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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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「(週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン」
  no.0730_2021/04/17 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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    ■ 目 次 ■
          
 1.ラッセルの著書及び発言等からの引用
 2.ラッセルに関する記述や発言等
  編集後記

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 1.ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
     n.2038~2040  を発行しました。2つ再掲します。

 (1) 「ラッセルの英語」n.2040

  https://russell-j.com/beginner/reitan-062.htm

 ラッセル英単語・熟語 hallucination

★ hallucination【(n) 幻覚,幻影,妄想】


1.ラッセルの用例

A hallucination is a fact, not an error; what is erroneous is a 
judgment based upon it.
['幻覚'は(1つの)事実であり,誤りではない。誤りは,'幻覚'に基づいて判
断することである('幻覚'に基づいた判断にある。]
 出典:Bertrand Russell's Logic and Knowledge,「p.149
          https://russell-j.com/cool/49E-IDX.HTM

I used in imagination to see the bridges collapse and sink, and the 
whole great city vanish like a morning mist. Its inhabitants began to
 seem like hallucinations, and I would wonder whether the world in 
which I thought I had lived was a mere product of my own febrile 
nightmares.
[橋は倒壊して水没し,偉大な大都会全体が朝霧のように消えてゆく,といった
光景がよく心に浮かんできた。ロンドンの往民は幻覚であるように思われ始め
,自分が生活してきたと考えていた世界は,単に熱病が原因の悪夢が生み出した
もの(幻覚)にすぎないのではないか,と疑った。]
 出典:ラッセル『自伝』第2巻第1章「第一次世界大戦」
          https://russell-j.com/beginner/AB21-050.HTM


2.参考例

develop hallucinations
[幻覚を引き起こす]
 出典:『究極の英単語 Vol.4: 超上級の3000語』p.289

A hallucination is the experience of seeing or feeling something that
 is imagined although it is not really there, often as the result of
 a drug or an illness of the mind.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

The drug induces hallucinations at high doses ....
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed.


 (2)「ラッセルの英語」n.2039-2 (旧「ラッセルの言葉」に該当するもの

https://russell-j.com/beginner/gensiteki-shodo_bunkateki-seikatu_chowa.htm
 
 ラッセル「原始的衝動と文化的生活との調和」
     Source: Authority and the Individual, 1949, chapt.1:
          Social Cohesion and Human Natuire
  牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収


 科学は、不幸なことに、人間の破壊本能を満足させる極めて強力な手段を我
々人間(人類)に与えたため -人間(人類)が小部族として(地上に)散在
していた時代のように- 人間(人類)の本能にそれらの手段を自由に使うこ
とを許すことはもはや(人類の)進化上の目的には役立たない。(そうして)
無政府主義的になりやすい人間生得の衝動と(科学技術を)どう調和させるか
(make peace with )という問題は、-これまでほとんど扱われてこなかった
が- 科学技術が進歩すればするほど、ますます緊急の(imperative 避けられ
ない)問題になってきている。
 純粋に生物学的な観点から見ると、不幸なことに、科学技術の破壊的側面は
創造的側面よりも、非常に急速に発達してきている。
 一人の人間(例:核ボタンを押せる超大国の指導者あるいは核兵器を投下す
るパイロット)が一瞬にして何十万人もの人間を殺害可能だとしても、一人の
人間が我々の野蛮な先祖以上に早く子供を持つ(生む)ことはできない。仮に
、一人の人間が原爆(核兵器)によって50万人の敵を殺害できるのと同じくら
い急速に子供を持つことができるとしたら、莫大な犠牲をはらっても、生物学
的問題を生存競争と適者生存に委ねることが可能かもしれない。しかし、現代
の世界では、進化という古いメカニズムはもはや頼ることができない(のであ
る)。
・・・。人類に不可欠な程度の安全(security)を確保するために、原始的衝
動と文化生活とを両立させなければならない。・・・。
 人間の本能は、善悪双方に向かう可能性がある。祖先の脳が初めて現在の脳
の大きさにまで達した時と今とで(大きさに)大差ないことを忘れてはならな
い。だから原始的衝動と文化的生活様式との融和を計りうるのである。
 人類学者の研究は、人間が異なった文化様式に極めて広く適応する能力をも
ってきたと実証している。衝動と文化との融和のために基本的衝動を完全に排
除しては全く達成できないと思う。この機械文明の世界においてさえ、 現在
閉じ込められている衝動に、何か望ましい現実的な吐け口を見出すことが安全
のために必要である。文化生活を持続させるために、各人の心に住みついてい
る野蛮人の原始的衝動に有効な吐け口の機会を与えなければならない。
( ... But, unfortunately, science has put into our hands such 
enormously powerful means of satisfying our destructive instincts, 
that to allow them free play no longer serves any evolutionary 
purpose, as it did while men were divided into petty tribes. 
The problems of making peace with our anarchic impulses is one which
 has been too little studied, but one which becomes more and more 
imperative as scientific technique advances. From the purely 
biological point of view it is unfortunate that the destructive side 
of technique has advanced so very much more rapidly than the creative
 side. In one moment a man may kill 500,000 people, but he cannot have
 children any quicker than the days of our savage ancestors. If a man
 could have 500,000 children as quickly as by an atomic bomb he can 
destroy 500,000 enemiers, we might, at the cost of enormous suffering,
 leave the biological problem to the struggle for existence and the 
survival of the fittest. But in the modern world the old mechanism of
 evolution can no longer be relied upon.
The problem of the social reformer, therefore, is not merely to seek 
means of security, for if these means when found provide no deep 
satisfaction the security will be thrown away for the glory of 
adventure. The problem is rather to combine that degree of security 
which is essential to the species, with forms of adventure and danger 
and contest which are compatible with the civilized way of life. And 
in attempting to solve this problem we must remember always that, 
although our manner of life and our institutions and our knowledge 
have undergone profound changes, our instincts both for good and evil
 remain very much what they were when our ancestors' brains first grew
 to their present size. I do not think the reconciliation of primitive
impulses with the civilized way of life is impossible, and the studies
 of anthropologists have shown the very wide adaptability of human 
nature to different culture patterns. But I do not think it can be 
achieved by complete exclusion of any basic impulse. A life without 
adventure is likely to be unsatisfying, but a life in which adventure
 is allowed to take whatever form it will is sure to be short.
I think perhaps the essence of the matter was I given by the Red 
Indian whom I quoted a moment ago, who regretted the old life because
 there was glory in it." Every energetic person wants some thing that
 can count as "glory." There are those who get it-film stars, famous 
athletes, military commanders, and even some few politicians, but 
they are a small minority, and the rest are left to day dreams-day-
dreams of the cinema, day-dreams of wild west adventure stories, 
purely private day dreams of imaginary power. I am not one of those 
...


■「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1778~1782
     
1) n.1783:ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理 n.7
         https://russell-j.com/wp/?p=6260
     
2) n.1784:ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理 n.8
            https://russell-j.com/wp/?p=6263

3) n.1785:ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理 n.9
             https://russell-j.com/wp/?p=6266

4) n.1786:ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理 n.10
             https://russell-j.com/wp/?p=6270

5) n.1787:ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理 n.11
             https://russell-j.com/wp/?p=6274


■「ラッセルの言葉366_画像版」

 日本語 version : n.1623j-1629j を投稿
 英 語 version : n.1623e-1629e を投稿

 一つだけ再録します。
  n.1623j ( Apr. 11, 2021)
    https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1623.html

 「プラス・ペンリンと名付けられた家を入手」

 その後間もなく,私達は,スコットランド(旅行)からリッチモンドに戻る途
中,北ウェールズに立ち寄った。私達の友人のルパート・クロウシェイ=ウィリ
アムズとその夫人のエリザベスは,プラス・ペンリンと名付けられた一軒の家
を北ウェールズに見付けており,その家は私達夫婦と息子の子供達(即ち,孫)
が楽しい休暇を過ごすのに良いだろうと考えていた。その家は小さく,慎まし
いものであったが,心地よい庭と小さな果樹園と多数の立派なブナの木があっ
た。とりわけ,その家からは最高に美しい景観を眺めることができ,南に海,西
はポートマドックとカナーヴォン丘陵,北はグラスリンからスノードン山への
渓谷が見渡せた。私はその美しい眺めに魅了された。特にグラスリン渓谷の向
こう側(反対側)にかつてシェリーが住んでいた家を眺めることができるのが
気に入った。

A short time later, on our way home to Richmond from Scotland, we 
stopped in North Wales where our friends Rupert and Elizabeth Crawshay
-Williams had found a house, Plas Penrhyn, that they thought would 
make a pleasant holiday house for us and the children. It was small 
and unpretentious, but had a delightful garden and little orchard and
 a number of fine beech trees. Above all, it had a most lovely view, 
south to the sea, west to Portmadoc and the Caernarvon hills, and 
north up the valley of the Glaslyn to Snowdon. I was captivated by 
it, and particularly pleased that across the valley could be seen the
 house where Shelley had lived.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB32-140.HTM

<寸言>
 ラッセルはエディスとともに、晩年、プラス・ペンリンと呼ばれるこの家に
1970年2月2日にインフルエンザをこじらせて亡くなるまで、住むことになりま
す。(妻のエティスは1978年に亡くなるまで引き続きこの家で暮らしました。)
 添付した2枚の写真は、牧野力氏(当時、早稲田大学政経学部教授)が1972
年夏にエディス夫人(未亡人)を訪問した時に撮影した写真です。(ラッセル
関係の写真のネガは、牧野先生が亡くなってしばらくして、先生の遺言により
、ラッセル関係の蔵書とともに、松下が牧野夫人から譲りうけました。)
 松下も、エディス夫人亡き後の1980年夏に訪れ写真を撮りましたがあいにく
曇天で写りがあまりよくありません。(ラッセルのホームページに、「牧野ア
ルバム」と「松下ラッセル紀行」として、大部分掲載してあります。
・牧野アルバム: https://russell-j.com/cool/R501.HTM
・松下ラッセル紀行: https://russell-j.com/cool/R502.HTM )

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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★「R落穂拾いー初級篇」

「哲学者バートランド・ラッセルの解決法とは - SNS炎上にもつながる「多
様性」議論を、天才哲学者マルクス・ガブリエルが考える」
 出典:WebVoice, 2020.02.21 (2021.04.17)
  https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/7356?p=1
  
* マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980.4.6)~ :ドイツ・ボン大
学教授

この有名な「?つきのパラドックス」は、議論が尽くされていて解決法もたく
さんありますが、一つシンプルなものとして、哲学者バートランド・ラッセル
の解決法があります。
近代初のもっとも簡潔で見事な解決法の一つです。簡単に言うと、「2つの段
階に分けよ」というものです。
第二段階の排除は問題ない、と考えます。多様性で言うと、第一段階の排除は
、女性や黒人などのマイノリティを排除することに当たります。
第二段階の排除は、女性や黒人を排除する者たちを排除することです。第一段
階の排除には排除者は含まれないが、第二段階の排除には排除者が含まれる。
2つの段階に分けたら、それぞれの集合には違いが生まれるのです。民主主義
でも同じことが言えます。民主主義撲滅を掲げる政党を設けるべきか?答えは
ノーです。
不寛容な人にも敬意をもって寛容になるべきか?これもノーです。このように
2つの段階に分けて考えることが、盤石の解決法となります。
ですから我々は、とりわけ民主主義では──これがパラドックスなのですが─
─いわゆる排除者を常に排除することになります。

    ・・・ 以下省略・・・

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 編集後記 麻生「(福島原発)処理水は飲んでも大丈夫だそうですよ」
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 麻生副総理はたびたび失言を繰り返してきているので、新たに何を言おうと
誰も驚きません。原発処理水についても「飲んでも大丈夫だそうですよ」と、
どこふく風。

 国民の多くも、福島の漁業関係者が風評被害を心配するのはよくわかるが海
洋放出はやむえないと思っている人も多そうです。

 中国や韓国を始めとして、福島原発の処理水よりトリチウムの濃度の高い処
理水を世界中で海に排出しており、従って、国際的にも問題はないと、政府は
繰り返し「説明」しています。

 そうして、政府は、東電に今後2年ほど準備させた後、処理水の海洋放出を
実施することを、先日閣議決定してしまいました。

 ところで、福島で発電した電力は、福島で消費されるのはそれほど多くはな
く、ほとんどは東京を中心とした関東圏で消費されてきたことをどれだけの都
民(あるいは関東圏の住民)が理解しているでしょうか?
 (参考」「福島が関東への電力供給地になった時」
       http://id.ndl.go.jp/bib/023173856 )

 そうであることを理解しているのなら、長年福島のお世話になってきた関東
在住の人々は、福島原発の処理水を20万トン級の原油タンカーに積んで東京
湾までピストン輸送して放出することを引き受けたらどうでしょうか? そう
して、福島県民が風評被害と戦うのではなく、都民が中心になって風評被害と
戦ったらどうでしょうか? 飲んでも大丈夫なので、江戸前の寿司の味はかわ
らないはずですよね。「味が変わる?」 「気のせいですよ!」

 日本維新の会は自民党の補完勢力であり、頻繁に政府に助け舟を出します。
与党が出す法案にほとんど賛成しているので、自民党に吸収してもらって一派
閥になったほうがよさそうですが、それよりも野党の立場でキャスティング・
ボードを握っているほうが利点が多いと考えているようです。NHKも、日本維
新の会が賛成にまわっただけで他の野党が全て反対にまわっても「一部野党の
反対はあったが、可決されました」という表現を多用しています。

 原発処理水の問題でも、維新の松井市長や吉村知事は「大阪で引き受けて大
阪湾に捨ててもよい」と何度も言っています。しかし、大阪の人たちはそんな
に「お人好し」なのでしょうか? もちろん、処理水を飲んでも大丈夫であり
協力謝礼金をたくさんもらえるならという「条件付き」なのでしょうが・・・。
目立ちたがり屋で、威勢のいいこと言っては失敗を繰り返してきている維新関
係者は信用できませんが、大阪では人気があるようです。大阪の人たちは「半
分冗談だ(乗りだ)」ということで気にならないのでしょうか?(松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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