バートランド・ラッセル
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「ラッセル関係文献紹介(2015)」

2012年 2013年 2014年

索引(未作成)(-出版年順 著者名順 書名の五十音順)

「ラッセル関係文献紹介」は,ラッセル研究書や研究論文等(ただし,専門的すぎるものは原則として除く)についてご紹介するものです。「R落穂拾い」の方,はラッセル関係文献とは言えないもの,たとえば書名や論文名等に「ラッセル」の文字がでてこない,気がつきにくい(落ちこぼれやすい)文献・情報を'落穂'のごとく拾って紹介するものですが,「ラッセル関係文献紹介」の方は,あきらかにラッセルに関係していると分かる文献や情報をご紹介するものです。
(注意)「R落穂拾い」も「R関係文献紹介」も同様ですが,引用対象の文献は一部しか読んでないものが多いことをお断りしておきます。即ち,是非全部を読みたいと思った文献以外は,引用箇所の前後(と,まえがき・序文・あとがき+引用文が含まれている章)しか読んでいないものが多くあります。従って,付加する個人的なコメントは,そのような状況でも言うことができることや感想を述べることに限定されます。内容を的確につかみたい方は,興味を抱いた図書についてはご自分でお読みになることを勧めします。(M)


  • デイビッド・バーリンスキ(著),林大(訳)『史上最大の発明 アルゴリズム−現代社会を造り上げた根本原理』(早川書房,2001年12月. 393pp.)(2015.9.30)

     ラッセルについて,本書では5,6箇所でふれらていますが,ここでは1ケ所だけ,以下ご紹介しておきます。後は,図書館でご覧になるか、アマゾンなどで購入してお読みください。
     ラッセルのパラドクスの出現とともに,来るべき衝撃がついにやってきた。いまや数学の基礎そのものが蝕まれ,直観的にもっともと思われる論理から算術を導き出す試みは,挫折を余儀なくされた。ラッセルが一九〇三年にフレーゲにこのパラドクスを伝えて以来,ヨーロッパの数学者が,額に手を当てて考えこんでいる姿が目に見えるようだ。しかし,はじめからこの主題を馬鹿にしていた不満たらたらの少数派−−たとえば,今でも嘲笑を浮かべているかもしれない,カントールの大胆な集合論を一蹴したレオボルト・クロネッカ−−を除くすべての者にとって,集合論は捨て去ってしまうにはあまりにシンプルで,あまりに深い分野のように思われた。素粒子物理学の電子同様,集合は構造が単純であり,さらに単純なものによって定義できない。集合論は,量子電気力学と同じぐ,豊かで興味深く美しい洞察の体系を表現するものなのだ。それは,ある数学者の熱のこもった言葉を借りると,まさに「パラダイス」である。しかし,ラッセルのパラドクスは,たちの悪いパラドクスの群れに属するものだった。このパラドクスの群れほ数学者たちの自信に深刻な一撃を食らわせ,数学者は誰もが遅かれ早かれ学ばなければならない教訓を学んだ。単純なものは必ずしも安泰でなく,美しいものが常に正しいわけではないという教訓を。


  • 小尾俊人「出版と社会」(幻戯書房,2007年9月. 654pp.)(2015.5.29)

    *
    小尾俊人(おび・としひと, 1922-2011):みすず書房創業者の一人。
    (pp.132-139:ラッセル来日及び雑誌『改造』への寄稿について他)

    (p.134) ラッセル来日は大正十年七月であるが,その半年前の(雑誌)『改造』大正九年十二月号に,大きな広告として予告されていた。『改造』の予告文は言う。
    「新春劈頭面目一新せる本社の世界的大飛躍を見よ!!!」

     いわく「忠君愛国主義の哲学的批評」の大見出し。以下説明文−−「社会思想家として哲学者として現代唯一の権威たるラッセル氏が特に本社の為めに執筆せる大論文にして,本論文の発表は本紙が世界的に活躍する最初の試みなると共に,氏の独創的哲学観によりて我国人がいかに啓発さるるか,蓋し我国新聞雑誌界未聞の大壮観にして大正十年の論壇に卓然として一頭地を抜けるものなり。
     ラッセル氏は我社の委嘱によって以後毎月長編の論文を寄稿せらるることとなったのは,本社の一大光栄とする所である。氏は本年(1921年=大正10年)七月下旬我国に来り我社主催の講演会に於て長時間の社会思想講演をなすことに確定した。而して
      東京にて二十時間,大阪にて八時間,京都にて八時間
     の予定なるも委細は今後機を見て発表する所あるぺし。氏は滞日中は勿論,帰英後も我社の客員として我社を通じて論文を発表して戴くことになった」云々。
     この広告に予告されたように,ラッセルの原稿は,『改造』大正十年新年号に掲載された。
     山本がいかに全力を傾けたかは,次ページの新聞広告を見ても想像できよう。
     興味深いのは,予告のタイトルの訳名がちがうことである。「忠君愛国主義の哲学的批評」が「愛国心の功過」となった(注:修正された)。原名は On Patriotism である。
     ラッセル原題の苦心の訳であろう。予告のものは核心に触れ,印刷題名は客観的である。
     彼がケンブリッジで研究生活を送っていたときの専門は数学であり,ヴィトゲンシュタインの友人であって,その主著は Principia Mathematica, v.1-3, 1910-113(ホワイトヘッドとの共著)であり,また『ライプニッツの哲学』の著者として知られた。第一次世界大戦に反対し,講師職を奪われ六か月投獄の試練を受けた。哲学者として,また行動家として世界的に知られるが,この『改造』に寄稿した「パトリオティズム」は,じつに社会と政治の核心を衝いた見事なエッセーになっている。つぎにその一部を抜いて紹介しよう(検閲削除十か所以上あり)。
    「愛国心を目覚ますものは,外国の侵略である。したがって,愛国心の初始においては非難すべきではない〔いずれの国も,ただ一度のナショナリズムを持つ。「一回は悲劇,二回目は喜劇」(マルクス)〕」。
    愛国心は,自国の防衛として出発するけれども,ひとたびその目的が遂げられた際には,必ずや他国の独立に対する侵攻として,うちつづいてゆく」。
    「愛国心の実際的結果を考察する限りにおいては,吾人は愛国心を弁護すべき余地をほとんど有しない」。
    「すべての愛国者は,謬妄事の信者といわざるを得ない。なぜかというに,かれらはみな自国が世界を支配すべきであると信ずるから」。
    「愛国者は,人はいつでも自国の味方に立たなくてはいけないと主張する。けれども,自国はいつでも正しいということは殆どあり得ないことである。だから,愛国者は,人は時あってか世界の善に反して行わなくてはいけないと主張すべきである・・・」。
     また(ラッセルの著書)『中国の問題』(1922年刊)のなかでは,
    「現代の日本国民は,いまの時代においてだけでなしに世界の歴史において,ユニークなものである。それはたいていのヨーロッパ人がまったく両立しがたいと考えたろうと思われる諸要素を結合させている」。
    「科学は合理主義への傾向を有するものと考えられている。しかも日本における科学的知識の普及は,著しい。ミカド崇拝(注:天皇崇拝)の強制と,時間的に synchronize 並行している。ここに日本文明における最大の時代錯誤的特色がある。社会心理学にとって,また政治理論にとって,日本は絶大の興味ある国である・・・」。
     以下省略。


  • ジム・ホルト(著),寺町朋子(訳)「世界はなぜ'ある'のか?−実存をめぐる科学・哲学的探索」(早川書房,2013年10月)(2015.5.21)

    *
    ジム・ホルト(Jim Holt, 1930〜 ):米国の哲学者,著作家。
    * 原著: Why Does the World Exist? (2012年に出版されたもので2013年の New York Times におけるベストセラー)
    * TED talks における Jim Holt のスピーチ

     本書において,ラッセルは14ケ所で引用されていますが,残念ながら索引がついていません。そこで,引用ページをあげておきます。
     p.40, 89, 166-167, 174, 177, 196, 269, 271, 277, 284, (295), 313-314, 321-322, 375.
     ここでは,4ケ所引用させていただきます。関心の在る方は、残りは購入されるか,図書館などで借りてお読みください。

    (p.269) だが,この(数学的構造についての)「現実感」がいくら不気味でも,なぜ私たちはそれに左右されなくてはならないのだろう? テグマーク(注:宇宙論者)やペンローズは左右されるのかもしれないが,別の偉大な物理学者リチャード・ファインマンは全然そうではなかった。ファインマンはかつて,数学的対象に自立した存在があるかと訊かれたとき,「そんな気がするだけだ」と,軽くあしらった。
     バートランド・ラッセルはそのような数学的ロマンティシズムに対して,もっと厳しい見方をするようになったた。1907年,彼がまだ比較的若い三十代のころ,ラッセルは数学の並外れた輝かしさを褒めちぎって,こう書いた。数学は,「正しく見れば,真実だけでなく,至上の美を備えている。それは彫刻の美のように,冷たく厳しい美しさだ」。しかし八十代後半になると,彼はみずからの未熟な賛辞を「おおむねでたらめ」と見るようになっていた。老ラッセルは次のように書いている。数学は,「その主題において非人間的でなくなったような気がする。きわめて不本意ながら,数学は類語反復(トートロジー)からなると思うようになった。十分な知的能力のある精神にとって,数学のすべてが,四つ足の獣は動物であるという命題と同程度にくだらなく見える」

    (p.271) この可能性をいち早く指摘したのが,アメリカの哲学者ハートリー・フィールドだ。フィールドは一九八〇年に出版した著書『数のない科学』 で,一見したところではとことん数学的なニュートンの重力理論を,どうすれば数学的対象にいっさい触れずに再構築できるかを示した。やや回りくどいとはいえ,ニュートン理論の数を使わないバージョンから,まったく同じ予想が得られるのだ。
     このような科学の「有名無実化」作戦,つまり,科学から数学的な装いをはぎ取ることを量子力学や相対性理論などの理論にまで適用できるならば,クワインは間違っていたことになる。数学は「不可欠」ではないのだ。数学の抽象概念は,物理的世界を理解するために何も関与する必要がない。それらは単なる美化された説明用の小道具だ。実際面では使い勝手があるが (数学を用いると,導出過程が簡潔になるから),理論面では,なくても済む。宇宙のどこかに人間より知性の高い生物がいれば,彼らにとって数学はまったく不要かもしれない。数やそのほかの数学的な抽象概念は不朽の,超越したものであるどころか,たかが地球上の人工物だということが露呈するだろう。それらを存在論から追放することもできるかもしれない。バートランド・ラッセルの物語『数学者の悪夢』(注:ラッセルの創作小説『著名人の悪夢』の中の一篇)の主人公が,「失せろ! おまえたちは単に『記号を用いた便宜上の道具』じゃないか!」と叫んでそうしたように。

    (p.277) 科学は最も基本的なレベルにおいて,現実の要素を相互の関係という観点から記述し,それらの要素がもっているかもしれないどんな素材らしい本質も無視する。たとえば,科学は電子が特定の質量と電荷をもつことを教えてくれるが,電子の質量や電荷というのは,電子がほかの粒子や力によって作用されやすいある種の傾向のことを言っているにすぎない。また,科学は質量がエネルギーと等価だと教えてくれるが,エネルギーがいったい何であるかについては,エネルギーが数で示される量であり,正しく計算されれば,あらゆる物理的プロセスで保存されること以外には何も示してくれない。バートランド・ラッセルは1927年に出版した著書『物質の解析』(注:The Analysis of Matter, 1927:『物質の分析』)で,世界をつくり上げているものの本質的な性質のことになると科学は黙りこくると記している。科学が提示するのは,関係を示すひとつの巨大な入り組んだ網だ。すべては構造で,そこに素材はない。物理的世界をつくり上げているものは,チェスの駒のようなものだ。大事なのは,それぞれの駒がどう動けるかを示すルール体系によって決められた役割であって,駒がどんな素材でできているかではない。

    (p.375) どれほど大いにだろうか? では,ちょっと計算してみよう。人類の一員として,私は特定の遺伝的同一性をもっている。ヒトゲノムには,活性な遺伝子が三万個ほどある。これらの遺伝子のそれぞれに,少なくともふたつの変異体,つまり「対立遺伝子」がある。したがって,ゲノムが暗号化できる別個の遺伝的同一性の数は,少なくとも二の三万乗にのぼる。おおまかに言えば,その数は1のあとにゼロが一万個続く。それが,私たちのDNAの構造によって許容される潜在的な人間の数だ。では,これらの潜在的な人間のうち,実際に何人がこれまでに存在してきたのだろう? 人類が誕生してから,約四〇〇億人の人間が生まれたと推定されている。念のため安全策を取り,その数を丸めて一〇〇〇億人としよう。これは,遺伝的にありうる人間を1とすると,実際に生まれた人間は,0.00000……0000001(……に0を9979個つけ加えてほしい)に満たないことを意味する。このような遺伝的にありうる人間の大多数は,生まれてもいない幻影だ。私−それにあなた−が,現実の舞台に現れ出るには,そんなとんでもない宝くじに当たらなくてはならなかった。これは偶発事以外の何でもない。
     私たちが仰天するほど低い確率を乗り越えたということは,私たちは「運のいい人間」ということだ。リチャード・ドーキンスは,そう述べる。一方,どう見てもソポクレスは,そうは思わなかった。彼が書いた悲劇『コロノスのオイディプス』 では,合唱隊〔訳注‥古代ギリシャ劇で,合唱によって劇の解説や補足をする役〕が「この世に生を享けないのが,すべてにまして,いちばんよいこと」(高津春繁訳)と宣言する。
     また,バートランド・ラッセルはこの問題に不可知論的な態度を示し,こう書いている。
    一般に信じられているところでは(私には,それが理解できた試しはないが),存在しないよりも存在するほうがよい。この理由に基づき,子どもたちは両親に感謝するように強く忠告される」(ラッセル『西洋哲学史』原書p.594)。
     あなたの両親が出会わなかったら,もちろん,あなたは存在しない。だが,あなたがこの世界を見るためには,単なる両親の出会いや,さらには歴史上の特定の時点における性の営み以上のことが,信じられないほどうまく運ばなくてはならなかった。もしかすると,あなたに感謝されてしかるべき対象は,あなたの母でも父でもなく,一個の勇ましい小さな精子かもしれない。それはあなたの遺伝的同一性の半分を載せて,粘液の海を勇敢に泳いで進み,一緒に射出された何億個ものライバルたちをかわして卵子と合体したのだ。


  • 湯浅赳男「社会主義の命運を予見した知性たち(ケインズ,ラッセル,デューイ,ジイド」【『This is 読売』1992年3月号,pp.74-79.】(2015.1.4)

    *
    湯浅赳男(ゆあさ・たけお, 1930〜 ):新潟大学名誉教授。専門は経済史,比較文明論など。

    * 昔の雑誌論文のコピー(や切り抜き)等を処分していくにあたって,採録しておいたほうがよいものを,時々「R関係文献」として抜き書きして掲載していこうと考えています。
    (p.76)・・・。同じイギリス人で,青年時代にマルクス主義を研究しながら,さらには自由社会に対する激しい批判精神の持ち主でありながら,ソ連の現実を見て見ぬふりをできかなったのが,哲学者のバートランド・ラッセルである。
     彼が1896年に発表した処女作(注:24歳の時の著作)は『ドイツ社会民主主義論』で,すでにそこで労働価値説を批判し,プロレタリア独裁の危険性と可能性について指摘している。しかしツァーリズムへの反感もあって,1917のロシア革命に対する熱狂は相当なもので,1920年には早くもこの国を訪問したのである。・・・。

     レーニンにうすっかり失望

     この時,トロツキーは彼(ラッセル)に好印象を与えたが,レーニンにはすっかり失望している。・・・。
     ・・・。それは単なる印象にすぎないものではなかった。(ラッセルは)『自伝的回想』(注:Portraits from Memory and Other Essays, 1956)では次のように理論的に展開されている。
    「1920年にロシアを訪問したとき,私はそこに自分の哲学とひどく違った哲学,憎悪と専制権力に基礎づけられた哲学を見出した。(中略) そのため,国家が唯一の資本家になれば搾取や抑圧は消失するはずだと想定され,この結果,以前には個人の資本家がもっていた抑圧力を残らず公務員に与えることになってしまうことを悟っていない。もう一つの誤りは,感じ方に関係しているが,よき事態は憎悪を推進力とする運動によって実現されると思っていることである。」
     これはソ連の体制に対する完璧な把握であり,批判である。かくも見事な分析をラッセルがかくも早い段階においてなしとげていることは驚嘆に値することである。ところで,この正しいソ連把握が当時のみならず,その後に知識人には甚だしく不評だったのである。・・・。

    (p.77) これと関連して,もつ一つ強調しておかなければならないことは,ラッセルの批判精神は資本主義に対しても,鈍らされることはなかったことである。世渡り上手な知識人お得意のダブル・スタンダードこそ,彼(ラッセル)が最も軽蔑したところだった。それだけに一般世間の彼に対する敵意は激しく,例えば,1940年にはニューヨーク市立大学教授への一旦は承認された就任が反対運動によって撤回されるという事件すら起こった。・・・。