「首尾一貫した目的を持つこと」の重要性

DOKUSHO3 人生を一つの全体としてながめる習憤は,知恵と真の道徳の,いずれにとっても,必要不可欠な役割であり(役割を果たしており),教育において奨励されるべき事柄の1つである。首尾一貫した目的だけでは,人生を幸福にするのに十分ではない。しかし,それは,幸福な人生のほぼ必須の条件である。そして,首尾一貫した目的は,主に,仕事においてその具現化が行われる。

neet_hikikomoriThe habit of viewing life as a whole is an essential part both of wisdom and of true morality, and is one of the things which ought to be encouraged in education. Consistent purpose is not enough to make life happy, but it is an almost indispensable condition of a happy life. And consistent purpose embodies itself mainly in work.
出典:ラッセル『幸福論』第14章「仕事」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA25-060.HTM
<寸言>
(注:安藤訳及び片桐訳では次のようになっています。安藤訳(岩波文庫):「人生を一つの全体としてながめる習憤は,知恵と真の道徳のどちらにとっても,必要不可欠な部分であり,教育において促進されるべき事柄の1つである。」 片桐訳(みすず書房):「人生を一つの全体としてながめる習憤は,知恵と本当の道徳の両方にとって,欠かすことのできない役割を果たす,そしてこれは教育において促進されるべきこどのひとつだ。」

part はここでは安藤訳のように「部分」ではなく「役割」と訳したほうがより適切であり, of wisdom of true morality  の of は,片桐訳のように「知恵と道徳の両方★にとって」という意味ではなく,「知恵と道徳の両方★の」と解釈すべきと考えます。つまり,「・・・習慣は,・・・果たす」のではなく,その役割(「人生を一つの全体としてながめる」こと=役割)を果たすのはあくまでも「知恵」や「本物の教育」(の役割)だと考えます。片桐氏のように「~にとって」としたければ、an essential part for both … としなければならないでしょう。)