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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.28

 しかし,理想的な目的を持っている,従って権力愛に対する言い訳を持っている組織にとって,崇高な徳(superior virtue)を持っているという評判は(かえって)危険であり,その評判は,長い目で見れば,不道徳な残酷さ(unscrupulous ruthlessness. )においてのみ卓越さを生み出すことは確実である。カトリック教会この世の物事(俗事)に対する軽蔑を説き,そうすることによって君主(たち)に対する支配権を獲得した。托鉢修道士たちは清貧の誓いを立てたが,それは世の人々に大変感銘を与え,それによって既に莫大となっていた教会の富をさらに増加させた。聖フランシスは友愛を説くことによって,長くかつ残酷な戦争の勝利に導く遂行に必要な熱意を生み出した。(注:たとえば,「日本人の生命を絶対に守る」と訴えて敵である外国の兵隊を大量に殺害することによって戦勝するようなこと。)最終的には,ルネッサンス時代のカトリック教会は,その富と権力の基礎である道徳的目的を全て失い,宗教改革の衝撃は再生(注:原始キリスト教精神に帰るルネサンス的運動)を生み出すのに必要であった。
 これら全ては,組織のために圧政的な権力を得る手段として崇高な徳が利用される時には不可避なものである。
 外国に征服された場合は別として,伝統的な権力の崩壊は,常に,マキアヴェリが信じていたように,崇高な徳が人間の心を支配する力が非常に堅固であれば,最大限の犯罪的行為によってさえ揺り動かされることはないと信じている人々によって、崇高な徳が濫用された結果である(結果として起こるものである)。

Chapter 4: Priestly Power, n.28

But to an organization which has ideal ends, and therefore an excuse for love of power, a reputation for superior virtue is dangerous, and is sure, in the long run, to produce a superiority only in unscrupulous ruthlessness. The Church preached contempt for the things of this world, and in doing so acquired dominion over monarchs. The Friars took a vow of poverty, which so impressed the world that it increased the already enormous wealth of the Church. St. Francis, by preaching brotherly love, generated the enthusiasm required for the victorious prosecution of a long and atrocious war. In the end, the Renaissance Church lost all the moral purpose to which it owed its wealth and power, and the shock of the Reformation was necessary to produce regeneration.

All this is inevitable whenever superior virtue is used as a means of winning tyrannical power for an organization.

Except when due to foreign conquest, the collapse of traditional power is always the result of its abuse by men who believe, as Machiavelli believed, that its hold on men’s minds is too firm to be shaken even by the grossest crimes.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.27

 しかし,(カトリック)教会のずば抜けて大きな強みは,教会が人々の心に吹き込んだ(教会に対する)道徳的敬意であった。教会が一種の道徳的資本として(過去から)受け継いだものは,古代における迫害の栄光(注:昔,キリスト教がたびたび弾圧にあったこと)であった。教会の勝利は,我々も既に見てきたように,独身主義(性的禁欲)を強要することと結びついており,独身主義(性的禁欲)は,中世(の人々)の精神にはとても印象の深いものと映っていた。少なからざる教皇を含めて,非常に多くの聖職者(ecclesiastics キリスト教の聖職者)は,(信仰上の)原理・原則の点で譲るというよりも,むしろ,大きな苦痛をこうむった(苦難に耐えた)。普通人にとって明らかだったのは,抑制のない強欲と放縦と自利追求の世の中において,教会の著名な高位者たちが,非個人的な目的のために生き通したことがたびたびあったということであり,そのような非個人的な目的に対して,彼ら高位者は,私財を下位においたということである(私的な財産を軽視した)。後に続く数世紀において,印象的な聖人たち -(即ち)ヒルデブランド,聖ベルナール,聖フランシス- が,世論を幻惑し(魅了し),そういうことがなければ,他の人々の悪事から生じたであろう道徳的不評を防いだのである。

Chapter IV: Priestly Power, n.27

But by far the greatest strength of the Church was the moral respect which it inspired. It inherited, as a kind of moral capital, the glory of the persecutions in ancient times. Its victories, as we have seen, were associated with the enforcement of celibacy, and the mediaeval mind found celibacy very impressive. Very many ecclesiastics, including not a few Popes, suffered great hardships rather than yield on a point of principle. It was clear to ordinary men that, in a world of uncontrolled rapacity, licentiousness, and self-seeking, eminent dignitaries of the Church not infrequently lived for impersonal aims, to which they willingly subordinated their private fortune. In successive centuries, men of impressive holiness — Hildebrand, St. Bernard, St. Francis– dazzled public opinion, and prevented the moral discredit that would otherwise have come from the misdeeds of others.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.26

 教皇権の盛衰は宣伝による権力の獲得について理解したいと望むいかなる人にとって,研究に値するものである。人々は(昔は)迷信的であり,天国の門を開ける鍵という権力(を教皇が持っていたこと)を信じていたのだというだけでは不十分である。中世全体を通して異端は(いろいろ)存在していた。,もし教皇が,全体として,尊敬に値しないものであったのなら,それらの異端は,プロテスタンティズムが拡大したように,拡大していたであろう。また(しかも)異端のとがめを受けることなく(受けないようにして),世俗的な支配者たちは,教会を国家に従属させようと精力的な努力をしたが,それは東方では成功をしたが,西方では失敗した。これには,(次のように)いろいろな理由があった。

1)教皇権(教皇職)は世襲のものではなかったので,従って,世俗的な王国がそうであったように,長い期間,少数派たち(注:minorities 少数民族や宗教の少数派)に悩まされなかった。人は,敬虔な行為,学問,あるいは政治的手腕による以外,教会内において高名になることは,容易にはできなかった。その結果,大部分の教皇は,一つあるいは二つ以上の点で(注:学問,政治的な手腕その他において),かなり平均を越えていた。世俗の君主(たち)も時として有能であったかも知れないけれども,しばしば,まったくその反対(無能)であった。その上,世俗の君主たちは,教会人のように,自分の煩悩(様々な情熱)をコントロール(制御)する訓練をした経験がなかった。王たちは,離婚をしたいという欲求から、繰り返し苦境におちいったが,離婚の問題は教会が扱う問題であったので,彼らは(王たち)は,教皇の思いのままに置かれた(のである}。時折,王たちは(英国王の)ヘンリー八世のやり方を試みたが,臣民(国民)はショックを受け,家臣は忠誠の誓いから解放され,終には(教皇に)屈服するか没落するかしなければならなかった。

2)教皇権のもう一つの大きな強みは,その非個人的な連続性である。(教皇の)(神聖ローマ皇帝)フリードリッヒ二世との争いのなかで,一教皇の死によってほとんど変更がなされなかったことは驚くべきことである。教皇権には,一つの教義体系があり,また政治的手腕の伝統があった。王たちは,同様に堅固ないかなるものにも対抗することはできなかった。国家主義が台頭して初めて,世俗の政府は,何らかの(教皇権と)比較しうる連続性や目的の固執を獲得したのである。

3)11~13世紀の王たちは,一般的に無知であったのに対して,大部分の教皇は,学識もあれば物をよく知っていた。その上,王たちは封建制度と切っても切れぬ関係にあり,この封建制度は重苦しく(cumbrous),常に無政府状態に陥るの危険にさらされており,新興の経済勢力と敵対していた。全体として,この三世紀の間,カトリック教会は,国家によって代表される文明よりも高度の文明を代表していた

Chapter 4: Priestly Power, n.26

The rise and decline of papal power are worthy of study by anyone who wishes to understand the winning of power by propaganda. It is not enough to say that men were superstitious and believed in the power of the keys. Throughout the Middle Ages there were heresies, which would have spread, as Protestantism spread, if the Popes had not, on the whole, deserved respect. And without heresy secular rulers made vigorous attempts to keep the Church in subordination to the State. which failed in the West though they succeeded in the East. For this there were various reasons.

First: the Papacy was not hereditary, and was therefore not troubled with long minorities, as secular kingdoms were. A man could not easily rise to eminence in the Church except by piety, learning, or statesmanship ; consequently most Popes were men considerably above the average in one or more respects. Secular sovereigns might happen to be able, but were often quite the reverse ; moreover they had not the training in controlling their passions that ecclesiastics had. Repeatedly, kings got into difficulties from desire for divorce, which, being a matter for the Church, placed them at the mercy of the Pope. Sometimes they tried Henry VIII’s way of dealing with this difficulty, but their subjects were shocked, their vassals were liberated from their oath of allegiance, and in the end they had to submit or fall.

Another great strength of the Papacy was its impersonal continuity. In the contest with Frederick II, it is astonishing how little difference is made by the death of a Pope. There was a body of doctrine, and a tradition of statecraft, to which kings could oppose nothing equally solid. It was only with the rise of nationalism that secular governments acquired any comparable continuity or tenacity of purpose.

In the eleventh, twelfth, and thirteenth centuries, kings, as a rule, were ignorant, while most Popes were both learned and well-informed. Moreover kings were bound up with the feudal system, which was cumbrous, in constant danger of anarchy, and hostile to the newer economic forces. On the whole, during those centuries, the Church represented a higher civilization than that represented by the State.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.25

 この(マキャベリの)言葉が書かれたのは,レオ十世が教皇職に就いていた時期のことであり,それは宗教改革が始まった時期であった。敬虔なドイツ人たちにとっては,(ローマ教皇)アレクサンデル六世の冷酷な親族登用主義(nepotism)やレオ十世の財政的な強欲が「神によって高められ,支えられる」ことが可能だとは,しだいに信じることが不可能になっていった。“押しが強く,向こう見ずな”ルター(ルーテル)は,教皇権に関する論議に心から望んで入っていったが,マキャベリは恐れをなして尻ごみしてしまった。そうして,カトリック教会に対する反抗のための道徳的及び神学的支持が出てくるとすぐに,私利私欲の動機はその反抗を非常に急速に拡大させた。教会の権力は,天国への門をあける鍵(の所有)という力に基礎を置いていたので,教会に対する反抗は,義認(注:Justification :キリスト教で,神によって人が義と認められること)という新しい教説に関連づけられていたことは,当然のことであった。ルターの神学は,平信徒の諸侯は天罰を受ける(地獄に落ちる)恐れもなく,また臣下からの道徳的非難を引き起こすことなく,教会(所有のもの)を略奪することを可能とした。

 経済的動機が宗教改革の流布(普及)に大いに寄与した一方,それだけでは,宗教改革の流布(普及)の説明としては不十分であることは明らかである。経済的動機は何世紀にも渡って働いてきた(作用してきた)からである。多くの皇帝が教皇に抵抗しようと試みた。即ち,いたるところの元首たち(sovereigns) -たとえば,英国(イングランド)のヘンリー二世やジョン王 - は抵抗を試みた。しかし,彼らの試みは邪悪とされたので,従って,失敗した。教皇職(権)に対する抵抗が成功することが可能となったのは,教皇職がその伝統的な権力を道徳的反抗を引き起こすほど長い間乱用した後であった。

Chapter IV: Priestly Power, n.25

These words were written during the pontificate of Leo X, which was that in which the Reformation began. To pious Germans, it gradually became impossible to believe that the ruthless nepotism of Alexander VI, or the financial rapacity of Leo, could be “exalted and maintained by God.” Luther, a “presumptuous and rash man,” was quite willing to enter upon the discussion of the papal power, from which Machiavelli shrank. And as soon as there existed moral and theological support for opposition to the Church, motives of self-interest caused the opposition to spread with great rapidity. Since the power of the Church had been based upon the power of the keys, it was natural that opposition should be associated with a new doctrine of Justification. Luther’s theology made it possible for lay princes to despoil the Church without fear of damnation and without incurring moral condemnation from their own subjects.
While economic motives contributed greatly to the spread of the Reformation, they are obviously not sufficient to account for it, since they had been operative for centuries. Many Emperors tried to resist the Pope ; so did sovereigns elsewhere, e.g. Henry II and King John in England. But their attempts were thought wicked, and therefore failed. It was only after the Papacy had, for a long time, so abused its traditional powers as to cause a moral revolt, that successful resistance became possible.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.24

 この点に関連して,マキアヴェリが『君主論』の第11章に,キリスト教会の支配権の問題について述べているところを見ると,興味深い。

「あとキリスト教会の支配権についてのべることだけが,つまりキリスト教会の支配権に関するすべての難点はその支配権を所有する以前に存在するものであるということに触れることだけが,残っている。なぜなら,キリスト教会の支配権は,能力か運かいずれかによって獲得されるものであり,そうして,(獲得した後に)教会の支配権を維持(保持)することは,そのいずれか(能力や運)がなくても可能だからである。(また),キリスト教会の支配権を支えているものは古くからの宗教儀式であり,それはとても強力なものであり,またそういった性格をもった儀式であったので,教会の支配権は,(教会国家の)支配者たち(their princes 諸侯たち)がどのようなふるまいをしようと,またどのような生活をしようと,おそらく(支配権は)保持されるだろうからである。これらの(教会国家の)支配者たちは(それぞれの)国を持っており,これを防衛せず,(それぞれの)臣民を持っているが彼らを支配しない。また教会諸国(the states)は、防護されないが,臣民から国を奪われることもない。(教会国家の)臣民は,統治されないが、気にしない。また彼ら臣民は,主権者から離れようとする欲求もなければ能力も持ち合せない。そのような支配権のみが安定しており幸福である。しかし,(そうした支配権(=教会国家)は),人間精神のとうてい及びえないカで高いところへ持ち上げられているので,教会国家(教会の支配権)についてはこれ以上述べないことにしよう。なぜなら,教会国家は神によって高められ支えられているので,それについて議論することは,僭越かつ性急な人間の行為であろうからである。

Chapter 4: Priestly Power, n.24

It is interesting in this connection to observe what Machiavelli has to say on the subject of ecclesiastical principalities in Chapter XI of The Prince :

“It only remains now to speak of ecclesiastical principalities, touching which all difficulties are prior to getting possession, because they are acquired either by capacity or good fortune, and they can be held without either ; for they are sustained by the ancient ordinances of religion, which are so all-powerful, and of such a character, that the principalities may be held no matter how their princes behave and live. These princes alone have states and do not defend them, they have subjects and do not rule them; and the states, though unguarded, are not taken from them, and the subjects, though not ruled, do not care, and they have neither the desire nor the ability to alienate themselves. Such principalities only are secure and happy. But being upheld by powers to which the human mind cannot reach, I shall speak no more of them, because, being exalted and maintained by God, it would be the act of a presumptuous and rash man to discuss them.”
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.23

Corrupt leaders. Extravagant spending. Popes too busy with worldly affairs, not spiritual duties. Priests and monks were poorly educated. Some priests married, drank and gambled. EX: Pope Alexander VI fathered several children.

 十五世紀の教皇権は,イタリアにはあっていた一方,あまりにもあけっぴろげで非道徳的であると同時に,あまりにも世俗的かつ非宗教的なものであったために,(ヨーロッパの)北方諸国の人々の信仰心を満足させなかった。終にゲルマン民族の国々で道徳的反感が強くなり,その結果,経済的動機に対し自由に振る舞うことを認める(許す)ほどとなった。つまり,ローマ(教皇)に対して敬意を払うことを拒否することが一般的なものとなり,王侯貴族たちはカトリック教会の土地を押収した。しかし,こうしたことは,プロテスタンティズム(清教徒主義)という教義上の反逆がなければ可能ではなかったであろう。(そうして)この反逆は〔ローマカトリック教会の)「大分裂」及びルネッサンス期の教皇職のスキャンダルがなければ決して起こらなかったであろう。もし,カトリック教会の道徳上の影響力が内部から弱まっているのでなかったならば,カトリック教会を攻撃する者たちは,道徳的な影響力を味方につけることはできなかったであろうし,フリードリッヒ二世が敗北したように,敗北させられたことであろう。

Chapter IV: Priestly Power, n.23

The fifteenth-century Papacy, while it suited Italy, was too worldly and secular, as well as too openly immoral, to satisfy the piety of Northern countries. At last, in Teutonic countries, the moral revolt became strong enough to allow free play to economic motives : there was a general refusal to pay tribute to Rome, and princes and nobles seized the lands of the Church. But this would not have been possible without the doctrinal revolt of Protestantism, which could never have taken place but for the Great Schism and the scandals of the Renaissance Papacy. If the moral force of the Church had not been weakened from within, its assailants could not have had moral force on their side, and would have been defeated as Frederick II was defeated.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.22

 ローマン・カトリック教会の「大分裂」(The Great Schism)は,教皇に対して敬意を払うことをなおいっそう困難にした。それは,教皇としての権利を持っていると主張する二派のどちらが正統的なものか(合法的なものか)誰もわからず,両者が他方の教皇を破門にしたからである。この大分裂(の期間)全体を通して,二人の競合者はお互いに教化的でない(非道徳的な)権力への執着を示し(howed an unedifying tenacity of power),最も厳粛である誓い(宣誓)をさえ拒絶するに及んだ(広がった)。多くの国々で,国家と(それぞれの国の)カトリック教会は,一致して,両教皇に対する服従を撤回した。ついには(at length),カトリックの公会議(注:カトリックの全体集会)の開催のみがこの問題を解決することができるということが明らかになった。「ピサ公会議(総会)」は,見当違いにも,二人の教皇を異端として宣言したけれども,二人の教皇を排除に成功することなく,ただ単に第三の教皇を創り出しただけあった。「コンスタンス公会議」は,ついにこれら3人の教皇を取り除くことに成功し,統一を回復することができた。しかしこの闘争は,教皇権に対する伝統的な敬意を破壊した。この混乱の期間の最後の時期に,ウィクリフ(注:John Wycliffe, 1320年頃~ 1384年 イングランドの宗教改革の先駆者でオックスフォード大学教授)は,教皇権について次のように言うことが可能となっていた。

「そのような悪魔(注:教皇)を排除することは,カトリック教会にとって,害ではなく,むしろ有益であろう。カトリック教会がこの悪魔を打ち倒すために働くことにおいて,教会は,神の(大義の)ために,熱心に働いていることになるであろう。

Chapter IV: Priestly Power, n.22

The Great Schism made it still more difficult to reverence the Pope, since no one knew which of the claimants was the legitimate one, and each claimant anathematized the other. Throughout the Great Schism, each of the two rivals showed an unedifying tenacity of power, extending to repudiation of the most solemn oaths. In various countries, the State and the local Church, in unison, withdrew obedience from both Popes. At length it became clear that only a general council could end the trouble. The Council of Pisa, misguidedly, merely created a third Pope without successfully getting rid of the other two, although it pronounced their deposition as heretics; the Council of Constance at last succeeded in removing all three and restoring unity. But the struggle had destroyed the traditional reverence for the Papacy. At the end of this period of confusion, it had become possible for Wyclif to say of the Papacy :

“To get rid of such a demon would not harm the Church, but would be useful to it; in working for his destruction, the Church would be working solicitously for the cause of God.”
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.21

(神聖ローマ帝国の王朝である)ホーエンシュタウフェン朝が没落したのち,カトリック教会は,数十年の間,西方世界に対するイタリアの支配を再構築したように思われた。貨幣本位(制度)(注: money standard = monetary standard。本位貨幣 standard money の流通量と交換価値を調整する主要な方法)から判断すると,このローマによる支配は,アントニヌス朝(注:ネルウァ=アントニヌス朝は,古代ローマ帝国の王朝で,帝政中期の7人の皇帝の一統,またその治世を指す)の時代と,少なくとも,同等に堅固なものであった。即ち,英国とドイツからイタリアへと流れていった歳入は,かつて古代ローマの軍団が手に入れることのできた歳入の額をはるかに越えていた。しかし,このときの歳入は,教皇権に対する敬意という手段によって強要されたものであり,(かつてのように)武力によったものではなかった。

 けれども,教皇がアヴィニヨンに移るやいなや,過去三世紀の間勝ち得ていた(教皇に対する)敬意は失われ始めた。これは教皇がフランス王に完璧に従属したせいだけではなく,たとえばテンプル騎士団(注:中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会)の抑圧といったような,甚しい残虐行為に教皇が加担したせいでもあった。フランス王フィリップ四世は,財政逼迫にあったので,この修道騎士団(所有)の土地(he lands of this order.)を切望した。そこで全く根拠なく,この騎士団の人々を異端として告発することを決意し,教皇の支援を得て,フランスにいたこの騎士団の人々を捕まえて拷問にかけ,悪魔に忠誠を誓いキリスト受難の像に唾を吐いたという告白を強要し,彼らの多数を焼き殺した(焚刑に処した)し,一方,フランス王は彼らの財産を処分し,教皇のためにも少し抜き取ってあげた(提供した)。このような行為は教皇権の道徳的堕落の始まりとなった。

Chapter IV: Priestly Power, n.21

After the fall of the Hohenstaufen, the Church seemed, for a few decades, to have re-established the rule of Italy over the Western world. Judged by money standards, this rule was at least as firm as in the days of the Antonines — the revenue that flowed from England and Germany to Rome far exceeded what the Roman legions had been able to extract. But it was extorted by means of the reverence felt for the Papacy, not by force of arms.

As soon as the Popes moved to Avignon, however, they began to lose the respect which they had won during the three preceding centuries. This was due not only to their complete subservience to the King of France, but also to their participation in vast atrocities, such as the Suppression of the Templars. King Philip IV, being in financial difficulties, coveted the lands of this order. It was decided to accuse them, quite groundlessly, of heresy. With the help of the Pope, those who were in France were seized, tortured until they confessed that they had paid homage to Satan and spat upon the crucifix, etc., and then burnt in large numbers, while the King disposed of their property, not without pickings for the Pope. Such deeds began the moral degeneration of the Papacy.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.20

 西口ーマ帝国の滅亡から十六世紀の末にかけての全期間は,二つの伝統の争い(の期間)として見てよいであろう。(即ち)一つはローマ帝国の伝統であり,もう一つはゲルマン民族(ドイツ民族)の貴族政治の伝統であり,前者はカトリック教会によって具現化されており,後者は国家によって具現化されている。神聖ローマ帝国皇帝は,代々(ゲルマン民族の貴族政治の伝統に)ローマ帝国の伝統を付け加えようとしたが失敗した。彼ら(皇帝たち)自身は,フリードリッヒ二世を例外にして,皆あまりにも無知であったのでローマ帝国の伝統を理解できず,彼らがよく知っていた封建制度という政治的制度は,ゲルマン民族の伝統であった。教養のある(教育を受けた)人々 -この中には皇帝に仕えた人々も含まれる- の言語(言葉)は,古代の言語(言葉)に由来する衒学的なものであった。(また)法律はローマのものであり,哲学はギリシアのものであった。しかし,起源がゲルマン民族(チュートン)の慣習は,礼儀正しいスピーチの中で言及できるものではなかった。そこには,今日の古典学者がラテン語で近代産業の過程(発展過程)を記述する際に見出す困難と同様の困難が存在していた。宗教改革及びラテン語のかわりの現代語の採用によって初めて,西欧文明におけるゲルマン民族(チュートンの)要素は,十分な文学的及び知的な表現を見出したのである。

Chapter IV: Priestly Power, n.20

The whole of the period from the fall of the Western Empire to the end of the sixteenth century may be viewed as a contest between two traditions : that of imperial Rome, and that of Teutonic aristocracy, the former embodied in the Church, the latter in the State. The Holy Roman Emperors made an attempt to annex the tradition of imperial Rome, but failed. They themselves, with the exception of Frederick II, were too ignorant to understand the Roman tradition, while the political institution of feudalism, with which they were familiar, was Germanic. The language of educated men –including those who served the Emperors– was pedantically derived from antiquity; law was Roman, philosophy was Greek, but the customs which were Teutonic in origin were not such as could be mentioned in polite speech. There was the same sort of difficulty as a classical scholar of the present day would find in describing in Latin the processes of modern industry. It was not until the Reformation and the adoption of modern languages in place of Latin that the Teutonic element in the civilization of Western Europe found adequate literary and intellectual expression.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者の権力 n.19

Pope Urban IV Created own Church court known as the Rota Romana, which made the Church even more political.

 教皇イノセント四世が亡くなっても,教皇の政策には変化はまったくなかった。後継者のウルバヌス四世(在位:1261-1264)は,皇帝フリードリッヒの息子のマンフレッド(注:神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世と愛人であるピエモンテ貴族ビアンカ・ランチアの間に生まれた子ども)との争いを継続して完全に勝利し,当時なお勃興途上にあったイタリアの資本主義の支持を勝ち得て,(支持に)ためらうところがあるところではどこでも,道徳問題における教皇の権威を興味深いやり方で利用することによって(注:by an interesting use of his authority)その支援を得た。それは,宣伝力が経済力に変容する古典的な一例を与えている。

 銀行業者の大部分,教皇の歳入を集金するという大がかりな取引があるために,既に教皇の側に立っていた。しかし,たとえばシエナのようないくつかの都市においては,(皇帝を支持する)ギベリン党の感情がかなり強かったために,(それらの都市の)銀行業者も最初のうちはマンフレッド側に立った。このようなことが起こるとどこであっても,教皇は,銀行の債務者たちに,彼らが借金を払わないのがキリスト教徒の義務だと通告した。それは,債務者たちが(これ幸いと)権威のあるものとしてすぐに受け入れた宣告(の一つ)であった。その一つの結果として,シエナは英国との貿易を失ってしまった。イタリア全土を通して,破産を免れた銀行業者は,教皇のこのような策略のために,(教皇支持派である)ゲルフ党員にならざるをえなかった。(原注:『ケンブリッジ中世史』,第七巻 p.182)

 しかし,こうしたやり方は,銀行業者たちの政治的援助を勝ち得ることはできたが,神権に対する教皇の主張に対する尊敬心をほとんど増すことはできなかった。

Chapter IV: Priestly Power, n.19

The death of Innocent IV produced no change in papal policy. His successor Urban IV carried on the struggle, with complete success, against Frederick’s son Manfred, and won the support of the still rising capitalism of Italy, wherever it was wavering, by an interesting use of his authority in matters of morals, which affords a classic example of the transformation of propaganda power into economic power. Most of the bankers, owing to their large transactions in collecting the papal revenue, were already on the side of the Pope, but in some cities, for instance Siena, Ghibelline feeling was so strong that the bankers, at first, sided with Manfred. Wherever this happened, the Pope informed the Banks’ debtors that it was their Christian duty not to pay their debts, a pronouncement which the debtors readily accepted as authoritative. Siena, as a result, lost the English trade. Throughout Italy, the bankers who escaped ruin were compelled by this papal manoeuvre to become Guelphs. (note: Cf. Cambridge Medieval History, Vo1. VII, p. I82.)
But such means, though they could win the political support of the bankers, could hardly increase their respect for
 出典: Power, 1938.
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