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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0669_2020/01/25 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1785〜n.1789を発行しました。

(1) ラッセル『私の哲学の発展』第10章「ヴィトゲンシュタインの衝撃」n.14
   『ラッセルの言葉366』n.1785 (2020年01月20日 月曜日)

 ウィトゲンシュタインの論拠(議論)は、「 A が p を信ずる」は p の関
数 (function)ではなく、A が pという命題を言いあらわすところの語(words)
の関数、あるいは A の信念(信ずること)をなしているその人の何らかの身
体的状態の関数、である、ということである。かれ自身は、例のごとく(as
 usual いつものように)、預言者的であり、自分の意見をあたかもロシア皇
帝の勅令(訳注:a Czar's ukase)であるかのごとく言い放っている。けれど
も、もっと謙虚な人々(humbler folk)はそういったやり方(this procedure)
にはほとんど満足できない。私はこの問題を『意味と真理との研究 
(An Inquiry into Meaning and Truth)』(267ページ以下)において吟味した。
しかし、私が達した結論はいくらかためらいがちなものである。

 「原子性の原理」をウィトゲンシュタインは次のように述べている(訳注:
in the following terms『論理哲学論考』の以下の条項で述べている。← 
『論考』は箇条書きに書かれているため!)、「複合物(complex 複合体)に
ついてのいかなる陳述(statement 言明)も、その複合物(複合体)の構成部
分(全成分)についての一つの陳述(言明)と、その複合物(複合体)を完全
に記述する諸命題(諸文)とに、分析され得る(分析可能である)」(『論考』
2.0201)。この原理は、分析(の可能)を信ずるということを言いあらわしたも
のととって(解釈して)よいだろう(may be taken as embodying the belief
 in analysis)。ウィトゲンシュタインが『論考』を書いた当時 −彼は後に
は信じなくなったと私は理解しているが− 彼は世界は様々な特性や関係を持
つ多くの単純者(simples)から成っていると信じていた。単純者のもつ単純
な特性および単純な関係は「原子的事実」であり、この原子的事実の主張が
「原子的命題(原子命題)」である。そこで「原子性の原理」の要点(gist)は
、もし我々があらゆる原子的事実を知り、かつそれら事実が原子的事実の全て
であることを知るならば、我々はそこから他の全ての真なる命題を、論理のみ
によって推論することができるであろう、ということである。しかしこの原子
性の原理に関して生じる最も重大な困難(difficulties 問題)は、再び、
「 A が p を信ずる」というような命題に関連している。というのは、ここで
は p
は複合的であり、ひとつの複合物(複合体)として登場する(enters as)からで
ある。こういった命題は、二つの動詞 − ひとつは主要な動詞、もう一つは
従属的な動詞−を含んでいるということで特徴づけられる。非常に簡単な例を
あげよう。たとえば「 A は B が熱い状態である(is)と信じる(believes)」。
この時、「信じる(believes)」は主要な動詞であり、「ある(is)」は従属的な
動詞である。「原子性の原理」は、従属的な複合物(複合体)である「Bは熱
い状態にある」を持ち込むことなしに、その事実を言いあらわす方法を見出す
ことを要求する(のである)。この原理についてもまた、私は『意味と真偽の
研究(Inquiry)』(p.262以下)で詳細に論じた。
 	
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.14

Wittgenstein's argument is that 'A believes p' is not a function of p,
 but of the words in which A expresses the proposition p or the bodily
 state, whatever it be, which constitutes his believing. He, himself,
 as usual, is oracular and emits his opinion as if it were a Czar's 
ukase, but humbler folk can hardly content themselves with this 
procedure. I have examined the problem at length in An Inquiry into
 Meaning and Truth (pages 267 ff.), but the conclusion at which I 
arrived is somewhat hesitant.

The principle of atomicity is stated by Wittgenstein in the following
 terms: 'Every statement about complexes can be analysed into a 
statement about their constituent parts, and into those propositions
 which completely describe the complexes' (Tractatus, 2.0201). This
 principle may be taken as embodying the belief in analysis. At the 
time when Wittgenstein wrote the Tractatus he believed (what, 
I understand, he came later to disbelieve) that the world consists of
 a number of simples with various properties and relations. The simple
properties and simple relations of simples are ‘atomic facts' and the
 assertions of them are ‘atomic propositions'. The gist of the 
principle is that, if you knew all atomic facts and also knew that 
they were all, you would be in a position to infer all other true 
propositions by logic alone. The most important difficulties that 
arise in connection with this principle are, again, concerned with 
such propositions as 'A believes p', for here p is complex and enters
 as a complex. Such propositions are characterized by the fact that 
they contain two verbs, one principal and the other subordinate. Let 
us take a very simple example, say: 'A believes that B is hot.' Here 
'believes' is the principal verb and 'is' is the subordinate verb. 
The principle of atomicity would require us to find a way of 
expressing the fact without introducing the subordinate complex 'B is
 hot'. This principle, also, I discussed at length in the Inquiry" 
(pages 262 ff.).


(2) ラッセル 「経済的安定について」(『アメリカン・エッセイ集』)から
   『ラッセルの言葉366』n.1789 (2020年01月24日 金曜日)

 ・・・この種のまれな例外は別として,昨日まで金持ちだったものが今日に
は貧乏になり,今日金持ちである者も明日には貧乏になる可能性があることを
理解している。現代世界は,落ち着きがなく,不安な'競争社会'であり,過去の
有閑階級の文化は急速に消滅しつつある。

 Apart from such rare exceptions, those who were rich yesterday are 
poor today, and those who are rich today know that they are likely to
 be poor tomorrow. The world is a restless, uneasy, struggling world,
 in which the leisurely culture of the past is rappidly disappearing.

 しかし,この18世紀の洗練された社交界の表面下をほんの少しでも見通して
みると,別の光景が現れてくる。同じ階級内の交際に関しては洗練され,礼儀正
しいこれらの人々も,他の階級に対しては,民主主義の今日では考えられないほ
ど冷酷であった。・・・。

But when one penetrates ever so little below the surface of the 
polished societies of the eighteenth century, another side of the 
picture presents itself. These men, so urbane, so polite, so civilised
 in their dealings within their own class, were toward other classes 
ruthless to a degree which democracy has now rendered impossible. 

 世の中の大多数の人々に比べて,恒常的により快適な境遇のもとに生きる人
々は,通常,自分よりも不幸な人々への同情を感じない。彼らは,時折あからさ
まに'無感覚'であり,時折,人間の幸福は魂のみにかかわり物質的福福祉とは無
関係であるから(正当な)取り分以上の財貨を自分たちが得たとしても貧乏人に
実害を及ぼすことにはならないといった'嫌悪感を抱かせる見解'を採用する。
 例外的特権に依存する安心・安全は'不正'であり,それゆえ,自分に都合のよ
い社会的不正のための口実を見いだそうとする人間は,必ず,'ゆがんだ道義的
感覚'を身につけることになる。他方,自由競争の勝者である現代世界の支配者
たちは,冷酷無慈悲さをはじめ,競争での成功を実現する様々な行為や資質の価
値を過大評価する。

Men whose circumstances have always been more comfortable than those 
of the majority are, as a rule, incapable of sympathy with those who 
are less fortunate. Sometimes they are frankly callous, sometimes they
 adopt the more nauseous view that happiness depends upon the soul and
 is independent of material well-being, so that they are doing no real
 harm to the poor in taking more than their share of this world's 
goods. Security depending upon exceptional privilege is unjust, and 
the man who has to find excuses for an injustice by which he profits 
is bound to acquire a distorted moral sense. On the other hand, the 
powerful men of the present day who are the victors in a free fight 
overestimate the value of ruthlessness and of the various acts by 
which success in competition is achieved.

 この相互に相対する2つの悪徳を防止する方法は一つしかない。安心・安全
は,それが社会的不正を伴わぬ場合にのみ美徳となる。従って,単に恵まれた少
数者のためではなく,万人のための安心・安全がなければならない。これは実
現可能であるが,現在の競争社会が存続する限りは不可能である。

There is only one way of preventing these opposite vices. Security 
would be good if it were not accompanied by injustice; there should,
 therefore, be security for all and not only for a fortunate few. 
This is possible, but not while the present competitive system 
survives.


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1741〜1745を発行しました。ひとつだけ再掲します。
       n.1745 (2020年01月24日)
  
 最所フミ(編著)『日英語表現辞典』(ちくま学芸文庫,2004年1月)を参考に
した「ラッセルの英語_日英語表現辞典シリーズ」(通称 R日英表現)です。

★ hard-headed (p.109)

  https://russell-j.com/beginner/r_nichieigo_hyogen_h01.htm

 これは日本語の「頑固」とは全く違った意味とニュアンスを持った言葉なの
で要注意。むしろ「現実的」というのに近く、頑固とは反対の印象さえ与える
言葉である。計算にさとく、cool な頭の人を指す場合などに用いられる。

 R英単語・熟語集の用例とはできるだけ重複しないようにしますが、用例が
少ない場合はどうしても重複してしまいます。あしからず。


A.ラッセルの著作における用例

<用例1>
"For the more skeptical of the Victorians, love performed some of the
 functions of the God whom they had lost. Faced with it, many of even
 the most hard-headed turned, for the moment, mystical."
[「「ヴィクトリア朝時代の人々のなかで懐疑主義的な人たちにとっては,恋愛
は彼らが失った神の役割の一部を果たしていた。恋愛に直面するや,最も実際
的な(hard-headed 現実的な)人々でさえ,しばらくの間は神秘主義的になっ
た。」]
 出典:ラッセル『幸福論』第2章「バイロン風の不幸」
     https://russell-j.com/beginner/HA12-050.HTM

[参考]丸山真男「ラッセル(著)『西洋哲学史』v.3-1(近世)を読む」(『思
想の科学』v.1,n.3(1946年12月から)
     https://russell-j.com/cool/REV-HWP3.HTM

A しかし個人主義が自由主義の'決定的特徴'とすれば、浪漫主義の系列と自
由主義との関係はどうなるんだい。

B それはね、ラッセルはこう考えるのだ。ルソーとカント以後、自由主義が
二つに分化した。一は hard-headed liberalism で、この糸統はベンサム――
リカード――マルクスを経てスターリンに至っている、他は soft-headed 
liberalism でフィヒテ――バイロン――カーライル――ニーチェと発展して
ヒットラーに及んでいる。つまり理知的傾向と主情的傾向というところだろう。


B.他の参考例

<参考例1>
in business: a hard-headed businesswoman / a hard-headed decision
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例2>
You use hard-headed to describe someone who is practical and 
determined to get what they want or need, and who does not allow
 emotions to affect their acitons.
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed.


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1486〜1490

1)n.1486:R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.19
       https://russell-j.com/wp/?p=5177
         
2)n.1487: R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.20
      https://russell-j.com/wp/?p=5180

3)n.1488: R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.21
          https://russell-j.com/wp/?p=5184

4)n.1489: R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.22
       https://russell-j.com/wp/?p=5187

5)n.1490: R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.23
       https://russell-j.com/wp/?p=5190


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.1175j-1181j を投稿
 英 語 version : n.1175e-1181e を投稿

  一つだけ再録します n.1177j (Jan. 21, 2020)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1177.html

 「孫にとって祖父の影は薄い?」

 私(ラッセル)は,祖父(元英国首相のジョン・ラッセル)が亡くなった当
日,(就学中だった)兄が,学期中だというのに辻馬車に乗って帰宅して来たのを
見て,「万歳!」と叫んだ。すると私の保母が,「しっ! 今日は万歳なんて言
ってはいけません」と言ったのを記憶している。この出来事から考えると,祖
父は 私にとってそれほど重要な存在ではなかったと推論できる。

I ( = Russell) was just six years old when he (= his grandfather John
 Russell, former prime minister) died. I remember that when on the day
 of his death I saw my brother (who was at school) drive up in a cab
 although it was in the middle of term, I shouted 'Hurrah!',' and my
 nurse said: 'Hush! You must not say "Hurrah" today!' It may be 
inferred from this incident that my grandfather had no great 
importance to me.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1: 1872-1914.
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB11-060.HTM

<寸言>
 孫から見れば祖父などは、祖母と違って、そんな程度であることが多そう。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 お休み

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 編集後記 楽天アフィリエイトの利用開始
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 前号で、昨年12月30日に、アマゾンのアソシエイトアカウントが「閉鎖」
されてことをお知らせしました。理不尽ですが、GAFAの巨人には対抗で
きないので、気を取り直して、楽天アフィリエイトの利用を再開しました。
(昔とったアカウントですが、少し試みただけで、アマゾンの方がよいとい
うことで、利用を中止いました。)

 アマゾンも楽天も利用規約はそんなに違いはないでしょうが、楽天のアフ
ィリエイト・ガイドのページを読むと、悪質でない限り、規約に違反してい
る場合は、注意喚起や警告のメールが送られてくるように書かれています。
知らないうちに規約違反になっていることがありそうですので、アマゾンよ
り安心できそうです。

 ただし、ラッセルのホームページにあるコンテンツ約10,000点にそれぞれ
複数のアマゾンの広告を貼り付けていましたので、全て除去するには1年間
くらいかかりそうです。それまでは、未対処のページについては、アマゾン
側が代わりに表示しているいやらしい画面が表示されるページがありますが
、あしからず。

 皆様、今後はラッセルのホームページの楽天の広告経由でラッセル関係の
書籍などを購入していただければ幸いです。(松下彰良)

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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     ( top page: https://russell-j.com/index.htm )
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