられます。感情労働には笑顔が必要ですし。慰安婦は一種の兵器なのだからそれなりに大切に扱われたはずです。
>
> 「大日本帝国は女性を20万人以上誘拐した」という文言を彫った石碑がアメリカにいくつも建っている現状が何故生じたかというと、
> 南京大虐殺のような明白な事実を否定する日本人が多いからです。日本人の否定はもはや信用されないのです。
> 性奴隷20万人誘拐も、弾劾する人々の大多数は、プロパガンダで言ってるのではなく、本当に誠実に信じ込んでいるのですね。
> 信じていないけど利用するやつらも出てくるわけで。
>
> 自らの非を認めない者は、信用を失うがゆえに限りなく濡れ衣を着せられ、政治的な武器を敵に与えることになるわけですね。(「敵」という言い方はメタファーです)
そうですよね。 信用回復し、濡れ衣部分は早期に対策が必須です。
そうでないと、プロパガンダがまかり通ってしまいます。
先生、下記Q&A、ご一読ください。 お願いします。
『 0-2 「慰安婦」は「公娼」だったか? 』
http://fightforjustice.info/?page_id=2431
話のついでに 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 3月 4日(火)22時09分56秒 返信・引用
特攻隊というのも三浦氏はなんか強制されてみたいに思っておられるようですが、それはどうかな。
操縦士でもないのに使命に燃えていったり、夫婦で特攻したり。不可思議な光景だったのではないですか。もっとも最後には雰囲気で強制みたいなこともあったようですが。
それより、日本人の公の精神というのをそういうところに見ることができるのでは?
Re: 南京事件の事実とは 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 3月 4日(火)22時07分41秒 返信・引用
> No.3910[元記事へ]
φさんへのお返事です。
まあこれからその常識がひっくり返されていくのです。
といっても、たんに資料を読み込むだけですが、それにしても、国民党国際宣伝処に所属する人間の言うことを鵜呑みにしないことから始めなくてはなりません。
そして、南京裁判や東京裁判の嘘を知らしめねばなりません。まず南京裁判が30万としたのを東京裁判が10万にしたのは何の根拠があってのことか。根拠なんてないんですね。ただそんなものだろうと。そういう話。
それから慰安婦像がつぎつぎと建っているのは金を出しているからでしょう。これからは撤去されていきます。それがまともな未来というものです。
STAP現象という仮説。 投稿者:kotob 投稿日:2014年 4月18日(金)14時11分28秒 返信・引用
STAP論文の不正で、STAP細胞の存在確率はどうなったかという話を以前お伺いしましたが、
笹井芳樹氏の会見では、
STAP現象が存在すると仮定すると容易に説明のつく現象が観察されており、 逆にSTAP以外で それを説明できる仮説(反証仮説)は考え付かない
という理屈で、「STAP現象は最も有力な仮説だ。(と笹井氏は考えている)」とのことでした。
(ただし、論文に不正があった以上、真であると断定はできず、検証にかけていく必要がある。)
φ さんの期待された(自分もですが)、論文は不正だがSTAP細胞は真だ、というどんでんがえしの可能性も、無いわけではなさそうな・・。
(前回の最後のお返事を今確認したところ、自分は途中までしか読んだ覚えが無くて・・見落としていたのでしょうか・・すいません)
Re: 命題型 投稿者:φ 投稿日:2014年 4月14日(月)23時49分17秒 返信・引用
> No.3949[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
>
> 命題型の説明があるのはどの御著書でしょうか?
>
『論理学入門』ですね。
説明というより、注釈として、「正確には命題型だが、簡略に『命題』と呼んでもいい」というような、呼び方の但し書きでしたが。
命題型 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 4月14日(月)22時36分46秒 返信・引用
命題型の説明があるのはどの御著書でしょうか? 石飛氏から三浦さんの「命題型」がどうのと言ってこられたので。
御礼と訂正(2封筒問題) 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月23日(日)17時21分0秒 返信・引用
『思考実験リアルゲーム』(二見書房)を上梓しました。
「あとがき」にも書きましたが、
『思考実験リアルゲーム』は、この掲示板の議論参加者のおかげで内容豊富なものとすることができました。御礼申し上げます。
とくに次の部分です。
◆2011年 3月 2日~2011年 7月30日 【「多世界解釈」と「シュレーディンガーの猫」について】
◆2011年11月15日~2011年12月 7日 【「量子自殺」について】
◆2011年 8月 7日~2012年 4月 8日 【「2封筒問題」「サンクトペテルブルク・パラドクス」について】
◆2012年 5月12日~2012年 7月15日 【「抜き打ち試験のパラドクス」について】
とくに、
p.188にはこの投稿↓を引用させていただきました。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs/3400
クリスティアンさんには遅まきながら深く御礼申し上げます。
ところで、
ひとつ(場所としては2箇所)、ケアレスミスを発見してしまいました。
2封筒問題について、(幸い本文から独立した)注釈でミスってしまいました。
ブログで訂正しておきました。↓
http://green.ap.teacup.com/miurat/3835.html
Re: 含意命題と必要条件・十分条件 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月21日(金)21時28分3秒 返信・引用
> No.3946[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 全般、目的がわからないので、正直、あまり面白いトピックには思えません。
三浦先生へ
とても有意義な返答をありがとうございます。
私なりに、色々な意図があるし、命題論理学を勉強する人にとっても参考になると思っているのですが、
ここ、十日間ぐらい多忙すぎるので、後日、ゆっくりレスさせていただきます。
よろしくお願いします。
Re: 含意命題と必要条件・十分条件 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月19日(水)02時57分8秒 返信・引用
> No.3943[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
「必要条件」「十分条件」の外延を含意以外の場合に拡大するモチベーションがわかりませんね。
定義されているので、その定義を変えたければ、はっきりした目的を述べなければなりません。
>
> 「後件投射」演算子の真理値表
> P/Q/出力
> 11・・1
> 10・・0
> 01・・1
> 00・・0
>
> 「後件投射」演算子においては、
> 出力が1とわかっているとき、前件が1であるとわかれば、後件も1だと判定するのに十分ですから、前件の1は、後件の1の十分条件です。
> (この判断は、1列目と3列目を観なければ、導出されません。)
> 次です。
> 出力が1とわかっているとき、後件が1であるとわかれば、前件も1だと判定するのに十分かというと、そうではなく、3列目のケースで後件が1でも前件が0になっているので、後件が1であるとわかっても、前件が1とは決定できないので、
> 後件の1は、前件の1であるための必要条件に留まります。
> (この判断も、1列目と3列目を観て導出しています。)
>
↑この真理表を示されたとき、前件と後件は必要条件、十分条件の関係になっているかどうかはまったくわかりませんね。
>
> 出力が1とわかっているとき、前件が1であると【わかれば、】後件も1だと判定するのに十分ですから、
>
「わかれば」というところに含意(「ならば」)が入り込んでいますね。
「後件投射」演算子だけでは、何が必要条件で何が十分条件かはわかりません。
>
> 「3列目の反実仮想」を視野に入れることなしに、
> 後件「日本の首都は東京である」が真であることは、前件「地球は太陽のまわりを回っている」が真であることの・・・「必要条件に留まる」、
> と、これしか言えない、とする理由は、他には求められません。
>
「必要条件に留まる」などという判断は出てきませんよ。
「必要条件である」は、「十分条件でもある」を排除しませんから。
> つまり、
> 「十分条件にならず必要条件に留まる理由」は、含意演算子においては、
> 後件「日本の首都は東京である」が真である場合であっても、
> 「地球は太陽のまわりを回っている」が偽であるような可能世界(反実仮想世界)、
> たとえば、「地球が太陽からどんどん離れて行くような世界」が真の場合というよな可能世界、
> が前件に来たときであっても、出力が1になってしまうから、
> 後件1は前件1の十分条件とは言えない、という理由で、
> 後件1は前件1の「必要条件に留まる」と判定されるからです。
>
> 以上の説明で、宜しいでしょうか?
>
宜しくないです。
前件と後件がともに真であるとわかっているときは、「必要条件に留まる」などという判断はしませんから。必要十分条件だと一発でわかります。
前回述べたように、前件と後件の真理値がわからない場合は、4列全部見て判断するでしょう。前件が後件の「必要条件に留まる」のか「十分条件に留まる」のか「必要十分条件」なのか「どちらでもない」のかを。
>
> なお、「後件投射」演算子について、
> 「後件と同じ出力パターン」なのだから、これって、演算していないのと同じでしょ?
> 後件をそのまま反復すれば良いだけでしょ?
> 演算子としての意味も価値もほとんどないんじゃないかしら?
> と言ってきた生徒さんがいた場合、三浦教授は、どのように解答なさるでしょうか?
> 単なる後件に該当する命題と、真理関数としての後件投射演算子との差異について、
> どのように説明なさるでしょうか。
> お聞かせください。
>
「後件投射」演算子は、単なる後件と同じことです。
表記を使ったゲームとして使うことはできますが(つまり構文論的には意義がありえますが)、意味論的にはただ一つの命題を書けばすむことでしょう。
全般、目的がわからないので、正直、あまり面白いトピックには思えません。
Re: 含意命題と必要条件・十分条件 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月17日(月)18時05分20秒 返信・引用
> No.3940[元記事へ]
φさんへのお返事です。
三浦教授へ
解答ありがとうございます。おかげ様で、かなり理解が進んで来ました。
> 必要条件、十分条件は、P⊃Qを真とする真理値の組み合わせで理解すればよい簡単な概念なので、写像なんて持ってこない方がいいでしょう。
> 単に、P⊃Qが真であれば、PがQの十分条件、QがPの必要条件です。
これには、少々、疑義があります。
もし三浦教授が生徒たちへの授業で、「超ミニスカートで登校することも、ノーパンで登校することも、絶対にいかんぞ。校則を守るのはそういう決まりだからなんだぞ、理由は考えるな(真の理由は男性教授たちは皆オスだから、なのだが・・笑)」とか、
「そういう決まりだからこれは必要条件なのだ、これは十分条件なのだ、理由は考えるな」と述べて、「そうなる理由」を説明しなかったら、片手落ちでしょう。
つまり、含意演算子における必要条件・十分条件という「結果として得られた単なる判定知識」を使用する話としてではなく、
その判定知識が、どのように判定されたのか、という構造論というか、
そもそも論として「必要条件・十分条件の概念論」の話として出しています。
(和洋女子大のプラズマ可愛い生徒さんたちの場合には、ここ「そもそも論」から説明した方が絶対に良いだろう、と私は考えております。でないと、教授に、付いて来られません。)
> 現実に真理値がわかっている場合は、4列分を考える必要はありません。1列だけです。
> たとえば、「地球は太陽のまわりを回っている」は、「日本の首都は東京である」の必要条件であり、十分条件です。4列考えるまでもありません。真⊃真 だけですね。
>他の3列を考えることは、他の可能世界を考えることですから、
>「地球は太陽のまわりを回っている」が「日本の首都は東京である」の必要条件でない世界、十分条件でない世界もあるでしょう。真理値の食い違い方は可能世界ごとに異なります。
「地球は太陽のまわりを回っている」⊃「日本の首都は東京である」
この例でいえば、両者を入れ替えたケースを考えると、双方は必要十分条件の関係であることがわかります。それは仰る通りですね。
しかし、まず、出発点として、入れ替えないケースを考えてみます。
すると、なぜ、後件「日本の首都は東京である」の真は、前件「地球は太陽のまわりを回っている」が真であることの「必要条件」に留まるのですか?
もっといえば、なぜ、後件「日本の首都は東京である」は、前件「地球は太陽のまわりを回っている」の十分条件とは、この時点では言えないのですか?
という生徒の問いかけに対して、
「含意演算子はそういうルールだから」と返答したら、不親切でしょう。
たとえば、ゲームの規則に凝り固まった石頭を柔らかくするために、
「後件投射」演算子について、必要条件・十分条件を語ってみましょう。
表記の記号としては、「前件」>後件投射>「後件」としてみます。
「後件投射」演算子の真理値表
P/Q/出力
11・・1
10・・0
01・・1
00・・0
「後件投射」演算子においては、
出力が1とわかっているとき、前件が1であるとわかれば、後件も1だと判定するのに十分ですから、前件の1は、後件の1の十分条件です。
(この判断は、1列目と3列目を観なければ、導出されません。)
次です。
出力が1とわかっているとき、後件が1であるとわかれば、前件も1だと判定するのに十分かというと、そうではなく、3列目のケースで後件が1でも前件が0になっているので、後件が1であるとわかっても、前件が1とは決定できないので、
後件の1は、前件の1であるための必要条件に留まります。
(この判断も、1列目と3列目を観て導出しています。)
ということで、
「地球は太陽のまわりを回っている」>後件投射>「日本の首都は東京である」
「後件投射結合子」において、出力が1であるとき、前件1は後件1の十分条件であり、後件1は前件1の必要条件である。
それは「上記の命題定項の例題」でも、同様である。
で、これを言うためには、出力状況としての全4列、また、出力が1の場合に絞り込み、そのあとで、マッピングとして1対1対応をしているのか、という写像的な見方をして、少なくとも該当の2列についてはチェックする、という調査行為が必要であり、そうした「写像的な対応状況」の調査結果を経た上で、なに条件に該当するかの判定をしている、
という、
「後件投射」演算子の「真理関数としての振る舞い(対応関係)全体」を把握して前提知識化していることが、大前提になります。
もちろん、三浦教授が、2つの命題定項を含意で結ぶ分子命題の場合、
・・・つまり、含意の分子命題も、「全体で一つの命題定項である」と捉えた場合、
その命題定項を当てはめた真理値表の「該当1列だけ」を観れば良いのだ、
という形で、表現したい「その意図」は、わかります。
「分子命題全体で1個の命題定項である」と捉えているから、が理由ですね。
すなわち、「命題定項」という位置づけにこだわると、反実仮想の可能世界まで考えるのは、おかしい、ということになってしまいます。
含意の真理値表の3列目の組み合わせは、「前件が偽である場合」なので、
「地球は太陽のまわりを回っている」が偽であるような可能世界
があるならば(反実仮想)、後件「日本の首都は東京である」も真である可能世界
を視野に入れることにならざるをえませんが、
これが「イヤ」なのでしょう、
我々は、今「命題定項」を取り扱っているのだから、という理由で。
しかし、上記の例題では「3列目の反実仮想」を視野に入れることなしに、
後件「日本の首都は東京である」が真であることは、前件「地球は太陽のまわりを回っている」が真であることの・・・「必要条件に留まる」、
と、これしか言えない、とする理由は、他には求められません。
つまり、
「十分条件にならず必要条件に留まる理由」は、含意演算子においては、
後件「日本の首都は東京である」が真である場合であっても、
「地球は太陽のまわりを回っている」が偽であるような可能世界(反実仮想世界)、
たとえば、「地球が太陽からどんどん離れて行くような世界」が真の場合というよな可能世界、
が前件に来たときであっても、出力が1になってしまうから、
後件1は前件1の十分条件とは言えない、という理由で、
後件1は前件1の「必要条件に留まる」と判定されるからです。
以上の説明で、宜しいでしょうか?
なお、「後件投射」演算子について、
「後件と同じ出力パターン」なのだから、これって、演算していないのと同じでしょ?
後件をそのまま反復すれば良いだけでしょ?
演算子としての意味も価値もほとんどないんじゃないかしら?
と言ってきた生徒さんがいた場合、三浦教授は、どのように解答なさるでしょうか?
単なる後件に該当する命題と、真理関数としての後件投射演算子との差異について、
どのように説明なさるでしょうか。
お聞かせください。
Re: こんばんは (STAP細胞の件) 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月17日(月)02時46分22秒 返信・引用
> No.3937[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> 完全にもとの確率に戻るのだ、と考えるのは、小保方さん自身が全く存在しないと分かっている事実を存在するかのように捏造しようとした。STAP細胞そのものが全くの虚偽だった、と前提することじゃないかな・・思いますが、どうでしょうか。
>
専門家が論文の作成経緯を調べて判断するしかないでしょうね。
意図的な捏造がなくても、どうしようもない勘違いが判明すれば、確率は論文発表以前に戻るでしょう。
たとえば、
物凄く誠実な証言者が、「隣の部屋から女の霊の声が聞こえる」と切実に訴えているので調査したところ、
何日目かに
調査員の耳に、隣の一人暮らしの男が呼んだデリヘル嬢のあえぎ声が洩れ聞こえてきた、と同時に
証言者が「ほら、これです、これが霊の声です、コワイ!」と怯えたとしたら、
まあ、誠実さは疑いませんが、霊の存在確率は証言の前に戻ります。
(↑この例はDVD『Not Found 13-ネットから削除された禁断動画-』から採りました)
小保方氏の悪意の捏造または悪意なき思いこみだったとしたら、確率は元に戻るでしょうね。
単純な写真の取り違えやケアレスミスの重なりがああいうことになったなら、確率はちょっと増えているのでは。
Re: こんばんは (STAP細胞の件)追記 投稿者:kotob 投稿日:2014年 3月17日(月)02時30分45秒 返信・引用
> No.3937[元記事へ]
あとで気づいたのですが
事前確率が非常に低いから、
論文が捏造だった という可能性を高めるわけですね。
一方、若山教授たちが一度は信じ、Natureにも通ったということは、事前に思われていたほど「あり得ない」ことではなかった、のかもしれない。
論文が杜撰であれば、その杜撰な論文によって騙されるくらいには「あり得る」ことであると、事前確率は修正されているのかも・・。
複雑な感じがします。
それとは別に、
ツイッターなどでは、人間観によって現段階で何処まで疑うかが分かれている気もしますが・・。
Re: 含意命題と必要条件・十分条件 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月17日(月)02時28分46秒 返信・引用
> No.3936[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
必要条件、十分条件は、P⊃Qを真とする真理値の組み合わせで理解すればよい簡単な概念なので、写像なんて持ってこない方がいいでしょう。
単に、P⊃Qが真であれば、PがQの十分条件、QがPの必要条件です。
>
> なに条件かを確定するにあたっては、「含意」の真理表の「全4列分」のケースについて、
> 「検討済みであること」が前提になっている。
> なぜなら、マッピングの対応関係において、1対1対応なのか、1対マルチ対応なのか、
> 判断できなければ、必要条件か十分条件かを判断できないからである。
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
現実に真理値がわかっている場合は、4列分を考える必要はありません。1列だけです。
たとえば、「地球は太陽のまわりを回っている」は、「日本の首都は東京である」の必要条件であり、十分条件です。4列考えるまでもありません。真⊃真 だけですね。
他の3列を考えることは、他の可能世界を考えることですから、
「地球は太陽のまわりを回っている」が「日本の首都は東京である」の必要条件でない世界、十分条件でない世界もあるでしょう。真理値の食い違い方は可能世界ごとに異なります。
前件と後件の真偽がわからない場合は、4列分考えればいいですね。
「南京で日本軍は30万人以上を殺した」「南京で日本軍は20万人以上を殺した」の真偽はわかりませんが、それぞれの意味を考えて4列の表を作れば、前者が後者の十分条件、後者が前者の必要条件であることがわかります。
「南京で日本軍は30万人以上を殺した」と「STAP細胞は存在する」の関係は、必要条件とも十分条件とも決められませんね。現実世界では。
(可能世界では自由に決めていいのですが)
>
>
> 「命題定項は、定まった命題を表わす項、と考えた方がよいでしょう。」
> とは、ぶっちゃけ、「真偽を語れる特定の具体的内容が定まった命題」ということで良いでしょうか。
>
それでよいです。
>
> 「不特定の(すなわち変項としての)具体的(原子or分子)命題」
> たとえば、P、Q、P∧Q、P⊃Q、等々とは異なり、
> 「命題定項」は、「命題の内容が具体的に定まった原子命題」と理解して宜しいでしょうか。
> または、分子命題をも含めた「命題の内容が具体的に定まった原子or分子命題」と理解すべきでしょうか?
>
「命題の内容が具体的に定まった原子or分子命題」です。
どんな複雑な分子命題でも(原子命題を百億個つないだ命題であっても)、一つの命題定項で書くことができます。
そのあたりのことは、私の『本当にわかる論理学』pp.139~145をご覧いただければ幸いです。
>
> どうも、「命題定項」については、きっかり正確に、定義をしている教科書がないように思うのですが、どうなのでしょうか?
> これは、「可能世界」の思想が、近年勃興して来たこととも関係があるのでしょうか?
>
「特定の命題を表わす記号」ということですよね。
「定項」は「定数」の一般化で、定数が特定の数を表わすのに対して、定項は数に限定せずあらゆるカテゴリの存在者を表わします。
「命題定項」は、そのカテゴリを「命題」に限定しているということです。
だから「定数」は「数定項」と呼ぶこともできるわけです。
「捏造以外の確率は限りなく低い」とのこと 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月17日(月)01時54分57秒 返信・引用
重要なのは、次の問題だ。
1.STAP細胞が本当にできたのか
2.過失によって他の細胞と混同したのか
3.それとも意図的にデータを捏造したのか
(中略)
3以外の確率は限りなく低い。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51890916.html
Re: 吉本隆明門下で、官能小説を発表していたY氏 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月17日(月)01時51分2秒 返信・引用
> No.3935[元記事へ]
とりさんへのお返事です。
ポルノは私も芸術でないと思います。
というより、芸術と認めるに値しないその種のものを「ポルノ」と呼ぶわけでしょうね。
読者の本能に依存して容易に強い反応を誘発するものの総称を広義の「ポルノ」と呼ぶならば、
センチメンタリズムやセンセーショナリズムはポルノですね。
ドキュメンタリーもポルノでないスレスレを狙うのが腕の見せ所でしょうね。
本能から離れれば離れるほど、つまり作品理解に必要とされる文化的条件付けの層が厚ければ厚いほど、「芸術的」になるのでは。
芸術が視覚と聴覚による意味理解に特化し、
嗅覚や味覚、触覚の芸術というものが存在しないのも頷けます。
Re: こんばんは (STAP細胞の件) 投稿者:kotob 投稿日:2014年 3月17日(月)01時46分51秒 返信・引用
> No.3929[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> まあ、私が希望するのは、
> 論文作成プロセスは完全に有罪でありながら(これはもはや動かないようですから)、結論は完全に正しかった(つまりSTAP細胞は出来ており、論文の内容自体は真であり、論証も健全で、本来掲載されるべきだった画像も出てきた)、という展開です。
自分もその展開を期待します。望み薄でしょうか。
論文の信憑性がほぼ失われた場合、論文がNatureに掲載される前、「あり得ない」(0に近い)と見なされていた時点の確率に戻るという考えもあるようですが(前回名前を出した人の考え方はそれです)、
けれども、何故その論文を小保方さん達が発表することに拘ったかという問題が明らかにならないうちは、なにも無かったのと同じ確率に戻るわけではないように思います。
実際に STAP細胞が出来ていたから、それを何とか分かりやすい論文にして発表しようと気がはやり、また論文の書き方についての倫理的な(?)教育も受けていなかったゆえに、不適切なやり方をしてしまったという可能性とか。
完全にもとの確率に戻るのだ、と考えるのは、小保方さん自身が全く存在しないと分かっている事実を存在するかのように捏造しようとした。STAP細胞そのものが全くの虚偽だった、と前提することじゃないかな・・思いますが、どうでしょうか。
(一回前のご回答に戻ります)
> オリジナルの内容さえ備えていれば文章なんてど~でもよい、的理科系風土は想像できますが、
> 勝負所以外の背景説明はほとんどコピペ、を暗黙に許す指導教員なんて結構いるんじゃないですかね。
早稲田を中心に、他の人達の博士論文についてのチェックが始まった(か始まりそうだか)と何処かに書いてありました。戦々恐々としている人がいるのかどうか。
不適切な論文が続々とみつかり大騒ぎになるのか、それとも、全くの例外だったという結論になり、小保方さんへの批判が強化されるのでしょうか・・。
Re: 含意命題と必要条件・十分条件 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月16日(日)22時48分16秒 返信・引用
> No.3932[元記事へ]
φさんへのお返事です。
三浦教授へ
解答ありがとうございます。
とてもわかりやすい説明で、よく理解できました。ありがとうございます。
参考:「写像」ウィキより
写像(しゃぞう、mapping, map)とは、二つの集合が与えられたときに、一方の集合の各元に対し、他方の集合のただひとつの元からなる集合を指定して結びつける対応のことである。函数、変換、作用素、射などが写像の同義語として用いられることもある。
以上を前提にして、
次のような説明をしてみます。
この場合、以下の説明で、どこかミステイクはありますでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「必要条件・十分条件」においては、
AがBであることの十分条件だ、という場合、AからBへの写像(1対1対応)である、と言える。
一方、Bは Aであるための必要条件に過ぎない、という場合、
BからAへの写像(1対1対応)ではなく、BからCに対応する選択肢など、複数ありえるケースだ、と言える。
しかし、実は、手順としては、その逆であり、
AからBへの写像(1対1対応)であることが確認されたときのみ、、
AがBであることの十分条件だ、と言える。
また、BからAへの写像(1対1対応)ではなく、BからCに対応する選択肢など、複数のマッピングがありえるケースだ、と確認されたときのみに、
Bは Aであるための必要条件に過ぎない、と言える。
ということは、
2つの命題定項を使用した含意命題においては、
その分子命題1つだけで、前件後件の必要条件か十分条件かを確定できる。
しかし、それは、予めの検討済みの前提知識を使用してのことである。
なに条件かを確定するにあたっては、「含意」の真理表の「全4列分」のケースについて、
「検討済みであること」が前提になっている。
なぜなら、マッピングの対応関係において、1対1対応なのか、1対マルチ対応なのか、
判断できなければ、必要条件か十分条件かを判断できないからである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これで宜しいでしょうか?
もう1点。
> 複数の可能世界を視野に入れれば、命題の真理値が変化しうるのは当然です。分析命題でない限り。
> 命題定項は、定まった命題を表わす項、と考えた方がよいでしょう。
定まった真理値を表す項、でなく。
(一つの可能世界、たとえば現実世界にだけ視点を据えた場合は「定まった真理値を表す項」でもよいのですが)
> 命題とは、可能世界から真理値への関数です。
したがって、可能世界が変われば、真理値が変わることがあります。
それら多数の可能世界にまたがる真理値の集合をひっくるめて、命題定項で表わすわけです。
「命題定項は、定まった命題を表わす項、と考えた方がよいでしょう。」
とは、ぶっちゃけ、「真偽を語れる特定の具体的内容が定まった命題」ということで良いでしょうか。
「不特定の(すなわち変項としての)具体的(原子or分子)命題」
たとえば、P、Q、P∧Q、P⊃Q、等々とは異なり、
「命題定項」は、「命題の内容が具体的に定まった原子命題」と理解して宜しいでしょうか。
または、分子命題をも含めた「命題の内容が具体的に定まった原子or分子命題」と理解すべきでしょうか?
どうも、「命題定項」については、きっかり正確に、定義をしている教科書がないように思うのですが、どうなのでしょうか?
これは、「可能世界」の思想が、近年勃興して来たこととも関係があるのでしょうか?
以上、よろしくお願いします。
吉本隆明門下で、官能小説を発表していたY氏 投稿者:とり 投稿日:2014年 3月16日(日)13時22分54秒 返信・引用
こんにちは。
『偏態パズル』第八回まで拝読。 巫女さんもお見合い恋人も、○んじゃうんですね・・・。
(ネタバレすみません)
ツイッターでの、館淳一さんコメントご紹介。
以下、転載です。
---------
館 淳一 @jun1_tate
吉本隆明門下で、官能小説を発表していたY氏は、同門の会食の席で「ポルノ小説を書くなど一門の恥だ」と仲間から罵られた。氏の溺死体は桜の満開の朝、不忍池で発見された。その命日がまもなくやってくる。純文学での名も作品もついに残らなかった。 via ついっぷる
2014.03.16 12:21
Re: 含意命題と必要条件・十分条件 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月15日(土)01時51分40秒 返信・引用
> No.3931[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
>
> 「三浦俊彦教授は女性である」が真であること「は」or「が」、
> 「日本の首都は大阪である」が真であるための十分条件である。
>
> 敷衍すると、この含意命題に関しては、
> 「三浦俊彦教授は女性である」が真である(可能世界の)場合には、
> 「日本の首都は大阪である」も(可能世界において)論理必然的に、真となる。
> (この含意命題の反実仮想レベルで)前者(の真)は後者(の真)の十分条件である。
>
↑「論理必然的に」というのは正しくありませんね。
「三浦俊彦教授は女性である」が真である可能世界の中には、「日本の首都は大阪である」が偽である世界もあるでしょう。
「三浦俊彦教授は女性である」⊃「日本の首都は大阪である」が真であるという前提ですから、とりあえずそういう可能世界だけを考えていますね。
その前提のもとで、前者は後者の十分条件、後者は前者の必要条件です。
その前提が成り立たない可能世界では、当然、「前者は後者の十分条件、後者は前者の必要条件」は成り立ちません。
一般に、可能世界(群)を決めないと、何が何の必要条件(十分条件)かは決まりません。
普通は、可能世界の一つであるこの現実世界で値踏みするわけですが。
>
> 入れ替えた両方を検討した結果、
> この2つの具体命題は、互いが互いの「必要十分条件である」
> ということになります。
>
「三浦俊彦教授は女性である」⊃「日本の首都は大阪である」と、
「三浦俊彦教授は女性である」⊂「日本の首都は大阪である」
との両方が成り立つ可能世界(たとえばこの現実世界)においては、互いが互いの必要十分条件です。
少なくとも一方が成り立たない可能世界においては、互いが互いの必要十分条件ではありません。
>
> 次に、これを入れ替えた場合、<1⊃0=0>
> P:「三浦俊彦教授は男性である」
> Q:「日本の首都は大阪である」
> Pは真、Qは偽となるので、含意の真理値表2列目に該当するので、
> 「三浦俊彦教授は男性である」⊃「日本の首都は大阪である」
> の全体文(分子命題)は、偽になります。
>
> ゆえに、この場合には、含意命題の前件後件に関して、
> 必要条件・十分条件うんぬんとは言えない。
>
言えるでしょう。
「三浦俊彦教授は男性である」⊃「日本の首都は大阪である」が偽である、とわかっているのであれば。
そのとき、前件が真、後件が偽と決定しますから、
「三浦俊彦教授は男性である」⊂「日本の首都は大阪である」が真である、と決定し、
「日本の首都は大阪である」は「三浦俊彦教授は男性である」の十分条件、逆は必要条件とわかります。
>
> 最後に、
> 「命題定項」とは、真理値が「真」な「真」に、「偽」なら「偽」に定まっているもの、
> である、と理解しています。
>
「一つの可能世界においては」という条件付きですけれどね。
>
> ここで、確認です。
> 「三浦俊彦教授は、女性である」「日本の首都は大阪である」・・・これらは、現実には「偽」であるが、可能世界においては、「真」でも有り得る、偶然的事実であるから、
> 真値表の全4行を視野に入れると、「命題定項」とは言えない。
> ・・・ということで宜しいでしょうか?
>
宜しくないです。
その2つは命題定項と言えますね。
一つの可能世界においては、「三浦俊彦教授は、女性である」「日本の首都は大阪である」の真理値はそれぞれ一つに決まりますから。(主語に相当するものが存在しない場合は偽と見なすとして)
複数の可能世界を視野に入れれば、命題の真理値が変化しうるのは当然です。分析命題でない限り。
命題定項は、定まった命題を表わす項、と考えた方がよいでしょう。
定まった真理値を表す項、でなく。
(一つの可能世界、たとえば現実世界にだけ視点を据えた場合は「定まった真理値を表す項」でもよいのですが)
命題とは、可能世界から真理値への関数です。
したがって、可能世界が変われば、真理値が変わることがあります。
それら多数の可能世界にまたがる真理値の集合をひっくるめて、命題定項で表わすわけです。
したがって、「三浦俊彦教授は、女性である」「日本の首都は大阪である」は、命題定項です。
(普通はPとかQとか、もっと短い名前にしますけれどね)
含意命題と必要条件・十分条件 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月14日(金)22時51分1秒 返信・引用
三浦先生へ
ネット世界には、色々と正しい知識を攪乱する人々もいるので、
命題論理学において、基本的な理解を確認させて下さい。
もし、誤解があった場合には、些細なものでも、指摘して頂ければありがたいです。
よろしくお願いします。
<含意命題と必要条件・十分条件>
たとえば、次のようなケース <0⊃0=1> を考えます。
P:「三浦俊彦教授は女性である」
Q:「日本の首都は大阪である」
PもQも「偽の命題」なので、
「三浦俊彦教授は女性である」⊃「日本の首都は大阪である」
・・この全体文(分子命題)は・・「真」
(「含意の真理値表」の「第4列目」に該当する)
ということは、この(条件法の)場合、
「三浦俊彦教授は女性である」が真であること「は」or「が」、
「日本の首都は大阪である」が真であるための十分条件である。
敷衍すると、この含意命題に関しては、
「三浦俊彦教授は女性である」が真である(可能世界の)場合には、
「日本の首都は大阪である」も(可能世界において)論理必然的に、真となる。
(この含意命題の反実仮想レベルで)前者(の真)は後者(の真)の十分条件である。
ということは、必要条件の角度から言いなおすと、
「日本の首都は大阪である」が真であること「は」or「が」、
「三浦俊彦教授は女性である」が真であるための必要条件に留まる。
敷衍すると、
「日本の首都は大阪である」が真である(可能世界の)場合には、
「三浦俊彦教授は女性である」が(可能世界において)論理必然的に真であるとは言えず、未だ「真となるため」の必要条件の状態に留まるので、
(この含意命題の反実仮想レベルで)前者(の真)は後者(の真)の必要条件である。
となりますね。
しかし、この具体命題の場合、
入れ替えたときも、同じ論理が成立します。
すなわち、
P:「日本の首都は大阪である」
Q:「三浦俊彦教授は女性である」
PもQも「偽の命題」なので、
「日本の首都は大阪である」⊃「三浦俊彦教授は女性である」
・・この分子命題は「真」
ということは、
「日本の首都は大阪である」が真であることが、
「三浦俊彦教授は女性である」が真であることの十分条件である。
「三浦俊彦教授は女性である」が真であることが、
「日本の首都は大阪である」が真であることの必要条件である。
となりますね。
ということは、入れ替えた両方を検討した結果、
この2つの具体命題は、互いが互いの「必要十分条件である」
ということになります。
ここまで宜しいでしょうか?
次のケース(含意の真理値表の3列目0⊃1=1)の場合です。
P:「日本の首都は大阪である」
Q:「三浦俊彦教授は男性である」
Pは偽、Qは真なので、
「日本の首都は大阪である」⊃「三浦俊彦教授は女性である」
・・この分子命題は「真」
ということは、
「日本の首都は大阪である」が真であることが、
「三浦俊彦教授は女性である」が真であることの十分条件である。
「三浦俊彦教授は女性である」が真であることが、
「日本の首都は大阪である」が真であることの必要条件である。
となります。
次に、これを入れ替えた場合、<1⊃0=0>
P:「三浦俊彦教授は男性である」
Q:「日本の首都は大阪である」
Pは真、Qは偽となるので、含意の真理値表2列目に該当するので、
「三浦俊彦教授は男性である」⊃「日本の首都は大阪である」
の全体文(分子命題)は、偽になります。
ゆえに、この場合には、含意命題の前件後件に関して、
必要条件・十分条件うんぬんとは言えない。
以上について、命題論理学の理解として、間違っている部分か少しでもあれば、
ご指摘ください。
最後に、
「命題定項」とは、真理値が「真」な「真」に、「偽」なら「偽」に定まっているもの、
である、と理解しています。
抽象的記号で「とある記号」を「常に<真>の真理値を持つ命題定項」とする、という定義はカンタンですが、「特定具体命題」のレベルで考えるとどうなるでしょうか?
具体例としては、どの可能世界でも、アプリオリにそうなるもの、として、
「二等辺三角形の2つの等しい内角を持つ」・・・真理値が「真」に定まった「命題定項」
「正方形は、5つの内角を持つ」・・・真理値が「偽」に定まった「命題定項」
と考えます。
ここで、確認です。
「三浦俊彦教授は、女性である」「日本の首都は大阪である」・・・これらは、現実には「偽」であるが、可能世界においては、「真」でも有り得る、偶然的事実であるから、
真値表の全4行を視野に入れると、「命題定項」とは言えない。
・・・ということで宜しいでしょうか?
なお、「論理サバイバル」の「命題定項のパラドックス」は、まだチェックしていません。
Re: こんばんは (STAP細胞の件) 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月13日(木)13時36分37秒 返信・引用
> No.3928[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
>
> >STAP細胞の信憑性 の方でどんでん返しが起る可能性ももう少ないのかな・・。
>
博士論文はともかくとして、STAP細胞論文に剽窃があるというのは痛いですね……
画像の件はよくわかりませんが(専門的にはそっちの方が深刻なのでしょうが)、文章の剽窃があっては、文系ならそれだけでアウトです。
理系は、オリジナル発見の部分さえ正しければOK、という風潮かもしれませんが、
文系的な目で見ると、剽窃の時点で、研究者として失格決定ですね。
まあ、私が希望するのは、
論文作成プロセスは完全に有罪でありながら(これはもはや動かないようですから)、結論は完全に正しかった(つまりSTAP細胞は出来ており、論文の内容自体は真であり、論証も健全で、本来掲載されるべきだった画像も出てきた)、という展開です。
この場合、どういう扱いになるのか、推移を注視したいものです。
(この場合、といっても希望は持てそうにないみたいですが)。
Re: こんばんは (STAP細胞の件) 投稿者:kotob 投稿日:2014年 3月13日(木)08時58分32秒 返信・引用
> No.3926[元記事へ]
ありがとうございます。
言論の自由ということがあるのでしたね。権限を持たない、検証に影響を与える立場ではない、そして人々を扇動して「私刑(リンチ)」的なことに走らせる危険もまずない、とすれば、意見を発表する自由の方が大事だと。
「黒である可能性が高い」の段階で「黒だ」と前提して発言するか、「それは危険だ」という方向で発言するかは、それぞれの見解であって、自由なんだ。ということになるでしょうか。
自分はどうも、冤罪とか私刑の危険性を避けるべきだという方に重みを置く傾向が強いようです。
発言の自由ということと、折り合いを付けないといけないのですね。
よく考えてみます。
> マスコミの当初の持ち上げぶりが一転意外な展開となったわけですが、
> 私としては、もう一回どんでん返しが起こって、いま小保方叩きに狂喜している人々が「ぎゃふん」となるのを見たいと思っていますが、
これ自分も思っていました。 >STAP細胞の信憑性 の方でどんでん返しが起る可能性ももう少ないのかな・・。
ともかくφ さんが小保方叩きにはしゃぐ人ではないと分かって、自分としては安心しました。
ツイッターの件で話題にしたのは東浩紀さんという人なんですが、
最近ツイートが来ないと思ったらフォローをブロックされてました。
一往復のやりとりをしただけなのですが、ブロックするというのは、敏感になっておられるのかもしれないです。
「この件での緊急公開対談を決定した」という呟きや大量のツイート・リツイートを見て「はしゃぐ」と表現しましたが、それはあくまで自分の中に作られた像にすぎず危ういものかもしれないです。なにしろツイートが来なかったので、ここ何日かの彼の姿勢はフォローできていませんし。自分の考えが早計だった可能性もなくは・・・。
(はしゃぐと書いたのはここでだけで、東さんに対しては言ってないですが。)
倫理について追記 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月12日(水)04時51分59秒 返信・引用
> No.3925[元記事へ]
kotobさんへのお返事です。
人文系と理科系の違いについてですが、
前回書いたように人文系は文章そのものが論文の本質に関わるので、
大量コピペなんてのは一発で懲戒解雇ですが、
もしかしたら
理科系では、博士論文には大量コピペは当然、なんて慣行があったりするのでしょうか。
今回は話題性の高い人だったので明るみに出ただけで、実はほとんどの人が……とか?
オリジナルの内容さえ備えていれば文章なんてど~でもよい、的理科系風土は想像できますが、
勝負所以外の背景説明はほとんどコピペ、を暗黙に許す指導教員なんて結構いるんじゃないですかね。
理系って、文系より厳密に見えて、案外倫理的にルーズですよね。内容本位、スタイル軽視というか。
理科系の人が人間原理や多世界解釈を論じていながら肝心の原典を読んでない、って事実に唖然としたことが何度もあります。
文系だったら、少なくとも中心論題については原典を読むなんて必須のことなのに。
Re: 南京事件の事実とは 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 4日(火)03時46分3秒 返信・引用
> No.3908[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
>
> 私が読んだものでは、殺したのは5~7万人程度であろう、とのことだった、
> と思います。渡部昇一氏や、桜井よしこは、その線で考えていると思います。
> なんせ、「白髪三千丈」と表現する国ですから。
>
日本の学界も含め国際的には、6週間で4万~34万人の幅に収まるようですね。
「南京」の範囲をどこまでとるかによっても違うので。
4万を下回る見積もりはトンデモの部類に入るようです。
ともあれ、松井を泣かせた大規模虐殺があったこと自体は否定しようがなく、
無責任な書物が続々出版されている恥ずかしい現状はなんとかならんものですかね・・・
Re: ドイツのリベンジの意図に見習うべき 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月 3日(月)23時25分29秒 返信・引用
> No.3906[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
> 田中宇って韓国や中国の嘘について何か知っているのかな。韓国や中国を<国際>の中に含める必要なんかないね。政治学がバタ臭いものを扱わないと、非現実的な事なかれ主義になりそう。
>
田中さかい氏は、英語のネットニュースサイト20ぐらいを秀丸エディタで、自動収集して、毎日読み込んでいる、という手法です。
ニュース・ソースは、だから主に、英語で配信されている「メイン~ローカル」ニュースです。
中韓のニュースソースには著しく弱いのではないでしょうか。
つまり、彼自身、中韓は、「国際政治」の辺境と見なしているのでしょう。
彼の注目点は、米国一国覇権から、覇権崩壊で、多極化してゆく国際情勢という目です。
9,11の米国貿易センタービル爆破は、米国情報部の自作自演だ、という見方で、
その点、彼は、自信満々と言ってもよいでしょう。
Re: 南京事件の事実とは 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月 3日(月)23時19分53秒 返信・引用
> No.3907[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
> どういうものなんですか。
>
> 南京裁判、東京裁判に共通している事実認識とはどうやらこんなものだろうと、北村稔が言ってます(『「南京事件」の探求』)。
> 1.6,7週間にわたって展開された計画的大虐殺である。
> 2.南京における残虐行為は広く世界に知られ各国で批判の声が上がった。
> 3.日本軍による放火・略奪・暴行の蔓延
> 4.死者は十万人から三十万人におよんだ
> で、このどれも事実ではない。国民党宣伝部に属していたティンパーリーというマンチェスター・ガーディアンの記者ですら、上のすべてを事実としていたわけではない。ましていわんや。
>
>
私が読んだものでは、殺したのは5~7万人程度であろう、とのことだった、
と思います。渡部昇一氏や、桜井よしこは、その線で考えていると思います。
なんせ、「白髪三千丈」と表現する国ですから。
南京事件の事実とは 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 3月 3日(月)21時27分2秒 返信・引用
どういうものなんですか。
南京裁判、東京裁判に共通している事実認識とはどうやらこんなものだろうと、北村稔が言ってます(『「南京事件」の探求』)。
1.6,7週間にわたって展開された計画的大虐殺である。
2.南京における残虐行為は広く世界に知られ各国で批判の声が上がった。
3.日本軍による放火・略奪・暴行の蔓延
4.死者は十万人から三十万人におよんだ
で、このどれも事実ではない。国民党宣伝部に属していたティンパーリーというマンチェスター・ガーディアンの記者ですら、上のすべてを事実としていたわけではない。ましていわんや。
Re: 「刑」に処されたドイツのリベンジの意図に見習うべき 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 3月 3日(月)21時17分13秒 返信・引用
> No.3905[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
田中宇って韓国や中国の嘘について何か知っているのかな。韓国や中国を<国際>の中に含める必要なんかないね。政治学がバタ臭いものを扱わないと、非現実的な事なかれ主義になりそう。
「刑」に処されたドイツのリベンジの意図に見習うべき 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月 3日(月)00時48分23秒 返信・引用
英国は、ドイツに負けないために第一次世界大戦を起こし、米国を引っぱり込んで何とかドイツに勝った。その後、ドイツがナチス政権になって再台頭を試みたので、英国は、再び米国を巻き込みつつ、ポーランドをけしかけて第二次大戦を起こし、戦後はソ連と米英がドイツを恒久分割する「刑」に処した。
ドイツは、米国の衰退に合わせて自立していこうとしているが、
日本は、米国の衰退に目もくれず、対米従属に固執している。
ドイツや日本のような敗戦国が、米国に再戦争をいどまずに大国になろうとするなら、濡れ衣であっても、東京裁判史観やホロコーストの「罪」を受け入れるしかない。語られている歴史が「事実」かどうかは、国際政治的に重要でない。戦勝国が「史実」だと言ったことが「史実」になる。それが今の国際政治だ。その点、ドイツは賢い。国家として、戦勝国が決めた「史実」をすべて受け入れ、フランスとの国家統合、つまり独仏が二度と戦争できないように統合してしまうことまでやって、再びドイツが欧州の中心で、世界の極の一つである状態へと、そろりそろりと向かっている。
ドイツ人の中には、ホロコーストなど戦勝国史観を濡れ衣と思っている者が多いようだが、民間の個人がどう考えていようが、国家として戦勝国史観を受け入れていれば、国際政治的には良い。日本が再び大国になろうとするなら、国家として、戦勝国史観を受け入れ続けるしかない。国家の要人たちが、戦勝国史観の受け入れ拒否を、いまさら蒸し返して表明しているのは、国際政治的に、愚策以外の何者でもない。
http://tanakanews.com/140227german.htm
東京裁判史観 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 3月 2日(日)23時49分19秒 返信・引用
日本人の放射能に対する過敏症も「東京裁判史観」の影響かも知れない。
悪いのは原爆じゃなくてアメリカなのに、
大江健三郎はなぜかヒロシマで「人類の罪」を描く。
https://twitter.com/ikedanob/statuses/439780840646905856
Re: 『逝きし世の面影』 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 2日(日)05時33分4秒 返信・引用
> No.3902[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
>
> つまりこれからはですね、日本が世界に向けて説教していくのです。と同時に韓国や中国の嘘を暴き、彼等に謝罪させねばならない。これから1000年かかろうとも、謝罪させねばならない。
>
> これのどこが自虐史観なんでしょうか。ついでに自虐史観の自虐がどこから出ているのか、人間心理としては興味があります。
>
世界中にリアルタイムで露呈していた大虐殺を今さら「やってません」的トンデモ言説がひしめく国は、歴史的事実の認識も出来ない愚かな国か、罪を感じない邪悪な国か、どちらかだということになります。倫理矮国ですね。
そう思われてもかまわないよという態度が靖国史観ですから、まさに自虐的じゃありませんか。
ほんとの倫理大国を目指している非靖国派の日本人にとっては迷惑な話です。
たぶん私がixtlanさんに同意できるトピックを見つけるとしたら、慰安婦ですか。
日本軍の慰安婦制度は、世界中に誤解されている残念な事例ですね。
慰安婦は決して「性奴隷」ではなく、高給の保証された風俗産業であったことが理解されていない。
強制連行を証言している朝鮮人元慰安婦らは、悪気はないのでしょうが、おそらく、民間業者の虚言甘言による詐欺や、親に売られたトラウマを、日本軍や官憲の仕業であると過誤記憶を形成しているものと思われます。
とくに、慰安婦を軍が虐待するということは、兵士の効率的な慰安のためには逆効果で、ありえないと考えられます。感情労働には笑顔が必要ですし。慰安婦は一種の兵器なのだからそれなりに大切に扱われたはずです。
「大日本帝国は女性を20万人以上誘拐した」という文言を彫った石碑がアメリカにいくつも建っている現状が何故生じたかというと、
南京大虐殺のような明白な事実を否定する日本人が多いからです。日本人の否定はもはや信用されないのです。
性奴隷20万人誘拐も、弾劾する人々の大多数は、プロパガンダで言ってるのではなく、本当に誠実に信じ込んでいるのですね。
信じていないけど利用するやつらも出てくるわけで。
自らの非を認めない者は、信用を失うがゆえに限りなく濡れ衣を着せられ、政治的な武器を敵に与えることになるわけですね。(「敵」という言い方はメタファーです)
『逝きし世の面影』 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 3月 2日(日)01時12分46秒 返信・引用
> No.3901[元記事へ]
φさんへのお返事です。
私の見方のルーツは『逝きし世の面影』の日本でして、一言で言えば、「世界に冠たる倫理大国」ということです。
明治維新の富国強兵によって、この<倫理>に<力>が追いついた。そして、大東亜共栄圏という生き方を見いだした。
というような政治的社会的な話が、個人倫理と社会倫理に分断し、また幸福と善に分断した倫理意識に対して、一種の理想像をぶったてる、という近未来の姿を見ています。
それに関して邪魔なのが、韓国、中国のプロパガンダとアメリカへの属国主義です。
つまりこれからはですね、日本が世界に向けて説教していくのです。と同時に韓国や中国の嘘を暴き、彼等に謝罪させねばならない。これから1000年かかろうとも、謝罪させねばならない。
<それでようやっと、なにか全体的にすっきりするのです。>
これのどこが自虐史観なんでしょうか。ついでに自虐史観の自虐がどこから出ているのか、人間心理としては興味があります。
Re: 「人間の尊厳」を賭けた「権利の闘争」 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 1日(土)21時19分21秒 返信・引用
> No.3898[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
>
> 6,7は公然のこととして、5の共産党の謀略という可能性はもっと調べられてしかるべきでしょう。
> 「無目的」というのは、日本もわけがわからなかったということでしょうが、
> その裏で共産党がほくそえんでいたのです。これはルーズベルトの背後にいたという
> コミンテルンとも符号します。都市伝説でしょうか。
>
ixtlanさんのその見方って、究極の自虐史観じゃないでしょうか?
つまり日本という国は――
国益も目的も自覚できぬまま、周囲に押し流されて、
アメリカやコミンテルンの謀略に乗せられて分不相応の戦争に後先考えず突っ走り、
日清戦争後に得た権益をすべて失った愚かな国、
であると。
女性誌やギャル友やチャラ男の甘言に煽られて、安易にやらせまくって、いざ本命と出会ったとき高スペック男の本音は処女厨だと知って愕然とするDQN女みたいなもんですか・・・
国益に反するとうすうすわかってた無目的な侵略を、あっちやこっちに操られてなんとなく続けてしまった……
史上最もトホホな戦争ですね、日中戦争は。
南京大虐殺や重慶爆撃の「邪悪さ」よりも「愚かさ」を反省すべきであるというのがixtlanさんの大東亜戦争観である、ということになりますか……
……しかし長い目で見ると、悪より愚の方が周囲に迷惑なんですよね。
日本がそういう国であるとは、
究極の自虐史観たるゆえんです。
Re: 「人間の尊厳」を賭けた「権利の闘争」 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 3月 1日(土)17時48分1秒 返信・引用
> No.3898[元記事へ]
2,3は書き換えます。
2.ルーズベルトの無知(中国に関する)の可能性と中国びいきという偶然性=ルーズベルトの私的戦争。もしくはルーズベルトの裏にいたコミンテルンの謀略
3.アメリカ(というかルーズベルト)が仕掛けた証拠(爆撃機部隊の存在、真珠湾から最新鋭艦を遠ざけたこと)
Re: 「人間の尊厳」を賭けた「権利の闘争」 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 3月 1日(土)17時43分35秒 返信・引用
> No.3897[元記事へ]
> いじめ抜いてと言ったって、宣戦布告なき無法な中国侵略をやめさせようとしただけですよね。
> 国際法上の「戦争」にすらなってない漫然たる無目的侵略を。
> 日本軍が中国から撤退しさえすればよかった。
日中戦争と太平洋戦争のごっちゃになりますが、考えるべきこととして。
1.植民地が必ずしも悪でなかった時代についての配慮(なぜアメリカはフィリピンにいたのか。あるいは遅れて中国に来て、分け前を要求している)
2.ルーズベルトの無知(中国に関する)の可能性と中国びいきという偶然性
3.アメリアが仕掛けた証拠(爆撃機部隊の存在、真珠湾から最新鋭艦を遠ざけたこと)=つまりルーズベルトの私的戦争の可能性⇒(コミンテルンの謀略)
4.中国の内部事情に対する配慮(軍事顧問の派遣、内戦状態)
5.中国共産党の謀略によって、中国大陸の内部へ引き込まれた可能性。
6.国家のプライドを賭けて(人種差別への抵抗)。
7.大東亜共栄圏という最終目的
6,7は公然のこととして、5の共産党の謀略という可能性はもっと調べられてしかるべきでしょう。「無目的」というのは、日本もわけがわからなかったということでしょうが、その裏で共産党がほくそえんでいたのです。これはルーズベルトの背後にいたというコミンテルンとも符号します。都市伝説でしょうか。
Re: 「人間の尊厳」を賭けた「権利の闘争」 投稿者:φ 投稿日:2014年 3月 1日(土)03時34分25秒 返信・引用
> No.3896[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
>
> 日本を苛め抜いて、経済封鎖して、日本国側から、戦争を仕掛けて来るように仕向けたのが、米国の工作である、という見方が、出て来ていますね。
> 米国は、真珠湾も、わざと手薄にしていたのです。
>
いじめ抜いてと言ったって、宣戦布告なき無法な中国侵略をやめさせようとしただけですよね。
国際法上の「戦争」にすらなってない漫然たる無目的侵略を。
日本軍が中国から撤退しさえすればよかった。
簡単なことでした。国境を越えて中国軍が攻めてくるなんてありえない状況でしたから。
無意味な殺戮をやめることが、即ち「負けた」ことになるという論理で、アメリカの正論に耳を傾けなかった日本が百%悪いですね。
WW2においてはアメリカに落ち度はまったくありませんでした。
ちなみに、「ヨーロッパに参戦したかったルーズベルトが、日本を挑発して裏口から参戦を狙った」というのはトンデモ都市伝説です。
まず、米の狙いどおり日本が攻撃してきても、三国同盟には独伊の参戦の義務はない。ヒトラー・ムッソリーニが真珠湾直後に対米宣戦布告したのはルーズベルトの予想外でした。(ドイツからの脅し同然の要求にもかかわらず独ソ戦を静観した日本ですから、まさかヒトラーがああいう形で連帯を示すとは・・・)
そんな不確かな賭けのために対日戦を望む大統領なんていません。
日本との戦争が始まっても、当時のアメリカ世論は、ヨーロッパへの参戦に同意しませんしね。
ハイになったヒトラーが宣戦してくれたから運良くルーズベルトは対独参戦できたってだけの結果論です。
当時のアメリカは今と違って議会が反対したら大統領といえども戦争できませんから、日本は真珠湾攻撃なんて必要ありませんでした。
まっすぐマレーとインドネシアに向かえばよかったのです。
英仏蘭の植民地を防衛するためにアメリカ軍が動くことなんて絶対ありえなかったのに、疑心暗鬼の日本が念のためにアメリカ艦隊を叩いた、というアホな顛末が対米開戦。
アメリカを蚊帳の外に置いとけば、枢軸国はもっと善戦できたでしょうに。
支那派遣軍をすべてソ連へ投入してヒトラーを援護すれば、ソ連が崩壊してイギリスも講和に応じた可能性大だし。
アメリカは物資は送っても一兵も出さずに終わったでしょう。
調子に乗って戦争始めるならちゃんと勝ってくださいよ。
バラバラで団結力皆無の中国をすら瞬殺できなかった日本軍の非を棚に上げて、後から文句言ってる似非靖国史観ってホントみっともないと思います。
30年代のうちに瞬殺できなかったがゆえに原爆も東京裁判もついてきたわけで。
(……蒋介石軍を瞬殺したとて、では一体日本はどうしたかったのか、目的は依然不明ですが)
>
> 大都市である広島、長崎に、平気で、原子爆弾を落す、というのは、どういう神経でしょうか?
> 渡部昇一氏は、そこには、根強い人種差別意識があったに違いない、と述べています。
> 相手がドイツであったら、このような無差別大量殺人兵器をドイツに落すことはしない、
> そういう発想すら持たないだろう、ということです。
>
ドレスデン爆撃は、攻撃側の気持ちとしてはヒロシマ・ナガサキより酷いですよ。
執拗に機銃掃射なんかで難民を狙い撃ちしてますし。
とにかく殺すための空襲。
人種差別というのはred herringでしょう。
米英による戦後の捕虜の扱いや民間人への仕打ちも、日本よりドイツに対しての方がひどいんですよね。ドイツ軍捕虜の戦後死亡率は日本兵シベリア抑留の比じゃないようですね。
人種差別より、白人どうしの同族憎悪の方が酷い形で表れるんじゃないですかね、戦争下においては。
「人間の尊厳」を賭けた「権利の闘争」 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 2月28日(金)22時18分26秒 返信・引用
> No.3894[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> Hatrickさんへのお返事です。
>
> 日本の中国侵略にはやはり目的はなかったということですね。原因だけがあった。
> 宣戦布告が対米英戦争勃発後になるというお粗末さでしたね。
> そのために日本人だけで二百万人以上が死傷している(中国人は約十倍)。本当に愚かな戦争でした。英霊どころか犬死にもいいところです。
>
日本を苛め抜いて、経済封鎖して、日本国側から、戦争を仕掛けて来るように仕向けたのが、米国の工作である、という見方が、出て来ていますね。
米国は、真珠湾も、わざと手薄にしていたのです。
色々と、米国の裏工作が、インテリジェンス情報として、出て来ています。
「日本は、米国にはめられて、戦争へと突っ走ったのだ」
という感想を持つのは、ある意味、健全ではないでしょうかね。
そのような健全な感性があれば、
カンタンに米国の肩を持つことはできなくなるでしょう。
大都市である広島、長崎に、平気で、原子爆弾を落す、というのは、どういう神経でしょうか?
渡部昇一氏は、そこには、根強い人種差別意識があったに違いない、と述べています。
相手がドイツであったら、このような無差別大量殺人兵器をドイツに落すことはしない、
そういう発想すら持たないだろう、ということです。
日本人は、ドイツにおけるユダヤ人同様、妖怪のように、化け物のように、
醜悪な戯画化され、そのような生物であると、みなされていたのでしょう。
愚かな軍部を持つ日本。
それゆえ、カンタンに、挑発して手を先に出させることに成功した米国。
ジャイアンにスネオが、いじめられ、スネオは、ジャイアンに、
捨て身でぶつかって行って「待ってました」とばかりに、ノックアウトされた、
というような話です。
しかし、ジャイアンは、スネオをみくびり過ぎていました。
そのあまりに必死な抵抗のゆえに、
何人も、カンタンには、奴隷化も、ノックアウトもできない、と知るのです。
そうして、亜細亜諸国が、続々と、植民地化から脱して独立して行ったのです。
「人種差別に対して、徹底的に戦う」という「人間の尊厳」を賭けた「権利の闘争」は、
決して無益ではありませんし、それが、強い相手に対して無謀であったとしても、
愚かなだけではありません。
アニメ「天元突破グレンラガン」風に言えば、
それこそが、人間の根源にある、人を進化・深化させる「螺旋力」の「押さえ難い愚連(紅蓮)隊的な無謀パワー」なのだ、
ということになります。
Re: 洗脳が解けはじめた日本 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月28日(金)21時13分47秒 返信・引用
> No.3893[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
> > そういう「場所違い」をいっぱい集めれば、原爆投下をはじめ、真珠湾攻撃もガダルカナル戦も沖縄戦もすべて捏造だったとして否定することができます。
>
> そういう話は、攻撃者、死者、負傷者、目撃者など、多数の証言があり、写真は付加でしかないです。しかし南京大虐殺は証言自体があやふやという状況で、決定的証拠として写真が出されてきたものです。それが1枚も信用できるものがなかった、ということはやはりおかしいのですよ。比較もおかしいです。、
>
南京戦終了後しばらく、日本軍が外国人ジャーナリストを閉め出していましたから、写真はあまり残っていませんね。
しかし、Hatrickさんへの返答に述べたように、
南京大虐殺も、目撃・告白・報告が多いことは真珠湾や沖縄戦と同じであり、僻地のガダルカナル戦などに比べればはるかに豊富です。
日本軍が戦闘終了直後は組織的に、平穏回復後も非組織的に大量の市民を殺したことは、残念ながら事実です。
あと、「1枚もない」についてですが、あの著者は有名なトンデモですからよく調べた方がいいですよ。
Re: 洗脳が解けはじめた日本 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月28日(金)20時59分20秒 返信・引用
> No.3891[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
日本の中国侵略にはやはり目的はなかったということですね。原因だけがあった。
宣戦布告が対米英戦争勃発後になるというお粗末さでしたね。
そのために日本人だけで二百万人以上が死傷している(中国人は約十倍)。本当に愚かな戦争でした。英霊どころか犬死にもいいところです。
> ・・・・・・・・・・
> 「南京大虐殺」については、まず、南京に住んでいた住民の人数の正確な把握が必要です。
> そもそも、30万人も住んでいなかったでしょう。
>
その数字の出典はどこでしょうか?
戦前の広島の人口が約50万ですが、南京はその半分も住んでいなかったと?
面積は広島の7倍以上あるのに?
内戦終了時(49年)の南京の人口は250万以上でしたが、37年から10倍にもなったんですか?
いずれにしても、南京大虐殺で言われる殺害数は、南京市と、事態が連動していた周辺地域の被害を合わせるのが普通です。
>
> また、証言にもありますが、一般市民と、兵隊では、制服で見分けをしますが、南京にいた中国の兵隊は、一般市民に変装して、助けを乞うふりをして、いきなり日本兵に銃撃をして来た、ということですから、
> そのようにされると、一般市民と区別しながら戦うことは不可能になるのは、仕方がないでしょう。
> そもそも、いたるところで、戦争での死人が出ているわけですから、ここだけが、異様にクローズアップされることは、不自然極まりないですね。
>
日本軍が恥を知るべきなのは、戦闘が終わって平穏が回復して以降何週間何ヶ月にもわたって、殺人・略奪・強姦が収まらなかったことです。
(ただし松井石根はこれに泣いて怒ったのであって、軍としてむやみな虐殺を命令したわけでないことは私も承知しています)
何十年も経ってから告発がなされ始めた(したがって検証を要する)慰安婦問題と違って、
南京大虐殺は日本人・外国人問わず現場の目撃者・証言者・告白者・報告者があまりに多く、リアルタイムで世界中に報道されていましたから、今さら否定しようというのはナンセンスです。
(ixtlanさんと違ってHatrickさんは、虐殺の有無ではなく人数が問題なのだと理解されてはいるようですが……)
慰安婦と違って、南京大虐殺の認定は、サンフランシスコ講和条約で日本政府も公式に了解済みですしね。
ほとぼりが冷めたからって「あれやっぱ俺らやってねぇ」は卑怯ですよ。
で、靖国についてですが、
>
> 三浦教授は、A級戦犯は、「分祀」というか、「分離して、祀るな」という派でしょうか?
> 日本も、「国営の戦没者墓地」を専用に、別に建立すべきだというお考えでしょうか?
>
実は、あまり興味がないのです。
今のままでも別にいいかも。
靖国神社が今のままでも、あそこへの政治家の関わり方が改まりさえすれば解決すると思うので。
ドイツ首相が執務室にヒトラーの肖像を飾っていたら、ポーランド人やオランダ人に限らず日本人だって大声あげたくなるでしょ。
Re: 洗脳が解けはじめた日本 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 2月28日(金)20時55分1秒 返信・引用
> No.3890[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> そういう「場所違い」をいっぱい集めれば、原爆投下をはじめ、真珠湾攻撃もガダルカナル戦も沖縄戦もすべて捏造だったとして否定することができます。
そういう話は、攻撃者、死者、負傷者、目撃者など、多数の証言があり、写真は付加でしかないです。しかし南京大虐殺は証言自体があやふやという状況で、決定的証拠として写真が出されてきたものです。それが1枚も信用できるものがなかった、ということはやはりおかしいのですよ。比較もおかしいです。、
> ↑「複雑な事情」? 政治家語法ですか?
> 具体的な目的はなかったということですね。
まあ少なくとも、日本は中国を侵略するために派兵した、というのはポンポコリンでしょう。
世の中そんなに単純ではないと思いますよ。
Re: 教授の視座 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 2月28日(金)13時26分43秒 返信・引用
> No.3888[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> ★ドイツでは現在でもドイツ人自身の手で戦犯の公的追及・処罰を続けているのに、日本人って何で国を挙げて敗戦責任者を責めないの? 特攻なんて超非人道的なことさせられたんだよ? 国民に被害をもたらした政治家を犠牲者といっしょに祀るってどうなの?
>
> ★政治家による靖国参拝も、それで国益がプラスになればまだしも、いいことひとつもないのに何故やるかな。ローカルな価値観をグローバル化しようったって無理に決まってるでしょ。
>
「国民に被害をもたらした政治家を犠牲者といっしょに祀るってどうなの?」
と言われても、
靖国神社が、いわば、勝手にやったことです。単なる1宗教法人ですから。
もちろん、内々には、中曽根さんが同意していた可能性はありますが・・・。
そのような「合祀」を、政治的圧力をかけて、単なる1宗教法人に「分祀」させるか。
しかし、「A級戦犯」の線引きが絶対正しいのか、誰を更に含めるべきか、誰をそこから除外すべきか、等々、本来、戦犯追求ということなら、それをやらねばなりません。
しかし、日本の場合、マスコミ全体が、戦争万歳のようになって行ったので、マスコミとしても、自信満々には、それをやれませんね。
三浦教授は、A級戦犯は、「分祀」というか、「分離して、祀るな」という派でしょうか?
日本も、「国営の戦没者墓地」を専用に、別に建立すべきだというお考えでしょうか?
Re: 洗脳が解けはじめた日本 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 2月28日(金)13時15分8秒 返信・引用
> No.3890[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> 日本人ってホント自国の政治家に甘いんだなあ。
「日本陸軍と内蒙古工作」森久男著 「十五年戦争を生んだ現場主義」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51887613.html
「しかし日本軍の中国侵略が何を目的にして行なわれたのかは、いまだにはっきりしない。これまでの歴史学の主流では、陸軍の一貫した膨張主義によって「15年戦争」が計画的に行なわれたことになっているが、本書は一次史料にもとづいてこれを否定する。この15年間(実際は14年)、陸軍に一貫した方針はなかった。軍の首脳部は、中国に戦線を拡大することには反対していた。
15年戦争の発端になったのは1931年の満州事変だが、その本来の目的は来るべき対ソ戦にそなえることだった。これを主導した石原莞爾も、それを追認した永田鉄山も、華北に戦線を広げる意図はなかった。しかし(当時の満州を支配していた軍閥)張学良の無抵抗策によって満州が意外に簡単に占領できたため、関東軍は内蒙古へ戦線を拡大した。」
(・・・)
「このように陸軍の意思決定は、現場の「力のある中間管理職」が起案し、それが組織内の「空気」になってから上層部が追認する下克上で行なわれた。今でも霞ヶ関では、法案は課長補佐が起案して課長が調整し、局長が政治家と交渉する。しかも関東軍の参謀総長は、石原のかつての上司である板垣征四郎だった。これは役所の天下り先に先輩がいるために切れないのとよく似ている。
関東軍の南進は、全体の指導者も一貫した戦略もなく、なし崩しに行なわれた。それは外交方針が迷走しながら、強硬派に重心が移っていったのと似ている。」
「官僚制としての日本陸軍」北岡伸一著 弱い政府と強い軍
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51883025.html
「日本のpoint of no returnがどこだったか」
については諸説あるが、1940年の三国同盟だったという見方が多い。それは必然ではなく、近衛首相も軍の主流も日米交渉を継続しようとした。しかし松岡を中心とする外務省の「革新派」が、武藤章を中心とする陸軍の強硬派と連携して同盟を結んだのだ。
軍は日米戦争に勝てないことは知っていたが、武藤は日独伊ソでアメリカを「包囲」して戦争を回避しようとした。この「勝手読み」の戦略は、その直後の独ソ戦であっけなく崩壊したが、もう後戻りできなかった。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51884043.html
明治憲法が内包するバグ(←私も同意見。ずっと昔からHPなどで言っています。)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51882708.html
昭和陸軍の軌跡
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51810975.html
・・・・・・・・・・
「南京大虐殺」については、まず、南京に住んでいた住民の人数の正確な把握が必要です。
そもそも、30万人も住んでいなかったでしょう。
また、証言にもありますが、一般市民と、兵隊では、制服で見分けをしますが、南京にいた中国の兵隊は、一般市民に変装して、助けを乞うふりをして、いきなり日本兵に銃撃をして来た、ということですから、そのようにされると、一般市民と区別しながら戦うことは不可能になるのは、仕方がないでしょう。
そもそも、いたるところで、戦争での死人が出ているわけですから、ここだけが、異様にクローズアップされることは、不自然極まりないですね。
いいかげん、プロパガンダと、そうでないものの、「区別をできるだけしようと努める目」を持ちましょうよ。
Re: 洗脳が解けはじめた日本 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月28日(金)04時49分7秒 返信・引用
> No.3889[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
>
> 『南京事件の総括』(田中正明)には、虐殺否定の15の論拠が書いてあります。
>
> また、『南京事件証拠写真を検証する』では、証拠写真たりえるものは1枚もなかったとされています。
>
写真や映像はずさんな流用は多いですからね。
WW2のドキュメンタリーやノンフィクションには、複数の戦場のシーンとして同じ映像が使い回されることはざらです。
すでに戦時中のニュース映画がそういうのばかりでしたし。
ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の映像と称して、ビキニ水爆実験のキノコ雲が使われたり、被爆直後の広島として、東京大空襲の被災者の写真が使われたり。(←←映画『日本のいちばん長い日』冒頭の解説部とかこれです)
そういう「場所違い」をいっぱい集めれば、原爆投下をはじめ、真珠湾攻撃もガダルカナル戦も沖縄戦もすべて捏造だったとして否定することができます。
>
> 1.延安 - ソ連
> 2.重慶 - 英米
> 3.南京 - 日本
>
> という具合に、内戦+諸外国の対立という複雑な事情のもとにあって、
> たんに日本は中国を侵略していた、などというのはホラ
>
↑「複雑な事情」? 政治家語法ですか?
具体的な目的はなかったということですね。
ナチス・ドイツですら、オーストリア・チェコ・ポーランドと一歩一歩すすめるたびに、一応明確な「目的」を国民に説明したものですけどねえ・・・
日本人ってホント自国の政治家に甘いんだなあ。
Re: 洗脳が解けはじめた日本 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 2月27日(木)21時26分6秒 返信・引用
> No.3887[元記事へ]
φさんへのお返事です。
南京事件について
『南京事件の総括』(田中正明)には、虐殺否定の15の論拠が書いてあります。
また、『南京事件証拠写真を検証する』では、証拠写真たりえるものは1枚もなかったとされています。
> ところで、気が向いたらでいいですが、ixtlanにお答えいただきたいのですが、
> 日本は、何のために中国の内陸まで戦火を広げたのですか?
> 国境をはるかに越えた南京戦や重慶爆撃の目的は何ですか?
新アジア秩序です。
これらの戦いは、
1.延安 - ソ連
2.重慶 - 英米
3.南京 - 日本
という具合に、内戦+諸外国の対立という複雑な事情のもとにあって、たんに日本は中国を侵略していた、などというのはホラです。しかしなんというか、ホラというよりホラーになっているのではないですか。実際、知れば知るほど中国というのはしょうもない恐ろしい国です。
Re: なぜ、教授の視座が固定化されているのか? 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月27日(木)03時10分43秒 返信・引用
> No.3886[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
まあ、私の立場は次のようなものと言えますかね・・・・・・
★戦争に負けたのだから、連合国の決めたことには従おうよ。ドイツみたいに潔く。
講和条約で国際復帰させてもらった対価ですよ、東京裁判の判決を呑むのは。契約したんだから仕方ない。
★ドイツでは現在でもドイツ人自身の手で戦犯の公的追及・処罰を続けているのに、日本人って何で国を挙げて敗戦責任者を責めないの? 特攻なんて超非人道的なことさせられたんだよ? 国民に被害をもたらした政治家を犠牲者といっしょに祀るってどうなの?
★政治家による靖国参拝も、それで国益がプラスになればまだしも、いいことひとつもないのに何故やるかな。ローカルな価値観をグローバル化しようったって無理に決まってるでしょ。
>
> ヨーロッパで産業革命が起きたのは、軍事的兵器革命との関連が強いとされます。
> 軍事的に強い人種が、弱い人種を奴隷にできる、それで良いとでも?
>
いまは社会ダーウィニズムっぽい価値観がのさばる余地なんて全くないので、↑の問いはあまり意味がないのでは……
>
> また、日本の湖で、外国種の生存力が強いブラックバスばかりになっても良い、という、
> それこそが、進化だというようなご見解なのでしょうか。
>
種の保存はナンセンスだと思ってます。外来種を嫌うあまり混血ザルの殺処分とか、やめてほしいですね。
ブラックバスばかりになるというのは不可能なので、放置しといていいんじゃないでしょうか。生物は勝手に多様化したり絶滅したりするので。
>
> DNAから、復活させることができたら、それには、賛成ですか?
>
恐竜その他、絶滅した生物を復活させるのは大賛成です。
科学技術で出来ることは一応何でもやってみるべきだと思います。明らかに破滅的な結果が予想されることを除いてですが。
Re: 洗脳が解けはじめた日本 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月27日(木)02時51分31秒 返信・引用
> No.3885[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
従軍慰安婦は存在しなかったこと、軍による強制連行はなかったこと(ただし民間業者による詐欺的勧誘は多くそれが元慰安婦に「日本軍・官憲による拉致」のように記憶されているのであろうこと)、等については私もその通りだろうと思います。
韓国が、もと慰安婦の証言の検証に反対しているのは問題ですよね。真実は検証しなきゃわからない。
でも、南京大虐殺を否定するのはさすがに無理でしょうねえ。当時の報道・記録が多すぎる。
あれを否定すると、国際社会で相手にされなくなります。慰安婦も拉致したんだろうと言われてしまう。
松井石根が潔白であるというのは正しいかもしれないと思います。
だからこそ、松井が現地日本軍の蛮行に泣いて怒った、という事実も重く見るべきでしょう。
日本人が南京の罪を認めないでいると、慰安婦の強制連行はなかったという(たぶん正しい)言い分も含めて、日本人の歴史認識そのものが信用されなくなります。
認めるべきことは認める、拒むべきことは拒む、とすべきでしょう。
ところで、気が向いたらでいいですが、ixtlanにお答えいただきたいのですが、
日本は、何のために中国の内陸まで戦火を広げたのですか?
国境をはるかに越えた南京戦や重慶爆撃の目的は何ですか?
なぜ、教授の視座が固定化されているのか? 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 2月26日(水)22時40分16秒 返信・引用
私は、靖国史観とか、そういう話で、喧々諤々とやるつもりは毛頭ないのですが、
三浦教授にしては、「靖国問題に関する視座の固定化」に違和感を覚えますね。
もっと、自由に、多角的に思考なさるお人かと思っていましたが・・・・。
西洋かぶれ、なのでしょうか。
たとえば、宇宙人が、「生物多様性の保護」という見地から、地球をながめていたら、
どのような見解になるか?
たとえば、宇宙人が、「文化遺産と文化保護」の見地から、地球人をながめていたら、
どのような見解になるか?
日本は、鎖国的な状況で、江戸時代200年以上の独自文化を育んできました。
諸外国列強が、植民地拡大のため、経済圏の拡大のため、他国の文化と人民を侵略しました。
そういう侵略行為がなければ、たとえば、その時点で、世界統一政府と世界統一軍があって、他国・他文化への侵略が禁止だったとしたら、
江戸文化は、今、別の形で、もっと豊かに花咲いていたかもしれません。
ヨーロッパで産業革命が起きたのは、軍事的兵器革命との関連が強いとされます。
軍事的に強い人種が、弱い人種を奴隷にできる、それで良いとでも?
また、日本の湖で、外国種の生存力が強いブラックバスばかりになっても良い、という、
それこそが、進化だというようなご見解なのでしょうか。
恐竜やマンモスが、非効率的な生物だったとしても、それが生存してはいけない、という法はないでしょう。
DNAから、復活させることができたら、それには、賛成ですか?
http://www.hannya.net/index.htm
洗脳が解けはじめた日本 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 2月26日(水)20時47分13秒 返信・引用
> No.3884[元記事へ]
φさんへのお返事です。
三浦さんも洗脳にかかってますなぁ。
まず、このあたりは韓国や中国が普通の国ではないこと、韓国人や中国人が我々の目から見てまともではないことを知らねばなりません。
それから東京裁判がインチキだということを世界の人たちと学ぶ必要があります。
GHQが日本を骨抜きにした。
我々は敗戦国にしては結構良い状況にありますが、その代償は、洗脳です。
ほとんどの日本人が韓国、中国、アメリカの洗脳にひっかかってしまった
ありもしない従軍慰安婦、南京大虐殺を信じ込み、東京裁判の茶番も受け入れ、原爆が落とされても、二度と戦争はしない、などと思うばかりで。
松井石根大将は、冤罪で殺されました。このままにしておけば、冤罪の片棒を永遠にかつぐことになります。
これからは、日本が韓国と中国とアメリカに対して、過去の過ちを認めさせる番なのです。
Re: 東京裁判と靖国史観について 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月26日(水)04時51分49秒 返信・引用
> No.3883[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
>
> それは「服従」という語のメタファー的拡大誤謬推理というか。三浦氏は確かメタファー的誤謬と言ってたかな。服従するからといって、嘘八百で見られるならば、死者に対する冒涜です。
>
実際に殺された人たちを殺してないことにする嘘の方が冒涜度は高いと思いますが……
>
> 南京大虐殺は、大嘘の可能性があります。ビッグバンと同じく仮説です。
>
ビッグバンと同じ程度の仮説、というのには私も同意します。
つまり、ほぼ間違いなく真なる仮説ですね。
>
> あの戦争で死んでいった人間は、未来が少なくもよくなると信じて死んでいったのだと思いたい。現在、よくなっているように見えるので、彼等の死は無駄ではなかった。靖国はそういう彼等の故郷のようなものとすればいい。
>
日本が負けた場合は良くなるなどと信じていなかったでしょう。
私は大日本帝国を全面否定する者ですが、
大日本帝国がもし勝っていれば、私もその価値観を肯定します。
戦争を仕掛けるとはそういうことだったはずです。
敗れたからには、戦勝国の方針(東京裁判判決など、戦中と戦後まもなく決められた事柄に限る。十何年以上経ってからのことは除きます)に従うのは当然でしょう。ベルサイユ条約のような理不尽が押しつけられたわけでもなし。
サンフランシスコ講話条約で、日本は、東京裁判その他の戦犯法廷の結論を正式に完全に受け入れました。
それで国際復帰を認められたのだから、いまさら「やっぱ認めない」というのは卑怯ですよね。
国民個々人が私人として言うのは言論の自由でかまいませんが、
政治家が靖国のA級戦犯を拝むのはサンフランシスコ講話条約違反ですね。
Re: 東京裁判と靖国史観について 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 2月25日(火)22時52分6秒 返信・引用
> No.3881[元記事へ]
> ポツダム宣言を受け入れて連合国に政治的白紙委任をしておきながら、「東京裁判は間違い」なんて論理が理解できませんねぇ・・・
我々にはつよ~い味方がいるのです。
それは『世界が語る大東亜戦争と東京裁判』に出てます。
> 無条件降伏して、連日の空襲を止めてもらったのだから、それなりの服従は義務。それを今さら拒むのは、潔くないというものでしょう。みっともないです。
それは「服従」という語のメタファー的拡大誤謬推理というか。三浦氏は確かメタファー的誤謬と言ってたかな。服従するからといって、嘘八百で見られるならば、死者に対する冒涜です。
南京大虐殺は、大嘘の可能性があります。ビッグバンと同じく仮説です。
> 負けても国が滅びなかったどころか、自らの手で敗戦責任者を裁こうともしない日本人。戦争とはそんな軽いものだったのかと、英霊たちは怒ってるんじゃないでしょうか。
天皇はどうでもよかった、としたいですね。つまり、自分の死より天皇の方が重たいなんてことにはしたくない。天皇がどうなろうと知ったことではない。とみんな思っていたとしたい。
あの戦争で死んでいった人間は、未来が少なくもよくなると信じて死んでいったのだと思いたい。現在、よくなっているように見えるので、彼等の死は無駄ではなかった。靖国はそういう彼等の故郷のようなものとすればいい。
Re: 東京裁判と靖国史観について 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月24日(月)01時14分45秒 返信・引用
> No.3880[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
>
> 「負けたら死あるのみ」と思って戦ったが、「殺されず生き延びた」というとき、
> 「おれ(たち)を殺さなかったのは失策だったな、リベンジだ」と、再度、戦争をしかけたり、原爆を落とし返そうとすることは、「潔くない」ことでしょうか?
> 論理的にも筋が通りませんでしょうか?
>
ベルサイユ条約にリベンジしたドイツがそれに当たりますね。
ベルサイユ条約は明らかに不当でしたからね。ドイツは過剰な罰を受け続けたし、そもそも第一次大戦は別にドイツが一方的に仕掛けたわけではない。対称的な帝国主義戦争ですからね。
対して、日本がポツダム宣言受諾にリベンジするとしたら論外ですよね。
だいたい日中戦争そのものが戦争目的不明のナンセンスな侵略ですから。
何のためにはるばる重慶の住宅地まで爆撃し続けたですかね? 南京戦や重慶爆撃がなぜ必要だったのか、誰も明確に語った人はいません。
ベトナム戦争のアメリカよりはるかに愚かでした。
>
> つまり、負けたとき、「殺されずに生き延びた」ときに、
> 「永遠に我々の奴隷として生きろ」と命じられたなら、それに従う義務が永遠に発生する、とでも言うのでしょうか?
> 法的には、それは否定されますね。人道的見地から、そして、公序良俗に反しますから、その契約は、無効です。
>
まあ、連合国は幸いにも日本人を奴隷化しませんでしたから。
現在日本人が奴隷化されているというならリベンジする意味もあるでしょうが、
国際貿易への復帰を認めてもらって、文化面その他でそれなりに尊敬される国にまで復興できているのだから、感謝すべきでは?
朝鮮半島みたいに同胞が分断される憂き目に遭わずに済んだし。
政治家が靖国神社参拝なんて、最低限の反省というか、国際的自意識が欠けているとしか言いようがありませんね……
Re: 東京裁判と靖国史観について 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月24日(月)00時52分17秒 返信・引用
> No.3879[元記事へ]
ixtlanさんへのお返事です。
>
> それはないです。戦った人間を侮辱することになります、南京大虐殺などは。
>
南京大虐殺はたしかに軍の命令で組織的に行なわれたことではないのでホロコーストとは全然違いますよね。
しかし、個々の兵士が不必要な暴行を働いたことは事実ですしね。リアルタイムで世界中に報道されていたあの大殺戮をいまだに疑っているのは、当時情報遮断されていた日本人だけです。
事実を認めることは、ならず者化しなかった兵士にとっては侮辱に感じられるかもしれませんが、
被害者へのそれ以上の侮辱になりますからねぇ。事実を否定することは。
>
> それと東京裁判は茶番なので、ちゃらにします。
>
敗戦というのは、そんな甘いものではないでしょう。
ポツダム宣言を受け入れて連合国に政治的白紙委任をしておきながら、「東京裁判は間違い」なんて論理が理解できませんねぇ・・・
無条件降伏して、連日の空襲を止めてもらったのだから、それなりの服従は義務。それを今さら拒むのは、潔くないというものでしょう。みっともないです。
負けても国が滅びなかったどころか、自らの手で敗戦責任者を裁こうともしない日本人。戦争とはそんな軽いものだったのかと、英霊たちは怒ってるんじゃないでしょうか。
Re: 東京裁判と靖国史観について 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 2月24日(月)00時48分38秒 返信・引用
> No.3878[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> というわけで、「靖国史観を信じる」→「戦争で負けたら何もかも終わりと信じる」
> が成り立ちます。
> 何もかも終わったのだから、敗戦後は、連合国の言うなりでかまわないはずです。敗戦というのはそれほどの恥辱であるはずです。
>
> というわけで、負けた以上、東京裁判だろうが南京大虐殺紀念館だろうが、勝者の言い分をすべて受け入れなければ筋が通りません。
>
> 本当の靖国史観論者は、勝敗の論理を信じていたのだから、
> いさぎよく、東京裁判の判決を受け入れるはずです。
>
違和感を覚えます。
「負ければ死あるのみ、恥辱を受けるまえに自決せよ」とか、
そういうのは、政府によるプロパガンダであって、北朝鮮の放送みたいなものですね。
「鬼畜米英」を、政府が国民洗脳のプロパガンダとして使用したという線もあるでしょう。
この言葉は、いつから使用されていたのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういうことを調べる上で、一番確かな資料は『新聞集成 昭和編年史』であるが、残念ながら私の手元にはない。この雪深い真冬に、大学の図書館まで調べにゆくのも億劫だ。そんな横着な気持ちで、差し当たり『復刻版 新聞 太平洋戦争』(読売新聞社、昭和45年)をめくってみたが、私の思い込みは必ずしも見当ちがいではなかったらしい。(なお、『読売新聞』は昭和17年8月、『報知新聞』と合併して、『読売報知』となった。)
昭和17年4月18日、アメリカのB25型の編隊が東京、横浜、名古屋、神戸を爆撃したが、そのうち1機が日本軍の占領地に不時着し、搭乗員が捕虜となった。このことについて、帝国防衛総司令部は7月19日、「大日本帝国領土を空襲し、我が権内に入れる敵航空機搭乗員にして、暴虐非道の行為ありたる者は、軍律会議に付し、死又は重罰に処す」(句読点は亀井)という布告を発した。その理由は、「これ等都市の軍事施設にあらざる病院、学校、民家等を爆撃焼夷し……非戦闘員、特に国民学校と明かに認められ、またその校庭で数多くの児童が遊んでゐるのを目撃しつゝ、幼き者に鬼畜の急降下掃射を行ひ、殺傷した」からである。
つまり「鬼畜」とは、非戦闘員に対する無差別攻撃を加え、特に子供たちを故意に殺傷するという、戦時国際法の違反を非難し、糾弾する言葉だったのである。この「布告」を報じた、10月20日の『読売報知』はその記事のなかで、「一億銃後同胞はこの事実を銘記しなければならぬ、英米こそ我等の真の敵であり、鬼畜であることを…」(「敵機搭乗員の暴虐処分/断乎“死”または“重罰”とす」)、「あの四月八日、小癪にも帝都に初の空襲を試みた米機は……故意に病院、学校を銃爆撃するの暴挙を敢てした、いまその鬼畜の振舞に人道の名を汚した敵捕虜は、断乎たる軍律の下、秋霜の制裁に伏した」(「誓つた仇討いま果す/盲爆敵機の断罪に/奮ひ起つ学童たち」)とアピールしている。
http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/dojidai/histology2_05.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大本営の言うことを真に受けて戦った者たちは、「負けたら死あるのみ」という中で生き延びたのだから、どのような奴隷扱いや屈辱であっても、永遠にそれを甘受し続けなければならないし、そうでなければ潔くないし、論の筋も通らない、という主張だとしたら、ヘンですね。
どこがヘンなのか?
「生き延びた」というイレギュラーな事態のときに、それに随伴して発生する、
「戦時とは別の法理」があることを、見落としているからでしょう。
「負けたら死あるのみ」と思って戦ったが、「殺されず生き延びた」というとき、
「おれ(たち)を殺さなかったのは失策だったな、リベンジだ」と、再度、戦争をしかけたり、原爆を落とし返そうとすることは、「潔くない」ことでしょうか?
論理的にも筋が通りませんでしょうか?
つまり、負けたとき、「殺されずに生き延びた」ときに、
「永遠に我々の奴隷として生きろ」と命じられたなら、それに従う義務が永遠に発生する、とでも言うのでしょうか?
法的には、それは否定されますね。人道的見地から、そして、公序良俗に反しますから、その契約は、無効です。
とある女性と「命を賭けて、麻雀する」となって、その女性に勝ったとき、
命をもらい、殺すかわれに、生きているかぎり、私の奴隷になれ、という命令は、有効でしょうか?
いいえ、無効です。
三浦主張によれば、「負けたら殺される」と信じて麻雀を戦って負けたなら、その女性は、勝った男性にどんなに屈辱的な扱いや、何をされても、潔く甘受しなければ、筋が通らない、と述べているのと、同様の主張だと、思います。
http://www.hannya.net/index.htm
Re: 東京裁判と靖国史観について 投稿者:ixtlan 投稿日:2014年 2月23日(日)18時25分9秒 返信・引用
> No.3878[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> というわけで、負けた以上、東京裁判だろうが南京大虐殺紀念館だろうが、勝者の言い分をすべて受け入れなければ筋が通りません。
それはないです。戦った人間を侮辱することになります、南京大虐殺などは。
それと東京裁判は茶番なので、ちゃらにします。
Re: 東京裁判と靖国史観について 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月21日(金)16時48分52秒 返信・引用
> No.3876[元記事へ]
riumさんへのお返事です。
>
> このページの内容(特に「戦争について」)は大変興味深いのですが、「東京裁判を批判しながら、靖国史観を支持する者は、矛盾している。」というのはなぜでしょうか。
>
「靖国史観」の正確な定義が可能かどうかわからないので、ここでは、「アジア太平洋戦争は侵略戦争ではなかった」という最大公約数的立場をちょっと絞り込んで、「第二次大戦前・戦中の日本の対外政策・スローガン・宣伝・価値観は正しかった」という立場として捉えておきます。
当時の日本の戦争があまりにも正しかったがために、特攻のような今から見れば非人道の極みである作戦も正当だったのだ、という立場ですね。
戦中の価値観が正しかったのだから、「戦争に負ければ日本は滅びる」という考えも正しいと見るべきですね。日本が滅びないように、必死で国民は戦うべきだ、とされたのですから。
負けても滅びず、皇室も安泰、国際社会で日本は安泰、侵略者として責められることもない、というなら、何も国民が必死になって、息子や夫を特攻に送り出す必要なんてなかったはずです。
というわけで、「靖国史観を信じる」→「戦争で負けたら何もかも終わりと信じる」
が成り立ちます。
何もかも終わったのだから、敗戦後は、連合国の言うなりでかまわないはずです。敗戦というのはそれほどの恥辱であるはずです。
負けてもなお戦中の大義名分を保持できるようなら、無理して自殺特攻を繰り返す必要はなかったので。
というわけで、負けた以上、東京裁判だろうが南京大虐殺紀念館だろうが、勝者の言い分をすべて受け入れなければ筋が通りません。
負けたのに「東京裁判は間違いだ」などと未練がましく言い張っている似非靖国史観論者の声を聞いたら、靖国に眠る(?)特攻隊員は何と思うでしょうね。それだったら俺たちは何のために死んだのだと。戦う必要はなかったじゃないかと。
本当の靖国史観論者は、勝敗の論理を信じていたのだから、
いさぎよく、東京裁判の判決を受け入れるはずです。
(『戦争論理学』でも述べたとおり、東京裁判の判決なるものは、司法ではなく行政の措置であることを忘れてはなりません)
と、こんな筋道が、「東京裁判批判と靖国史観支持は矛盾している」の意味ですが。
通俗的な平成靖国史観ではなく、戦時中の靖国史観ですね。
軍事力・科学力・精神力・倫理力すべてで負けたのだから一億総懺悔してすべて諦める、これが正しい靖国史観であるはずです。
現にドイツは、敗戦の結果として固有領土を大幅に減らされてたのに文句言ってませんものね。
東京裁判と靖国史観について 投稿者:rium 投稿日:2014年 2月21日(金)02時07分32秒 返信・引用
お世話になっております。前回は回答をありがとうございました。
「我が信条」についてお聞きしたいことがあります。
http://russell-j.com/miurat/i-believ200602.htm
このページの内容(特に「戦争について」)は大変興味深いのですが、「東京裁判を批判しながら、靖国史観を支持する者は、矛盾している。」というのはなぜでしょうか。
「東京裁判批判」と「靖国神社参拝支持」は背理法で矛盾が導き出せるということでしょうか。しかし、ネット上では「東京参拝批判」や「靖国神社支持」が異常に多いですね(ほかにも、「昭和天皇に責任はない」「原爆投下はアメリカが100%悪い」「女性天皇反対」なども)。
できれば、論証内容をご教示いただきたいと思います。
Re: (無題) 投稿者:φ 投稿日:2014年 2月 1日(土)00時06分53秒 返信・引用
Cさんへのお返事です。
「表の場合は目覚めないことがある」というのは、前回私が列記した2行目と5行目の
コインが表である場合、既投である(2日目以降である)確率は0
既投である場合、表である確率は0
に相当しますね。
「目覚めないことがある」自体について言えば、
裏の場合だって、眠っている最中という時間があるわけなので、表の場合とまったく同様です。
(無題) 投稿者:C 投稿日:2014年 1月31日(金)09時04分8秒 返信・引用
すみません。説明不足でした。質問の、「目覚めの発生確率」という意味は、今の「この目覚め」が、どの程度の偶然で発生したのか?ということです。先投げ設定なら、表でも裏でも目覚めることは確実(確率1)なので、実験前の表の確率1/2について、今、目覚めた、という情報による確率の改訂は必要ないのですが、後投げ設定の場合、コインが表の場合、「目覚めない」可能性があったからこそ、今、目覚めたという情報により、表の確率を改訂する必要が生じると考えたので、その改訂のため、コインが表の場合、本来目覚める確率はどの程度だったかを計算しなくてはならないと思った次第です。
Re: 眠り姫問題について 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月30日(木)20時38分51秒 返信・引用
> No.3872[元記事へ]
Cさんへのお返事です。
>
>コインが裏の場合、目覚めの発生確率は1。ということは、
>コインが表の場合、目覚めの発生確率は1/nでなくてはならない
>
↑この意味がわかりません。
「目覚めの発生確率は」というのがわかりませんね。
被験者の立場からの主観確率を求めるわけですから、目覚めている確率は常に1です。
目覚めている、というのはあらゆる事象についての暗黙の条件となっています。
被験者が判断しているときに、「目覚めていない」という確率は0ですから。
改めて整理すると、
(すべてに「今が目覚めであるとき」という条件が付きます)
コインが表である場合、未投である(初日である)確率は1
コインが表である場合、既投である(2日目以降である)確率は0
コインが裏である場合、未投である(初日である)確率は1/n
コインが裏である場合、既投である(2日目以降である)確率は(n-1)/n
既投である場合、表である確率は0
既投である場合、裏である確率は1
未投である場合、表である確率は1/2
未投である場合、裏である確率は1/2
これで計算すると、
「今が目覚めであるとき、表である確率」をベイズ的に計算すると、1/(n+1)となりますね。
「今が目覚めでないとき」というのは母集団から除外されているので、計算では無視できます。
P(表)=P(表|未投or既投)=P(表|初日or2日目以降) です。
眠り姫問題について 投稿者:C 投稿日:2014年 1月30日(木)13時22分17秒 返信・引用
眠り姫問題の、先投げ設定では話が明確だと思うのですが、後投げ設定は引っかかるところがあるので、質問させてください。実験はn日間とすると、後投げ設定では、覚醒時、コインが表の確率は1/(n+1)と考えられる。実験前は、表裏とも1/2であり、コインが裏の場合、目覚めの発生確率は1。ということは、コインが表の場合、目覚めの発生確率は1/nでなくてはならない。この1/nの算出方法は以下で良いか?
①コインが表の場合、コインが既に投げられているなら、目覚めの発生確率は0
②コインが表の場合、コインがまだ投げられていないなら、目覚めの発生確率は1
③コインが表の場合、コインがまだ投げられていない確率は1/n
④よって、コインが表の場合、目覚めの発生確率は1/n
①から④の考えで、特に③が言えるかどうかが引っかかるのですが、もしよければ、教えてください。
Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月30日(木)03時23分51秒 返信・引用
> No.3870[元記事へ]
TwoEnvelopesさんへのお返事です。
>
> 次に、N円の小切手が入っている封筒のみを選択します。
> このような封筒の組も無数にあるわけですね。
> 各ペアの封筒のうち他方の封筒をすべて開ければ、平均して25%の得になるというわけですね。
>
> してみますと、どんな金額に固定しても平均して25%の得になるというわけですね。
>
> ならば、金額を固定せずにランダムに封筒の組を選択して、他方の封筒を開けても平均して25%の得になるように思うのですが違うのでしょうか?
>
「どんな金額を固定しても◎◎」から、「金額を固定せずとも◎◎」を導くことはできません。
いちいち固定しなければダメです。
たとえば、胴元Aが提示するゲームについては、1万円が来たときだけ交換しよう、
胴元Bが提示するゲームについては、百万円が来たときだけ交換しよう、等々。
交換しない場合が大半です。
いかなる金額についても「交換する」という戦略をとることができますが、それは、交換しない大多数の場合があってこそです。ゲームごとに非対称性は維持するのです。
すべての偶数について金額を予め決めて、すべてのゲームで25%得するように交換戦略をとるとしたら、
金額ごとのゲームそれぞれについて、交換しない膨大な場合があって、交換する場合はわずかでしょう。それぞれ金額を固定していますから。
すべてのゲームを混ぜてしまってはいけませんね。
ハイブリッドだと、ルールが違ってしまいます。
あくまで、決めた金額以外が来たらパスする、という手続きが必要です。開封バージョンですからね。
全部のゲームを混ぜてしまうと、「どれでもいい」というふうに、未開封と同じことになってしまいます。
そういうやり方では、「1万円の時だけ交換する」という、開封バージョンならではの「得する戦略」が使えなくなっています。
だって、2万円が来ても交換しちゃうんじゃ、相殺ですからね。
いや、もちろん2万円と決めるゲームがあってもいいですよ。
そのゲームについては、4万円と1万円の時は交換しないようにすべきです。
any(もしくはeach)からallを導いてはいけないのです。
金額ごとに多種類のゲームをやるのは自由ですが、
一斉にみんな交換したんじゃ元も子もありません。
それぞれのゲームごとに、スカスカで交換してください。
Re: 2封筒問題について 投稿者:TwoEnvelopes 投稿日:2014年 1月29日(水)21時33分24秒 返信・引用
> No.3864[元記事へ]
φさんへのお返事です。
今一つわからなくなったのでもう少し教えてください。
封筒のペアが無数にあるとします。
どの封筒のペアにも小切手が入っており、1方には他方の倍の金額が書いてあります。
金額は1万円以上の偶数円であり、かつ、金額はランダムとします。
今、全てのペアのうち、一方の封筒のみを全て開封しました。
これで、開封型の前提はよろしいですか?
開封された無数の封筒のうち、1万円の小切手が入っている封筒のみを選択します。
このような封筒の組も無数にあるわけですね。
>たとえば1万円があったなら、「1万円が来た」というデータがゲームに組み込まれます。
>他の金額ではなく、1万円が来たというゲームです。(別に1万円でなくてもいいのですが、とにかく、最初に開封して目撃した金額に以後ずっと固定です)
各ペアの封筒のうち他方の封筒をすべて開ければ、平均して1万2500円(25%の得)になるというわけですね。
次に、N円の小切手が入っている封筒のみを選択します。
このような封筒の組も無数にあるわけですね。
各ペアの封筒のうち他方の封筒をすべて開ければ、平均して25%の得になるというわけですね。
してみますと、どんな金額に固定しても平均して25%の得になるというわけですね。
ならば、金額を固定せずにランダムに封筒の組を選択して、他方の封筒を開けても平均して25%の得になるように思うのですが違うのでしょうか?
御礼:逆と逆向き含意 投稿者:ドミンゴ 投稿日:2014年 1月29日(水)20時29分24秒 返信・引用
φさまへのお返事です。
早速の御回答、誠にありがとうございます。
http://ww4.enjoy.ne.jp/~okano11/
Re: 逆と逆向き含意 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月29日(水)16時34分50秒 返信・引用
> No.3866[元記事へ]
ドミンゴさんへのお返事です。
Q→PはもちろんP←Qと同じです。PとQの10の組み合わせを追っていけば、「1101」となることがわかります。
Re: 善と正義 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月29日(水)16時26分18秒 返信・引用
> No.3865[元記事へ]
riumさんへのお返事です。
死刑廃止論は、『論理パラドクス』に載っています。あまり詳しくは論じていませんが。
各パラドクスがどの本に載っているかは、以下をご覧ください。
「善」と「正義」の違いは、もともと定説的な定義はなく、あやふやではないでしょうか。
「正義」は、慣習的用法では、社会的文脈での公平性にもとづく善のことを指す、と私は理解しています。
だから「善」の方が広い概念でしょうね。
サンデルは、「「正義」とは何かを考えるときには「善」を無視できない」と述べて、もともと正義と善とは別物であるかのように論じていましたが、私にはそのアプローチの根拠はわかりませんでした。正義は善の一種であるものとして扱われるのが通例だと思うので。
逆と逆向き含意 投稿者:ドミンゴ 投稿日:2014年 1月29日(水)15時14分25秒 返信・引用
三浦先生、宜しくお願いします。
命題論理の「同値」に関して、次の表が用いられます。
P Q P→Q Q→P (P→Q)∧(Q→P)
1 1 1 1 1
1 0 0 1 0
0 1 1 0 0
0 0 1 1 1
上記で、Q→Pの出力(全体真理値)が「1101」となる理由が、
通常のテキストでは記述されていません。
しかし、P←Q (Converse implication = Reversed Conditional)と
考えて良いでしようか。
上記のように、同値の場合、「逆」は「逆向き含意」で演算するのが適切と思います。
例: 全体文: 半径がrである は 円周2πrである を含意する。
「半径がrである(P) → 円周2πrである(Q)」
逆:円周2πrである は 半径がr を含意する。
「半径がrである(P) ← 円周2πrである(Q)」
*受動態のように表現して、
「半径がrである(P) は 円周2πrである(Q) によって含意される」
上記のように考えて良いでしようか。ご教示戴ければ幸甚です。
→Q→Qp q p
http://ww4.enjoy.ne.jp/~okano11/
善と正義 投稿者:rium 投稿日:2014年 1月28日(火)16時53分31秒 返信・引用
いつもお世話になっております。
> 「善」の定義として正しいのが功利主義であるのは当たり前だと私は思っているのですが、
> サンデルの白熱教室では功利主義は冷たい扱いをされていましたね。
> あれは「正義」がテーマだからちょっとズレるのかもしれませんが、
以前、三浦先生がこのようにおっしゃっていましたが、「善」と「正義」はどういった違いがあるのでしょうか。ご教授をお願いいたします。
また、卒論で死刑のことを書くので購入したいと思うのですが、「論理パラドクシカ」と「論理パラドクス」は内容が違うのでしょうか。「死刑廃止論」が載っているのはどちらなのか教えてください。
Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月28日(火)02時09分32秒 返信・引用
> No.3863[元記事へ]
TwoEnvelopesさんへのお返事です。
>
> 交換して期待値的に25%の得なら、このゲーム?を繰り返し行うと平均して25%の得になってしまいますが、そういうことにはなりませんよね?
>
なりますよ。
開封して中がいくらであっても交換したのじゃ、開封してないのと同じことになりますから、交換してもしなくても同じですね。
ところが、開封バージョンのゲームというのは、開封して、見た金額をデータとして生かすゲームです。
たとえば1万円があったなら、「1万円が来た」というデータがゲームに組み込まれます。
他の金額ではなく、1万円が来たというゲームです。(別に1万円でなくてもいいのですが、とにかく、最初に開封して目撃した金額に以後ずっと固定です)
特定の金額が来たときだけ交換しますから、開封バージョンでは、平均して25%の得になります。
未開封では、それは不可能ですね。
「特定の金額が来たときだけ交換」ができませんから。
Re: 2封筒問題について 投稿者:TwoEnvelopes 投稿日:2014年 1月27日(月)21時43分17秒 返信・引用
> No.3859[元記事へ]
φさんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
>手もとの金額が1万円なら、
> (選んだ方、もう一方)は、(1万、2万)が確率1/2、(1万、5千)が確率1/2ですから、
> 交換すると期待値は12500で、25%の得。
>これが正解です。
でも、
http://www.yaokisj.com/mattopic6.html
の主は納得しないように思います。
交換して期待値的に25%の得なら、このゲーム?を繰り返し行うと平均して25%の得になってしまいますが、そういうことにはなりませんよね?
「16個の出力パターン」の「名称付け」と意味 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月27日(月)18時29分39秒 返信・引用
Mag様に、最後にもう1つだけ、申し上げておきましょう。
彼女が、下記の戸田山先生の74ページを出したとき、mag様は、「理解できない」という返答だったと思うので、カンタンに解説しておきます。
---------------------------------------------------------------------------------------
「論理学をつくる」;戸田山 p74
●<2変数真理関数はすべて手持ちの結合子で表現できる>
すでに見たように、このうち、f2-5は論理式P→Qによって表される。
また、論理式~P∧Q は真理関数f2-14を表している。
他の14個の真理関数にもそれを表す論理式がある。
次の表にそれが(「が」は原文まま)示そう。
関数 表現する論理式 関数の名称
F2-1 トートロジーなら何でも tautology
F2-2 P∨Q,~P→Q,… disjunction
F2-3 Q→P,~Q∨P,… reversed conditional
F2-4 P,P∧(Q→Q),… projection
F2-5 P→Q.~(P∧~Q),… conditional
F2-6 Q,Q∨(P∧~P),… projecion
F2-7 P←→Q,(P→Q)∧(Q→P) bicinditional
F2-8 P∧Q,~(P→~Q),… conjunction
F2-9 ~(P∧Q),P→~Q,… nand/alternative denial
F2-10 (P∨Q)∧~(P∧Q),P∨Q,… exclusive disjunction
F2-11 ~Q,~Q∨(P∧~P),… negation
F2-12 P∧~Q,~(P→Q),… usual ordering
F2-13 ~P,~P∧(Q→Q),… negarion
F2-14 ~P∧Q,~(P∨~Q),… usual ordering
F2-15 ~(P∨Q),~(~P→Q) nor/joint denial
F2-16 矛盾式ならなんでも contradiction
以上のように、我々がいま手元にもっている結合子だけで、
1変数、2変数の真理関数はすべて表せることが分かった。
そこで、冒頭の「これだけの結合子で十分なのか」という問いを
「1変数、2変数の真理関数をすべて表すためにはこれまでに導入した結合子で十分なのか」という問いに置き換えてみよう。
いま分かったことは、この問いに対する答えがイエスと言うことだった。
-----------------------------------------------------------------------------------------
真理値表4は、Pで表現できます。真理値表4は、Pと書くことができる、と。
真理値表13は、notP で表現できます。真理値表13は、notPと書くことができる、と。
どういうことかというと、真理値表4は、Qがどんな値でも、Pの値と出力が一致している配置・並びである、ということです。
真理値表4
PQ その出力
11・・1
10・・1
01・・0
00・・0
真理値表13
PQ その出力
11・・0
10・・0
01・・1
00・・1
真理値表13は、その反対で、Qがどんな値でも、「Pの否定値」と出力が一致している配置・並びである、ということです。
そこで、次のようなことを言い出すオバタリアンがいたと仮定します。
P:人間は生物である。 Q:甲おばさんは、化け物である。
この2命題で、真理値表4の演算子で結合させると、出力はPの真偽に合致するので、現実に合致するので、使用可能である、とオバタリアンが言います。
そして、真理値表13は、notPと書けるので、これらの命題の場合、「人間は生物ではない」という出力になり、現実に一致しないので、「真理値表13は使用不能である」とオバタリアンが主張したとします。
これがおかしいことが、わかれば、オッケーです。
彼女の主張が、これと五十歩百歩であるものだと、わかれば、オッケーです。
真理値表13の出力が「Pの否定」と並び配置が一致することは、「Pの否定それ自体」と同義ではありません。
その点を彼女は、まったく理解していませんでした。
出力が偽の場合、何が偽になるのか? 知らなかったのです。
そして、真理値表13は、Pの否定という名称だから、Pの否定だと考えていたのです。
「真理値表3」問題も、同様の誤りです。「Q⊃P」という名称だから、Q⊃Pだと考えていたのです。
驚愕したのは、彼女たちが、(彼女本人も、ザポくんも無宗だ氏も)三浦教授の掲示板を見て御覧なさい、イマジン氏が、論破されていますから・・・というようにして、
こちらの掲示板をリンクしていることです。
どう読むと、自分たちに有利な事柄が、この掲示板に書いてあると読めるのでしょうか?
「認識が歪んでいる人々」の異常なトンチンカン性に、アゼンとしたものです。
しかし既に完全に論破されてた状態ですので、もう私が直々に相手にする必要はないですね。なんとか、次のステージに行く前にケリをつけられ、よかったです。
ほんとうに、すっきりしました。
http://www.hannya.net/index.htm
Re: プロの切れ味はさすが凄い 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月27日(月)16時58分7秒 返信・引用
> No.3860[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
> Mag様、また、サンガ出版の彼女の著書の編集担当の佐藤由樹様、その他、
> みなさま、御覧になりましたでしょうか?
> 三浦教授の、「プロの切れ味」というものを。
とても参考になりました。三浦教授の本を読んでみたくなりました。
ありがとうございました。
プロの切れ味はさすが凄い 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月27日(月)15時30分9秒 返信・引用
Mag様、また、サンガ出版の彼女の著書の編集担当の佐藤由樹様、その他、
みなさま、御覧になりましたでしょうか?
三浦教授の、「プロの切れ味」というものを。
・・・三浦教授のコメント・・「題:十分条件、必要条件」・・・・・・・・・・
P⊃Q は、PはQの十分条件ということであり、QはPの必要条件ということであり、
Q⊂P と書けるということです。
PとQにはどんな文が入ってもかまいません。
それは学校の数学でも習うことで、これについてあれこれ議論してもコトバの約束事から外に出ることはできませんね。
・・・・・・引用終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さすが、三浦教授です。たったこれだけで、彼女たちの主張を
1撃で、木っ端微塵に論破してしまいました。
さすがに、論理のプロですね。
彼女たち連合の主張は、「QならばP」は真理値表3であるが、順含意「⊃」に2種類目の「1101」出力パターンを認めるものではない、という「苦しい」ものです。
もしも「⊃」に「1011」と「1101」の2種類があると言ったら、
「そんなの無い」と指摘されて、論破・端微塵となるだけだからです。
しかし、三浦教授は、「⊃」においては、前件が「後件の十分条件」なのだ、後件は「前件の必要条件」なのだ、ということを指摘なさいました。
当たり前の「⊃」の基本ルールです。
で、「リバース条件法」において、後件であるQを、前件扱いする、ということは、Qが他方の十分条件になる、ということですね。
つまり、これは、「前件であることの条件」を満たしていますね。
ということは、この場合の「QならばP」は、「PならばQ」と同じことを表している、
ということになります。
「変項」とは、そういうことですね。
というわけで、彼女たち連合は、カンタンに論破されてしまいました。
ある人が、「彼女を論破しても無価値である、もともと偽物だから」
と指摘していました。
しかし、「担当編集者がそれに気づくこと」は、無価値ではないはずだ、と考えて、
あえて、三浦教授の掲示板で、彼女の命題論理学上の誤謬を、明確にした次第です。
どうもありがとうございました。
http://www.hannya.net/index.htm
Re: 2封筒問題について 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月26日(日)23時15分4秒 返信・引用
> No.3858[元記事へ]
TwoEnvelopesさんへのお返事です。
>
> 「そもそも2封筒問題では期待値が計算できない。」
> 「前提が不可能だから問題として成立していない。」
> 非常に説得力のある論理のように感じるのですが、これが正解でしょうか?
>
未開封バージョンでは、期待値の絶対値を得る必要がありませんね。
対称性の原理で十分です。
(選んだ方、もう一方)は、(A、2A)が確率1/2、(2A、A)が確率1/2ですから、
期待値は交換も非交換も3A/2で、同じ。
このように、問題が成立するためには期待値そのものが求められる必要はなく、
交換と非交換を比較したときに期待値が同じであることさえわかれば、「交換しても損得なし」という正解を得るのに十分です。
開封バージョンでは、対称性の原理が破れます。
手もとの金額が1万円なら、
(選んだ方、もう一方)は、(1万、2万)が確率1/2、(1万、5千)が確率1/2ですから、
交換すると期待値は12500で、25%の得。
これが正解です。
それぞれ1/2とするのは、もはや金額が決まってペアの可能性が二つに限定され、無限大が関わらなくなっているので、完全な無知を1/2と置いただけです。まったく問題ありません。
開封バージョンと未開封バージョンで結論が異なるのは、情報が異なるのだから当然で、矛盾ではありませんね。
参照していただいた記事 http://www.yaokisj.com/mattopic6.html は、以下の部分が間違っています。
「これは開けたときのお金が1万円ではなく、100円でも1000円でもあるいは100万円でも同じです。それどころか開けたときのお金が101円とか奇数の金額であればもう一方には必ず倍の金額が入っていますからなおさらです。つまり開けたときの金額にかかわらず、交換する方が得ということになるのですが...。
しかしそうであれば、開けて中身を確かめるまでもなく「選ばなかった方」のお金をもらうことで確率的に得をすることになります。」
↑確かに、これが正しい推論なら、矛盾(未開封バージョンで交換が得でなく、かつ得)が出てきたことになり、背理法により、「この問題は設定がおかしいから問題として成立していない」とも言いたくなるでしょう。
ところが、上の引用部分は間違った推論です。2封筒ゲームの設定からそんな矛盾した結論は出てきません。
具体的には、「しかしそうであれば」という繋がりが間違っています。
「開けたときの金額にかかわらず、交換する方が得」
ということから、
「開けて中身を確かめるまでもなく「選ばなかった方」のお金をもらうことで確率的に得」
は導けません。
交換して得をするためには、封筒を開けることが必要なのです。
具体的な金額を見るからこそ、「この金額の時だけ交換する」という非対称的戦略をとれるのだからです。
未開封のままでは、「この金額の時だけ交換する」という戦略をとれません。闇雲に交換することになってしまい、対称性の原理により、損得無しです。
以上に矛盾はありません。
開封した場合は交換が得、未開封の場合は交換してもしなくても同じ、というのが正解です。
当該記事が重視している無限大や「偏らない選択」の不可能性、期待値の絶対値の欠如などは、2封筒問題とはまったく関係ありませんね。
無限大が関係しないところに持ち込んで「問題として成立しない」というのは、一種の逃避主義でしょう。
2封筒問題について 投稿者:TwoEnvelopes 投稿日:2014年 1月26日(日)21時48分50秒 返信・引用
こんにちは
2封筒問題について以下のような説明があります。
↓
http://www.yaokisj.com/mattopic6.html
「そもそも2封筒問題では期待値が計算できない。」
「前提が不可能だから問題として成立していない。」
のような結論に導いています。
非常に説得力のある論理のように感じるのですが、これが正解でしょうか?
Magさまへ 正体見たりでしょう? 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月26日(日)21時08分32秒 返信・引用
Mag様に対する彼女のコメントです。
>
> イマジン氏にだまされましたね。
>・・・・・・・・
> おめでたい人ですね。
前投稿にて、16個の真理値表の左辺のPQの付(値)置の並びの統一性について述べましたので、普通なら、Q⊃Pの出力が「1101」であっても、左辺の並びが違うのだから、そのまま真理値表3にはならない、というのは、
まさか、この程度が理解できない人は、高校生以上なら、いないでしょう。
ということは、彼女、彼女らは、「わざと故意に、意図的に」「正解をわかろうとしない」
という悪意に満ちている、ということになります。
実に、悪質です。
そうして、上記のように、「命題論理学の基本規則」を語る人々を誹謗しているのです。
そのひどさが、わかって来たのではないでしょうか?
実に、つまらぬ、そして、悪質・腹黒な人々です。
天網カイカイ「ソ」にして漏らさず、です。
冷凍食品アグリフーズの農薬混入で逮捕者が出ていますが、逮捕者は、否認しています。
冤罪でない場合、犯人は、知っていながら、わざと「否認」するものです。
認めてしまったら、自分に課されるペナルティーが大きいと判断するからですね。
http://www.hannya.net/index.htm
これで一件落着ということで。深謝します。 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月26日(日)17時15分11秒 返信・引用
>
PとQにはどんな文が入ってもかまいません。
それは学校の数学でも習うことで、これについてあれこれ議論してもコトバの約束事から外に出ることはできませんね。
<
それは、そうですね。大学教授が答えるレベルではありませんね。中学校か小学校でマスターしておくべき事柄でした。
結局、「あの人たちの誤謬主張」の結論は、「⊃」には、2種類の出力パターン「1011」と「1101」がある、という誤謬主張にならざるを得ない、ということですね。
>
〈彼女〉についてはすでに十分お答えしたかと思いますので、以前の投稿を御参照いただければと思います。
<
了解しました。どうも、お騒がせ致しました。
彼女は、真理値表の「表も読めないレベル」で誤解しているだけ、ということですね。
「無理解のサンプル」というご指摘を挙げていらっしゃるのは、それゆえですね。
サンガ出版の編集担当の佐藤由樹様が、どちらが正しいか、よくわからなくなり、頭が混乱して、三浦教授の掲示板を読んでみる、というような話もある、らしいので、
編集担当者さまのためにも、この掲示板を読むときに、「無理解のサンプル」の内容が、「無理解」のまま終わらないことを祈念しております。
最後に、「これなら、わかるでしょ、普通は」という説明の仕方を考えましたので、
ここに記述して、佐藤由樹様の「最終判断のよすが」にしてもらえれば、と思います。
真理値表1~16の表は、その出力パターンが16通りあります。
「1111~0000」までの16通りです。
で、この出力パターンは、表の左辺PQの「1or0」と連動しています。
表の左辺PQを1~4行目P「1100」Q「1010」に全部を固定して、それで16通りを出しています。
16種類は、表の左辺PQ1~4行目P「1100」Q「1010」「全部一律固定」が必須条件です。もし、1個1個の表ごとに、この並びがバラバラなら、違いがわかりませんね。
宜しいですか?
ところが、彼女が主張している「QならばP」の表は、
左辺PQ1~4行目P「1100」Q「1010」という並びではないわけです。
ゆえに、その結果が「1101」で「真理値表3に合致するね」と言われても、
「何言ってんの。基礎となる一律固定の並びによる結果ではないから、別物だね」
となります。
つまり、「QならばP」は、真理値表3に一見見える外見をしているけれど、本物の真理値表3ではない、ということです。
で、「それじゃあ、正しい全部一律固定と同じ並びでやってみるね」と実験すると、
出力が、「1011」<真理値表5>になってしまうわけです。
というわけで、結論は、
「使用不能の真理値表3」はでっち上げであり、ニセモノの真理値表3をでっちあげて使用不能だと断じているだけだ、ということになります。
大学生レベルの勘違いではなく、相手にするのも馬鹿馬鹿しい小学生レベルの勘違い、
ということで、一件落着です。
重版するときは、必ず、謝罪訂正しておくように、お願いしておきます。
http://www.hannya.net/index.htm
必要条件、十分条件 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月26日(日)14時21分47秒 返信・引用
P⊃Q は、PはQの十分条件ということであり、QはPの必要条件ということであり、
Q⊂P と書けるということです。
PとQにはどんな文が入ってもかまいません。
それは学校の数学でも習うことで、これについてあれこれ議論してもコトバの約束事から外に出ることはできませんね。
P⊃Q と、Q⊂P についていろいろまだ御意見があるようですが、
何年も前から同じコトがグルグル蒸し返されているだけであり、
〈彼女〉についてはすでに十分お答えしたかと思いますので、以前の投稿を御参照いただければと思います。
申し訳ありませんが、この件についての私のコメントは打ち切りとさせてください。
眠り姫問題とか2封筒問題とか、もっと面白いテーマがここにのぼったとき、コメントをさせていただくことにします。あしからず。
この説明で「決まり」では? 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月26日(日)13時15分7秒 返信・引用
「真理値表3は、Q⊃Pと書ける」
この意味は、戸田山先生の場合、
「真理値表3という論理結合子は、Q⊃Pと書ける」の省略形である
または、
「真理値表3の演算子の出力パターン部分は、Q⊃Pと書ける」の省略形である
、そのどちらか、また、どちらの意味でもある、
と、普通の人なら、わかります、よね。
ですから、次のように、書き換えることができると思いますが、どうでしょうか?
P <真理値表3の論理結合子> Q
↓
P <Q⊃P> Q
これで、無宗だ氏や彼女が、何について勘違いしていたのか、明確になるのではないでしょうか?
http://www.hannya.net/index.htm
無宗だ氏の再反論と「詰み」 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月26日(日)12時36分22秒 返信・引用
もう十二分に「決着・詰み」だと思ったら、驚くべきことに、
無宗だ氏は、「詰み」だと認めず、自分の認識の方が正しいと主張しています。
理由は、真理値表3は、Q⊃Pと書けるのだから、「逆含意」の演算子である、と。
「含意」には、順含意(真理値表5)と逆含意(真理値表3)の2種類があるのだと。
それが、三浦教授が言う「含意の対称性」だと。
真理値表3は、Q⊃Pと書けるということは、「~が~を含意する」という意味だ、と。
一方、既出の三浦教授のコメントは、次の通り。
「P⊃QとP⊂Qが対称的とは、互いに文を入れ替えたものだからです。
もともとPやQにはどんな文を入れてもよかったので、コンディショナルとリバーストコンディショナルは、本質的に同じものってことです。」
上記のコメントの中で、争点は、「ここ↓」です。
・・・<もともとPやQにはどんな文を入れてもよかったので>・・・
かつて、イストラン氏が、さんざん、PとQの変数(変項)性について突っ込みましたが、結局、平行線になっています。あちらの管理人の誤魔化し方は、巧妙です。
無宗だ氏は、真理値表3は、Q⊃Pという逆含意の演算子だと主張します。
一方、我々(たぶん、命題論理学の正しい見解のグループ)は、
真理値表3固有の演算子(仮に◆とする) P◆Q ・・これを(1)とする
真理値表5の含意で代用した真理値表3 Q⊃P ・・これを(2)とする
は、構造が違うよ、変換ルールも違うよ、と述べます。
三浦教授が述べるように、
・・・<もともとPやQにはどんな文を入れてもよかったので>・・・
として、これを(2)に適用するならば、
PQは、そのままに、文の中身だけ、両者を入れ替えることもできるでしょう。
そうなると、実質、(2)は、P⊃Q となり、この出力パターンが、「1101」(真理値表3)ということになれば、
「⊃」には、2種類の出力パターン「1011」と「1101」がある、という主張にならざるを得ません。
しかし、彼らは、この点は、マズイと思って、「そうではない」と述べます。
あくまで、「⊃」と異なる「⊂」が「1101」なのだ、と述べます。
そして、
・・・<もともとPやQにはどんな文を入れてもよかったので>・・・
というのが、真理値表3に関しては、間違っているのであって、
・・<「逆含意」演算子で考えるときには、必ずQを頭にしなければならない>・・
と主張するのです。
そこで、我々(たぶん、命題論理学の正しい見解のグループ)は、
それに対して、次のように、疑問を投げかけます。
まず最初に、真理値表5の「P⊃Q」が先に出されていれば、その逆が「逆含意」だとわかる、という君たちの主張だけれども、
先行する「順含意」の順番が示されていないケースだったら、
どうやって、逆含意を使える、というのだね?
仮に、原子命題が2つ、A、B があったとき、
B <演算子> A
(1)(2)どちらを使用するのか?
君たちの主張だと、(2)は、使用不能の真理値表3だ。
だから、使用可能な真理値表5を使うためには、
どちらを前件に持ってくるべきなのだね?
B⊃A が順含意だとしたら、逆含意は、A⊃B になるね。
A⊃B が順含意だとしたら、逆含意は、B⊃A になるね。
では、一体、どちらが「使用不能の真理値表3」なのか、はっきり述べてみなさい。
できるかな?
何?
文の中身を知らされないと、それはわからない、とな?
命題の中身によって、扱いを異にするのならば、変項PQを使う資格がない。
君たちの「詰み」だ。
三浦教授、どうでしょうか?
これで、「詰み」ということで、宜しいでしょうか?
http://www.hannya.net/index.htm
可能世界 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月26日(日)09時36分51秒 返信・引用
またよろしくお願いします。
ネットで解説を読んでいたら、次の記載がありました。
「・野矢『論理学』1-1-5(pp.38-9).付値を世界の可能性と捉えている。」(引用終わり)
付値とは、真理表のPQに真偽の値を付して、その全ての組み合わせを表した4行のことですよね。
これを、世界の可能性と捉える、とは、今の現実と照らして、ありえそうにないことも、その可能性を広く認める、という意味でしょうか。
例えば、以前に三浦教授は、数学の公理でさえ、大転換がある可能性を否定できない旨の発言をされていましたが、そういうことでしょうか。
そういう可能世界のことを表したのが真理表である、ということでしょうか。
その一方で、そういう可能世界でなく、今の現実との一致で考えたときに、含意「P⊃Q」の真理表に具体的な命題を代入すると、2行目のP⊃Qが偽とされるケースが、起こり得ない、として、その命題が現実の世界では常に真とされる、というような使われ方をしているようですが、それは、命題論理学の相手にするところではない、ということだろうか、とそんなことが頭に浮かびました。
そういうことなのでしょうか。
Re: (無題) 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月26日(日)04時39分55秒 返信・引用
> No.3845[元記事へ]
Cさんへのお返事です。
> 日月火・・・日月火・・・日月火・・・日月火・・・
>
> 設定1 表○ 裏○○ 裏○○ 表○○
>
> 設定2 表 ○ ○ ○ ○
> 裏 ○○ ○○ ○○ ○○
>
> 設定1なら、ある目覚めの直前のコインが表である確率は1/3。設定2なら、表の世界と裏の世界に接点がないので、世界間での回数の比較は意味がなく、例えば裏の場合を毎週100回目覚めるということにしても同じで、ある目覚めについて、コインが表である確率は1/2。
> 特に設定2について、1回きりで考えたとき、表の世界と裏の世界が別物とイメージし難かったのが混乱の原因だった気がします。
> こんな理解で良いものでしょうか?
>
>
良いと思います。
設定2では、選択されているのは表か裏かであり、それぞれ1/2です。
設定1では、選択されているのは目覚めであり、それぞれ1/3です。
設定2は先投げ設定、設定1は後投げ設定、と名づけた次第です。
観測選択効果によって、世界が選択されたのか、個体が選択されたのかによって、
「ここに人口の多い世界が選ばれている事前確率」が変わってくるので、
多宇宙説や様相実在論の評価に大いに関わってくるでしょうね。
先投げ設定と後投げ設定の比較は、他のパラドクスでも重要で、
そろそろ出る拙著では「サンクトペテルブルク・パラドクス」で先投げと後投げを論じています。眠り姫問題は論じませんでしたが。
真理値表3の変換ルールで「P⊂Q」 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月25日(土)16時17分38秒 返信・引用
「真理値表3」の変換ルールを表す記号の演算子として「◆」を仮定したとき、
P◆Q・・出力・・1~4行目(1101)になります。
では、「◆」のかわりに「⊂」を入れたらどうでしょうか?
「⊂」を単なる「◆」と同種の記号とすれば、結果は同じです。
P⊂Q・・出力・・1~4行目(1101)になります。
しかし、いや、「⊂」は、「⊃」のミラーなので、後件から先読みする記号とするのだ、
というルールを追加したとしましょう。
真理値表3の変換ルールを使用するのですよ!
すると、どうなるか?
P⊂Q・・出力・・1~4行目(1101)になりませんね。
(1011)になってしまいます。真理値表5に逆戻りです。
Q P
1 1 /1
0 1 /0
1 0 /1
0 0 /1
まあ、これで、トドメでしたね。
(1011)になってしまいます。真理値表5に逆戻りです。
素直に、マチガイを認めるのが、真のプログラマーでしょう。
無宗だ氏が、なぜ、マチガイを犯しているのか?
その解答は、あなたのIQに聞いてみて下さい。即答してくれるでしょう。
http://www.hannya.net/index.htm
無宗だ氏の反論 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月25日(土)12時54分35秒 返信・引用
(mag様いわく)
だから、P⊂QはQ⊃Pで「⊃」でしょ。実質は「⊃」で一種類でしょ。
(無宗だ氏の反論)
つまり、あなたは、
「⊂」と「⊃」とが、
異なる演算子であるということ
を理解できないわけですね?
(イマジン・ブレイカー)
私があちらの掲示板で、彼女を徹底的に擁護する「無宗だ氏」の投稿でアゼンとなったのは、彼がプログラマーであるにもかかわらず、三浦教授が「無理解のサンプル」で書いた
「⊂と⊃の対称性」という言葉について、三浦教授は含意について2種類の演算子を承認しているではないか、だから、アオミがいう「含意の演算子(変換規則)は1種類」というのは、三浦教授の「無理解のサンプル」の批判にも反する、と主張していたことです。
上記の発言にも、それが凝縮しています。また、彼女も、無宗だ氏の反論に反論できないアオミは三浦教授にも楯突くものですね、とトンチンカンな批判をして来ました。
上記で、無宗だ氏が「異なる演算子である」と述べた時点で、それは、「異なる変換規則の2種類の演算子」という意味になりますね。
しかし、変換規則は、16種類。その個々のアイデンティティーについては、前回の投稿にて、説明しました。
前回の説明について、何か、間違っている点や、比喩的に不適切だとか、表現的に不適切な部分があれば、三浦教授の指摘をよろしくお願い致します。
http://www.hannya.net/index.htm
各真理値表ごとのアイデンティティーを知ること 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月24日(金)23時03分42秒 返信・引用
三浦教授の掲示板は、Mag様やドミンゴ様が読んでいるので、私の見解を述べます。
私は、三浦教授に、「公文式の命題論理学ドリル」みたいものを、「公文と協働制作」で、つくってもらいたいなあ、と思っていますが、三浦教授、どうでしょうか?(笑)
まさか、「真理値表1~16」について「これ自体」が「各演算子の定義」になっている、という「命題論理学の決まり事」が、わからない論理学教師がこの世にいる、ということがあるなんて、驚きです。
たとえば、「真理値表3」が他の真理値表と明確に区別される
「独自性のアイデンティティー(自己同一性)」は何か?
彼女は、それが理解できないのですね。
「真理値表3はQ⊃Pで代用できる」ということと、「真理値表3独自の変換ルール」を混同してしまっているのです。
「真理値表3の独自固有性」、それは、単なる出力結果「1101」部分だけが、真理値表3を意味するのではない、ということです。
「出力結果だけ」なら、「1101」は「Q⊃Pで代用でき」ます。
しかし、「真理値表3」の定義は、「1101」の出力部分だけではないのです。
「この演算子」を「◆」で仮に表すと、
「1◆1=1」かつ「1◆0=1」かつ「0◆1=0」かつ「0◆0=1」
この4つの変換規則が同時に揃って出力が「1101」パターンを取るものが、「真理値表3」の定義であるわけです。
つまり、「真理値表」の「左辺PQの組み合わせ」(2個)と「出力結果」(1個)の「計3個」の組み合わせが、全4行あるわけなので、それを更に「∧(かつ)」で結合させた「4つのパターン」・・・これは、「真理値表3」のケースですが・・・
このように、同じ考え方で、
「真理値表1~16」は、それぞれ「2項真理関数」における「16分の1」の「独自固有の変換規則」を持っているわけです。
「真理値表5」であれば、
「この演算子」を「⊃」で仮に表すと、
「1⊃1=1」かつ「1⊃0=0」かつ「0⊃1=1」かつ「0⊃0=1」
この4つの変換規則が同時に揃って出力が「1101」パターンを取るものが、「真理値表5」の定義であるわけです。
ですから、
論理式「Q⊃P」としたときに、変換規則で、どれを使用しているか?
を調査すれば、結果は歴然です。
真理値表5の「1⊃1=1」「1⊃0=0」「0⊃1=1」「0⊃0=1」という変換規則を使用しなければ、「真理値表3の出力結果部分のみの1101」にならないですね。
つまり、論理式「Q⊃P」は、「真理値表3の変換規則を使用していない」わけです。
そりゃあ、そうです。「真理値表5の変換規則で代用できる」というお話に過ぎないのだから。
真理値表5で「代用できる」のは、出力結果のパターンだけですよ。
途中経過である「変換規則」までは、代用できません。
そして、一番重要なのは、「ここ」です。「真理値表5の変換規則」を使用して、出力したら、「真理値表5の出力結果1011」にならねば、おかしいでしょう?
おかしいのですよ。
だから、「真理値表3の出力結果1101」の並びに「見える」のは、見せかけに過ぎない、ということです。
Qが、「1~4行目」を「1010」でカウントしているからです。
この「1010」は、論理必然の並びではありません。ゆえに、並び替え可能です。
Qの「1~4行目」を「1100」と、普通のパターンに、並べ替えてみましょう。
具体的には、2行目と3行目を入れ替えれば、良いだけです。
それに合わせて、Pの2行目と3行目も一緒に入れ替えます。
そうすると、「真理値表5」の並びになります。
当たり前ですね。真理値表5の変換ルールを使用しているのだから。
「Q⊃P」を表にしてみると・・・・
Q P
1 1 /1
0 1 /1・・・・ア
1 0 /0・・・・イ
0 0 /1
「アとイを入れ替える」ことができる。
なぜなら、Q 「1010」は、必然的配列ではなく、単なる4通りの組み合わせの羅列に過ぎないから。
前回、述べた例題としては、
(1) A×B×C×D+E=10
(2) F÷G÷H÷I÷J-K=10
この(1)と(2)は、「計算ルート」が異なりますが、計算結果「10」は同じです。
・・・このように書きましたが、これは、例題としては、不正確でした。
訂正します。
(1α)(A×B×C×D+E)の「計算結果の下二桁の数字の桁を入れ替える命令」=10
(2) F÷G÷H÷I÷J-K=10
この(1α)と(2)は、「計算ルート」が異なりますし、一見、計算結果「10」は同じであるように見えますが、実は、全然違います。
「10」の一致は、見せかけのものであって、「10」という同じ計算結果が出力されているものではありませんから、左辺の意味合いも、全然違うことになります。
以上により、結論を述べましょう。
「真理値表3独自の変換ルール」が、成り立つ、成り立たない、という事柄と、
「真理値表5」が成り立つ、成り立たない、という事柄は、全く別個の事柄です。
「真理値表3」について、真理値表5で「代用できる」のは「計算結果部分だけ」ですから、「Q⊃P」自体は、「真理値表3という変換規則」を「代用するものではない」わけです。
ゆえに、「Q⊃P」が成り立たない → から「真理値表3は使用不能」
という論旨の流れは、トンチンカン丸出しです。
「真理値表3独自の変換ルール」が、成り立つ、成り立たない、という事柄と、
「真理値表5」が成り立つ、成り立たない、という事柄は、全く別個の事柄です。
「Q⊃P」は、それについて、何の関係もありません。
なんという、ひどい・・・「痛~い勘違い」であることでしょうか。
そして、いつ、赤面して、自身が「勘違いしているという事実」に気づくのでしょうか?
http://www.hannya.net/index.htm
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月24日(金)18時53分7秒 返信・引用
> No.3844[元記事へ]
φさんへのお返事です。
回答ありがとうございます。
> magagiokさんへのお返事です。
>
> そのとおりです。
>
> P⊂Q
> は、「QならばP」と読めばいいだけですからね。
明快∧必要∧十分な回答だなあ、と思いました。
分かってみれば単純なことなんですよね。
(無題) 投稿者:C 投稿日:2014年 1月24日(金)13時09分40秒 返信・引用
はじめまして。最近、「多宇宙と輪廻転生」を大変面白く読ませていただきました(買いましたよ)が、眠り姫の確率問題が、1/2か1/3かよくわからず、もがき苦みました。 しかし、以下のように理解したつもりになり、スッキリしました。ただし、簡単にスッキリしていいのか自信がなく、もしよろしければコメントいただきたく、投稿します。
次のような反復実験を考える。
「設定1」毎週日曜、コインが投げられ、表ならその週の月曜日に、裏ならその週の月曜日と火曜日に起こされる。それが延々繰り返される。
「設定2」実験開始でコインが投げられ、表なら毎週月曜日に、裏なら毎週月曜日と火曜日に起こされる。
日月火・・・日月火・・・日月火・・・日月火・・・
設定1 表○ 裏○○ 裏○○ 表○○
設定2 表 ○ ○ ○ ○
裏 ○○ ○○ ○○ ○○
設定1なら、ある目覚めの直前のコインが表である確率は1/3。設定2なら、表の世界と裏の世界に接点がないので、世界間での回数の比較は意味がなく、例えば裏の場合を毎週100回目覚めるということにしても同じで、ある目覚めについて、コインが表である確率は1/2。
特に設定2について、1回きりで考えたとき、表の世界と裏の世界が別物とイメージし難かったのが混乱の原因だった気がします。
こんな理解で良いものでしょうか?
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月24日(金)12時41分58秒 返信・引用
> No.3843[元記事へ]
magagiokさんへのお返事です。
そのとおりです。
P⊂Q
は、「QならばP」と読めばいいだけですからね。
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月24日(金)07時30分0秒 返信・引用
> No.3842[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> magagiokさんへのお返事です。
>
> ・・・・・・失礼ながら、何を言われているのかわからないのですが、
> 下の二つの表はまったく同じものですね。
> 1、0を書いた順番が違うだけで。
> 同じものです。
>
> > Q P Q⊃P
> > 1 1 1
> > 0 1 1
> > 1 0 0
> > 0 0 1
> >
> > ということであり、
> >
> >
> > Q P Q⊃P
> > 1 1 1
> > 1 0 0
> > 0 1 1
> > 0 0 1
> >
> > とは違いますよね、ということでした。
> >
すいません、お手数をおかけします。
『1、0を書いた順番が違うだけで。同じものです。』
というのは、どちらも「⊃」で同じで、1、0を書いた順番が違うだけ、ということですね。
すいませんでした、また表現を間違えました。
私の言いたいことは、
真理表3とされる次のもの、
P Q P⊂Q
1 1 1
1 0 1
0 1 0
0 0 1
それを、
Q P Q⊃P
1 1 1
1 0 1
0 1 0
0 0 1
として使ったら、駄目ですよね、
ということでした。
ややこしくて、私の頭が整理されていなくてすいません。
よろしくお願いします。
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月24日(金)04時28分1秒 返信・引用
> No.3841[元記事へ]
magagiokさんへのお返事です。
・・・・・・失礼ながら、何を言われているのかわからないのですが、
下の二つの表はまったく同じものですね。
1、0を書いた順番が違うだけで。
同じものです。
> Q P Q⊃P
> 1 1 1
> 0 1 1
> 1 0 0
> 0 0 1
>
> ということであり、
>
>
> Q P Q⊃P
> 1 1 1
> 1 0 0
> 0 1 1
> 0 0 1
>
> とは違いますよね、ということでした。
>
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月23日(木)21時51分6秒 返信・引用
> No.3840[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> magagiokさんへのお返事です。
>
> >
> > P⊂Qが「1101」というのは、Q(1010)⊃P(1100)ということなのであって、Q(1100)⊃P(1010)ではない、ということですよね。
> >
> > 逆にできるのだからと、Q(1100)⊃P(1010)とやってしまったら、そこにP⊂Qの「1101」は使えない、ということですよね。
> >
>
> ↑何のことだかちょっとわかりませんが笑、、
> (あまり恣意的な記法を使わない方がよいと思いますが・・・・・・)
> P⊂QはQ⊃Pという意味であって、当然、真偽も常に一致する、というだけのことです。
> 書き方の順番が違うだけですから。
>
> ただの文法であって、とくに深い意味があるわけじゃありませんね。
すいませんでした、素人の私が独自に考えた表記法でした。
私が言いたかったのは、
P Q P⊂Q Q⊃P
1 1 1 1
1 0 1 1
0 1 0 0
0 0 1 1
ということで、つまり、
Q P Q⊃P
1 1 1
0 1 1
1 0 0
0 0 1
ということであり、
Q P Q⊃P
1 1 1
1 0 0
0 1 1
0 0 1
とは違いますよね、ということでした。
これもまた、独自の表記法かもしれないですが‥、よろしくお願いします。
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月23日(木)20時02分35秒 返信・引用
> No.3839[元記事へ]
magagiokさんへのお返事です。
>
> P⊂Qが「1101」というのは、Q(1010)⊃P(1100)ということなのであって、Q(1100)⊃P(1010)ではない、ということですよね。
>
> 逆にできるのだからと、Q(1100)⊃P(1010)とやってしまったら、そこにP⊂Qの「1101」は使えない、ということですよね。
>
↑何のことだかちょっとわかりませんが笑、、
(あまり恣意的な記法を使わない方がよいと思いますが・・・・・・)
P⊂QはQ⊃Pという意味であって、当然、真偽も常に一致する、というだけのことです。
書き方の順番が違うだけですから。
ただの文法であって、とくに深い意味があるわけじゃありませんね。
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月23日(木)09時49分32秒 返信・引用
> No.3838[元記事へ]
φさんへのお返事です。
> P⊃QとP⊂Qが対称的とは、互いに文を入れ替えたものだからです。
> もともとPやQにはどんな文を入れてもよかったので、コンディショナルとリバーストコンディショナルは、本質的に同じものってことです。
「コンディショナルとリバーストコンディショナルは、本質的に同じもの」
これも質問したかったことでした。
やはりそういうことなのですね。
ただし、
P Q P⊃Q P⊂Q
1 1 1 1
1 0 0 1
0 1 1 0
0 0 1 1
ということは、
P⊂Qが「1101」というのは、Q(1010)⊃P(1100)ということなのであって、Q(1100)⊃P(1010)ではない、ということですよね。
逆にできるのだからと、Q(1100)⊃P(1010)とやってしまったら、そこにP⊂Qの「1101」は使えない、ということですよね。
Re: 「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月23日(木)01時46分1秒 返信・引用
> No.3837[元記事へ]
Hatrickさんへのお返事です。
戸田山さんのp.74には、
リバーストコンディショナルは Q⊃P と書かれてますね。
戸田山さんは、集合の記号と混同されるのを警戒して、⊃でなく→を使っていますが、同じことです。
P⊃QとP⊂Qが対称的とは、互いに文を入れ替えたものだからです。
もともとPやQにはどんな文を入れてもよかったので、コンディショナルとリバーストコンディショナルは、本質的に同じものってことです。
「まことに、つまらぬ人」でしたね 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月22日(水)23時27分41秒 返信・引用
ヤフー掲示板「不死の甘露」でも、感想を述べましたが、
「あの件」は、決着を見したのでおわりですが、
最後の感想としては、「まことに、つまらぬ人」でしたね、ということです。
1点だけ感想を述べるならば、戸田山先生の「論理学をつくる」74ページでしたか。
そこに、真理値表における16個の演算子は、他の論理式でも「表現できる」「実現できる」みたいに書いてあるので、
大学生相手であれば、2項真理関数の出力の固有パターンが、「他の計算ルート」でも、同じ計算結果を出現させられるんだよ、という意味だと、すぐにわかるわけですが、
・・・・・・・・・・・・・・
<例>
(1) A×B×C×D+E=10
(2) F÷G÷H÷I÷J-K=10
上記の(1)と(2)は、「計算ルート」が異なりますが、計算結果「10」は同じです。
同様に、計算結果「10」を表現することは、無数の加減乗除の組み合わせで可能です。
しかし、(1)と(2)の左辺は、全く異なるものであり、「同じ算式」とは言えません。
・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、浅学非才な人々が読むと、「浅学悲惨」<引用:化物語> になってしまい、「計算ルート」そのものまでも、代用できている、という意味だと勘違いしてしまいます。
16個の「真理値表それぞれに固有の変換ルール」があるわけです。
専属家政婦がいる場合、専属家政婦が一時帰郷している間、代替の臨時家政婦は、いくらでも供給可能です。その臨時の代用家政婦が使えないから失格だ、と烙印を押したとしても、だからといって、専属家政婦までもが、論理必然的に使えないから失格とはなりませんね。
それなのに、
「使用不能な真理値表3」というような主張をする人が出てくるわけですし、
「人脈脳」で、それに、「そうだ、そうだ、先生万歳」とやる人々も出てくるわけです。
戸田山「論理学をつくる」の「74ページ」の意味を、「小学生レベルの人々」が読むと、「代用できる」の意味を取り違えるのだ、ということですね。計算結果を代用できるのみならず、変換ルールまでも代用できるものだと、勘違いしてしまうわけです。
しかし、これは、戸田山先生の「言葉足らず」の責任ではないでしょう。
理解力の問題でしょう。
http://www.hannya.net/index.htm
Re: よろしくお願いします。 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月22日(水)09時18分41秒 返信・引用
> No.3835[元記事へ]
φさんへのお返事です。
回答ありがとうございます。
> P⇒QとP→Qという記号の区別は一般的ではないと思いますが、
> 含意と条件文は区別することが多いですね。
ネットで見つけた高校数学の解説に以下の文がありました。
『「pならばq」「p→q」「pはqである」などの条件命題(条件文,含意命題,一般的伴立関係)‥』
また、ネットで見つけた他の解説では、含意「ならば」の説明として条件文のことが書かれていました。
含意の説明としては、条件文と含意命題を区別することなく、条件命題として説明する、ということかなあ、と思いました。
そうなると、条件文と含意命題の違いは、どういうことになるのでしょうか。そこが私には分かりません。
また、PならばQの真理表の2行目の偽が、起こりえない、というオイラー図のケースにおいて、PならばQが常に真だとされるとき、PをQであるための十分条件、QをPであるための必要条件、とされますが、それは、含意を、条件文として説明している、ということでしょうか。
> 特に、反事実条件文を含むような条件文です。
反事実条件文という言葉を初めて知りました。ネットで検索したら、関連記事がたくさん出てきました。
>
> 反事実条件文は、
> PだったらQだったはずだ P□→Q
> と表記されます。
> (Pは必ずしも反事実でなくてもよい。つまり真なる命題でもかまいません)
>
> P□→Q は、
> Pが真でしかもQが真である可能世界のうち、Pが真でしかも~Qが真であるいかなる可能世界よりも現実世界に近いものがある
>
> この条件文は、Pが真である場合に限って、Qがおそらく真だろうと予想する文ですね。
>
> ただの含意 P⊃Q のように、Pが偽であれば全体が自動的に真 とはなりません。
> Pが偽でも、
> PとQが真である諸世界と、Pと~Pが真である諸世界とがいつまでも(現実世界にどれほど近い領域でも)拮抗して、甲乙付けがたい場合、P□→Q は成り立たないわけです。
>
> このあたりの理解のためには、
> デイヴィッド・ルイス『反事実条件法』(勁草書房) がおすすめです。
> 私の『可能世界の哲学』第3節でも図解入りで説明しましたし。
難解ですが、興味はあります。ゆっくりじっくり学びたいと思います。
Re: よろしくお願いします。 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月22日(水)02時09分58秒 返信・引用
> No.3833[元記事へ]
magagiokさんへのお返事です。
P⇒QとP→Qという記号の区別は一般的ではないと思いますが、
含意と条件文は区別することが多いですね。
特に、反事実条件文を含むような条件文です。
反事実条件文は、
PだったらQだったはずだ P□→Q
と表記されます。
(Pは必ずしも反事実でなくてもよい。つまり真なる命題でもかまいません)
P□→Q は、
Pが真でしかもQが真である可能世界のうち、Pが真でしかも~Qが真であるいかなる可能世界よりも現実世界に近いものがある
この条件文は、Pが真である場合に限って、Qがおそらく真だろうと予想する文ですね。
ただの含意 P⊃Q のように、Pが偽であれば全体が自動的に真 とはなりません。
Pが偽でも、
PとQが真である諸世界と、Pと~Pが真である諸世界とがいつまでも(現実世界にどれほど近い領域でも)拮抗して、甲乙付けがたい場合、P□→Q は成り立たないわけです。
このあたりの理解のためには、
デイヴィッド・ルイス『反事実条件法』(勁草書房) がおすすめです。
私の『可能世界の哲学』第3節でも図解入りで説明しましたし。
世界の始まり 投稿者:ラズロ 投稿日:2014年 1月21日(火)20時53分52秒 返信・引用
宇宙が、無から生まれたのか
という文脈で、量子のゆらぎで
真空から、宇宙が生まれた、
という時に、既に法則が成り立つ
存在があったのなら、
それは無ではない、という立場と、
いや、その考えで、無から宇宙がうまれた
ということでいいという意見があります。
無からの創造という意味では
論理規則さえない世界を
論理でかたれないので、不毛な
感じもしますが、
本当の無なら、法則や論理を
満たすべく存在さえ無いという
主張も、まぁ無なんだから、
何かがあったら変だなと思います。
頭が混乱さます。
どう考えたらいいのでしょう?
よろしくお願いします。 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月21日(火)16時48分11秒 返信・引用
引き続きの質問よろしくお願いします。
ウィキペディアに以下の記載がありました。
『論理包含と条件文の関係[編集]
論理包含と条件文は、ほとんどの場合同じものとみなされる。しかし、一部の論理学者は、論理包含は「断言」的関係、条件文は「予想」的関係だとして区別する。また、次のように表現し分けることもある。
P⇒Q(PimpliesQ、PはQを包含する)P→Q(ifPthenQ、もしPならばQが成り立つ)』
その違い、それを区別する理由についてネットで調べましたが、見つけられませんでした。
それは、どういう意味なのでしょうか。
Re: はじめまして 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月21日(火)07時17分1秒 返信・引用
> No.3830[元記事へ]
φさんへのお返事です。
さっそくの回答ありがとうございました。
やはり正しいのですね。そうですよね。どう考えても、それで理に適っていると思えたのです。
だから、それを質問することは、ちょっと気恥ずかしかったのです。当たり前のことを聞くな、そんなことも分からないレベルなのか、と言われそうな気がしまして。
とりあえず、安心いたしました。
まだまだ質問したいことがありますので、よろしくお願いします。
Re: はじめまして 投稿者:φ 投稿日:2014年 1月21日(火)00時39分32秒 返信・引用
> No.3828[元記事へ]
magagiokさんへのお返事です。
>
> リバーズドコンディショナルと名付けられた真理表「1101」は、後件Q(1010)を先読みして「⊃」を適用したものと結果が一致するから、便宜上そう名付けられたに過ぎず、真理表本来の意味からは、それを表のとおりに前件P(1100)から読むと、真理表「1101」は、PかまたはQでない、という意味である、というような解説を、ここにも登場されている方から説明を受けまして、私はその説明が理に適っていると感じていますが、ネットで探した命題論理学の解説では、その部分を探せませんでした。
>
> その説明は、命題論理学として正しいと考えていいでしょうか。
>
>
↑もちろん、その説明でOKですよ。
P⊃Q(つまり~P∨Q)のPとQを入れ替えただけのものですから。P∨~Qということでなんら問題ありません。
なお、石飛さんの件については、何年も前のこちらの指摘に本人が応答する意思ゼロの現状ですから、ここで第三者があれこれ言っても虚しいだけです。
石飛さんについてのコメントは、私は一切遠慮させていただきますので、よろしくお願いします。
それ以外の件についてなら、大歓迎ですよ。
「⊃と⊂」のベン図 投稿者:Hatrick 投稿日:2014年 1月20日(月)13時42分25秒 返信・引用
三浦先生、mag様、こんにちは。
三浦先生が、もし、対称性の説明で、ベン図を使用するなら、
検索の時間と労力をはぶくために、こちらにリンクしておきますね。
(もともと、三浦教授に教えてもらったリンク先ですが・・・)
「⊃」のベン図です。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Venn1011.svg
「⊂」のベン図です。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Venn1101.svg
http://www.hannya.net/index.htm
はじめまして 投稿者:magagiok 投稿日:2014年 1月20日(月)09時35分53秒 返信・引用
はじめまして、magagiokと申します。
私は仏教に興味があり、今は中村元著「龍樹」を読んでいますが、そこでは「中論」が解説されていて、その中に現代論理学との違いに触れられている箇所が散見されまして、論理学を学ぶ必要性を感じつつも、躊躇しておりました。
それで参考になればと龍樹関連のサイトを覗いていて、一つのサイトに参加させてもらっていました。
それは、三浦教授が、妄想系は相手にしない方がいい、とされた、あの方のサイトです。
私は、その人のことを、最初はそんなふうには感じなかったのですが、ネットで対話を重ねるうちに、ちょっとそんな感じもあるのかな、と感じつつも、でも、それほど酷くもないよなあ、と思っていました。
そんな私が、命題論理学を学び始めまして、あの方、と議論するうちに、これは三浦教授に直接お聞きするしかないなあ、と思うようになりました。
それで質問したいのですが、よろしいでしょうか。
失礼とは思いますが、了承を頂けたと勝手に解釈させてもらいまして、質問を書かせていただきます。
まず、含意「⊃と⊂」の対称性、とは、どういう意味でしょうか。
P Q P⊃Q P⊂Q
1 1 1 1
1 0 0 1
0 1 1 0
0 0 1 1
リバーズドコンディショナルと名付けられた真理表「1101」は、後件Q(1010)を先読みして「⊃」を適用したものと結果が一致するから、便宜上そう名付けられたに過ぎず、真理表本来の意味からは、それを表のとおりに前件P(1100)から読むと、真理表「1101」は、PかまたはQでない、という意味である、というような解説を、ここにも登場されている方から説明を受けまして、私はその説明が理に適っていると感じていますが、ネットで探した命題論理学の解説では、その部分を探せませんでした。
その説明は、命題論理学として正しいと考えていいでしょうか。
まだまだ質問したいことはありますが、とりあえず、これだけ書かせていただきました。
よろしくお願いいたします。