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「ラ氏(バートランド・ラッセル)を囲んで思想家の問答」- 大杉氏のはにかみ;ラ氏久し振りの笑顔; 福田博士の単刀直入;資本論講義に一驚; 疲れて'然り'と'否'

*出典:『東京朝日新聞』1921年(大正10年)7月27日付

 26日午前11時から帝国ホテルでラッセル氏は,わが国の著名な思想家と会見した(注:1890年開業の帝国ホテル本館は,客室数60,その内,居間付のスゥイート・ルームは10室。1922年に火災で焼失。ラッセルが宿泊したのは本館2階32号室とのこと/フランク・ロイド・ライトの設計による2代目の本館=ライト館は,火災以前から着工しており,1923年竣工している。/3代目の本館は,大阪万博の年の1970年に完成。
 参考文献『武内孝夫『帝国ホテル物語』及び『帝国ホテル百年史』)
 定刻前から青い壁紙と竹や蘭に飾られた涼しげな広間に明るい?を背にしながら,麻の背広を着込んだラッセル氏は,白絹の下着に支那模様の黒チョッキを羽織ったブラック嬢と深い?椅子に坐って話しつつ客を待っていると,劈頭第一に黒ネクタイの吉江狐雁氏が嬉しそうな顔で入ってきた。次いで石川三四郎氏が来る。挨拶が済むとすぐ話題は哲学者カーペンターに移る。さすがに思想家の集まりは違ったものと感心して居ると,ドヤドヤと大杉榮,堺利彦,昇曙夢諸氏がやってきた。大杉氏に紹介されたラッセル氏は満面に愉快そうな笑みをたたえて強い強い握手をした。
 (参考: 大杉榮「苦笑のラッセル氏」
 「君はグルドマンやベルグマンを知っていますか」
 とのラッセル氏の問に大杉氏は,独特の可愛い羞みをしながら,
 「ええ,人としては知らぬが彼の戦中記なぞを読んで知っています。」
 「私はロシアで会ってきました。」
 「彼等米国の無政府主義者は過激派からはどんな待遇を受けていますか」
 「個人としてはなかなか優遇されているようですね。しかしグルドマンは主義としてはボルシェビズムにあきたらず過激派でも彼等の説には不満を持っているようです。」
 など追々雑談が深みを加えて行く頃,広間にあちこち散らばった小綺麗な椅子には,桑木厳翼,姉崎正治,上田貞次郎氏の諸博士,阿部次郎,和辻哲郎,北澤新次郎,鈴木文次,杉村楚人冠,新居格?,与謝野晶子,福田徳三博士の諸氏が見えた。
 やがてラッセル氏は大杉氏に,
 「どんな無政府主義者もこの爆裂弾軍にはかなわない」
 と大笑いして来朝以来貴族的だと非難されて居るような様子は少しも見えず,思想家との会談で心も和らいだのであろう。
 悦に入ってすこぶる元気な大杉氏との話の後に,福田博士が入り込んで「イギリスには今ろくな思想家はいない」と単刀直入,ラ氏?爾として「然り」と,之も淡泊である。ケエイ?の「調和の経済的効果」の批評からマルクスの「資本論」に移ったが,福田博士が?で「資本論」を講義して居ると聞いたラッセル氏は,意外だという顔つきで,
 「オオソウ,官憲は禁じないか」
 「日本はなかなか開けて居るから研究と宣伝とを一緒にしない」
 と,どこまでも福田式を発揮する。桑木博士とカントの哲学を論じて追々地味な話になる頃にはラッセル氏も大分疲れてきたか,ポツポツと「然り」「否」の答えが多くなる。
 12時半日本画と秋の七草の卓花に眼もさめる様な美しい食堂へ入って食事後,ラ氏の短い纏まった話があって,2時散会,3時半からブラック嬢と新富座を観る筈。