専門家(いわゆる有識者)の活用あるいは悪用

tanaka-izumida 現代社会においては,専門家の重要性がしだいに増してきているが,その予期しない,また意図しない結果の1つは,かつては自分の力を発揮しえた人間生活のほとんどの分野で,’平均的な普通の人間’は皆「受身」になっているということである。

One of the unforeseen and unintended results of the increasing importance of experts in the modern world is that, in a great many departments of life, the ordinary man has become passive where he used to be active.
出典: Are we too passive? (written in Feb. 3, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/PASSIVE.HTM

[寸言]
全て、それぞれの分野の専門家(いわゆる「有識者」)におまかせ

特に、国家的な問題は、時の政権が選んだ「公平な立場に立つ(と権力者が勝手に言う)」有識者におまかせするが,その有識者会議・委員会の半分のメンバー及び議長・委員長は,時の政権の考え方に近い人間が意図的に選ばれている。
一般国民は意見を言う権利はあるが,公聴会なども「儀式」にすぎす、聞き流されるだけ
goyogakusha_umami

権力への追従者になるか,反抗者になるか・・・

nandmoari-no-sekai_furinrengo 現代の若者のほとんどは,巨大な組織の末端の地位から人生のスタートを切らざるをえない。彼の上司が経験豊かな学校の先生が持っている寛容の精神の持主であるのは稀であり,組織の中の「良い」子に昇進の道を与えがちである。・・・。人に従うことを覚えた人間は,自分の個人的創意を全部失うか,権力に対する怒りを燃すに至り,破壊的で残忍な志向を身につけるに至る。

But nowadays almost every young man has to begin with a very subordinate post in some vast organisation. His superiors seldom have the tolerance of the experienced schoolmaster and are likely to give promotion to the ‘good’ boy. … The man who has learnt to obey will either have lost all personal initiative or will have become so filled with rage against the authorities that his initiative will have become destructive and cruel.
出典: On being good (written in Nov. 18, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/BEING-G.HTM

[寸言]
あなたが若者なら,どちらのタイプ?

abe-muto_homojanai 安倍チルドレンなんてのは,後者のタイプの典型であり,「人に従うことを覚えた人間は,自分の個人的創意を全部失うか,権力に対する怒りを燃すに至り,破壊的で残忍な志向を身につけるに至る。」ということで,権力に服従している反動で,自分より権力のない者に対しては必要以上に権力を振るうことになります。

「一億総活躍」を連呼する為政者とアベノミクスの一兵卒とされる民衆

ichioku-sozange 我々は今まで余りにも仕事に支配され続けており,肉体労働や頭脳労働のとりこになっている状態からの解放手段として機械を十分に活用してこなかった。我々はその気になれば,もっと余暇が持てる。我々は皆,その気になれば子供軍隊組織の便利な構成単位(歯車)にしてしまわないで,彼らの衝動に芸術的表現を与えることができる(?)。そうしないのは,我々は美よりも力(権力)を愛するからである。

aikoku-yochienWe have allowed ourselves to be too much dominated by work and have not sufficiently used machines as a means of liberation from the thraldom of manual and mental labour. We could, if we chose, all have more leisure. We give artistic expression to their impulses, rather than so as to be convenient units in a regiment. We do not do this because we love power more than we love beauty.
出典: In praise of artificiality (written in Nov. 9, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/ARTIFICI.HTM

[寸言]
興奮を好み、他者・他社・他国に勝ることを好む人間の性(さが)
(オリンピック,巨大な建築物、軍事力・・・その他いろいろ)
従って、そういうこと(他者に勝ること)が可能となる「力」(権力)を好む
もちろん,他者・他国の権力は否定する。
 しかし、自分たちの力(権力の増大となるもの)は肯定する

 「臨機応変の才(気転を働かせること)」について

winston-churchill-quote-on-tact 「臨機応変の才(tact 気転を働かせること)」が一つの美徳であることは,否定できない。まったく思いがけず,場所にそぐわない発言を次々とする人間は,仲間たち全員から嫌われるだろう。しかし臨機応変の才(気転を働かせること)」は美徳であるが,ある種の悪徳ときわめて密接に繋がっている。即ち,臨機応変の才(気転を働かせること)と偽善の境界(線)はきわめて狭い。両者の違いはその動機にある,と思われる。即ち,(相手を)喜ばせようとする「親切心」からくるものである場合は,「臨機応変の才(気転を働かせること)」は正しいものであるが,それが相手の感情を損なう不安,あるいはおべっか(お世辞)により何らかの利益を得ようとする気持ちにもとづくものであれば,「臨機応変の才(気転を働かせること)」は,あまり好感がもてないものになりやすい。他人との困難な交渉に慣れている人間は,相手の虚栄心に対する,いやむしろ各種の偏見に対する思いやりを体得するが,誠実さを第一と考える者にはそれは非常に不愉快なものである。

nightingale_hosinIt cannot be denied that tact is a virtue. The sort of person who always manages to blurt out the tactless thing, apparently by accident, is a person full of dislike of his or her fellow creatures. But although tact is a virtue, it is very closely allied to certain vices; the line between tact and hypocrisy is a very narrow one. I think the distinction comes in the motive: when it is kindliness that makes us wish to please, our tact is the right sort; when it is fear of offending, or desire to obtain some advantage by flattery, our tact is apt to be of a less amiable kind. Men accustomed to difficult negotiations learn a kind of tenderness towards the vanity of others and indeed towards all their prejudices, which is infinitely shocking to those who make a cult of sincerity.
出典: On tact (written in Feb. 1, 1933 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/TACT.HTM

[寸言]
ishihara-shintaro_gekido 自分が行った悪事も長い年月がたつと,そういった悪事を行ったことさせも忘れてしまう。しかし,ふとした偶然のきっかけから(あるいは第三者にあばかれて),辻褄のあわないことを指摘され,「記憶にありません」とか言って逃げていても,しだいにいろいろ証拠をつきつけられ,マスコミにとりあげられるようになり,弁解がきかなくなり,ついには逃げられなくなり,最悪の場合は自己崩壊してしまう。

政治家が一番よく使う手が「記憶にありません」という逃げ口上。それは国民によく知られていて,政治家ブラック企業の経営者悪徳官僚だけでなく,権力のない一般国民も,自分の立場があぶなくなると,彼らのマネをして「記憶にありません」を多用するこのごろ。

人々に「偏見」や「先入観」を醸成する大量の「客観的」知識や情報

latvia たとえば,ほとんどのアメリカ人,ラトヴィア好悪の感情なく見る。その結果,アメリカ人はラトヴィアについては何一つ知らないということになる。もしもアメリカ人がある国を好きになったり,嫌いになったりすれば,自国アメリカの新聞は,事情しだいで(場合に応じて),その国に関する好意的なあるいは悪意のある情報を国民に提供するので,アメリカ人のその国に対する偏見は,大量の知識らしいものによって,しだいに強められるようになるだろう。
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「他者の視点で見ること」
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

I imagine that most Americans view Latvia, for example, without either love or hate, and the consequence is that they know nothing about Latvia. If they love or hate a country their newspapers will supply them with favourable or unfavourable information, as the case may be, and their prejudices will gradually come to be confirmed by a mass of what appears to be knowledge.

[寸言]
従って,マスコミと賢くつきあうためには,メディアリテラシー教育が非常に重要です。

tpp-hantai_jiminto 「時の」政権を批判することになる題材は,公教育では無理でしょうから,「過去の」政権(いかなる政党であっても)が政権発足当初に言っていたことと実際にやったことを比較する教育を行えば,自ずといろいろな教訓が得られるのではないかと思われます。
ですが、自民党は,野党の時,「TPP絶対反対」をとなえていましたので,そんな題材を教科書あるいは副読本にとりいれたら「検定」はパスしないでしょう。

しかし,自国のことは嫌がっても、外国のことであればどの国も平気で非難できます。それなら、トランプ氏が選挙戦で公約で言っていたことと、大統領になった後、発言がどのように変わっていくか、実際に何をやるか、正確な記録をとって、メディア・リテラシー教育に活用すると賢い選挙民づくりに役立つのではないでしょうか?

「愛」も「憎しみ」も世界を救わない?-特に,他国に対しては・・・

the_less_you_know_the_hotter_ypu_get 愛が(対象を)理解する鍵であると説く人もいるが,その理解が科学的理解のことであれば,この言葉は正しいと私は思わない。けれども,憎悪を物事の理解への鍵と見直すのは,さらに非科学的であろう。すべての感情は,理解しようとする対象について好意的であろうと悪意をもっていようと,必ず判断をゆがめる。・・・。
一般的にいって,我々は他人の行動について,その人を愛したり憎んだりしたりしていない限り,余り興味を持たない。他人に興味を持たなければ,あえて他人に関する知識を求めようとはしない。だが愛したり憎んだりする限り,我々が他人について得る情報は,間違えやすくなる傾向がある。このことは特に,他国に対する知識についても言える。

frustration_balanceThere are those who say that love is the key to understanding, but if scientific understanding is meant, I do not think they are right. It would, however, be even more unscientific to regard hatred as the key to understanding.
Every emotion, whether friendly or unfriendly, distorts judgement. If astronomers had regarded the moon either as a deity or as a devil it would have taken them much longer to construct, an adequate theory of the moon’s motions. Where human beings are concerned there is, however, a difficulty. We do not, as a rule take a very great interest in the doings of other people unless we either love or hate them. If we do not take an interest in them, we do not take the trouble to get information about them; while if we either love or hate them, the information which we shall obtain is likely to be misinformation. This applies in particular to one nation’s knowledge of another nation.
出典: As others see us (written in Mar. 23, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

[寸言]
他国に対する理解や好悪の感情は,マスコミによって流される情報によってかなり影響されます。事件が起こらないより起こったほうが「生き生きとする」(大きな事件が起こってくれたほうがよいとさえ考えるマスコミ関係者も少なくない)というのが現実ですので,マスコミ報道については,常に冷静な目で見る必要があります。

最近は中国政府や中国国民(また韓国政府や韓国国民)を嫌わせるような報道が多いですが,逆に、中国や韓国における,日本政府や日本国民を嫌わせるような報道を同時に見ることによって,マスコミ報道に冷静に対応する態度を養い、自分なりの冷静な判断をすることが望まれます。
反韓(嫌韓),反中国(嫌中国)のほとんどが,愛国主義の衣をまとっているのも共通しています。
某明治天皇の玄孫(やしゃご)とかいう人物が出している本も日本礼賛いっぺんとうです。そうすることによって,(天皇家につらなっているということで)自分の価値が高まると思っているようです。某歌手との打算的な?恋愛騒動では評判を落としたようです。話題になる人物は商品価値があるということで,マスコミは引き続き利用し続けるでしょうが・・・。

ラッセル「自由人の十戒」(その10):愚者の楽園の住民の幸福(感/観)

<その10>
fools-paradise_olimpic-shochi 愚者の楽園に暮らす人々の幸福を羨ましがってはいけない。それを幸せだと考えるのは愚か者だけだからである。

Do not feel envious of the happiness of those who live in a fool’s paradise, for only a fool will think that it is happiness.

出典: A Liberal Decalogue, 1951 (This first appeared at the end of his article ‘The best answer to fanaticism – liberalism’ in New York Times Magazine, 16 Dec. 1951, p.42.]
詳細情報:http://russell-j.com/0972-ALD.HTM

[寸言]
愚か者は自分が愚かだとは気づかない(思わない)。裸の王様は自分が裸だとは思わない。自分が愚かである(自分は裸である)ということに気づくのは、権力を失い、誰も自分に従う者がいなくなった時である。
その時に後悔しても「覆水盆に返らず」,「後悔先に立たず」ということになる。
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ラッセル「自由人の十戒」(その9):隠し事の多い人間の末路

<その9>
abe_and_boku-pakujpg たとえ真実が不都合なものであったとしても,どこまでも良心的に真実に忠実であるべきである。なぜなら,もしあなたが本当のことを隠そうとすると,もっと都合が悪いことになるからである。

Be scrupulously truthful, even if the truth is inconvenient, for it is more inconvenient when you try to conceal it.
出典: A Liberal Decalogue, 1951 (This first appeared at the end of
his article ‘The best answer to fanaticism – liberalism’ in New York
Times Magazine, 16 Dec. 1951, p.42.]
詳細情報:http://russell-j.com/0972-ALD.HTM

[寸言]
bonbon_sekensirazu 隠し事の多い人間は,自分にとって不都合な真実や事実が明らかになると,あっけなく権力を失い,その地位を失うだけでなく,信用も失う。
◯◯さん、他国のことだと思って安心するのは早いですよ。

ラッセル「自由人の十戒」(その8):知性の価値を認めるなら・・・

<その8>
 嫌々ながら賛成するよりも,良く分別を働かせて異議を唱える方が良い。なぜなら,もしあなたがあるがままに知性に価値を認めるならば,前者よりも後者の方がより深い同意を意味するからである。

Find more pleasure in intelligent dissent than in passive agreement, for, if you value intelligence as you should, the former implies a deeper agreement than the latter.
出典: A Liberal Decalogue, 1951 (This first appeared at the end of his article ‘The best answer to fanaticism – liberalism’ in New York Times Magazine, 16 Dec. 1951, p.42.]
詳細情報:http://russell-j.com/0972-ALD.HTM

[寸言]
tpp-hantai_jiminto 国会議員の多くがその中身をよく知らないままに,また国民の多くがその中身をよく知らされないままに,TPP法案が国会を通過しようとしている。
国会議員の多くが理解した上で「多数決」で決めることは必要なことであるが,ほとんど理解していなくても,党の方針だからというので賛成票を投ずることばかりやっていては,国会は劣化するばかり

そこで提案。「国会における慎重審議のための臨時措置法(案)」(向こう10年間有効) を制定したらどうか?

国会を通過した重要法案については,その法案に関して不偏不党の立場に立つ専門家が,その法案に関する最重要な論点10問について作問し,賛成した議員全員に回答させ、半分以上の議員が半分以下の正答率の場合は、その法案は廃案とし、再提出・再審議とする、というルールにしたらどうか!?
その最初のテストをTPP法案についてやってみる。するとどうなるか?
もちろん、(国会議員のオツムの程度がわかってしまうので)そんなことするわけないでしょうが・・・。

ラッセル「自由人の十戒」(その6): 権力者による意見の抑圧

有害と思う意見を力で抑圧してはいけない。なぜなら,もし力で抑えれば,それらの意見は(将来)同じようにあなたを抑圧するようになるからである。
Do not use power to suppress opinions you think pernicious, for if you do the opinions will suppress you.
出典: A Liberal Decalogue, 1951 (This first appeared at the end of
his article ‘The best answer to fanaticism – liberalism’ in
New York Times Magazine, 16 Dec. 1951, p.42.]
詳細情報:http://russell-j.com/0972-ALD.HTM

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            「文化人」なら好きなことが言えるので・・・

[寸言]
多数決」だけが民主主義だと思っている,あるいはわざと歪曲してそのように国民に思わせようとする政党や政治家は,その「多数決」で政権を失うと(立場を変えて)その「多数決主義」を民主主義の「形骸化」と言って非難する。
abe_japan's-media_quailing 民主党が政権をとっている時、自民党は「TPP絶対反対」を唱えていたが、政権をとるとTPP絶対「賛成」を唱えて「強行採決」も厭わない。
結局は、事柄の是非というよりは、自分たちが主導権がにぎれる場合は(旨味があるので)推進するが、主導権をにぎれなければ可能な限り阻止しようとするだけという、低レベルさ。
マスコミを支配し、自分たちに都合の悪い情報はできるだけ国民の目に晒さないようにするのは「自信のなさのあらわれ」。国会議員は、みんなそこそこの役割を果たしているのであれば、国際基準では、多いとは言えないが、与党の方針に従って賛成票を投じるような、またレベルの低いタレント議員が多い現状では、国会議員は半分で十分であろう。

2022年はラッセル生誕150年