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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
no.0914_2024/12/14 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)
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■ 目 次 ■
1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
2.ラッセルに関する記述や発言等
編集後記
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1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2820~2824 を発行しました。
(1)「ラッセル英単語熟語」は、2820-2824
(2)「ラッセルの英文」は、n.2820-2, 2822-2, 2824-2
1つずつ再掲します。
■■ ラッセルの英語1 n2821 R英単語熟語
★ crave (v) [・・・をしきりに欲しがる;・・・を必要とする;・・・を懇
願する,切望する]
* craving (n): 切望(for)(・・・したいという)熱望(to do)
1.ラッセルの用例
A person accustomed to too much excitement is like a person with a
morbid craving for pepper, who comes last to be unable even to taste a
quantity of pepper which would cause anyone else to choke.
[過度の興奮に慣れた人は,胡椒(コショウ)を病的にほしがる人に似ており,
そのような人は,ついには,ほかの人なら誰でも窒息しそうなほど多量の胡椒で
さえ味がわからなくなる。]
* morbid (adj.):病的な;陰気な
出典:ラッセル『 幸福論』第4章「退屈と興奮」
https://russell-j.com/beginner/HA14-040.HTM
It is, of course, possible to bring up children at home by means of
governesses and tutors, but this plan deprives them of the
companionship which their nature craves, and without which some
essential elements of education must be lacking.
もちろん,家庭教師(governess 女性家庭教師)や個人指導教師(tutor)を雇
って,家庭で子供を育てることはできる。しかし,この方法では,子供から,子供
の本性が渇望する仲間づきあいを奪ってしまうことになり,また,仲間づきあい
なしでは,教育のいくつかの必須の要素が欠けることになるにちがいない]。
出典:ラッセル『教育論』序論
https://russell-j.com/beginner/OE-PREF.HTM
I began to feel that New Hopes for a Changing World needed fresh and
deeper examination and I attempted to make this in my book Human
Society in Ethics and Politics, the end of which, for a time,
satisfied my craving to express my fears in an effective form.
[そうして,(自分の著書である)『変わりゆく世界への新しい希望』(New Hopes
for a Changing World, 1951)を新鮮な目で,またより深く吟味する必要があ
ると感じ始めた。そこで私はこの試みを『倫理と政治における人間社会』
(Human Society in Ethics and Politics, 1954)の中で行なった。その仕事
を終えたことにより,一時的ではあるが,私の怖れを効果的な形で表現したいと
いう強い願望を満足させてくれた。]
出典:ラッセル『自伝』第3巻第1章「英国への帰国」
https://russell-j.com/beginner/AB31-250.HTM
2.参考例
The playwright craved renown.
[その劇作家は名声を切望した。]
出典:『究極の英単語 - 上級の3000語』 p.435
I crave some chocolate ice cream right now.
[私はチョコレート・アイスクリームを今すぐ食べたい。]
出典:『キクタン super 12000』 p.217
I was craving for a cigarette. / a craving for sweets.
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.
■■ ラッセルの英語2: R英文
バートランド・ラッセルの英語 n2824-2 R英文(2)
ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
(Human Society in Ethics and Politics, 1954)
第7章:罪 n.4
罪の意識は宗教において、特にキリスト教において、非常に重要な役割を果
たしてきた。カトリック教会において、罪の意識は司祭職の権力の源泉のひと
つであり、ローマ教皇の皇帝との長い闘争の勝利に大きく貢献した(大いに手
助けした)。心理的にも教義的にも、罪の意識は聖アウグスティヌスにおいて
頂点に達した。しかし、その起源は有史以前まで遡る。古代の文明国家の全て
において、罪の意識はすでに十分に発達していた。(即ち)その初期の形態で
は、罪は儀式上の穢れやタブーの違反と結びついていた。 ギリシア人の間で
は、オルフィック教団(教徒)や彼らから影響を受けた哲学者達によって特に
強調された。 インドと同様に、オルフェウスによって、罪は輪廻転生と結び
ついていた。罪深い魂は死後、動物の肉体に入るが、何度も浄化の歳月を経て
、最後には「生命の輪」の束縛から解放される。エンペドクレスは次のように
言っている。
「永世の命を与えられたダイモン達(the daemons)のなかに、罪深く血で手
を汚したり、争いに従って自らを見捨てたりした者があえば、いつでも、祝
福された者たちの住まいから1万年を3度さまよい、その間ずっと、あらゆる
種類の死すべき姿で生まれ続けなければならない。. . . 。私は今、その一つ
の断片であり、神々から追放され、放浪している。」 別の断片では、"ああ
、死の無情な日が、私が唇でむさぼり食う悪業を行う前に、私を滅ぼしてくれ
なかったとは、災いだ!"と言っている。その "悪行 "とは、豆や月桂樹の葉
をむしゃむしゃ食べることであったと思われる: 「哀れな者よ、まったく哀
れな者よ、豆から手を離せ!」。これらの箇所は、本来罪とは、誰かを傷つけ
るものではなく、単に禁じられているものであるという事実を例証している。
このような態度は、現代に至るまで、性道徳に関する正統派の教義の多くに存
続している。
The sense of sin has played a very important part in religion, more
especially the Christian religion. In the Catholic Church it was one
of the main sources of the power of the priesthood, and did much to
facilitate the victory of the Popes in their long struggle with the
Emperors. Psychologically and doctrinally, the sense of sin reached
its acme in St. Augustine. But its origin lies far back in pre-historic
times; in all the civilized nations of antiquity it was already well
developed. In its earlier forms it was connected with ritual defilement
and with breaches of tabu. Among the Greeks it was especially
emphasized by the Orphics and by the philosophers whom they influenced.
By the Orphics, as in India, sin was connected with transmigration:
the sinful soul passed, after death, into the body of an animal, but
after many purgative ages at last achieved emancipation from bondage
to “the wheel of life’’. As Empedocles says:
“Whenever one of the daemons, whose portion is length of days, has
sinfully polluted his hands with blood, or followed strife and forsworn
himself, he must wander thrice ten thousand years from the abodes of
the blessed, being born throughout the time in all manners of mortal
forms. . . . One of these I now am, an exile and a wanderer from the
gods, for that I put my trust in insensate strife".
In another fragment he says: “Ah, woe is me that the pitiless day of
death did not destroy me ere ever I did evil deeds of devouring with my
lips!" It seems probable that there “evil deeds" consisted of munching
beans and laurel leaves, for he says; “Abstain wholly from laurel
leaves", and again: “Wretches, utter wretches, keep your hands from
beans!" These passages illustrate the fact that sin, as originally
conceived, was not essentially something that injured some one else,
but merely something forbidden. This attitude persists to our own day
in much of orthodox doctrine on sexual morality.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954,
chapter 7: Sin, n.4
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-0704.htm
■「ラッセルの言葉366_画像版」
日本語 version : n.2960j-2966j を投稿
英 語 version : n.2960e-2966e を投稿
n.2964j (Dec. 12, 2024)
「想像力の役割」
概して、人間(人類)が文明化するにつれて、信念の形成において証拠が関
与する範囲は広がり、想像力が関与する範囲は狭くなっていく。しかし、最も
文明化された社会(共同体)においてさえ、信念を決定したり制度を支えたり
するうえで、想像力の役割は非常に大きい。
On the whole, as men become more civilized, the sphere of evidence in
the formation of beliefs becomes larger, and the sphere of imagination
smaller. But even in the most civilized communities the function of
imagination in determining beliefs and supporting institutions is very
great.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954,
part II: The Conflict of Passions, chapter 3: Forethought and Skill,
n.18
More info.: https://russell-j.com/47T-2_0401.htm
<寸言>
証拠が重要な場合もあれば想像力が重要な場合もあります。裁判においては
証拠が重要ですが、画期的な理論の発見においては想像力が重要です。しかし
、多くの場合、証拠も想像力もともに重要です。つまり、人間には論理的思考
能力と想像力の両方が必要です。石破首相は残念ながら、両方友欠けているよ
うですが・・・。
Sometimes evidence is important, while at other times imagination is
crucial. In a trial, evidence is essential, but in the discovery of
groundbreaking theories, imagination takes precedence. However, in
many cases, both evidence and imagination are equally important.
In other words, humans need both logical thinking and imaginative
capabilities. Unfortunately, it seems that Prime Minister Ishiba lacks
both...
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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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今回もお休み
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編集後記 「中山美穂は"ヒートショック"で死亡?」
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中山美穂(俳優兼歌手として人気)が亡くなったとの報道が流れビックリし
ました。「ヒートショックのために死亡」という説明もすぐには信じることも
理解することもができませんでした。
ネットでは「手首に切り傷が・・・」といったような無責任な書き込みを
する人もあったようですが、どうやら事件性はなく、「ヒートショック」で引
き起こされた心臓発作による死亡だったようです。事件性がないということで
、「司法」解剖ではなく、「調査」解剖を行った上での結論ということなので
、間違いなさそうです。
「年寄りはヒートショックに気を付けたほうがよい」とよく言われますが、
中山美穂の事故によって、若い人も例外ではないということが印象づけられま
した。しばらくの間は、若い人も注意するでしょうが、しばらくすれば多くの
人は忘れるだろうと予想されます。(松下)
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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