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(ラッセル=シュヴァイツァー)往復書簡 n.1 (1955.11.?)
『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.12-13.


ドクトル・アルベルト・シュワィツァー
アフリカあて通信の常設の宛名:--
フランス、アルザス、ギュンスバッハ

ラッセルとシュワイツァーとの会見写真  親愛なるバートランド・ラッセル卿

 あなたがロンドンで私に会うため、わざわざお出かけ下さいまして、私がどんなに感動致しましたことか、申し上げたく存じます。決して私は、お出で下さる方を待ち受けるため在宅しますとは、お知らせ致さなかったでしょう。私があなたのもとへ御挨拶に出かけたいところでした。……ですからあなたは私に大きな名誉を授けて下さり、しばらくの間、あなたとお話しできる喜びを与えて下さいました。私はこの会談の思い出を活きいきと保っています。
 私は十二月十六日にアフリカヘ戻ります。あなたはアメリカからしばらくして、私たち二人を撮ったたのしい写真をお受け取りになるでしょう。

たのしい思いをこめて    アルベルト・シュワィツァー          .
敬 具                            .


 この日附のない手紙は、ラッセルの十一月二十五日附の返事よりしばらく前に送られたに違いない。その調子から察すると、ラッセルの不意の訪問による直接の衝撃のもとに書かれたものである。シュワィツァーはその訪問をほんの「しばらくの間」と記し、ラッセルはしかし「たっぷりと」と語っているが、このほうがエリカ・アンダースンやジョージ・シーヴァーの説明とよりよく合うようだ。ここにシュワィツァーが知らせた写真は、あらかじめ彼が吟味したらしいが、『シュワィツァー写真集」に含まれた筈で、おそらくアンダースンがアメリカに帰国後ラッセルヘ郵送したであろう。
 もう一人の証人はクララ・アーカットで、一九七四年、アムステルダムのロドピ書店刊のベネディクト・ヴィヌプスト著『シュワィツァーの平和思想』にのったロンドン出版代理店がとった写真で、ラッセルおよびシュワィツァーと向い合っているが、彼女は編者への手紙によれば、両者の会見は「短くて形式的」だったことだけ憶えている由。