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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0879_2024/04/06 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記


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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2649~2652  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語熟語」は、2649-2653
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2649-2, 2651-2, 2653-2
 
 1つずつ再掲します。

■■ バートランド・ラッセルの英語 n.2651R英単語熟語 balance (revised)
     
★ balance [(n) 秤、天秤;均衡;平衡;(商)差額、差引残高;貸借対照 ||
(vt) ・・・に平衡(釣り合い)を保たせる;釣り合わせる;(2つの論点な
どを)比較考量する;(差引して)清算する
(vi) 釣り合う、バランスがとれる;(計算・帳尻が)合う]

* balance of trade : 貿易差額
* balance sheet : 貸借対照表
* the balance at a bank : 銀行預金の残高


1.ラッセルの用例

One respect in which it is necessary to preserve the golden mean is as
 regards the balance between effort and resignation.
['中庸を守る'ことが必要である一つの点は,'努力'と'あきらめ'との間にバラ
ンスをとることに関してである。
 出典:ラッセル『幸福論』第16章「努力と諦め」]
     https://russell-j.com/beginner/HA27-010.HTM

The kind of leisure which is quiet and restoring to the nerves comes 
to be felt boring. There is bound to be a continual acceleration of 
which the natural termination would be drugs and collapse. The cure 
for this lies in admitting the part of sane and quiet enjoyment in a
 balanced ideal of life. .
['競争の哲学'によって毒されているのは,仕事だけではない。余暇も,同じよ
うに毒されている。静かで,神経(の疲労)を回復してくれるような余暇は,退
屈なものと感じられる。競争は絶えず加速される運命にあるため,その当然の
結末は,薬物(依存)であり,衰弱(気力喪失)である。これに対する治療法は
,バランスのとれた人生の理想の中に,健全で,静かな楽しみの(果たす)役割
を認めることにある。
 出典:ラッセル『幸福論』第3章「競争」]
     https://russell-j.com/beginner/HA13-060.HTM

When I wished to form an opinion upon a subject, I used to study it, 
weigh the arguments on different sides, and attempt to reach a balanced
 conclusion.
[ある事柄(主題)に関して自分の意見をまとめたい(←形成したい)と思った時,
私はいつも,それについて調査・研究し,種々の議論について各方面から比較考
量し,そうすることによってバランスのとれた(妥当な)結論に到達しようと
試みてきた。
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ』の中の「天才になる秘訣」]
     https://russell-j.com/GENIUS.HTM

The sum of human knowledge and the complexity of human problems are 
perpetually increasing; therefore every generation must overhaul its
 educational methods if time is to be found for what is new. We must
 preserve the balance by means of compromises.
[人間の知識の総量及び人間が遭遇する問題の複雑さは,絶えず増している。
それゆえ,新しいものに対応するための時間を見つけるべきとするならば,いか
なる世代も,自分たちの世代の教育方法を綿密に検査しなければならない。私
たちは,妥協によってバランス(均衡)を保たなければならない。
 出典:ラッセル『教育論』第1章「近代教育理論の前提条件」]
     https://russell-j.com/beginner/OE01-070.HTM

“right" conduct is that which, on the evidence, is likely to produce 
the greatest balance of good over evil or the smallest balance of evil
 over good.
[「正しい」行為とは、証拠に基づいて、善が害悪に対して差引き最大限の残
高を生ずるか、もしくは 害悪が善に対して差引き最小限の残高をもたらすか
、いずれかになりそうな行為である。]
 出典:ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』第3章
「手段としての道徳」]
     https://russell-j.com/cool/47T-0312.htm


2.参考例

My bank balance isn't very large. (= I haven't got much money in the
 bank.)
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.]

the amount that is left after taking numbers or money away from a 
total: to check your bank balance (= to find out how much money there
 is in your account)
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.]


■■  ラッセルの英語(2) n2653-2 ラッセルの英文

 ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
  (Human Society in Ethics and Politics, 1954)

 第1章 n.20

 戦争が社会的結束を高める傾向がある原動力 (motive force 推進力)であっ
た限り、道徳は、二つの非常に異なる部分 - 一つは自分自身の集団の成員
に対する義務、もう一つは当該集団以外の個人ないし集団にかかわる義務-
 から成り立たっていなければならなかった。仏教やキリスト教のような,普
遍性を目指す宗教は、この区別を消し去り、全人類をただ一つの集団として扱
おうと努めてきた。こういう視点は、西洋では、アレクサンダー大王による征
服の結果として、ストア派(注:自己啓発を追求を重要視)と共に始まった。
 しかし、宗教ができることを全てやったにもかかわらず、今日に至るまで、
この視点は、依然として、少数の哲学者や聖人の抱負にとどまっている。

 私が、当面、考察したいと思っているのは集団内の道徳だけであり、それ
(群れの中の道徳)を、その目的が社会的協力を促進する限りにおいてのみ、
考察したい。いうまでもなく、最も必要なもの(緊急のもの)は、何が誰に属
するか(誰の所有物であるか)、を決定することのできる、個人の力ではない
、何らかの方法である。大部分の文明の進んだ共同体(社会)がこの問題を解
決するために取り組んできた2つの制度は、法(制度)と財産(制度)であり
、そしてこの二つの制度を調整・規制するものとされた道徳的原理・原則は、
正義、あるいは、世論がそのようなもの(正義のようなもの)として受け容れ
ることのできるものであった。(玉川大学の勝部訳では「最も文明化された社
会」と誤訳)  
 	In so far as war has been the motive force tending to increase
 social cohesion, morality has had to consist of two very different 
parts, duties towards members of one's own herd, and duties having 
reference to individuals or groups outside the herd. Religions aiming
 at universality, such as Buddhism and Christianity, have sought to 
obliterate this distinction, and to treat all mankind as one single
 herd. This point of view began, in the West, with the Stoics, as a 
consequence of Alexander's conquests. But hitherto, in spite of all
 that religion could do, it has remained an aspiration of a few 
philosophers and saints.

It is only morality within the herd that I wish to consider at present,
 and this only in so far as its purpose is to facilitate social 
co-operation. It is obvious that what is most imperative is some 
method, other than individual force, by which it can be decided what
 is to belong to whom. The two institutions by which most civilized
 communities have set to work to solve this problem are law and 
property, and the moral principle supposed to regulate these 
institutions has been justice, or what public opinion could accept
 as such.
 Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 
1954, chapter 1, n.12
  More info.: https://russell-j.com/cool/47T-0120.htm


■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2707j-2713j を投稿
 英 語 version : n.2707e-2713e を投稿

 1つだけ再録します n.2709j (April 1, 2024)

 「固有価値が固有反価値とのバランス?」

 私達の現在の理論にに相応しい倫理的直観は次のようなものである: 「快
楽には固有の価値があり、苦痛には固有の価値がない」。ある行為が、可能な
行為の中で最も固有価値を持つものであるならば、その行為を「なすべき」で
ある。この定義に次の原則を加えなければならない。(即ち)「最も固有価値を
持つ行為とは、固有価値が固有反価値に対して最大のプラスの差額(balance)
を生み出す行為である、あるいは、固有反価値が固有価値に対して最小のマイ
ナスを生み出す行為である」という原則を加えなければならない。固有価値と
固有反対価値と合わせると固有価値がゼロになる時、両者は等しいと定義づけ
られる。

A possible ethical intuition of the sort appropriate to our present 
theory would be: “Pleasure has intrinsic value, and pain has intrinsic
 disvalue”. We shall now define "ought” in terms of intrinsic value:
 an act “ought” to be performed if, of those that are possible, it 
is the one having the most intrinsic value. To this definition we must
 add the principle: "The act having most intrinsic value is the one 
likely to produce the greatest balance of intrinsic value over 
intrinsic disvalue, or the smallest balance of intrinsic disvalue over
 intrinsic value”. An intrinsic value and an intrinsic disvalue are
 defined as equal when the two together have zero intrinsic value.
Source: Bertrand Russell: Bertrand Russell: Human Society in Ethics 
and Politics, (1954), chapter98:Is there ethical knowledge ?
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0904.htm

<寸言>
 なぜこんなまわりくどい言い方や考え方をしなければならないのだろうかと
思われる人がいるかもしれません。また、"disvalue"の意味は「無価値」や
「不価値」であり、「反価値」という訳語ば奇異だと感じる人がいるかも知れ
ません。
 しかし、「無価値」や「不価値」は「価値ゼロ」ということですので、固有
価値から固有無価値や固有不価値を引いたものは固有価値の値と同じになって
しまいます。これはラッセルの主張と異なり、ラッセルの趣旨を理解できなく
なります。

 視野が狭いと、ある行為がどれだけの固有価値を持ちどれだけの固有「反」
価値を持つか理解できません。最大多数の最大幸福をとりあえずの目標にする
のなら、ラッセルのこのような理論的考察が必要です。
 たとえば、日本が外国と交渉がなかった時代の日本史は日本人が勝手に考え
ればいいですが、現代にあってはそれは間違った歴史認識を日本人に持たせる
ことになります。まず、人類共通の世界史があり、そのなかで、日本史を考え
るべき問題もますます増えていきます。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 徳仁親王『テムズとともに』
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 現在の天皇が若い時に書いた、オックスフォード大学大学院の留学記である
『テムズとともに-英国の二年』が復刊され、書店に山積みになっていたので
、図書館で借りて読んでみました。現在の天皇の生活にはあまり興味は持って
いませんが、若い頃のオックスフォード大学大学院での体験ということなので、
少し興味を持ったしだいです。

 読み始めてすぐに、さすがに将来の天皇らしく、帝王学というか、いろいろ
な貴重な体験を徳仁親王(なるひと・しんのう)にさせようとする(国内外の)
周囲の配慮はすさまじく、それを知るだけでも価値があると思いました。中身
についての紹介は書きませんが、多くの人にとって一読の価値があるだろうと
思います。

 我々が一生をかけて経験できるかできないかのことを、毎日のように経験し
ている姿は驚きです。また、オックスフォード大学卒業の雅子さんとの結婚を
(後に)熱望した徳仁親王の気持ちがわかるような気がしました。

 なお、オックスフォードやケンブリッジなどの古くて伝統のある大学は多数
の学寮(college)からなっており、この本にも数百回「コレッジ」という単語
がでてきます。英国の紹介本で「カレッジ」という表記がでてくると、この人
はどれだけ英国のことを理解しているのだろうかと疑問に思うことがあります。
もちろん、外国人が「カレッジ」と発音しても訂正させようとはしないでしょ
うが、だからと言って、英国人も「カレッジ」と発音していると勘違いしない
ほうがよさそうです。 (松下)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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