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Marriage and Morals, 1929

ラッセル『結婚論(結婚と性道徳)』(松下彰良・訳)

Next(次ページ) 序論_イントロ累積索引 Contents(総目次)
 Marriage and Morals (1929)には、『ラッセル幸福論』,及び『ラッセル教育論』とともに、岩波文庫に安藤貞雄氏による名訳があります。しかし、残念ながら、『ラッセル幸福論』『ラッセル教育論』ほど売れておらず、新刊書店で見かけることもほとんどありません。
 そこで、ここではウェブの利点を活かした形で連載していこうと思っています。(ただし、他にもっとご紹介したいものがでてきたら、途中で中断するかも知れません。
 なお,安藤氏の邦訳は、「訳者あとがき」によれば、少し残念ながら、原本テキストとして初版第6刷(1938年刊)を使用しているとのことです。しかし,初期の刷りのものには、誤解をまねく表現(人種差別的な表現)があるとの指摘を友人から受け、(それはラッセルの本心ではないということで)その部分を修正をしています(重要な修正です!)。他にも修正箇所があるかも知れませんが不詳です。このウェブ版は、修正版(Routledge, 1994 ed.)の原著テキストを使用することにします。(2016.05.23)


 

序論

 古代であれ、現代であれ、社会を特徴づけるものとして二つの要素があり,それらの2つの要素は最高に重要性を持っていてかなり密接に相互に関連している。(即ち)一つは経済制度であり、もう一つは家族制度である。今日、二つの影響力を持つ学派があり,一方は、あらゆるものを経済的な原因(源泉)から導き出すのに対して、他方は、あらゆるものを家族あるいは性的な原因(源泉)から導き出す。前者はマルクス(学)派であり、後者はフロイト(学)派である。
 私自身はどちらの学派の信奉者でもない。なぜなら、経済と性との相互の結びつきは、因果的効力(causal efficacy 因果作用)の点から見て、一方が他方よりも優位であることをはっきり示しているとは、私には思えないからである。たとえば、疑いもなく、産業革命は性道徳に深刻な影響を及ぼしてきたし、これからも及ぼすと思われるが、逆に、清教徒の性道徳は、心理的に見れば、産業革命の原因の一部(ひとつ)として不可欠であった。
 私自身は、経済的な要因と性的な要因のどちらにも優位(性)を与えるつもりはないし、事実、両者をはっきりと切り離すことはできない。経済は、本質的には、食物を手に入れることに関係しているものであるが、人間の場合、食物は個人のためにだけ求められることはめったになく、家族のために求められる(欲せられる)のであって,家族制度が変化するにつれて、経済的動機もまた変化する(のである)。
 もし仮に、プラトンの『国家』に書かれているように、子供が両親からとりあげられて国家によって養育されるとしたら、生命保険だけでなく、私的な(個人的な)の貯蓄の大部分の形態はほとんど影を消してしまうであろう。すなわち、もしも、国家が父親の役割を引き受けるとしたら、事実上(ipso facto)、国家が唯一の資本家になるだろう。徹底した共産主義者はしばしば逆の主張、即ち、もし、国家が唯一の資本家になるようであれば、我々の知っているような家族(形態)は生き残ることはできない、と主張してきた。たとえ,これは誇張しすぎだとしても、私有財産と家族との間に密接な関係があることは否定できない。しかも、この関係は相互的なものであり、一方が原因で他方が結果である・と言うことはできない。

Bertrand Russell: Marriage and Morals

Introduction

In characterising a society, whether ancient or modem, there are two elements, rather closely interconnected, which are of prime importance: one is the economic system, the other the family system. There are at the present day two influential schools of thought, one of which derives everything from an economic source, while the other derives everything from a family or sexual source, the former school that of Marx, the latter that of Freud. I do not myself adhere to either school, since the interconnection of economics and sex does not appear to me to show any clear primacy of the one over the other from the point of view of causal efficacy. For example: no doubt the industrial revolution has had and will have a profound influence upon sexual morals, but conversely the sexual virtue of the Puritans was psychologically necessary as a part cause of the industrial revolution. I am not prepared myself to assign primacy to either the economic or the sexual factor, nor in fact can they be separated with any clearness. Economics is concerned essentially with obtaining food, but food is seldom wanted among human beings solely for the benefit of the individual who obtains it; it is wanted for the sake of the family, and as the family system changes, economic motives also change. It must be obvious that not only life insurance but most forms of private saving would nearly cease if children were taken away from their parents and brought up by the state as in Plato's Republic; that is to say, if the State were to adopt the role of the father, the State would, ipso facto, become the sole capitalist. Thoroughgoing Communists have often maintained the converse, that if the State is to be the sole capitalist, the family, as we have known it, cannot survive; and even if this is thought to go too far, it is impossible to deny an intimate connection between private property and the family, a connection which is reciprocal, so that we cannot say that one is cause and the other is effect.



(掲載日:2016.05.23/更新日: )