(pp.58-81)「ゲーテについて何かやりたい」とは思っていても、「何をするか」はまだ決まっていなかった。この章では、ゲーテ資料の収集、即ち、ゲーテ図書館を創ろうと粉川氏が決意した経緯について書かれている。
(東京に出て、同郷の知人・佐藤氏の、王子・飛鳥山下の下宿に同居させてもらうことになる。・・・。佐藤は、おおざっぱな男だが、味噌汁の味だけはうるさい。おいしい味噌汁さえ作ってやれば、ご機嫌でいる。当時、味噌は豆の形を残したまま売られ、各家庭ですり鉢ですって、漉して使っていた。(後にこの時の経験が役に立ち、「味噌の漉し機」の特許をとり、味噌漉し機を売って成功することになる。) 粉川は、3日に一度は新しい豆味噌を買ってきて、これをすり鉢ですって、美味しい味噌汁を作って、佐藤のご機嫌をとっていた。/佐藤はゲーテのことなどとんと知らない。その佐藤から「ゲーテっていうのは、いつ頃日本に紹介されたんだ。」と聞かれるが答えることができない。こんなことも答えらないようでは沽券に係わるということで、翻訳書の表紙で見知ったドイツ文学者に電話して教えてもらおうとすると、「そんなことは学者の仕事じゃない。新聞社にでも聞きなさい。」と怒られる。新聞社に聞いてもわからないため、上野図書館に通い、探すがなかなか答えが見つからない。そのうちに書庫に入れてもらえるようになり、3ケ月間を要して、ようやく明治4年刊のミル(著)、中村敬太郎(訳)『自由の理』(注:J. S. Mill's On Liberty)の中に、「グーテ」(ゲーテ)についての記述を見つけ、多分これが最初だろうと結論をだした。たったこれだけのことを調べるのに3ケ月間もかかったという経験から、ゲーテのための彰考館を創ればいいと思うようになり、ゲーテ図書館作りを決意する。/粉川氏も最初から、独力で、誰の助けも借りずに図書館を創ろうと思っていたわけではなく、最初は父親に資金援助を頼んでいる。しかし、父親から、「まず自分の生計を立て、その余力で好きなことをやるべきである。あやふやな計画に金を出すことはできない」と言われ、自分の力だけでやることを決意し、次の4つの誓いを立てる。