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バートランド・ラッセルの著書・研究書の書評

土田杏村「ラッセル氏の Free thought and official propagenda について」

* 出典:『文化』v.5,n.1(1922年12月号)pp.44-49.(6)「北窓抄録-読書雑感」より
* 書評対象:Free Thought and Official Propaganda. Allen & Unwin Ltd., 1922. 48 pp. 17 cm.
This is the Conway memorial lecture, delivered by Bertrand Russell at South Place Institute, London, 24 Mar. 1922.
* Repr. in: (26)Sceptical Essays, 1928. , 1923)
* 土田杏村(1891~1934:右写真): 評論家/1918年京大文卒。
*(参考)土田麦僊、杏村の生地井内


 (6)北窓抄録-読書雑感-

 教育界では学制五十年記念の祝賀式が至るところで催された。記念講演会を開いたところが沢山ある。私も其の中の幾つかに招かれたのであるが、自分のまずい意見などを述べるよりは、寧ろ次に紹介する一書の中心点を話すか、さもなければ此れを翻訳して読み上げようと思った。


 其の一書というは、彼(か)のバァトランド・ラッセル氏が、今年三月二十四日、コンウェー記念講演で為した演説の筆記であり、『自由思想と公的宣伝』なる名で、ジョージ・アレン・アンド・アンウィンの本屋から出版せられた。原著の名を書けば、Bertrand Russell: Free Thoght and Official Propaganda, 1922 である。書物も菊半截僅か四十八頁の小冊であり、定価はクロース製で二志(シリング)、〔丸善では九十銭で売って居る〕、紙表紙で一志(シリング)だ。但し紙表紙のものは我国の本屋へ来て居たかどうか。私自身の眼に触れなかった。〕
 ラッセルの英文は、非常に易いものだから、誰れにでも読める。私は全国の学校教師諸君に、是非此の一著を読んで欲しいとお奨めする。我国のつまらない大きな教育書などを読まれるよりは、此の小冊を読む方がどれだけ豊かに魂の糧となるか知れない。ラッセルは殊に、日本の教育をも批評した。訳本が出来てもよい訳だが、併しどんなにしたところで、日本に関しての部分は、残らず伏せ字にしなければ、公刊を許されないであろう。
(松下注:野村博著『自由の探求』第V章「バートランド・ラッセルの初邦訳書に見られる「伏せ字」と思想の自由」を参照のこと)


 ラッセを言った序でだから、話は全く別になるが書いで置く。ラッセルは其の同じジョージ・アレンの本屋から、『支那の問題』(The Problem of China, 1922)なる一書を極く最近に出した。Labour Magazine の9月号にも確か此れと同じ題目の論文があった様に瞥見したけれど、まだ時間の余裕が無いので、其等を比較して読んでは居ない。

 我国の教育界では今、自由教育の問題が熱心に論ぜられて居る。(←松下注:大正デモクラシーの時代)併し其の論争は、哲学的な、根本原理的な部分にのみ関して居て、一々内容的の議論になっては居ない。其れだから、議論を聞いて居れば、いかにも自由の真義は分ったらしく見えて居ながら、一々の教授や、一々の教科書の材料の批判になれば、其の判断は自由になって居ないと云うことが余りに頻繁に起るのである。

 ラッセルは此の冊子の中で、自由思想のことを論じた。というよりは寧ろ、我々の自由なる態度が、制度的、社会的の外的事情に支配せられて、いかに常に不自由のものとなって居るかを痛論したのである。
 此の間、私が地方を旅行した時に、或る学校の甚だ気概ある一教師は、「食うことの心配さえ無かったら、外を向いて言いたいことは胸一ぱいなのだがなあ」と言い放って、感慨に堪えぬものの如くであった。
 ラッセルは其の「言いたいこと」の態度の問題を論じたのである。ラッセルが言った議論の範囲内でも、余程捨て身にならなければ出来ないと思う部分が幾つか見える。

 一体思想の問題や政治の問題になれば、人は、社会は、何故此んなに蛮的な、力による圧政を加えなければならぬのであるか。其処で自由な討議が行われさえしたら、世界に平和はもたらし得ないものでは無い。我々は(米国の哲学者)ジェームスの使った『信ぜんと欲する意志』の代りに、『疑わんと欲する』なる語を置かなければならぬ。
 其れをよく知るものは科学者である。科学者は最後まで疑って居る。例へばアインシュタインの相対性原理にしても、其れは未だ絶対に信ずべきものであるかどうかは確定せられない。アインシュタイン自身でさえも、彼が最後の言葉 (松下注:究極の真理)を言ったとは要求しないだろう。『必要なのは信ぜんとする意志では無くて其れの精確なる反対を発見せんとする願望だ。』
 ラッセルはそういう風に議論を進めた。科学者の方が思想を自由ならしめて居ることには、私も亦賛成したい。私は今此の書を読みつつ、丘浅次郎先生のお言葉を想起した。先生が私達の実験を指導してくれる態度は、いつも此のラッセルの論ずる其れであった。先生御自身の論文も亦、殆どすべて此の態度の問題を論じて居られる。先生の様に自由に、自らの態度を解放して居られる人も学界には少ないと思う。

 ラッセルは自分の経歴に鑑みて、社会の人の判断がいかに独断的であるかを非難して居る。殊に彼がケムブリッジ大学に教鞭を取って居った時代の告白の一節は典昧深い。
 ラッセルはケムブリッジ大学のトリニテイー・カレッジから招かれて、其処で講師をしていた。併し講師になっても、(その時は)フェロ-とはなることが出来なかった。此の相違は俸給上のこでは無い。フェローシップとなれば、其の大学の行政上の事に口出しをすることが出来る。ところがラッセルは自由思想家であり、反宗教的であるから、宗教派の教授は、彼が一票権を持つことを嫌忌して、此れを排斥したのである。(解説者註。ラッセルはケムブリッジにある間、社会からはケンブリッジといえば直ちに彼を想起するだけの有力な学者となって居たにも拘らず、大学内部ではそうした日陰者の待遇を受けて居た。) ラッセルは更に続けて言う。『其の結果として彼等は一九一六年に余を学外へ放逐した。若しも余が講師の職によって口を糊するものであったとすれば、余は飢餓に陥らねばならなかった。』

 何故一体社会は、合理的の疑いを退けて不合理な信念を強制するのであるか。(右挿絵図:From B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953)其の原因は勿論普通人の性質の遺伝的不合理性にあるだろう。併し此の気勢を一層培養し、高進せしむるものとして、ラッセルは次の三つの要素を数え上げた。一、教育。二、宣伝。三、経済的圧迫
 ラッセルは其等の中でも特に教育に多くのページを割いて論じて居る。そして例えば米国の教育が、いかに教育の内容に対し、また教育者に対して圧迫を加えつつあるかを指摘して居る。其処では、社会変化の理論を論ずるもの、現在の社会制度を肯定しないものは教職を去らなければならぬ法律を制定した。だからラッセルは冷笑する。若しそうだとすれば、(社会変革者である)キリストやジョージ・ワシントンは学校で教えられてはならぬことになると。

 併し此の圧迫は、資本主義国家にのみ固有の現象では無い。社会主義国家、例えば労農露国にも其れがある。
 ラッセルは入露した時、ペトログラードで、有名な詩人アレキサンダア・ブロック氏に逢った。ボリシェヴィキは彼に美学を教えることを許した。併しボリシェヴィキの命令として、其の美学は、『マルクスの見地に立って』講ぜられねばならぬというのである。我国の所謂プロレタリア文藝論者には大悦びな注文であろう。ブロックは飢餓を避ける爲めには、リズムの理論をマルクス主義と結び付けて論じなければならぬこととなった。其れが果して出来る途であるか。ブロックは其の後、窮乏の爲めに死亡した。

 『我々は、パラドキシカルな事実に面接して居る。というのは、教育は叡智と思想の自由とに対して主たる障害物になって居ることだ。此れは主に□□(検閲のため伏せ字となっている。「国家」という言葉が入ると思われる。)が独占を要求する事実に基づくものである。併し其れは必ずしも唯一の原因では無い。』(参考:野村博「ラッセルの初邦訳書における'伏せ字'と思想の自由」)
 ラッセルはこう言って、教育に関する一節を終わって居る。

 最後の経済的圧迫を論じた節に、一つ痛快なすっぱぬきがある。
 亜米利加では、いかなる大学教授も、よしどれほど有名な学者であったにせよ、スタンダード石油会社を批評して失職しないで居られるかどうか。何故なればすべての大学総長は、ロックフェラー君から恩恵を受け、又は受けようと希って居るから。
 ラッセル氏はそういった後に、要するに亜米利加の如き産業的に進んだ土地では、普通の亜米利加の市民は、若しも食いはぐれない様にしようと思えば、或る巨大な人物(certain bigman)にらまれない様に気を付けなければならないと論じた。
 ロックフェラアに就てだけは無風帯な学説-其れをもっと拡張して行けば、どれだけ有名な、世間からは卓識だと認められて居る大学教授の議論学説にも、自由思想の日光の照って居ない陰湿地がいかに多く残って居るか知れたもので無い。
 他人事では無い。ラッセルの批評して居るのは、敢て米国に就てだけではあるまい。

 私ははもう此れ以上を紹介したくは無くなった。すべて思想家、特に評論家は捨て身になってかかることだと、私は信じて居る。背水の陣を布かない人の言葉に、何の真実が籠もり得よう。