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バートランド・ラッセルのポータルサイト


バートランド・ラッセル(著),大竹勝(訳)『宗教は必要か』
(荒地出版社,1959年2月 201pp./増補改訂版,1968年4月 245pp.)

>* 原著:Why I am not a Christian, and Other Essays on Religion and Related Subjects, 1957
* 大竹勝氏略歴

(邦訳書)初版訳者あとがき(大竹,1959年1月)

 T.S.エリオットについての3つの訳著のあとで、バートランド・ラッセルの宗教論を、ここに紹介することは、いささか軽率な試みではないかと見るむきもあろうかと考えられるので、この「20世紀のヴォルテール(であるラッセル)」の翻訳に取りかかった動機を明らかにしておきたいと思う。

 『宗教は必要か』と題する、ラッセルのエッセイ集の(松下注:邦訳書の)刊行は、エリオットの研究から派生したものである。エリオットの「教会」と「正統主義」についての態度と、ある意味では、対照的な立場にあるこの哲学者を学ぶことは、エリオット研究者が怠ってはならない反面であるとわたしは考える。また、エリオットの学生時代、駆け出し時代において、両者の交渉が極めて密接なものであったことも見のがすことはできない。(右写真は、青年時代のエリオット:From R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
 1914年、ローウェル記念講演のため渡米して、ハーヴァード大学を訪れたラッセルは、同時に、記号論理学の講座も持つことになったのであったが、そのクラスについて、彼はイギリスに送った当時の私信のなかで、「概して面白い学生も、有能な学生もいませんが、2人だけは異例です――ギリシア人のレイフェ・ディーマス(後のハーヴァード大学哲学教授)と、もう1人はT.S.エリオットです」と述べている。エリオットの詩「アポリナックス氏」(Mr. Apolinax)はバートランド・ラッセルをモデルにしたものであるといわれている(アポリナックスとは、予言者神アポローと悪魔アポリヨンとの合体である)
 後年に至り、エリオットは、ラッセルの指導のもとで学んだ記号論理学は「大変面白かった」と述懐している。「それは、現実とはなんの関係もないもののように思えたが、奇妙な小さい記号をひねくっているのは楽しくもあり、なんとなくわたしに実力感を与えた」荘重なドイツ哲学者になれていたハーヴァード大学の学生たちにとって、ラッセルの出現は、まさに驚異であったに相違なく、エリオットはラッセルが「愉快な人柄で、近づきやすい」哲学教授であったと語っているのである。
 エリオットがイギリスに住むようになってからのことである。ある日お茶(松下注:もちろん紅茶)に入れるミルクを買いに出たラッセルは、大英博物館の近くで偶然エリオットに出会い、バリー・ストリートの自分のアパートに連れ帰って歓待した。エリオットが結婚したとき、ラッセルはエリオットの財政的な苦しさを察して、自分の借りていたアパートの一角を彼に提供した。後にノーベル賞受賞者となった両人は、このようにして、しばらくの間ではあったが、相互に意見の交換をすることができたのである。しばしば、エリオットは未発表の詩を彼の前で朗読したという。また、ラッセルの厚意で、エリオットはいろいろな雑誌に寄稿する機会を得た第1次大戦の終わりに近く、ラッセルの『神秘主義と論理』(Mysticism and Logic, 1918)が出版されたとき、なんらかの理解を示している唯一の書評は「ネイション(Nation)」誌に出たエリオットのものだけであったと、ラッセルは断言した。
 しかし、その後、エリオットの関心が哲学から宗教に移っていくにつれ、両者の関係はしだいに疎くなった。エリオットは「ラムベス会議の感想」のなかで、ラッセルが「偏見をかなぐり捨てることに満足をおぼえた」人々の1人であって、「排除すべき偏見を持たない人々にとっては、大した意味がない」と評している(『異神を求めて』荒地出版杜、p.124参照)。なおエリオットは「ジョン・ブラムホール」のエッセイのなかで T.ホッブスを論じ、「道徳哲学に対するホッブスの態度が人間の思考から消えたわけでもなければ、道徳哲学と機械論的心理学との混同が消えたわけでもない」として、ラッセルの「わたしの信条」の一節を引用し、「このような論理の難点は、それが生来価値あるものをさらに遠くまで引き離すということである」と論じている(『古今評論集』荒地出版杜、pp.34-35参照)。このように、ラッセルは、思想の上から、彼の長い生涯を通じて、幾多の個人的に親しかった友人を失わねばならなかった。その意味では、ラッセルは終始孤独な思想家であった。(右写真:邦訳書初版初刷の表紙)

 ラッセルが分析的な思索の天才であることについては異論はあるまい。彼の礼賛者のなかには、彼をアリストテレ以来の画期的な論理学者とみなしているものすらある。われわれは、数学と科学において、はるかにオックスフォードをひきはなしていたケンブリッジの哲学陣に注目する必要があろう。19世紀後半にイギリスの哲学界をリードしていたのはオックスフォードの F.H.ブラッドレー(『古今評論集』荒地出版杜、pp.46-64参照)であったが、これに反逆したのが第1にケンブリッジ学派であり、それに続いたのがアメリカの新実在論者たちであったことは衆知のとおりである。ラッセルは1890年、十七歳の若さで(松下注:18歳の誤り。ラッセルのホームページの「ラッセル年譜」に書いたように、ラッセルは、ケンブリッジ大学に1890年10月に入学しているので、1872年5月18日生まれのラッセルは、18歳になっており、入学年齢としては、普通と思われる。)、ケンブリッジのトリニティー・カレジに学んだ。このカレジだけでも、マクターガード、ホワイトヘッド、ラッセル、ムアー、ブロード、ラムジィー、ウィトゲンシュタインという陣容を整えており、科学者には、エディングトン(松下注:'g'は発音しないと思われるので、エディントン)、ラザフォード、J.J.トムスンがいたし、ケンブリッジ全体からみるなら、さらにマーシャル、ケインズの経済学者を擁していたのである。このような雰囲気のなかで、ラッセルは数学、数理哲学についての不滅の大作をうちたてたのである。ここにあげられた幾つかのエッセイも、分析的な精神の表現であることを忘れてはならない。彼の宗教論のしんらつさ、強烈さもそこに基因しているとみてよかろう。いろいろな制約のため、最近のものを取り上げていないが、ラッセルは、自分の意見の本筋はけっして変わっていないと繰り返し述べている。「近年わたしは、昔よりも宗教の正統主義に対しては、それほど反対しなくなったとの噂があるが、この噂は全然根拠のないものである」(1957年)
 宗教論に関連する彼の性道徳についての見解は、もちろん直接にはアングロ・サクソンを相手として書かれたものであるが、われわれ日本人としてこれを見るとき、ある点では、われわれのほうが(アングロ・サクソンより)、はるかに良識と分別を持っているようにも思われる。読者はラッセルの所説を読み、これに読まれてはならないのであろう。彼が合理主義であるべきことを繰り返し、繰り返し述べた上で、科学による文明の漸進的改善を説くとき、性急な読者は、唯物主義者としての彼を見るかもしれないが、これは、彼の初期の有名な「自由人の信仰」と題するエッセイの付言(本書p.132)にあるようにけっして安易に割り切っている訳ではない。この点については、「わたしはなぜ共産主義者ではないか」(『記憶による肖像』Portraits from Memory, and Other Essays, 1956 に再録)と題するエッセイもあわせて読まるべきであると思うが、ここでは政治論には触れない。
 20世紀が生んだ偉大な数学者・哲学者であるラッセルは、学者に珍しい明徹(松下注:「明晰」の誤植か?)なスタイルのエッセイストである。彼はこのスタイルが、小中学の過程を学校で学ばなかったからであろうと言っており、またヒューモラスに、「一字いくらの売文家だから、なるたけ短い言葉を選んで、字数を多くするのです」と語ったこともある(松下注:「一字」いくらでは意味をなさない。「一語」いくらであれば、一語の文字数が少ないほうが利益率が高くなる)。という彼のしんらつな風刺は、特に本書中の「上品な人々」のなかで十分に味わうことができる。
 80(歳)の坂を越して、ラッセルはすでに2つの短編集、『郊外のサタン』(Satan in the Suburbs, 1951)(松下注:1953の誤植)、『悪夢集』(Nightmares of Eminent Persons, 1954)を発表している。わたしはこのたびの翻訳のあいまに、これらの創作集を読み、深い印象を得た。彼のエッセイに出てくるいろいろな思想が、ここでは想像力を通して述べられているのである。おそらく、エッセイ(評論)とあわせて読むことが、ラッセルの創作を読む最も適切な方法であるのかもしれない(『郊外のサタン』には山内俊雄氏の訳『郊外町の悪魔』がある)
 『悪夢集』のある1章の序において、彼は「新しい正統主義の創設者となることは、反逆者の運命である」と言っている。現代のヴォルテールと呼ばれるこの反逆者の説が正統主義と見えるのは、いつの日であろうか。
 この刊行と前後して、ラッセルは、自分の哲学を自叙伝的に展開して発表するという。『記憶による肖像』にまさる興味ある著作として期待したい。とまれ、この「永遠に早熟なる(エリオットがラッセルを評したことば)哲学者、文人を一個のメフィストー(松下注:メフィストフェレス)として掲げ、宗教に関心を持つ現代の読者にこの本を贈りたいと思う。

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