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ラッセル「人類の危機」
(1954年12月23日BBCクリスマス放送)
故・中村秀吉(訳(一部松下修正))
'Man's Peril
Dec. 23, 1954 (BBC)

 私が今ここでお話するのは,英国人やヨーロッパ人や西欧民主主義(国)の一員としてではなく,人間として,また存続が疑わしい'ヒトという種の一員としてです。世界は,「ユダヤ人とアラブ人」,「インド人とパキスタン人」,「アフリカにおける白人と黒人」等の間の争いや,あらゆる小さな争いを顔色なからしめる「共産主義対反共産主義」の巨人的闘争のような紛争に満ち満ちています。

 政治意識をもつほとんどすべての人々は,このような二,三の事態を痛感しているが,できることならひとまずそうした感情を離れて,素晴らしい歴史をもち,かつ誰も消え去ることを望まない生物学的種の一員としてのみ,自分自身を考察してほしいと思います。私は特に一つのグループに話しかけるつもりはりません。すべてのグループは同様に危機にあり,その危機が理解されれば,ともにそれを避ける望みがあります。われわれは新しい思考法を学ばねばなりません。自分の好むグループに勝利をもたらすにはどういった手段(処置)をとるべきかについて学ぶべきではありません。なぜかというと,このような手段はもはや存在しないからです。自問しなければならない問題とは,軍事による抗争 −−それはあらゆる方面に惨害をもたらすに相違ない−− を防ぐために,どういう手段をとりうるかということです。

 一般民衆は,また権力の座にある多くの人でさえ,水爆戦争に巻き込まれたらどうなるかということを悟っていません。一般民衆はまだ都市の抹殺という点から事態を考えています。新爆弾は古いものよりもずっと強力であって,一発の原子爆弾は広島を抹殺できたのに,いまや一発の水素爆弾はロンドンやニューヨークやモスクワのような大都市を抹殺できるものと理解されています。水爆戦争では大都市は抹殺されるに違いないが,これとても直面すべき比較的軽少な惨害の一つです。ロンドン,ニューヨーク,モスクワの人たちがすべて根絶されても,世界は数世紀の中にその打撃から回復するでしょう。しかしながら,とくにビキニ実験以来,水素爆弾は想像されていたよりもずっと広い地域にわたって,徐々に破壊を拡げることができるということが知らようになりました。いまや,広島を破壊した爆弾の二万五千倍も強力な爆弾を製造することができると信頼すべき専門家は語っています。このような爆弾は,地上近くあるいは水中で爆発すると,放射能をもった粒子を上空に送り,それは次第に降下して,死の灰や雨(いわゆる「黒い雨」)の形で地表に到達します。アメリカの専門家が危険地帯と信じていた区域外にいたにもかかわらず,日本人漁夫と彼らの捕えた魚を汚染したのはこの'死の灰'でした。このような致命的な被害をもたらす放射能微粒子がどこまで拡がるかは誰も知らないが,水爆戦争は人類に終止符を打つことが全くありうべきことと,最高の権威筋は一致してのべています。多量の水素爆弾が使われると,世界中が死 −−幸運な少数者に対してはただちに,大多数の人たちには病気がなしくずしの苦痛および崩解として起る−− にいたるのではないかと懸念されています。

 つぎに多くの中から二,三の例を拾ってみましょう。ジョン・スレッサー卿は,彼の空中戦の経験から,最高の権威をもって語ることができるますが,「こんにちの世界戦争は,あらゆるものの自殺だろう」といい,さらに続けて「戦争の特殊な武器を廃止する試みは,いかなる意味も持たないし,将来も持たないだろう,われわれがやめなければならないものは戦争そのものである」といいました。神経生理学のイギリスにおける指導的な権威であるエードリアン卿は,最近,大英学術協会会長としての挨拶で同様な点を強調しています。「われわれは原子爆発の繰返しが,誰ひとりとして黙認も,逃れることもできないほど一般の放射能を増加させる可能性に直面しなければならない」といい,「われわれは古い忠誠心のあるものを捨てるつもりにならなければ,人類を終焉させる戦争に追い込まれるだろう」とつけ加えました。空軍大将のフィリップ・ジョーバート卿は「水素爆弾の到来とともに,人類は政策の継続としての戦争を放棄するか,完全な破壊の可能性を受け容れるか,いずれかでなければならないところまで到達したようにみえる」といっていますが,このような引用は,いくらでもすることができます。

 多くの警告は,すぐれた科学者や戦略の権威によってなされてきました。彼らはだれも最悪の結果が確実にくるとはいわないでしょう。彼らのいうことは,このような結果が可能であり,誰もそれが実現しないとはいいきれないということです。この問題にかんする専門家の見解が,彼らの政策や偏見に少しでも依存する場合を私は見出しませんでした。私の調査から知りえた限り,彼らの見解は特殊な専門的知識にのみ依存しています。私はきわめて多くを知っている人が,きわめて陰欝な意見の持主であることを知りました。


 厳しい避けがたい問題

 次に,私が諸君に示す厳しくて恐ろしい,避けがたい問題があります。それは,人類に終止符を打つか,それとも戦争を拒否するか,ということです。人々は戦争を止めるのが難しいので,この'選言命題'(2つの選択肢)に直面しようとしません。戦争の廃止は国家主権の好ましからざる制限を要求します。けれども,なにものにもましておそろしく事態の理解を妨げているものは,「人類」という概念が漠然として抽象的な感じがすることでしょう。人々は危険が,彼ら自身や,彼らの子供や孫たちに起るものであり,ぼんやり理解された人類にだけ起るのではないということを,はっきりと想像してみません。そこで彼らは,近代兵器が禁止されれば,恐らく戦争は続けてもよいだろうと希望的に観測するのです。私はこの希望は幻想的なものではないかと思います。水爆を使用しないといういかなる協定が平和時に締結されていても,戦争になれば拘束力を持たないだろうし,敵味方とも戦争が勃発するとすぐに水素爆弾を製造し始めるでしょう。なぜなら,一方の側が水爆を製造し,他方の側が製造しなければ,製造した方の側は勝つにきまっているからです。

 鉄のカーテン(*注)の両側に,将来の戦争の破壊的性格を強調するには政治的障害があります。どちらかの側が決して戦争には訴えないことを声明すれば,その側は外交的に他方の側の自由になってしまいます。どちらの側も自已保存のためには耐えきれない挑発行為があるといい続けなければなりません。どちらの側も調停を望んでいるだろうが,この願いを人を納得させるようにはあえて表現しません。その立場は昔の決闘する人と似ています。決闘する者が両方とも死を恐れ,和解を望むことはしばしばありましたが,どちらも卑怯だと思われるのを恐れてそれをいい出すことができませんでした。このような場合,唯一つの希望は,両側の友達が両方とも同時に賛成するような調停を提案して介入することでした。これは鉄のカーテンの両側の現在の主人公の地位にまったく類似しています。戦争をほとんど不可能にする協定に到達するためには,「宥和」政策を擁護していると非難されないで,戦争の惨害を語れる,中立的立場にある友好的な事務当局によって,なされなければなりません。中立者は自分の利益の最も狭い考慮からみても,世界戦争の勃発を防ぐためにはできるであろうあらゆることをする権利をもっています。なぜなら,このような戦争が起れば,中立国のあらゆる住民が他の人類とともに亡びることはきわめて蓋然的だからです。私が中立的政府を制御できる立場にあれば,自分の国が住民を持ち続けるようにする(国民の生命を守る)ことを,私の永遠の義務と考えることは確かだろうし,このことを可能にする唯一の道は,鉄のカーテンの両側にある国々の間の,ある種の和解を促進することでしょう。
* 注:この言葉は,1946年3月,イギリスのチャーチル首相が行った演説の中で,「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで,ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。・・・」と言ったことに由来している。東西冷戦を象徴する意味でチャーチルが使ったものであり,一般に流布した。

 私個人としては,感性的にはもちろん中立ではなく,戦争の危険が西欧側の屈辱的屈服によって回避されるのを望みません。しかし人間としては,東西の対立を,共産主義者と非共産主義者,アジア人,ヨーロッパ人,アメリカ人,白人,黒人のいずれをも問わず,誰にも満足の行くように解決するためには,このような対立は戦争によって決着をつけてはならない,ということを思い出さなければならなりません。これが鉄のカーテンの両側で理解されることを希望し,一方の側にのみ了解してもらうのでは不十分だということを強調しなければなりません。中立国はわれわれの悲劇的なジレンマに巻き込まれてはいないから,もし希望するならこのことを両側に悟らすことができると思われます。私は一,二の中立的な強国が,全て中立の人からなる専門家の委員会を任命し,好戦国のみならず中立国にも,水爆戦争によってひき起されると思われる破壊的な結果についての報告を作成するのを見たいものです。また,この報告が調査結果とともに,列強の賛成・不賛成をあらわす要請を含めて,全列強政府に提出されることを望みたいと思います。こうして全列強は,世界戦争は友邦も敵国も中立国も等しく根絶するだろうから,もはや彼らの目的にかなわないという考えになることが可能に思われます。

 地質学的時間が保証するように,人間は極めて短い期間,たかだか百万年位しか生存していません。とくに最近の六千年間に人間の成就したことは,少くともわれわれの知っている限りの宇宙史では,まったく新しいことです。数知れぬ年月を,太陽は昇り沈みし,月は満ち欠けし,星は夜輝いたが,このようなことは人間が出現して始めて理解されたのです。天文学の大世界や,原子の小世界において,人間は発見できがたいと思われるような秘密をあばき出しました。芸術,文学,宗教において,ある人々は人類を保存するに足る価値をもたせるような崇高な感情を示しました。人間のあれこれのグループよりも人間そのもののことを考えられる人がほとんどいないからといって,これらすべてのことをつまらぬ恐怖の内に終らせるべきでしょうか。人類はその愚劣極まる'怜悧さの最後の証明'が,地球上のあらゆる生物の絶滅 −−なぜなら亡びるのは人間ばかりでなく,だれも共産主義や非共産主義といってせめられない動物も亡びるからです。−− であるというほど,知恵を欠き,私心なく愛することができず,自己保存という最も単純な命令にも盲目的な存在なのでしょうか

 私はこれが終りだということは信じられません。一瞬間争いを忘れて,生き残ることに専念するならば,未来の勝利は過去の勝利をはるかに越えるだろうと期待する十分の理由があるということを,彼らに反省してもらいたいのです。我々の前途には,もし選ぶならば,幸福,知識,知恵における絶えざる進歩が横たわっています。我々は,喧嘩が忘れられないからといって代りに死を選ぶのでしょうか。私は,人類(同胞である全ての人類)に対する一人の人間として,訴えます。人間性を思い出し,それ以外のことを忘れましょう。それができれば,新しい天国への道は開かれています。しか,それができなければ,未来には全体的破滅(人類の滅亡)があるのみです。


I AM speaking on this occasion not as a Briton, not as a European, not as a member of a Western democracy but as a human being, a member of the species 'Man', whose continued existence is in doubt. The world is full of conflicts: Jews and Arabs; Indians and Pakistanis; white men and Negroes in Africa; and, overshadowing all minor conflicts, the titanic struggle between Communism and anti-Communism.
Almost everybody who is politically conscious has strong feelings about one or more of these issues; but I want you, if you can, to set aside such feelings for the moment and consider yourself only as a member of a biological species which has had a remarkable history and whose disappearance none of us can desire. I shall try to say no single word which should appeal to one group rather than to another. All, equally, are in peril, and, if the peril is understood, there is hope that they may collectively avert it. We have to learn to think in a new way. We have to learn to ask ourselves not what steps can be taken to give military victory to whatever group we prefer, for there no longer are such steps. The question we have to ask ourselves is: What steps can be taken to prevent a military contest of which the issue must be disastrous to all sides?
The general public, and even many men in positions of authority, have not realized what would be involved in a war with hydrogen bombs. The general public still thinks in terms of the obliteration of cities. It is understood that the new bombs are more powerful than the old and that, while one atomic bomb could obliterate Hiroshima, one hydrogen bomb could obliterate the largest cities such as London, New York, and Moscow. No doubt in a hydrogen-bomb war great cities would be obliterated. But this is one of the minor disasters that would have to be faced. If everybody in London, New York, and Moscow were exterminated, the world might, in the course of a few centuries, recover from the blow. But we now know, especially since the Bikini test, that hydrogen bombs can gradually spread destruction over a much wider area than had been supposed. It is stated on very good authority that a bomb can now be manufactured which will be 26,000 times as powerful as that which destroyed Hiroshima. Such a bomb, if exploded near the ground or under water, sends radioactive particles into the upper air. They sink gradually and reach the surface of the earth in the form of a deadly dust or rain. It was this dust which infected the Japanese fishermen and their catch of fish although they were outside what American experts believed to be the danger zone. No one knows how widely such lethal radio-active particles might be diffused, but the best authorities are unanimous in saying that a war with hydrogen bombs is quite likely to put an end to the human race. It is feared that if many hydrogen bombs are used there will be universal death -- sudden only for a fortunate minority, but for the majority a slow torture of disease and disintegration.
I will give a few instances out of many. Sir John Slessor, who can speak with unrivalled authority from his experiences of air warfare, has said: 'A world war in this day and age would be general suicide'; and has gone on to state: 'It never has and never will make any sense trying to abolish any particular weapon of war. What we have got to abolish is war.' Lord Adrian, who is the leading English authority on nerve physiology, recently emphasized the same point in his address as President of the British Association. He said: 'We must face the possibility that repeated atomic explosions will lead to a degree of general radio-activity which no one can tolerate or escape'; and he added: 'Unless we are ready to give up some of our old loyalties, we may be forced into a fight which might end the human race'. Air Chief Marshal Sir Philip Joubert says: 'With the advent of the hydrogen bomb, it would appear that the human race has arrived at a point where it must abandon war as a continuation of policy or accept the possibility of total destruction'. I could prolong such quotations indefinitely.
Many warnings have been uttered by eminent men of science and by authorities in military strategy. None of them will say that the worst results are certain. What they do say is that these results are possible and no one can be sure that they will not be realized. I have not found that the views of experts on this question depend in any degree upon their politics or prejudices. They depend only, so far as my researches have revealed, upon the extent of the particular expert's knowledge. I have found that the men who know most are most gloomy.

Stark, Inescapable Problem

Here, then, is the problem which I present to you, stark and dreadful and inescapable: Shall we put an end to the human race ; or shall mankind renounce war? People will not face this alternative because it is so difficult to abolish war. The abolition of war will demand distasteful limitations of national sovereignty. But what perhaps impedes understanding of the situation more than anything else is that the term 'mankind' feels vague and abstract. People scarcely realize in imagination that the danger is to themselves and their children and their grandchildren, and not only to a dimly apprehended humanity. And so they hope that perhaps war may be allowed to continue provided modern weapons are prohibited. I am afraid this hope is illusory. Whatever agreements not to use hydrogen bombs had been reached in time of peace, they would no longer be considered binding in time of war, and both sides would set to work to manufacture hydrogen bombs as soon as war broke out, for if one side manufactured the bombs and the other did not, the side that manufactured them would inevitably be victorious.
On both sides of the Iron Curtain there are political obstacles to emphasis on the destructive character of future war. If either side were to announce that it would on no account resort to war, it would be diplomatically at the mercy of the other side. Each side, for the sake of self-preservation, must continue to say that there are provocations that it will not endure. Each side may long for an accommodation, but neither side dare express this longing convincingly. The position is analogous to that of duellists in former times. No doubt it frequently happened that each of the duellists feared death and desired an accommodation, but neither could say so, since, if he did, he would be thought a coward. The only hope in such cases was intervention by friends of both parties suggesting an accommodation to which both could agree at the same moment. This is an exact analogy to the present position of the protagonists on either side of the Iron Curtain. If an agreement making war improbable is to be reached, it will have to be by the friendly offices of neutrals, who can speak of the disastrousness of war without being accused of advocating a policy of 'appeasement'. The neutrals have every right, even from the narrowest consideration of self-interest, to do whatever lies in their power to prevent the outbreak of a world war, for if such a war does break out, it is highly probable that all the inhabitants of neutral countries, along with the rest of mankind, will perish. If I were in control of a neutral government, I should certainly consider it my paramount duty to see to it that my country would continue to have inhabitants, and the only way by which I could make this probable would be to promote some kind of accommodation between the powers on opposite sides of the Iron Curtain.
I, personally, am of course not neutral in my feeling and I should not wish to see the danger of war averted by an abject submission of the West. But, as a human being, I have to remember that, if the issues between East and West are to be decided in any manner that can give any possible satisfaction to anybody, whether communist or anti-communist, whether Asian or European or American, whether white or black, then these issues must not be decided by war. I should wish this to be understood on both sides of the Iron Curtain. It is emphatically not enough to have it understood on one side only. I think the neutrals, since they are not caught in our tragic dilemma, can, if they will, bring about this realization on both sides. I should like to see one or more neutral powers appoint a commission of experts, who should all be neutrals, to draw up a report on the destructive effects to be expected in a war with hydrogen bombs, not only among the belligerents but also among neutrals. I should wish this report presented to the governments of all the Great Powers with an invitation to express their agreement or disagreement with its findings. I think it possible that in this way all the Great Powers could be led to agree that a world war can no longer serve the purposes of any of them, since it is likely to exterminate friend and foe equally and neutrals likewise.
As geological time is reckoned, Man has so far existed only for a very short period -- 1,000,000 years at the most. What he has achieved, especially during the last 6,600 years, is something utterly new in the history of the Cosmos, so far at least as we are acquainted with it. For countless ages the sun rose and set, the moon waxed and waned, the stars shone in the night, but it was only with the coming of Man that these things were understood. In the great world of astronomy and in the little world of the atom, Man has unveiled secrets which might have been thought undiscoverable. In art and literature and religion, some men have shown a sublimity of feeling which makes the species worth preserving. Is all this to end in trivial horror because so few are able to think of Man rather than of this or that group of men?, Is our race so destitute of wisdom, so incapable of impartial love, so blind even to the simplest dictates of self-preservation, that the last proof of its silly cleverness is to be the extermination of all life on our planet? -- for it will be not only men who will perish, but also the animals, whom no one can accuse of Communism or anti-Communism.
I cannot believe that this is to be the end. I would have men forget their quarrels for a moment and reflect that, if they will allow themselves to survive, there is every reason to expect the triumphs of the future to exceed immeasurably the triumphs of the past. There lies before us, if we choose, continual progress in happiness, knowledge, and wisdom. Shall we, instead, choose death, because we cannot forget our quarrels? I appeal, as a human being to human beings: remember your humanity, and forget the rest. If you can do so, the way lies open to a new Paradise; if you cannot, nothing lies before you but universal death.