キューバ危機(1962.10.14-10.28までの14日間)

TPJ-UV その年(1962年)の最後の2,3ケ月は,キューバ危機(1962.10.14-10.28までの14日間)とその後に続いた中印国境紛争に没頭した。12月初め,この2つの事件について書きたいという私の申し出をペンギン(出版社)が受け入れてくれたので,私はそれを(翌年の)一月中に書き上げた。その本は,1963年4月 Unarmed Victory (『武器なき勝利』)という書名でペンギンとジョージ・アレン・アンド・アンウィンから出版された。私はその本の中に,当時の私の思想と行動に関して重要性のあることは,全て書いている。従ってここでそれらのことについて繰り返して言おうとは思わない。けれども,これら2つの事件に関して当時私がとった行動についてはまったく後悔していないということだけは,付け加えておくべきだろう。この2つの事件については,その後もさらに検討したけれども,私の見解に変わりはない。
私を批判する人たちに対して,(平和の象徴の)オリーヴの枝として,次の言葉だけを捧げよう。即ち,私がケネデイ大統領に10月23日に送った電報をもっと穏やかな言葉で言い表わさなかったことを残念に思う,と。あの電報の率直さが大きな影響力を及ぼしそうもないものにしたという批判に,私も同意する。
しかし,私は,現在同様の情況下でその望みがもてないのと同じく,当時米国政府が賢明にもまた敏速に撤兵するという望みはほとんどもてなかったのである。

The last months of that year were taken up with the Cuban crisis and then with the Sino-Indian Border dispute. Early in December, Penguin accepted my offer to write my account of these two happenings which I did in January. It was published by Penguin and Allen & Unwin in April under the titie Unarmed Victory. I have told in it all there is to tell of any interest about my thought and action at that time, and I do not propose to repeat it all here. Perhaps I should add, however, that I regret nothing that I did at that time in relation to these two crises. My point of view upon them, in spite of further study, remains the same. I will give my critics only this olive branch: I am sorry that I did not couch my telegram of October 23rd to President Kenedy more gently. Its directness made it unlikely to cut much ice, I agree. But I had as little hope then as I should have in similar circumstances now of wise and quick withdrawal on the part of the US Government.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap3:Trafalgar Square,(1969)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB33-380.HTM

[寸言] Cuban_missile_crisis
北米の地図で確認するまでもなく、ソ連が米国本土すぐ近くのキューバに核ミサイルを持ち込もうとしたことに対する米国政府の危機感はよく理解できる。
しかし、米国やNATOがソ連周辺国に核を持ちこむことだって同様に、ソ連にとっては重大な危機・恐怖であったはずである(注:ソ連は崩壊し、ロシアとそれ以外に分割されたので「過去形」)のも理解する必要がある。
また、このキューバ危機の時、アメリカのル・メイ将軍がこの「よい」機会(注:どこかの政党の共同代表が「よいタイミング」といったのと同じ気持)を利用して、ソ連に6,500発の核兵器をぶち込めばソ連に勝てるといったところ、「絶対に勝利できるのならよいが、勝てるとはかぎらず反撃されるおそれもある」ということから、ケネディはル・メイの意見を採用しなかったと言われていいることも、真偽の確認とともに、その意味合いをよく考えてみる必要があるであろう。(ちなみに、東京大空襲を立案したのはル・メイ
気狂いル・メイ(以下のウィペディアの説明を参考にしてください。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4