哲学者の最高の義務 - 神や権威に訴えずに少しずつ真理に近づいていく

TPJ-MPD2 (私の)気持のこの変化において,失われたものがあったが,(新たに)得られたものもあった。失われたものは,完全性と確定性(最終的な結論)と確実性とを見つけ出す希望であった。得られたものは,私の嫌いなあるいくつかの真理への新たな服従であった。けれども,以前のいくつかの信念の放棄は決して完全なものではなかった。(それらのなかの)いくつかのものは私のもとに残り,いまでも残り続けている。(即ち,)私は今でも,真理は事実への関係に依存しており,しかも,一般的に言って,事実は非人間的なものである,と考えている。(また)私は今でも,人間は宇宙的にはとるに足りないものであり,ここと今(今という時間とこの場所)によって歪められずに宇宙を公平に見渡すことのできる「存在者」(注:神あるいは絶対者) -そういうものがあるとして- ならば,恐らく,書物の終り近くにつける脚注以外では,人間についてほとんど言及しないであろう,と考える。しかし,私はもはや,人間的要素の存在する場所からそれら(の人間的要素)を追い払おうとは望まない。私はもはや,知性が感覚よりすぐれており,プラトンのイデヤの世界のみが「真実の」世界に近づくことができる,という感じ(感覚的意見)はもっていない。私は,以前は,感覚や,感覚の上にきずかれた思想を,ひとつの牢獄と考え,そこから我々人間は,感覚から解放された(感覚に束縛されない)思考によって自由になることができる(自由にされうる),と考えていた。現在ではまったくそのような感じ(感覚的意見)は持っていない。(現在では)感覚と,感覚の上に築かれた思想を,牢獄の格子としてでなく,窓として考えている。我々人間は,不完全であるけれども,ライプニッツの単子のように,世界を映し出すことができる,と私は考える。そうして,自分を物を歪めない鏡となることに出来る限り努めることが,哲学者の義務である,と考える。しかし,我々人間の本性から,そういった歪曲は不可避であるとはっきり認めることもまた,哲学者の義務である。そういう歪曲のうちで最も根本的なものは,我々人間は世界をここと今(今という時間とこの場所)の見地から見るのであり,有神論者が神に帰するような広い公平さで見るのではない,ということである。そのような公平な見方に達することは我々人間には不可能であるが,それに向ってある確実なかつ一定の距離を歩むことはできる。そうして,この目標への道案内をすることこそ哲学者の最高の義務なのである。

DOKUSH97In this change of mood, something was lost, though some thing also was gained. What was lost was the hope of finding perfection and finality and certainty. What was gained was a new submission to some truths which were to me repugnant. My abandonment of former beliefs was, however, never complete. Some things remained with me, and still remain: I still think that truth depends upon a relation to fact, and that facts in general are non-human; I still think that man is cosmically unimportant, and that a Being, if there were one, who could view the universe impartially, without the bias of here and now, would hardly mention man, except perhaps in a footnote near the end of the volume ; but I no longer have the wish to thrust out human elements from regions where they belong; I have no longer the feeling that intellect is superior to sense, and that only Plato’s world of ideas gives access to the ‘real’ world. I used to think of sense, and of thought which is built on sense, as a prison from which we can be freed by thought which is emancipated from sense. I now have no such feelings. I think of sense, and of thoughts built on sense, as windows, not as prison bars. I think that we can, however imperfectly, mirror the world, like Leibniz’s monads; and I think it is the duty of the philosopher to make himself as undistorting a mirror as he can. But it is also his duty to recognize such distortions as are inevitable from our very nature. Of these, the most fundamental is that we view the world from the point of view of the here and now, not with that large impartiality wrhich theists attribute to the Deity. To achieve such impartiality is impossible for us, but we can travel a certain distance towards it. To show the road to this end is the supreme duty of the philosopher.
出典: My Philosophical Development, 1959,chap..17: Language.
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[寸言]
ラッセルが自らの哲学の発展を顧みて、総括した言葉

軽信せず、神や権威に訴えず、人間としての限界のなかで少しずつ真理に近づいていくことの重要性。人間の感覚器官の間違い易さを酷評する哲学者も少なくないが、たとえ人間の知覚が誤りやすいものであったとしても、それはちっぽけな人間が罰を受ける「牢獄」ではなく、世界を理解するための「窓」だ考えるべきだとするラッセル。

哲学は倫理学や宗教学ではないのであり、単なる人生哲学でもない。人間の感覚器官が不十分だとしても認識論をおろそかにしてはいけない。しかし、日本人が愛読する独・仏の哲学や思想(やそういったものを知的背景にもつ評論家など)には論理的に甘いものが少なくなく・・・。

「言語」に関する迷信的な見解-言語の本質とその限界に無知な哲学者?

fishontable 哲学者読書人(読書家)は一般的に,言葉によって支配される生活を送る傾向があり,また,一般的に,非言語的であるところの事実と何らかの関係を有することは,言葉の本質的な機能である,ということを忘れる傾向さえある。現代の哲学者のなかには,言葉は決して事実とつきあわせてはならず,純粋な(言葉以外のものとまざらない)自律的な世界に生きるべきであり,他の言葉とのみ比較されるべきだ,とまで言う者もいる。(たとえば)「猫は肉食動物である」と言うとき,それは,現実の猫が現実の肉を食べるということを意味しているのではなく,動物学の本では猫は肉食動物の中に分類されている,ということを意味するにすぎない(というしだいである)。こう考えている著者たちは,言語と事実とつき合せる試みは「形而上学」であり,それゆえ非難されるべきである,と我々に告げる。これは,きわめて馬鹿げた見解であり,恐らく,非常に学問のある者だけが採用できる見解であろう。それを特に馬鹿げたものにしているのは,事実の世界における言語の位置に盲目であることである。言語は,食べたり歩いたりすることと全く同様に,知覚できる現象から成り立っている。もし,我々(人間)が事実について何も知りえないとしたならば,我々は他人の言うことを知りえないはずであるし,また,自分自身が何を言っているかも知ることができないはずである。言語は,後天的に獲得された他の行動様式と同様,有用な習慣から成り立っており,しばしばそれに取り囲まれている神秘性をまったく持っていない(のである)。言語に関する迷信的な見解には何の新しい点もない。それは有史以前の時代から我々に伝えられてきたものである。
我々が歴史的記録を有する最古の時代以来,言葉は迷信的な畏怖の対象であった。敵の名を知っている者は,それにより敵に対する魔力を手に入れることができた。そして今でもなお,我々は「法律の名において」というような句を用いている。「はじめに言葉ありき」という主張に同意することは容易である。この見解は,プラトンとカルナップおよびその間に出た大多数の形而上学者たちの,哲学の根底をなしている。」(『意味と真理との研究』,p.23

TP-MPDPhilosophers and bookish people generally tend to live a life dominated by words, and even to forget that it is the essential function of words to have a connection of one sort or another with facts, which are in general non-linguistic. Some modern philosophers have gone so far as to say that words should never be confronted with facts but should live in a pure, autonomous world where they are compared only with other words. When you say, ‘the cat is a carnivorous animal’, you do not mean that actual cats eat actual meat, but only that in zoology books the cat is classified among carnivora. These authors tell us that the attempt to confront language with fact is ‘metaphysics and is on this ground to be condemned. This is one of those views which are so absurd that only very learned men could possibly adopt them. What makes it peculiarly absurd is its blindness to the position of language in the world of fact. Language consists of sensible phenomena just as much as eating or walking, and if we can know nothing about facts we cannot know what other people say or even what we are saying ourselves. Language, like other acquired ways of behaving, consists of useful habits and has none of the mystery with which it is often surrounded. There is nothing new in the superstitious view of language, which has come down to us from pre-historic ages:
‘Words from the earliest times of which we have historical records, have been objects of superstitious awe. The man who knew his enemy’s name could, by means of it, acquire magic powers over him. We still use such phrases as “in the name of the Law”. It is easy to assent to the statement “in the beginning was the Word”. This view underlies the philosophies of Plato and Carnap and of most of the intermediate metaphysicians (An Inquiry into Meaning and Truth, page 23).
出典: My Philosophical Development, 1959,chap..13: Language.
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[寸言]
illusion_sakusi みなさんもミューラー・リヤー錯視という言葉をご存知だと思われます。すなわち、同じ長さの線分であっても、先頭に矢印をつけると、付け方によっては長さが違って見えるというあれ(錯視)です。このように人間の眼に見えるというのはひとつの「事実」です。それは間違っているといっても、そう見えること自体は間違っていません。
しかし、実際は、両線分は同じ長さであることは間違いないので、言葉(論理)によって、人間の眼には同じように見えるが、実際にはかってみればわかるように、2つの線分は同じ長さだ、と修正してあげる必要があります。
このように、事実と言葉(論理)は相補関係にありますので、どちらか一方だけではこの世界を正しくとらえることはできません。従って、世界に関する感覚器官によって得られた知識(視覚、臭覚・触覚等の五感で得られる事実)も、それを言葉(論理)で必要に応じ解釈をほどこして、より正しい世界像を作り上げていく必要があります。
人間は年をとるにつれて、膨大な間違った情報を身につける可能性があるとともに、言葉(論理)だけでは世界に対する正しい認識は得られないということを、十分認識する必要があります
そのことを十分理解していない哲学者や現実主義者(体験主義者)も少なくなく、過信に陥る人間も少なくありません。権力をもっていなければ「お互い様だ」と笑い飛ばすことができますが、「確信過剰」の政治家は国民に大きな被害をもたらす可能性があり、そうもいっておられません。たとえば、◯△□(適当に名前をあてはめてください)・・・。

酷い知的後退-(ラッセルの) パラドクスの発見

R-JUKEN (ケンブリッジ大学の)春学期が終わると,アリスと私はファーンハーストに戻り,そこで数学の論理的導出(論理学から数学を演繹・導出) --後に『プリンキピア・マテマティカ』となったもの-- を書き上げる仕事に着手した。その仕事も,ほぼ終了したと私は考えていたが,5月になって,同じ年(1901年)の2月に起こった感情的な後退(注:妻アリスに愛情を持てなくなったこと)とほとんど同じくらい酷い知的後退があった。カントール(Georg Cantor, 1845-1918)は,’最大の数は存在しない’という証明をしていた。(しかし)私には,(当時)世界に存在するあらゆるものの数(世界に存在するすべてのものを合計した数)は,可能な最大の数であるはずだと思われた。そこで私は,彼の証明をいくらか詳細に吟味した。そうして,それを存在する全てのものの集合(クラス)に適用しようと努めた。それによって,自己自身の要素でないところの諸集合(クラス)について検討するとともに,そのような集合の集合が,はたしてそれ自身の要素であるか否かについて問わなければならなくなった。私は,その答え(要素であるという答えと要素でないという答え)のいずれも矛盾に陥ることを発見した。当初私は,その矛盾(論理的パラドクス)はきわめて容易に克服できるだろう,また,推論のうちに何かつまらぬ誤りがあるに違いない,と思った。しかし,徐々にそうではないことが明らかになった。ブラリ・フォルティ(Cesare Burali Forti(ブラリ・フォルティ), 1861-1931: イタリアの論理学者。 )もすでに同様の矛盾を発見しており,それは,論理分析において,クレタ人であるエピメニデス(Epimenides, 生没年不詳。ギリシア七賢人の一人で,クレタ島生まれ)が,「すべてのクレタ人は嘘つきである」と言った古代ギリシアの’矛盾’と類似したものであることが明らかになった。本質的にエピメニデスの矛盾と同様の矛盾は,「この紙の裏面に述べられていることは誤りである。」と書かれた紙を人に渡すことによって創り出せる。その人が今度はその紙を裏返せば,紙の裏面には,「この紙の裏面(即ちさきほどの表面)に書かれていることは正しい」と書いてあるのを発見する。大人がそのようなとるに足らないことに時間を費やす価値はないように思われたが,しかしそれなら私は一体何をすればよかったのか。そのような矛盾が通常の(正規の)諸前提から避けられないのであるなら,何かがまちがっていたのである。つまらないものであろうとなかろうと,この問題は(私に対する)1つの挑戦であった。1901年の後半いっぱい,この問題の解決は容易であろうと思っていた,1901年末になって,それは大仕事であるという結論に達した。そこで私は,その解決を一時とりやめて,(まず)『数学の原理』(The Principles of Mathematics)を終えてしまおうと決心した。記号論理学の講義を2学期に渡ってするように(トリニティ・コレッジから)招請を私は受けていたので,アリスと私は,その年の秋,ケンブリッジに戻った。その講義には,後に『プリンキピア・マテマティカ』の概要を含んでいたが,私は,(数理論理学における)矛盾を取り扱う方法については,いっさいふれなかった。

BR-REVRSAt the end of the Lent Term, Alys and I went back to Fernhurst, where I set to work to write out the logical deduction of mathematics which afterwards became Principia Mathematica. I thought the work was nearly finished, but in the month of May I had an intellectual set-back almost as severe as the emotional set-back which I had had in February. Cantor had a proof that there is no greatest number, and it seemed to me that the number of all the things in the world ought to be the greatest possible. Accordingly, I examined his proof with some minuteness, and endeavoured to apply it to the class of all the things there are. This led me to consider those classes which are not members of themselves, and to ask whether the class of such classes is or is not a member of itself. I found that either answer implies its contradictory. At first I supposed that I should be able to overcome the contradiction quite easily, and that probably there was some trivial error in the reasoning. Gradually, however, it became clear that this was not the case. Burali-Forti had already discovered a similar contradiction, and it turned out on logical analysis that there was an affinity with the ancient Greek contradiction about Epimenides the Cretan, who said that all cretans are liars. A contradiction essentially similar to that of Epimenides can be created by giving a person a piece of paper on which is written: ‘The statement on the other side of this paper is false.’ The person turns the paper over, and finds on the other side: ‘The statement on the other side of this paper is true’. It seemed unworthy of a grown man to spend his time on such trivialities, but what was I to do? There was something wrong, since such contradictions were unavoidable on ordinary premisses. Trivial or not, the matter was a challenge. Throughout the latter half of 1901 I supposed the solution would be easy, but by the end of that time I had concluded that it was a big job. I therefore decided to finish The Principles of Mathematics, leaving the solution in abeyance. In the autumn Alys and I went back to Cambridge, as I had been invited to give two terms’ lectures on mathematical logic. These lectures contained the outline of Principia Mathematica, but without any method of dealing with the contradictions.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-050.HTM

[寸言]
このラッセルのパラドクスがわかりにくいようであれば、三浦俊彦『ラッセルのパラドクス』(岩波新書)をお読みください。この本は、ラッセルのパラドクスだけでなく、ラッセルの論理学全体を扱っており、大変参考になります。

知的陶酔の時期-知的側面については1900年9月(28歳の時)が我が生涯の最高点

PLAS05-2W ホワイトヘッド夫妻は,ファーンハースト(Fernhurst)の私たちの家(Millhanger)に滞在した。そこで私は,私の新しい考えを彼に説明した。毎晩議論のあと何かしら難点が残り,そうして毎朝,前夜のその難点が寝ているうちに自然に解決されているのを発見した。それは,一種の知的陶酔の時期であった。私のその時の感動は,霧の中を登山し山頂に達すると,突然霧がなくなり,田舎の景色が全方角40マイルにわたって眺望できた時に体験する’感動’に似ていた。(写真:,ラッセルが晩年に住んだプラス・ペンリンの自宅の庭からポートマドックを望む)
長年の間,私は,順序数(序数)とか基数とかいったような数学の基礎概念を分析する努力を続けていた。突如として2,3週間のうちに,長年にわたって私を悩ませてきた諸問題に対する決定的な解答と思われるものを発見した。そうして,それらの解答を発見する過程で,私は,新しい数学上のテクニックを取り入れ,それによって,それまで哲学者の(考えや表現の)不明瞭さのもとに見捨てられていた領域は,精確な公式の精密さによって,克服されたのである。 知的には,1900年9月は私の生涯の最高の頂点であった。今遂に自分は,為す価値のある何ごとかを為し遂げたのだと自分に言い聞かせ,そうして,論文を書き下ろす前に通りで車にひかれないないよう注意しなければならないという感情をいだいた。私の新しい考え方を具体的に記述した論文(Sur la logique des relations avec des applications a la theorie des series)を,ペアノが編集刊行している雑誌((Peano’s) Rivista di Matematica [=Revue de Mathematiques](Turin),v.7: 1900/1901, p. 115-148)のために送った。

The Whiteheads stayed with us at Fernhurst, and I explained my new ideas to him. Every evening the discussion ended with some difficulty, and every morning I found that the difficulty of the previous evening had solved itself while I slept. The time was one of intellectual intoxication. My sensations resembled those one has after climbing a mountain in a mist, when, on reaching the summit, the mist suddenly clears, and the country becomes visible for forty miles in every direction. For years I had been endeavouring to analyse the fundamental notions of mathematics, such as order and cardinal numbers. Suddenly, in the space of a few weeks, I discovered what appeared to be definitive answers to the problems which had baffled me for years. And in the course of discovering these answers, I was introducing a new mathematical technique, by which regions formerly abandoned to the vaguenesses of philosophers were conquered for the precision of exact formulae. Intellectually, the month of September 1900 was the highest point of my life. I went about saying to myself that now at last I had done something worth doing, and I had the feeling that I must be careful not to be run over in the street before I had written it down. I sent a paper to Peano for his journal, embodying my new ideas.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-020.HTM

[寸言]
20代や30代前半に世界的な業績をあげる数学者が多い。ラッセルの場合も、1900年(28歳)の頃から、数学や論理学の分野において,世界的な(画期的な)業績を上げ始めている。
ただし、ラッセルが言うように、知的(ラッセルの場合は、「論理的」)な側面において、最も創造的な時代であったということであり、社会との関係が重要な社会科学の分野については、中年時代以降に円熟さや幅の広さが増していく。
その辺の区別を自覚しないと、能力のある若い人は、多くの年配者が馬鹿(おろか)に見え、良いアドバイスがないと大きな失敗をしてしまいやすい。もちろん、数学などの純理論的な分野については、他人や社会との関係で失敗するなんてことはないので、安心して突っ走れるけれども・・

ペアノの著作を本人から全て貰い、ペアノの記号法(武器)を身につける

Peano この第1回国際哲学会(注:1900年にパリで開催)は,私の知的生涯における1つの転機となった。というのは,そこでジュゼッペ・ペアノ(Giuseppe Peano, 1858-1932/右写真)に会ったからである。すでに私は,彼の名前を知っており,彼の著書を何冊か目を通していたが,彼の’記号法‘を,努力してマスターしようとはしていなかった。学会における議論において,彼は常に他の誰よりも精確であり,彼は参加したいかなる議論にも必ず勝利するのを,私は目撃した。(会議の)日が経つにつれ私は,これは彼の数理論理学のせいに違いないと結論を下した。そこで私は,彼から彼の著作を全てもらい,学会が終了するや否や,ファーンハースト(のミルハンガー)にひきこもり,静かに,彼や彼の弟子によって執筆された著作の一語一語にいたるまで研究した。その結果,彼の記号法は,私が長年求めてきた論理分析の道具を与えてくれるものであり,また彼を研究することによって,私が長年やりたいと思ってきた研究のための新しくかつ強力な技術を獲得しようとしているということが,あきらかになった。8月の末までに私は,彼の学派のあらゆる著作に,完全に精通するようになった。9月は,彼の方法を,関係の論理に拡張することに費やした

Peano's_NotationsThe Congress was a turning point in my intellectual life, because I there met Peano. I already knew him by name and had seen some of his work, but had not taken the trouble to master his notation. In discussions at the Congress I observed that he was always more precise than anyone else, and that he invariably got the better of any argument upon which he embarked. As the days went by, I decided, that this must be owing to his mathematical logic. I therefore got him to give me all his works, and as soon as the Congress was over I retired to Fernhurst to study quietly every word written by him and his disciples. It became clear to me that his notation afforded an instrument of logical analysis such as I had been seeking for years, and that by studying him I was acquiring a new and powerful technique for the work that I had long wanted to do. By the end of August I had become completely familiar with all the work of his school. I spent September in extending his methods to the logic of relations.

出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-010.HTM

[寸言]
Alys1895 パリで1900年に開催された「第1回」国際哲学会に出席したのは,ラッセルが28歳の時。ペアノが書いた著作をすべて本人からもらい、(初婚相手のアリスとともに)イングランドの田舎(ファーンハーストのミルハンガー)に引きこもって記号論理学の手法を徹底的に身につけたラッセル。不幸にもその後、ラッセルはアリスと離婚することになるが、研究に没頭するラッセルを支えてくれたアリスに感謝の言葉を自伝で述べている。

我々は感覚の奴隷であり、主体と客体とにわける考え方は間違いか?

McTaggart_John その頃私は,マクタガート(McTaggart, John McTaggart Ellis, 1866-1925,英国の哲学者)とスタウト(Stout, George Frederick, 1860-1944,英国の心理学者・哲学者)によって投げこまれていたドイツ観念論の’湯船(浴槽)‘から抜け出しつつあった。この(脱出)過程において私は,当時頻繁に会っていたムーア(George E. Moore, 1873-1950,英国の哲学者)から非常に助けられた。感覚世界は実在しないと考えたあとで,テーブルや椅子といったような物の実在を再び信ずることができることに,私はひどく興奮した。しかし,(問題のいろいろな側面の内)私にとって最も興味があったのは,論理学の側面であった。‘関係’が実在する(現実的なものである)と考えることは,非常に嬉しいことであった。そうして私は,命題は全て「主語-述語(主辞-賓辞)」からなるという考え方が形而上学の上に及ぼす甚大な影響(結果)を発見することに関心をもった。偶然の事情で,私はライプニッツを読むことになった。というのは,ライプニッツに関する講義はなされなければならなかったが,(担当の)マクタガートはニュージーランドに行きたいと望んでいたので,トリニティ・コレッジは私にこの科目だけマクタガートに代わって担当するよう依頼してきたのである。ライプニッツに関する調査研究と批評の中で,主にムーアの手引きにより,私が導かれた論理学に関する新しい見方を例証する機会を見いだしたのである。

I was at this time beginning to emerge from the bath of German idealism in which I had been plunged by McTaggart and Stout. I was very much assisted in this process by Moore, of whom at that time I saw a great deal. It was an intense excitement, after having supposed the sensible world unreal, to be able to believe again that there really were such things as tables and chairs. But the most interesting aspect of the matter to me was the logical aspect. I was glad to think that relations are real, and I was interested to discover the dire effect upon metaphysics of the belief that all propositions are of the subject-predicate form. Accident led me to read Leibniz, because he had to be lectured upon, and McTaggart wanted to go to New Zealand, so that the College asked me to take his place so far as this one course was concerned. In the study and criticism of Leibniz I found occasion to exemplify the new views on logic to which, largely under Moore’s guidance, I had been led.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB15-180.HTM

[寸言]
TP-PoM アリストテレル以来大きな進歩がないと当時言われていた論理学に、(フレーゲは別にして)ラッセルが最初に反旗を翻して Rivista di Mathematica 誌(イタリアの雑誌)に発表したのが関係の論理」(The relation of logic, 1900)であった。
http://russell-j.com/cool/ISHI5.HTM
http://russell-j.com/R1-WK-P4.HTM

それに続いて『数学の諸原理』(The Principles of Mathmatics, 1900/『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』とは別の本であることに注意)が出され、それを受けて、ホワイトヘッドとの共著である『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』執筆のための10年に渡る苦闘が始まった。

「(3は2よりも)’より’大きい」,「’より’温かい」,「’より’痛い」という(より~という)「関係」が、それぞれの対象(個物)の属性に含まれている(個物の属性である)ということは信じられない。(個物というものは存在せずに、それらは全体のなかの一部にしかすぎないという一元論的観念論はとうてい是認しがたい。)
もちろん、個物(例:一つの椅子)といっても、それらは原子で構成されており、その原子も原子核と電子でできており、そしてそれはさらに6つのクオーク・・・・、というように、我々が感覚によって認識できる個体とはとても異なったものである。しかし、だからといって、個物はなく全体しか存在しない、といった考え方をまともにとることはできない

TPJ-PoLP ラッセル『哲学の諸問題(哲学入門』(The Problems of Philosophy, 1912)を読み、ラッセルは「主客分離の観点」にたっており浅はかだと非難する哲学者(や哲学者を自称する人々)がいるが(例:西田幾多郎は西洋哲学における主客分離の哲学を否定し・・・、とかいったもの)、それはまとがはずれている(と思われる)。ラッセルは、(一般向けに書いた)この『哲学の諸問題(哲学入門』の不十分なところ『外界の知識』(Our Knolwdge of External World, 1914)で修正しており、認識論中心の『哲学の諸問題(哲学入門)』と異なり、「世界を論理的に構築する」(論理的原子論の哲学)という考え方を示している。(注:より進んだ形のものは、ちくま学芸文庫の一冊として、高村夏輝氏の訳『(ラッセル)論理的原子論の哲学』が出されています。これは一般向けの連続講義を本にしたものなので読みやすいと思われます。なお、ラッセルの哲学の発展について詳しく知りたい方は、高村夏輝・訳のちくま学芸文庫版のラッセル『哲学入門』巻末の解説や三浦俊彦『ラッセルのパラドクス』(岩波新書)等をお読みください。)

ラッセル『ライプニッツの哲学』(弘文堂)は入手し難く・・・

LouisCouturat  クーチュラ(Couturat, Louis, 1868-1914. フランスの哲学者,論理学者)は,一時期,私の数理論理学の種々のアイデア(思想・見解)の非常に熱心な擁護者であったが,いつも非常に思慮深いというわけではなかった。そういうわけで,私の長いポアンカレ(Jules-Henri Poincare, 1854-1912)との論争において,自分自身だけでなく,クーチュラをも弁護しなけれぱならないということは,時々,いくらか重荷となった。彼の最も価値のある著作は,ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)の論理学に関するものであった。ライプニッツは,良く思われたいと望んだ。そこで彼は,二流の著作しか出版しなかった。彼の最良・最高の著作はすべて原稿のままであった。(ライプニッツ死後)彼の著作を扱った編集者たちも,自分たちが最良・最高と考えたものだけを出版し,彼の最良・最高の著作は印刷に付されないままにされた。クーチュラは,ライプニッツの最高の著作を発掘し,世に紹介した最初の人であった。私は当然のごとく嬉しく思った。なぜなら,クーチュラの著作がなかったら不十分なままであったであろう(弱い)根拠のもとで,ライプニッツに関する自分の著書(A Critical Exposition of the Philosophy of Leibniz, 1900)の中で採用したライプニッツ解釈を支持する証拠資料を,クーチュラの著書が提供してくれたからである。

TP-CEPLCouturat was for a time a very ardent advocate of my ideas on mathematical logic, but he was not always very prudent, and in my long duel with Poincare I found it sometimes something of a burden to have to defend Couturat as well as myself. His most valuable work was on Leibniz’s logic. Leibniz wished to be thought well of, so he published only his second-rate work. All his best work remained in manuscript. Subsequent editors, publishing only what they thought best, continued to leave his best work unprinted. Couturat was the first man who unearthed it. I was naturally pleased, as it afforded documentary evidence for the interpretation of Leibniz which I had adopted in my book about him on grounds that, without Couturat’s work, would have remained inadequate.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB15-170.HTM

[寸言]
TPJ-CEPL ラッセルが A Critical Exposition of the Philosophy of Leibniz の初版を出したのは1900年のこと(ラッセル28歳の時)でした(因みに第2版は1937年)。
この本を執筆するきっかけは、ケンブリッジ大学で教えていたマクタガートが当時海外にいくことになり、その講義の代理をラッセルが依頼されたことです。即ち、ラッセルは、ライプニッツの哲学や論理学について講義を行いその成果をケンブリッジ大学から出版したというしだいです。
この本の邦訳は、1959年に細川董(訳)で弘文堂から出されていますが,残念ながら、コピーしたものを所有しているだけで、現物はもっていません。たまに、古書で売りに出されますが、1万円くらいする場合が多く(注:現在アマゾンで売りだされているものは 25,200円!)、買い控えています(読むにはコピーでも大丈夫なためです)。ラッセル『原子のABC,』(新光社,1925年9月)も同様の状況で、コピーしかもっていません。(注:現在、かんがるー文庫から10,000円で売りに出されています。)
http://russell-j.com/cool/03T-IDX.HTM
http://russell-j.com/cool/19T-IDX.HTM

数理哲学(記号論理学)探求の初期の頃

LOGICOMIX-J 大学4年のとき私は、多数の数理哲学の本とともに大部分の偉大な哲学者の著書を読んだ。ジェームズ・ウォード(James Ward, 1843-1925)は、数理哲学の新しい本をいつも私に貸してくれた。そうして、それらの本を彼に返却するとき、私はいつも大変ひどい本でしたと言った。彼のその時の落胆ぶりや、私が満足しそうな本を見つけるために骨身を惜しまずに努力している姿を、私は覚えている。そしてついに、私が特別研究員になった後のことであるが、私は彼から2冊の小さな本 --彼自身は、それらの本を読んでいなかったし、またそれほど価値ある本とも思っていなかった-- をもらった。その2冊とは、ゲオルク・カントール(Georg Cantor,1845-1918)の「超限集合理論(Mannichfaltigkeitslehre,1883)」フレーゲ(Gottlob Frege,1848-1925)の『概念記法(Begriffsschrift,1879)』であった。この2冊の本は、私が求めていた要点をついに与えてくれた。しかしフレーゲの本の場合は、そこに書かれている内容をずっと理解できないまま、何年も所有していた。事実、私は、その本に含まれている内容の大部分を、自力で発見するまでは、フレーゲのその本に書かれている意味内容を理解できなかった。

Logicomix-and-CatDuring my fourth year I read most of the great philosophers as well as masses of books on the philosophy of mathematics. James Ward was always giving me fresh books on this subject, and each time I returned them, saying that they were very bad books. I remember his disappointment, and his painstaking endeavours to find some book that would satisfy me. In the end, but after I had become a Fellow, I got from him two small books, neither of which he had read or supposed of any value. They were Georg Cantor’s Mannichfaltigkeitslehre, and Frege’s Begriffsschrift. These two books at last gave me the gist of what I wanted, but in the case of Frege I possessed the book for years before I could make out what it meant. Indeed, I did not understand it until I had myself independently discovered most of what it contained.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 3:Cambridge, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB13-230.HTM

[寸言]
フレーゲ(Gottlob Frege,1848-1925)の『概念記法(Begriffsschrift,1879)』は、現在では記号論理学(数理哲学)草創期の画期的な著作として認められていますが、長い間学界で認められていませんでした。その意義を最初に発見したのはラッセルであり、ラッセルが評価して紹介したことによって、世界に知られていきました。
数理哲学の発展の歴史についての概要を知りたい方は,欧米でベストセラーとなったコミック本 Logicomix: an Epic Search for Truth, 2009 (数理哲学の歴史を漫画で描いたもので,日本でも昨年7月に『ロジ・コミックス-ラッセルとめぐる論理哲学入門』(筑摩書房)として邦訳出版)がおすすめです。

「無は無(存在しないもの)ではない」という命題は無意味? 

zero_empty-set 「空集合」に関して,また一般的にいって「無」の概念に関して,非常に大きな困難がある。「無」のような概念が存在すること,また,ある意味で「無」は何かあるものであることは,明白である。事実,無は無(存在しないもの)ではない」という命題は,疑いもなく,それを真とする解釈が可能であり,その解釈はプラトンの『ソフィスト』で議論された矛盾を生ずる。記号論理学においては,「空集合」とはまったく項を含まない集合である(のことをいう)。また,記号論的には(記号論理学においては?),そういったような観念を導入することは是非必要である。(そうして)我々は,当然のごとく生ずる矛盾を避ける事ができるかどうか,よく検討しなければならない。

TP-PoMGreat difficulties are associated with the null-class, and generally with the idea of nothing. It is plain that there is such a concept as nothing, and that in some sense nothing is something. In fact, the proposition nothing is not nothing is undoubtedly capable of an interpretation which makes it truea point which gives rise to the contradictions discussed in Plato’s Sophist. In Symbolic Logic the null-class is the class which has no terms at all; and symbolically it is quite necessary to introduce some such notion. We have to consider whether the contradictions which naturally arise can be avoided.
出典: The Principles of Mathematics, 1903, Chap. VI. Classes: §73]
詳細情報:http://fair-use.org/bertrand-russell/the-principles-of-mathematics/s73

[寸言]
集合論において「空集合」を認める(仮定する)ことによって、数の定義が容易になる。即ち、「ゼロ」というのは、「空集合」(要素をひとつも含まない集合)であり、「ゼロ」の後者を「」(要素をひとつだけ含む集合の集合)とすれば、「」は(要素を2つ含む集合の集合)として定義できる。即ち「n」は(要素をn個含む集合の集合)ということになり、全ての自然数を定義できる。

数学に恋するが、ユークリッド幾何学における公準の前提に不満

euclid 11歳の時私は,兄を先生にして,ユークリッド幾何学を学習し始めた。これは私の生涯において非常に重要な出来事の1つであり,初恋と同様幻惑的なものであった。この世にこのように素晴らしいものがあろうとは,私はそれまで想像したことがなかった。私が第5公準を学んでから,兄はこれは非常に難しいと一般には考えられていると言ったが,私は少しも難しいとは思わなかった。これは,私が何らかの知性を持つ’きざし‘が現れた最初であった。この時から私が38歳の年にホワイトヘッドと「プリンキピア・マテマティカ(数学原理)」を完成するまで,数学が私の主な関心事であり,主な幸福の源であった。けれども,幸福といわれるもの全てがそうであるように,純粋な幸福というわけではなかった。私は,ユークリッドがいろいろな事柄を証明したと聞いていたが,兄が(証明なしで)公理からスタートしたので,大変失望した。最初,私は,もし兄がそうする理由を説明できないならばそれらの公理を受け入れることはできないといったが,兄は,「もしお前がそれを受け入れなければ先に進むことはできない」と言った。私は数学の学習を続けたかったので,気が進まなかったが一時的に認めることとした。その時感じた数学の前提に関する疑問が私に残ることになった。(松下注:ここではユークリッド幾何学が,5つの公準=前提から出発していることをいっている。因みに、非ユークリッド幾何学では,第5公準の平行線公準を仮定しない。)そうしてそれがその後の私の勉強の方向を決定した。

TPJ-PMAt the age of eleven, I began Euclid, with my brother as my tutor. This was one of the great events of my life, as dazzling as first love. I had not imagined that there was anything so delicious in the world. After I had learned the fifth proposition, my brother told me that it was generally considered difficult, but I had found no difficulty whatever. This was the first time it had dawned upon me that I might have some intelligence. From that moment until Whitehead and I finished Principia Mathematica, when I was thirty-eight, mathematics was my chief interest, and my chief source of happiness. Like all happiness, however, it was not unalloyed. I had been told that Euclid proved things, and was much disappointed that he started with axioms. At first I refused to accept them unless my brother could offer me some reason for doing so, but he said: ‘If you don’t accept them we cannot go on’, and as I wished to go on, I reluctantly admitted them pro tem (=pro tempore). The doubt as to the premisses (premises) of mathematics which I felt at that moment remained with me, and determined the course of my subsequent work.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB11-290.HTM

[寸言]
BR-REVRS 数学は、ラッセルが最重要視する「明晰な思考」のお手本のようなもの。数学が正しいことを証明する過程で「ラッセルのパラドクス」の発見で窮地に陥ってしまう。それも「タイプ理論」により一応の理屈付けは可能となり、算術については数学は記号論理学によって導出できた(正しいことが証明できた)が、結局は、ゲーデルによる不完全性定理の発見へと導き、間違っているとは証明できないにしても、正しいとも証明できないものが数学にはある、ということがわかってしまった。
そうだからと言って、数学は役に立たないわけではなく、最強の武器であり続けている。相対性理論や量子力学に不備があるとしても、真理探求の有力な理論であることに変わりはないのと同様である。

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