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ラッセル『権力』(松下彰良・訳)

Power; a new social analysis, by Bertrand Russell
(London; George Allen & Unwin, 1938)


総目次

第4章「聖職者(僧侶)の権力」 イントロ累積版

  1. 本章と次章において,過去に最も重要性を持っていた伝統的権力の二つの形態,即ち,聖職者(僧侶)の権力(authority 権威)と王の権力(権威)について考察しようと思う。

  2. 聖職者(僧侶)の最も原始的な形態は呪術師(medicine-man じゅじゅつい)であり,その権力は二種類あって,人類学者はそれを宗教的権力(信仰の力)と魔術的な権力(魔力)の二つに区別している。

  3. リヴァーズによれば,メラネシアでは,大部分において,病気を治療する者は,魔術師(sorcerer)か僧侶である(とのことである)

  4. (古代)ギリシアと(古代)ローマは,聖職者(僧侶)の権力からほとんど干渉を受けなかったという理由で,古代において,特有(独特の存在)であった。

  5. この物語には注目すべき特徴がいくつかある。

  6. そのようなスキャンダルがあったにもかかわらず,デルファイの神託を支配すること(ができるかどうか)は(注:control of the oracle),由々しい戦争の原因になるほどの政治的に重要な問題であり続け,その戦争は,宗教と結びついていることから、「聖」戦と呼ばれた(のである)。

  7. 私たちは(本書で)これまで,歴史的な起源がまったくわからない太古(注:歴史記録が始まっていない大昔)から伝わってきた宗教のみについて関心を持ってきた(検討してきた)。

  8. 宗教的革新者も世俗的革新者も,両者とも −いかなる程度であっても最も永続的な成功をなしえた人たちは,できるだけ伝統に訴えてきており− 彼らの手の内にあるものは何であっても(権力の及ぶものは何でも),彼らの制度のうちにある新奇な要素を最小限にするようにしてきた。
  9. 歴史上知られているあらゆる聖職者(僧侶)の組織のなかで,最も強力かつ重要なものは,カトリック教会であった(である)。
  10. (紀元5世紀の)蛮族の侵入後,六世紀(600年)の間,西方キリスト教会は,イングランド,フランス,北イタリア及びキリスト教下のスペインを支配していた乱暴で情熱的なゲルマン民族の王侯たちと,互角に戦うことができなかった。

  11. 西暦一千年以後,予想された世界の終わり(注:キリスト教の終末思想)が(西暦1000年に)起こらなかったことがわかると,文明の急速な進歩が起こった。

  12. (ローマ教皇)グレゴリウス七世の即位(1073年)に始まる教皇権(Papacy 教皇制)の盛んな時代(great days 栄光の日々)は,(ローマ教皇)クレメンス五世によるアヴィニョン(注:フランスの南東部に位置する都市)における教皇権(教皇制)の確立まで及ぶ

  13. グレゴリウス七世が教皇の地位についていた期間は,教会改革の一つの重要な時期の最頂点であった。

  14. (カトリック)司祭の独身主義は,ヒルデブランド(注:Hildebrand = Ildebrand イルデブランド=教皇グレゴリウス七世)の専心事項(夢中になっている問題)のうちの一つであった。
  15. この教会改革運動は,十一世紀の後半を満たし(盛んであり),大修道院長(Abbots),司教(Bishops)及び大司教(Archbishops)と封建貴族とを分離することに(注:封建貴族は司教等になれない),また,彼らを任命する際に,教皇に発言権を与えることに(注:giving the Pope a voice)に,大いに成功した。
  16. グレゴリウス七世は,決して平和主義者ではなかった。
  17. アルノルド・ダ・ブレシア(ブレスチアのアーノルド)の教義は,教皇と皇帝とを互いに和解させるようなものであった。
  18. 教皇権と皇帝フリードリッヒ二世との間の長期の争いの中で,最終的に教皇が勝利を得たのは,主として,二つの理由のおかげである。
  19. 教皇イノセント四世が亡くなっても,教皇の政策には変化はまったくなかった。
  20. 西口ーマ帝国の滅亡から十六世紀の末にかけての全期間は,二つの伝統の争い(の期間)として見てよいであろう。
  21. (神聖ローマ帝国の王朝である)ホーエンシュタウフェン朝が没落したのち,カトリック教会は,数十年の間,西方世界に対するイタリアの支配を再構築したように思われた。
  22. ローマン・カトリック教会の「大分裂」(注:The Great Schism カトリック教会は,ローマにいる教皇とアビニヨンにいる教皇とに分裂)は,教皇に対して敬意を払うことをなおいっそう困難にした。
  23. 十五世紀の教皇権は,イタリアにはあっていた一方,あまりにもあけっぴろげで非道徳的であると同時に,あまりにも世俗的かつ非宗教的なものであったために,(ヨーロッパの)北方諸国の人々の信仰心を満足させなかった。
  24. この点に関連して,マキアヴェリが『君主論』の第11章に,キリスト教会の支配権(ecclesiastical principalities)の問題について述べているところを見ると,興味深い。
  25. この(マキャベリの)言葉が書かれたのは,レオ十世が教皇職に就いていた時期のことであり,それは宗教改革が始まった時期であった。
  26. 教皇権の盛衰は宣伝による権力の獲得について理解したいと望むいかなる人にとって,研究に値するものである。
  27. しかし,ずば抜けて大きな(カトリック)教会の強みは,教会が人々の心に吹き込んだ(教会に対する)道徳的敬意であった。
  28. しかし,理想的な目的を持っている,従って権力愛に対する言い訳を持っている組織にとって,崇高な徳(superior virtue)を持っているという評判は(かえって)危険であり,その評判は,長い目で見れば、不道徳な残酷さ(unscrupulous ruthlessness. )においてのみ卓越さを生み出すことは確実である。
  29. 今日のアメリカ合衆国においては,古代ギリシア人が神託に払った,また,中世(の人々)が教皇に対して払った敬意を,合衆国最高裁判所(注:州の最高裁は除く)に対して払っている。合衆国憲法の働き(作用)について研究したことのある人々は,合衆国最高裁判所が金権政治を擁護している勢力の一部であることを知っている。
  30. 神学的な権力は,世俗的な権力がそうであるほど,戦争の敗北の影響を受けることはずっと少ない。
第5章 王の権力