三浦俊彦「結ぼれ、了解、異文化、鼠−R. D. レインの視線−
『比較文学・文化論集』(東京大学比較文学・文化研究会)1985vol.1-2(通号n.2)pp.37-52 掲載
 
(p.12)
  私は夢を見た 私は死んだ鼠で
  都市の下水道の中にいた
  私は錆つきだして
  埃と化していって
  しまいにもういなくなった
 この詩が持つ特別の意味を知るには、実はこれが産み落とされた周辺の事情を認識しなければならない。この詩のもとになったイメージをレインが経験したのは、1972年夏に彼がごく短期間日本にとどまったときであった。短い自叙伝、空想、散文詩、症例、講義録などを奇妙に混ぜ合わせた不思議な著作『生の事実』(The Facts of Life, 1976)の中でレインはそのことを印象的なタッチで記している。
 私はかつて、現代の東京の下水管の中で一匹の鼠として生涯を送った(目がさめてベッドに戻っていることに気づいた時には、暫くの間、なにが夢でなにが「現実」か決めることができなかった)。私の鼠の生涯は、私の鼠としての意識では理解できないような具合に終った。それは腺ペストのごときものだった。私は膨れ始めた。盲いた眼からはあたり一面に膿が滲み出した。私はあちこちよろめき、倒れ、次第に薄らいでいった。薄らぎきって消えゆくうちに自分のベッドで気がついたのだった。(p.105)

 この夢をレインは荘周の胡蝶の夢と重ね写しにして詩作した。「異文化」への関心・「異文化」との融合つまり統一的「人類」の意識の中でこの夢が見られ、詩に作られたということはきわめて重要と思われる。すなわち、この瀕死の鼠の幻想は、実に、「人類」にとって現在おそらく最も重大な、のっびきならぬ事態からの連想によって生じたものだったと言えるからである。レインは右引用部直前にこう述べているのだ、(次ページに続く)