粉川忠(1907.6.19-1989.7.17):明治40年6月19日、水戸市郊外の山根村生まれ。家は代々山根村の村長を勤める素封家。忠は、四男二女、六人兄弟の長兄第一子。評論家の粉川哲夫氏は、忠氏の次男(長男は生まれてすぐに死亡)。直木賞を受賞した「ナポレオン狂」は粉川氏をモデルにした小説(ただし、この小説では、ゲーテ関係資料ではなく、ナポレオン関係資料のコレクターという設定になっている。)|
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1)すべて独力でやる。いかなる事情あるも他から経済的援助は受けない。・昭和4年12月、水戸第2連隊に入隊する。兵役の義務を果たした後、再び佐藤の下宿にもどる。近所の木工所へいって木板を1枚もらい、「東京ゲーテ文庫」と記して、裏木戸の柱につるし、35冊のゲーテ関係資料からなるゲーテ資料室をスタートさせた。
2)学者にはなれない。ゲーテの資料を集めることだけを目的とする。
3)けっしてゲーテを利用して金儲けをしない。
4)事業が完成するまで断じて故郷の土を踏まない。
(pp.234-242:最終章)銀行の店舗ビルを壊し、新しい建物を建てた経緯や、ゲーテ関係資料の収集範囲をさらに広げたきっかけ、粉川氏の日常生活などが記されている。
粉川の日課は、1年365日、ほとんど変ることがない。5時に起床、6時まで体操とビルの前の清掃に費やす。朝食をすませ、開館の準備を整え、8時半に開館。一時まで文献の整理その他の事務を行う。昼食の後午後2時より8時まで引き続き文献の整理と事務。面会人があればこの時間を利用する。ゆっくりと夕食をとり、11時半まで整理と事務、そして書きもの。そののち体操して入浴。就寝は午前1時。日曜日は、午前中に古本屋めぐりして足を慣らし、午後は散策。・・・。身に帯びるものは、眼鏡、手帳、筆記用具、小銭いれ、折り畳み傘、メンソレータム、鼻紙、靴下。肩からななめにかける革鞄に入れて行く。・・・。散策していて思い浮かぶことはさまざまだ。(死んだ)父のこと、母のこと。故郷のこと、少年の頃のこと、木村先生のこと・・・。ゲーテを思うときはかすかにつらい。--私はどれだけゲーテを理解しただろうか--。ゲーテはとてつもなく大きい。求めれば求めるほど遠くなる。就寝前のひととき、屋上に立って粉川は思う。--ゲーテは「大きな夜」かもしれない。)(阿刀田高『夜の旅人』より抜書き)