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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.20

 むきだしの権力の時期は,通常,短い。それは,一般的に言って次の三つのうちのいずれかで終る第一は,外国による征服(によるもの)であり,それ については,我々は,既に,ギリシアとイタリアの例で考察した。第二は,安定した独裁制の確立(によるもの)であり,それはやがて伝統的なものになってゆく。この最も顕著な例は,アウグストウス(注:ローマ帝国初代皇帝でパクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現。在位:紀元前27年 – 紀元14年)の帝国(ローマ帝国)であり,それはマリウス(注:Gaius Marius 共和制ローマ末期の軍人)からアントニウス(注:Marcus Antonius 、共和政ローマの政治家・軍人)の敗北に至るまでの内乱時代の後に来たものである。第三は,言葉の最も広い意味での,新興宗教の勃興(によるもの)である。(注:キリスト教を既成宗教とすれば,それ以降のものは全て「新興宗教」「新しい宗教」というい位置づけになる。)これについては,その明確な一例は,モハメッドが、それ以前争っていたアラビアの各部族を統一したやり方である。第一次大戦後の国際関係におけるむきだしの権力の支配は,もしロシアに輸出できるだけ
の食糧の余剰があったのであれば,ヨーロッパ全土を通じての共産主義の採用ということになって終っていたかもしれない。(注:実際は,ロシアは自国のことだけでせいいっぱいで,そういったことにはならなかった。)

Chapter VI: Naked Power, n.20

Periods of naked power are usually brief. They end, as a rule, in one or other of three ways. The first is foreign conquest, as in the cases of Greece and Italy which we have already considered. The second is the establishment of a stable dictatorship, which soon becomes traditional; of this the most notable instance is the empire of Augustus, after the period of civil wars from Marius to the defeat of
Antony. The third is the rise of a new religion, using the word in its widest sense. Of this, an obvious instance is the way in which Mohammed united the previously warring tribes of Arabia. The reign of naked force in international relations after the Great War might have been ended by the adoption of communism throughout Europe, if Russia had had an exportable surplus of food.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.19

 ルネッサンス時代のイタリアにおいては,古代ギリシアにおいてそうであったように,非常に高度な水準の文明が非常に低い水準の道徳と結びついていた。(即ち,)どちらの時代も,最高の天才と最低の悪党根性(scoundrelism)を示しており,その両者において,悪党と天才は決して互いに敵対するものではなかった。レオナルド・ダ・ダインチは(悪名高き)チェザーレ・ボルジアのために(いくつか)城塞を築いたし,ソクラテスの弟子のなかの何人かは,30人の僭主のなかの最悪な者たちであった(最悪な者たちのなかに含まれていた)。プラトンの門弟は(シチリアの)シラクサでの恥ずべき行為に関係していた(was mixed up)。また,アリストテレスは某僭主の姪と結婚した。両者の時代において,芸術と文学と虐殺とが手を携えて約150年間繁栄した後に,(ヨーロッパの)西方と北方から来た,文明の度は(両者よりも)ずっと低いけれども団結力の強い諸民族によって,全て根絶やしにされてしまった。どちらの場合にも,政治的独立を失ったことが,文化的衰退だけでなく,商業的覇権の衰退及び破局的な貧困を伴ったのである。

Chapter VI: Naked Power, n.19

In Renaissance Italy, as in ancient Greece, a very high level of civilization was combined with a very low level of morals : both ages exhibit the greatest heights of genius and the greatest depths of scoundrelism, and in both the scoundrels and the men of genius are by no means antagonistic to each other. Leonardo erected fortifications for Cesare Borgia; some of the pupils of Socrates were among the worst of the thirty tyrants; Plato’s disciples were mixed up in shameful doings in Syracuse, and Aristotle married a tyrant’s niece. In both ages, after art, literature, and murder had flourished side by side for about a hundred and fifty years, all were extinguished together by less civilized but more cohesive nations from the West and North. In both cases the loss of political independence involved not only cultural decay, but loss of commercial supremacy and catastrophic impoverishment.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.18

 ルネッサンス時代のイタリアは,古代ギリシアと非常に似たところがある。 しかし,ルネッサン期イタリアにおける混乱(状態)は,古代ギリシア時代よ りも,より大きくさえある。ルネッサン期イタリアには,ギリシアに倣った (模倣した)寡頭政治の商業的共和国があり,専制政体があり,封建主義的起源をもつ公国があり,さらに教会国家(the States of the Church)があった。
教皇はイタリア以外の地では尊敬を集めていたが,教皇の息子たちはそうはい かなかった。そうして,チェザーレ・ボルジア(注:1492年に父ロドリーゴは アレクサンデル6世として教皇の座を獲得)はむきだしの権力に頼らなければならなかった。

 チェザーレ・ボルジアとその父アレクサンダー六世は重要人物であるが,それは,彼らが自身が重要であったからだけでなく,マキャヴェリに感銘を与えた人物としても同様に重要であった。彼らの生涯のなかのある一つの出来事を ,クレイトンのコメント(批評)とともに紹介することは,彼らの生きた時代を例証するのに役立つであろう。コロンナ家(Colonna:中世ローマで力を持 ったイタリアの有力貴族)とオルシーニ家とは何世紀かに渡って教皇たちの破滅のもと(災いのもと)であった。コロンナ家は既に衰退していたが,オルシ ーニ家はまだ命脈を保っていた。教皇アレクサンダー六世は彼らと協定を結び ,彼らの長である枢機卿のオルシーニをヴァチカンに招いた。それは息子のチェザーレが,オルシーニ家の重要な二人の人物を裏切りによって既に捕えてい たことを耳にしていた時のことであった。枢機官のオルシーニは,教皇の面前に出るやいなや逮捕された。オルシーニ枢機卿の母親は,オルシーニに食物を 差し入れる権利を得るために,二千ダカット金貨を教皇に支払い,彼の令夫人 (妻)は教皇に教皇がかねてから欲しくてたまらなかった高価な真珠を教皇 (His Holiness)に贈った。にもかかわらず,枢機官オルシーは獄中で亡くな った。彼の死はアレクサンダー六世の命令による毒入りの葡萄酒のせいだと言われている。この出来事に関するクレイトンの以下のコメント(批評)は,むきだしの権力をもつ政体の性格をよく示している。(原注:『教皇権の歴史』 (History of the Papacy)第5巻,四二頁)

「このような裏切り行為に対して,まったく抗議がなされなかったばかりでな く,まったく完璧に成功したことは,驚くべきことである。しかし,イタリア の偽りの政治においては,あらゆることがゲーム(競技)の競技者の技能にかかっていたのだ。傭兵隊(注:condottieri 中世後半からルネッサンス期に存 在したイタリア人傭兵)は,自分たちが主人であり(自分たちのみを代表してお
り),どんなに不実であっても,何らかの手段で排除される場合には,何一つ 後には残らなかった。オルシーニ家やヴィテロツォ家の没落に憤慨した,いかなる政党も,いかなる利害関係者たちもなかった(no party, no interest)。 傭兵隊の軍隊,隊長に従っている限りにおいて恐るぺきものであった。隊長が解任させられると,兵士たちは四散し,他の雇用契約に入っていた。・・・
大部分の者たちはチェザーレの,ことに臨んでの完璧な冷静さを賞賛した。・
・・当時通用していた道徳感に対しては抗議はまったくなされなかった。・・ ・イタリアの大部分の者はチェザーレがマキャヴェリについて語った言葉を申し分のないものとして受け入れていた。それは次のような言葉である。『裏切りの名人として本領を発揮してきた者たちを騙すことは心地よい。』 チェザ ーレの行為は,(全て)その行為の成否によって判断されたのである。」

Chapter VI: Naked Power, n.18

Renaissance Italy presents a very close parallel to ancient Greece, but the confusion is even greater. There were oligarchical commercial republics, tyrannies, after the Greek model, principalities of feudal origin, and, in addition, the States of the Church. The Pope, except in Italy, commanded reverence, but his sons did not, and Cesare Borgia had to rely upon naked power.

Cesare Borgia and his father Alexander VI are important, not only on their own account, but as having inspired Machiavelli. One incident in their career, with Creighton’s comments, will serve to illustrate their age. The Colonna and Orsini had been the bane of the Popes for centuries ; the Colonna had already fallen, but the Orsini remained.
Alexander VI made a treaty with them, and invited their chief, Cardinal Orsini, to the Vatican, on hearing that Cesare had captured two important Orsini by treachery. Cardinal Orsini was arrested as soon as he came into the Pope’s presence; his mother paid the Pope two thousand ducats for the privilege of sending him food, and his mistress presented His Holiness with a costly pearl which he had coveted. Nevertheless Cardinal Orsini died in prison — of poisoned wine given by the orders of Alexander VI, it was said. Creighton’s comments on this occurrence (note : History of the Papacy, Vol. V, p. 42) illustrate the character of a regime of naked power :

“It is amazing that this treacherous deed should have awakened no remonstrances, and should have been so completely successful ; but in the artificial politics of Italy everything depended on the skill of the players of the game. The condottieri represented only themselves,
and when they were removed by any means, however treacherous, nothing remained. There was no party, no interest, which was outraged by the fall of the Orsini and Vitellozzo. The armies of the condottieri were formidable so long as they followed their generals; when the generals
were removed, the soldiers dispersed and entered into other engagements. . . . Most men admired Cesare’s consummate coolness in the matter…. No outrage was done to current morality. … Most men in Italy accepted as sufficient Cesare’s remark to Machiavelli: ‘It is well to beguile those who have shown themselves masters of
treachery.’ Cesare’s conduct was judged by its success.”
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.17

 アガソクレスのシシリー(シチリア)における権力は,しばらくの間,こういったあらゆる浮き沈み(栄華盛衰)を切り抜けて生き残った。かれはセジェスタ(注:Aegesta = Segesta /シチリアの古代ギリシア都市)を占拠し,その町の貧乏人の男を全て殺害し,金持を富の隠し場所を明らかにするまで拷問した。(また)若い女や子供はイタリア本土南部のブルッチ人(古代イタリアの南西部カラブリアにいた諸族の総称)に奴隷として売りとばした。

 彼の家庭生活は,遺憾ながら,あまり幸福とは言えなかった。彼の妻は(彼の)息子(注:別の女性との間の子供か,妻の実子=息子かどうか不詳)と関係し,二人いるのうち一人はもうひとりの孫を殺害し,その孫は年取った僭主の召使いをそそのかして祖父(僭主=アガソクレス)の爪楊枝に毒を塗らせた。アガソクレスの最後の行動は,自分はもう死ぬに違いないと理解すると,元老院を召集し,(自分を毒殺しようとした)孫に対する報復を要求した。しかし,彼の歯ぐきは毒のためにとても痺れて,一言もしゃべることができなかった。(すると)市民たちは立ち上がり,アガソクレスは生きたまま火葬用の薪の上に急いでのせ,同時に彼の財産は没収された。そうして,民主主義は回復したと告げられた(のである)。

Chapter VI: Naked Power, n.17

His power in Sicily, for some time, survived all these vicissitudes. He (= Agathocles) took Aegesta, killed all the poorer males in that city, and tortured the rich till they revealed where their wealth was concealed. The young women and children he sold as slaves to the Bruttii on the mainland.
His home life, I regret to say, was not altogether happy. His wife had an affair with his son, one of his two grandsons murdered the other, and then induced a servant of the old tyrant to poison grandpapa’s toothpick. The last act of Agathocles, when he saw he must die, was to summon the senate and demand vengeance on his grandson. But his gums, owing to the poison, became so sore that he could not speak. The citizens rose, he was hurried onto his funeral pyre before he was dead, his goods were confiscated, and we are told that democracy was restored.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.16

 アガソクレスは,援軍が必要と感じて,キュレネ(注:Cyrene:現リビア領内にあった古代ギリシアの都市)に使節(団)を送った。当時のキュレネは,プトレミー一世(注:アレキサンダー大王の死後,エジプトを支配。天動説のプトレマイオスとは別人)の支配下のもと,アレクサンダー(大王)の指揮官の一人のオフェラスによって守られていた(was held by)。使節(団)は次のように言うように指示を受けていた。即ち,オフェラスの支援によってカルタゴを破ることができること,自分(アガソクレス)の望みはシシリーにおける安心安全だけであること,(従って)アフリカに対しては野心は何も持っていないこと,(アガソクレスとオフェラスが)共同で為しとげたアフリカでの征服地は全てオフェラスの取り分となること。このような申し出に動かされて,オフェラスは,自分の軍隊を率いて沙漠を越え,非常に苦労した後、アガソクレス(軍)との合流を成し遂げた(effected a junction with ~との連結を成し遂げた)。そこでただちに(thereupon),アガソクレスはオフェラスを殺害し,彼はオフェラスの軍隊に対して,もしお前たちが助かりたいと思うならば,今は亡きお前たちの指揮官オフエラスを殺害したアガソクレス(私)の下で,仕える他はないと指摘した(言い渡した)。

 彼(アガソクレス)は,その後,ユーティカ(Utica)を包囲し,-ユーティカには敵に気づかれずに到着したが- 戦場で300人の敵兵を捕まえて捕虜にし,彼らを自軍の包囲陣(siege engines)の前線に貼り付けたので(bound to),ユーティカ人たちは自分たちの身を守るために同胞の人々を殺さなければならなかった。この企ては成功したが,彼の立場は困難なものであり,自分の息子のアルカガサスが自分の軍隊の中に不満をかき立てているのではないかと恐れる理由があったので,なおさら困難であった。そうして,アガソクレスは密かにシシリー(シチリア)に逃げもどったが,(アガソクレスの)軍隊は彼の軍隊放棄に怒り,(息子の)アルカガサスともう一人の息子を殺してしまった。これによってアガソクレスは怒りまくり,暴動に加わった軍隊に属する兵士と少しでも関係のある,シラクサの老若男女を皆殺しにしてしまった。

Chapter VI: Naked Power, n.16

Agathocles, feeling the need of reinforcements, sent envoys to Cyrene, which was at that time held, under Ptolemy, by Ophelas, one of Alexander’s captains. The envoys were instructed to say that, with the help of Ophelas, Carthage could be destroyed; that Agathocles wished only to be secure in Sicily, and had no African ambitions ; and that all their joint conquests in Africa should be the share of Ophelas. Tempted by these offers, Ophelas marched across the desert with his army, and after great hardship effected a junction with Agathocles. Agathocles thereupon murdered him, and pointed out to his army that their only hope of safety was to take service under the murderer of their late commander.

He then besieged Utica, where, arriving unexpectedly, he captured three hundred prisoners in the fields; these he bound to the front of his siege engines, so that the Uticans, to defend themselves, had to kill their own people. Although successful in this enterprise, his position was difficult, the more so as he had reason to fear that his son Archagathus was stirring up disaffection in the army. So he fled secretly back to Sicily, and the army, in fury at his desertion, murdered both Archagathus and his other son. This so enraged him that he killed every man, woman, and child in Syracuse that was related to any soldier in the mutinous army.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.15

 アガソクレスは戦いにおいては工夫に富み勇敢であったが,無謀であった。(あたかも,カルタゴ人が完全に勝利を占めるに違いないと思われる瞬間がやってきた。(即ち)カルタゴ人はシラクサを包囲しつつあり,彼らの海軍はシラクサの港を占領した。
 しかし,アガソクレスは大軍を率いてアフリカにまで航海して渡り,その地で(乗ってきた)船を焼き,それらの船がカルタゴ人の手に陥ることを防いだ。彼は自分がシラクサに不在の時に反乱のおこることを恐れて,子供たち人質とした。そうして,しばらくすると,シラクサで彼の代理をつとめていた弟は800人の政敵を流刑(追放)に処したが,カルタゴ人たちはこれらの人々の味方をした。アフリカにおいて,彼は,最初のうち,驚くほどうまくやった。彼はチュニスを占領し,カルタゴを包囲した。
 カルタゴ政府は驚きあわてて,モロク神(Moloch / Molech 「モレク」とも言う)をなだめ始めた。(すると)カルタゴの貴族たちで,自分たちの子供をモロク神のいけにえに供すべきであった人々が,貧乏人の子供を身代わりに買う(人身売買の)習慣があることがわかった。その行為はただちに厳しく禁ぜられた。モロク神は貴族の子供のいけにえを(貧乏人の子供よりも)より喜ぶと知られていたからである。この改革以後,カルタゴ人の運は回復し始めた(のであった)。

In war, Agathocles was resourceful and brave, but rash. There came a moment when it seemed as if the Carthaginians must be completely victorious; they were besieging Syracuse, and their navy occupied the harbour. But Agathocles, with a large army, sailed to Africa, where he burnt his ships to prevent them from falling into the hands of the Carthaginians. For fear of revolt in his absence, he took children as hostages; and after a time his brother, who was representing him in Syracuse, exiled eight thousand political opponents, whom the Carthaginians befriended. In Africa he was at first amazingly successful ; he captured Tunis; and besieged Carthage, where the government became alarmed, and set to work to propitiate Moloch. It was found that aristocrats whose children ought to have been sacrificed to the god had been in the habit of purchasing poor children as substitutes; the practice was now sternly repressed, since Moloch was known to be more gratified by the sacrifice of aristocratic children. After this reform the fortunes of the Carthaginians began to mend.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.14

 アガソクレス派の人々は,昼間は男たちの殺戮で日を過ごし,夕方になると女たちに目を転じた。

 二日間にわたる大虐殺の後,アガソクレスは捕虜たち(prisoners)を(目の前に)連れ出し,友人のディノクラテスを除き,他の全ての者を殺害した。その後,彼は議会を召集し,寡頭政治家たちを告発し,シラクサ(の都)から君主政治に与する(くみする)者は全て一掃し,(そうして)自分は個人的な生活(私的な平穏な生活)をしたいと言った。そうして,彼は,(王の)制服を脱ぎ捨て,平服を身にまとった。しかし,アガソクレスのリーダーシップの下で略奪を行った者(たち)は,彼が権力を持つことを望み,投票の結果,彼は総司令官に選ばれた。「貧しい人や借金のある者たちは,この革命を大いに喜んだ。」 というのは,アガソクレスは,貧しい人たち対しては借金の帳消し(免除)及び土地の分配を約束したからである。その後しばらくは,彼は穏やかであった。

Those of Agathocles’s party spent the day-time slaughtering the men, and at nightfall turned their attention to the women.

After two days’ massacre, Agathocles brought forth the prisoners and killed all but his friend Dinocrates. He then called the assembly, accused the oligarchs, and said he would purge the city of all friends of monarchy, and himself would live a private life. So he stripped off his uniform and dressed in mufti. But those who had robbed under his leadership wanted him in power, and he was voted sole general. “Many of the poorer sort, of those that were in debt, were much pleased with this revolution,” for Agathocles promised remission of debts and sharing out of lands to the poor. Then he was mild for a time.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.13

 この当時のシラクサの政治(体制)は,民主政治と寡頭政治(少数独裁政治)の混じり合ったものであったように思われる。シラクサには600人の金持ちから構成される議会があった。アガソクレスは,これらの寡頭政治の支配者たちに対抗して,貧しい者たちの主張(cause)を支持した。彼は(600名から選出された)40名と会議をしている途中で,兵士らを奮起させこれら40名を皆殺しをし,(言い訳として)彼らは自分に対抗する計画を立てていたと述べた。それから彼は,軍隊を率いてシラクサ(の都)に入り,兵士たちに(議会構成員)600人全員を強奪するようにと告げた。(即ち)兵士たちは命令通り強奪行為を行い,また(しかも),何が起こっているのか見ようと自宅から出てきた市民たちを虐殺した。終には,多数の人が略奪のため(だけの理由で)殺害された。ディオドルスが述べているように,「否,神々の庇護を求めて神殿に逃げた人々さえまったく安全ではなく,神々に対する信心は人々の残忍な行為によって押しつぶされ,打ち負かされてしまった。自国においてはギリシア人対ギリシア人とが争い,平和な時に血縁者同時が争い,自然の綻も,同盟も,神々に対する尊崇も,何ら顧みるところなく,このように,あえて大胆にもこういった事柄(誤り)が実行された(犯された)のであった。そのために(On which account)味方の人々だけでなく,敵方の者たちさえも,また穏健な人々は皆,これらの痛ましい人々のみじめな状況について憐れまざるを得なかった。」

Chapter VI: Naked Power, n.13

The government of Syracuse at this time seems to have been a mixture of democracy and oligarchy. There was a council of six hundred, consisting of the richest men. Agathocles espoused the cause of the poor against these oligarchs. In the course of a conference with forty of them, he roused the soldiers and had all the forty murdered, saying there was a plot against him. He then led the army into the city, telling them to plunder all the six hundred ; they did so, and massacred citizens who came out of their houses to see what was happening; in the end, large numbers were murdered for booty. As Diodorus says: “Nay, there was no safety even to them that fled to the temples under the shelter of the gods; but piety towards the gods was crushed and borne down by the cruelty of men: and these things Greeks against Greeks in their own country, and kindred against kindred in a time of peace, without any regard either to the laws of nature, or leagues, or reverence to the gods, dared thus audaciously to commit: upon which account not only friends, but even enemies themselves, and every sober man, could not but pity the miserable condition of these distressed people.”
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.12

 アガソクレス(注:シチリアの王)は卑しい生れで,陶工(焼物職人)の息子であった。 (原注:以下の叙述は,ディオドルス・シクルスに依拠している(典拠としている)。現代の権威者のなかには,アガソクレスは偏見を抱いていたという者がおり,また,アガソクレスは賞賛すべき統治者だったという者もいる。しかし,(アガソクレスに関する)主要な事実についてシクルスは正しくなかった(間違っていた)と信じることは困難である。)  彼は美貌のおかげで,デマスという裕福なシラクサ人の寵愛の対象となり,デマスは全財産を遺した。また,彼はデマスの未亡人と結婚した。彼は戦闘で著名になり,専制政治に野心を懐いていると思われた。そのために追放され,流刑地に向かう途中で殺害せよとの命令が発せられた。しかし,彼はそれを予見し,ある貧乏な男と衣類を交換し,雇われた刺客は誤ってこの男を殺害した。彼はその後シチリアの奥地(内陸部)で挙兵した。それはシラクサ人をとても恐怖させ,彼らは彼と和平を結んだ。彼は再び迎えられ(readmitted 再び認められ),彼は自分はシラクサの民主制を侵害するようなことは一切しないということをセレスの神殿で誓った。(注:”prejudice” はここでは法律用語の「侵害」

Chapter VI: Naked Power, n.12

Agathocles was a man of humble origin, the son of a potter. (Note: What follows rests on the authority of Diodorus Siculus. Some modern authorities say that he was biased, and that Agathocles was an admirable ruler. But it is difficult to believe that Diodorus is not correct as to the main facts.) Owing to his beauty he became the favourite of a rich Syracusan named Demas, who left him all his money, and whose widow he married. Having distinguished himself in war, he was thought to be aspiring to the tyranny; he was accordingly exiled, and orders were given that he should be murdered on his journey. But he, having foreseen this, changed clothes with a poor man, who was murdered in error by the hired assassins. He then raised an army in the interior of Sicily, which so terrified the Syracusans that they made a treaty with him: he was readmitted, and swore in the temple of Ceres that he would do nothing to the prejudice of the democracy.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.11

 かつては,ギリシアの独立が失われたことを嘆き悲しみ,ギリシア人は皆ソロンソクラテス(のような人たちばかりであった)と考えるのが,普通であった。(だが)ローマの勝利を嘆く理由がいかに少なかったかは,(ギリシアが領有していた)シシリー(シチリア)の歴史を見れば理解できるであろう。私はむきだしの権力の例として,アレクサンダー大王と同時代の人で,紀元前361年から紀元前289年まで生き,死ぬまでの最後の28年間シラクサの僭主であったアガソクレスの生涯ほど,適切なものを他にまったく知らない。
 シラクサ(注:シチリア島南東部に位置する都市)(古代)ギリシアの都市のうち最大のもので,おそらく地中海地方最大の都市であったであろう。その唯一の競争相手はカルタゴであり,どちらかが敗北した後の短期間を除いて,両者の間では常に戦闘が行われていた。シシリー(シチリア)以外のギリシア都市は,政党政治の(情勢の)変化に従って,(ある時は)シラクサの味方をしたり,(またある時は)カルタゴの味方をしたりした。どの都市においても,金持は寡頭政治に好意を示し(賛成し),貧乏人は民主主義に好意をしめした(賛成した)。民主主義の一派が勝利すると,通例,彼らの指導者は自らを僭主とするのに成功した。敗者の多くは追放され,自分の一派が勢力を持っている都市の軍隊に加わった。しかし,軍隊の大部分は傭兵から成っており,こうした傭兵はギリシア人以外の者たちであった。

hapter VI: Naked Power, n.11

It used to be customary to lament the loss of Greek independence, and to think of the Greeks as all Solons and Socrateses. How little reason there was to deplore the victory of Rome may be seen from the history of Hellenic Sicily. I know no better illustration of naked power than the career of Agathocles, a contemporary of Alexander the Great, who lived from 361 to 289 B.C. (361B.C. to 289 B.C.), and was tyrant of Syracuse during the last twenty-eight years of his life.

Syracuse was the largest of Greek cities, perhaps the largest city in the Mediterranean. Its only rival was Carthage, with which there was always war except for a short time after a serious defeat of either party. The other Greek cities in Sicily sided sometimes with Syracuse, sometimes with Carthage, according to the turns of party politics. In every city, the rich favoured oligarchy and the poor favoured democracy ; when the partisans of democracy were victorious, their leader usually succeeded in making himself a tyrant. Many of the beaten party became exiles, and joined the armies of those cities in which their party was in power. But the bulk of the armed forces consisted of mercenaries, largely non-Hellenic.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_110.HTM