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競争的な精神の習憤の悪影響 The competitive habit of mind

BUN-IWA 競争的な精神の習憤は,本来競争のない領域にまで容易に侵入してくる。たとえば,読書の問題をとりあげてみよう。読書には2つの動機がある。ひとつは読書を楽しむこと,もうひとつは読書について自慢できることである。アメリカでは,成人女性が毎月何冊かの本を読むこと,あるいは,読んだふりをすることが流行している。それらの本を(すべて)読む人もいれば,第一章(だけ)を読む人もいるし,書評(だけ)を読む人もいるが,誰もそれらの本を机の上に置いている(ことでは共通している→いわゆる「積読」(つんどく))。しかしながら,彼女らは大作(古典的名作)はまったく読まない。『ハムレット』や『リア王』がブッククラブ(読書クラブや読書会)によって選ばれた月は一度もなかったし,ダンテについて知る必要があった月もなかった。それゆえ,読まれる本は(←なされる読書は),すべて現代の二流の本ばかりであり,古典的名作であることは決してない

The competitive habit of mind easily invades regions to which it does not belong. Take, for example, the question of reading. There are two motives for reading a book: one, that you enjoy it; the other, that you can boast about it. It has become the thing in America for ladies to read (or seem to read) certain books every month; some read them, some read the first chapter, some read the reviews, but all have these books on their tables. They do not, however, read any masterpieces. There has never been a month when Hamlet or King Leer has been selected by the Book Clubs; there has never been a month when it has been necessary to know about Dante. Consequently the reading that is done is entirely of mediocre modern books and never of masterpieces.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.3: Competition
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA13-050.HTM

[寸言]
ベストセラーだと安心して読む人がいますね。否、そういう人の方が多いかもしれません。自分の力で良書を発見するには,多くの読書経験と自分の頭で考える訓練が必要ですが,ただ多くの人ひとが読んでいるということだけで,・・・。

経済第一,お金第一:「金銭崇拝」の行きつくところ undiluted fight for financial success

DOKUSH34 ・・・・。以上のような結果,アメリカでは,知的職業にたずさわる人は,実業家のまねをし,ヨーロッパにおけるように独自のタイプをなしていない。それゆえ,アメリカには,富裕階級のすべてにおいて,金銭的な成功のための露骨な容赦ない闘いを緩和するものは,何ひとつ存在しない。アメリカの少年たちは,ごく幼いころから経済的(金銭的)な成功のみが唯一重要な事であると感じているので,’金銭的な価値のない教育’にわずらわされることを望まない。

The consequence of all this is that in America the professional man imitates the businessman, and does not constitute a separate type as he does in Europe. Throughout the well-to-do classes, therefore, there is nothing to mitigate the bare, undiluted fight for financial success.
From quite early years American boys feel that this is the only thing that matters, and do not wish to be bothered with any kind of education that is devoid of pecuniary value.
* undilted (adj.): 薄めていない、純粋の
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.31:What makes people unhappy?
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA11-040.HTM

[寸言]
これは,ラッセルがこのエッセイを書いた1930年代のアメリカの状況ですが,現在でも状況はあまり変わっていないようです。

だいぶ以前のことですが,日本経済が比較的好調な時期に,日本の富裕層の父親が子供に百万単位のお金を渡して,株式を通して経済の勉強をさせている(また某高校でも,仮想のお金を生徒に割り当てて,株式売買を通して,経済の学習をさせている)との紹介が,日経WBSでありました。結局バブルが弾けてしまいましたが・・・。

アベノミクスということでこれまでは「相対的に」ある程度調子がよかったかもしれないですが,後1年くらいでまた元の木阿弥になり,「アベノ(の)リスク」だった,ということになるような気がしますが・・・!?。
それに,2020年のオリンピックまで,東京大地震も,南海トラフ大地震も,富士山の大爆発,のいずれも起こらないという前提でものを考えるのは危険ではないでしょうか?

「御用学者」を「学識経験者」と誤魔化しても国民はよくわからないので ・・・

KNOWLEDG 知識階級について言えば,ある医者が本当に医学のことをよく知っているかどうか,あるいは,ある弁護土が本当に法律のことをよく知っているかどうか,部外者には全然わからない。そこで.彼らの優秀さを判断するには,彼らの生活水準から推定される収入によるほうが容易である(とアメリカでは考えられている)。(アメリカにおいては)大学教授について言えば,彼らは実業家たちに金で雇われた使用人であり,そういうものとして,もっと(歴史の)古い国々で与えられているほどの尊敬を受けていない。

As for the learned professions, no outsider can tell whether a doctor really knows much medicine, or whether a lawyer really knows much law, and it is therefore easier to judge of their merit by the income to be inferred from their standard of life. As for professors, they are the hired servants of businessmen, and as such will less respect than is accorded to them in older countries.
http://russell-j.com/beginner/HA13-040.HTM

[寸言]
長谷川三千子氏(埼玉大学名誉教授)はNHK経営委員にふさわしくないのではないかと問題になりましたが,(先日退任した百田尚樹氏とともに)安部首相のお気に入りとのこと。
菅官房長官は長谷川三千子氏は「日本を代表する哲学者」であり,立派な人だと記者会見で言っていました。長谷川氏については,テレビで報道されるまで聞いたことがない人物だったのでネットで調べてみたところ,かつて「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の代表幹事をしていたとのことで,安部首相や菅官房長官が長谷川氏をかばう理由がよくわかりました。
・菅官房長官は哲学のことはわからないと思われますが,そういった人がどうして長谷川氏が「日本を代表する哲学者」だと判断できるのでしょうか?

「生存競争」 → 実際は,他人を出し抜いて「成功」するための競争

tackle-f ・・・。それゆえ,人びとが生存競争という言葉で意味しているのは,実際は,成功のための競争にほかならない。この競争に参加しているとき,人びとが恐れているのは,明日の朝食にありつけないのではないか,ということではなくて,隣人に勝る(勝つ)ことができないのではないか,ということである

What people mean, therefore, by the struggle for life is really the struggle for success. What people fear when they engage in the struggle is not that they will fail to get their breakfast next morning, but that they will fail to outshine their neighbours.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 3: competition
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA13-010.HTM

「経験」から学ばない人 most people learn nothing from experience

RATIONAL これらの老政治家は皆、物事を経験する前に彼らが既に思いこんでいたことを信ずる(再確認する)ことを経験から学んできたのである。というのは、大部分の人は、自分の偏見(予断)を再確認するだけで経験からは何も学ばないからである。経験から何ものかを学ぶためには、科学者気質の本質とも言える一種の偏見のない広い心(開かれた心)が必要である。ただし、科学者の多くも、この偏見のない広い心がいくらか欠けているが。

All these men have learnt from experience to believe what they already believed before they had experience, for most people learn nothing from experience, except confirmation of their prejudices. To learn anything genuinely from experience requires a kind of open-mindedness which is the essence of the scientific temper, though many men of science are somewhat lacking in it.
From:The lessons of experience, Sept. 23, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
http://russell-j.com/EXPERIEN.HTM

[寸言]
ラッセルが嫌う「確信過剰」(cocksure)です。政治家だけではないですが,政治家は権力があるために,後の世の人々に,大きな被害を及ぼす可能性があります。
よく引用されるラッセルの次の言葉も同じ趣旨です。

揉め事(トラブル)の根本原因は、現代世界においては知的な(聡明な)人々が懐疑心でいっぱいである一方、愚かな人々が’確信過剰’である(cocksure)ということである。
(The fundamental cause of the trouble is that in the modern world the stupid are cocksure while the intelligent are full of doubt.)

遠い昔の旧友に会う時に孤独感が癒されるのは・・・ as men grow older

BR-MEDAL 我々は,年をとるにつれて我々の日常関係に入ってこない(要素とならない)人生の割合はいっそう大きくなっていく。大部分の友人たちは自分の一生の長い過去の経過について知らないので,自分の過去の経験のいっそう大きな部分が’日常の個人的つき合い’から除外される。年をとるにつれていっそう孤独を感じるようになるのは避けることのできない結果であり,遠い昔の旧友に会う時にこの孤独感が突然癒されるのである。

As we get older the portions of our life that do not enter into our ordinary relations become greater and greater. Most of our friends know nothing of large passages in our lives, so that an increasing part of our past experience is excluded from most of our personal relations. The inevitable result is that as men grow older they come to feel more solitary, and when they meet a friend of long ago, this feeling is suddenly relieved.
出典:Bertrand Russell: On old friends,Jan. 4th, 1933. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/O-FRIEND.HTM

「結果が全てだ」と言いはる野蛮人 when men assimilate themselves to machines …

hasimoto_toru (生産)過程に喜びがあるところにはスタイルがあり,生産活動は,それ自体,美的特質を持つに至るだろう。しかし,人間が機械に同化し,仕事自体ではなく仕事の結果のみを価値あるものとするならば,スタイルは消え,機械に同化した人間には(同化していない人間)よりも自然に思える,実際はただより野蛮なものが、それに取って代わる

Where there is delight in a process, there will be style, and the activity of production will itself have aesthetic quality. But when men assimilate themselves to machines and value only the consequences of their work, not the work itself, style disappears, to be replaced by something which to the mechanised man appears more natural, though in fact it is only more brutal.
In praise of artificiality, Sept. 9, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
http://russell-j.com/ARTIFICI.HTM

事件を待ち望む心-自分に被害が及ばない限り・・・

DOKUSH22 戦争,虐殺,迫害は,すべて退屈からの逃避の一部(逃避から生まれたもの)であり,隣人とのけんかさえ,何もないよりはましだと感じられてきた。それゆえ退屈は,人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因していることから,モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。

Wars, pogroms, and persecutions have all been part of the flight from boredom; even quarrels with neighbours have been found better than nothing. Boredom is therefore a vital problem for the moralist, since at least half the sins of mankind are caused by the fear of it.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 4: boredom and excitement.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM

死の恐怖に打ち勝つ最良の方法 The best way to overcome the fear of death

kaisin 老人のなかには死の恐怖で憂鬱になる者もいる。若い人の場合は,この感情を正当化できるものがある。戦闘(戦争)で殺される恐れを抱く理由のある若者は,人生が提供する最良のものを騙しとられているという思いで,苦々しく感じるのも,もっともであろう。しかし,人間の喜びと悲しみを知り,何であれ自分のなすべきことを全てなしとげた老人の場合には,死の恐怖を感じることはいくらか卑しく恥ずべきことである。死の恐怖に打ち勝つ最良の方法は -少くとも私にはそう思われるが- 自分(あなた)の関心(の対象)を次第に広くかつ非個人的なものにしていき,ついには自我の壁が少しずつ退いていき,自分の生命がしだいに宇宙の生命に溶け込んでいくようにすることである。個々の人間存在は,川のようなものであるべきであろう。最初は小さく,狭い土手の間を流れ,烈しい勢いで,岩々を後にし,滝を越えて進。次第に川幅は広がり,土手は後退し,水はより静かに流れ,ついには,波や流れは見えなくなり,海のなかへ没入し,苦痛もなくその個的存在を失う。老年になって,このように人生を見られる人は,彼が好む事物が存在し続けるゆえに,死の恐怖に苦しまないであろう。そして,仮に,生命力の減退とともに,物憂さが増せば,休息の考えは忌むべきものではないだろう。私は,私のもはや出来ないことを他人が引き継いでいることを知りつつ,自分が可能なことはやったという考えに満足して,いまだ仕事をしている間に死にたいものである。

Some old people are oppressed by the fear of death. In the young there is a justification for this feeling. Young men who have reason to fear that they will be killed in battle may justifiably feel bitter in the thought that they have been cheated of the best things that life has to offer. But in an old man who has known human joys and sorrows, and has achieved whatever work it was in him to do, the fear of death is somewhat abject and ignoble. The best way to overcome it – so at least it seems to me – is to make your interests gradually wider and more impersonal, until bit by bit the walls of the ego recede, and your life becomes increasingly merged in the universal life. An individual human existence should be like a river: small at first, narrowly contained within its banks, and rushing passionately past rocks and over waterfalls. Gradually the river grows wider, the banks recede, the waters flow more quietly, and in the end, without any visible break, they become merged in the sea, and painlessly lose their individual being. The man who, in old age, can see his life in this way, will not suffer from the fear of death, since the things he cares for will continue. And if, with the decay of vitality, weariness increases, the thought of rest will not be unwelcome. I should wish to die while still at work, knowing that others will carry on what I can no longer do and content in the thought that what was possible has been done.
出典: Portraits from Memory and Other Essays, 1956.
詳細情報: http://russell-j.com/cool/48T_HOW_TO_GROW_OLD.HTM

バートランド・ラッセル 歴史に名を残したいという欲求 虚栄心 “Look at me”

hasimoto_toru 虚栄心は非常に大きな力を有している動機(原動力)である。子供と多くの関わりを持っている人であれば,彼らは常に何かふざけたことをやっては,「ほら,見て!」と言うのを見知っている。「ほら,見て!」(見て欲しい)というのは人間の心の最も基本的な欲求の一つである。それは,ふざけた行為から死後の名声の追求まで,数限りない形態をとりうる。ルネサンス期イタリアに一人の小公子(小君子)がいて,死の床で聖職者から何か懺悔しなければならないことはないか(あるか)と尋ねられた。彼は,次のように応えた。「はい,一つあります。私は,ある折に,皇帝と教皇との訪問を同時に受けました。私の邸宅内の塔のてっぺんからの眺めを見せるためにお二人を塔のてっぺんに案内しましたが,二人とも同時に投げ落として不滅の名声を自分に与える(不滅の名声を得る)機会を見逃して(怠って)しまいました。」 歴史(書)は,その聖職者がその小公子に赦免を与えたかどうかは物語っていない。虚栄心の厄介なことの一つは,虚栄心がエサとするもの(を食べる)とともに虚栄心も成長して大きくなるということである。話題にされればされるほど,ますます話題にされたがる。有罪を宣告された殺人犯は,新聞に掲載された自分の裁判記事を見ることを許され,もし報道の仕方が不適切なもの(注:ここでは内容よりは取り扱いが小さいもの)を見つけると,憤慨する。そして他のいろいろな新聞にも自分のことが載っているのを見つければ見つけるほど,報道が貧弱であったその新聞に対して,彼はますます腹を立てる。政治家や文士も事情は同じである。彼らが有名になればなるほど,新聞切抜き業者は彼らを満足させることがますます難しくなることがわかる。3歳の幼児から,渋面(しかめっつら)を示せば世界中が震え上がる(昔の)君主にいたるまで,人間生活の全領域に及ぶ虚栄心の影響力は,いくら誇張しても誇張し過ぎることがないほどである。人間は,同じような欲求が神にもあるとする不敬を犯してさえおり,神は不断の礼賛を渇望していると思いこんでいるしだいである。(注:これは冗談)

Vanity is a motive of immense potency. Anyone who has much to do with children knows how they are constantly performing some antic, and saying “Look at me”. “Look at me” is one of the most fundamental desires of the human heart. It can take innumerable forms, from buffoonery to the pursuit of posthumous fame. There was a Renaissance Italian princeling who was asked by the priest on his deathbed if he had anything to repent of. “Yes”, he said, “there is one thing. On one occasion I had a visit from the Emperor and the Pope simultaneously. I took them to the top of my tower to see the view, and I neglected the opportunity to throw them both down, which would have given me immortal fame”. History does not relate whether the priest gave him absolution. One of the troubles about vanity is that it grows with what it feeds on. The more you are talked about, the more you will wish to be talked about. The condemned murderer who is allowed to see the account of his trial in the press is indignant if he finds a newspaper which has reported it inadequately. And the more he finds about himself in other newspapers, the more indignant he will be with the one whose reports are meagre. Politicians and literary men are in the same case. And the more famous they become, the more difficult the press-cutting agency finds it to satisfy them. It is scarcely possible to exaggerate the influence of vanity throughout the range of human life, from the child of three to the potentate at whose frown the world trembles. Mankind have even committed the impiety of attributing similar desires to the Deity, whom they imagine avid for continual praise.
出典: Human Society in Ethics and Politics, 1954,pt.2,chap.2: Politically Important Desires (Nobel Prize Acceptant Speech)
詳細情報:http://russell-j.com/cool/47T-020201.HTM