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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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「ラッセルの英語」(前回以降)n.3014~3016 を発行しました。

「R英単語熟語」と「R英文」を一つづつ再録します。

<n3016-1 R英単語熟語>

★ love (n) [恋愛(=異性に対する愛);(一般的な)愛情;恋愛;愛好;愛の対象
     (vt)愛する]

* lovable (adj.):愛らしい、かわいい、愛すべき
* lover (n):a partner in a sexual relationship outside marriage


1. ラッセルの用例

Love is the first and commonest form of emotion leading to cooperation, and
those who have experienced love with any intensity will not be content with
 a philosophy that supposes their highest good to be independent of that of
 the person loved.
[恋愛(男女間の愛情)は,協力を生み出す感情の,第一のそして最も一般的な形であ
って,いかなる程度であっても,恋愛を経験したことのある人ならば,自分の最高の幸
福(善)が愛する人の幸福(善)とは無関係であるとするような哲学には,満足しな
いだろう。]
 出典:ラッセル『幸福論』第2章「バイロン的な不幸」
     https://russell-j.com/beginner/HA12-070.HTM

The good life is one inspired by love and guided by knowledge.
[善い人生とは,愛によって鼓舞され,知識によって導かれるものである。]
 出典:Bertrand Russell: What I believe, 1925.
  「参考」 https://russell-j.com/PROLOGUE.HTM#google_vignette

The widespread interest in gossip is inspired, not by a love of knowledge 
but by malice: no one gossips about other people's secret virtues, but only
 about their secret vice.
[よく見受けられる他人の噂話(ゴシップ)ヘの興味は,知識欲から出たものでなく,
悪意によって鼓舞されたものである。誰も,他人の隠れた美徳については噂話しない
が,隠れた悪徳についてのみ噂話をする(ことからもそれがわかる)。]
 出典:ラッセル『教育論』第2章「教育の目的」
     https://russell-j.com/beginner/OE02-190.HTM


2.参考例

a mother's love for her child/ Music was one of the great loves of his life.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

We were lovers for several years. / The park was full of young lovers 
holding hands.
 出典:Oxford Advanced Learners Dictionary, 8th ed.

If you subscribe to this magazine in March, you will get a jigsaw puzzle 
featuring a lovable penguin.
[3月中にこの雑誌を予約購読すると、かわいいペンギンが特徴のジグソーパズルが
もらえます。]
 出典:『究極の英単語 v.3 上級の3000語』 p.420


<n3016-2 R英文>

 ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
  (Human Society in Ethics and Politics, 1954)

  第2部「情熱の葛藤」第7章 n.7】

 キリスト教は真実ではないかもしれないが社会の結束を促進するために非常に
有用であり、また、完全ではないかもしれないが、同じ程度の社会的効果を持つ
他のどの信仰よりも優れている、と主張する人々がいる。私は、世界全体がマル
クス主義者になるよりはキリスト教徒になる方がよい(ましだ)と認める。私は
、マルクス主義の信仰を、文明国が採用した他の信仰よりも(おそらくアステカ
人が採用した信仰を除けば)嫌悪すべきものだと感じる。しかし、社会の結束は
有用な嘘の助けなしには不可能であるという見解を、私は到底受け入れる気には
ならない。この見解は、プラトンや歴代の実際的な政治家たちによって是認され
てきたことは知っているが、私は、たとえ実際的な観点から見ても、この見解は
誤りだと思う。合理的な議論で十分な場合には、自己防衛のために嘘を用いる必
要はない。それが必要なのは十字軍のような運動のときだが、私は十字軍が何ら
かの良い結果をもたらした例を思いつくことができない。人々がキリスト教を再
軍備の一環と見なすとき、それはキリスト教が持ちうる精神的価値をことごとく
奪い去ることになる。そして、再軍備としての効果を発揮するためには、一般に
キリスト教は好戦的で、教条的で、偏狭でなければならないと考えられている。
人々がキリスト教を対ロシア戦の助けとして考えるとき、それはクエーカー派の
ようなキリスト教ではなく、むしろマッカーシー上院議員のようなスタイルのも
のを想定している。戦争において信条が効果を発揮するのは、その否定的側面、
つまり、その信条を採用しない者への憎悪によってである。この憎悪なしには、
信条は戦争のための武器にはならない。しかし、ひとたび信条が戦争の道具とさ
れると、異教徒への憎悪が前面に出ることになる。その結果、二つの信仰が互い
に争うとき、双方が自らの最悪の側面を発展させ、さらには相手の信仰の中で効
果的だと考えられる要素を模倣するようになるのである。

There are those who argue that Christianity, though it may not be true,
 is very useful as promoting social cohesion, and, though it may not be
 perfect, is better than any other faith that has the same social 
effectiveness. I will admit that I would rather see the whole world 
Christian than Marxist. I find the Marxist faith more repellent than any
 other that has been adopted by civilized nations (except perhaps the 
Aztecs). But I am quite unwilling to accept the view that social cohesion
 is impossible except by the help of useful lies. I know that this view
 has the sanction of Plato and of a long line of practical politicians, 
but I think that even from a practical point of view it is mistaken. It is
 not necessary for purposes of self-defence where rational arguments 
suffice. It is necessary for a crusade, but I cannot think of any case 
in which a crusade has done any good whatever. When people regard 
Christianity as part of re-armament they are taking out of it whatever 
spiritual merit it may have. And, in order that it may be effective as 
re-armament, it is generally thought that it must be pugnacious, dogmatic
 and narrow-minded. When people think of Christianity as a help in 
fighting the Russians, it is not the Quaker type of Christianity that they
 have in view, but something more in the style of Senator McCarthy. What
 makes a creed effective in war is its negative aspect, that is to say,
 its hatred of those who do not adopt it. Without this hatred it serves 
no bellicose purpose. But as soon as it is used as a weapon of war, it is
 the hatred of un-believers that becomes prominent. Consequently, when two
 faiths fight each other each develops its worst asperts, and even copies
 whatever it imagines to be effective in the faith that it is combating.
 Source: https://russell-j.com/cool/47T-2_0707.htm

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(2) 「バートランド・ラッセルの言葉_折々版」j0069
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 https://russell-j.com/br_oriori/br_oriori-j0069.html

 宇宙から国境は見えない ―― ラッセルと考える「国家」の賞味期限

 私たちは「国家」という言葉を日頃よく使いますが、果たして「国家」とは何で
しょうか?

 宇宙飛行士になって地球を遠くから眺めてみても、そこには抽象的な「国家」も
「国境」も、ましてや「国民」というラベルも見えません。見えるのは、地球とい
う青い惑星の上を這いまわっている、自分と似通った小さな生命体(人間)の営み
だけです。

生命の進化と「結束」の始まり
 アメーバのような単細胞から現在の人類まで、生命は生存確率を高めるために進
化を続けてきました。たとえば、かつて雌雄の別が生まれたのは、その方が遺伝的
多様性を生み、生命の繁栄に有利だったからだと言われています。

 この進化の歴史を、社会の形成に当てはめてみましょう。 個体としては弱い生命
が、外敵から身を守り生き延びるためには「集団」を作ることが不可欠でした。最
初は別々の洞穴に住んでいた家族が、やがて数家族集まって「村」を作り、村が集
まって「町」ができ、地域社会へと広がっていきます。

 バートランド・ラッセルは、1949年の講演録『権威と個人』の中で、この過程を
次のように鋭く指摘しています。

 「社会的結束は、敵への恐怖による集団への忠誠に始まり、ある部分は自然な、
   またある部分は意図的に強化されたプロセスを経て成長し、ついには今日
   われわれが国家として知る巨大な複合体にまで至ったのである。」

「神話」によって強化される装置
 日本を例に取れば、飛鳥地方に最初の「国家」の原型ができあがります。しかし、
単に人が集まるだけでは、ラッセルの言う「巨大な複合体」にはなり得ません。

 国家を維持するためには、支配する「王」という実力行使の力だけでなく、集団
を永続させるための「神話」や「教育」が必要でした。これこそが、ラッセルが指
摘した**「意図的に強化されたプロセス」**です。共通の物語を信じることで、見
ず知らずの他人同士が「同じ国民」という幻想を共有し、結束を固めてきたのです。

2026年、私たちが直面する境界線
 2026年現在、国連に加盟する国家は193にものぼります。歴史を振り返れば、国家
の数は征服や分裂を繰り返し、常に変動してきました。 どの国家も自国の勢力を拡
大したいという本能を抱えているため、国家間の紛争は絶えず、戦争の種が尽きるこ
とはありません。

 では、「国家」は人類にとって永遠に不可欠なものでしょうか?

 かつての日本も多くの「国(藩)」に分かれ、互いに命を懸けて戦っていました。
しかし、明治の「廃藩置県」を経て、それまで薩摩人や長州人だった人々は「日本
人」になりました。当時は夢物語だと思われた統合が、今では当たり前の現実とな
っています。

「廃国置世界連邦」という未来
 「外敵がいるからこそ国家が必要だ」という論理は、裏を返せば、全人類を脅かす
共通の敵(例えば地球規模の環境破壊や、制御不能なAIの暴走など)に直面したとき
、あるいは人類が精神的に成熟したとき、国家という枠組みはその役割を終えるこ
とを意味します。

 日本が「廃藩置県」を成し遂げたように、いつか地球規模で**「廃国置世界連邦」
**が実現すれば、国家間の戦争という概念そのものを廃絶できるはずです。

 今はまだ夢物語に聞こえるかもしれません。しかし、もし運よくこの先200年ほど
世界大戦を回避できれば、偏狭な国家主義を唱える人たちは、現代の私たちが藩同士
の争いを見るのと同じように、滑稽に映るようになるでしょう。

 もちろん、それまでに私たちが自らの手で生み出した核兵器や技術によって、人類
そのものを「絶滅」させてしまわなければ、の話ですが……。 

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 編集後記 「贈り物」という名の政治腐敗 ―― 政治の劣化を食い止めるために
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 人にお世話になった際、贈り物を送って感謝を表すのは、日本人として自然な行為
です。高市総理が、プライベートで個人的にお世話になった方へギフト(好みを考慮
したカタログギフトなど)を送るというのであれば、何ら問題はありません。

 しかし、総裁選で自分に投票してくれた自民党議員に対し、当選後に贈り物を送る
ことは、到底「自然な気持ちの現れ」とは言えません。それは私的な感謝ではなく、
公的な地位を得るための「対価」と見なされても仕方のない行為です。

 「田中角栄の時代に比べれば、今のやり方は可愛いものだ」と擁護する有権者も少
なくありません。しかし、そうした人々に限って、野党の指導者が同じことをすれば
猛烈に批判するのではないでしょうか。政治にはお金がかかるという現実を盾に、ル
ールや倫理を軽視する風潮を許せば、日本の政治は再び底なしの金権政治へと逆戻り
してしまいます。

 選挙活動に金をかけるほど有利になり、党内での影響力が増すという構造は、本来
の「政策論争」を阻害します。緻密な議論を避け、雰囲気と人気だけで支持を広げよ
うとする高市氏のような政治スタイルを許容し続ければ、日本の政治は劣化の一途を
たどるでしょう。

 私たちは今一度、政治家が守るべき一線について、厳しい目を向ける必要がありま
す。                               松下彰良

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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