我々の本能には残酷さが潜んでおり,狂信は残酷さを隠すカモフラージュである

STALIN 私はボルシェヴィキ(ロシア共産主義者)と同じ希望を共有することはできない。エジプトの隠者の希望を共有できないのと同じである。私は、両者をともに,世界に何世紀にも渡って,暗黒と無益な暴力をもたらすかもしれない悲劇的な妄想の所産と見ている。(キリスト教の)山上の垂訓」(の教え)は立派であるが、それが平均的な人間に与えた影響は意図されたものとは非常に違っていた。キリストに従った人々は敵を愛したり、(なぐられたら)もう一方の頬を向けたりすることを学ばなかった。彼らは,その代わりに学んだのは,宗教裁判や焚刑の使用、人間の知性を無知で非寛容な僧侶たちの支配(くびき)に従属させること、また,一千年にわたって芸術の品位を低下させ、科学を絶滅させることであった。それは,キリストの教えそのものではなく、教えを熱狂的に信じたことによる不可避的な結果であった。共産主義を鼓舞した希望は、概して,山上の垂訓によって教え込もうとした希望と同じく立派なものである。しかし、共産主義の希望はかつてのキリスト教と同じように熱狂的に信奉されており、同じように有害になりそうである。我々の本能には残酷さが潜んでおり、狂信は残酷さをかくすカモフラージュである。狂信主義者はめったに心から人間的であることはなく,残酷さを心から恐れる人はなかなか狂信的な信条を抱かないであろう。ボルシェヴィズム(ロシア共産主義)が世界的権力を握るのを阻止できるかどうか、私には判らない。しかし、たとえ阻止できなかったとしても、旧来の不正を好むためではなく、人間の自由な精神の名においてそれに反対して立ち上った人々は、進歩の種子の運搬人となり、世界の産み月が満ちた時には,その種子から新しい生命が生まれるであろう。
(イラスト出典:Nightmares of Eminent Persons, 1954, by Bertrand Russell)

I cannot share the hopes of the Bolsheviks any more than those of the Egyptian anchorites; I regard both as tragic delusions, destined to bring upon the world centuries of darkness and futile violence. The principles of the Sermon on the Mount are admirable, but their effect upon average human nature was very different from what was intended. Those who followed Christ did not learn to love their enemies or to turn the other cheek. They learned instead to use the Inquisition and the stake, to subject the human intellect to the yoke of an ignorant and intolerant priesthood, to degrade art and extinguish science for a thousand years. These were the inevitable results, not of the teaching, but of fanatical belief in the teaching. The hopes which inspire Communism are, in the main, as admirable as those instilled by the Sermon on the Mount, but they are held as fanatically, and are likely to do as much harm. Cruelty lurks in our instincts, and fanaticism is a camouflage for cruelty. Fanatics are seldom genuinely humane, and those who sincerely dread cruelty will be slow to adopt a fanatical creed. I do not know whether Bolshevism can be prevented from acquiring universal power. But even if it cannot, I am persuaded that those who stand out against it, not from love of ancient injustice, but in the name of the free spirit of Man , will be the bearers of the seeds of progress, from which, when the world’s gestation is accomplished, new life will be born.
出典: The Practice and Theory of Bolshevism, 1920, chap.1:What is hoped from Bolshevism,
詳細情報: http://russell-j.com/cool/15T-1011.HTM

[寸言]
これが書かれたのは、1917年のロシア革命らわずか3年の,1920年だということは注目に値します。ラッセルは1920年革命直後のロシアを,英国労働党代表団にまぎれこんで訪れ、帰国後、自分が見聞きしたことを正直に書くべきとの思いから、『ロシア共産主義の理論と実践』を執筆し、出版しています。

他人(他国,他地域等)を理解する鍵は「愛(情)」ではない!?

ASININE たとえば,インドイギリス人がしていることについて考えてみよう(注:これは1932年に書かれたものです!)。たいていのイギリス人には,インド在住の同胞は,蒙昧主義,不寛容,迷信に抗して,勇敢に文明の恩恵を普及すべく闘っているように映る。他方,ほとんどの外国人には,インドのイギリス人は,権力を振るい,貢ぎ物を強要する残忍な専制君主としてしか映らない。インド在住のイギリス人がどのように感じているかを知りたければ,イギリスの視点に立たなければならない。だが,イギリス人がインドでやっっていることを知りたければ外国人の視点に立たねばならない。同様のことが,ハイチや中央アメリカにおけるアメリカ人の行動や,帝国主義者全体の所業一般についていえるだろう。
(イラスト出典: Bertrand Russell’s The Good Citizen’s Alphabet, 1953)

Take, for example, the behaviour of the British in India. To most English people it seems that Anglo-Indians have been struggling heroically to spread the light of civilisation in the face of obscurantism, intolerance and superstition. To almost everybody who is not British, the British appear in India as brutal tyrants, enjoying power and extracting tribute. If you wish to know how an Anglo-Indian feels, you must adopt the British point of view; whereas if you want to know what he does, you must adopt the point of view of the rest of the world. The same thing may be said of the doings of Americans in Haiti and Central America, and of imperialist doings generally.
出典: As others see us (written in Mar. 23, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

[寸言]
他人を理解する鍵は「愛(情)」だという人がいますが,ラッセルが言うように,「感情」は誤った判断をする大きな原因でもあります。他国の理解においても同様のことが言えます。我々はマスコミから多くの影響を受けますが,自分の気持ち(好き嫌い)にそった情報ばかりを得やすいという傾向があります。「愛」「好意」の反対は「憎しみ」「悪意」ではなく「無関心」です。外界(人,物,及び国家や社会のような抽象的な対象)を理解するためには,できるだけ多くの視点で考え,総合判断をすることが大切だと思われます。

 「平和擁護=非国民」として糾弾された時代-いずれまた日本でも!?

XENOPHOB (★第一次世界大戦中★におけるラッセルの発言)
我が国の軍国主義者たちは,兵士に投票権を与えることに反対し,成功しています。しかもあらゆる国々において,戦争で疲労しているのは敵側の兵士だけだと一般市民に思い込ませようとしています。殺害された若い人命の毎日の犠牲が,ほとんど耐え難いほどの恐怖となっています。しかし,あらゆるところで,平和を擁護することは兵士たちへの裏切り行為だとして,はげしく非難されます。あらゆる人々のなかで,兵士たちはとりわけ平和を望んでいるのにもかかわらずです。
(イラスト:Bertrand Russell’s The Good Citizen’s Alphabet, 1953))

Our militarists have successfully opposed the granting of votes to soldiers; yet in all the countries an attempt is made to persuade the civilian population that war-weariness is confined to the enemy soldiers. The daily toll of young lives destroyed becomes a horror almost too terrible to be borne; yet everywhere, advocacy of peace is rebuked as treachery to the soldiers, though the soldiers above all men desire peace..
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2, chap. 1, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB21-220.HTM

[寸言]
今年の秋の叙勲者には自衛隊の関係者が増えている。特に,外国人への旭日大綬章授与者には米国の軍事関係者(アーミテージ、ラムズフェルドその他)がとても多い。(大量破壊兵器をイラクが持っていると決めつけて)イラク戦争を主導した人物であっても,日米軍事同盟関係の主要人物であれば(70歳を越えれば)自動的に叙勲対象になる現実

19世紀の理想である自由主義の長所と短所

Stomping_referee 19世紀自由主義のスローガン(合言葉)であった’自由競争‘は,疑いもなく支持すべき多くの長所を持っていた。’自由競争’は諸国民の富を増大させ,手工業から機械工業への移行を加速した。即ち,人為的不正を取り除き,’才能のある者にキャリア形成の道を開くというナポレオンの理想を実現した。しかしそれは一つの大きな不公平 -即ち才能の不平等性にもとづく大きな不公平を救済しなかった。’自由競争’の世界では,精力的で抜け目のない人間は裕福になり,他方その人の長所が競争的でない種類のものである者は貧乏のままとなる。

Free competition, which was the watchword of nineteenth-century liberalism, had undoubtedly much to be said in its favour. It increased the wealth of the nations, and it accelerated the transition from handicrafts to machine industry; it tended to remove artificial injustice and realised Napoleon’s ideal of opening careers to talent. It left, however, one great injustice unremedied – the injustice due to unequal talents. In a world of free competition the man whom Nature has made energetic and astute grows rich, while the man whose merits are of a less competitive kind remains poor.
出典: Success and failure (written in Jan. 11, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/JIYU-KYO.HTM

[寸言]
自分に子供が複数いる場合、子どもたちに対し競争の原理を適用することはないが,よその子供に対しては競争の原理を適用してもかまわない(むしろ適用したほうがよい)と思っているのではないか? 自分からみればよその子であっても、自分にとっては自分の子になることに気づかないと・・・!?
自分の支配下や管理監督の下にある者が競争にあけくれてくれれば,その成果(甘い汁)は自分のところにやってくるので・・・。

成功への技量を持たぬ人々にも権利あり People destitute of the arts of success

Chase-dino 成功への技量を持たぬ人々にも権利はある。そしてこの種の技量の持ち主のみが成功を収める環境において,技量を持たぬ人々が自分たちの権利をいかに確保するかは難しい問題である。自由競争が社会正義の実現のための手段であるという信念を放棄する以外に,この点の解決策はない

People destitute of the arts of success have their rights, and it is difficult to say how they are to secure them when all those who possess these arts achieve success. There is no solution except to abandon the belief that competition is a means of securing justice.
出典: Success and failure (written in Jan. 11, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/JIYU-KYO.HTM

[寸言]
悪い競争と良い競争。即ち、限られたもの(天然資源・土地・その他多様な財貨)をできるだけ多く自分のものにしよう(私有財産=所有物にしよう)とする競争と,世の中に新たなものを生み出す(他人を傷つけることがほとんどない)競争。後者は良いが前者は良くない。両者を区別しないで、自分の利益や権力を増大させるために、支配下の者(社員であったり、国民であったり)を自由競争に駆り立てる権力者
ラッセルの言う「成功の技量」をもたぬ人間は、彼ら権力者にとっては、競争の敗者(負け組)であり、施しの対象にしか映らない。 

民衆に先入観や偏見を吹き込む力の増大 the increased power of the authorities to enforce their prejudices

LIBERTY 我々の時代において新しいこと(の一つ)は,権力者たち(政府その他大きな権力を持っている人たち)が,自分たちの(様々な)偏見を民衆に押し付けることができる力が増したことである。

What is new in our time is the increased power of the authorities to enforce their prejudices.
[From: Quoted on Who Said That? BBC TV, Aug. 8, 1958]

[寸言]
公正な報道かどうか判断する主体が政府や与党であっては(もちろん、野党であっても)まずい。政府を擁護する意見も批判する意見も、両方とも認めなければならない。公正を保つということで、政府に批判的な(個別の)意見を政府関係者が問題視するようになっては、(総務省は放送許可権を持っていることゆえに)マスコミは萎縮し、自己検閲をするようになってしまう。
NHKは今でも優れた番組をたくさん放送しており、有意義な存在であるが、報道関係については、準国営放送のようになりつつある権力者(政財官の保守支配層や富裕層)に不都合な報道がどんどん少なくなっていけば、結果として、一般市民(民衆)は権力者に都合のよい先入観や偏見を身につけていくことになる。
籾井会長(背後に安倍政権の意向あり)は,安倍政権の目の上のたんこぶの一つである「クローズアップ現代」を(やらせ行為などを口実に)来年の3月末に終了させることに決めたようである。7時のNHKニュース(30分わく)も短縮化しようと検討中とのウワサもあるが、果たして・・・!?

国家主義は現代の最も恐ろしい害悪の一つ--知らない間に・・・

BRAINS-B 国家主義的な型の愛国心は,学校教育で教えられなければならない型の愛国心とはかけ離れたものであり,人々が不幸にして陥りやすい集団ヒステリーの一形態だと言わなければならない。また,そのような愛国心(教育)に対し,知的にも道徳的に防備を固めなければならない。国家主義は疑いもなく現代の最も恐ろしい害悪である。

Patriotism of the nationalistic type, so far from being taught in schools, ought to be mentioned as a form of mass-hysteria to which men are unfortunately liable, and against they need to be fortified both intellectually and morally. Nationalism is undoubtedly the most dangerous vice of our time —.
出典: Education and the Social Order, 1932, chap. 10:Patriotism in Education (George Allen and Unwin ed.) p.138.]

[寸言]
郷土愛が延長した形の素朴な愛国心や文化的な愛国心,国家主義的・政治的な愛国心区別しないひとが多すぎないか? 気がついた時にはひどいことになっていた,ということにならないためには, ラッセル曰く

「国家主義的な型の愛国心(教育)に対し,知的にも道徳的に防備を固めなければならない」

歴史教育の主要な目的の一つは国家悪及び集団ヒステリーの危険性を自覚させること

ZU-HSEP2 歴史は,この国とかあの国とか,特定の国の歴史としてではなく,(人類の)文化の進歩の歴史として教えられるペきです。人類全体の見地に立って教えられるべきであり,自国だけを不当に強調して教えてはなりません。いかなる国も例外なく悪いことをやってきたし,その大部分は馬鹿げた過ちであったことを,子供たちに教えなければなりません。集団がヒステリックに興奮すると,どんなふうに国民全体を愚劣な行動に追いこんだりするか,また,波及する気狂い状態にも押し流されずに毅然たる態度をとる少数者をどのように迫害するか子供たちに教えるべきです。

History should be taught as the history of the rise of civilization, and not as the history of this nation or that. It should be taught from the point of view of mankind as a whole, and not undue emphasis upon one’s own country. Children should learn that every country has committed crimes and that most crimes were blunders. They should learn how mass hysteria can drive a whole nation into folly and into persecution of the few who are not swept away by the prevailing madness.
出典: What is Democracy, 1953, the teaching of history より)

[寸言]
自国の戦争犯罪を認めることがなぜ「自虐史観」なのだろうか?
いずれの国も馬鹿げた犯罪行為を過去やってきている。それぞれの,悪さの程度に見合った評価をして非難することは,同じ犯罪を起こさないために必要なことであろう。

楽観主義と悲観主義との闘い-希望にかけるか、絶望に沈むか

ROCKCLIM 私の著書のほとんどに,--ふり返ってみてわかったことであるが--,要点を強調するための’つくり話’が入っている。たとえば,私は最近,自著『社会に対する科学の衝撃』(The Impact of Science on Society, 1952)の中に次の一節を見つけた。

私が強調したいことは,現在珍らしくなくなっているこの無気力な絶望感はまったく不合理なものだという点である。人類はいまや困難かつ危険な断崖絶壁を登っている人間(クライマー)の立場にある。頂上は心地よい草地が広がる台地となっている。一歩一歩登るにつれて,もし彼が墜落すれば,それだけ恐ろしいことになる。一歩進むごとに疲労は増し,登ることはますます困難になる。ついには,あと一歩を残すだけとなる。しかし彼はそのことを知らない。なぜなら,頭上に突き出ている岩の先を見ることができないからである。疲労は極限に達し,彼が望むのは休息のみである。もし彼が手を離せば,死の休息を得るだろう。

希望は叫ぶ。「もう一ふんばりだ。多分これが必要な最後の努力となるだろう。」
皮肉は言い返す。「愚か者! お前はずっと希望のいうことを聞いてきたんじゃないのか。その結果,どこにつれてこられたというのか。」
楽観は言う。「生命のある間は希望はある。」
悲観は怒って言う。「生命のある限り苦痛がある。」

疲労しきったこの登山家ははたしてもう一歩の努力をするのか,それとも,奈落の底に落ちるに身をまかせてしまうのか。その答えは,数年して,その時生き残るっている者が知るであろう。

Most of my books, I find on looking back over them, have myths to enforce the points. For instance, I turned up the following paragraph recently in The Impact of Science on Society: ‘What I do want to stress is that the kind of lethargic despair which is now not uncommon is irrational. Mankind is in the position of a man climbing a difficult and dangerous precipice, at the summit of which there is a plateau of delicious mountain meadows. With every step that he climbs, his fall, if he does fall, becomes more terrible; with every step his weariness increases and the ascent grows more difficult. At last, there is only one more step to be taken, but the climber does not know this, because he cannot see beyond the jutting rocks at his head. His exhaustion is so complete that he wants nothing but rest. If he lets go, he will find rest in death.

Hope calls: ‘one more effort – perhaps it will be the last effort needed.’ Irony retorts: ‘Silly fellow! Haven’t you been listening to hope all this time, and see where it has landed you.’ Optimism says: ‘While there is life, there is hope.’ Pessimism growls: ‘While there is life, there is pain.’ Does the exhausted climber make one more effort, or does he let himself sink into the abyss ? In a few years, those of us who are still alive will know the answer.’

出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-310.HTM

[寸言]
世の中が自分の望まない方向に向かっている時や、努力がなかなか成果に結びつかない時に感ずるあせり。
登山家は,いくら苦しくても目標がかならず存在するという確信を抱いていられるが、目標そのものが実は存在しないものであるかも知れない(あるいは目標設定が不適切だったかも知れない)という不安にかられると、迷いや苦しみはいっそう増していく。

時々のチャリティー・ショーでは世界は救われない! On charity

Socrates 知的な人間の道徳感情において、いわゆる「慈善」(チャリティー)に関してほど変化したものは他にない。乞食の窮乏状態が偽りないものであれば、乞食にお金をめぐむこと(喜捨)を拒否することは困難であるが、喜捨の行為は心地よいものではなく、また赤面を引き起こしがちである。つまり、そこには不可避的に、誰もが物乞いをする必要がないように社会は作られていなければならない、といった反省がある。(従って、)喜捨をすることによって自己満足を感ずるどころか、自分たちは他人をこのような窮乏と屈辱的な状態にしてしまう体制で利益を得ていると感じて、社会的良心が痛むのを感じる。

There are few ways in which the moral sentiments of intelligent people have changed more than as regards what is called ‘charity’. It is difficult to refuse money to a beggar if his need seems genuine, but the act of giving is uncomfortable and inclined to cause a blush: there is inevitably the reflection that society ought to be so organized as to make it unnecessary for anyone to beg. So far from feeling self-satisfied because of giving, we feel our social conscience pricked because we profit by a system which reduces others to such want and humiliation.
出典:Bertrand Russell: On charity,Nov. 2, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/CHARITY.HTM

[寸言]
機会の均等」という謳い文句に安住してはならない。スタート地点に大きな差がある以上,「機会の均等」は最初から存在していない。今富んでいる人は努力した人(あるいは先祖が努力した人)だという都合のよい前提では,社会的弱者を救うことはできないし,そういった人々に対し説得力をもたない。

問題は,富(国民のすべての財産や総所得)の分配あるいは再分配の問題ではないか? 企業であれば(企業としての成長の糧は別にしておくとして,それ以外は)利益を社員にどのように分配するか,国家であれば税金をどのような割合で国民から徴収し,社会の進歩のためにどのようにお金を使うか,また困った人々(社会的弱者・経済的弱者)のためにどのようにお金を使うかという問題,,つまり,国の財産や国民総所得をどのように国民に使うか,また分配するかという問題に帰するのではないか?

最低賃金が低かったり,生活保護の水準が低かったり,生活保護を受ける資格がありながらいろいろな制約や障害から受給できていないとう状況に対してどのような手を打つか? 生活保護費をだまし取る一部の不心得者をなくすためという口実で,生活保護の認定を必要以上に厳しくしたりしているが,結局は弱者を堂々いじめることができる(弱い者いじめのための)「免罪符」として使っていないか?
現代においては,困窮する人々の問題は,社会の富の分配のあり方が適切でないところから生じているのであり,そのような社会制度や社会体制の問題を棚上げにして,時々「24時間愛は地球を救う」といったような番組を放送して気分を高揚させていい気持ちになっているのは,偽善ではないか? そういた番組をやらないよりやったほうがよいと安易に考えていないか? そういったショーをやり高揚感が得られれば普段は社会的弱者のことは忘れていられる,という隠れた気持ちがありはしないか?
時々の慈善ショーではだめだと考える人は,やはり社会制度の根本的な改革が必要だと考えるはずだが・・・?

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