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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0873_2024/02/24 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記


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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2620~2624  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語熟語」は、2620-2624
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2620-2, 2622-29. 2624-2
 
 1つずつ再掲します。

■■ バートランド・ラッセルの英語 n.2620 ラッセル英単語熟語

★ 語源を参考に理解 - allegory

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 <清水建二(編)『英語の語源大全』p.118-120から引用>

 ラテン語の"ali"は「別の、他の」を表し、容疑者が犯行時間に現場とは
「別の」場所にいたことを証明する「アリバイ(alibi)」や、地球とは「別
の」惑星から来た「エイリアン(alien)」(異星人、宇宙人)」のように使
われます。
 "ali”は印欧祖語で「~を超えて、越えて、~の向こうに」という意味の
"al”に遡ることができます。」
 形容詞としての"alien"は「外国(人)」の他に、「なじみがない、相容れ
ない」の意味で使うこともあります。
 "alias"は「別名、通称」の意味で、Clark Kent, allias Superman(クラ
ーク・ケント、またの名をスーパーマン)のように使います。
 「寓話」(allegory)は、教訓的な内容を盛り込んだたとえ話で、語源は
「"al"(別の)+ agora(話)」です。「アゴラ(agora)」は、古代の都市
国家ポリスで、政治や経済、社交の中心的な公共の広場のこと。ギリシア語
で「自由に話す」ことに由来します。
 +++++++++++++++++++++++++++++++++

★ allegory 【(n) 寓話、例え話;諷喩】

 *  諷喩とは、たとえだけをあげて、その意味を間接的に推察させる方法。
 例:「燕雀, 安(いずくん) ぞ鴻鵠(こうこく) の志を知らんや」)
 *  allegorize (vt):寓話化する;諷喩で説く


1.ラッセルの用例

His Country of the Blind is a somewhat pessimistic restatement in 
modern language of Plato's allegory of the cave.
[彼(H. G. Wells の)『盲人の国』はプラトンの洞窟の寓話を現代の言葉
でやや悲観主義的に言い直したものである。]
 出典:ラッセル「H. G. ウェルズ」
     https://russell-j.com/beginner/1037_WELLS-060.HTM

More dreadful still, he regarded the story of the Fall as an allegory,
 so that, as the Encyclopaedia Britannica informs us, "the king was
 obliged to remove him from the office of clerk of the closet.
[もっと恐ろしいことには,彼は人間堕落の物語を一つの寓話としてみなした
ので,大英百科辞典(の記述)が告げているように,「国王はやむなく彼を王
の私室付牧師の役(職)から解任した」。]
 出典:ラッセル『宗教と科学』第3章「進化」
     https://russell-j.com/beginner/RS1935_03-090.HTM


2.参考例

The teacher embellished his story with a filial allegory.
[先生は子供にふさわしい例え話を交えて、話を面白くした。]
 出典:『究極の英単語 v.4: 最上級の3000語』, p.363

An allegory is a story, poem, or painting in which the characters and
 events are symbols of something else.
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed. 


■■  ラッセルの英語(2) n2624-2 ラッセルの英文

 ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
  (Human Society in Ethics and Politics, 1954)

 第1章 n.3

 これと密接に関連したもう一つ別の問題がある、それは倫理的判断の主観性
に関するものである。仮に、私が牡蠣は美味しいと言い、あなたが牡蠣はとて
も不味いと言ったとしても、我々はただ個人の好みを表明しているに過ぎない
のであり、議論すべきものは何もないことを、我々は理解している。しかし、
ナチスがユダヤ人を虐待するのは善いことだと言い、我々がそれは悪いことだ
と言う場合、我々はそれぞれが単に好みの相違を表明しているだけだとは感じ
ない。(即ち、)我々は自分達の意見のために喜んで闘い死ぬことさえする。
(しかし)我々の牡蠣に関する見解を押し付けるためにそのようなことはすべ
きではない(しないほうがよい)。この二つのケースが相似ていることを示す
ためにどのような議論が進められるとしても -その違いを正確に述べること
は困難かも知れないけれども- どこかに違いがあるという確信は残り続ける
だろう。この感情は、決定的なものではないが、尊重に値するものであり、
あらゆる倫理的判断はまったく主観的なものであるという見解を安易に受け入
れることを躊躇させるものだと、と私は考える。

There is another closely related question, and that is as to the 
subjectivity of ethical judgments. If I say that oysters are good, 
and you say they are nasty, we both understand that we are merely 
expressing our personal tastes, and that there is nothing to argue
 about. But when Nazis say that it is good to torture Jews, and we 
say that it is bad, we do not feel as if we were merely expressing 
a difference of taste; we are even willing to fight and die for our 
opinion, which we should not do to enforce our view about oysters. 
Whatever arguments may be advanced to show that the two cases are 
analogous, most people will remain convinced that there is a difference
somewhere, though it may be difficult to say exactly what it is. 
I think this feeling, though not decisive, deserves respect, and should
make us reluctant to accept at all readily the view that all ethical
 judgments are wholly subjective.	
 Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 
1954, chapter 1, n.1
  More info.: https://russell-j.com/cool/47T-0103.htm


■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2666j-2665j を投稿
 英 語 version : n.2666e-2665e を投稿

 1つだけ再録します。n.2667j (Feb. 19, 2024)

 「」

 資本主義の全盛期には、雇用者は1日16時間労働を妥当と考えていたが、明
らかにこれは過大評価であった。もし労働(者)が -19世紀初頭に資本(家)が全
能であったように- 全能であれば、おそらく(労働者は資本家)同様に自信をも
って低すぎる数字(最小労働時間)を提示するだろう。このことは、事実に関す
る論争は、事実を確認しているふりをする人々における公平さの欠如に起因す
ることが非常に多いという法則を例示している。しかし、このようなことが起
こるのは、どちらか一方、あるいは両方が、公言できない目標を持っているか
らであり、一般大衆は(資本と労働の)双方が主張しなければならない目標を持
っているからである。

In the hey-day of capitalism, employers thought 16 hours a day 
reasonable, but obviously this was an over-estimate. If labour were
to become as omnipotent as capital was in the early nineteenth 
century, too low a figure would probably be put forward with equal
confidence. This illustrates the rule that controversies as to matters
of fact are very often due to an absence of disinterestedness in those
who pretend to be ascertaining the facts. But where this happens it is
 because one side, or both, has or have aims that cannot be avowed, 
since the general public has an aim which both sides have to profess 
to be pursuing.


Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 
(1954), chapter 8:Ethical Controversy
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0802.htm

<寸言>
 雇用主と被雇用者、誰にも雇われていないフリーランス、(先祖から莫大な
資産を相続し)他人を雇用することも雇用されることもない少数の恵まれた人
々、日雇いの仕事に時々ありつけるホームレスの人々など、天皇からホームレ
スまで、いろいろな境遇の人達がいます。
 しかし、多くの場合は、雇用する立場(資本家)と雇用される立場(労働者)の
どちらかに属しています。春闘その他で、毎年賃金のベースアップの交渉が行
われていますが、お互い、たとえば、日本の経済を発展させて国民の福祉を向
上させるという(表向きの)共通の目標を掲げますが、実際は、双方とも、
「公言できない目標」を持っているので、すれ違いの議論がどうしても多く発
生してしまう、との指摘です。 たとえば、原発企業に資本を投下している資
本家と原発企業の社員との間の賃金交渉においても、双方に「公言できない目
標」があるが、一般大衆はそのことがわからないので、単に「手段に関する議
論」をしていると勘違いしやすいというラッセルの指摘は、含蓄があります。
 ちなみに、「disinterestedness」がわかりにくいので、ラッセルのこの文
章のなかでの意味やニュアンスについて、ChatGPT はどう考えるか、わかりや
すく説明するよう依頼してみました。

<ChatGPTによる説明>
「disinterestedness」は、文脈によって異なる解釈がされることがあります
が、一般的には「無私」「公平」「利害関係のない態度」などを指します。
この言葉が使われている文脈では、ラッセルは事実に関する論争において
「disinterestedness」が欠如していることを指摘しています。
 具体的には、専門家や当事者が立場や意見を表明する際に、彼らの発言や行
動が特定の利害関係に偏っている可能性があると指摘しています。言い換えれ
ば、真実を客観的に追求する姿勢や公正さが不足していると述べています。
この不足があるため、論争が事実に関するものでありながらも、当事者たちの
主観的な意図や立場が影響を及ぼしている可能性があるとラッセルは示唆して
います。」

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 有名人と「常識」
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 「常識にとらわれない」と言う場合と、「常識がない」と言う場合とでは、
同じ「常識」という言葉を使っていても、意味やニュアンスが異なります。
一方では賞賛する言葉となり、他方では非難する言葉となります。有名人に対
しては両方の表現がしばしば投げかけられます。

 スポーツの世界は「心・技・体(しん・ぎ・たい)の3つがそろわないとい
けないとよく言われますが、若いうちに有名になると、知性や「心」が伴わず
、時々、問題となることがあります。大坂なおみ選手のように徐々に修正し成
長して、模範的な人間に成長していける人はいいですが、それができない人も
けっこういます。特に暴力事件をおこせば一発アウトになってしまう可能性が
あります。

 つい最近、白鵬(宮城野親方)の弟子(北青鵬)が度々暴力事件を起こした
のに、師匠の白鵬が知っていながら相撲協会に長年報告してこなかったことか
ら、弟子は引退届を出差ざるをえなくなり、白鵬も2階級降格処分となってし
まいました。この件では、二人の「常識のなさ」が際立っています。

 これに対し、「常識」を身に着けながら、「常識」にとらわれずに実力をつ
けて有名になっていった人は。安心して賞賛することができます。昨夜、NHK
の「ファミリー・ヒストリー」という番組で石川佳純(卓球の選手)をとりあ
げてういましたが、石川佳純は、選手としての実力にすばらしい人間性が伴
っているため、安心して応援することができました。 (松下)


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