ラッセル『宗教と科学』第6章 決定論 n.1

 知識の進歩とともに,聖書に述べられている聖なる歴史及び古代や中世の教会の精密な(複雑かつ精巧な)神学は,かって最も信仰の厚い人々に対してもっていたような重要性をもたなくなってきている(注:relate 語る,述べる)。科学に基づく批判に加えて,聖書批判(Biblical criticism 聖書が言っていることに対する批判)が,聖書の言葉を全てそのまま信ずることを困難にしている(困難にした)。(即ち)今日では,例えば,(聖書の)創世紀(の章)には,二人の異なった著者による二つの異なった,両立しない(神による)世界創造についての説明が含まれていることを皆知っている(注:ラッセルが言っているのは,「創世記」第1章の説明と第2章の説明との違いのこと。例えば,植物について,創世記1:11は,神が3日目に植物を造られたという記録があるが,創世記2:5では,(6日目に)人間を造る前には「地にはまだ一本の潅木もなく,まだ一本の野の草も芽を出していなかった」と書かれている)。今日,そのようなことは本質的なことではないと考えられている。しかし,(聖書/キリスト教には)神(の存在),不死,及び自由(意志)という三つの中心的な教義が存在しており,それらは,歴史上の事件(出来事)に結びつきをもたない限りにおいて,キリスト教にとって最も重要な部分を構成している(成している)と考えられている。これらの(3つの)教義は「自然宗教」と呼ばれるものに属している。トマス・アクィナスや多くの現代の哲学者たちの意見では,これらは(神による)啓示の助けによらずに,人間の理性だけで真理であることが証明できる(とされる)。従って(注:理性によって真理であることがわかると主張している以上)これら3つの教義に関して,科学がどのように言及するかを探求することは重要である。私の信念(考え)は,科学は現在のところそれらの教義(の正しさ)を証明することも否定することもできず,また,科学以外の方法によって証明したり否定したりする方法はまったくない。けれども,私はそれらの蓋然性(probability 可能性)に関わる(bear on)科学的論証は存在すると考える。このことは,本章で考察しようとしている自由(人間の自由意志の存在)及びその反対の決定論に関して,特に真理である。

Chapter 6: Determinism, n.1
With the progress of knowledge, the sacred history related in the Bible and the elaborate theology of the ancient and mediaeval Church have become less important than formerly to most religiously minded men and women. Biblical criticism, in addition to science, has made it difficult to believe that every word of the Bible is true ; everyone now knows, for instance, that Genesis contains two different and inconsistent accounts of the Creation by two different authors. Such matters, it is now held, are inessential. But there are three central doctrines – God, immortality, and freedom – which are felt to constitute what is of most importance to Christianity, in so far as it is not connected with historical events. These doctrines belong to what is called “natural religion” ; in the opinion of Thomas Aquinas and of many modern philosophers, they can be proved to be true without the help of revelation, by means of human reason alone. It is therefore important to inquire what science has to say as regards these three doctrines. My own belief is that science cannot either prove or disprove them at present, and that no method outside science exists for proving or disproving anything. I think, however, that there are scientific arguments which bear on their probability. This is especially true as regards freedom and its opposite, determinism, which we are to consider in the present chapter.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 6:
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_06-010.HTM