共存か、あるいは,全体的破滅(人類の絶滅)か?

TPJ-CNW 核兵器による破壊に対する闘いの比較的初期のその時でさえ,私が既に非常に多様な方法で発言したと感じていた事柄について,新しい表現方法を発見するということはほとんど不可能のように思われた。私の最初の放送原稿は,生気のないものであり,力がまったく入っていないものであった。私は直ちにその原稿を捨て去り,身を引き締め,もし対策(方策)がとられなければ’将来の見通し’はいかに恐ろしいものであるかを精確に述べる決意をした。その結果は,私がそれまでに述べてきたこと全てを精選・洗練したもの(蒸留し余分なものを一切とりさったもの)となった。その新しい原稿には非常にぎっしり詰め込んだため,その問題(核兵器による破壊)について私がそれまでに発言したいかなることも,少なくともそれらのエッセンスは,見つけ出すことができる。
 しかしBBC(英国放送協会)は,それでもなお,私が多くの(BBCラジオ)聴取者を退屈させたりビックリさせたりするのではないかと恐れ,難色を示した。BBCは,その代わりとして,私のぞっとするような予感を相殺してくれる,若くそして陽気なサッカー選手(注:英国では football といえばサッカーのこと)と番組でディベイト(対論)するよう,依頼して来た。これは私にはまったくふまじめな態度だと思われるとともに,BBC当局は私が絶望を感じているものがいったい何であるかまったく理解していないということを明瞭に示していた。私はBBCの申し開きに同意することを拒否した。(そして)とうとう彼らは,私が12月(1954年)に私が単独で放送番組で話すことに同意した。その放送で私は,前述のように,私が人類の運命について抱いている恐れの全てとそのような恐れを抱く理由について述べた。
現在「人類の危機(Man’s Peril)」と呼ばれているその放送を,私は次の言葉で締めくくった。

「もし我々が選ぶならば,我々の前途には,幸福,知識,知恵における絶えざる進歩が横たわっている。我々は,喧嘩が忘れられないからといって,それらの代りに死を選ぶだろうか。私は,人類(同胞である全ての人間)に対し,一人の人間として訴える。「あなたがたの人間性を思い出し,それ以外のことを忘れよう。それができれば,新しい天国への道は開かれている。しかしそれができなければ,未来には全体的破滅(人類の絶滅)以外ないだろう。

Even then, in the relatively early days of the struggle against nuclear destruction, it seemed to me almost impossible to find a fresh way of putting what I had already, I felt, said in so many different ways. My first draft of the broadcast was an anaemic product, pulling all the punches. I threw it away at once, girded myself up and determined to say exactly how dreadful the prospect was unless measures were taken. The result was a distilled version of all that I had said theretofore. It was so tight packed that anything that I have since said on the subject can be found in it at least in essence. But the BBC still made difficulties, fearing that I should bore and frighten many listeners. They asked me to hold a debate, instead, with a young and cheerful footballer who could offset my grim forebodings. This seemed to me utterly frivolous and, showed so clearly that the BBC Authorities understood nothing of what it was all about that I felt desperate. I refused to accede to their pleadings. At last, it was agreed that I should do a broadcast in December by myself. In it, as I have said, I stated all my fears and the reasons for them. The broadcast, now called ‘Man’s Peril’, ended with the following words:

‘There lies before us, if we choose, continual progress in happiness, knowledge, and wisdom. Shall we, instead, choose death, because we cannot forget our quarrels? I appeal, as a human being to human beings: remember your humanity, and forget the rest. If you can do so, the way lies open to a new Paradise; if you cannot, nothing lies before you but universal death.’

出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 2: At home and abroad, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB32-150.HTM

[寸言]
視聴者の反応(結局は、視聴率)を気にするTV放送局とラッセルが行ったかけひき

BBCNHKに変えてみるとよいかも。
放送コードや時の政権による報道規制を考えれば、テレビ局の首脳は冒険をさけようとする。しかし、冒険的な番組であっても、良い番組であり視聴者の多くの支持があれば、当局の圧力を跳ね返すことができる。しかし、人事権を握っているトップが政権べったりであればそれはほぼ不可能となってしまう。
だからこそ、権力者側(保守体制側/既得権を死守したい支配層)はマスコミを支配下に置こうとする。民放広告収入の関係でコントロールできる。公共放送は、放送法にのっとって「客観的」な報道をするようにと、法律を自分たちの都合のよいように解釈して、圧力をかけることができる民放大株主の力が強く、権力者からの圧力に弱いので、番組の担当者を簡単に変えることができるNHKこそが「最後の砦」なのに、NHKのニュース報道部門(の中の政治担当)は、弱体化しており、「国営」放送になり下がりつつある!? それ以外の部門は、あいかわらず、頼もしい面が多くあるが・・・、残念!