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背理、逆説などと訳される。異論のない前提から問題ない推論によって@論理矛盾が導き出される(例:「私は今ウソを言っている」は本当かウソか?)、A明らかに偽なる結論が導き出される(例:山から一粒の土を除いてもやはり山。この推論を繰り返せば、土を全部除いて平地になってもなお山である)、B直観に反する結論が導き出される(例:量子力学が正しければ、光速以上の遠隔連関が生じる)といったいくつかのパターンがある。 @には、自己言及による論理的・意味論的パラドクスの大半が含まれ、一見問題なさそうな前提に欠陥があったことを示す。Aは、用語の曖昧さや恣意的な制限が伏在しているもので、一見妥当な推論に欠陥があったことを示す。Bは、自然科学の論争中のトピックに多く、たいてい、一見不合理な結論が実は真であることを示す。悲劇のパラドクス(ヒロインに感情移入しているので幸せになってほしい、だけどハッピーエンドは嫌いだ)のような、心理的ジレンマが論理矛盾を犯しているかといった問題もBの変種だろう。 このようにパラドクスの意義は、隠れた無知や混乱を自覚させてくれるところにある。未解決の「フェルミのパラドクス」を考えよう。コペルニクスの原理により、地球は平凡な惑星だ。よって、地球人が最初・唯一の知性体ではない。よって、我々より何万年も進んだ宇宙人がとうに銀河系に拡がり、太陽系にも来たはずだ。しかし地球外に人工物の痕跡はない。……この矛盾の解決案は、@的には「コペルニクスの原理が誤り」「文明は全て宿命的に短命」「星間飛行は原理的に不可能」、B的には「我々が近隣の地球外人工物に気づいていないだけ」となる。生物進化論をふまえた「人間原理」によるA的解決案は、「平凡であるがゆえに唯一の存在となることがある」というものだ。 パラドクスは、問題の所在が予め判らぬまま否応なく生じるのが普通だが、ゼノンのパラドクス、グルーのパラドクス、鴉のパラドクス、予言破りのパラドクスなど、「空間」「確証」「自由意思」といった特定概念の批判・洗練のために創作されるものもある。 参考文献: R.M.セインズブリー『パラドックスの哲学』勁草書房 1993年 林晋(編著)『パラドックス!』日本評論社 2000年 |