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ラッセル『権力』(松下彰良・訳)
Power; a new social analysis, by Bertrand Russell
(London; George Allen & Unwin, 1938)
総目次
第16章
権力哲学 イントロ累積版
本章の目的は,主として権力愛によって鼓舞されている若干の哲学について考察することである。
偉大な宗教(世界の大宗教)は徳(美徳)を目指すものであるが,通常は徳以上のものも目指す。
フィヒテの哲学は,自我(エゴ)を世界における唯一の存在(存在する唯一のもの)とし,ここから出発するものである。
以上述べたことの全ては「観念論」として知られており,外界の実在を認める哲学に比べて,道徳的により高尚だと考えられている。(注:皮肉です。)
プラグマティズムは、そのある形態のものは、権力哲学(の一つ)である。
ベルグソンの創造的進化は(も)(一つの)権力哲学であり,これはバーナード・ショーの『メトセラに帰れ』の最終幕で幻想的に展開されている。
哲学者の中には,自分の権力衝動が自らの形而上学を支配するのを許さないが(認めないが)、自らの倫理学においては自分の権力衝動に自由を与える者がいる。
権力愛は,普通の人間性の一部をなすものであるが,権力哲学は,ある厳格な意味で,狂気である(正気ではない)。
まず独我論(solipsism 「唯我論」とも言う)から始めよう。
このようにして,独我論(唯我論)もある種の社会生活の基礎(基盤)となることが可能である。
次に,ニーチェの英雄崇拝をとりあげてみると、(ニーチェによれば)出来損ないで無能な連中("the bungled and botched"」は英雄の(ために)犠牲になるべきである。
権力哲学(注:権力に関する哲学ではなく、権力欲が心の底に潜んでいる哲学)は、その社会的な結果を考慮に入れると、自己反駁的である(自分で自分の誤りを明らかにするもの)と言わなければならない。
第17章 権力を手懐けること