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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0848_2023/08/26 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■「ラッセルの英語」n.2497~2501  を発行しました。
  (1)「ラッセル英単語」は、n.2497, 2499, 2501
  (2)「ラッセルの英文」は、n.2498, 2500
 
 それぞれ1つづつ再掲します。

■■  バートランド・ラッセルの英語 (1) n2501 R英構文 n.7

* R英構文(ラッセルの英文にでてくる英語の構文)のシリーズです。

If it were not for ; Were it not for【もしも(今)~がなければ 】

* "for" を落とさないように要注意!
* If で始まる節の中で、仮定法過去を用いると、現在の事実に反対の仮定が
示される。これを受ける主節の述部では、現在の反対の帰結を示すために、助
動詞の過去+原型を用いる。(伊藤和夫『英語構文詳解』p.38の説明)


1.ラッセルの用例

If it were not for this special emotion there would be almost nothing
 to be said for the family as an institution, since children might 
equally well be left to the care of professionals.
[この特別な情緒がなかったならば,制度としての家族(家族制度)にはほとん
ど何のとりえもない(←特別言うことはない)だろう。なぜなら,子供たちは,
子育ての専門家の世話にまかせても(親が育てることと)同様に良いからであ
る。]
 出典:ラッセル『幸福論』第13章「家族」
     https://russell-j.com/beginner/1057_HasA-040.HTM

Similarly, the experimental facts upon which modern physics is based 
would be totally uninteresting if it were not for the causal laws that
 they help to establish.
[同様に、現代物理学が基礎をおいている実験に基づく諸事実は、物理学が確
立するのを助ける因果律(因果法則)が存在しなければ、全く興味をひかない
ものでしょう。]
 出典:ラッセル「芸術としての歴史」
     https://russell-j.com/beginner/1057_HasA-040.HTM

In Kant's theory, "phenomena," which can be observed, are only 
apparent, and the reality behind them is something of which we should
 know only the bare existence if it were not for the postulates of 
ethics.
[カントの理論において、観察可能な「現象」は単なる見かけ(上のもの)で
あり、それらの現象の背後にある実在は、もし倫理の要請がなければ,単に存
在するということだけが知られるようなあるものである。]
 出典:ラッセル『宗教と科学』第5章「初婚」
     https://russell-j.com/beginner/RS1935_05-090.HTM


2.参考例

If it were not for his idlenss, he would be a good student. / Were it 
not for his idleness, he would be a good student.
[もしも彼に怠け癖がなければ、彼は良い生徒なのでしょうに。]
 出典:『解体英熟語 改訂第2版』p200

If it were not for the changes of seasons, our life would be very 
monotonous.
[季節の移り変わりがなかったら、我々の生活はさぞや単調だろう。]
 出典:伊藤和夫『英語構文詳解』p.38

If it were not for this defect, I would hire him at once.
[この欠点さえなければ、さっそく彼を雇うのだが。]
 出典:伊藤和夫『英語構文詳解』p.38

If it were not for your assistance, I could not do it.
[君の援助がなければ、私にはそれはできないだろう。]
* 比較: If it had not been for your assistance, I could not have done
 it. (君の援助がなかったら、私にはそれはできなかったであろう。)
  出典:佐々木高政『英文構成法』p.248


■■ ラッセルの英語(2) n2500 ラッセルの英文

 ( Unpopular Essays, 1950 から)

 「人類に害を与えてきた思想」n.4

 過去の歴史について言うと(as regards に関して)、最も明白な(有害な
信念の)事例は,人間の個人的な偏見に応じて宗教的あるいは迷信と呼べるよ
うな,いろいろな信念によって成り立っている。人間を生贄(いけにえ)とし
て(神に)捧げれば収穫が増える,とかつて考えられていた。それは,最初は
純粋に呪術的な理由のためであったが,その後,生贄の血が神々 -それは崇
拝する人々が持つイメージで創られたものだが- を喜ばす,と考えられたか
らである。旧約聖書の中には,征服した民族を完全に絶滅させることが宗教的
義務であり,彼等の(彼らの飼っている)牛や羊でさえ容赦することは神への
不信心(不敬)になる,と書かれている。来世(あの世)における暗い恐怖(地
獄の責め苦)や災難(という考え)は,エジプト人やエトルリア人(注:イタ
リア半島中部の先住民族)に圧迫感を与えていたが,そのような考えはキリス
ト教の勝利によって絶頂に達したのである(参考:キリスト教の地獄思想)。
陰うつな聖者達は,感覚的な快楽をすべてひかえ,砂漠の中に孤独に暮らし,
肉や酒や女性と接触(交際)することを避けていたが,それにもかかわらず,
あらゆる快楽をひかえることを義務付けられていたわけではなかった。(即ち)
精神の快楽は肉体の快楽よりも優れたものと考えられ,異教徒や異端者に対し
来世(あの世)で加えられる永遠の責め苦を冥想することは精神の快楽のうち
で高い位置を与えられてた。禁欲主義が,感覚的なもの以外の快楽は無害だと
としたのは,禁欲主義の欠点の一つであり,実際のところ,最善の快楽ばかり
ではなくまさに最悪の快楽もまた,純粋に精神的なもの(肉体的な要素がまっ
たくないもの)なのである。ミルトンの描いた悪魔(ミルトン『失楽園』の中
の悪魔)が,人間にどのような害悪を加えうるかを考えている時の悪魔の快楽
を,検討してみよう。ミルトンはその悪魔に,次のように言わせている。

 心にはそれ自身のための場所がある。そして心は自らのうちに
 地獄から天国をつくり,また天国から地獄を作り出す。

 また,この悪魔の心理は,呪われた人々の苦しみを天国から眺められるだろ
うという想いに大喜びしたテルトゥリアヌス(注:Tertullian カルタゴの神
学者)の心理と,それほど異なっているわけではない。感覚的快楽を禁欲主義
的に軽視することは,親切心や寛容な心,あるいは人間性に関する非迷信的な
考え方が我々を望むように導くような,その他のいかなる美徳をも助長したこ
とはこれまでなかった。それとは逆に,人間が自分自身に責め苦を課する場合
には,そのことによって自分は他の人々を苦しませる権利をもつのだと感じ,
その権利を強化させるような教義(ドグマ)なら,いかなるものも受け容れよ
うという気にさせるのである。

The most obvious case as regards past history is constituted by the 
beliefs which may be called religious or superstitious, according to
one's personal bias. It was supposed that human sacrifice would 
improve the crops, at first for purely magical reasons, and then 
because the blood of victims was thought pleasing to the gods, who
 certainly were made in the image of their worshippers. We read in the
 Old Testament that it was a religious duty to exterminate conquered
races completely, and that to spare even their cattle and sheep was an
 impiety. Dark terrors and misfortunes in the life to come oppressed
 the Egyptians and Etruscans, but never reached their full development
 until the victory of Christianity. Gloomy saints who abstained from 
all pleasures of sense, who lived in solitude in the desert, denying 
themselves meat and wine and the society of women, were, nevertheless,
 not obliged to abstain from all pleasures. The pleasures of the mind
were considered to be superior to those of the body, and a high place
 among the pleasures of the mind was assigned to the contemplation of
the eternal tortures to which the pagans and heretics would hereafter
be subjected. It is one of the drawbacks to asceticism that it sees no
 harm in pleasures other than those of sense, and yet, in fact, not 
only the best pleasures, but also the very worst, are purely mental. 
Consider the pleasures of Milton's Satan when he contemplates the harm
 that he could do to man. As Milton makes him say:
The mind is its own place, and in itself
Can make a heav'n of hell, a hell of heav'n.
and his psychology is not so very different from that of Tertullian, 
exulting in the thought that he will be able to look out from heaven 
at the sufferings of the damned. The ascetic depreciation of the 
pleasures of sense has not promoted kindliness or tolerance, or any of
 the other virtues that a non-superstitious outlook on human life 
would lead us to desire. On the contrary, when a man tortures himself
 he feels that it gives him a right to torture others, and inclines 
him to accept any system of dogma by which this right is fortified.
 Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-040.HTM


■「ラッセルの言葉366_画像版」
 日本語 version : n.2484j-2490j を投稿
 英 語 version : n.2484e-2490e を投稿

 1つだけ再録します。n.2486j (Aug. 22, 2023)

 「信条戦争の時代」

 今日再び、我々は宗教戦争の時代の中にいるが、宗教は、今日では「イデオ
ロギー(信条)」と呼ばれている。・・・。理想主義的な若者は、何かもっと激
しいものを含むもの、そうして、彼らの全ての疑問に一つの決定的な解答を与
えるようなものを求めている。それは布教活動を求め、征服(注:軍事的及び
宗教的)によってもたらせる至福千年の希望を与えるものである。要するに、
我々は。新たな信仰の時代へと突き進みつつあるのである。不幸にも原子爆弾
は火あぶりの刑よりも迅速に人類を根絶させるものであり、長期間安全に稼動
させることはできない。我々はもっと理性的な物の見方が普及することを希望
しなければならない。というのは、自由主義的な暫定主義と寛容によってのみ
、我々の世界は生きながらえることができるからである。

We are now again in an epoch of wars of religion, but a religion is 
now called an "ideology." ...the idealistic young look for something 
with more bite in it, something which has a definite answer to all 
their questions, which calls for missionary activity and gives hope 
of a millennium brought about by conquest. In short, we have been 
plunging into a renewed age of faith. Unfortunately the atomic bomb 
is a swifter exterminator than the stake, and cannot safely be
 allowed so long a run. We must hope that a more rational outlook can
 be made to prevail, for only through a revival of Liberal 
tentativeness and tolerance can our world survive.
 Source: Bertrand Russell: Bertrand Russell: Philosophy and Politics,
 (1947)
Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
More info.:https://russell-j.com/cool/UE_01_philosophy_and_politics-270.HTM

<寸言>
 力(権力や武力)を持つ者は自らの意志を多くの人に押し付けることができ
ますが、多くの人々はそのような力を持っていません。権力を持ってない人間
も、権力者につく(従う・支持する)ことによって、擬似的・間接的に権力を
もつことができる(と思いがちです)。そういうわけで、勢力的な人間は権力
を求め、権力を持ちたいが持てない人は、強い人間を支持し、権力のおすそ分
けを得ようとします。
 権力は魔物であり、権力をもてばもつほどより大きな権力をもとうとして、
敵対的な人々をつぶしていきます。運がよければ最高権力を手中にすることが
できます。しかし、盛者必衰であり、いずれ権力を失い、新しい権力者にとっ
て代わられてしまいます。
 しかし、一度権力を握った経験があれば、権力の恩恵を受けた時代が忘れる
ことができず、間接的なものだとしても、権力や影響力を再び得ようともがき
ます。
 安倍派の残党の方々は、「日本を取り戻せ!」とかなんとか叫んで最後の抵
抗を試みているように見えます。老眼のせいでしょうか?

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 "身勝手な"スポーツ観戦(方法)
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 大坂なおみや錦織が活躍していた時は、テニスの試合をよくTV観戦してい
ました。今は、大坂なおみが産休中であり、錦織もトップ100にさえ入ってい
ないので、ほとんど観戦していません。

 最近は、大谷翔平が出るMLBの試合はかなり視聴していました。しかし、
一昨日、大谷が右肘靭帯損傷のため投手としては今年はもう登板しないという
衝撃的なニュースが流れました。打者としては出場し続けるようですので、ま
だ楽しみは残っていますが、それもできなくなったり、怪我のために成績がガ
タっと落ちるようになれば、試合を見る頻度が減りそうです。

 テニスや野球だけでなく、どんなスポーツでもお気に入りの選手やチームや
日本が活躍しそうな試合は時々、つまみぐい的に見ます。私と同じような見方
をしている人はけっこういると思いますがどうでしょうか? 

 このようなスポーツ観戦の仕方は「身勝手」と言えそうです。小さい時にダ
ラダラとTVでスポーツ観戦していた頃とは、観戦の仕方は非常に異なってい
ます。

 甲子園における夏の高校野球は、決勝戦くらいしか見ませんが、先日の慶応
と仙台育英の試合はほぼ最初から最後までTV観戦しました。私も(長男も)
慶応に関係しているので、慶応を応援していましたが、慶応の快勝に終わり、
うれしく思いました。

 この試合でまず驚いたのは慶応側の大応援団の声援です。応援の音量が大き
く、スマートに見えましたが、試合後の視聴者のコメントを見ると、アンチ慶
応の人の声もいろいろあがっており、興味深く思いました。

 いわく、「お坊っちゃま、お嬢ちゃま学校」の大応援団が「仙台育英が攻撃
中にも大声をはりあげ、試合を妨害し」、そのために、慶応の選手の平凡なフ
ライをふたりの選手がキャッチしようと走りよったが、多分、どちらかが「自
分がキャッチすると言っただろうが,応援団の声が大きすぎて衝突してしまっ
た!」「これは試合妨害だ!」という声もありました。

 それだけでなく、アンチ慶応の人がけっこういるらしく、「会社でも、早稲
田出身者は苦労している人が多いが、慶応出身のおぼっちゃま・お嬢ちゃまは
派閥を組むことが多く、えこひいきしがちで・・・」など、試合に関係しない
悪口をいろいろ目にかけました。私は早稲田も関係しているので、慶応の悪口
もそれほど気になりません。
 世の中、いろいろです。 (松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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