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大杉榮「苦笑のラッセル」
『改造』1921年(大正10年)10月号,pp.100-101.
*参考:自由奔放な精神で生きた大杉栄の上海行き その2(2004.3.18)(2004年3月18日のところを見てください)
    ・大杉栄「日本脱出記」


 さあ、別に印象という程の事もありませんな。向い合って話した時間もせいぜい5分間位なものでしょうからね。
 それに僕は、実ははじめてあの帝国ホテルという建物にはいったので、ちょっと面喰ってもいましたよ。こわごわ玄関にはいって行くと、とっつきの(=一番手前の)広いホオルのあちこちに、日本人だか西洋人だかがごちゃごちゃいるんでしょう。おや、ここなのかな、と思って暫く大きな眼をうろつかしていたんですが、誰も知ったような顔は見えませんしね。仕方なしに、すっとはいって行って見たら、改造社の誰れだかにつかまったのですよ。
 そして其のすぐ隣の室に案内されて行くと、ラッセルは誰れだかに紹介されている際中(ママ)でした。写真で見たあの通りの顔ですね。頬というよりは寧ろ、口の両角のすぐ上のあたりが、神経質らしく妙に痩せこけているのが、病後のせいか猶目立って見えましたがね。あれは、あの人の顔の中で一番いやなところですね。
 と思っているうちに、僕がもう紹介される番になっていました。そして『ミスタア大杉、エ、ジヤパニイス、バクウニン、・・・』なんて、妙な紹介をされたので、ラッセルが何をいっているのかちっとも分らなかったほどに、又面喰って了いました。そしてぼんやりしている間に、『どうぞあちらへ』と、一つの椅子のところへ導かれて、そこでラッセルと向い合いになって、あちこちの新聞の写真をとられたのです。前にいった5分間というのは此の時の事です。
 座ると直ぐ、十幾人かの写真屋が代る代るポンポンやるので、ラッセルは例の口の両角の上に濃いくまを見せて、「堪りませんな」というような意味の事を、其のポンポンのたびに目をつぶってはいっていました。そして、『いくら我々がアナアキストだって、こんなに爆弾のお見舞いを受けちやね・・・」なぞとふざけながら苦笑いしていました。あの人は、笑うときっとそれが苦笑いになってしまうのですね。

 「エマ・ゴオルドマンを知っていますか。」
 「其の著書で。」
 「ベルクマンは?」
 「ええ、やはり其の著書で。といっても『一無政府主義者の獄中生活』しかないようですがね」
 「そうです。しかし大変面白い本ですね。」
 「二人は今ロシアでどうしています?」
 「二人とも昨年モスクワで会いましたがね。別にする事がないんで、革命博物館の爲めの何にかのコレクションをしていましたよ。ボルシェビキ政府からの待遇に就いては、十分満足しているようですが、政府のいろんな施設に対しては勿論大いに議論があるようでした。」

 こんなほんのちょっとした問答をしているうちに、ラッセルは又新しく来たほかの人達への紹介で忙しくなりました。そして僕は暑いんでヴエランダの方へ行って了いました。
 要するにただこれだけの事ですね。印象という程の事のあろう筈がないじゃありませんか。
 あの人の社会改造論についてですか。そうですね、一言でいえぱ、一種のアナアキスト・コンミミュニストでしょうな。が、あまりにどうもインテレクチュアル過ぎるようですね。