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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0857_2023/10/28 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「ラッセルの英語」n.2540~2544  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2540, 
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2541, 2542, 2543, 2544 
 
 それぞれ1つだけ再掲します。


■■ バートランド・ラッセルの英語 n.2540
 
「早とちりで不用意な日本語訳をしないように注意 - たとえば、
  "more than one meaning"を文字面だけで日本語にしたりしいない」

 =================================================================
  英語学習の某参考書から引用
   次の英文のなかの ###以降の部分を日本語に訳しなさい。

   Equivocation means using words ambiguously. Often done with 
      intent or deceive, it can even deceive the person who is
      using the expression.  ### Equivocation occurs when words are
      used with more than one meaning, even though the soundness of
      the reasoning requires that the same use be kept throughout.

  "Equivocation"は難しい単語ですが、その説明が最初に書かれていま
  すので、この単語の意味が分からなければ解答できないということは
  ありません。"ambiguously"(曖昧に)は意味を知っていなければいけ
  ない単語ですが、###以降で言い換えられています。

   "more than"を「・・・以上」と訳すのは間違いです。・・・。「1
   つ以上」は「1つ」を含みます。従って「複数(←2つ以上)」と
   訳さないといけません。すると、次のような訳になります。

  「論理の健全性のためには同じ(意味での)使い方を続けることが必要
  であるにもかかわらず、単語が複数の意味で使用される場合、曖昧さが
  生じる。
 =================================================================

  "more than one" "not more than one"  について見ると・・・

1.ラッセルの用例

I think all the great religions of the world - Buddhism, Hinduism, 
Christianity, Islam, and communism - both untrue and harmful. It is
 evident as a matter of logic that, since they disagree, not more than
 one of them can be true.
[世界の全ての偉大な宗教 - 仏教,ヒンズー教,キリスト教,イスラム教及び共
産主義(注:ラッセルから見れば狂信的な「共産主義」も宗教の一種)- は,
真理でない(虚偽である)と同時に有害である,と私は考える。論理の問題と
して見れば明らかなことであるが,それらの偉大な宗教はお互い意見が合わな
い以上(注:いずれも自分たちが「絶対に正しい」と言っている以上),正し
い可能性のある宗教は,せいぜい一つだけである(=「可能性」なので,全て
の宗教が誤りであることも十分ありうるというニュアンス)。
 出典:ラッセル「なぜ私はキリスト教徒ではないか」
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/reitan-n013.htm


It is also now generally known by those who have taken the trouble to
look into the matter that only an international government can prevent
 war, and that civilization is hardly likely to survive more than one
 more great war, if that.
[また,問題を(真摯に)研究する労をとった人々の間では,国際的な政府(を創
ること)のみが戦争を妨止できるのであり,もし戦争が起これば,さらなる世
界大戦が複数回起こった後には,文明が存続することはほとんどありそうもな
い。]
* 1回と訳すのと2回と訳すのでは非常に大きな違いがでてきてしまいます。
 残念ながら、定評のある市井三郎先生の訳(理想社刊『人類の将来』)で
 も「1回以上」となっています。
 出典:ラッセル「人類に害を与えてきた思想」
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/0861HARM-200.HTM


Such functions can only be generated by the sort of relation which I
 call 'one-many' - i.e. the sort of relation which not more than one 
term can have to any other.
[「一対多」の関係とは、任意の他の項に対して、ただ1つの項のみ(not 
more than one)が持つことができるような(2つ以上の項を持ち得ない)関
係である。]
 * 残念ながら、評判のよい野田又夫先生の訳(みすず書房『私の哲学の発展』
  でも「1つ以上の項を持ち得ない」と訳されています。これでは「1」
  つの項しか持っていない「1対多」の関係は存在しなくなります。
 出典:ラッセル『私の哲学の発展』第8章 「数学原理ーその数学的側面」
 詳細情報: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_08-050.HTM


2.参考

* 現在の版では修正されているでしょうが、下記の評判の良い英和辞典では
 不適切な誤訳をしています。2年は経過をしていないのなら、「1年より
 も長く滞在した」とする必要があります。因みに、同じ研究社の英和大辞
 典ではそんな不注意な訳はしていません。

 She stayed in Paris (for) more than one year.
 「彼女はパリに1年以上滞在した。」
 出典:『研究社中辞典-第4版』p.986

  More than three books 
 [4冊以上の本]
 出典:『研究社新英和大辞典』


■■  ラッセルの英語(2) n2544 ラッセルの英文
 ( Unpopular Essays, 1950 から)

 「哲学と政治」n.6

 哲学者は、社会的一体性(social coherence 社会的結束)を維持するとい
う問題に取り組む時には、公認の宗教によって提供される解決策よりも、明ら
かに教義(dogma 独断的な考え)に依存することの少ない解決策を探求してき
た(探求してきている)。大部分の哲学は懐疑主義に対する一つの反動
(reaction)であった。権威がもはや社会的に要求される最小限の信仰を十分
生み出すことができない時代に生まれたのであり、従って、権威がなしうるの
と同様の成果を確保するためには名目上合理的な議論を発明しなければならな
かった。こうした動機は古代及び近代の両方の大部分の哲学に感染する深刻な
不誠実さへと導いた。 しばしば無意識的にではあったが、明晰な思考は無秩
序にいたるのではないかという恐れ(恐怖心)があり、その恐怖心から彼ら
(哲学者達)は、誤謬と曖昧さの霧のなかに隠れた。

 もちろん例外もあった。その最も有名な例外は、古代(ギリシア)のプロタ
ゴラス及び近代におけるヒュームである。ふたりとも懐疑主義を抱いた結果と
して政治的には保守的であった。プロタゴラスは神々が存在するかどうかは知
らなかった。しかし、彼はいずれにせよ(存在するにせよ存在しないにせよ)
神々は崇拝されなければならないと考えた。彼によれば、哲学には教えてため
になる(人を啓発する)ようなものはなく、道徳が生き残るためには、大衆
(多数派)の思慮のなさや教えられたことを喜んで信じる(大衆/多数派の)
態度に頼らなければならない(ということであった)。それゆえ、伝統につい
ての民衆の力を弱めるようなことはしてはならない(のである)。
	
Philosophy and Politics, (1947), n.6
Philosophers, when they have tackled the problem of preserving social
 coherence, have sought solutions less obviously dependent upon dogma
 than those offered by official religions. Most philosophy has been a
 reaction against scepticism; it has arisen in ages when authority no
 longer sufficed to produce the socially necessary minimum of belief,
 so that nominally rational arguments had to be invented to secure the
 same result. This motive has led to a deep insincerity infecting most
 philosophy, both ancient and modern. There has been a fear, often 
unconscious, that clear thinking would lead to anarchy, and this fear
 has led philosophers to hide in mists of fallacy and obscurity.
There have, of course, been exceptions; the most notable are 
Protagoras in antiquity, and Hume in modern times. Both, as a result
 of scepticism, were politically conservative. Protagoras did not know
whether the gods exist, but he held that in any case they ought to be
 worshipped. Philosophy, according to him, had nothing edifying to 
teach, and for the survival of morals we must rely upon the 
thoughtlessness of the majority and their willingness to believe what
 they had been taught. Nothing, therefore, must be done to weaken the
 popular force of tradition.
  Source: Philosophy and Politics, (1947), n.1
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1

 
■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2547j-2553j を投稿
 英 語 version : n.2547e-2553e を投稿

 1つだけ再録します。n.2549j (Oct. 24, 2023)

 「(様々な)神の思し召し」

 個人の良心に基づく倫理には、道徳規範に基づく倫理と非常によく似た不十
分さがある。(社会によって道徳規範が異なるのと同様に)個人の良心も異な
る。良心的兵役拒否者は戦うことを悪いことだと考え、凶悪犯は戦うことを控
えることを悪いことだと考える;・・・。多くの著名なイエズス会士を含む道
徳学者の中には、暴君殺害は義務であると考える者もいる(+いた)が、殺人
は常に罪であると教える(+教えた)者もいる。・・・。良心は常に神の意志
を表明しているわけではないことは明らかである。というのは、もし表明して
いるとしたら、以上のような多様性は不可能だろうからである。

An ethic based upon the individual conscience has inadequacies very
 similar to those of an ethic based on moral codes. Individual 
consciences differ: conscientious objectors think it wrong to fight,
 thugs think it wrong to abstain from fighting ; ... Some moralists,
 including many eminent Jesuits, have considered tyrannicide a duty;
 others have taught that it is always a sin. Clearly conscience does
 not always declare the will of God, for if it did such diversities 
would be impossible.
 Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 
(1954), chapter 3
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0304.htm

<寸言>
 神の思し召し、神からの啓示、個人の良心など、いづれも個人にとってだけ
であれば、余り問題はありません。しかし、他人、特に外国や他民族に対して
それらを向ける時は、必ずと言ってよいほど、誤りを犯します。正義を振りか
ざし、自分の信ずる宗教や神を絶対視し、「敵」「敵対民族」「敵対国家」に
対峙すれば、お互い不幸を生むだけです。

 イスラエルやアメリカの「正義」を振りかざすやり方、パレスチナの人々の
イスラエルやキリスト教社会に対する敵愾心・憎悪心は、あいかわらず多くの
人々に不幸をもたらしています。1947年、国連が中東にイスラエルを建国する
ことを許した時に、同時にパレスチナ国家を作っておけば、あるいは、両方が
同時に建国できるまでまっていれば、今のような状態はもっと緩和されたであ
ろうと想像されます。

 ラッセルも次のように嘆いています。

 「私は,パレスチナにユダヤ人国家をつくったのは間違いだったと思います。
しかしだからといって,ユダヤ国家(イスラエル)が実在している今日,それを
除こうとすることはもっと大きな誤りだろうと思います。私は,ユダヤ人とア
ラブ人が見せている相互の偏狭さはどうしても賛成できません。」(『拝啓バ
ートランド・ラッセル様 - 市民との往復書簡集』より)

 「ヨーロッパのユダヤ人は、ナチスの手で苦しめられたから、われわれはイ
スラエルに同情しなければならない、としばしばいわれている。しかし、わた
しは、この提案のなかに、あらゆる苦しみを永久化すべき理由を何ら見いださ
ない。今日、イスラエルがおこなっていることは、許されないことである。
現在の恐怖を正当化するために過去の恐怖に訴えることは、はなはだしい偽善
である。イスラエルは、膨大な数の難民を悲惨な境遇にあえぐよう運命づけて
いるばかりではない。占領地区の多数のアラブ人が、軍事的支配を余儀なくさ
れる運命にあるばかりではない。イスラエルは、さらに、ごく最近、植民地の
状態からぬけだしてきたアラブ諸民族にたいして、軍事的要求は民族の発展よ
り優先するからといって、いつまでも貧困状態のままにしておくと宣言してい
るのである。中東における殺戮の終止を見たいとおもうひとはすべて、将来の
紛争の禍根をふくまないような解決をのぞまなければならない。正義はつぎの
ように要求する。すなわち、解決への第一歩は、イスラエルが、1967年6月に
占領した全地域から撤退することでなければならない、と。長いあいだ苦しん
でいる中東のひとびとに正義をもたらすのを支援するために、新しい世界的キ
ャンペーンが必要とされているのである。」(ラッセルが1970年2月2日に97
歳で死亡する2日前の1月31日に執筆した、「カイロにおける世界国会議員会
議(1970年2月開催)にあてたバートランド・ラッセルのメッセージ」 から抜
粋)」

 ラッセルは97歳8ヶ月で亡くなるまで、頭ははっきりしていました。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 一神教(ユダヤ教とイスラム教)のせい? それとも民族性?
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 日本人の多くは、人間を正義の側と邪悪な側に峻別することはありません。
人間の良さ(善さ)や悪さ(邪悪さ)は「程度問題」だと考えます。どんなに
良い(善い)と思われる人でも、たとえば、弱者の叫びを聞かない(聞こうと
する努力をしない)ことによって、良くない結果をもたらしているということ
はけっこうあります。)

 イスラエル人(多くは一神教であるユダヤ教徒)とアラブ人(多くは一神教
のイスラム教徒)との間の紛争は、聖書時代からの長い歴史のなかで培われて
きたものなので、一つの「残虐な行為」を見ただけでどちらかが悪いと決めつ
けることはできません。(もちろん、特定の個々の行為については、どちらが
悪いと言うことはできます。)

 ハマスが突然、ロケット弾を数千発打ち込み、またイスラエル西部の村を攻
撃し、これまでに1,400人以上イスラエル市民を殺害したことは、ハマスが悪い
と言うしかありません。
 しかし、それに対する報復(空爆等)によって、ハマスだけでなく多くの民
間人(6,000人ほど/その中には約2,500人ほどの子供を含む)を含んでおり、
今のような空爆を続け、地上侵攻を行えば犠牲者は膨大になることはわかって
いるはずです。それにもかかわらず、ハマスを「一人残らず殺害する」まで攻
撃をやめないとイスラエルの首相が叫ぶのは「気狂い沙汰」にしか見えません。

 アメリカはイスラエル支持を明確にし、軍事援助を強化しています。民間人
の犠牲をできるだけ少なくするようにとイスラエルに「圧力」をかけていると
報じられています。しかし、アメリカの武器や弾薬がガザ市民の殺害に結果と
して使われることは目に見えています。

 先進7カ国のうち、日本を除く6カ国はイスラエル支持を表明しました。日
本はパレスチナとイスラエル両方と友好関係を持っているので、調停役になる
とよいですが、アメリカのイスラエル支援が気になってあまり役目を果たせそ
うもありません。日本政府は、上川外務大臣をイスラエルとヨルダンに派遣す
る調整をしているようですが、イスラエル寄りの姿勢をみせればパレスチナと
の友好関係を損ねるおそれもあります。

 岸田総理は、「外交の」岸田を自認していますが、「増税」メガネという
ニックネームもつけられてしまっています。外交でも失敗したら、いよいよ
「メガネを変えた方が良い!」と言われそうです。     (松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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