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第11章 組織体の生物学 n.3

 完全に民主的な政治体制(政府)であってさえ - もしそういうものがありうるとしての話だが - 権力の再配分が(必然的に)伴う。もし仮に,あらゆる人々が合同の決定において平等の発言権を持ち,かつ,(たとえば)百万人の成員がいる場合,あらゆる人は百万人の全体に対して百万分の一の権力を持つ(ことになる)。その代替は(そうでなければ),もし彼が孤独な野獣であれば持っている権力のように,自分自身に対しては完全な権力を持つが他者に対しては誰も権力を持たない(ということになる)(注:論理学者のラッセルらしい物言い。つまり、完全に平等の権利をもっているのなら、100万人の国民のなかの一人は百万分の一の権力しかもたない、つまり自分に対しての権利しかもたないということ)。このような民主的な政体は,無政府主義的な個人集団の心理(状態)とは非常に異なった心理(状態)を生みだす。そして -ある程度までは常にそうであろうが- 政府は完全に民主的ではない場合には,その(民主的でないことの)心理的な効果は増大される。政府の成員は,かりに彼らが民主的に選挙で選ばれている場合でさえも,他の人々に比べて大きな権力をもっている。また,民主的に選ばれた政府によって任命される官公吏(官僚)も同様である(より強い権力を持つことになる)。組織が大きくなればなるほど,行政官の権力はそれだけ大きなものになる。このようにして,組織体の規模が増すごとに権力の不平等は増し,それと同時に,通常の成員の自主性(自立性)は減少し,政府のイニシアティブ(主導権)の範囲が拡大する。平均的な人間が(組織に)服従するのは,単独でするよりもずっと多くのことが協力によって為しとげられるからである。異常に権力を愛する者がこうした組織(体)を喜ぶのは,組織によって彼に好機が与えられるからである。ただし,政府が世襲的なものであってはだめであり,権力を愛する者が重要な地位を占めることが許されない集団(たとえば,若干の国のユダヤ人のように)に属していなければ(という条件付き)である。

Chapter XI: The Biology of Organizations, n.3 Even a completely democratic government –if such a thing were possible– involves a redistribution of power. If every man has an equal voice in joint decisions, and if there are (say) a million members, every man has a millionth part of the power over the whole million, instead of complete power over himself and none over others, as he would have if he were a solitary wild animal. This produces a very different psychology from that of an anarchic collection of individuals. And where — as must always be the case to some extent — the government is not completely democratic, the psychological effect is increased. The members of the government have more power than the others, even if they are democratically elected ; and so do officials appointed by a democratically elected government. The larger the organization, the greater the power of the executive. Thus every increase in the size of organizations increases inequalities of power by simultaneously diminishing the independence of ordinary members and enlarging the scope of the initiative of the government. The average man submits because much more can be achieved cooperatively than singly; the exceptionally power-loving man rejoices, since it provides his opportunity — unless indeed, the government is hereditary, or the power-loving individual belongs to a group (such as Jews in some countries) which is not allowed to occupy positions of importance.
 出典: Power, 1938.
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第11章 組織体の生物学 n.2

Japanese Prime Minister Shinzo Abe, center, stands with Deputy Prime Minister and Finance Minister Taro Aso, second left, and Defense Minister Gen Nakatani, left, during the official triennial Maritime Self-Defense Force fleet review aboard the JMSDF escort ship Kurama in the waters off Sagami Bay, south of Tokyo, Japan, Sunday, Oct. 18, 2015. (Kazuhiko Yamashita/Kyodo News via AP) JAPAN OUT, CREDIT MANDATORY

 権力は主として組織に依存しているが,しかし全てがそうであるわけではない。(たとえば)プラトンやガリレオの権力のような,純粋に心理的な権力はそれに対応するいかなる社会制度や社会組織(social institution)も存在しないかも知れない。しかし,一般的に,そのような権力も,教会や政党,あるいは何らかの類似した社会的組織(体)が宣伝してくれなくては重要なものではない(社会的に重要性をもたない)。今のところ,組織(体)と関連をもたない権力は無視することにしよう。  組織体とは,共通の目的に向けられた活動のために結びついた人々(人間)の集合である。それは,クラブのように,純粋に自発的な集団かも知れない。家族とか一族(clan)のように,自然な生物学的集団であるかも知れない。国家のように,強制的な集団かも知れない。あるいは,鉄道会社のように,複雑に混じり合った集団かも知れない。当該組織(体)の目的は明示されているかもしれないし,明示されていないかも知れないし,また,意識的なものかも知れないし,無意識的なものかも知れない。軍事的なものかも知れないし,あるいは,政治的,経済的,宗教的なものかも知れないし,あるいは,教育的なもの美的なものかも知れないし,その他かも知れない,といった具合である。およそ組織体というものは(あらゆる組織体は),その性格がどのようなものであれ,またその目的がどのようなものであれ,権力のいくらかの再配分を伴わないものはない。そこには(組織体には)統治組織が存在しなければならず,その統治組織は全体の名においていろいろな決断(決定)を行い,組織のいかなるメンバーよりも -少なくともその組織が存在する目的に関しては- より大きな権力をもっている(注:東宮訳では「そこにはまた政治もなくてはならない。この政治は・・・,全体の名で決済を行うものである」となっている。「政治が決済を行う」というのはおかしいと東宮氏は思わなかったのか? ちなみに、”a government” と定冠詞の a がついていることに注意!)。人々が次第に文明化し,技術がより複雑になるに従って,結合(連合体)の有利な点(強み)はますます明らかになる。しかし,結合には,常に,いくらかの自立の放棄が伴う(自立を放棄することが必要となる)。(即ち)我々は他人(他者)を支配する権力を獲得するかもしれないが,他人(他者)もまた我々を支配する権力を獲得する。しだいに,重要な決定は,個々の個人によるものではなく,集団によるものとなってゆく。そして人間集団の行う決定は,そのメンバーがごく少数だというのでないかぎり,統治組織(through governments 複数形になっていることに注意。従って,「政治」という意味ではない。)を通してなされなければならない。このようにして,現代の文明社会の生活においては,産業革命以前の生活においてよりも,必然的に統治組織がずっと大きな役割を演じている。

Chapter XI: The Biology of Organizations, n.2 Power is dependent upon organization in the main, but not wholly. Purely psychological power, such as that of Plato or Galileo, may exist without any corresponding social institution. But as a rule even such power is not important unless it is propagated by a Church, a political party, or some analogous social organism. For the present, I shall ignore power which is not connected with an organization. An organization is a set of people who are combined in virtue of activities directed to common ends. It may be purely voluntary, like a club; it may be a natural biological group, like a family or a clan; it may be compulsory, like a State; or it may be a complicated mixture, like a railway company. The purpose of the organization may be explicit or unexpressed, conscious or unconscious; it may be military or political, economic or religious, educational or athletic, and so on. Every organization, whatever its character and whatever its purpose, involves some redistribution of power. There must be a government, which takes decisions in the name of the whole body, and has more power than the single members have, at any rate as regards the purposes for which the organization exists. As men grow more civilized and technique grows more complicated, the advantages of combination become increasingly evident. But combination always involves some surrender of indenendence : we may acquire increased power over others, but they also acquire power over us. More and more, the important decisions are those of bodies of men, not of single individuals. And the decisions of bodies of men, unless the members are very few, have to be effected through governments. Thus government necessarily plays a much larger part in the life of a modern civilized community than in that of pre-industrial societies. )
 出典: Power, 1938.
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第11章 組織体の生物学 n.1

 我々はこれまで,権力の最も重要な心理的源泉である諸感情について検討してきた。(即ち)(第一に)伝統(に対する敬意),特に僧侶や王に対する敬意という形でのものがあり,(第二に)恐怖(心)と個人的野心 -これはむきだしの権力の源泉となるもの- があり,(第三に),古い信条の代わりに置き換えられた新しい信条 -これは革命的な権力の源泉ー があり,いろいろな信条とそれ以外の権力の源泉との間の相互作用がある。我々は今や,権力の問題の新しい部門(department 専門領域)に到達した。(即ち)権力を行使する際の媒介物となる組織体の研究という部門(専門領域)であり,まず組織体をそれ自らの生命をもった有機体として,次に組織体をその統治形態との関係において,最後に組織体を構成する人々の生活に影響を及ぼすものとして,検討する(検討していきたい)。この部門(専門領域)においては,有機体を,できるかぎりその(有機体の)目的とは無関係に,解剖学や生化学で人間を扱う場合のやり方で,考えることとする。  本章で論ずる主題,即ち組織体の生物学は,組織体というものはそれ自身の生命を持った有機体であると同時に成長あるいは衰退に向かう傾向があるという事実に依拠している。組織体と組織体との間の競争は,個々の動物や植物の間の競争に類似したしており,多少ともダーウィン(の進化論)の方法で見ることが可能である。しかし,このような類推は,他の類推同様,あまり極端に押し進めてはならない。類推は暗示したり照らし出したりする助けにはなりうるとしても,証明の助けにはならない。たとえば,(右に述べ)衰退(への傾向)を,社会組織に関する場合,不可避と仮定してはならない。

Chapter XI: The Biology of Organizations, n.1 We have been considering hitherto the sentiments which are the most important psychological sources of power : tradition, especially in the form of respect for priests and kings ; fear and personal ambition, which are the sources of naked power; the substitution of a new creed for an old one, which is the source of revolutionary power ; and the interactions between creeds and other sources of power. We come now to a new department of our subject: the study of the organizations through which power is exercised, considered first as organisms with a life of their own, then in relation to their forms of government, and finally as affecting the lives of the individuals who compose them. In this section of our subject, organisms are to be considered as far as possible without regard to their purposes, in the way in which men are considered in anatomy and biochemistry. The subject to be discussed in this chapter, namely the biology of organizations, depends upon the fact that an organization is also an organism, with a life of its own, and a tendency to growth and decay. Competition between organizations is analogous to competition between individual animals and plants, and can be viewed in a more or less Darwinian manner. But this analogy, like others, must not be pressed too far; it may serve to suggest and to illuminate, but not to demonstrate. For example, we must not assume that decay is inevitable where social organizations are concerned.
 出典: Power, 1938.
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第10章 権力の源泉としての信条 n.15  

 興奮を生み出すためにいろいろな宣伝方法が利用されればされるほど,それに対する反動はそれだけより大きくなり,終には静かな生活(平穏な人生)のみが価値を持つ(それ以外価値がない)と思われるようになる。休息の時期を経て,民衆が再び興奮することができるようになる時には,彼らには新しい刺激が必要であろう。というのは,古い刺激は全て退屈なものになってしまっているからである。そういうわけで,信条を強烈に(過度に)利用しすぎると,その効果はつかの間のものになる。十三世紀においては,人々の想像力は三人の偉人に支配されていた。(即ち)ローマ教皇とローマ皇帝とスルタン(注:イスラム教国の君主)の3人である。皇帝とスルタンは(既に)消え,教皇の権力は過去の青白い影法師となっている。十六世紀及び十七世紀の初期には,旧教徒(カトリック)と新教徒(プロテスタント)との戦いがヨーロッパ一円にひろまり,大規模な宣伝は,すべてはこの二つの信条のどちらかを支持するものであった。それにもかかわらず,最終的な勝利は,新旧キリスト教のどちら側にも行かず,両者の論争は重要ではないと考えた人々の側に行ったのである。J. スウィフトは旧教徒と新教徒との葛藤を(『ガリヴァー旅行記』の中の)「大エンディアンと小エンディアンとの戦い」の中で風刺した。(注:ガリバー旅行記の第一部「小人国」では、卵を丸い方(大きい方)の端から割る人々(Big Endians)と尖った方(小さい方)の端から割る人々 (Little Endians) との対立が描かれている。) ヴォルテールのヒューロン(注:ボルテール『哲学的物語』の主人公で、ヨーロッパの退廃した文明社会を批判する「高貴な未開人」のこと)では,主人公があるジャンセン教徒と一緒に投獄されてみて,政府が自分の変説(recarnation 自説の撤回)を要求するのも愚かならば,自分が命を犠牲にしてそれを拒否するのも愚かだと考える(注:つまり,どちらもたいしたことではないと考える)。もし、近い将来,世界が共産主義者とファシスト(全体主義者)と間で分裂するならば,最終的な勝利はどちらにも行かずに,そのような世の有様に肩をすくめ,ちょうどキャンディード(の物語)(注:)のように「それは結構な話だが,我々は(生きていくために)畑を耕さなくてはならない(cela est bien dit, mais il faut cultiver notre jardin.)」という人々のもとへ行くであろう。信条のカに対する最終的な制限は,退屈や倦怠や安逸(を願う気持)によって置かれている(のである)

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.15 The more the methods of propaganda have been used to produce excitement, the greater will be the reaction, until in the end a quiet life comes to seem the only thing worth having. When, after a period of repose, the population again becomes capable of excitement, it will need a new stimulus, since all the old stimuli have become boring. Hence creeds which are used too intensively are transitory in their effects. In the thirteenth century, men’s imaginations were dominated by three great men: the Pope, the Emperor, and the Sultan. The Emperor and the Sultan have disappeared, and the Pope’s power is a pale shadow of what it was. In the sixteenth and early seventeenth centuries, the wars between Catholics and Protestants filled Europe, and all largescale propaganda was in favour of one or other of the two creeds. Yet ultimate victory went to neither party, but to those who thought the issues between them unimportant. Swift satirized the conflict in his wars of Big-Endians and Little-Endians ; Voltaire’s Huron, finding himself in prison with a Jansenist, thinks it equally silly of the government to demand his recantation and of him to refuse it. If the world, in the near future, becomes divided between Communists and Fascists, the final victory will go to neither, but to those who shrug their shoulders and say, like Candide, “cela est bien dit, mais il faut cultiver notre jardin.” The ultimate limit to the power of creeds is set by boredom, weariness, and love of ease.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_150.HTM

第10章 権力の源泉としての信条 n.14

 以上の議論全体を通して,我々は,狂信的な信条のより直接的な効果についてのみ考察してきた。長期にわたる効果はこれとは全く異なったものである。権力の源泉として利用される信条は,しばらくの間は,大いなる努力を鼓舞するが,しかし,これらの努力は,特に大した成功を見なかった場合には,倦怠を生み,そうして,倦怠は懐疑を生む(ことになる)--その懐疑は,当初は精力的な気持であるところの明確な不信ではなく,強い信念の欠如に過ぎない* 注。 *(注)この主題(問題)については,ライオンズ(著)『ユートピア国における割当制度』の中の「ロシアを覆う懐疑の霧」(注:Assignment in Utopia 『~配給制度(?)』)というとても興味深い章を参照するとよい。著者はまず,(ソ連の)五ケ年計画のすべり出し歓喜をもって歓迎された際の熱狂(ぶり)について語り,そうして,(5ケ年計画で)約束された生活を楽にするもの実現が失敗したことから生じていった幻滅を語ってから,次のように述べている。「私は,ロシアの上に厚いしめった霧のように懐疑心が広がるのを見守った。それ(懐疑心)は,男女問わず,一様にその肉体と精神の中へと染み込んで行った。それ(懐疑心)は,一般大衆に劣らず,指導者たちの心の中にも冷気を吹き込んで行った。公けの席では,,楽観論を(ポンプを使って)吹き込んで全ての時間(四六時中)を費やす者も,プライベイトにはこの5ケ年計画の無計画性及び物資やエネルギーの恐るべき浪費や,国民経済の混乱状態(手足の一部が膨れ上がり、その他は縮んでしまう状態)について,にがにがしげに(bitterly 痛烈に)語った。(単なる)熱狂についての疑いが,一方では報償金に対して,他方では厳罰に対して,大きな強調を絶えずすることの中に,表されていた。・・・厳しい命令(draconic decrees)がほとんど毎週創案され,一般労働者をしめつけたり,おさえつけたりした。労働者の一人は,(たった)一日仕事を休んだことで,失職,配給通帳の取上げ,居室からの追放(居住スペースとりあげ)によって罰すべきとされた(注:made ~ punishable)。(つまりこれは)ゆっくりした死刑の宣告(注:即座の死刑宣告ではなく)を受けたようなものである。」 著者は別の章ではこう書いている。「独裁政権下の民衆は,生涯,熱狂を持続するように宣告されている(判決を受けている)というのは,至言である(良く言ったものである)。それはうんざりさせられる刑(sentence 判決)である。彼ら民衆は,喜んで自分たちの苦悩(misery 悲惨さ)の中心へと進み,自分の傷口をこっそりと(in private)なめまわすのである。しかし,彼ら(民衆)はあえて(表立って/公の席で)そうしようとはしない(それだけの勇気を持てない)(But they dare not;)。すねることは(国家に対する)反逆罪と隣りあわせである(からである)。長い行進(軍隊の行進/行軍)の後、へとへとになっている兵士たちのように,彼ら(民衆)は,軍事パレードのためにきびきびと一列に並ばなければならない。(注:The Temple Bells – four Indian Love Lyrics の中にでてくる「I am weary of the daytime and the night;  I am weary unto death」から採られていると思われる。https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/SET478.htm

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.14

Throughout the above discussion, we have considered only the more immediate effects of a fanatical creed. The long-term effects are quite different. A creed which is used as source of power inspires, for a time, great efforts, but these efforts, especially if they are not very successful, produce weariness, and weariness produces scepticism — not, at first, definite disbelief, which is an energetic frame of mind, but mere absence of strong belief.(* see note) (* note: On this subject, see the very interesting chapter “Fog of Skepticism over Russia,” in Lyons’s Assignment in Utopia. After telling of the enthusiasm with which the launching of the Five-Year Plan had been greeted, and of the gradual dis-illusionment as the promised comforts failed to be realized, he says: “I watched skepticism spread like a thick wet fog over Russia, soaking into the flesh and spirits of men and women. It chilled the hearts of the leaders no less than of the masses. Men who publicly spent all their time pumping up optimism, talked bitterly in private of the planlessness of the Plan, the terrible wastage of substance and energy, the dislocation of a national economy swollen in some of its limbs and shrunken in the rest. Doubts of the efficacy of enthusiasm were expressed in a constantly greater stress on cash rewards at one pole and harsh punishment at the other. … Draconic decrees were invented almost weekly to discipline and repress the common workers. One of them made a single day’s absence from work punishable by loss of job, bread book, and living space: tantamount to a sentence of slow death.” In another chapter he writes : “People under dictatorships, it has been well said, are condemned to a lifetime of enthusiasm. It is a wearing sentence. Gladly would they burrow into the heart of their misery and lick their wounds in private. But they dare not; sulking is next door to treason. Like soldiers weary unto death after a long march, they must line up smartly for parade. “)
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_140.HTM  

10章 権力の源泉としての信条 n.13

 (以上述べたことを)要約してみよう。  何らかの種類の信条あるいは感情社会の団結にとって必須のものであるが,しかしそれが強さの源泉であるためには,かなりの割合の技術的能率を依存している人々(注:宣伝家など?)を含めて,大多数の民衆が,それを純粋かつ深く感じていなければならない。そのような条件が欠けている場合には,政府検閲と迫害によってそのような条件を生みだそうとするかも知れない。しかしもし検閲と迫害が厳しいと,人々が現実と接触しなくなったり,知ることが重要である諸事実について無知になったり,忘れたりする原因となる権力を掌握している者(権力の保持者)は,権力衝動によって偏見をもたされているので,国力の増大に最も資する自由への干渉の量は,常に,諸政府が信じている量よりは少ないであろう(注:国民の自由への制限は,政府が必要と思っている量より少なくて済む,ということ)。従って,(自由への)干渉に反対する感情が広くゆきわたっているということは,無政府状態になってしまうほど極端にならない限り,国力を増すこととなりそうである。しかし,特殊な事例を除いて,そうした一般論を越えて述べることは不可能である。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.13

To sum up : A creed or sentiment of some kind is essential to social cohesion, but if it is to be a source of strength it must be genuinely and deeply felt by the great majority of the population, including a considerable percentage of those upon whom technical efficiency depends. Where these conditions are absent, governments may seek to produce them by censorship and persecution; but censorship and persecution, if they are severe, cause men to become out of touch with reality, and ignorant or oblivious of facts which it is important to know. Since the holders of power are biased by their power-impulses, the amount of interference with freedom that conduces most to national power will always be less than governments are inclined to believe; therefore a diffused sentiment against interference, provided it does not go so far as to lead to anarchy, is likely to add to the national strength. But it is impossible to go beyond these generalities except in relation to particular cases.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_130.HTM

第10章 権力の源泉としての信条 n.12

 (それならば)国家の威信を維持するためにはどの程度まで(国民の)自由に干渉することが必要であろうか?  現実に起きている(数々の)自由への干渉は,主にこの(国家の威信の維持)という目的を持っている (注:みすず書房版の東宮訳では,”national pride” を「国民としての誇り」と訳されているが,「国民の自由へ干渉することが国民のほこりを保つために必要」というブラック・ジョークになってしまう。ここは「国家の威信」と訳すべきであろう)。ロシアでは政府公認の正説に一致しない人々(意見の違う人々)は,非愛国的なやり方で行動する傾向がある(非国民!)と考えられている。ドイツとイタリアにおいては,政府の強さは,政府によるナショナリズム(国家主義)に対するアピールにかかっており,政府に対する反対はいかなるものもモスクワ(=ロシア)を利するものだと考えられている。フランスにおいては,もし(自由の国フランスで)自由が失われるとすれば,それは多分,親独的な裏切りを妨ぐためであろう。これらの国々の全てにおいて困難なことは,階級闘争が(諸)国家の(様々な)争い(紛争)の邪魔をし,そのことが,民主主義国においては資本家が,ファシズムの国々においいては社会主義者と共産主義者が,ある程度まで,国益以外の他の考慮によって,動かされる原因となっている(注:causing ~ to be guided 左右される原因となっている)ことである。もしこのような愛国主義的な目的からの逸脱を防ぐことができれば(注:愛国主義的目的に徹することができれば),一国の強さは増すであろう(注:東宮氏は nationalist aims を「国民的な目的」と誤訳している。 nationalist を別の単語と勘違いしたのか?)。しかし,そのために,もし知性の水準全体を引き下げることが必要だということなら,国力の増大はしそうもない(注: but not if it is necessary, for the purpose, to lower the whole level of intelligence. の中の”not” を適切に解釈することが重要)。諸国政府にとって,これは難しい問題である。というのは,ナショナリズム(国家主義)は愚かな理想であり,聡明な人々はヨーロッパがこのナショナリズム(国家主義)のために破滅しつつあると気づいているからである。最良の解決策は,このナショナリズム(国家主義)を,何らか国際的なスローガンのもとに,たとえば民主主義とか共産主義とか集団的安全保障とかいうようなスローガンのもとに,変装させることである。イタリアやドイツのように,これのできないところ(国)では,外的な一律性を得るために暴政(圧政)が必要となり,容易に本物の内的な感情を生みだすことができない(のである)。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.12 How much interference with freedom is necessary for the maintenance of national pride? The interferences which actually occur have mainly this end in view. In Russia, it is thought that those who disagree with the official orthodoxy are likely to behave in an unpatriotic manner; in Germany and Italy, the strength of the government depends upon its appeal to nationalism, and any opposition is considered to be in the interests of Moscow; in France, if liberty is lost, it will probably be to prevent pro-German treachery. In all these countries, the difficulty is that the class-conflict cuts across the conflicts of nations, causing the capitalists in democratic countries, and the Socialists and Communists in Fascist countries, to be guided, to some extent, by other considerations than those of the national interest. If this diversion from nationalist aims can be prevented, a country’s strength is likely to be increased, but not if it is necessary, for the purpose, to lower the whole level of intelligence. For governments the problem is a difficult one, since nationalism is a stupid ideal, and intelligent people perceive that it is bringing Europe to ruin. The best solution is to disguise it under some international slogan, such as democracy or communism or collective security. Where this cannot be done, as in Italy and Germany, outward uniformity demands tyranny, and does not easily produce a genuine inward sentiment.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_120.HTM

第10章 権力の源泉としての信条 n.11

 我々は今や(これまでに述べた)2つの公理(自明の理)を実際的(実践的に)に総合してもよいであろう。社会的結合(社会の団結)には信条あるいは,行動規範、あるいは(多くの人々に)広く行き渡る感情か,あるいは -これが最善であるが- 以上の3つ全てが結びついたものが必要である。いずれにせよこの種のものがなければ,社会は分裂し,暴君(圧制者)かあるいは外国の征服者に従属することになる。しかし,もし,この種の団結のための手段が有効であるべきであるのなら ,人々が社会的結合(の重要性)を心の底から感じなくてはならない。わずかな少数者に対してならば -そうした人々が例外的な知性あるいは性格(character 人格)を通して特に重要な人間だということでない場合には- これ(社会的結合)を力ずくで押しつけることができるかも知れないが,しかし,大多数の人々にあっては,社会的結合は心からのものでありかつ自発的なものでなくてはならない。一人の指導者に対する忠誠や,国家の威信(national pride)や,宗教的情熱というようなものは,歴史的に見て,結合を得る最良の手段であることが明らかになった。しかし,指導者に対する忠誠は,(今日)世襲による統治権(主権)が衰えたので,昔ほど永続的な効果はなく,宗教的な情熱も自由思想の普及によって脅かされている。このようにして,国家の威信(だけ)が残り,それは往時よりも相対的により重要となっている。この種の国家の威信についての感情が -国家の威信に敵対的である(政府)公認の信条があるにもかかわらず- ソビエト・ロシアに復活してきた様を観察することは興味深い。もっとも、キリスト教ほど(国家の威信に)敵対的ではないけれども。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.11

We may now arrive at the practical synthesis of our two truisms. Social cohesion demands a creed, or a code of behaviour, or a prevailing sentiment, or, best, some combination of all three ; without something of the kind, a community disintegrates, and becomes subject to a tyrant or a foreign conqueror. But if this means of cohesion is to be effective, it must be very deeply felt; it may be imposed by force upon a small minority, provided they are not specially important through exceptional intelligence or character, but it must be genuine and spontaneous in the great majority. Loyalty to a leader, national pride, and religious fervour have proved, historically, the best means of securing cohesion ; but loyalty to a leader is less permanently effective than it used to be, owing to the decay of hereditary sovereignty, and religious fervour is threatened by the spread of free thought. Thus national pride is left, and has become relatively more important than in former times. It has been interesting to observe the revival of this sentiment in Soviet Russia, in spite of an official creed which should be inimical to it — though not more so, after all, than Christianity.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_110.HTM

第10章 権力の源泉としての信条 n.10

 戦争が起こると(始まると),(政府の)隠蔽政策は,(当初)意図した効果とはまったく逆の効果を生むことになるかもしれない隠され続けてきた不愉快な事実のうちの少なくともいくつかは,あらゆる人々(衆目)に明らかになりがちであり、また、人々が愚者の楽園に住まわせられてきたのであればあるほど,それだけいっそう,人々は現実によって(現実を知ることによって)恐れおののき、意気消沈させられるであろう。革命や(政府の)突然の崩壊は,自由な議論によって公衆の精神が苦痛を与える出来事に対し心構えができている場合に比べ、そのような状況(無知にされていた状況)の場合のほうがずっと多く起こりそうである。

 服従の態度は,-下位の者(自分より劣った者)から強要される時- 知性にとって有害である(知性を損なうもとなる)。何らかの馬鹿げた(不合理な)原理原則を、少なくとも外見的には,受け入れなければならない社会においては,(その社会の)最良の人間(人々)は魯鈍になるか,あるいは,不平不満を抱かざるをえない。その結果,その社会の知的水準は低下し,それは,間もなく,技術的進歩を妨げるに違いない。公(官公吏)の信条が知的な人間であればほとんど受け入れないようなものである場合には,このことは特に真実である(あてはまる)。ナチスは(これまで/1938年本書出版当時まで)最も有能なドイツ人の大部分を追放してきたが,このことは,遅かれ早かれ.,彼らナチスの軍事技術の上にも破滅的な影響を及ぼすに違いない。科学なくして技術が長い間進歩し続けることは不可能であり,思想の自由のないところに科学が栄えることも不可能である。従って,原理原則の一律性(一様性)を固執することは,たとえそれが戦争とは全く縁の遠いような事柄においてさえ,科学時代の軍事的効率性にとって,致命的である。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.10

When war comes, the policy of concealment may produce effects exactly opposite to those intended. Some, at least, of the unpleasant facts which had been kept dark are likely to become patent to all, and the more men have been made to live in a fool’s paradise, the more they will be horrified and discouraged by the reality. Revolution or sudden collapse is much more probable in such circumstances than when free discussion has prepared the public mind for painful events.

An attitude of obedience, when it is exacted from subordinates, is inimical to intelligence. In a community in which men have to accept, at least outwardly, some obviously absurd doctrine, the best men must become either stupid or disaffected. There will be, in consequence, a lowering of the intellectual level, which must, before long, interfere with technical progress. This is especially true when the official creed is one which few intelligent men can honestly accept. The Nazis have exiled most of the ablest Germans, and this must, sooner or later, have disastrous effects upon their military technique. It is impossible for technique to remain long progressive without science, or for science to flourish where there is no freedom of thought. Consequently insistence on doctrinal uniformity, even in matters quite remote from war, is ultimately fatal to military efficiency in a scientific age.
 出典: Power, 1938.
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第10章 権力の源泉としての信条 n.9

  さて第二の公理(自明の理)をとりあげてみよう。 (即ち)事実に一致した信念をもつことは有利(長所/強み)であるということである。直接の強みということに関する限り,このことは限られた信念にのみあてはまる。第一に,爆薬や毒ガスの特性というような技術的な問題がある。第二は,対立する諸勢力のいずれが(相対的に)強いかということに関する問題である。これらの問題に関してさえ,政策や軍事行動を決定する人々だけが正しい見解を持つ必要がある,と言ってよい。(即ち)一般民衆(大衆)は(自国の)勝利は確実だと思い,空襲されることの危険を過小評価することが(政府にとっては)望ましい。政府と軍首脳部及びそれらの専門職員のみが事実を知っていればよく,それ以外の全ての人々の間においては,盲信と盲従だけが最も望まれること(全て)である。  人間に関する事柄がチェスのように計算可能であり,しかも,政治家や将軍がチェスの名人のように賢ければ,このような(以上のような)見方にもいくらか真理があるかもしれない。戦争に勝利した場合の利益は疑わしいが,しかし,戦争に敗北した場合の不利益は確実である(疑う余地がない)。従って,問題の先頭に立つ超人が,誰が(結果として)勝利することになるかを予見することができれば,戦争はまったくなくなるであろう。しかし,実際のことろ,戦争は行われており,また,いかなる戦争においても,両政府ということはなくとも、どちらかの政府は(戦争の)見込み(chances 成算)について誤算を犯してきたに違いない(のである)。これ(誤算)には幾つかの理由(reasons わけ)がある。誇りと虚栄のため,無知のため,興奮の伝染しやすさのため,といった理由である。一般民衆は,無知のまま(戦争の勝利を)信じさせられている場合,彼らの確信と好戦的感情は容易に支配者(統治者)に伝わるであろうし,支配者(統治者)たちは,あらゆる新聞にも、あらゆる会話にも出てくる愉快な事実に対し,支配者(統治者)は知っているが(一般民衆には)隠している不愉快な事実と同じような重み付けをすることはほどんどできない。ヒステリーと誇大妄想が人々をとらえつつあり,政府もこれを免れうるものではない(免疫をもっていない)。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.9

Let us now take up our second truism: that it is advantageous to have beliefs which are in accordance with fact. So far as direct advantages are concerned, this is only true of a limited class of beliefs: first, technical matters, such as the properties of high explosives and poison gases; secondly, matters concerning the relative strengths of the opposing forces. Even as regards these matters, it may be said, only those who decide policy and military operations need have correct views: it is desirable that the populace should feel sure of victory, and should underrate the dangers of attack from the air. Only the government, the military chiefs, and their technical staffs need know the facts; among all others, blind confidence and blind obedience are what is most to be desired. If human affairs were as calculable as chess, and politicians and generals as clever as good chess players, there might be some truth in this view. The advantages of successful war are doubtful, but the disadvantages of unsuccessful war are certain. If, therefore, the supermen at the head of affairs could foresee who was going to win, there would be no wars. But in fact there are wars, and in every war the government on one side, if not on both, must have miscalculated its chances. For this there are many reasons : of pride and vanity, of ignorance, and of contagious excitement. When the populace is kept ignorantly confident, its confidence and its bellicose sentiment may easily be communicated to the rulers, who can hardly attach the same weight to unpleasant facts which they know but conceal as to the pleasant facts that are being proclaimed in every newspaper and in every conversation. Hysteria and megalomania are catching, and governments have no immunity.
 出典: Power, 1938.
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